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「それじゃあ初めはどこに行くんだ?」
「厨」
「厨? なんでまた」
「百人規模のご飯を作る場所がどんなところか見てみたくて」
うちの三倍近く刀がいるのだ。食材の管理もそうだけど、調理器具はどんなものを使っているのかとか、何人体制で作っているのかとか、ちょっと興味がある。
勿論武田さんや柊さんに聞いてもいいんだけど、やっぱり見知らぬ本丸を見られる機会なんてそうそうないから。今のうちに見ておこうと思って。
「確かになぁ。おむすびを握るにしても、百人単位となれば何合の米が必要になるんだか」
「それも気になりますけど、俺としては熱々の米を百回分握るコツを知りたいですね。どうやれば手が熱くならないのか、とか」
「うむ。気になるなら調べるしかないな」
意外と皆も気になり始めたらしい。提案してくれた加州に「それじゃあ行ってくるね」と伝え、小夜、三日月、鶴丸、鯰尾を連れて厨を目指す。
「廊下の広さは大して変わらないね」
「おそらく手を加えていないんだと思います」
「まあ、そんな横いっぱいに並んで歩くこともそうないですからね」
「むしろ広すぎると敵襲にあった時不便だからな。この程度で十分だと思うぞ」
「それもそうか」
本丸内の構造は多少違いはあるが、殆ど同じだ。それでも厨だけは規模が違うので見に行けば、そこは既に戦争状態だった。
「後ろ通りまーす!」
「あっちち!」
「ご飯あと何分で炊けるー!?」
「おかず一品出来たよー!」
「煮物もう少しかかりまーす! ていうかお昼まであと何分?!」
「わあ……。すごい光景」
厨にいたのは打刀と太刀ばかりで、短刀たちはいない。邪魔にならないようそっと観察していると、視線に気づいたのだろう。蜂須賀虎徹が「おや?」と目を丸くした。
「審神者殿、どうしたんだい?」
「あ、いえ。厨房がどういう感じなのか、ちょっと見てみたくて」
「厨をかい? 別に変ったところはないと思うが……」
蜂須賀はそう言うが、やはりうちとは違う。まず第一に面積と設備だ。面積は言わずもがな。設備に関しては、うちは昔ながらの『厨』って感じだけど、ここはかなり現代的で『オープンキッチン』って感じがする。小規模な給食センターって感じもするけど、それはそれ。コンロやレンジ、オーブンなど現代的な設備でいっぱいだ。
炊飯器だってうちとは違ってサイズも一回り大きいし、台数も倍近くある。煮物や汁物を作っている鍋も『業務用』って感じがして巨大だ。
それが二つも三つも並んでいるところを見ると『圧巻』という言葉しか出てこない。
「お昼の準備で忙しいですよね。見てるだけなので、気にしないでください」
「そう言われてもだね……」
「正直、うちとは人数が倍違うだろう? だからどんな設備を使っているのか、主が気になっているんだ」
鶴丸が助け舟を出してくれたおかげで蜂須賀は『何故厨を見に来たのか』を理解したらしい。「なるほど」と頷くと申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すまないが、中に入れることは出来ない。見ての通り戦場になっているからね」
「はい。あ、では一つだけ質問してもいいですか?」
「ああ。構わないよ」
「見たところ打刀と太刀だけで準備しているようですが、今日の当番に他の刀種は含まれていないのですか?」
うちでは短刀たちも食事を作る。それこそ手が空けば野菜を洗ったり切ったり、洗い物をしたり片付けたり、あちこちで動き回っている。だけどここの厨では姿を見かけない。当番の関係でシフトに組み込まれていないのならそれでいいのだが、違うなら理由が知りたかった。実際、質問した後蜂須賀は「少し違うかな」と答えてくれる。
「短刀には食事の準備ではなく、配膳や後片付けをお願いしているんだ。調理はどうしても力がいるし、身長もないと不便だからね」
「ああ……なるほど」
言われてみればその通りだ。うちは人数が少ないから煮物や汁物もここまで必要にならない。その分質量は減るため、短刀たちでも鍋や野菜の入った籠、フライパンは持てる。だけどこの人数分となれば鍋もフライパンも大きくなるし、質量も増える。体の小さな短刀では中身が入った鍋を持つのは至難の業だろう。転んでけがをしたり、火傷をしたら洒落にならんしね。
「だから調理は打刀、太刀、大太刀、薙刀、槍で行うんだ。と言っても蛍丸は小さいから除外しているけどね」
「なるほど。そうだったんですね。教えてくださってありがとうございます。納得しました」
流石にこれだけの刀が今後自分の本丸で生活するとは思えないけど、離れにいる刀を含めたら結構な数にはなる。
と言っても離れにも厨房があるから、保護した刀たちは皆そっちで作っているんだけどね。
「よかったら君たちもお昼、一緒にどうだい?」
「あ、いえ。大丈夫です。気になさらないでください」
さっき巨大パフェ食べたからそんなにお腹空いてないしね。
正直もっと見てみたい気持ちはあったけど、流石にタイミングが悪い。蜂須賀には「他のところを見てきます」と言って別れ、今度は裏庭に出てみる。
「この本丸にも離れがあるんだ」
「ああ。だが聞いたところによるとあそこには備品を置いていたり、主を困らせた刀を『お仕置き』として隔離する部屋ぐらしかないらしいぞ」
「あとは静かになりたい時にこそっと行く刀が何人かいる、って聞いたよ」
「そっか。離れの使い方もそれぞれなんだね」
うちは刀を保護しているから、彼らの生活する場所として開放している。だけどここではそういうことをしないから『サブで使用する建物』みたいな感じらしい。
鯰尾の調査によると、文机や椅子、硯や筆といった家具や文具、布団、鋤や鍬などの農具などが仕舞われているらしい。
「他に気になる点があるとすれば、お花がないことかなぁ」
「言われてみればそうだな」
「うむ。道理で物寂しいと思ったのだ」
「うちは裏庭にも花を植えてますからね〜」
うちには庭園もあるけど、それ以外の場所でも花を育てている。それこそ夏はひまわりとか植えてるし。
でもここは完全に更地で、離れへと続く道以外何もなかった。
「なんか勿体ないですよね。折角敷地があるのにさ」
「わびさび、と言えなくもないが……どちらかといえば『殺風景』と言った方が正しいな」
鯰尾と鶴丸の言葉に「そうだね」と返事をしつつ、離れにも足を運んでみる。本丸から少し離れただけなのに妙に静かで、なんだか物寂しい。まるで忘れられた家みたいだった。
「うーん……。頻繁に行き来はされていなさそうですねぇ」
「埃が溜まっているわけじゃないが……。足を運ぶ機会は少ないのだろうな」
「整理整頓はされているから、歩き辛いということはないぞ」
「備品はどこに何が入っているか分かるよう記されていますね」
「ってことは、定期的に足を運ぶ機会はある、ってことだね」
離れは特に問題なさそうだったので、そのままグルッと本丸を回って畑に行く。
うちの数倍広い畑は聞いていた通り区分されており、各地で刀たちが作業に勤しんでいた。
「あれ? 審神者さんどうしたのー?」
「視察、でございますか?」
真っ先にこちらに気付き、声をかけてきたのは浦島虎徹と小狐丸だった。どちらもうちにいない刀ではあるが、話をしたことがないわけじゃない。一先ず「皆さんの働きぶりを見に来ました」と返せば、浦島虎徹は「どうぞどうぞ! 見て行ってよ!」と笑みを浮かべ、小狐丸は「このような泥に塗れた姿はお見せしたくなかったのですが……」と肩を落とした。
「こちらでは何を育てているんですか?」
「はい! 油揚げの元、大豆でございます!」
「こっちは大根だよ! 煮物にしても、お味噌汁に入れてもうまいよね!」
鶴丸から聞いてはいたけど、確かに土や作物から神気は感じられない。それでもちゃんと管理されているのは分かる。乾燥してないし、水分が多すぎることもない。雑草も丁寧に除去されているし、十分な量が収獲できそうだった。
「いい土ですね」
ふっくらとした土であることは踏み固められた地面と比較すればよく分かる。だから思ったままを口にしたんだけど、ここで突然「土の良さが分かるのかい?!」と声を掛けられ肩が跳ねあがる。
「見ただけで土の良し悪しが分かるなんて、君は農業に通じている人なのかな?!」
「あ、いえ、あの、えっと」
「桑名江、落ち着きなされ。審神者殿が困っておりますよ」
「そうそう。嬉しいのは分かるけど、相手は女の子なんだからさ。いきなり詰め寄るのはダメだって」
どうやら声をかけてきたのは噂の『桑名江』らしい。武田さんと柊さんの本丸の畑でちらっと見たことはあるけど、話したことは殆どない。百花さんたちのところにも顕現していないから、ほぼ接点がないと言っても過言ではない。
そんな彼に食いつかれたことに驚きはしたが、どうにか「素人意見にしかすぎませんよ」と言葉を濁すことに成功した。
「畑はいいよ。健全な肉体も、魂も、全ては土から始まるんだ。土の良し悪しを測るにはまず口に入れてみることなんだけど、君が見て分かるほどに元気だ、ってことは素直に喜ばしいよ」
「は、はは……」
畑に対し並々ならぬ情熱を持っているとは聞いていたけど、まさかここまでとは。
でも実際畑の管理はしっかりとされている。それだけ桑名江が心をこめて作業をしているということだ。だから適当に誤魔化すのも忍びなく、結局「素晴らしい畑だと思います」と思ったことをそのまま口にした。
「実は以前、廃棄された本丸に足を踏み入れたことがあるんです。そこの畑は土がカラカラに乾いていて、変色もしていたので、やっぱり土も生き物なんだなぁ。と実感して……」
「なんだって?! それはもはや土に対する冒とくだよ! なんてむごい……!」
今まで色んな刀や人と会ってきたけど、土に同情する刀は初めてだ。
でも土や畑に対する熱意がすごいだけで、ぶっ飛んだ刀、という感じはしない。むしろ性質的なものはオタク寄りな気がする。そのせいかだんだん彼の熱弁にも慣れていき、最終的には「今度うちの畑も見に来てください」で話はまとまった。
「君は流石だな。あの桑名江の話についていけるとは思わなかったぜ」
「あはは。でも農家出身じゃないから詳しいこととか、細かいところは分かんないよ? でも一度専門家にうちの畑を見てもらうのはありかな、って」
「あの事件で一回めちゃくちゃにされましたからね〜。うちの本丸。いい助言を貰えたら御の字ですね」
桑名江に捕まったおかげでだいぶ時間を食ってしまった。スマホで時間を確認すれば昼を回っており、慌てて大広間に戻れば長谷部と山姥切長義が机に伏せていた。
「え? これ大丈夫なの?」
「ああ……。ようやく終わったと思って気が抜けたんでしょう」
「それより、おかえり。主。何か収穫はあった?」
「うん。色々と見てきたよ。皆も任せっきりにしてごめんね。手伝ってくれてありがとう」
「主命とあらばいかようにでも。それで、こいつらはどうします? 一応他の奴らは二人を避けて食事を摂っておりますが」
長谷部が言うように、昼食を食べに来た刀たちは彼らを避けて座っている。中には自室に持っていくのか、大広間を通り過ぎていく刀もいる。このまま放置するのも忍びないし、せめて上掛けでも持ってきてあげようか。と考えていると、厨にいた蜂須賀虎徹がやってきた。
「審神者殿、ここにいたんだね」
「はい。何かありましたか?」
「いや、お昼はどうするのかと思ってね。それにしても……二人は何でこんなところで寝ているんだ?」
「あはは……。ようやくお仕事が終わったみたいで……。このまま寝かせてあげたいんですけど、お部屋はどこでしょうか。運ばれるのは嫌がりそうだから、せめて上掛けでも、と思いまして」
幾ら刀剣男士が神様で風邪を引かないといえ、それでも寒さは感じる。それに日中はあたたかくとも寝ている時は体温が下がるものだ。体を冷やさないためにも何か掛けてあげたいと伝えれば、蜂須賀は驚いたように目を丸くした。
「君は優しいね」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
「いや、うちは男所帯だからね。着の身着のままで雑魚寝をしたり、昼寝をすることなんてしょっちゅうなんだ。気にしなくてもいい」
「そう、ですか」
本人たちがそれでいいなら、という気持ちはなくはないが、それでもやっぱり気になってしまう。でもここにはここのルールがあるだろうし、誰も気にしないのであれば変に首を突っ込むのも悪い。
だから一先ず目を瞑ろうと話を変えようとしたところで、ゲートが作動する音が聞こえた。
「みんな〜。だだいま〜」
「おや、主が帰ってきたようだ」
「みたいですね」
どこかぬぼーっとした間延びした声が聞こえてくる。どうやら会議は無事終わったようだ。蜂須賀が「迎えに行ってくるよ」と口にした途端、それが聞こえていたかのように長谷部が飛び起きた。
「主!!」
「うわっ!」
「やっぱ起きるんだ。流石『へし切長谷部』って感じだね」
「当然だろう」
うちの加州と長谷部がこそこそ話し合う中、飛び起きた長谷部が勢いよく立ち上がり、廊下を駆けていく。山姥切長義も今の声と動きで起きたらしく、心底迷惑そうな顔でゆっくりと上体を起こした。
「ようやく休めると思ったんだけどな……」
「あはは……お疲れさまです」
同情しつつも声を掛ければ、山姥切長義は改めて身なりを整えてから立ち上がった。
「今更だが、色々と手伝ってくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「いえいえ。出来ることをしたまでです」
「それでも、感謝しているよ」
本当に疲れていたんだろう。ここまで言われたら受け止めるしかない。一先ず「どういたしまして」と答えると、聞き慣れない声に混ざって聞き慣れた声が聞こえてきた。
「お前〜、会議は終わったわけじゃねえぞ?! お前が何の指示も出してないから昼休憩の間に戻ってきただけで、またすぐ連れ戻すからな?!」
「分かってるよ〜。何度も言うことないだろ、って、あれぇ? どちらさまぁ?」
ガッシリとした体格の武田さんと共に現れたのは、恐らくこの本丸の審神者だろう。クルクルとした天然パーマ気味の黒髪に、眼鏡をかけた細身の、猫背の男性がこちらを不思議そうに見ていた。
「はじめまして。武田さんから依頼を受け、暫くの間本丸を預かっておりました。審神者の水野と申します」
「え。俺の本丸見てたのって柊ちゃんじゃないの?!」
「バカ野郎。柊は会議に参加してただろうが」
「あ。そっか」
どうやらかなりの天然さんらしい。ボリボリと後頭部を掻いた男性は、改めてこちらに向き直るとお辞儀をした。
「どーもぉ。はじめまして。この本丸の審神者で、政府の職場ではシステムエンジニアやってます。本郷(ほんごう)です。本はブックの本に、郷は郷里とか、故郷とかで使う方の郷ね」
丁寧に名前を教えてくれるのはありがたいが、皆が言うように身なりはそこまで気にしていないのだろう。服はよれており、靴下も左右違う柄のものを履いている。
チラリと見上げれば蜂須賀虎徹は「またそんな恰好をして……」と顔を顰めており、長谷部は本郷さんの後ろで誇らしげな表情で立っていた。
「水野さん、急に頼んで悪かったな」
「いえいえ。これはこれで楽しかったというか、勉強になりました」
「そう言ってもらえると助かるぜ。昼休憩が終わったら俺達はもう一度向こうに戻らなきゃならねえが、夕方には戻って来るからよ。出陣部隊もその頃帰還するはずだから、水野さんは自分の本丸に戻って貰って構わないぜ」
武田さんはそう言うが、ここで意外にもこちらの刀たちからブーイングが上がる。
「えー! 審神者さん帰っちゃうの?! まだ全然お話出来てないのにー!」
「俺たちの働きぶりをもう少し見てから出もいいんじゃねえか?」
「そうだそうだー! たまには癒しと潤いをくれー!」
「やだやだー! 人妻審神者さんと話すためにお仕事がんばったのに! 話も出来ないまま帰すなんてひどいや!」
「こら、包丁。落ち着きなさい」
一期一振がなだめるけど、包丁藤四郎は「やだやだ!」と叫んでこちらに向かって駆けてくる。なんだかこのままだと抱き着かれそうだなぁ。と考えていたら、宗三と長谷部がすっと前に出て来てそのまま包丁藤四郎を捕獲した。
「こら。この人妻狂い。人の主に抱き着こうとするんじゃありません」
「不敬者。許可なく触れていいほど我らの主は立場の低いお方ではないぞ」
ムッとする長谷部の言葉に背中がヒヤッとする。実際その通りだから拒否できず、反応に困る。
武田さんも事情を理解している一人だから、首を傾けている本郷さんとは違い頬を引きつらせていた。
「やだやだ〜! 一回ぐらい抱き着かせてよ〜! ギュッてしてほしいよ、頭撫でてほしいよ、甘やかしてほしいよ〜! 人妻〜!」
「コラ! 包丁! いい加減にしなさい!」
流石の一期一振も口調を強める。だけど包丁藤四郎はぷっくりと頬を膨らませると、涙目で兄を睨んだ。
「ム〜!」
「そんな顔をしてもダメなものはダメだ。いいかい、包丁。お仕事の邪魔をしちゃいけないよ。分かったね?」
「やだーっ! 主はいっつもサボってるし遊んでるんだから、人妻審神者さんだって遊んだって問題ないじゃん!」
「包丁!」
「本郷、お前のせいだぞ」
「あちゃ〜。俺のせいで他の審神者さんに迷惑がかかるとは〜」
どこまでものんびりとした様子の本郷さんだが、駄々をこねる包丁藤四郎に近付くと「包丁」と声をかける。
「俺だって遊んでるわけじゃないぞ? 確かに事務作業苦手だし、長谷部や長義には迷惑かけっぱなしだけど、意外とちゃんと仕事してるから」
「いや、そこじゃねえだろ」
「ちょっと長谷部。あなたのところの審神者なんなんです? もっと他に言うことあるでしょう」
「うちの主はこういう方なんだ」
後ろでこそこそとしたやり取りが聞こえるものの、本郷さんは気にせず包丁藤四郎に語り聞かせる。
「幾ら女性の審神者さんが遊びに来るのが珍しいからって、迷惑かけちゃダメだ。駄々をこねる子供より、聞き分けのいい子供の方が好かれるに決まってるだろ?」
「うちの主は遊びに来たわけじゃないんだけど」
「武田、一回あの男の後頭部を強めに殴っていいか?」
「お前らが殴ったら最悪死ぬからやめろ」
しれっと不快感を露わにする鶴丸を武田さんが首を横に振って止める。幾ら細身と言えど鶴丸も刀剣男士だ。普段戦場で刀を振るう刀が強めに殴ったら気絶で済むか分からない。
冷や冷やしつつ成り行きを見守っていると、とりあえずは納得したらしい。包丁藤四郎は「分かったよ……」としょんぼりとした様子で呟いた。
「主がそこまで言うなら……」
「そうかそうか。いやー、話が通じてよかった」
「と、言うとでも思ったかー!」
「あれぇ?!」
どうやら納得もしていないし諦めてもいなかったらしい。本郷さんの脇を通り抜け、今度こそこちらに抱き着こうとする。
もうこうなったら受け止めるしかないのかなぁ。なんて半ば諦めの境地でいたけど、流石懐刀。最後の砦である小夜がすかさず動いた。
「そこまでです」
「うッ」
こちらに向かって飛び込もうとしたのだろう。包丁藤四郎が踏み込みを入れるその瞬間、今まで静かにしていた小夜が素早く相手の懐へと飛び込み、鞘に入れたままの自身を細い首筋に宛がった。
「許可なく主に触れないでください。もう一度言います。主の許可なく、僕たちの主に触れないでください」
「う、うぅ……」
こちらからは背中しか見えないけど、小夜が如何に真剣なのかは声を聞けばわかる。どこか怒っているようにも聞こえる声音は鋭く、重く、包丁藤四郎はジリジリと後ずさり、最後にはしりもちをついた。
「無駄な争いはしたくありません。でも、僕たちは主を守るためにここにいます。例え危害を加えるつもりがなくても、主の許可がない以上、主に触れることは許しません」
「流石小夜坊。主の懐刀なだけあるな」
「フフン。自慢の弟です」
宗三の心底嬉しそうなドヤ声が聞こえる中、小夜は自身から手を離さないまま包丁藤四郎を見下ろした。
「今のが最終警告です。もう一度主に触れようとした場合、僕はあなたを許しません。分かりましたか?」
「は、はい」
コクコクと何度も頷く包丁藤四郎は、流石に本郷さん相手にしたようなフェイントをかけようとはしなかった。
小夜も相手が大人しくなったと感じたのだろう。スッと腕を下すと戻って来る。
「すみません。勝手な行動に出ました」
「ううん。そんなことないよ。守ってくれてありがとう」
実を言うと、結婚する前だったら包丁藤四郎が飛び込んできても問題なかった。ビックリはしただろうけど、そういうものか。と思って気にしなかっただろうし。
だけど今は水神様の巫女みたいな感じだし、鳳凰様の眷属になった陸奥守の妻にもなったから。簡単に触れさせることは出来ないのだ。だから皆が身を挺して守ってくれたわけである。
うちに顕現してくれた、うちの刀ならまた話は変わるんだけどね。でも包丁藤四郎は他所の刀だから。
分かりやすく例えると、織田信長の奥さんである帰蝶さんに、一介の家臣が許可なく触れようとするようなものだ。そりゃ止められるって話だよ。
だからこそ小夜に「ありがとう」と伝えれば、本人は「僕はあなたの懐刀だから」と頼もしい言葉が返された。本当に頼もしい懐刀様ですよ。
「それじゃあ私たちは自分の本丸に戻りますね。報告書は後で纏めて提出しますので」
「ああ、悪いな。そうしてくれると助かる」
「もし本郷さんが不在の間困ったことがありましたら、水野宛にご連絡をください」
この本丸の初期刀である蜂須賀虎徹に本丸のIDと電話番号、審神者名が印字された名刺を渡せば「そうさせてもらおう」と穏やかな笑みが寄こされた。
うーん。分かっていたけどやっぱり美人。面布しててよかったわぁ。
「じゃあ私たちは帰ろうか」
「はい」
「りょーかーい」
「たまには他所の本丸に来るのも楽しいものだな」
「ま、今回は仕事での訪問だったけどな」
「また会いましょうねー!」
ブンブンと手を振る鯰尾は、一瞬だけ一期一振を見た。だけどすぐに笑顔を浮かべて手を振る。その姿を見ると「早く一期一振を呼んであげたいな」と思うが、願ってすぐに来てくれたら苦労はしない。
ただ彼が気に病まないよう気付かない振りをして、私も頭を下げてからゲートを潜った。
「あー、帰ってきた〜! って感じするね」
「あはは、そうだね」
グッと伸びをして声を上げる加州に笑って答えるが、私も同じことを考えていた。
今まで当たり前のように見てきたけど、改めて花に囲まれた本丸を見ると「綺麗だなぁ」と思う。
匂いも違うし、空気も澄んでいる気がする。
何となく竜神様に会いたくなったけど、簡単に会えるようなお方でもないし。その代わり建て替えた時に作った滝つぼにでも行こうかな。と顔を向けていると、三日月が声をかけてきた。
「主。水に呼ばれたのなら気にせず向かうといい」
「え? 水に、呼ばれる?」
「うむ。そなたは水神の寵児である。故に”水に触れたい””洗い流したい”と思うのは当然のことだ。心と体、どちらかが水に触れることを望んでいるのであれば、それを無視する必要も、否定し、拒否する必要もない」
「ぁ……」
別に穢れた場所にいたわけじゃない。本丸は綺麗に清掃されていたし、刀たちも怪我もなく、楽しそうに過ごしていた。
それでも『竜神様に会いたい』と思ったのは、無意識下で『清らかな水に触れたい』という気持ちがあったからだろう。つまりは『身についた何かを洗い流したい』ということだ。
それは神職にとっては大事な感覚らしく、三日月と私のやり取りを聞いていた刀たちはすぐさま「準備してくるよ」と言って本丸に向かって駆けだした。
「……でも、なんか、いいのかな、って……」
「構わんさ。むしろそなたにとっては必要なことだ。……主、そなたには酷かもしれぬが、その体は、もはや人の世ではなく”こちら側”に近い。身を清めたいと思ってしまうのは、それだけ人の世やそれに近い場所での生活が困難であることの証だ」
「………………」
うすうすそんな気はしていた。というか、再三鳳凰様やお師匠様から言われてきたことだから、今更ショックを受けたりはしない。それでも「もうそんなに人外化が進んでいるのか」と思うと少しばかり遣る瀬無かった。
「主。行水の準備出来たよ」
「……ん。ありがとう」
小夜も、皆も、きっと分かってる。それでも言わないのは、きっと私のためだろう。そして敢えて私にハッキリと伝えることもまた、私のためなのだ。
「ありがとう、三日月さん」
「礼を言われることではない。……すまぬな。力になれず」
「そんなことないよ。むしろ原因が分かってスッキリした」
この言葉に嘘はない。だけど軽く考えていいことでもない。
先導する小夜の後をついて行きながら、行水の準備が整えられた場所へと移動する。目の前には轟轟と音を立てる小さいがしっかりとした滝があり、その足元には絶えず飛沫が上がっていた。
「主。僕たちは衝立の向こう側にいるから。終わったら呼んで」
「うん。ありがとう」
用意された衝立の向こう側に小夜が歩き去って行く。だけどそう遠くまではいかないはずだ。本丸内とはいえ、彼らは私を一人にすることは殆どないから。
衝立の中、用意されていた白装束に袖を通せば少しだけほっとした気持ちになる。多分、着ていた服にも見えない何か――淀みとか、感情とか欲望とか、そういうのがついていたのかもしれない。
服を脱いだことで解放感を得たということは、やっぱりそういうことなのだろう。
水神様や鳳凰様、刀剣男士みたいに『神』として存在しているわけじゃないから、変に色んなものを背負ったり、くっつけてしまうのだろう。
まだまだだなぁ。なんて思いながらも波打つ水面に足をつけ、徐々に深いところに向かって歩いていく。
そうして全身を水に漬ければ、冷たいはずなのにどこか心が安らかになれた。
「はあ……。気持ちいい……」
お風呂に入った時とは違う。心地いい脱力感と、何かが洗い流されていく感覚。そうして誰かに包み込まれているような感覚を抱きながらゆっくりと全身を水に預け、沈み込む。
コポコポと自身の口から気泡が抜けていくのをぼんやりと見上げながら数秒の間ぼーっとしていると、息が苦しくなったため顔を上げた。
「ぷはっ! はあ……はあ……」
沈むようにして全身漬かったから髪の毛から水が滴って来る。だけど煩わしいとは思わない。むしろスッキリした気持ちだ。
そのままスイスイと数分間水の中を泳ぎ、満足したところで上がった。
「流石小夜くん。着替えまでしっかり用意してくれてる」
もうすっかり小姓役として動くことに慣れたようだ。タオルだけでなく真新しい服も用意されている。水気を拭った後それに袖を通し、脱いだ服は一緒に用意されていた籠に入れる。そこでようやく「小夜くん、終わったよ」と声を掛ければ、茂みの奥から小夜が顔を出した。
「主、大丈夫?」
「うん。かなりスッキリした」
面布も、三日月が『洗い替え用』として同じものを何枚か作ってくれたから、今つけているのはそのうちの一枚だ。さっきつけていた分は服と一緒に洗おうと籠を持てば、小夜と一緒に待機していたらしい。加州と鶴丸、鯰尾と長谷部が衝立を持ってくれた。
「宗三と巴形が広間でお茶を用意しております。主は冷えた体を温めてください」
「衝立戻したら洋服洗濯するね」
「流石にそれは自分でするよ。どうせ洗濯機に放り込んで洗剤入れてスイッチ押すだけだし」
「君はつくづく働き者だなぁ」
「そうでもないよ」
雑談を交わしながら大広間へと向かえば、長谷部の言う通り宗三と巴形が待っていた。机の上には暖かいお茶と軽食が用意されており、巴形が急須に湯を注いで蒸らしている間に宗三が髪を乾かしてくれる。
「幾ら髪の毛が短くなったからと言って風邪を引かないわけじゃないんですよ?!」
「うえへ〜。すみませ〜ん」
「口では文句言いつつ宗三さんの手つきって優しいよねぇ」
「宗三は”つんでれ”だからなぁ」
すっかり現代の道具に慣れた宗三は慣れた手つきでドライヤーで髪を乾かし、櫛を入れ、最後にヘアオイルをつけて髪型を整えてくれた。
「ほら、出来ましたよ」
「主。こちらも準備が出来た。食事を摂ったら少し休むといい」
「二人ともありがとう」
至れり尽くせりだなぁ。と心底思いながら、用意された軽食を口にする。鶴丸や鯰尾たちもそれぞれ準備し食べているあたり、二人が準備してくれたのだろう。改めてお礼を言えば「当然のことをしたまでだ」と言われてしまった。
その後少し休憩した後、残りの仕事を片付け、本郷さんの本丸で過ごした時間、見てきたもの、気になった点などを纏めてから武田さんへとメールを飛ばす。
その報告書が切っ掛けで本郷さんは『本丸の維持に必要なものは何か』を改めて武田さんたちに説明されたらしく、後日お詫びとお礼の手紙が届いた。やたらと封筒が分厚かったから驚いたのだが、中には燭台切や一期一振、長谷部や山姥切長義からも手紙が入っており、それぞれお礼の気持ちが綴られていた。
特に長谷部と山姥切長義は『仕事を手伝わせて申し訳なかった。感謝している』と繰り返し明記されており、なんだか苦笑いしてしまう。
そして意外なことに桑名江からも手紙が入っており、そこにはいつうちに訪問してもよいか、という旨が記載されていた。ありがたいことに都合がいい日を複数候補として明記してくれていた。おかげでこちらも予定が立てやすく、結果的に一週間後来てもらうことが決まった。
「まさかあの言葉を本気にしていたとはなぁ」
「いいじゃないですか。タダで見てもらえるんですから」
「現金だなぁ」
言いたい放題な鶴丸と鯰尾だが、その実二人も興味があるらしい。当日は自分たちも様子を見に来る。というので頷いた。
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