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 それからも時折妙に意地悪な旦那様に揶揄われつつも、普段遊びに来ない場所を二人で巡る。
 しかも偶然別の展示場でエジプト展をやっていて、個人的に興味があったから入ってみたのだが、これがまためっちゃくちゃ面白かった。

 ツタンカーメンを始めとした有名な王様の話や装飾品のレプリカ、エジプト神話に出てくる神々だとか、それをデフォルメした作品だとか。あとは壁画やヒエログリフなどについての解説もあった。物品販売のコーナーでは化粧品も売っていて、ゴールドのアイシャドウがものすごく華やかで欲しくなったけど我慢した。これ以上化粧品増やしたところで使い切れる自信がないからね! でも複数の色が納められたカラーパレットは正直かなり迷った。色味もそうだけど、ケースが可愛かったのだ。でも日頃顔を隠してるのに頑張って化粧してもなぁ。それに今あるやつもまだ半分以上残ってるし。と思って買うのはやめた。
 あとは神々をデフォルメキャラにしたシリーズの小物はどれも可愛かったのだが、説明文が物騒でちょっと引いた。神様ってどこの世界でも怖いんだね。

 と、こんな感じであちこちを見て回ったから次第に足が痛み始めた。時間も夕方に差し掛かっており、本丸に帰る前にちょっと休憩をしようか。と話していた時だった。

「ん? あれ? ねえ、むっちゃん。あそこにいる男性、“加州”じゃない?」
「おん? どこじゃ?」

 通り過ぎかけた左手側の信号を渡った先にある、テナントビル前の茶色い防護柵。そこに腰かけている細身の男性は後ろ姿しか見えないけど、そのシルエットは日頃見ているから見覚えがあった。
 それにパッと見では刀剣男士だとは分からないだろうけど、今の私は彼らに流れる神気が見える。加えて見知らぬ霊力でもなかったため、すぐに気付くことが出来た。

「かーしゅう。こんなところで何やってんの?」
「え? 水野さん?! それに陸奥守まで」
「やっほー。昨日ぶり」
「昨日はおおきに。ほいで、こがなところで何しゆうがよ」

 防護柵に腰かけていたのは百花さんの初期刀である加州清光だった。昨日本丸で開いた披露宴で会ったから数時間ぶりだ。まあそれはいいとして、何故単身で現世にいるのだろうか。不思議に思い声をかけてみれば、どうやら仕事ではないようだった。

「ほら、うちの主は前に下校帰りに拉致されたでしょ? だから毎日、交代で主の帰宅を見守ってるわけ」
「そうなんだ。でも今日日曜日だよね?」

 まだ学生である夢前さんと百花さんや、両親や兄の都合も考えて式は土曜日に執り行った。だから今日は日曜日。学校も休みのはずじゃ? と首を傾ければ、どうやら百花さんの友人がピアノの発表会に出ているらしく、その応援に行っているようだった。

「へえ。それで待ってたんだ」
「うん。もう二度と主を危険な目に合わせるわけにはいかないからね」
「そっか。加州、頑張ってるね」

 どこの本丸でもそうだけど、加州って「やだー」「やりたくなーい」と文句を言いつつも絶対サボらないで頑張ってくれるんだよね。義理堅いというよりも真面目なのだろう。あとは根本的に主に「必要とされたい」という気持ちが強いからか、こうした気遣いもするんだろうな。
 同じ事件に巻き込まれた身としても、百花さんの第二の保護者役としても、加州のように色々と気にかけてくれる刀がいることは有り難い。百花さん自身も安心しているだろう。

 だけど以前こっそりと教えてもらったのだが、百花さんはあの事件が起きるまで加州のことを少し恐れていたそうだ。なんでも言葉にはされなかったけど圧を感じていたんだとか。流石に本人には言えなかったから黙ってたみたいだけど、多分「俺を愛して」オーラが滲み出てたんじゃないかな。
 それがまだ十一、二歳だった百花さんにとっては『神様からの圧』に感じられ、委縮していたところがあったらしい。それもあって、穏やかかつ自分の懐刀として常に傍にいて気遣ってくれた今剣に恋をしたようだった。
 まあ、周囲の学生と違って幕末に活躍した刀の付喪神だからね。じっと見つめられたり、振り返ったら近くにいる。を繰り返されたら恐怖を覚えてもしょうがない。実際は主のことを気にして見守ってただけなんだろうけどさ。

 そんな加州も今は落ち着いている。前は「主に捨てられる」「今剣に取られる」という恐怖を感じていたみたいだけど、修行に行って「もうそういう考え方は辞めた」らしい。
 うちの加州も修行に行ってから色々と変わったけど、こっちもこっちでいい変化があったようで何よりだ。

 いい意味で余裕が出来た加州に笑みを返していると、照れくさかったのだろう。加州はわざとらしく咳払いしたかと思うと、揶揄うような笑みを浮かべた。

「で? そっちは結婚して早速デート? お熱いねえ〜」
「なっ! い、いいじゃん、別に。恋人期間中、あんまりこういうこと出来なかったんだからさ」
「あー、うちの主が『お姉さんに会えない……』ってしょげてた日々のことね。ホント、あの時はちょっと怨んだよ」
「ごめんて!」

 色んな理由が重なって避けていたのは事実だけど、決して百花さんたちを嫌っての行動ではない。
 今でこそ事情を知っている加州は「分かってるよ」と笑ってくれたけど、当時は「何で連絡つかないわけ?! あの人が主のことを嫌いになるはずないから、どーせまた変なことに巻き込まれてんだろ! なんで連絡寄こさないんだよ!」ってキレ散らかしていたらしい。
 心配されてんのか怒られてんのか微妙なところではあるが、何よりも「私が百花さんを嫌いになるはずがない」と確信しているのが面白くて聞いた時は笑ってしまった。勿論本人から「笑いごとじゃないんだけど!?」と叱られてしまったのだが。
 ほんの少し前の出来事だというのにどこか懐かしい気持ちで笑い合っていたら、加州がパッと顔を上げて笑みを浮かべた。

「加州くーん!」
「主! おかえり!」

 鞄を肩から下げ、駆け足で青信号になった歩道を駆けて来るのは百花さんだ。まるでうさぎのようで愛らしい。なんて思っていると、どうやら私に気付いたらしい。百花さんは「お姉さん!」と嬉しそうに笑顔を浮かべた。
 だけどこちらに辿り着く前に私がいつもと違う格好をしていることに気が付き、両手を口に当てて目を見開く。

「お姉さん、昨日も綺麗だったけど、今日もすごく綺麗です!」
「あ、ありがとう……!」

 正直めちゃくちゃ照れくさいのだが、こんなにもまっすぐ気持ちをぶつけてくれた子に「いやいや、ないない」とは言えない。それにそんなことを言ってしまえば心優しい百花さんを傷つけてしまう。だから心底照れながらも有難くその言葉と気持ちを受け止めれば、百花さんの空気がパッと華やいだ気がした。
 いや、本当に可愛いな?

「てかさー、水野さん、普段もこういう格好すればいいのに。似合ってるのに勿体ないよ。ね、主」
「うん! すごく素敵です! なんか……大人だなぁ、と思って、憧れちゃいます」

 えへへ。と笑う百花さんが可愛すぎて心臓が痛くなってきた。思わず「うっ」と呻きそうになったが、こんな人目が多い場所でそんな姿を見せれば110番通報されるかもしれない。
 だから寸でのところで堪えて「嬉しいよ。ありがとう」と答えた。そんな私たちを見守っていた陸奥守にも気付いたのだろう。百花さんは「わあ!」と感嘆の声を上げる。

「陸奥守さん、とっても格好いいです!」
「せやろ!? うちの旦那様最高に格好いいのよ!」
「うっわ。いきなりテンションぶち上げるじゃん。新妻のテンション通り越してただのファンじゃん」

 加州から冷静に突っ込まれるけど、ぶっちゃけ半分ぐらいファンなところあるから許して欲しい。
 でも百花さんは私の言葉に何度も頷いて同意してくれた。流石百花さん! 思いやりの天使!

「うちの陸奥守さんが持ってるお着物と違いますよね? でもすごく似合ってます! カッコイイです!」
「おおきに。そがぁに褒められると照れるぜよ」

 実は百花さんの所の陸奥守は時折見かけるけど、話したことはあまりない。だけどうちの陸奥守と違って元気いっぱいなお兄ちゃん的な刀らしく、百花さんは「いつも笑顔にさせてくれるんです」と話していた。
 逆にうちの陸奥守のことは「お兄ちゃんよりお父さん」という感じがするらしく、あまり同一の個体に感じないのだとか。
 だけど敬遠しているわけではなく、むしろ尊敬している。と話してくれたので私としても安心している。

 だってねえ。やっぱり旦那様が嫌われたらイヤですもの。それに百花さんは大事な審神者中間であり、年下の友人でもあり、妹みたいな存在だからさ。仲良くしてほしい。
 だからここぞとばかりに乗っかった。いや。まあ、本心なんだけどさ。

「うんうん。マジでそれな。そりゃあむっちゃんのことだからパーカーだろうとスーツだろうと似合うだろうけど、やっぱり着物が一番格好いいよねぇ」

 中学生相手に惚気んなよ。って話なんだけどさ、うちの旦那様の和装姿本当にマジで格好いいから誰かに自慢したくてしょうがなかったのだ。
 現に思いやりの化身、善意の権化である百花さんは笑顔で聞いてくれる。もう本当こういうところ大好き。養子にしたい。

 そんな私たちの後ろでは加州が呆れた顔で陸奥守に話しかけていた。

「あんたの奥さん、思った以上にあんたにベタ惚れなんだけど」
「んはははは。似たもの夫婦でえいろう?」
「はあ〜、割れ鍋に綴じ蓋ってやつね」

 と、辛らつな言葉が飛び交っていたのだが、完全に聞き逃していた私は「そうだ!」と手を合わせる。

「これから休憩しようと思ってたんだけど、二人も帰る前に一緒にお茶しない?」
「え? でも、いいんですか? 折角のデートなのに……」
「そうだよ。俺たちのことは気にしなくていいからさ。楽しんできなよ」

 二人共気遣ってくれるけど、私としてはもう少し話したい気持ちもあったのだ。それに、普段この面子で話すことなんて滅多にないからさ。
 だって何だかんだ言って他の刀たちや夢前さんたちも一緒にいることが多いから。たまにはゆっくり話をするのもいいかと思ったのだ。

「大丈夫だよ。コーヒー一杯分の時間だけでいいからさ。そもそも二人きりで過ごしたかったら初めから声かけてないよ」
「あー……。そう言われたらねえ……」

 確かに今日が結婚後初のデートだけど、百花さんたちと遅くまで一緒にいるわけじゃない。彼女には門限があるし、お母さまが夕飯の準備をしている頃かもしれない。
 だから「ちょっとだけだから。ね?」と手を合わせれば、二人は「お邪魔じゃなければ」と頷いてくれた。

「じゃああそこの喫茶店行こうか。実はあそこのケーキ美味しくてオススメなんだ〜」
「そうなんですか? 私、ああいうお店入ったことがなくて……」
「マ?! 私友達と喫茶店巡りするの好きだったから、美味しいお店教えてあげるね!」
「本当ですか? 嬉しいです!」

 因みにこの、昔趣味だった「喫茶店巡り」を一緒にしていたのはゆきちゃんとだ。福岡にいた時は一人で巡ってたけど、地元やその他周辺地域は一緒に回った思い出がある。とはいえ今はもうない店やマスターが変わった所もあるかもしれないから、絶対ではないんだけどさ。

「ここはねえ、タルトのケーキが美味しいんだ。季節のタルトは時期によって違うんだけど、桃とかイチゴとか、すごい美味しいよ」
「わあ……! ケーキ屋さんみたいですね!」
「ねえ〜。綺麗だし、可愛いよね」

 百花さんの言う通り、レジ付近のケースの中には色とりどりのケーキが並べられている。それこそ地元の小さなケーキ屋並みだ。そしてどれも美味しい。確かオーナーさんがパティシエ目指してたけど、コーヒーも好きでバリスタの資格取ったからいっそのこと喫茶店にしちゃえ。って気持ちで始めたとか聞いた覚えがある。まあ要するに、コーヒーもケーキも美味しい最高のお店だということだ。

「タルトもオススメだけど、普通のケーキも美味しいんだよ。特にこのシフォンケーキシリーズはどれも美味しかったなぁ。シンプルなプレーンと、ほんのり甘い紅茶でしょ? で、こっちがほろ苦コーヒー味」
「お姉さんはどれが好きなんですか?」
「ん〜、シフォンケーキはどれも好きだけど、何気に一番食べたのはレモンのチーズケーキかな」
「レモンのチーズケーキ……。あ、すごい! 店内人気NO.2って書いてます!」

 流石にトップではなかったけれど、このレモンの蜂蜜漬けが乗ったチーズケーキがすごく美味しいのだ。
 輪切りにしたレモンを蜂蜜漬けにし、更に上からレモンソースをかけた真っ白なチーズケーキ。見た目からも分かるように甘さは控えめでサッパリとしている。
 土台はタルトが美味しい喫茶店らしく、少し厚めの生地なのも得点が高い。しかもこれがしっとりよりもザクザク系なのがね、またいいのだ。
 クラッカーにクリームチーズを挟んだような感じと言えばいいのかな。しっとりとしたタルト生地も美味しいっちゃ美味しいんだけど、個人的な好みとしてはバター感をあまり感じさせない、ザクザクとした硬めの生地が好きだ。そういう意味でも濃厚なチーズの味とレモンの香りがマッチするこのケーキは大好きだ。

 もう少し語らせてもらうと、やっぱりこのタルト生地がね、本当にもう最高。ザクザク感も推してる理由の一つなんだけど、バターを控えているはずなのに、レモンとチーズの酸味を和らげる優しい甘さがするのだ。それが堪らなく美味い。
 だから酸っぱいのが苦手な人でも食べやすい、まとまりのある味になっている。

 どうやったらバターの重さを感じないのに、バターの優しい、仄かな甘さを感じさせることが出来るのか。よく分からないけど、とにかくこの生地があるから二つの酸味を上手く包んで食べやすくしてくれている気がする。
 まあ、私としてはレモンもチーズも単体で好きなんだけどね。


 とはいえ、店内人気NO.1を誇るイチゴのタルトも捨てがたい。
 こっちは見た目も華やかで豪華だし、なによりタルトとイチゴの間に挟まったクリームがミルキーなのにふわっふわでベタつかないのだ。普通生クリームってちょっと舌に残るというか、ペタッ。とした触感があるんだけど、ここの生クリームは総合的にそういうベタッと感がない。
 むしろフワフワ。本当に泡みたいに口の中で、舌の上で溶けて消えるのだ。だから生クリームの凄さを堪能したかったらシフォンケーキシリーズがいいんだよね。直接味わえるから。

 話が逸れたけど、イチゴ自体も美味しい。
 だけど何気に使用されているイチゴの糖度は高くないんだよね。どっちかっていうと少し酸味が強いかな。でもクリームがミルキーでちょっと甘めだから、口の中で混ざった時酸味がある方が美味しく感じられる。と、個人的に思ってるから私的には大正解。

 あとこっちも土台のタルト生地は厚めなんだけど、レモンチーズケーキと違ってこっちは少しバターの含有量が多い気がする。でもしっとり、と言うほど重くはないし、ザクザク感が残っているわけでもない。ほどよい中間、というのかな。皿に触れる底部分は少し固めだけど、クリームが触れている部分はしっとり、って感じもする。まあこれはクリームから滲み出た水分かもしれないんだけどさ。
 とにかく、タルト生地だけでも二重の楽しみがある。
 これはレモンチーズでは味わえない美味しさなので、どちらも甲乙つけがたかった。

「でもこの後お夕飯もあるだろうし、百花さんがよかったらケーキ半分こにしようか」
「え。いいんですか?」
「うん。美味しいものは半分こしよう。もしここのケーキが気に入ったら、今度は友達と一緒に来たらいいよ」
「はい!」

 学校やお互いのお家で過ごすのも楽しいけど、喫茶店でお喋りするのもいいものだ。だから今回は百花さんでも美味しく頂けそうなイチゴのタルトを選ぶことにした。
 そしてここでうっかり、でもないのだけれども。半ば放置していた旦那様と加州もケーキを選び始める。

「さっきの水野さんの食レポで気になったから、俺は紅茶のシフォンケーキにしーよおっと」
「ほいたらわしは檸檬にしようかの。おまさんのイチオシやき、食いとうなったぜよ」
「あはは……。ありがとう」

 しまった。うっかり熱弁してしまった。だけど二人は気にすることなくそれぞれが飲み物を選び、私が纏めて注文した。
 ――そして数分後。

「ふわぁ……! すごく、綺麗です……!」
「わっかる! ここのタルト、見た目も超綺麗なんだよねぇ〜」
「主、写真撮ろうか?」
「うん!」

 無事ケーキとコーヒーが運ばれ、百花さんがイチゴのタルトを見て歓声を上げる。
 分かるよ。めっちゃキラキラして見えるよね。

「ねえ、陸奥守のやつも撮っていい?」
「おん。かまんぜよ」
「さーんきゅ。てか、そっちのレモンのチーズケーキも可愛いよね。蜂蜜漬けされたレモンの上にハーブも乗ってるし、上に掛かってるソースも美味しそう」
「マジでそれ! レモンが苦手で退かしても、このソース自体が蜂蜜レモン味だからほんのりとした酸味と甘さが口に残るんだよね。それがまたチーズケーキと合うのなんのって……」

 好物なだけにうっかり語ってしまったのだが、はにゃ〜ん、となっている場合じゃない。陸奥守と百花さんからニコニコした顔で見られて照れている場合でもない。
 あまり長い時間未成年を拘束するわけにもいかないので、「早速切り分けちゃおうか!」とナイフを手にしたのだが。

「いいよ。俺たちが切るから」
「ほにほに。どうせなら皆で分けたらえいろう」
「へ?」

 隣に座っていた旦那様だけでなく、百花さんの加州まで各々のケーキを切り分け始める。だけどそうなると一人分がめっちゃ少なくなるのでは? と心配になったのだが、イチゴのタルトは半分に、シフォンケーキとレモンチーズケーキは四等分ではなく三等分にし、私と百花さんの皿の上に置いてくれた。
 どうやら自分たちはシェアしないらしい。でも私たちばかり優先して、我慢などしていないだろうか?

「あのさ、これだと不公平になっちゃうよ。イチゴタルトも切らないと」
「えいえい。わしらはこれだけで十分じゃ」
「そうそう。それに、可愛いケーキを美味しそうに食べる主たちを見てる方が幸せになれるから」
「え〜? そんなもん?」

 私たちより二人の方が胃袋大きいだろうに、本当にこれだけで足りるのか?
 不安を抱くが、目を輝かせて待っている百花さんを尻目に言い争うわけにもいかない。だから今回は素直に甘えることにした。

「二人共、ありがとう」
「いーえ。素敵なお店紹介してくれたしね。お相子でしょ?」
「はい! 私も初めてだから、すごく嬉しいです!」
「そっか。それじゃあ、百花さんの門限もあるだろうし。早速食べちゃおう」
「はい!」

 元気よく返事をした百花さんは、どれから食べるか迷うことなくイチゴのタルトにフォークを入れる。イチゴと中のクリームは簡単に切れるけど、タルトはちょっと厚めだから力を入れないと綺麗には切れない。
 だけど無事切り取れたらしく、艶々としたイチゴの断面が輝くタルトを口に入れた。

「〜〜〜〜ッ!!!」
「分かる! 分かるよその気持ち! 美味しいよね!」

 ケーキを口にして数秒。フォークを置いて両頬に手を当て、瞳を潤ませる百花さんに思わずガッツポーズをとる。
 そう! 美味しい物を食べた時は! 言葉など出てこないのだ!!
 現に百花さんは素早く首を上下させて頷いている。もうこれだけで十分だ。やりきった感でいっぱいだぜ!

「わ〜。主がこんな美味しそうな顔するの初めて見たかも。これそんなに美味しいの?」
「フッフーン。これがマージーで、美味いんだな。加州もシフォンケーキ食べてみなよ。生クリームなしとつけた時とじゃまた風味が違うからさ」
「ふぅん? じゃあ最初はなしで食べてみる」

 どこか半信半疑な様子だったけど、さっきナイフを入れた時に「柔らかっ」と呟いていたから感触的な意味での衝撃は既に受けている。だけど大事なのは味だ。
 加州はタルトと違いあっさりと切り離せるシフォンケーキを適当な大きさに切ると、そのまま口に入れ――固まった。

「…………うっま」
「ほら。ほらほらほら。ね? 言ったでしょ? 美味しいって」
「うっそだぁ〜〜〜。え〜? ちょっと待って? ふっわふわなんだけど」

 そう。ここのシフォンケーキはすごくフワフワで柔らかいのだ! いや、シフォンケーキって基本フワフワで柔らかいやん? って思うかもしれないけど、ちゃうねん。もうフワフワを通り越したふわっふわっなのよ。もう、なんかね、空気。ごめん。あまりにもアホだ。
 例えるなら、そう。雲! いや、雲も触ったことないし誰も口に入れたことないから分かるわけないやんな。あー、じゃああれだ。わたあめ。でも紅茶もコーヒーも基本甘さ控えめだから、生クリームなしで食べたら「ふわっふわ〜」で終わる。
 だけど生クリームと一緒に食べると、今度は味がマイルドになるのだ。そして簡単に溶ける。マジで溶ける。口の中で「シュワッチっ!」ってクリームと溶け合ったシフォンケーキが召される。お願いだからもうちょっとここおって。って思うレベルで溶ける。マジで。

「あ〜〜〜。これテイクアウトしてえ〜〜〜」
「あはは! 加州めっちゃハマってんじゃん!」
「いやだって、ええ? これ予想以上に美味いんだけど。主も食べてみて」
「う、うんっ」

 イチゴタルトに感動していた百花さんだけど、加州に促され紅茶のシフォンケーキにも手を伸ばす。そうして生クリームをつけたそれを口に入れ、すぐに目を丸くした。

「〜〜〜〜〜!!!」
「分かるよ、主! これマジでやばいよね!」
「おーの。すごい威力じゃにゃ」
「むっちゃんも食べてみ? マジで美味いから」

 はしゃぐ百花さんたちを眺めながらも、私のお皿に載せてくれたシフォンケーキを半分切って陸奥守の口元に持って行く。正直気になっていたのだろう。陸奥守はすぐに食いついたが、同時に「ん?!」と声を上げた。

「うまい!」
「せやろ?! チーズケーキも美味しいから食べてみて!」

 シフォンケーキの柔らかさと美味しさに目を輝かせた陸奥守に、こっちも早よ早よ。とレモンのチーズケーキを勧める。
 正直イチゴタルトやシフォンケーキと違ってどっしりとしたケーキではあるけれど、こっちも本当にオススメだから是非とも口にあって欲しい。
 どこか祈る気持ちで陸奥守が口に入れる姿を見つめていたら、再び「ん!」と声を上げた。

「たかぁ! こっちもこぢゃんとうまい!」
「でっしょ〜! これマジでめっちゃおすすめだったから、美味しいって言ってもらえて嬉しい」
「にゃあ〜、びっくりしたぜよ。檸檬がすいかと思うたけんど、蜂蜜が甘いき、なんぼでも食えそうじゃ」
「フッフッフー。美味しいのはお芋だけじゃないんですぜ、旦那様」
「まはははっ。まっことまっこと」

 お芋大好きな陸奥守だけど、この世にはお芋以外の美味しい物もたくさんあるんだぜ! と伝えれば、笑顔で肯定される。そんな陸奥守を見て百花さんもチーズケーキに挑戦し、結果「全部美味しいです!」と百点満点中二百億点の感想を伝えてくれた。

「正直さぁ〜、ケーキって見た目は綺麗だけど、甘いだけの食べ物だと思ってたんだよね。だからこの紅茶のケーキにはビックリ」
「ここのケーキは基本的に甘さ控えめだからね。特に紅茶系やコーヒー系はその味がダイレクトに分かるから、甘いのが苦手な人でも食べやすいと思うよ」
「うん。俺好きだわ。これ」

 話しながらもシフォンケーキを食べ続ける加州に笑みしか浮かんでこない。因みに百花さんが「加州くんも食べてみて!」とイチゴタルトを勧め、感動と嬉しさで頬を染めながらタルトを口にした加州は「俺もう他のイチゴケーキ食べられないかもしれない」と大袈裟な感想を口にした。
 というわけで私も旦那様に食べさせてみたのだが。

「顕現して初めてイチゴに埋まりたいち思うたぜよ」
「そんなに?!」

 旦那様も大層お気に召したらしく、イチゴだけでなくクリームも美味しい。と言ってくれた。
 作ったのは私じゃないけど、自分が好きなものをこうして好きな人たちが一緒になって「美味しい」と言ってくれるのは嬉しいものだ。
 まだ冷めきっていないカップを両手で持って「ムフフ」とほくそ笑んでいると、不意に百花さんが「あの」と声をかけてきた。

「お姉さんが今日つけてるネックレス、すごく綺麗ですね」
「あ。これ? 実は鳳凰様から頂いたんだ」

 魔除けや加護が刻まれている琥珀を使ったネックレスとブレスレット。これには神気を抑える効果もある。それを伝えれば百花さんは「さすがです!」と鳳凰様を賞賛した。
 逆に加州は「またとんでもないものを……」と呆れていたけど、それでも「似合ってるよ」と言ってくれた。主の優しさは刀にも引き継がれるらしい。ありがたさしかない。

「あ、でもイヤリングは別。これは私が買ったやつだから」
「そうなんですか?」
「うん。見てみる? つけてもいいよ」

 ピアスじゃなくてイヤリングだから。と言って留め具を緩めて片方差し出せば、百花さんは「ふわぁ……」とどこか感動した面持ちでイヤリングを見つめた。

「すごい……キレイ……。かわいい……」
「うん。金木犀をイメージしてるんだって」

 緩やかかつ滑らかな曲線を描くゴールドのチェーンが、菱形にカットされたオレンジ色のガラスを囲い、その上部には金木製を象った小さな花が連なっている。大人可愛いを体現したようなイヤリングに私も一目惚れして購入したけど、百花さんも同じようだ。魅入られたようにじっと見つめている。
 だから「つけてごらん」と促すが、ハッとした様子で我に返ると首を横に振った。

「い、いいです! 私、まだ子供だから……! きっと似合わないです!」
「そんなことないよ! 主は可愛いから絶対似合う!」

 私が否定するよりも早く隣に座っていた加州が否定する。全くもってその通りなのだけれども、勢いがすごくてちょっと笑いそうになってしまった。
 だけどこのまま押しても自分からはつけないだろう。だから真向かいに座っていた私は席を立ち、片側に残していたそれを外すと百花さんの隣に立った。

「加州、鏡ある?」
「もち!」
「え、あ、お、お姉さん……!」
「大丈夫大丈夫。痛くないように緩めに嵌めるから」
「そうじゃなくて……!」

 遠慮と謙遜。どちらも気持ちは分かるけど、私相手にはして欲しくない。だからちょっと強引ではあるものの、百花さんのしっとりとした黒髪を耳にかけ、イヤリングをつけた。因みに反対側は加州がつけている。

 柔らかい照明の下でキラリと輝くそれはやはり美しく、どこか高揚したように頬を染める百花さんを大人びて見せてくれる。

「ほら。可愛い。よく似合ってるよ」
「うんうん! 俺もそう思う!」
「おん。別嬪さんじゃ」
「う、うぅ……!」

 居たたまれないように小さくなる百花さんだけど、加州が鏡を渡せば恐る恐る覗き込む。何だかんだ言って気になっていたのだろう。不安が滲む瞳が鏡の中の自分を見た後、ハッとしたように歪められていた表情が緩んだ。

「キレイ……」
「うん。それに、何だかちょっと大人になった気持ちになるよね。イヤリングつけるとさ」

 ゆきちゃんを始めとした周囲の友達は、学生時代「ピアッサーを買うお金が勿体ないから」と言って安全ピンで穴をあけていた。だけど私は怖くて出来ず、何となく母に「耳に穴開けるの怖くないのかなぁ」と話せば、ケロリとした顔で「穴開けたくなったらイヤリングにすればいいのよ」と言ってジュエリーボックスをとって来た。
 そこには母が昔使っていたというアクセサリーが幾つも納められており、まるで小さな宝石店のようだった。
 そんな母のコレクションに目を奪われていると、母はその中から真珠のイヤリングを取り出し、私につけてくれたのだ。

「ピアス開けなくてもお洒落は出来るよ。むしろ校則に引っかからないからイヤリングの方がお得な感じしない? 手軽に大人になれた気持ちも味わえるしさ」

 初めて真珠のイヤリングを着けた時。あまりの似合わなさに笑うしかなかった。だけど、すごく嬉しかった。まるで自分が大人になれたみたいで。何か、大きな壁を通り越した、その先にある見えない場所に行けたみたいで。すごく気分が上がったことを覚えている。

 それは初めてヒールの高い靴を履いた時や、化粧をした時にも感じた。

 子供だった自分が大人の世界に一歩足を踏み入れた瞬間は、いつだって特別で、忘れられない思い出になる。

 百花さんもその気持ちを味わっている最中なのだろう。遠慮していた瞳は輝きに満ち溢れ、視線は熱を帯びて鏡に映る自分の耳を見つめている。
 そこに輝くのは小さなアクセサリーであったとしても、この小さな煌めきが少女を“大人”にするのだ。

 現に百花さんは時間を忘れたようにアクセサリーに魅入っていたが、次第に意識を現実に戻したのか、ゆっくりと鏡を持つ手を下ろすとこちらを見つめた。

「ありがとうございます。私、初めてイヤリングつけました」
「そっか」
「はい。……うちは、こういうの、厳しくて。ネックレスもブレスレットも、持ってないから。なんだか、大人になったみたいで、嬉しいです」

 彼女はまだ中学一年生だ。ご両親も「まだ早い」と思っているのかもしれない。だけど女の子ってのは昔から早熟で、どんなにおっとりしていても、大人しそうに見えていても、心の中では憧れていたりするものだ。
 きっと母もこういう気持ちで私のことを見てたんだろうなぁ。とあたたかなものを感じながらら、すぐに百花さんにある提案をした。

「じゃあさ、本丸にいる間だけでも着けてみたら? ご両親が来れない秘密基地みたいなもんじゃん。本丸って」
「え?!」

 その発想はなかった。とでも言いたげな顔で見られ、思わず笑ってしまう。
 でも、私以外の審神者にとっても本丸は職場でもあるけど秘密基地でもある。現世に「居場所がない」と思っても、私たち審神者には本丸が残されている。決して優しいだけの場所ではないけれど、アクセサリーの一つや二つ隠し通せない場所でもない。

「不安ならうちに置いておけばいいよ。うちに来た時にだけつける、っていうのもありだと思うし。ね、加州」
「うん。水野さんの言う通りだよ。主は女の子なんだからさ。いっぱいおしゃれを楽しもう?」

 百花さんは私と加州の説得に最初は言葉が出ないようだったけど、ダメ押しとばかりに「少しでも“やってみたい”と思ったら、我慢せずにやってみよう。犯罪以外はね」と茶化せば、笑って頷いてくれた。

「それじゃあ今度、百花さんに似合いそうなアクセサリープレゼントするね」
「だ、だめですよ! 自分で買います!」
「水野さんばっかりいい格好しないでよ! 主が身に着けるものなら、まずは俺たちが用意しないと!」
「か、加州くん!」
「ほにほに。主の一番は譲れんきにゃあ〜」
「え〜? そんなもん?」

 初期刀コンビの言うことはちょっと大袈裟な気もするけど、特別な人に「何かを贈りたい」という気持ちはよく分かる。だから「絶対俺が用意する!」と言って聞かない加州に「じゃあアクセサリーを収納するケースだけでも用意しようか?」と聞いたのだが、それも自分が用意する。と豪語したので全て任せることにした。

「で、でも……」
「大丈夫大丈夫。私と加州を信じて。ね?」
「うぅ……」

 乗り気な私たちに百花さんは腰が引けているけれど、見守るような顔で見つめていた陸奥守が「大丈夫じゃ」と力強い肯定と一緒に笑みを向ければ、観念したようだった。
 流石私の旦那さま。百花さんからの信頼度が天井突き抜けてるわ。

「えっと……。それじゃあ、よろしくお願いします」
「うん! 任せて、主!」
「厳重に保管するからね! 安心して!」
「はいっ」

 最終的には笑顔を見せてくれた百花さんに帰り際「今度このお店で可愛いの見つけたら買って来るねー」と伝えたら、加州から「住所教えて!」と言われて今度こそ声を上げて笑った。
 だけど今度は二人で、あるいは今剣も連れて三人で選んでもいいと思う。百花さんを大事に思っている二振りなら、きっと彼女に似合う素敵なアクセサリーを選んでくれるはずだから。


「んっふっふ〜。百花さん可愛かったね〜」
「ほにほに。やっぱしおまさんらぁを見ちゅうと癒されるぜよ」
「百花さんは分かるけど、私も?」
「おん。おまさんはわしらの方がえいち言うけんど、わしからしてみりゃ全員男じゃ。見ても楽しゅうない」
「そ、そうか」

 見た目が綺麗でも同性だから面白くない、って意味なんだろうな。ってことは見た目が綺麗な異性ならその人のこと好きになるってことじゃ……?! と不安になったが、すぐさま頬を突かれる。

「言うちょくが、なんぼ見た目が綺麗でもわしはおまさんに惚れちゅうきの。そこを忘れたらいかんぜよ」
「う、うっちゅ……」

 ドストレートな愛の告白に顔が熱くなる。それに慣れていないせいか舌の根まで固まった気がしてアホ丸出しな返事をしてしまうが、陸奥守は「よう覚えちょくように」と言うだけだった。
 だけど頷いた直後、いつの間にか繋がれていた手を強く引かれ、驚きのあまり逞しい腕にしがみつく。

 これは流石に見逃せないぞ! 普段履いているペッタンコ靴と違って今はヒールがある。転倒したらどうすんだ! と視線だけで抗議すれば、何故か満足そうな笑みが返ってきた。おい。何でじゃ。

「ちょっと。何で嬉しそうなのさ」
「らぁて、おまさん腕組んでくれんき」
「なっ! そ、それは……!」

 確かに自分からは恥ずかしくて手も繋げないし腕も組めなかったけどさ! 決してやりたくなかったわけではなく!
 綺麗で貴重な着物にファンデーションがついたら心臓止まるからしなかっただけで決してイヤなわけじゃ……!
 と頑張って言い募れば、陸奥守は声を上げて笑う。

「なぁんじゃ。そがなこと気にしちょったがか」
「気にするよ! だって鳳凰様から頂いたお着物なんだよ?!」
「そうやけんど、着物を気にして腕組んでもらえんがやったら、わしもう着物着らん」
「ぴっ」

 今だって着物が皺にならないよう、少しずつ隙間を開けようとしていたところなのに。既に気付いている様子の陸奥守から「おまさん次第やけんど、どうするがよ」と聞かれ、数秒葛藤した後腕をしっかりと絡めてしがみついてやった。

「もう知らない! むっちゃんのアホ! 意地悪! 着物が皺だらけになっても汚れても謝らないからね!」
「んはははは! そがなことで怒るほどこんまい男やないき、気にしな」
「うぅ〜……」

 あんまり格好いいことを言わないで欲しい。恥ずかしさと嬉しさとトキメキで胸が締め付けられて苦しくなるから。

 ……あーあ。化粧してなかったら思いっきりこの腕にドリルしてやるのになぁ。
 五虎退の虎のようにグリグリと額を押し付けたくなる気持ちを必死に堪え、代わりにしがみつく腕に力を込めて更に密着する。
 その時ちょっと陸奥守の腕が硬くなった気がしたけど、気にせず、むしろ「お前が言ったんだからな」と言う気持ちを込めて胸元に抱き込んでやれば「んんっ」と何故か咳払いされた。

「あー……。一応聞くけんど、おまさんそれ、わざとやないよにゃ?」
「なにが」
「ん。えい。今ので分かった」
「だからなにが」

 よくは分からないけど、陸奥守は「はー……」とため息に似た吐息を吐き出してから歩き出す。
 その歩みはこちらに合わせたゆっくりとしたもので、何だかこのままどこまでも歩いて行けそうだなぁ。なんて思いながら、陸奥守の頼りがいのある腕にそっと頭を寄せた。

「おん? どういた」
「んー……。お化粧してなかったらこのままグリグリ出来るのになー。と思って」
「んんっ。おまさんは突然かわえいこと言うき、心臓に悪いぜよ……」
「は? 可愛いか?」

 どちらかと言えばグリグリされたら鬱陶しいと思うんだけど。五虎退の虎や鳴狐のお供の狐はいいけどさ。可愛いから。と考えていたら、そっと陸奥守の指が伸ばされる。何かと思い視線で追えば、乾いた指先が優しく頬に当てられ、そのまま目を合わさせるかのように優しく上を向かされた。

「かわえいに決まっちゅうろう。わしの大事なカミさんじゃ。わやにしたらいかん」
「――ッ!」

 冗談みたいな軽口だったのに、諭すような真摯な瞳で見つめられ息が出来なくなる。
 だって、こんなの軽く流せばいい半分冗談みたいなものだったのに。それこそ芸人みたいに「何言うてんねん」とでも突っ込んでくれてもよかったのに。わざわざ歩みを止めてまで諫めて来る旦那様に二の句が継げず――

 情けないことに無言で頷くことしか出来なかった。

「そがぁに心配なら、一つずつ教えちゃろうか。おまさんの可愛いとこ」
「結構です!!」

 更にとんでもないことを言いだした旦那様に慌てて首を横に振るが、拒否された本人は清々しいまでの笑みを浮かべながら「まっこと照れ屋じゃの」と言うだけだった。





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