小説
- ナノ -




 さて。では何故そんな話を思い出したのかと言うと、

「……………………」
「主? どうしたの?」
「いや……」

 大広間で寝落ちした結婚式の翌朝。雑魚寝をした広間やら宴会やらの後片付けを刀たちがしてくれている間、私は小夜に手伝って貰いながら花嫁衣裳である色打掛を脱いでいた。
 そこでふと部屋に置いていたままのスマホに通知が来ていることに気付き、何となく開いたところでゆきちゃんから以下のメッセージが届いていたのだ。

『大丈夫だった?』

 と。最初は「なにが?」と思ったのだが、ハッキリとものを言う友人が遠回しに気遣ってきたのだ。つまり気遣われる内容なのだと思考を巡らせ――ついに結婚式前のあれやれそれやらの話が思い出された。

「うっ、」
「主? 大丈夫?」
「う、うんっ。大丈夫〜」

 思わず悲鳴を上げそうになったが、寸でのところで思いとどまり酸素と一緒に飲み込む。それでも小夜が首を傾けて覗き込んできたので、慌ててスマホの画面を胸元に押し当て首を横に振った。

「そう? それじゃあ、僕はお風呂を沸かしてくるから」
「うん。ありがとう、小夜くん」

 まるで小姓のような役割を担わせてしまい申し訳ないのだが、本人から「僕がやりたいだけだから気にしないで」と言われては過剰に拒否することも出来ない。
 だからギリギリまで着替えを手伝ってくれた小夜にお礼を告げ、胸に押し当てていたスマホを見下ろす。

 ……フッ。言われるまですっかり忘れてたぜ!!!!

 ということで『昨日は宴会が夜まで続いたから二人して爆睡しました』と健全(?)な夜を送ったことを報告した。
 するとすぐさま既読の文字がつき、考えないようにしていた事実を突きつけられる。

『じゃあ今日が初夜当日になるってことか。前に教えたこと、ちゃんと実行するんだよ』
『とりあえず頑張れ』

 と二回に分けて送られて来たメッセージに続き、最後に『頑張れ!』『ファイト!』とスタンプが送られてくる。
 友人想いの親友に心の底から「ありがとう、ありがとう……!」と思いながらも『死ぬ気で頑張ります』と送った時だった。

「主。入ってえいか?」
「ほぎゃああ!」

 しっかりと閉じられた襖の奥から旦那様である陸奥守に声をかけられ、思わず悲鳴を上げてしまう。だけど向こうは想定していたのだろう。おかしそうに笑い声をあげただけだった。

「んははは! 相変わらずえい反応じゃにゃあ」
「ご、ごめん……。ビックリしちゃって」
「えいえい。気にしな。おまさんは不意打ちに弱いきの」
「うぅ……」

 否定できないため顔を熱くさせながら俯くしかない。それでもまだ着替え終わっていないからどうしようかと考えていると、陸奥守が襖越しに要件を伝えて来る。

「主。今日は出陣と遠征はせんち言うちょったけんど、内番と演練はどうするがよ」
「あー、そうだねぇ……。体動かしたい人がいれば手合わせと演練に回そうか」
「ほにゃ。ほいたらおまさんはわしとでぇとでも行くかえ?」
「ヴァッ?! な、何て?!」

 元々式当日とその翌日は休みにしていた。だってもしもお酒が残って出陣に影響が出たらまずいし、何だかんだ言って祝い事の後なのだ。幾ら戦時中と言えど休息は必要だろう。だから前々から皆に式の前後、合わせて三日間は休みにする。と伝えていた。
 だってほら、前日はこちらのコンディションがあるしね? で、当時は言わずもがな。翌日は前日のどんちゃん騒ぎを考えて、翌日に向けて体調を整える。という意味で休みにしていた。だから刀たちも片づけが終わったら各自好きなことをするとは思うんだけど、まさか陸奥守からデートに誘われるとは思ってもみなかった。

「あ、う……そ、それは……」

 別にイヤなわけじゃないんだけど、今までまともに「デート」らしいデートをしたことがないから戸惑ってしまう。そりゃあ陸奥守と出かけたことは数えきれないほどあるけど、こうして明確に関係が変わる前のことだったし、こちらもその時は意識していなかったから普通に行けた。
 だけど今は彼女、じゃなかった。妻なのだ。彼の妻として表に立つとなればどんな格好で、どんな表情をすればいいのか分からない。
 折角誘ってもらったのにすぐに答えられずグルグル悩んでいると、陸奥守が「イヤなら無理せんでえいぞ」と声をかけて来てすかさず否定した。

「ち、違う! 無理じゃないよ! ただ、な、何を着て行けばいいのかと思って……」

 そりゃあゆきちゃんと一緒に買った服も鞄も靴も持って来てはいるけどさ! でもまだお披露目はしていない。
 だって恥ずかしいじゃん。乱や加州みたいに可愛くもないから本丸内でファッションショーなんて開けるはずもない。
 だけど折角誘ってくれたのだ。これを機会に着てもいいんじゃないかとは思うんだけど、まだ下ろしていない靴を履いた結果靴擦れを起こして迷惑をかけたくはないし、もしもデート先がヒールでは不向きな場所なら動きやすい格好の方がいいだろう。
 でも一人で悩んだところで解決出来るものでもない。だから情けないとは思いつつも襖を閉じたまま返事をすれば、陸奥守は「いつも通りでえいよ」と優しく答えてくれた。

「万事屋や登山に行くわけやないきの。おまさんと一緒に現世の町を歩きたいだけじゃ」
「あ……。そっか。分かった。それじゃあ、むっちゃんは何着るの?」
「おん? ほうやにゃあ。おまさん、洋服より着物の方が好きみたいやき、上様に貰った着物でも着ようかの」

 鳳凰様は私に簪とアクセサリーをプレゼントしてくれたけど、陸奥守には新たに着物を贈っていたらしい。何でも私が陸奥守の和装が好きだと話したら贈ってくれたそうだ。鳳凰様、とっても偉い神様なのに、面倒見はいいし贈り物は好きだし、上司にしたい神様ランキングがあったら絶対ランクインしてるよね。因みに私の中では既にランクイン済みです。いつもお世話になっております。

 内心でありがたやありがたやと手を合わせていると、陸奥守も風呂に入ってくると言うので了承した。恐らく出かけるのは昼前頃になるとは思うけど、しょうがない。たまにはこういう日もあっていいだろう。

 そんなわけで私と陸奥守はデートに行くことになり、演練と内番は行きたい刀たちが自己責任で参加することになった。その際の説明は陸奥守が行ってくれたらしく、お風呂の用意を終えた小夜から「楽しんできてね」と言われてちょっと恥ずかしくなった。
 だけどそのおかげで安心して出かけられそうだ。現世に行くならこの間買った靴を下ろしても大丈夫だろう。
 一人で湯船に浸かりながら「あれとこれを着て、鞄はあれにして……」と考えながら身綺麗にし、部屋に戻ってから早速着替えとメイクを済ませる。

 勿論鳳凰様に頂いたアクセサリーもつける。あとは髪で見えないだろうけど、先日買った新しいイヤリングも両耳につけた。
 珍しく本気の本気でお洒落をしたから内心恥ずかしいのだが、今日は結婚後初のデートなのだ。万全の状態にしなければゆきちゃん曰く「後悔する」とのことなので、普段雑な分気合は入れ過ぎるぐらいで丁度いいのかもしれない。だから化粧も頑張りました。はい。
 それに思い返せば恋人期間中もデートらしいデートしてないからね。今日ぐらいちゃんとしないと。

 改めて「よし!」と気合を入れて襖を開ければ、丁度声をかけようとしていたらしい。真新しい着物に身を包んだ旦那様が立っていて、視線が合った瞬間襖を閉めた。


 だってあんなに男前になるだなんて聞いてない!!!


「主。何で閉めるがよ」
「だってそんなに格好いいなんて聞いてない!!」
「おん。おおきに。けんど、部屋に籠ったら見えんじゃろ」
「今見たら心臓爆発するから無理!!」

 こっちは必死だと言うのに、男前すぎる旦那様は「大袈裟やのぉ」と笑う。

「大袈裟じゃないよ! 元から格好いいとは思ってたけど、そこまで来るともういっそ兵器じゃん! 全人類が惚れてしまう!!」
「おおの。嬉しいけんど、大袈裟なカミさんじゃ」

 何が大袈裟なものか。本当マジで一回鏡で全身見て欲しい。いや、もう全身っていうか顔だけでもちゃんと確認して欲しい。刀剣男士全員美男子だけど、近寄りがたい美男子っていうより親しみを感じる男前だからこんなの女じゃなくても惚れてしまう。
 しかも現世には綺麗で可愛い人が男女問わずにごまんといるんだぞ? 特に女性はイケメン好きが多い。だから八割ぐらいの確率で見惚れるだろうし、肉食系だったらロックオンしてくる。もしくは「一目惚れしました!」って言ってアプローチをかけてくるかもしれない。
 だって隣にいるのが私だからな。「勝った」と思うだろう。

 それにここまで格好いいともはや巷で有名なクソださセーターとかを着せたとしても「雑誌の撮影かな?」とか思われそうだ。むしろ逆に見てみたいわ。

 じゃなくて。

 こんな男前の隣をどんな顔で歩けばいいんだよ! と頭を抱えていると、閉めていた襖があっさりと開けられてしまった。

「ミ゛ャッ!」
「…………おまさん、えらい可愛い格好しちゅうの」
「ほぎゃーーー!!!」

 結婚式の準備もそうだけど、今回の事件の後処理やら何やらで現世と本丸を行き来する日が多かったから何気にスーツを着用する日も多かった。だからオフの日はいつも通りTシャツ&ジーンズというラフスタイルでいたため、こうして気合の入った格好は久しぶりである。
 というか、ほぼ初めてかもしれない。これだけのフル装備状態は。だから陸奥守も驚いたのだろう。丸くした目を何度も瞬かせている。

「は〜、こりゃあまたえらい別嬪さんじゃ」
「にゅあ、にゃに、にゃんにゃほえ……」
「まははは! そがぁに照れんでもえいろう。けんど、見たことない服やにゃあ。新品かえ?」
「う、うん……。そうです……」

 陸奥守がこちらをじっと眺めるように、こちらもチラチラと視線を上げたり下げたりしながら真新しい着物に身を包んだ旦那様の姿を確認しようと頑張ってみる。
 でもダメだ。格好良すぎて脳みそが理解してくれない。だけど陸奥守は私の格好をジャッジする程度の余裕はあるらしい。「綺麗な色やの」と買ったばかりのトップスに軽く指先で触れて来る。

 だって前回鳳凰様から贈られた着物は黒地だったが、今回は深い紺色だと聞いた。だから暗い色同士で合わせるより明るい方がいいかな。と思って、オレンジと白をメインにコーディネートしたのだ。それこそ全身新品で。

 トップスはカシュクールタイプの柔らかい薄手のニットで、色は濃い目のオレンジだ。これなら青系統の服とも合うし、ビタミンカラーだから明るくも見えるから丁度いいと思って。ただこれだけだと胸元がガッツリ開いて谷間が見えてしまうので、中には白のインナーを着用している。
 下はすっきりとしたラインのサブリナパンツで、こちらも色は白。だけどインナーとして着用している白は胸元部分しか見えていないので、白に白を重ねているようには見えない。

 それに鳳凰様に頂いた琥珀のネックレスとブレスレットのおかげで寂しい首周りもバッチリ! みたいな。
 ……あと何気にオレンジは旦那様のイメージカラーなので……。向こうが青系ならオレンジ着られるやん! と思って喜び勇んで選んでしまったのは内緒の方向で……。だって推しの色選ぶのはオタクあるあるやろ……。許して……。

 なんて考えていたのがバレたわけでもないだろうに。何故か陸奥守は熱を帯びた声で「わしのため?」と聞いてきて顔どころか全身が熱くなる。
 いざ口に出されるともう本当、めっちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、ここで典型的ツンデレキャラみたいに「か、勘違いしないでよね! あんたのためじゃないんだから!」などと言えるキャラでもない。また嘘もつけないため黙ってコクコクと頷くと、間髪入れずに抱きしめられた。

「たかぁ……! わしのカミさんがこぢゃんとかわえい……!」
「〇■△※§Ω★〜?!?!?」

 言語化出来ない悲鳴を上げてしまったものの、イヤなわけではない。イヤなわけではないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。だからペシペシと背中を叩いて解放を求めてみるものの、旦那様は一旦体を離したがすぐに、今度は少し力を緩めてもう一度抱きしめてくる。

「はあ……。たまぁるか……。こがぁにかわえいてどうするがよ……。わしの方が心臓ちゃがまりそうじゃ」

 心臓壊れる、と陸奥守も口にしているが、正直こちらほどではないと思う。ぶっちゃけ今の自分、心臓爆音奏ですぎてやばい。全身が心臓になったレベル通りこしてもはやフロアの一部になっている気がする。DJ水野、頼むからこの音止めてくれ。
 あ。いや、ダメだ。心臓止まったら普通に死ぬわ。詰んだ。

「……にゃあ、主。口吸うてもえいか?」
「にょっ?!」

 最近気付いたんだけど、陸奥守がキスのことを「ちゅう」と呼ぶ時は大体揶揄う時か軽く触れるだけのものを指している。だけど昔ながらの「口吸い」というアレな単語を使った時は唇をピッタリと合わせたり、舌を絡める深いものを指していることが多い。
 更に「口吸い」と言った時は陸奥守のアレな欲が高まっている時が多く、ただでさえ熱かった全身がより熱くなる。
 幾らファンデーションで地肌をコーディングしようとも、頬に触れる手で体温が上昇したことはバレただろう。陸奥守は熱と期待が籠った瞳でじっと見下ろしてくる。
 だけど化粧をしているから今口を合わせたらグロスが陸奥守にもついてしまう。だからどうしようかと返事に困っていると、陸奥守はへにょりと眉を下げて「イヤなが?」と悲しそうな声で呟いた。


 イヤなわけあるかーーーーー!! むしろ今すぐ抱きしめてやろうか!!!


 と心の中で盛大に言い返したものの、実際には喉が詰まって何も言えず、ただブンブンと首を左右に振るだけになる。だけどこちらの全身がガチガチに固まっていることを考慮したのか、結局額に唇を落としただけだった。

「ッ!」
「すまん。困らせるつもりはなかったがやけんど……」
「ち、ちがっ、」

 今まで男性とお付き合いしたことがなかったから、どういう時にそういう欲が刺激されるのかが全然分からない。こうなるなら最初からグロスをつけなきゃよかったと思ったものの、何も言わないままでいるのも卑怯な気がして離れかけていた手を咄嗟に掴む。

「そ、そうじゃなくて……。化粧、してるから……。口合わせちゃうと、色、移っちゃう」

 実際は色だけじゃなくて口の周りが全体的にベッタベタになってしまう。自分はともかくとして旦那様をそんな姿にするわけにはいかないと説明すれば、陸奥守はどこかほっとしたように息を吐いた。

「なんじゃ。嫌がられちゅうかと思うてびっくりしたぜよ」
「違うよ! そ、そりゃあ……まだ……むっちゃんとのキスは慣れないけど……」

 だってこの顔面偏差値トップクラスの御尊顔がゼロ距離まで近付いてくるんだぞ? どう考えても無理。心の準備がないまま行われたら心臓が破壊されてしまう。こちとら毎回心臓の耐久テストをギリで突破しているだけなんだぞ? あまり負荷をかけないで欲しい。
 っていうかさ、実は前から気になっていたことがあるんだけど、今聞いてもいいかな?

「あと……その……。むっちゃん、割と頻繁にキスしてくるけど……平気なの?」
「おん? なにがじゃ」
「や、その……だから、言い方は悪いんだけど、昔の人ってあんまり、こう……キスしてるイメージってなかったから……」

 大河ドラマや他の時代劇でも、男の人って人前じゃキスしないイメージがある。そりゃ奥ゆかしい日本人がメインの話なんだから洋画に比べたらちゅっちゅっしねえのは分かってるのよ。
 だけど陸奥守は結構、その……あんまり人目を気にしていないかのように振舞うから、そういう意味でもビビリ散らかしているのは事実だ。

 現に幾ら現代にまで伝わっていようと、人の営みを見て来た彼らの主な価値観は活躍していた当時に基づいている。だから二人きりの時はともかく、皆の前であろうと関係なく触れて来る姿に疑問を抱かずにはいられなかった。
 だから質問してみたのだが、陸奥守は「ん〜……」と視線を上に上げた後、困ったような顔で首を傾ける。

「わしは皆と違ってあちこち行っちょらんき、他の家のことは知らん。けんど、夫婦の時間で肌を触れ合わせるがは普通やと思うぜよ」
「そ、そっか」
「おん。あとはおまさんがよう見ちゅう“映画”やとよーけしちゅうき、今はそういう時代なんじゃと思うちょったんやが」
「ヴァッ! あ、あれは洋画だから頻繁にしているのであって、邦画だとそこまでは……!」

 何気に映画鑑賞が趣味だという柊さんほどではないものの、映画を見るのは好きな方だ。だけど邦画より洋画の方が好みのせいか、日本製の映画と言えばほぼアニメ映画しか見ていない。それ以外はどんなジャンルでも洋画ばかりだから、皆も「そういうもの」だと勘違いしている可能性が出てきてしまった。

 くそう。こんなことなら洋画と邦画の割合を9:1ぐらいから6:4ぐらいにしておけばよかった。
 いや、でもやっぱり洋画の方がCMも面白そうだったりするんだよなぁ。広告のセンスを始めとしたマーケティング能力の違いだろうか? もしくは金で殴って来てるかの違いか。どちらにせよハリウッドは強い。
 なんて馬鹿げたことを考えていたのも束の間、何と他にも理由があったらしい。陸奥守はにんまりとした笑みを浮かべると、大きな手を狐の形にしてパクパクと指で作った口を開閉させる。

「理由は他にもあるけんど、一つはおまさんにとっての“桜餅”と一緒じゃ」
「は? 桜餅?」
「おん。前に言うちょったじゃろ。『食べたくなるほど可愛い、って言葉を体現したものの一つが桜餅だよね』っちのぉ」
「ぬあっ!」

 確かに言った記憶はある。あれは確か陸奥守が近侍の時で、平野と光忠がおやつとして桜餅を持って来てくれたのだ。で、丁度庭の桜も満開だったから、縁側で並んでお茶をしつつ、何気ない会話として口にした。

『そういえば、前に「日本人は何でも食べるイメージがある」って海外の人に言われてる、って聞いたことがあるんだよねぇ』
『ほにゃ。そうなが?』
『うん。代表的なのはタコ、ごぼう、納豆だったかなぁ』
『蛸に牛蒡、それに納豆、ですか』
『どれも美味しいのにねえ。外の人は食べないの?』

 首を傾けた光忠に『又聞きだから実際に何て言ったのかは知らないけどね』と補足を入れてから説明をした。

『タコは海外だと食べ物、っていうより化け物的な感じで見られているみたいでさ。食べよう、って人が少ないみたいだよ』
『ああ。まあ、確かにニュルニュルしてるからね』
『そうですね。見た目は確かに。怖いかもしれませんね』
『ほにほに。わしも初めて見た時は「なんじゃあ?! タコっちこがな見た目しちゅうがか!」ちビックリしたもんぜよ』
『あはは! だよねぇ。あとは、ゴボウは木の根っことか、枝に見える人が多いみたい』
『あー……。確かに土に植わってはいるけれど……』
『言い分も分からなくはないのですが……』
『うまいがに』
『ね。あと納豆は言わずもがな。匂いと粘つきから「腐った食べ物」っていうイメージがあるみたい』
『栄養満点なのにね。でも、初めて見た人がビックリするのも頷けなくはないかなぁ』
『納豆は発酵食品ですからね。外つ国の“ちぃず”と似たようなものだとは思うのですが』
『白米にかけて食うとうまいがににゃ』
『ま、そういうことからもさ。日本人って何でも食べ物にしてしまうイメージがあるみたい。実際「食べちゃいたいくらい可愛い」って言葉もあるくらいだしね〜。私としては桜餅がそうかなぁ』
『へえ。どうしてそう思うんだい?』
『だって桜の塩漬けとかもそうだけどさ、普通花を食べようとは思わないじゃん? だけど可愛くて綺麗で、愛しさが限界点超えたから口に入れたくなる気持ちは分かるんだよ。動物の赤ちゃんとか特に可愛いじゃん? つい撫でたり頬ずりしたくなる気持ちっていうのかな。だから愛でられる形を追求した結果がこうなんじゃないかなぁ、ってちっちゃい時から思ってたんだよね』

 と、こんな感じで何気なく話したことに過ぎなかったんだけど。この旦那様はこんな些細な会話ですら覚えていたらしい。唖然とする私に笑みを深める。

「わしにとってはおまさんが“桜餅”じゃ。もちもちしちゅうし、どこもかしこも甘くて美味いきの」
「ほぎゃあ!!」

 もちもちなのは百歩譲って良しとするけれど、どこもかしこもはまだ触っとらんじゃろがい! と突っ込んだら色々と危ない道に進みそうなので必死に呑み込む。だけど素直な体はさっきよりも一層体温を上昇させており、もはや湯気が出そうだった。
 そんな私を見て陸奥守は「まははは!」といつものように機嫌よく笑うと、ガチガチに硬直していた私の頭を優しく撫でる。

「ま、あとは牽制かの。油断ならん奴がちらほらおるき」
「へ? 牽制?」
「おん。まあ、おまさんは知らんでえいよ」
「そ、そう?」
「おう」

 何だかよく分からないけど、陸奥守なりに私を大事にしてくれていることは分かった。あと、その……。すごく好きでいてくれている、ということも。
 だからちょっと、嬉しさの余り目の前が滲んだりもしたのだが、優しくも意地の悪い旦那様は不意打ちのようにしてもう一度額に口付けてくる。

「ミ゛ッ!」
「んははっ! かわえいの。けんど、これ以上したらわしが我慢出来んくなるき、先に外出て待っちょくぜよ」
「う、うい……」

 百戦錬磨の如く口説いて来る男前に出かける前からK.O.寸前なのだが、それでもどうにか頷く。実際靴とかの準備が終わってなかったからね。
 だから残りの準備を整え、コーディネートに合わせた真新しい靴と鞄を手に部屋を出る。すると、様子を見に来たのか、小夜と加州が歩いてきた。

「あ。小夜くん。加州」

 丁度いいからどこかおかしい所がないか見てもらおうと思ったのだが、何故か加州はギシリ、と固まり、目を見開いた。

「加州?」
「ッ! ちょっ、ま、主! ちょっと待って! 行く前に写真撮らせて!!」
「へ?」
「主……。今日は、明るいね」
「あ、ありがとう。ってちょっと待って加州! お願いだから連写はやめて!」

 いきなり懐からスマホを取り出したかと思うと、カシャシャシャシャシャ! ととんでもない勢いでシャッター音が鳴らされ盛大にビビる。だけど連写は止めることが出来たが、加州の「写真を撮りたい」という気持ちは止められなかった。だから結局乞われるまま数枚写真を撮られてしまい、ちょっと恥ずかしい。

 因みに小夜の「明るいね」は性格ではなく服の色彩についてである。普段暗い色ばかり着ているからね。だからオレンジと白なんて明るい組み合わせは本丸では初めてだ。それに鞄は緑だから、全体的に明るいって言われるわ。

「ていうか、今日の主のコーディネートさ、全部初めて見るものばっかりなんだけど。もしかして新品? もしくはデート用?」
「うん。まあ、新品なのは間違いないんだけどさ。何で皆私の私物を把握してるの? 怖いんだけど」
「皆主が大好きだから……。あと、僕たちは刀だから、装飾品の類には敏感にならざるを得ないというか……」
「あ。そういうこと?」

 小夜の説明で何となく分かった。刀は武器だけど、装飾品と言えなくもない。実際主人の格を語る際の物差しになった時代もある。宗三を始めとした天下人の元を渡り歩いた刀は特にその意識が強いのだろう。
 それを抜きにしても主人の身を守る武器として脇差や打刀は佩刀されることが多かったし、短刀は懐に納められていたことが殆どだ。色んな意味で主人が身に纏う物を気にしてしまうのだろう。
 だから「成程ね」と頷きつつも玄関に向かい、こちらも買ったばかりのローヒールのアンクルストラップ付パンプスに足を通す。

 色は合わせやすく、落ち着いた色味のライトグレーだ。真っ白でもなく、曇天のようなグレーでもない。ピンクベージュのような軽やかさはないけれど、カジュアルな服装には何でも合いそうなところが気に入って購入した。あとはサイドがオープンタイプなのでちょっと大人っぽくも見えるかなぁ、なんて。

「よいしょっ、っと。どうかな? 変じゃない?」
「大丈夫! めっちゃ可愛いよ、主!」
「はい。綺麗です」
「へへへ、ありがと」

 真新しいヒールが硬い床に当たってコツ、コツ、と音を立てる。正直ヒールのいいところはこの音だと思うんだよね。美脚効果もあるにはあるけど、私の太い足じゃ微々たるものだろうし。勿論歩く場所によってはこの音は頂けないんだけどさ。個人的にはこの音嫌いじゃないんだよねぇ。
 なんて思っていたら、二人以外にもこちらの動向を伺っていたらしい。ぞろっと刀たちが玄関前の部屋から顔を覗かせて来て全身の毛が逆立つかと思った。

「うわあ! ビックリした!」

 全員いるかどうかは流石にぱっと見では分からないんだけど、それでも殆どの刀は近くで待機していたらしい。こちらを見て「お〜」と声を上げている。

「あるじさん可愛い〜!」
「普段が悪いというわけではないが、そういう格好もいいものだな」
「うむ。愛いな」
「黒や青ばかり着ているからてっきり明るい色が苦手なのかと思っていたが、似合うじゃないか」
「はい! とってもお似合いです!」
「あ! だ、ダメだよ、トラさん。今スリスリしちゃったら、あるじさまのお洋服に毛がついちゃう」
「たまにはめかし込むのも悪くないもんだぜ。ま、楽しんできな」
「だからと言って羽目を外し過ぎないように。遅くなるようだったら連絡するんだよ?」
「大将。もし現世で泊まるなら早めに連絡くれよな。そっちに突撃しねえよう、こいつら抑えといてやるから」
「あはは……。皆ありがとう」

 ゾロゾロと部屋から出て来ては口々に言葉を投げてくる。そんな刀たちに苦笑いをしていると、乱が「折角だから髪の毛結んであげるね!」と言ってくれた。だから「ありがとう」とお礼を言いつつ上がり框に腰掛け、背中を向ける。
 その間にも乱は手早く手櫛で髪を梳いていたのだが、ここで鞄につけていた黄色いスカーフに目を留めたらしい。「これ使ってもいい?」と聞かれたので頷いた。ぶっちゃけ何に使うのか全く分からないのだが、ゴムかリボンの代わりにでもするのだろう。正直ヘアアレンジについては知識がないので大人しくされるがままになる。

 日頃から自分で髪を結んでいる乱は手慣れた様子で頭頂部の髪を軽く括ると、先程鞄から抜き取ったスカーフと髪を器用に交錯させながら編み込んでいく。そうして最後にゴムで毛先を軽く縛り、「でーきた!」と可愛らしい声を上げた。

「乱流スカーフ三つ編み〜! どう? どう? あるじさん可愛くない?!」
「お! いいねえ〜! さっすが乱! 今風じゃん!」
「えへへ〜。この間テレビで美容師さんがやってたんだ〜! これで陸奥守さんもイチコロだよ!」
「一殺……? 一撃で殺すの略ですか?」
「あはは。結婚した翌日に旦那を殺すって、相当面白いね。物語にしたら面白そうだ」
「も〜。みんな好き放題言って」

 イチコロを理解していない小夜はともかくとして、物騒な物語を「面白そう」と笑った髭切は本当によく分からない。だけどいつまでも話していてはデートの時間がなくなってしまう。だから立ち上がろうとしたのだが、ここで思わぬ伏兵がいた。

「やる」
「んえ?! なに?!」

 いるとは思わなかった大倶利伽羅がいきなり、乱が整えてくれた頭頂部の結び目にグサリ、と何かを差し込んできたのだ。一体何かと思い指先で軽く触れれば、生々しい柔らかさが指の腹を押し返してギョッとする。だけど変なものではない。大倶利伽羅がくれる、いつものアレだった。

「あれ? 伽羅ちゃん、この白いダリア、生花?」
「お? いいのか、伽羅坊? これはきみが部屋で育てていた花だろう?」
「育てた花をどうするかは俺が決める」

 いつものように花を、それも自室で育てているらしい。白いダリアを一輪飾りとして差してくれたようだった。まるで物語の王子様みたいだな、なんて思いつつお礼を口にしようとしたのだが、すぐさま乱が「可愛い〜!」と声を上げたので口を噤む。

「可愛い! あるじさん、すっごく可愛いよ!」
「本当本当! 主! もう一枚撮らせて!」
「ははっ。陸奥守からしてみれば面白くないかもしれぬがな」
「フン。いい気味ですね」
「宗三……」
「兄様……」

 相変わらずな面々に苦笑いしつつ、加州が写真を撮った後乱と大倶利伽羅に「ありがとう」と告げて今度こそ立ち上がる。正直大倶利伽羅がくれたという白いダリアも気になるけど、今確認していたら陸奥守を待たせてしまう。
 だから加州に「あとで私のスマホに送ってくれる?」とお願いし、皆には「夕方には帰ってくるからね」と告げれば、短刀たちが元気よく「いってらっしゃーい!」と手を振ってくれた。
 そのあたたかな声と笑顔にこちらも手を振り返し、玄関を開ければ、羽織に袖を通した陸奥守が立っていた。

「お? よーけ話かけられちょったき、もうちっくとばあかかるかと思うちょったぜよ」
「待たせてごめんね。正直ちょっと逃げる感じで出てきた」
「まははっ! ほうかほうか。おん? この髪どういたが。可愛いことになっちゅうの」

 そう言って陸奥守が触れたのは、器用な乱がスカーフと一緒に編んでくれた髪の毛だった。これもあとで鏡で確認したいなぁ。と思いつつ、指先で軽く触れながら説明する。

「さっき乱がしてくれたんだ。で、大倶利伽羅が髪飾りとしてお花をくれたの」
「ほーん……。あいたぁはほんに油断ならん男じゃ」
「フフッ。でも私が結婚したのはむっちゃんだよ」
「……おまさんにはほんに敵わんぜよ」

 何気に大倶利伽羅をライバル視しているらしい。ちょっとムッとする陸奥守に笑みを向ければ、途端に肩をすくめる。そんな旦那様に笑っていると、結んだおかげで髪に隠れていたイヤリングが風に揺れた。
 案外目敏い陸奥守はそこにも気づいたらしく、指を伸ばして軽く触れて来る。

「これも初めて見るにゃ」
「うん。なんとなく目が惹かれて買ったんだけど、意外と鳳凰様から頂いたアクセサリーとも相性が悪くなかったからつけてみたんだ」

 軽く頭を動かすだけで、耳元からチャリッ、と軽やかな音がする。
 これは現世でゆきちゃんオススメの、ハンドメイドのアクセサリーショップで見つけたイヤリングだ。元々はピアスだったんだけど、金具を交換してもらった。で、柔らかいオレンジ色をした優しい印象のイヤリングは、金木犀をイメージして作られたものだった。

「値段はそこまで高くなかったんだけど、安っぽくも見えないし、綺麗で可愛かったから。買っちゃった」
「おん。よう似合っちゅう。かわえいよ」
「ありがと」

 金木犀をイメージしたと言っても、ただ花の形をしているだけではない。可愛らしい花の中に大人っぽさを表すかのような、菱形にカットされたオレンジ色のガラスが緩やかな曲線を描いたゴールドのチェーンに囲われている。
 光が当たれば煌めく姿に一目惚れをして購入したのだが、なかなかつける機会がなくてお蔵入りになりかけていた。だけど鳳凰様から頂いた琥珀のアクセサリーもゴールドのチェーンだから、親和性が高くて今後はもっとつける機会が増えそうで嬉しい。
 それに旦那様にも「似合ってる」「可愛い」って言ってもらえたしね。今度からもっと色々つけてみようかな、と思う。

 嘘がつけない自分らしく、考えが表情に出ていたのだろう。デレデレと頬を緩めていた私に、陸奥守は「まっことかわえいの」と笑みを向けて来る。
 それが恥ずかしくもあったけど、ここでモダモダしている場合ではない。これ以上のタイムロスはデートの時間を損なうだけだ。だから早速ゲートに向かって歩こうとしたのだが、ここで「むっちゃんの格好ちゃんと見てないじゃん! むっちゃんはこんなにも褒めてくれたのに!」と重要な部分に気付き、慌ててありえんレベルの格好良さを誇る旦那様の全身を見つめた。


 今回鳳凰様が下賜してくださった着物は濃い紺色だ。だけど紺にも種類がある。だから直接見るまで分からなかったんだけど、この紺色は確か……金青、と呼ぶんだっけ。上品な青色と呼ばれる、結構有名な色だった気がする。
 それに前回賜った黒い着物は光沢があったけど、今回はそこまでじゃない。だけど決して作りが粗いわけでも、安い生地を使っているわけでもないのは分かる。むしろよくよく見てみれば、名称は分からないけど織り方が特殊っぽい。無地のはずなのに細かな柄が刺繍されているかのように見える。

 そんな上等で特殊な生地に合わせた帯は暗めというかくすんだ黄色で、麦わら色に近い。だけど着物と同じ無地ではなく、博多織のような菱形模様を始めとした、規則正しく並んだ華やかな模様が目を惹く。
 女性物とは違い、着物自体がパッと見無地だから帯で魅せるんだろうなぁ。正直めっちゃお洒落だ。流石鳳凰様。抜かりない。

 あと、袴を履いていない着流しスタイルとはいえ、恰幅がいいからめちゃくちゃ格好いい。着物の上から羽織っている羽織も、着物に合わせて青い生地で作られている。だけど同じ色ではなく、少し明るい。紺碧、に近いかな。夏の日の濃い青空の色、みたいな。そんな感じだ。
 思わず空に例えたけど、正直海を髣髴とさせる色でもある。陸奥守も空より海の方が好きだろう。そういう意味を含めても鳳凰様には感謝しかない。

 それに、羽織を留めるための『羽織紐』もめっちゃお洒落だ。
 秋の空のように薄い水色の紐で、しっかりと編まれた太めの紐。その中心に、琥珀だろうか。天然石が一つ付いている。だけどこちらは少し濃い色で、陸奥守の瞳の色より髪色に近い感じだ。だから全体的に落ち着いて見える。

 いや。改めて見なくても「似合ってるだろうなぁ」とは思ってたけど、想像以上に格好良さが天井突き抜けててヤバイ。アカン。目が焼ける。

 心の中で唸りつつも両手を合わせて拝んでいたら、こちらの視線に気づいたらしい。旦那様が嬉しそうに笑う。

「なぁんじゃ。そがぁに見つめられたら照れるちゃ」

 照れると言いつつその顔は嬉しそうだ。だからちょっと照れくさくなって「自分が格好いいこと分かってるくせに」と軽く詰れば、陸奥守は機嫌よさそうに笑う。

「まははは! おまさんを落とすのに手段は選らべんかったきにゃあ。それにわしは使えるもんはなぁーんでも使うぜよ? それこそ自分の顔と体もにゃ」
「質わるぅ〜」

 そんなくだらない軽口を交わしつつ、自然と繋がれた手に引っ張られるままゲートを潜る。そうして向かった先は、地元から少し離れた地域で開催されている『艦船模型展示会』だった。

 これは前回現世に戻った時、父が見ていた新聞の折り込みチラシの中に広告が入っていた。ただこういうものに興味がない両親には必要ないだろう。と、持って帰って陸奥守に渡したのだ。
 実際、軍艦やら大砲やらに興味がある陸奥守は見事に食いつき、出来ることなら行きたい。とキラキラとした目を向けてきた。
 正直その時の顔があまりにも可愛くてキュン死しかけたのだが、そこは割愛させてもらう。ただ開催時期が結婚式の予定日と近く、確認すれば「ギリ行けるな」という感じだった。その時は「多分行けるだろう」と思って了承したのだが、正直忘れていた。むっちゃんマジでごめん。でもこうして言ってくれて助かった。


 そんなわけで交通機関を駆使して会場に来たわけだが、受付に座っていた人たちが陸奥守の見目の良さに二度見どころか三度見したのには正直心の底から同意した。
 分かる。こんな国宝級の和装イケメンが現れたら二度見するわな。でも戦装束だったら軍服に近いから余計注目を浴びた挙句写真をお願いされたかもしれない。そう思うと和装でよかったのかも。なんて考えている間にも入場手続きが終わり、揃って入口を通る。

 でも正直「模型」と名前がついていたから博物館にあるジオラマサイズが精々かなぁ、と思っていた。だが扉を潜った瞬間その考えは吹き飛んだ。
 だって入って早々「これ製作期間どのくらいよ?!」と突っ込みたくなるほどの大きな軍艦が展示されていたのだ。まさかこれほどまでの規模の模型が展示されているとは微塵も思っていなかったため、二人揃ってのけ反ってしまう。

「うわ、やっば……!」
「たかぁ……! こりゃあたまげたぜよ!」
「はっ! むっちゃん、しーっ。気持ちは分かるけど、他のお客さんの迷惑になっちゃう」
「ほにゃ。すまん。つい」

 実際は注意するほど大きな声でもなかったんだけど、普通のお店と違いBGMが流れている場所ではない。実際あちこちで男性の話し声は聞こえるけど、逆に言えばその程度の物音しかしないのだ。精々美術館よりちょっとお喋りしている人が多いレベルでしかない。夏休み中の図書館に比べたら静かだ。
 だから「少し声落とそうね」と囁けば、陸奥守は片手で口元を覆いながら頷いた後、再び模型を見上げた。

「はあ〜……。こがぁにこまい部品、どうやって作ったがやろうか」
「ねえ。すごいねぇ。この辺とか、めっちゃ細かいよ」
「人間は相変わらずえらいもんを作りゆう。ほんに器用な生き物じゃ」
「んふふ。そうだね」

 二人でコソコソと囁き合いながら、一つ一つの作品をじっくりと鑑賞していく。
 殆どのお客さんは男性だったけど、中には女性もいた。だけどキャアキャア騒ぐ人はおらず、皆静かに鑑賞している。なかには舐め回すように隅々まで眺め、写真撮影している人もいた。でも小さなお子さんはいない。偶然なのか、それとも子供はこういう場所に興味がないのか。
 どちらにせよいなくてよかったかもしれない。だってこんな繊細なものを壊されでもしたら製作者じゃなくても泣くぞ。

 そんな感じで会場の中も見渡していた私とは違い、旦那様は熱心に模型だけを眺めている。だから私を呼ぶ時も軽く周囲を見渡しただけで、模型からは離れず手招きだけしてくる。

「ちょお、おまさん、おまさん。これ見てみい。またえらいもんがあるぜよ」
「え? なになに? どれ?」

 流石に外で「主」と呼ばれたら困るので「主と呼ぶのだけは控えてくれ」と伝えていた。じゃないと「あいつらどんな関係?!」ってヒソヒソされる可能性があるから。それに陸奥守に一目惚れした誰かに後ろから刺されたくもない。だから頷いてくれた陸奥守には感謝した。
 だけど名前を呼ぶつもりがあるのかないのか。よく分からないままいつも通り「おまさん」と呼ばれたため、こっちもつい振り返ってしまう。

 まあそれでもこっちをチラチラと見る人は何人かいたけどね。おそらく陸奥守の美丈夫っぷりに驚いたのだろう。しかも着ている着物だって一級品飛び越えたお宝レベルだ。ぶっちゃけ何の素材で織られているのか聞きたくない。だって鳳凰様の元で作られたんだぞ? 絶対お値段がつけられない何かで出来ているに決まっている。

 あとはまあ、当たり前だけど旦那様の顔がいい。勿論顔だけじゃない。体躯も最高だ。ちらりと見える首筋の太さ、健康的に焼けた肌の色。どれをとっても目を惹く。

 なのに癖が強い髪の毛がいい感じに外に跳ねてやんちゃな感じがするのがね。もうね。たまらなく愛おしい。可愛い。こんなに格好いいのに可愛いって何? 可愛いと格好いいって同時に成立するものじゃないはずなのに、絶妙なバランスで混在しているとかずるくない? もはや神の造形美、ってこの人神様だったわ。納得。

 なんてアホなことを考えながらじっと模型を見つめる旦那様の顔を見つめていると、流石に耐え切れなくなったのだろう。むずむずと頬を動かした後じっとりとした目でこちらを見下ろしてくる。

「わしを見てどうするがよ。模型はこっちやぞ」
「んふふ。むっちゃんは格好いいのに可愛いな、と思って」
「……わしのどこを見てかわえいっち思ったがよ」

 照れているのか、ちょっと不服そうな顔もまた可愛い。だから「今のむっちゃん可愛いよ?」と伝えたら、何故か憮然とした表情になった。

「……これで無自覚なんやき、堪らんちゃ」
「え? なんて? もう一回言って?」
「おーの。帰ったら覚えちょけ、っち言うただけじゃ」
「んえっ」

 静かな会場でも聞き取れないぐらいの小声で何かを呟いた旦那様に「何て言ったの?」と聞き返したが、何故か人差し指で軽く額を押されてしまった。
 その後も粘ってみたが終ぞ教えてくれることはなく、渋々鑑賞タイムへと戻る。

 でも決して退屈な時間ではなかった。むしろ「こんなに種類があったんだ」と感嘆するほどに様々な模型が展示されており、艦船だけでなく航空母艦や航空機の模型、それらにまつわる資料なども読み込み、最後にパンフレットを貰ってから会場を後にした。

「は〜! め〜〜〜っちゃすごかったね!」
「まっことまっこと! 広告貰った時から期待しちょったけんど、それ以上じゃあ! まっことえらいもんぜよ!」

 施設内は静かにしなきゃいけなかったけど、一歩でも外に出たら自由だ。それもあって「やべえ」「すげえ」と語彙力ゼロか。と突っ込まれそうなほどに酷い感想を口にしていたのだが、陸奥守も相当興奮しているらしい。笑顔でうんうんと頷いては「分かる!」と目や表情で語り、あれが好きだった、これが凄かった。と同じように語りだす。
 そんな旦那様を笑顔で見上げ、こちらも「うんうん!」と頷いていたのだが。ここで突然、聞き覚えのない声が話しかけてきた。

「ちょっと、あなた、冬千さん?」
「ん?」

 一瞬自分の本名なのに自分のことだと分からずスルーしかけたけど、ギリで気付いて顔を向ける。そこには中学時代の同級生であり、ゆきちゃんと仲が悪い例の彼女が立っていた。

「あ。蒲池(かまち)さん。どうも」
「苗字で呼ばないで!」

 ぐわっと吠えられ、そういえば昔からこんなこと言ってたな。と思い出す。なんでも自分の苗字が可愛くないから嫌いなんだとか。それで苗字で呼んだ人を『ブラックリスト』入りしているとかなんとか聞いた覚えがある。まあ、流石に学生時代の話だから今はしてないだろうけどさ。
 っていうかイヤなら結婚して相手の苗字名乗ればいいのにね。同窓会の様子を見るに未婚なのだろう。当時はあれだけモテていたうえに彼氏も複数人いたのに。妙なこともあるものだ。もしかして結婚はせずに恋愛だけしたい派なのだろうか?
 などと思考をあらぬ方向へと飛ばしかけていると、旦那様が小声で語り掛けて来る。

「おまさんの知り合いかえ?」
「あー……。うん。中学時代の同級生。この間の同窓会にもいたよ」
「ほーん」

 同窓会。と口にした瞬間、陸奥守の目が少しだけ細められた。あの時私の過去を話したから、彼女は陸奥守にとって「叱りたい相手」の一人なのかもしれない。だけど折角のデートだから嫌な気持ちにはなりたくない。だから早々と去ろうと思い「それじゃあ」と言いかけたのだが、何故かがっしりと手首を掴まれ行く手を阻まれてしまう。

「え? ちょ、なに?」
「冬千さん。あなた、その方とはどういう関係なの?」
「は?」

 大して仲が良くなかったどころかイジメていた相手に「その男誰なのよ」と聞くのはどういう気持ちがあってのことなのか。
 もしかして、予想していたことが現実になった? むっちゃんのこと狙ってるとか? あるいは「あんたには釣り合わないのよ」って言葉を隠した牽制?
 どちらにせよイヤだなぁ。とは思うけど、言われっぱなしだった学生の時とは違う。それに昨日結婚式挙げたばかりの仲だ。だから堂々と「夫ですが何か?」と言おうとしたのだが。それよりも早く陸奥守が私の肩を抱き寄せた。

「妻になんぞ御用でしょうか」
「へ」
「は……? つ、つま?」

 あまりにも衝撃的な一言だったのろう。足元をふらつかせ、一歩、二歩、と後退る彼女に「相変わらず失礼な人だな」と白けた目を向ける。だけどそんな私が気に喰わなかったのか、彼女は青くさせていた顔を歪め、後退った以上に近付いて来る。

「ちょっと冬千さん! あなた騙されてるんじゃない?」
「は?」

 騙されてる? 私が? 誰に?
 顔に出ていたのだろう。彼女は挑発するような、勝ち誇ったような笑みを浮かべて勝手なことを口走り始める。

「だぁって、あなたみたいな人にこんな人が本気になるわけないじゃない。結婚詐欺よ、結婚詐欺。お金目当てに決まってるじゃない。泣きを見てからじゃ遅いのよ? 今のうちに現実見ないと」
「えぇ……」

 何言ってんだこの人。

 何をどう考えてその発言に至ったのかは分からないけど、人の旦那様を侮辱しないで欲しい。あと万が一どころか兆が一ありえないけど、陸奥守が本当に私相手に結婚詐欺を働いていたとしたら竜神様も鳳凰様も絶対に許さないと思う。自惚れに聞こえるかもしれないけど、少なくとも竜神様は私の味方だから。
 それを抜きにしても他の刀たちがボコボコにするだろう。特に宗三と長谷部あたりが。あとは歌仙かな。「首を差し出せ」と言っている姿が容易に想像出来る。だから絶対結婚詐欺じゃない。

 っていうか、そもそも何が言いたいのかがサッパリ分からない。
 単にこちらを傷つけたいだけかもしれないけど、もう中学生の頃とは違う。あなたの言葉に傷ついたりしませんよー。と分かってもらうために盛大に言い返してやろうと息を吸い込んだのだが、私以上に怒った方が隣にいらっしゃった。

「……さっきからごちゃごちゃと、やかましい女じゃな」
「え?」

 頭上から聞こえて来た怒気を孕んだ声と同時に、ピリッ、と肌が焼けつくような感覚が襲い掛かって来る。
 だけど咄嗟に見上げようとした私の目を陸奥守は大きな手で覆って隠すと、驚きのあまり動けない彼女に心底「不愉快だ」と思っていることが分かる声で吐き捨てるように言葉を投げつけた。

「大事なカミさんだけやのうて、わしのことまでわやにしよって。癖の悪い女じゃな。地べた這いつくばられてもおんしゃあとだけは一緒になりたくないぜよ」
「な、なんですって?!」

 見た目に自信がある分、陸奥守にここまで言われたのがショックなのだろう。ヒステリック気味に言い返しているが、陸奥守は相変わらず不機嫌オーラを隠しもせず睨んだらしい。彼女が「ヒッ」と小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。

「今日は結婚してから初めてのでぇとやき、イヤな思い出は残したくないんじゃ。やき、特別に見逃しちゃる。けんど、わしは仏やないき次はない。嘘でも冗談でもないぞ。女やろうと容赦はせん。骨の髄まで刻んで、よう覚えちょけ」
「う、」

 ふらついたのだろう。彼女の履いていたヒールがコンクリートを叩く音がする。そうして捨て台詞もないまま、彼女は忙しなく走り去った。……あくまでヒールの音でそう思っただけなんだけどね。カツ、カツ、カカカカッって感じだったから。多分そうだと思う。
 それから数秒後、彼女の姿が見えなくなったのだろう。陸奥守の手がようやく目元から離れた。だけど彼が何か言う前にこちらから謝罪の言葉を口にする。

「ごめんね、むっちゃん」
「は? なんでおまさんが謝るがよ」
「やー……。私のせいで悪く言われちゃったし、イヤな気持ちにもさせちゃったかな、と思って」

 私は慣れているけど、陸奥守はそうじゃない。だから謝罪したのだが、何故かすぐ傍の路地に連れ込まれ、そこで痛いほどの力で抱きしめられた。

「ぬ゛え゛っ。ぐ、ぐるじいっ」
「すまん。けんど、おまさんは悪うないぜよ」

 キツク抱きしめていた腕の力が緩むと同時に、両頬を包まれコツン。と額が重なり合う。両頬と額から感じられるぬくもりに、正直さっきのことがすぐにどうでもよくなった。
 だって陸奥守の言う通り、今日は結婚して初めてのデートだ。イヤな気持ちになりたくない。あと「そういうこともあった」と記憶にも残したくない。
 だからどこか不満そうというか、まだ納得がいってなさそうな陸奥守の手を上から握り、笑みを浮かべた。

「だぁーい丈夫! 私は気にしてないから! むしろ次は自分で言い返すからね」
「ほーか? おまさんは優しいきのぉ。心配じゃ」
「そんなことないよ。昔ならともかく、今はちゃんと自分を大事にするって決めてるから。ガッツリ言い返してやりますよ、って」

 胸を張って言いきれば、陸奥守はふと微笑んだ後私の額に唇を押し当てた。

「に゛ゃっ?!」
「おまさんはまっことえい女じゃ。惚れ直したぜよ」
「え、えぇ……。ありがとう……?」

 キスされた額を抑えつつ、よく分からないままお礼を言う。
 そんな私に陸奥守は蕩けるような笑みを向けてきたかと思うと、今度は唇にキスをされて心中だけで悲鳴を上げた。

「む、むっちゃ、んむっ」
「はあ……。ほんにたまらんちゃ」
「ちょっ、ちょ、まっ、んっ!」

 頑張って止めようと厚い胸板を何度も叩くが、何度も吸い付かれ、啄まれ、力が抜けそうになる。
 それにこのまま熱のこもったキスを繰り返されたら変な気持ちになりそうだったので、一瞬離れた隙にその唇を両手で塞いでやった。

「もうダメ! 次行くよ!」
「むぅ。あともうちょっとやったがに……」
「なに。文句ある?」
「いんや。なーんも?」

 なんか小さい声で呟いてたけど、深堀するとやばそうだったから無視して歩き出す。

 その後は普通に電器屋に行ってカメラを見たり、パソコンやタブレットの最新版を試しに操作してみたり、キッチン用家電を見比べてはアレコレと話し合った。
 何だかんだ言って電器屋さんって楽しいんだよね。

 陸奥守はマッサージチェアにも座りたい様子だったけど、着物に皺がつくことを恐れてやめていた。だから「凝ってるならマッサージしてあげるよ」と言ったのだが、何故か「別の意味で元気になりそうやき、そのうちの」と流されてしまった。
 だけどその意味がよく分からなくて、肩を竦める旦那様に「元気になるならいいじゃん」と言い返せば、何故か返って来たのは生ぬるい笑みだけだった。本当に意味が分からないよ。

「まあ……夜には分かることやき、えいか」
「は? 何で夜? 今でいいじゃん」
「おん? おまさん大胆じゃの」
「は? なにが」

 何だか軽くアンジャッシュ状態になっている気がするが、マッサージをするなら別に昼間でもいいじゃんね。
 そう思ったんだけど、陸奥守から「本当に夜まで待たんでえいがか?」と顔を寄せて尋ねられ、何だか安易に頷いたら不味い気がして固まる。

 だってさっきからやたらと「夜」を主張するというか、拘ってるのが気に掛かるのだ。だけどマッサージに時間って関係なくない? なのに何でそんなに時間帯が気になるというか、夜限定として考えているのかが謎なんだけど。と首を傾けかけたところで、まるで雷に打たれたかのように電流が走った。

 はあ!! も、もしかしてなんだけど、この前ゆきちゃんと『お勉強』した内容のこと言ってる?!

 実際一度布団に押し倒されて「分からせ」られた経験がある身だ。ギリでピンと来て思わず距離を開ければ、陸奥守も私が気付いたことに気付いたらしい。目を丸くしたあとクツクツと笑い始める。

「わ、笑うな!」
「ぶっ、くく……。らぁて、そがあにわかりやすう警戒して、かぁ〜わえいの」
「う、うるさい! 昼間っからそんなこと言われるなんて思わなかったから気が付かなかっただけだし! け、警戒なんてしてないし!」
「ほにほに。わしが悪かったき、でぇとの続きするぜよ」
「うぎーーーっ!!」

 結局何故か上機嫌になった陸奥守に手を握られ、周囲にチラチラと見られながらも電器屋を後にしたのだった。





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