小説
- ナノ -


前兆


 久方ぶりに訪れた演練会場での出来事だった。

「ん?」

 数ヶ月前、面倒な事件に巻き込まれたせいで視力を失っていた。
 だけどそれも無事に片付き、視力を取り戻せただけでなく新たな刀剣男士も仲間になってくれた。その分本丸の改装や片付けに追われていたんだけどね。あとは増えた刀について学んだり、諸々の報告書を含めた業務にてんやわんやしていたりと、忙しい日々を過ごしていた。
 それもようやく落ち着き、今日は新刃達の戦力を知るためにも一緒に演練会場に足を運んだというわけだ。

 これでも刀が増える前は時々一緒に来てたんだよね。ただ色んな事件が重なったうえ、突然刀が増えたから暫くの間は刀剣男士達だけで行ってもらっていた。だから結構久しぶりなんだよね。ここに来るの。
 実際、たった数ヶ月来なかっただけで妙にこの、刀と審神者がひしめき合う空間が懐かしく感じる。

 ある意味新鮮な気持ちで受付へと足を運び、対戦の申請をする。一昔前なら書類にペンを走らせていたんだろうけど、今はデジタルの時代だ。サクサクと入力を済ませると無事受理されたので、アナウンスが掛かるのを待つだけとなる。
 というわけで皆が待っている場所に戻るぞ。と踵を返した瞬間だった。三日月お手製の面布の向こうから『妙なもの』が見えた気がしたのは。

「ん?」
「うん? どうした、主」
「や、今なんか変なものが見えた気がして……」
「変なもの?」

 隣を歩いていたのは巴形薙刀だ。本当ならもっと早く彼の戦力を把握しておきたかったんだけど、結局特が付くまで本丸が落ち着かなかったから申し訳なく思っている。だけど本人は気にしていないどころか「無様な姿を晒さずに済んだから構わない」と口にしたのでちょっと驚いた。
 恐らく『矜持』というやつだろう。逸話らしい逸話がないので他の刀に比べたら戦に関して言及することは少ないが、『戦うために呼ばれた』という意識は強いみたいだから。戦場や演練に向かうことに対して悲観的な言葉が出たことはない。

 それをありがたく思いつつ、ようやく一緒に来れたわけなんだけど、まさか初っ端から躓くとは思ってもみなかったよ。

 溜息を吐きたくなる気持ちをぐっと堪え、改めて今日連れてきた面子を脳裏に浮かべる。

 今日は隣にいる巴形を含めた新刃たちで編成を組んだ。 と言っても人数的に全員連れてくることは出来ないので、一先ず出陣部隊に入っていない刀たちだけ連れてきた。
 太刀の髭切と鬼丸、大太刀の蛍丸、脇差の物吉、短刀の後藤だ。長物から短刀まで一通り揃っているので、割合上手くやれることだろう。

 残りのメンバーである日本号、亀甲、小烏丸については次回見学する予定だ。
 個人的には日本号が気になるんだけどね。そりゃあ今までの演練会場で何度も戦う姿は目にしてきたけどさ、やっぱり自分の本丸に彼がいる、っていうのは意識の持ちようが違うから。

 そんなウキウキワッショイな感じで来たのに、出鼻挫かれたわ。

 正直なことを言うと見て見ぬふりをしたい。だけどなーんか妙な感じがしたんだよなぁ。これ、放っておいてもいい案件だろうか。やっぱりダメだよなぁ……。だってこれを逃して後々デカイ案件になって返ってきたらより一層面倒くささが増すわけだし……。
 とりあえず巴形にも聞いてみるか。

「巴さん、さっき何か感じませんでしたか?」
「いや。特に不審な点はなかった。だが俺にはこの手の逸話がない。主が気になるならば戻って髭切たちを呼び、改めて確認した方がいいだろう」
「だよねぇ」

 気にかかっているのは事実だけど、妙なものが見えたのは一瞬だ。それこそ人ごみに紛れるかのように、黒のような濃い紫色のような、なんとも暗い色をした靄が視界の端を横切っただけだ。
 直接的に被害がないのだとしても、パッと見で放っておいてもよさそうな物には感じなかった。だから「探した方がいいのだろうか?」と考えていると、体躯のいい刀がゆらりと人垣の間から現れる。

「おい。なにをしている」
「あ。鬼丸さん」
「鬼丸国綱か。なに、主が妙なものを見たと言うのでな。戻って皆を呼ぶか検討していた」
「妙なもの?」

 怪異斬りの逸話を持つ刀らしく、胡乱気でありながらも鋭い声と瞳が落ちてくる。審神者を始めたばかりの頃に出会っていたらビビり散らしていたと思うが、これでも色んな経験を積んだ身だ。恐れることなく先程の、面布を通して見えた靄のような謎の物体の話をする。

「――という感じのものが先程見えまして」
「なるほどな。だがここら一体に妙な気配はない。うまく紛れたか、特段気にするほどの成長を見せていないだけか……。あるいは悪鬼ではなく、思念体なのかもしれない」
「思念体、ですか……。どちらにせよ『紛れた』なら楽観視するのはよくないですよね? もしかしたら人にとり憑いている可能性もあるわけですし」
「確かにその可能性はある。今はまだ小さくとも、恨みつらみが大きくなればそれだけ邪悪なものも力を増す。塵も積もればなんとやら、だ」
「なるほど」

 様々な事件に携わってきたから彼の言い分はよく分かる。だけど見失った以上無鉄砲に探し回っても時間の無駄だ。そもそも私がじたばたせずともこの手のモノに強い刀はごまんといる。だってここ演練会場だし。
 それこそカンストしている刀たちだって数えきれないほどいるんだから、誰かしらが気付くか成敗するだろう。

「とりあえず、大きな事件に繋がらない以上様子見としますか」
「主が構わないのであれば、俺は構わない」
「ああ。気になれば勝手に動く。文句は言うなよ?」
「はい。その時はお願いします」

 鬼丸と話した結果、現状では『様子見』ということで片付ける。
 こっちだって経験を積みに来ただけだからね。悪霊退治は基本的に専門外だ。

 一旦この話は置いておくことにして、今は皆が待つ集合場所に向かって歩き出す。

 ただ怪異切りの刀として色々と気になるのか、鬼丸から「あんたが感じた印象でいいからもう少し詳しく聞かせろ」と促された。

「そうですねぇ……。見えたのは一瞬でしたけど、靄のような、煙のような、掴みどころのない感じのものでした。でもいいものだとは思えなかったですね」
「悪寒や寒気、頭痛や吐き気に襲われてはいないな?」
「そういったのはないです。至って正常ですよ」

 私の身に何も変化が起きないのは、きっと鳳凰様から頂いたアクセサリーを着けているおかげだろう。
 傍目からは分からないけど、ブレスレットとネックレスには破魔の文言が刻まれている。それに私の中に流れる神気を誤魔化す術も面布にかけられているから、早々に看破されることはないはずだ。
 鬼丸もそこは分かっているのだろう。私に異常がないと知ると「留意しておこう」と口にする。
 そうこうしているうちに集合場所に辿り着き、目が合った後藤が「あ!」と声を上げた。

「大将! やっと戻ってきたな!」
「ご無事なようでなによりです。鬼丸さんが動いたので何かあったのかと思ったのですが、何事もなかったようですね」
「僕も迎えに行こうかなぁ、と思ってたんだけど、先を越されちゃった」
「でも、主さん何かあった? 雰囲気がちょっと……。いつもと違う気がするんだけど」

 意外と心配性な後藤くんに続き、物吉たちが近付いてくる。
 鬼丸と髭切以外は先の事件で私が視力を失った姿を見ていたわけだし、様子が違えば気にするのも分かる。また何かあったら面倒だしね。
 後から契約した髭切は相変わらずのほほんとした口調と笑みで迎えてくれたけど。何はともあれ情報共有はしておきますか。

「実はさっき変なものを見てしまいまして」
「変なもの?」

 待っていた四人の声が綺麗に被る。とりあえず模擬戦会場に向かう最中に先程の件を伝えれば、皆表情を引き締めた。

「主様が『よくないもの』だと判断したのであれば、警戒すべきかと」
「そうだね。でも、さっきの場所では妙な気配を感じなかったなぁ。微々たるものなのか、それともうまく力を隠しているのか……。興味があるね」
「詳しいことは分かんないけど、大将は俺が守るからな! 心配しなくていいぜ!」
「俺も、主さんに指一本触れさせないよ。これでも御神刀だからね。一発でぶっ飛ばしてあげる」
「あはは。皆ありがとう」

 小さな体にそぐわず、戦闘においては相当な能力を発揮する蛍丸がバッターよろしく刀を振る素振りを見せる。蛍丸に殴られたら殆どの相手は滅されるんじゃないかな。
 そんなことを考えていると、不意に髭切の指先が髪を優しく梳いてきた。

「でも、用心していた方がいいよ。今この場所において、最も供物として質が高いのは君だ。この柔らかい肉も、流れる血も、目には見えない人非ざる力も……。ね?」
「はい」

 今まで散々そういう目に合ってきたのだ。怖くないと言ったら嘘になる。でも驚くようなことでもない。
 ただねぇ、陸奥守も小夜もいないから不安ではあるよ。何だかんだ言ってあの二人が一番私に対する理解力が高いわけだし、察しもいいからさ。

 個人的に気になる点があるとすれば、相手がどんな存在であるにせよ、こんなにも多くの刀剣男士がいる中で騒ぎを起こすのか、ってとこなんだよね。
 百歩譲って誰かが奇襲をかけてきたとしても、うちの刀、ないし近くにいた他所の本丸の刀が反応するはずだし。
 それに私だって丸腰じゃないぞ! 百花さんから貰ったお札を常に持ち歩いているからな! 攻守共に万全の状態と言える。
 そもそも不安が募れば相手につけこむ隙を与えてしまうし、視野も狭くなってしまう。そうなればいいことは何も起こらないので、ここはドンと構えるよう心がけよう。

「とりあえず、今は演練に集中しましょう!」
「おう!」
「はい!」

 一度深呼吸をした後、両手を叩いて意図的に意識を切り替える。刀たちもそれに頷き、すぐさま試合会場へと足を運んだ。


 ◇ ◇ ◇


 ――それから数時間後。
 一試合目も二試合目も無事終えることが出来た。相手の審神者さんも刀剣男士たちも丁寧な人で「今回は平和に終わりそうだなぁ」なんて考えていたのだが。
 やっぱり油断している時が一番危ないね。いきなり鬼丸に肩を捕まれ目を丸くする。

「主!」
「いっ!?」
「おっと。間一髪、ってところかな」

 三試合目の試合を申し込みに行こうと受付へ向かう途中だった。背後から肩を掴まれたかと思うと、そのまま後ろに突き飛ばされる。だけど後ろにいた髭切が抱きとめてくれたおかげで転ぶことはなかった。

 でも驚いた。鬼丸がこんな乱暴な仕草に出るなんて。
 口調はぶっきらぼうでも粗暴なことはしない刀なのに。一体何が起きたんだろうと疑問を抱きながら顔を上げれば、思いもよらない光景が広がっていた。

「離せ! 離せよ!」
「うちの主に刃物を突き付けておきながら、ずいぶんな言い草だな」

 鬼丸の手が掴んでいたのは一人の男性審神者の腕だった。政府が配布している面布を着けているため顔は分からないが、それでも興奮しているというか、錯乱しているのは見て取れる。

 だけど『刃物』って?

 どこぞのドラマのように首元に刃物を突き付けられた覚えはなかったので首を傾けていると、巴形が震える指を伸ばしてきた。

「あ、主、髪が――」
「へ? 髪?」

 ただでさえ色白の顔を更に白く――というか青くさせ、巴形は唇を震わせている。それにギョッとしたものの、巴形の視線が髪から動くことはない。だからどうかしたのかと後ろ頭を軽く掻けば、後藤と物吉が同時に「あ!」と声を上げた。

「大将の髪が切られてる!」
「え?! うそぉ!?」
「いえ。事実です。見てください。あそこに鋏と一緒に主様の切られた髪の毛が落ちています」
「げえ!」

 どうやら鬼丸が言っていた『刃物』とは鋏のことだったようだ。現に会場の床には数センチほど切られた髪の毛が散らばっている。

「うっわ。最悪」
「そうだね。毛先とはいえ、主の髪は“特別”だ。誰かの手に渡るのは不味い」
「え?」

 私としては『切られた』ことが「最悪だ」と言ったんだけど、髭切はいつもの穏やかさが嘘のように――それこそ能面のような表情と眼差しで鋏と散らばった髪を見つめていた。

「巴形。主の髪を回収してくれるかい? アレは他人の手に渡ってはいけないものだ」
「承知した」
「え? え??」

 困惑するこちらを他所に、髭切の指示に従い巴形が懐からハンカチを取り出し、床に落ちていた髪の毛を一本ずつ拾い集めていく。その姿に呆然としている間にも、私の髪を切ったであろう男性審神者と鬼丸、そして後藤と蛍丸は言い合いを続けていた。

「クソ! 刀の分際で! 誰に手を出してると思ってるんだ!」
「そんなの知るか! よくもうちの大将の髪を切りやがったな! 謝るまで絶対に許さねえ!」
「後藤の言う通りだよ。俺たちの主さんにこんなことして、無事で済むだなんて思わないでよね」

 さっきは鬼丸が腕を掴んでいただけだったけど、今は地面に組み伏せている。それでも凶行に走った男性審神者はジタバタと暴れており、ちっとも会話になっていない。
 さて。どうしたものか。
 困ったなぁ。と思いながら頬を掻いていると、相手審神者の刀だろう。前田藤四郎が駆けつけてくる。

「主君! ここで一体何をなさっているのですか!」
「助けてくれ前田! こいつらが俺のことを、うぐっ!」
「はじめに手を出してきたのはお前だろう」
「まったくだぜ! 鬼丸さんが気づいてくれたからよかったものの……。いや、結局ちょっと切られちゃったからダメだけどさ! それよりもお前! 大将の髪をどうするつもりだったんだよ!」

 後藤の言葉に、男性審神者が連れてきたであろう前田藤四郎が目を見張る。そうして勢いよくこちらに視線を向け、巴形が抱えていたハンカチと、物吉が拾い上げていた鋏を見て顔を青くした。

「主君! なんということを……!」
「うるさい! こうでもしないと俺は、お前たちは……!」

 うーん。どうやら訳ありっぽいな。でもなぁ。人の髪を切っておいてあの態度はちょっとないんじゃないの?
 何とも言えないモヤモヤとした気持ちを抱えていると、突然頭がズキンと痛くなり咄嗟に手を当てる。

「いッ……!」
「主?!」
「主様! 大丈夫ですか?!」

 巴形と物吉が声をかけてくるが、返事をすることが出来ない。代わりに脳内に響いたのは、見知らぬ女性の『許さない』という声だった。

「“許さない”……?」

 誰を? それとも誰かの行いが許せないのだろうか。
 分からないが、ズキズキと痛む頭を押さえつつ視線を上げれば、男性審神者の体に変な靄みたいなものが掛かっているように見える。だけどそれはすぐに消えてなくなり、見えなくなった。

「主、大丈夫かい?」
「いや……ちょっと……まずい、かも」

 黒い靄は見えなくなったけど、頭は痛いし聞き取れない囁き声なものがずっと聞こえている。祝詞とか呪詛とか、そういう感じではない。ただ恨み辛みを延々と繰り返しているような感じだ。だけどちゃんと聞き取ることが出来ないのは周囲に刀剣男士がいるためか、それとも破魔の文言が刻まれたアクセサリーのおかげか。どちらにせよこの場所に長く留まっているのは危険な気がして首を横に振れば、ずっと私を抱きとめていた髭切が「分かった」と頷いた。

「巴形は僕と一緒に本丸に帰還しよう。本当は僕も残りたいけど、帰り際に何もないとは言い切れないし」
「すみません……」
「いいよ。だけど事情を知る者は必要だからね。物吉。君は皆と一緒に事情を説明したり、聞いたりしてくれないかな。あの男には何か“憑いている”ようだから」
「了解しました。主様も、それでよろしいですか?」

 今尚痛む頭では皆にちゃんとした指示が出せるか危うかったので、髭切が舵を取ってくれて助かる。それに彼も古くから様々な体験を積んだ刀だ。彼の判断が間違っているとは思えない。
 だから頷くことで応えれば、物吉も「畏まりました」と頷いた。

「それじゃあ巴形、僕の代わりに主を運んでくれないかな?」
「心得た。練度の低い俺より、貴殿が護衛についた方が主も安心だろう」
「うん。それじゃあ先に帰還しようか」
「ごめんね、物吉。皆のこと、頼んでもいい?」
「勿論です。主様の御身が第一ですから」

 髭切が帰還を促すのは、おそらく本丸が最も安全な場所だと判断したからだろう。実際うちの本丸はあちこちにお札が貼られているしなぁ。それに竜神様の依代でもある宝玉もある。そんじょそこらの怪異や霊であれば一発で消される清浄な場所だ。
 だからこの原因不明の頭痛――とりあえず『呪い』とでも言っておこうかな。それも収まるだろう。

 未だに相手審神者は騒いでいたけれど、髭切に促され、巴形に抱えられながら会場を後にする。
 そうして本丸に一早く帰還すれば、庭掃除をしていた長谷部が目を丸くした。

「主! どうなさったのですか!」
「ごめん、長谷部。あとで説明するから……」

 頭の中で絶えず聞こえていた声は聞こえなくなったものの、想像以上に体力を消耗していたらしい。ずっしりと体が重くなる。
 髭切も察していたのだろう。長谷部の声を聞きつけ顔を覗かせてきた短刀たちに「禊の準備を」と指示を飛ばし、暫しの間本丸は騒々しくなった。


 ◇ ◇ ◇


 髭切に促されるまま、本丸を改装した際に造って貰った滝つぼで『禊』を行い、その後部屋で横になる。
 竜神様の気が溶けた水を飲んだおかげでだいぶ体は楽になったけど、うちの刀は心配性だから。一旦仕事を中断してまで顔を覗かせに来る。

「主さん、大丈夫? 気持ち悪くない?」
「うん。今は平気だよ。ありがとう、乱」
「あの、あるじさま。して欲しいことがあったら、遠慮せずに言ってくださいね」
「グゥゥ……」
「うん。五虎ちゃんも虎ちゃんもありがとう」

 今日は他の刀と一緒に畑当番をしていた乱と五虎退がそれぞれ顔を覗かせに来る。その後ろには百花さんの本丸から手伝いに来てくれていた一期一振と厚藤四郎もいた。

「水野殿が倒れたと知ったら我らの主も憂いてしまいますからね。我々が助力出来ることがあれば何なりとお申し付けください」
「そうだぜ。それに、水野さんがいなかったらうちの大将は今頃いなかったかもしれねえんだ。返せる時にきっちり恩は返しておかないとな」
「あはは……。お二人ともありがとうございます」

 うちにはいない刀ではあるけれど、こうして交流を続けているからか随分と親身になってくれている。それを有難く思うと同時に申し訳なさも感じていると、こんのすけが「遠征部隊が戻ってきました」と知らせに来てくれた。

「乱、悪いけど代わりにお出迎えしてくれる? ついでに説明も」
「まっかせて!」
「五虎ちゃんたちは仕事に戻って貰って大丈夫だから」
「むりしないでくださいね、あるじさま」

 起き上がれないわけじゃないんだけど、動こうとすると「寝てろ」って言われるからなぁ。仕方なく横になったままぼーっとしていると、ドタバタと慌ただしく部屋に近付いてくる足音が聞こえてきた。

「主! 無事か?!」
「ちょっと和泉守、もう少し落ち着きなさい」
「主君、乱から話は聞きました。お怪我はございませんか?」

 和泉守を筆頭に、宗三と前田が続いて顔を出してくる。それに「大丈夫だよー」と答えつつ上体を起こすと、三人は顔を顰めた。

「乱から聞いてはいましたが、本当に髪を切られたんですね」
「チッ! 女の髪を切るなんざ、どういう神経してんだ!」
「首回りに外傷はないようですね……。ですが、女性の髪を無断で切るなど許せません。必ずや成敗してみせます」

 意気込む前田たちには苦笑いしか浮かばないが、どうしてあの男性審神者が凶行に走ったのか、理由が分からない限り何も出来ない。とりあえず今は鬼丸たちが戻って来るのを待つしかない。そう説明していると、噂をすればなんとやら。物吉たちが帰ってきた。

「主様。ただいま戻りました」
「色々と話聞いてきたよー」

 と言っても戻ってきたのは物吉と蛍丸だけで、鬼丸と後藤は男性審神者とまだ一緒にいるらしい。多分逃がさないためなんだろうなぁ……。
 何はともあれ事情を聞こうと、二人に座るよう促す。遠征から戻ってきた三人には報告書を作るよう頼み、下がって貰った。
 そうして改めて、帰還した後現れた政府役員と共に聴取に同行した二人から話を聞く。

「主様。実は取り調べを受けた件の男性審神者が、日ごとに霊力を失っているようです」
「霊力を?」
「はい。同行していた前田藤四郎にも確認をとりました。実際、彼の本丸に顕現出来ている刀は以前の三分の一程度しかいないそうです。そしてあの男性審神者は、主様のお姿が見えなくなると途端に抵抗を止め、譫言のように『竜を、竜の力が必要なんだ』と呟き始めました」
「竜の力?!」

 なんで見知らぬ男性が私、というか竜神様のことを知っているんだ。驚愕を露わにすれば、どうやら男性審神者はどこかからその情報を聞いたらしい。ただ不可解な点が幾つもあるんだとか。

「鬼丸さんが言うには、あの男性審神者には“女性の怨念”がとり憑いているようです」
「女性の怨念?」
「うん。俺もそれは感じた。まだ生まれたばかりの思念体だからそこまで力は強くないけど、相当恨んでるんだろうね。少なからず主さんにも影響があったんじゃないかな」
「あ」

 蛍丸が指摘したように、見知らぬ女性の『許さない』と言う恨み言が聞こえた。恐らくあの人は何らかの女性トラブルを起こした結果呪われてしまったんだろう。
 だけど不可解な点がある。

「どうして向こうの刀剣男士はそれに気づいていないんだろう?」
「それは……」
「多分、憑いていた女性があの審神者と結婚していた女性審神者だからだと思うよ」
「え」

 言葉を濁した物吉とは違い、スパスパと説明をする蛍丸に思わず目を向ける。

「あの男性が言うには、審神者同士のお見合いで知り合い、結婚なさったんだそうです」
「だけど色々と問題が起きて離婚したんだって」
「離婚したってことは、その時はまだ女性側は生きてたんだよね?」

 とり憑いていると言うからてっきり亡くなったんだと思っていたけど、実際は違うようだった。

「いえ、彼女は生きています。ただ離婚した後に交通事故に遭い、現在も意識が戻っていないのだとか」
「いわゆる“生霊”ってやつだと思うよ」
「あ〜……。なるほど。そういうことか……」

 つまりその別れた奥さんが男性を憎み、思念が呪いとなって纏わりついているんじゃないか、ってことか。もしかしたら男性審神者の霊力が無くなっているのも、別れた奥さんの影響なのかもしれない。

「竜神様の件については、取り調べをした政府役員が武田さんと共同捜査をして調べるそうです」
「本来なら極秘事項だからね。噂だとしても情報源がないと出てくるはずがないから、政府の人は頭を抱えてたよ」
「ははは……」

 幾ら魂に竜神様の力が宿っていようと、特別な力が使えるわけじゃない。そりゃあ色々見聞きは出来るようになったけど、制御できるわけじゃないし。戦闘力が上がったわけでもない。これ以上情報が漏れると身の危険が跳ねあがるから武田さん達には頑張ってもらいたいところだ。
 私の担当だからという理由でこういう仕事にも首を突っ込まなきゃいけない武田さんには申し訳ないけどね。

「ところでさ、何であの人は私の髪の毛を切ったんだろう。竜神様の力を取り込むのが目的だったとしても、あまりピンとこないんだけど」

 そりゃあ髪の毛が呪いの媒体になりえる物であることは理解しているけれど、力を取り込む、ってなるとどう利用するのか分からず首を傾ける。
 そんな私の質問に答えてくれたのは、物吉でも蛍丸でもなく、私と一緒に帰還していた髭切だった。

「そりゃあ主は頭のてっぺんから足の先まで供物としては上質だからね」
「うおっ。一体いつからそこに?」
「今だよ。厨当番に言われてお茶を持って来たのさ。ついでに様子見を兼ねてね」

 微笑む髭切の手にはお盆がある。そこには四人分の湯呑が乗っており、物吉が立ち上がってそれを受け取った。

「そういえば昔、他の人からも私の血肉はいい供物になる、って言われたことがあります」
「うん。主は、自分が思っている以上に価値のある存在だよ。なにせ今は全身に神の気力が満ちているからね。失った霊力を補うにはもってこいだ」
「ええ……」

 詳しい方法は教えてくれなかったけど、一番手っ取り早い方法は「そのまま体内に取り込む」ことらしい。

「つまり、私の髪を食べようとしたってこと?」
「そうなるね」
「うええ……。気持ち悪っ」

 これには流石の私もドン引きだ。そりゃあ昔からヤンデレキャラは自分の血液や髪の毛を食べ物に混入させる、っていう描写はあったけど、実際に「食べようとする側」と出会う日が来るとは思ってもみなかった。

「っていうか、本当に私の髪の毛を食べて霊力って戻るんですか?」
「勿論失われた全ての霊力が一気に戻るわけじゃないよ。でも効果はあるさ」
「はい。今の主様は上位の神々が認め、守護する存在であり、依り代でもあります。最も効果があるのは主様の“心臓”を食べることですが、体毛にも相応の効果はあります」
「俺たちで言うところの御祝重弁当か仙人団子かの違い、って言えばわかりやすい?」
「なるほど。そういう感じか」

 血肉、特に心臓は効果抜群だけど、髪の毛を含む他の体毛でもそれなりの回復は見込めると。だから巴形に髪の毛を回収させたんだな、と理解する。

「でも髪の毛って自然と抜けますよ? それを逐一回収するのって無理じゃないですか?」
「はい。効果があると言っても一本や二本ではさほど影響がありませんから、そこまで気にされる必要はないかと思います」
「だけどあいつは主さんの髪の毛をたくさん切ろうとしたんだ。だから鬼丸が止めたんだよ」

 まだ戻って来ていない鬼丸が気付かなかったら、今頃私の髪はバッサリ切られていたのだろう。そう考えたらゾッとするが、確かに美容室に言ってないから伸びてはいるんだよなぁ。これを機に切るのもありか。

「じゃあいっそのこと短くするか」
「え?」
「正気かい?」
「そこまで言う?!」

 個人的には「現世で霊力がない美容師さんに切って貰ったら大丈夫でしょ」と考えていただけに、正気を疑われてショックを受ける。流石にそこまで言わんでもよくない?!
 だけどこれを聞いていたのは三人だけではなかった。全く気付かなかったけど、廊下や建物の影になっている場所に身を潜めていた刀たちが一斉に「えー?!」だの「何言ってんだ!」と顔を出してくる。

「あなた正気ですか?!」
「大将、幾ら何でもそれは飛躍しすぎじゃないか?」
「そうだよ、主さん! 女の子なんだから髪の毛を大事にしなきゃ!」
「乱の言う通りだぜ!? ちょっと切り揃えるならまだしも、あんたバッサリやろうとしてるだろ!」
「主君、今一度ご再考を」
「そんなに?!」

 審神者を始めたばかりの時は肩より少し短いぐらいだったけど、今は切る暇もなくて腰の上ぐらいまで長さがある。自分でも「伸びたなぁ」と思っていたからいつか切る予定ではいたんだけど、まさかここまで大きな反応が来るとは思ってもみなかった。

「あなたが髪の毛を短くしたら、少なくとも加州、ついでに乱が倒れますよ」
「陸奥守の旦那だって、何の相談もなしに切られたら固まるだろうよ」
「小夜も知ったら悲しむぜ?」
「我々だけではありません。百花さんや夢前さん、日向陽さんも悲鳴を上げて大騒ぎになるはずです」
「あー……」

 うちの刀たちの説得力すげえなぁ……。実際、顔を真っ青にしてフラリ、とする加州は想像できるし、陸奥守も「なんでそうなったんじゃ」と驚くと思う。小夜の場合は「僕がいなかったばっかりに……!」と自己嫌悪に陥りそうだし、百花さんや夢前さん、日向陽さんは「イメチェン」や「暑いから短くしたくて」という理由以外で切ったと知ったら悲鳴を上げると思う。

「でもさぁ、今後もこういうことが起きるなら少しぐらい切ってもいいと思うんだ。というか現段階で人生で一番長いからさ。ぶっちゃけ切りたいんだよね」
「な、なんということを……!」
「髪は女の命じゃねえのか?!」

 盛大にショックを受ける宗三と和泉守は自分たちも髪が長いから苦労は分かるはずなんだけど、やっぱり価値観の違いはあるからなぁ。昔は髷を結うために男性は髪の毛を伸ばしていたし、女性の長く美しい髪は美の基準の一つだったから。

 でも髪の毛洗うのも乾かすのも大変だから、自分としては切ってもいいんだよなぁ。

「大丈夫だって。ちょっとだけだから。それに、ほら。少なくとも切られたところと長さ合わせとかないとさ、不格好じゃん?」
「それは……」
「そうかもしれませんが……」

 渋い顔をする刀たちだけど、口元に手を当て何かを考えていて髭切が「確かに」と呟いたことで口を噤んだ。

「禊をしたから殆ど影響はないけど、ほんの少しとはいえ触れられたせいで“縁”が結ばれてしまった。それを“切る”というのは大事なことだよ」
「ちょっと髭切、あなたねえ」
「ほーら! 髭切さんもそう言ってることだし! 鬼丸さんや小烏丸さんにも同じこと言われたら切るからね!」
「ええー?!」

 昔から付き合いのある刀たちは悲鳴を上げたけど、結局日が暮れた頃に戻ってきた鬼丸と、出陣していた小烏丸からも「僅かとはいえ結ばれた縁を断つためにも切ってこい」と背中を押されたので、早速美容室に予約を入れた。


 そして数日後。
 最初は切り揃えるだけにしようかと思ったんだけど、今後も似たようなことが起きたら面倒だからとバッサリ切ることにした。
 刀たちには申し訳ない気持ちもあるけどさ、髪の毛短かったら掴みづらいし、ハサミを入れるのも大変だと思うんだ。長いと「先っぽだけ」なんて軽い気持ちで切られるかもしれないけど、短いと流石に首筋に金属の感触が当たるからね。
 それに呪われた日本人形ほどじゃないけど髪の毛って伸びるしさ。だから何度も美容師さんにも確認されたけど「切っちゃってください!」とお願いし、顎の高さぐらいまで切って貰った。

 流石にこれだけ切れば暫く安泰だろうと、軽くなった頭と同じくらい軽くなった足取りで本丸へと戻れば、宗三の言う通り加州と乱はぶっ倒れ、宗三自身も陸奥守と小夜同様目を見開いて硬直し、鶯丸と鶴丸は湯呑を落して長谷部と燭台切は皿を割った。

「ど、どどどどどどうして……! どうしてそんなことになったの主!」
「ある、あるじ! 一体何があったのですか! どこの不届き者にやられたのですか?! 俺がへし切って参ります!!」

 戦慄く燭台切と長谷部に詰め寄られるが、皆には既にあの日の出来事を話している。だから「や、髪切って来るって言ったじゃん」と返したのだが、何故かあちこちから非難されてしまった。

「だからと言ってそこまで切るバカがいますか?!」
「潔いにもほどがあるぞ、主!」
「鶴丸じゃなくとも驚くな、これは……」
「たかぁ……。こりゃまっこと……。ばっさりいったもんじゃにゃあ」
「確かに、髪の毛切りに行くとは言っていたけど……そこまで切るとは思ってもみませんでした……」
「まあね〜。でも軽くて楽だよ?」

 前田の髪と同じぐらいの長さだから、ブンブンと左右に頭をふれば毛先も踊る。学生時代はこのくらいの長さだったから懐かしいなぁ、なんて思っていると、皆の声を聞きつけたのだろう。自室にいた様子の鬼丸と、庭園を散歩していた髭切が顔を出してくる。

「ほう。ずいぶんと大胆に切ったんだな」
「でもいいんじゃないかな。これなら誰かに髪を切られる心配もないし、あの男の影響も及ばないと思うよ」
「ですよね。そう言って貰えてよかったです」

 確かに女なら髪の毛が長い方がいい、っていう考えがあるのかもしれない。でも私は自分の身を守ることが彼らを守ることにもつながると思っているから、正直後悔はしていない。

「言うて髪なんてすぐ伸びるんだから大丈夫だよ」

 だから気にしないでくれ、と笑い飛ばしたのだが、まさか後日竜神様と鳳凰様からも心配されたり「そやつを焼き殺してやろうか」と提案されるとは思っておらず、肝を冷やす羽目になるのだった。




続く……?

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