小説
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ダックワーズに口付けて



『オレンジピールの宝石に』と同じ設定のパティシエ我愛羅くんと恋人サクラちゃんの甘いちゃ話




あたたかい日差しが部屋に降り注ぐ二人きりの休日、午後三時。
部屋にはコーヒーを挽く音と、オーディオから流れる彼の好きな曲が響く。
そして窓の外からは時折子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、車の走る音がする。
そして机に伏せる私の視線の先では、彼が真剣な顔をしてキッチンでコーヒーをたてている。

この何気ない穏やかな時間が私は好きだ。
休日の彼はこうして甘いもの好きな私のためにお菓子を焼き、コーヒー嫌いの私のためにカプチーノを入れてくれる。
私はそんな彼を眺めながら今日の絵柄は何だろうか。と考える。

初めは器用な彼でも難しいと言っていたラテアートも、今ではすっかりレパートリーが増え私の目を楽しませる。
ふわふわとした泡は私の口元だけでなく心も優しく包みこみ、そのお供に彼が作ったお菓子を食べれば私の疲れは遥か彼方へと飛んでいく。
そうしてまるでわたがしのように甘くやわらかな幸福の中、私は美味しい。と彼に向かって微笑むのだ。


「できたぞ」

コーヒーをたて終わった彼の声に私は立ち上がり、差し出された二重に重ねたハート柄のカプチーノを受け取り頬を緩める。

「今日はハートなのね。可愛い」
「あとおやつはこれだ」

白い陶器の上に敷かれたレース柄のナプキンが上品で、そこに鎮座する今日のお菓子は天使の羽の如く真っ白な粉雪をかけられた焼き菓子が二つ。
見たことのあるそれに、これってもしかしてダックワーズ?と聞けば彼は頷く。

「いつもケーキばかりだからたまには焼き菓子にでもしようと思ってな」

嫌いだったか?
と言われ私は全力で首を横に振る。
私はケーキだけでなく焼き菓子ももちろん大好きだ。

「むしろ大好物!」

思わず拳を握って力説すれば、彼は呆れたような、それでも笑うような吐息を一つ零してから いいからもっていけ。と私に皿を渡す。
私はそのお皿と彼の淹れてくれたカプチーノを持ち、彼のお気に入りの木目テーブルに見栄えよく並べる。

「んふふー、我愛羅くんの作ってくれたダックワーズ食べるの楽しみ〜!」
「そうか」

甘いものが苦手な彼は自分用にたてたばかりのコーヒーをマグカップに注ぐと、昨日焼いたというクッキーも片手に私の向かいに座る。

「こっちも食べていいからな」
「本当に?全部食べちゃっても知らないわよ?」

私がにんまり笑って言えば、彼は構わない。と目を細める。
そうして私たちの午後のティータイムが始まる。

「いただきまーす」

ここ最近の私の楽しみといえば、休日彼と共にすごすこの時間だ。
もちろんそれ以外の時間も彼といれば楽しいし幸せだが、この幸福は別カテゴリーだ。

私はハート柄のカプチーノにまず口をつけ、ほろ苦いけれど深みのあるコーヒーの味を楽しむ。
コーヒー嫌いだった私だが、彼の淹れるコーヒーだけは少しずつ飲めるようになってきた。
初めは砂糖とミルクで誤魔化していたが、彼が私のために違う豆を用意してくれたのだ。
彼自身が飲むコーヒーの豆は昔から変わらず同じ物なので、彼は私のためにいつも豆を挽いてくれる。
そんな彼のプロ意識の下に隠された優しさが心底嬉しい。

そんなことを考えつつ、カプチーノのまろやかな味に癒された私は目の前に鎮座する焼き菓子へと向ける。
気泡で穴が開いた表面はまるで月面のようで、そこに粉雪のようなシュガーパウダーが降り積もり優しい印象を与えてくる。
手に取ればふんわりと軽く、けれど表面は程よく硬く崩れる気配はない。
絶妙なバランスで作られたそれを口元に近づければ、香ばしいアーモンドの香りが鼻腔を抜ける。
ああ、これは美味しいわ。
と食べる前から私は頬を緩め、待ちきれぬと騒ぐ口内にそれを含み噛みしめる。
途端、口の中でさくりと初雪を踏みしめた時のような音が響き、次いでふんわりとしたスポンジの柔らかさが口に広がる。

「んん〜…幸せぇ…」

噛むたびに広がるアーモンドの香りを、一緒に挟まれた滑らかなクリームがそっとやわらげ甘い幸せを私に運ぶ。
思わず両頬を手で覆い悶えれば、彼は嬉しそうに頬を緩めそれはよかった。とコーヒーを一口啜るとクッキーを一つ手に取り口に運ぶ。
そして私はダックワーズを再び頬張り頬を緩める。

「美味しい〜…本当幸せ」

ほっぺたが落ちそうなぐらい美味しい、ってきっとこういう時に使うのね。
と私が思っていると目の前の彼の瞳が優しく細められ、そこには間抜けた顔した私が映っている。
思わず恥ずかしくなって視線を逸らせば、彼は私の頬に手を伸ばし口の端についていたらしいシュガーパウダーを軽く拭う。

「お前のその顔は、いつみても飽きないな」

くつくつと笑う彼に私がどういう意味よ。と唇を尖らせれば、さあ。とはぐらかされる。

「どうせ間抜け面とか思ってるんでしょ?」
「半分はな」
「半分も思ってるの?!ちょっとは否定してよ!」

私の言葉に彼は冗談だ、と軽く笑って私の顔から指を離す。
腑に落ちん。と私がぶーたれているにも関わらず、彼は私にクッキーは食べないのか?ともう一つの皿を進めてくる。
ありがたくいただくわよ!と私が丸型のクッキーを手に取り口に放れば、さくさくとした軽い触感とココアの香りがほろ苦く広がるそれに、結局頬が緩んでしまう。

「うあぁあ…もう幸せ…」

もうどうにもできなくて机に突っ伏せば、彼が喉の奥で小さく笑う。
バカにしているわけではない、ただ穏やかなその笑い声に私の拗ねていた心も落ち着きを取り戻していく。

「安心した」
「え?」

顔を上げた私に彼はそう言うと、続けざまに最近忙しかったのだろう?店にも来なかったしな。
と言ってマグカップへと口をつける。どうやら彼は私を心配していたらしい。

事実なかなかに多忙であった日々を振り返りつつ私がまぁ、と頷けば、彼は顔が疲れていたから余計に心配したと言う。
どれだけひどい顔していたのかしら。と私が自分の頬を両手で包んでみるも、正直分からない。けれど彼が言うんだから結構酷かったのだろう。
そう認識した私に、彼はだから今日のカプチーノはミルクを甘めにして作ったのだと言う。
ああ、だから今日はいつもより甘い気がすると思ったわけだ。

「無理してまで来る必要はないぞ?」
「何よ、私に会いたくないっていうの?」
「目の前で死んだように伏されている俺の身にもなれ」

本当に生きているのか思わず疑ったぞ。
と言われ私は思わずうぐ、と詰まる。
実は私は彼の家に来るやいなや、この木目テーブルに突っ伏し転寝していたのだ。
大げさな態度はとらないが、彼はだいぶ気を揉んだらしい。申し訳ない。と私が姿勢を正せば、彼は分かればそれでいい。と頷く。

「仕事が忙しいのは分かるが、俺との時間よりもまず自分の体を第一にしろ」
「…正論だけど頷きたくないわ」

何故なら私は彼といる時間の中に幸福があると知っている。
彼が私のために作ってくれるお菓子もカプチーノも、どれもが私を癒してくれる大事な宝物だ。
そして何より私を甘やかし、態度で私に愛を示してくれる彼の傍にいたいと思うのはおかしいことだろうか。

「私はあなたの作るお菓子も好きだけど、あなたと一緒にすごす時間も好きなのよ」

だって私の幸せはココにあるんだから。
と言い切れば、彼は目を見開いて硬直した後、困ったように顔を顰めて机に突っ伏す。
どうしたのだろうかと伏せた彼を眺めていれば、徐々にその形のいい耳が赤みを帯びてくる。

あれ?
と私が首を傾ければ、彼は小さくこのバカ。と呟いた。

「…お前はもう少し考えてから発言しろ…」
「何でよ。私何か変なこと言った?」
「…バカ」

机に伏したまま彼は顔を上げない。
怒っているというよりも照れているという態度に、私は自分の言動を頭の中で反芻し初めて自分が気恥ずかしい言葉を口走ったということに気づいた。

「い、いいいやいや!その、別に深い意味があるわけじゃなくてね!ああ、いや…その、えっと、だから!」
「もういい…」

慌てる私を余所に彼はそう言うと諦めたように顔を上げる。
その頬はいつもより赤く、伏していたせいで額も色づいている。もしくは照れて色づいているのかもしれないが、私はそれには目を瞑り少しぬるくなったカプチーノに口をつける。
口の中でとけて消える泡はまろやかに私を包み、そして癒してくれる。
ああやっぱり、

「私あなたが好きよ」

彼の愛情がたっぷり入ったカプチーノと、私のために焼かれたお菓子。
部屋に広がるのはたてたばかりのコーヒーの香ばしい香りと、オーディオから流れる彼の好きな曲。
過ぎる時間は穏やかで、私のストレスは既にどこかへと飛んでしまった。
そして残った幸せには、彼が作ってくれたものばかりが溢れている。

「だからどんなに疲れてても、死にそうな顔になってても、ここにいさせてね」

恥ずかしいけれど、私が本心を口にすれば彼は再び顔を覆ってバカ、と呟いた後、好きにしろ。とぶっきらぼうに返してくる。
見える耳は先程よりも赤く色づき、まるでザクロのようだ。
なんだかそんな彼がいつもより愛しくなってきて、私は身を乗り出して彼の額に口付る。
ちゅ、と音を立てて離れたその額は、今度こそ真っ赤に色づいた。


end


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