世界に一つだけの -2-
さて。皆から生暖かいを通り越した生ぬるい眼差しを向けられた日の夜。いつものように竜神様に毎日の報告兼祈りを捧げていた時だった。
「ほあ」
「………………」
気付けば竜神様の御座に御呼ばれしており、またもや素っ頓狂な声を上げてしまう。だけど竜神様は鳳凰様と違い笑うことはなく、小さく指先を曲げて手招きして来るだけだった。
「えっと、お邪魔します」
返事の代わりに頷いた竜神様は、近付いた私を膝に乗せると着けたままだったネックレスにそっと指先を当てた。
「あ、はい。これが先程ご報告した首飾りです。鳳凰様が特別に拵えてくださったんです」
鉱石を選んだ翌日も「鳳凰様のところで陸奥守の瞳と同じ色の鉱石を選ばせて頂きました」と報告をしていた。だからネックレスとブレスレットの両方を竜神様に見せれば、口を噤んだまま一度頷かれる。
「それで、竜神様にご報告ついでにご相談があったのですが……」
「?」
キラキラと光るネックレスとブレスレットを眺めていた竜神様が、幼子のようにコテンと首を横に倒す。精巧に造られた彫像のような美貌をお持ちなのに、仕草がお可愛らしいから脳がバグりそうだ。
それでもどうしてもご相談したいことがあった。
「その、いつも鳳凰様には助けて頂いてばかりいるのに、今回このような貴重な物までくださいました。だからなにかお返しがしたいのですが……何を用意すればいいのか分からなくて……」
だってあの優美で典雅な鳳凰様だぞ?! 着物も装飾品も最上級品を日頃から使っているだろうし、食べ物だって普通のものを食されているとは思わない。
信仰心や祈りはこちら側が捧げるものであってお礼ではないし、そんなこと言われなくてもする。だからお礼にはならない。
だけど火の神様だからお花を上げたところですぐ萎れるか最悪燃えてしまうだろう。そう考えたら何も思い浮ばなくて、鳳凰様と旧知の仲である竜神様に助けを求めたわけだ。
そんな私の相談事を聞くと、竜神様は考えるかのように顎に手を当て――そして人差し指を天に向け、軽く二回ほど宙を掻き回した。
「うわっ!?」
途端に体が浮き上がり、竜神様に抱えられたままどこかの道――滝の裏側だろうか。薄暗い山道に移動していた。
……神様たちの瞬間移動マジで心臓に悪い……。
そっと息を吐き出している間にも竜神様はこちらを片腕で抱えたまま歩き出す。
鳳凰様もそうだけど、竜神様も私のことをこうやって片手で抱えて歩くのは何なんだろうね? 私のことぬいぐるみだと思ってるわけじゃないだろうに。それとも滝の裏側の道は足元が濡れているから抱えているだけなのだろうか?
分からないけれど抵抗しても下ろしてくれる感じは微塵もしない。だから大人しく抱えられていると、いつの間にか大きな洞窟の入り口に来ていた。
「ここは……」
見た感じいつもの滝壺とは違う場所ではある。だけどどこか分からず呆然と、人型でも二メートル近くある竜神様より更に大きな洞窟の入り口を見上げていると、中からカンテラを持った一人の女性が歩いてきた。
「ようこそお越しくださいました。さ、中をご案内しますね」
「あ、はい。お願いします」
少し黄色が混ざったような、目に優しい白い着物を纏った黒髪の女性は柔らかな笑みを浮かべると洞窟の中へと入って行く。竜神様は若干狼狽えていた私を下ろすことなくそのまま進む。中に灯りはなくカンテラがなければ歩けそうにないかと思ったのだが、その後見えて来た景色に目を見開いた。
「うわあ……! すごい……。綺麗……」
洞窟を少し進んだ先に広がっていたのは、まるで小さな宇宙だった。
カンテラの光とは別に輝く青い光。竜神様に与えられた力があるからそう見えるのか、それともこの力がなくとも同じ景色に見えるのか。それは分からない。
それでも確かに輝く一つ一つの光の粒は美しく、ファンタジックな鉱山に迷い込んだかのようだった。
そんな、天の川のように青く輝く洞窟内に感動していると、案内してくれた女性が穏やかな口調で説明をしてくれる。
「この光の正体はね、全て壁に埋まっている水神様の鱗なのよ」
「え。鱗、ですか?」
「そう。水神様は百年に一度の間隔で鱗が自然に剥がれ落ちて、生え変わるの。その時に剥がれた鱗はこうしてこの洞窟内へと運び込まれ、水神様の神域をお守りする力となっているのよ」
「そうだったんですか……」
つまり、この洞窟内に満ちる神聖な力は竜神様のもので、尚且つこの光の粒は竜神様の領域をお守りする原動力みたいなものなのか。成程。とんでもねえ場所だ。
ただここが如何にすごい場所なのかは分かったんだけど、何故ここに来たのかは分からない。
だからどういうことなのかと竜神様を見下ろせば、竜神様は近場にあった光の粒――壁に埋まりかけていた一枚の鱗をあっさりと引き抜いた。そしてそれを私の手に乗せて来る。
「え? も、持っていればいいんですか?」
私に渡したとはいえ、私宛のプレゼントでは決してない。だって鳳凰様にお返しをしたい、という話をしていたらここに連れて来られたのだから。だから大人しく手の平大の鱗を一枚、指紋や汗がつかないよう気を付けて抱えていると、竜神様は続けざまに二枚目、三枚目、と次々と鱗を引き抜いていく。
そうして引き抜く鱗は近場のものから奥深くに埋まっているものへと変わっていき、最終的に大きさの違う鱗を二十枚ほど抜いた。
「まあまあ。一人では持ち切れないでしょう? 私も持ちましょうね」
「いえいえ! そんな! 大丈夫です! 一人で持てます!」
気を遣ってくれる女性が手を差し出してくれるけど、ただでさえ仕事の邪魔をしているのだ。これ以上ご迷惑はかけられないと首を横に振れば、その人はどこか可笑しそうにクスクスと笑った。
「いやだわ。そんな寂しいこと言わないで頂戴。折角可愛い孫が遊びに来てくれたんだもの。おばあちゃんらしいことは何一つ出来なかったんだから、このくらいはさせて頂戴な」
「……へ?」
見ている人を優しく癒してくれるような柔らかい笑みを浮かべている女性は、どう見ても妙齢の、笑顔がほんわかとした優しそうな女性だ。だけどその女性は固まる私に再度笑いかけてくる。
「由佳ちゃん。大きくなったわねぇ。おばあちゃん、会えて嬉しいわ」
「お、ばあ……ちゃん?」
生まれてこの方一度として言葉を交わしたことがない、写真だけでしか顔を見たことがない祖母。遺影と実際に目の前に立つ姿は全然違うけれど、確かに笑った顔は似ている気がする。
だけどどうしても信じ切れず、どこか呆然とした気持ちで鱗を抱えていると、自称祖母だと名乗る女性は優しい眼差しで私を見上げた。
「ずっと水神様と一緒にあなたの成長を見て来たのよ。ここで働きながらね。だけどおばあちゃんの姿だったらお手伝いがしづらいでしょう? だから元気だった頃の体にしてもらっているのよ」
「なる、ほど?」
いや。何が「成程なんじゃい」と聞かれたら正直答えられないんだけどさ。それでも一先ず頷けば自称祖母の女性は楽しそうに微笑み、私の手から鱗を数枚引き抜いた。
「さあさあ。あまり長居しては体が冷えてしまうわ。水神様も、お戻りになりましょう」
自称祖母に促されるまま、ずっと下ろされるこのなかった大勢のまま洞窟を出る。そうして竜神様が再度指を数回振ると、今度は広い和室ではなく、どこかの作業部屋らしき場所に立っていた。
「それじゃあこの鱗を加工していきましょうね」
「ひえっ?! あ、はいっ!」
未だに祖母と名乗る女性に対してうまく対処出来ないのだが、彼女は手慣れた様子で作業机の上に鱗を並べて行く。だけどそこに竜神様の姿はなく、ついキョロキョロと周囲を見渡せば彼女が説明してくれた。
「水神様はここにはおられないわ。だけど安心して頂戴。あのお方はいつでもあなたのことを見守っていらっしゃるから」
「は、はあ」
「それじゃあ、火の神様への贈り物を一緒に作りましょうね」
「え?! 作る?! ここで?!」
全く予期していなかった展開に目を白黒させていると、彼女はニコニコと微笑んだまま「そうよお」と答える。
「水神様はあなたの“ご恩を返したい”という思いに応えてあの洞窟へと案内してくださったの。そして、水神様ご自身も、かの御仁にはご恩を返したいと思っていたからこそご自身の手で鱗を選ばれたのよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。竜の鱗は非常に価値がある、特別なものなの。眷属であろうとおいそれと触れはしないし、盗めば厳罰を下される貴重な代物よ。それをこんなにも沢山、ご自身の手で選ばれたのだから、火の神様も水神様の御心を汲んで下さることでしょう」
「ほああ……」
もう規模が大きすぎて完全に意識が宇宙に飛んでいる。それでも彼女は気にせずすり鉢のような器や、ヘラのようなもの、刷毛、と道具を用意していく。
その間何をしていいか分からずぼうっとしていたのだが、動き回る姿にハッとして「何か手伝えることは?!」と尋ねれば、ものすごく柔らかい布を一枚、刷毛と一緒に手渡された。
「刷毛で汚れを取った後、その布で鱗を拭いてもらえるかしら。祈りと感謝を込めて、しっかりとね」
「は、はい」
笑った顔は写真の祖母とそっくりだけど、やっぱり皺がないと変な感じだ。
どことなく居心地の悪さを覚えながらも鱗を一枚手に取り、竜神様と鳳凰様に対する感謝。そしてお二人の友情がいつまでも続きますように。と願いながら鱗を丁寧に拭いていく。
虹色に輝く鱗の、僅かな隙間に入り込んだ砂や石を取り出し、土や埃を被っていたものは優しく払いながら一心不乱に拭き上げる。そうして一枚ずつ机上に並べた。
「それじゃあ形を整えるためにやすりをかけていきましょうね」
「やすり?!」
はい。と渡されたのは、鉄製だろうか。ずっしりとした重たい、物差しのような形のやすりと軍手だった。
「さ。軍手を嵌めたらおばあちゃんと工作を始めましょうね」
「これ工作の時間だったんですか?!」
あまりにもマイペースな自称祖母に振り回されつつあるが、彼女は気にせず軍手を嵌めた手で鱗を一枚手に取り、先を尖らせるように片側だけやすりをかけていく。
その手つきは想像以上に慣れており、スムーズかつ無駄がなかった。
「うふふ。おばあちゃんはねぇ、こう見えて物作りが好きなのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。そうよぉ。あなたのお母さんにもね、よくセーターを編んであげたり、夏休みの工作を手伝ってあげたのよ?」
「は、初耳なんですが……」
竜神様の鱗は頑丈だと思うのだが、剥がれたから強度が落ちたのか、それともこのやすりが凄いのか。意外と簡単に削れて行く。そうして先に祖母が削ったものをお手本に形を整えていると、祖母は穏やかな声で話を続けた。
「おじいちゃんは意外と手先が不器用でねぇ。お手伝いはしてくれたけど、お家の棚や畑の柵を作ったのはおばあちゃんなのよ」
「おばあちゃん器用すぎん?」
「うふふ。他にもね、バレッタとか、髪飾りを幾つか作ったりもしたのよ?」
「いや、器用すぎん???」
日向陽さんのようなマイペースさはあるものの、どこか嫌いになれない不思議な魅力がある。それに、いつまでも「祖母かどうか分からない」なんて考えを持つのも失礼というか面倒臭くなってきたので、そのまま「おばあちゃん」扱いしたのだが、本人は嬉しそうに微笑むだけだった。
「あなたのお母さんはねえ、最初はお料理も苦手だったのよ。今はちゃんと上手に出来ているかしら」
「えっと……。私は、好きだよ。お母さんが作ってくれるごはん」
「そお。由佳ちゃんは? お料理好き?」
「あー……。好きでもないし、得意でもないかなぁ〜……」
一応作れるけど、レシピがないととんでもねえものが出来そうで怖い。それでも作り慣れたおかずは幾つかあるから、全く出来ないわけでもない。
ただ光忠や歌仙に比べたらレパートリーは少ないし、堀川みたいに同時作業で色々は出来ないかなぁ。と苦笑いを浮かべると、おばあちゃんは「そうなのね」と頷いた。
「おじいちゃんは、私が死んでからもちゃんとご飯を作って食べていたのかしら。一応料理手帳は残しておいたのだけど」
おばあちゃんの「料理手帳」という言葉で思い出す。そういえば、じいちゃんの遺品整理をしていたら母が見つけたのだ。祖母の手書きのレシピ集を。
「えっと……。その料理手帳なんだけど、実は今、私が持ってる……」
「あら! そうだったの?」
「うん。おばあちゃんは心配してるみたいだけど、じいちゃんが作ってくれたご飯、全部美味しかったよ」
おばあちゃんが語るじいちゃんはすごい不器用な人みたいだけど、実際に私が接していた祖父はそこまで不器用じゃなかった。頑張った成果なのか、偶然そうだったのかはもう分からないけれど。だけど、じいちゃんが作ってくれるご飯は美味しかった。
「私さ、じいちゃんと母さんが作ってくれるお吸い物が好きでね? 特に鯛とか、白身魚を使ったやつが好きだったの。だから、私たちが遊びに行った日はじいちゃんが絶対にお吸い物用意してくれてて、それがすごく美味しくてじいちゃんに「料理上手だね」って言ったら、じいちゃんが「ばあちゃんに教えて貰ったとよ」って教えてくれたんだ」
そのお吸い物のレシピも、遺品として残っていたレシピ帳の中に入っていた。祖母の手書きの文字に加えられた、祖父の書きつけ。そこには「由佳の好物」という一言と一緒に、私が好きな魚の種類もメモされていた。
「だからね、それを見つけた時、母さんが“あんたが持ってなさい”って言ってくれたの。おかげですごく助かったよ。福岡で一人暮らししてた時も、本丸で生活を始めた時も。だから、ありがとう」
兄と違っておばあちゃんが作ったものを口にしたことはない。だけどじいちゃんと母を通して、私は“祖母の味”を疑似体験することは出来た。まあ、言わば『家族の味』という奴だ。
だけど祖母がレシピを残してくれなかったら、きっと私は『家族の味』ではなく『母の味』しか知らないままだっただろう。実際、母も祖母の料理手帳を見て作ったご飯を食べた時に「懐かしい〜」と言っていたから、自分で作る時は味付けを変えている様子だった。
だからお礼を言えば祖母は驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「まあまあ! うふふ。そうだったの。実はね、お吸い物はおじいちゃんの好きな献立の一つだったのよ」
「え?! そうだったの?!」
「そう。だからねえ、おじいちゃん、汁物だと白身魚のお吸い物が一番上手だったのよ。ふふふ。おじいちゃん、嬉しかったでしょうねぇ。可愛い孫娘が、自分と同じものを好きになってくれたんだもの。張り切って作る姿が目に浮かぶわ」
知らなかった……。私とじいちゃんの好物が一緒だったことも、それが一番得意な料理だったということも。だけどじいちゃんも何だかんだ言って九州男児だから、そういうの言わなかっただけなのかもしれない。
そう思うと何だかおかしかった。
「フフッ。やっぱり私たち“家族”だね」
「うふふ。そうねぇ」
「じゃあ、おばあちゃんは何が好きだったの?」
「おばあちゃんはねぇ……」
その後もお互いの好きなものの話をしたり、私の幼少期の頃の話をしながら作業を続けた。
二人がかりで行ったからか、鱗は案外すぐさま形を整えることができ、祖母はそれを机上に並べるとすり鉢状の器を一つ手に取った。
「それじゃあ今からこの鱗を接着するための、接着剤を作るわね」
「一から作るの?」
「そうよ。水神様の鱗は、人間が作った接着剤ではくっつけられないから。特別な材料を使うの」
説明しながら祖母は作業部屋の棚の中にある、幾つかの粉が入った瓶を持って来る。それらをスプーンで掬って鉢に入れ、ゆっくりと水を加えながら混ぜて行く。そうして出来たのは水あめのようなもので、軽く伸ばせばトルコアイスのようにビローンと伸びた。
「うっわ。すっげ」
「うふふ。楽しいでしょう? これをね、花びらの形に削った鱗の、こっち側。お尻側ね。ここにちょんちょんとつけて、重ねて行くの」
「ふむふむ」
特別な接着剤自体はかなり少量だから、必要な分しか作っていないのだろう。現に塗布する場所は少ししかなく、祖母と共に形を整えながら重ねて行く。
「そういえば、これ、何作ってるの?」
「あら。分かってて作っていたんじゃないの?」
「いや、なんとなくアレかなぁ。とは思ったんだけど、違ったら不味いと思って……」
花びらの形に削ったからあの花をモチーフに何か作っているんだろうな。とは思ってはいるんだけど、違ったら不味いと思って聞いてみたのだが。祖母は笑って思っていた通りの花の名を口にした。
「あ。よかった。合ってた」
「ふふ。この形にこの枚数ですものね。でも、特別な贈り物になること間違いなしよ」
「だよねぇ……」
だって竜神様の鱗で作るのだ。世界に一つしかない特別な“花”が出来上がる。
相変わらず神様って色んな意味で規格外だよなぁ。と考えたけど、きっとご自身のお礼も兼ねているんだろうな。だから“竜の鱗”という特別な素材を私に提供してくれた。だって鱗をそのままあげるだけじゃ私の“お礼”にはならないから。どこかしらで私の手を加えさせることによって“共同作品”として渡そうと考えられたのだろう。
だから竜神様の分も気持ちを込めて形を整え、接着していくと、虹色に輝く大きな花の土台部分が出来上がった。
「さ。土台はこれで完成ね。でもくっつくまで時間がかかるから、少しずつ完成させていきましょうか」
「あ、だから接着剤の量少なかったんだ」
「そうよぉ。それに、ここにずっといると由佳ちゃんの寝る時間が少なくなっちゃうから。今日はもう戻って寝なさい」
「はーい」
祖母と二人で行った初日の作業はこれで終了し、本丸へと戻ることになった。ただ後片付けをしようとしたら「いいから寝なさい」と背中を押されて出来なかったのだが、抵抗する間もなく竜神様が迎えに来てそのまま間髪入れずに戻されたのだからしょうがないと思う。
その後も一度呼ばれて作業を進めたけど、もうすぐ結婚式だから早寝をしなさい。と言われ、暫くの間作業は中止されていた。
だから式も終わり、ある程度私の心身が落ち着いたところで再び作業が開始された。
「完成までもうすぐよ。頑張りましょう、由佳ちゃん」
「ん! 鳳凰様、喜んでくれるといいなぁ」
結局式でもお酒を賜ってしまい、お返しが追い付かない状況になっているが致し方ない。面倒見が良い鳳凰様は贈り物をするのも好きなのだろう。そんな鳳凰様のお眼鏡にかなうかは分からないが、鳳凰様のことだ。きっと真心を込めて作ったと知れば無下にはしないはず。
だから祖母と二人で作業を続ければ、ようやく大きな花が完成した。
「それじゃあ最後の仕上げは水神様にお任せするとして、私たちは器でも選びましょうか」
「器?」
「ええ。だってこの花はねぇ……」
「あ、そうか。だから……」
祖母と相談している間にも瞬間移動してきたらしい。竜神様が私たちが作り上げたものをマジマジと観察するように眺め、強度か何かを確かめるかのように指で触れた後何かの文字を刻み始めた。
相変わらず何を書いているのかサッパリだが、出来上がった虹色の大きな花がキラキラと輝き始めたから特別な術でも施しているんだろうな。と思った。
そうして祖母と二人で選んだ器と完成した花を特別に拵えてくれたという箱に入れ、その日はお開きとなった。
「楽しかったわ。由佳ちゃん。おばあちゃんがお手伝い出来るのはここまでだけど、いつも水神様と一緒に見守っているからね。これからも体に気をつけて、旦那様と仲良くね」
「うん。ありがとう、おばあちゃん」
ここで作業をしている間、祖母とは随分と沢山話をした。それこそ、私が式で着た白無垢を祖母も袖を通したことがあると聞いた時は驚きもしたし、嬉しくもなった。
だってずっと写真でしか見たことがない、殆ど繋がりがないと思っていた祖母との接点が見つかったのだから、嬉しくないはずがない。
だから祖母としっかりと挨拶を交わした。そして出来上がった花と選んだ器は鳳凰様の元に届けるまで私が手元に置くことにした。だって竜神様に管理を任せるとかダメでしょ。少なくとも言い出しっぺは自分なんだからさ。今まで預かって貰ったんだから、完成品はちゃんと自分の手で管理しないと。
「鳳凰様、喜んでくれるかなー……」
目覚ましが鳴る数分前。起き上がった私の枕元にはサイズの違う大きな箱が二つ、キチンと並べられていた。ここまで運んでくれたのは竜神様だ。だから鳳凰様の元に運ぶまでは私がしっかりと保管しておかないと! と意気込んでいた時だった。
隣で眠っていた旦那様こと陸奥守が「ん〜?」と唸りながら起き上がる。
「なんじゃ……。えらい、えい気が流れてきちゅうけんど……なんぞあったがか?」
「あ、起こしてごめんね。実は鳳凰様に贈り物をしようと思って、竜神様と一緒にいたんだ」
「ほあ? 上様にかえ?」
寝起き特有の間延びした声で問いかけて来た陸奥守に事情を軽く説明すれば、寝ぼけ眼で瞬きを繰り返していた旦那様が上体を起こす。そうして枕元に置かれていた大きな箱に気付いてギョッとしたように目を丸くすると、すぐさま後頭部を掻いた。
「たかぁ。こりゃたまげたぜよ。竜神様の気がこぢゃんと感じられるにゃあ。けんど、中身が見えんね。何が入っちゅうがか?」
「えっとね、竜神様の剥がれた鱗で作ったお花」
鳳凰様の贈り物だから陸奥守にどこまで説明すべきか悩んだので、ざっくりとした概要だけを伝えてみたのだが。
陸奥守はマジマジと箱を眺めていた顔を突然険しいものに変え、ぐるりとこちらに向き直った。
「鱗? 竜神様の?」
「うん。鱗。あ、でもね、無理矢理剥いだわけじゃないよ? ちゃんと自然に抜け落ちたものを使ったから、罰は当たらないはず!」
「そこじゃないぜよ……。そもそも竜の鱗なんぞ簡単に剥げるもんじゃないきに。けんど……しょうビックリしたちゃあ……。こりゃ上様もたまげるやろうにゃあ」
眷属になった陸奥守でも感じられるほど強い気が流れているということは、だ。きっと鳳凰様の火の気にも耐えられるはず。
……だから竜神様は自分の鱗を使おうと思ったのかな。鳳凰様が、大抵のものを燃やしてしまうことを気にしているから。
「ほいで? 上様にはいつ渡すがよ」
「んー、詳しい日取りは決めてないんだよねぇ……。だって私、いつも呼ばれるばかりで、どう謁見の申し込みをしたらいいのか分かんないんだよね」
「ああ……。ほうやにゃあ……」
陸奥守が考え始めた間にも目覚ましが鳴ったのでアラームを止めれば、陸奥守はグッと伸びをしながら頼りになる言葉をくれた。
「ほいたらわしから上様に連絡しちゃるき、ちっくとばあ待っとうせ」
「ほんと?! ありがとう!」
どこまでも頼りになる旦那様に抱き着けば、こちらの体をしっかりと抱き留めながら「まーかせちょけ!」といつも通り力強い返事が寄こされる。だから感謝と愛情を込めて「マジでめっちゃ大好き。むっちゃん愛してる」と告げたら危うく布団に引きずりこまれそうになったので、流石に朝からは! と思い必死に抵抗した。
◇ ◇ ◇
そんな旦那様との一悶着(?)はあったものの、無事鳳凰様にはお話が行ったらしい。陸奥守から「三日後に迎えが来るき、用意しちょき」と言われた。とはいえこの時はまだ、いつもみたいに夜寝ている時に意識だけ呼ばれるのかなー。なんて考えていた。が、実際は予想の遥上をいっていた。
「………………嘘やん」
「おん? 何がじゃ。わし言うたろう。迎えが来るき用意しちょき、っち」
三日後の夜。夕餉も湯浴みも済ませた二十一時前。突然空に亀裂が入り、そこから燃える車輪を付けた荷馬車が下りてきたのだ。これには陸奥守以外の刀たち全員、驚愕のあまりあんぐりと口を開けたり呆けたりし、馭者が下りてくるまでどこか夢うつつな気持ちで立ち尽くしていた。
「ごきげんよう、皆々様。御館様よりお迎えにあがるよう言付かり、参りました。さて、お荷物はどちらに?」
「あ! こ、こちらになります!」
「おや。これはこれは。お噂はかねがね。水神様のご息女様でございますね。お会いできて光栄でございます」
寵児からご息女にレベルアップしとる!!!! まだハッキリと“後継者”扱いされたわけでもないのに怖い!
なんて内心で叫び、震えながらも丁寧に頭をさげてくれた馭者さんにこちらも「はじめまして! よろしくお願いします!」と頭を下げる。が、即座に拒否された。
「お嬢様。我々に頭を下げる必要はございません。さあ、こちらへどうぞ。陸奥守様も、ご一緒されるとお伺いしておりますが」
「え? そうなの?」
「おん。けんど、夫としてやのうて、おまさんの護衛としての。ほいたら荷物はこっちで積むき、おまさんは先に座っちょき」
「え、ええ?!」
陸奥守に背を押され、そのまま座席へと座らされる。そしてあっという間に荷物を積んだ二人はそれぞれ席に着き、早速馬を走らせた。
そしてこの馬も火の眷属らしく、普通の馬とは毛並みが違う。そして何よりも違うのが、その体に纏う炎の存在だった。
「……こんなお馬さん私知らない……」
「おう。この馬たちは上様の眷属になって体質が変化した特別な馬やきの。普通の馬と一緒にしたらいかんちゃ」
「ふえん……。神様すごすぎ……」
炎を纏っているだけでも規格外なのに、空まで駆けるのだからどうしていいか分からない。
それでもこんなファンタジックな生き物を当たり前のように受け入れなければやっていけないのも事実。泣きそうな気持になりながらも隣に腰かけていた陸奥守の腕にしがみついていれば、“呪われた本丸”で通ったような特別な術をかけられた道を馬が駆け抜け、いつの間にか大きなお屋敷の前に辿り着いていた。
「お荷物は私共が運びますので、お嬢様はそのままお上がりください」
「あふぇ。あ、ありがとうございます」
「いえいえ。御館様の元までは別の者がご案内いたしますので。どうぞごゆっくり」
馭者さんに丁寧に説明され、フラフラになりながらも陸奥守に手を引かれるまま馬車を降りる。その時若干足がふらついたけど、衝撃の連続だったのだから許して欲しい。
というか、見上げても全貌が把握できない規模の御屋敷にも冷や汗が止まらないんだが、もしかして……いつも私が呼ばれてたのってこの一画だったりする? もしくは別の場所なの?
もう訳が分からないまま陸奥守に手を引かれ、女中さんのような方の案内に続いて磨かれた床の上を歩いていると、大きな広間へと辿り着いた。
「こちらでお待ちくださいませ」
「は、はい」
陸奥守は護衛として来ているからか、私の隣ではなく後ろで控えることとなるらしい。そして有能な方たちが多いのか、荷物は先に運ばれていた。
そんなわけで贈り物を傍らに緊張して待っていると、さほど時間が経たないうちに鳳凰様がお見えになった。
「よう来たの、愛し子よ」
「あ、本日はお忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございます!」
「よいよい。我とそなたの仲であろう。面を上げよ」
「はい!」
叩頭したものの、鳳凰様からすぐに「顔を上げろ」と言われたのでそれに従う。そうしていつものように上座に座した鳳凰様は鷹揚に笑みを浮かべると、「それで?」と促してきた。
「我に用があるそうじゃな」
「はい。実は、お渡ししたいものがございまして」
「ほう。そなたが我に贈り物とな。楽しみではないか」
クツクツと笑う鳳凰様に緊張が否が応でも高まって行くが、怖気づいている場合ではない。覚悟を決めて傍らに置いていた箱を二つ進呈すれば、鳳凰様は陸奥守を呼んだ。
「吉行。愛し子の代わりに開けよ」
「はっ」
黙して控えていた陸奥守が、そっと箱の結び目に手をかけ解いていく。そうして箱を開けて中身を確認し――固まった。
「どうした。何を固まっておる」
「いえ……。その……。えらい繊細なものが入っているもので……どう触ったものかと……」
「ほう。繊細なものか。面白い。どのようなものか、直接見てみるか」
固まりながらもどうにか説明をした陸奥守と、その内容に引かれた鳳凰様が「こちらへ持ってこい」と手招きする。だから陸奥守が箱ごと持ち上げ目の前まで持って行くと、鳳凰様は箱を覗き込み――目を丸くした。
「これは……」
「えっと……竜神様の鱗で作った“蓮の花”です」
そう。虹色に輝く鱗を削り、形を整え特殊な接着剤でくっつけて作った巨大な花。それは“蓮の花”だった。
「実は、鳳凰様に色々と頂いて、恩返しがしたくて。でも、何を贈れば喜んで頂けるか分からなかったので、竜神様に相談したんです」
あの洞窟については伏せておいた方がいいかもしれない。と思って詳細は省いたが、それでも「竜神様自らがお選びになった鱗を、私と眷属の方で加工しました」と続ければ、鳳凰様は数回瞬いた後私へと向き直った。
「加工した? そなたが、か?」
「はい。勿論一人じゃないです! 他の……私の、亡くなってから竜神様の眷属となった祖母と共に、二人で作りました。そして、最後に竜神様が仕上げを手伝ってくださいました」
「友が、これを。我に」
よっぽど驚いているのだろう。いつも快活な鳳凰様が呆然とした様子で蓮の花を見つめている。だけどその手が花に伸びることはない。
きっと壊れるか燃えるとでも思っているのだろう。だけど、それを否定したかった。
「あのっ、もし見当違いなことを口にしていたら申し訳ないのですが、竜神様の鱗で作った蓮の花は、鳳凰様の炎でも簡単に燃えたりしません」
「ッ、」
私の言葉に鳳凰様の指先が軽く跳ねる。表情は変わらなかったけど、それだけで十分だ。
やっぱり、鳳凰様は自らの力の強さを気にしておられる。
「祖母が教えてくれたんです。最後に竜神様が仕上げを手伝ったのは、その鱗に水の気を与えるためだ、と。そうすれば鳳凰様の火にも耐えられるから、簡単に燃えたりしない、と」
私は断りを入れてから立ち上がり、鳳凰様の御前に運ばれていた箱の中にそっと手を入れる。そうして重くはないものの、両腕で抱えないと持てないほどに巨大な蓮の花を取り出し、そっと畳の上に置いた。
そして陸奥守にお願いし、もう一つの器が入っていた箱も運んでもらう。
「こちらは蓮の花を浮かせるための器です。これに水を入れて蓮の花を浮かべて『浮き花』としてご鑑賞されても良いですし、この花の中心には何もありませんので、蝋燭などを立てて行灯としてもご使用できます」
そう。祖母は『一粒で二度おいしい』を体現できる贈り物にしてくれたのだ。そしてそれを叶えられたのは、火の気に強い水の気を持つ竜神様の鱗あってこそ。
皆まで説明せずとも鳳凰様も分かったのだろう。呆然とした様子のまま瞬きを繰り返していたが、すぐさま堪えきれないように吹き出し、大声で笑い始める。
「ハハハハ! よもやこの我に! 友とそなたが手ずから作ったものを贈って来るとは!」
「お、お気に召しませんでしたでしょうか……?」
祖母は『竜の鱗には価値がある』と言っていたけれど、鳳凰様にとってはそう珍しいものではないのかもしれない。そう考えて「失敗したかぁ」と肩を落としかけたのだが。
「――いや。気に入った」
「へ? 本当……ですか?」
「斯様な嘘をついてどうする。まったく……。いや、しかし……。そうだな。よもや友が自らの鱗を贈ってくるとはな……。思いもよらなんだ」
「鳳凰様……?」
鳳凰様は肘掛に上体を預け、暫く無言で蓮の花を眺めた後ゆっくりと瞼を下ろし、吐息を零した。
「吉行」
「はっ」
「暫し部屋の外で待機しておれ。愛し子に特別な話がある故な。なに、危害は加えぬから安心せよ」
「……仰せのままに」
陸奥守はチラリと私を見たけれど、こちらが頷けばすぐに頭を下げて部屋を出て行った。
そしていつものように広い部屋の中で二人きりになると、鳳凰様は閉じていた瞼をゆっくりと押し上げた。
「……先日話したと思うが、我は友より遅く産まれた。それを覚えておるか?」
「はい」
「友は出会った時には既に小さき王であった。……しかし我はな、元々神として産まれ出でた存在ではなかったのだ」
「え?!」
まさかの事実に驚愕が隠し切れない。思わず両手で口を塞ぎ、咄嗟に閉じられた襖の向こうへと視線をやったが「大丈夫じゃ」と笑われる。
「我らの声が漏れることはない。安心して聞くがよい」
「は、はい」
確かにこの広間はうちの本丸の大広間よりずっと広い。それこそ普段皆が集まる広間が四つ分繋げたような規模の広さだ。そんな場所で話した、然程大きくもない声が数百メートル離れた襖の向こうまで届くとは思えない。
だから頷いて跳ねた鼓動を落ち着けると、鳳凰様は続きを話し出した。
「我は元々別の神の元に産まれた火の精の一種でな。本来ならば自我も然程持たず、扱われるがままに生き、死ぬ存在であった」
今でこそこれだけ多くの権能を持っている高位の神、戦神でもあらせられるが、その生まれが小さな存在だったとは考えもしなかった。だけど鳳凰様は、名前もまともに持たない精霊だった頃に竜神様にお会いしたことがあるらしい。
「初めて見た時に思うたものよ。“これほどまでに美しき存在が、この世に存在していたのか”とな。しかし我を産んだ火神は大層な荒くれものでな。元々火神というのは争いを好む者が多い。我もその一人ではあるが、我より気性の激しい持ち主も相当数いる」
八百万の神がいると言われる日本だ。戦神と呼ばれる神もたくさんいれば、気性が荒い神もいることだろう。だけど鳳凰様は繰り返される縄張り争いに徐々に疲弊していったのだという。
「最初は我も戦うことに喜びを感じていたのだがな。次第に疑問を抱くようになったのじゃ。木々や花々、大地や水といった穢れ無きものを燃やしてまで得るものとは何なのか、とな。だがこのような疑問を抱く精霊は我しかおらず、結果的に自我を持つことになってしまった」
基本的に精霊は強い自我を持たないらしい。勿論個々によって違うから必ずしもそうだとは言い切れないみたいだけど、それでも鳳凰様は当時の精霊では珍しく変わった自我を持ち、そのうち“一個体”として存在するようになったのだとか。
「自我を持ち、力をつけた精霊は姿が変わる。一個体として存在を認められるからの。そうして生まれ、自らが仕えていた火神の元から離れた後。様々な神に獲物のように狙われ、命からがら逃げていた矢先に出会ったのが友であった」
鳳凰様は竜神様を「小さな王だった」と称した。実際、竜神様は今の九州の一部地域を支配する水の神様として既に力を着けていたらしい。
「ようやく個として存在するようになった雛鳥のような我と、既に小さき王として一帯を統べていた友とでは何もかもが釣り合わぬ。しかし友は我を助けた。我を追いかけて来た捕食者共を蹴散らし、怪我をしていた我を匿ったのじゃ」
鳳凰様は朦朧とする意識の中、鳳凰様の気を強く感じていたらしい。自分の命を簡単に掻き消すことが出来る、相性の悪い水の気。だけど万物を癒すかのような優しいその力に、鳳凰様は生まれて初めて“安らぎ”を見出したのだという。
「我はな、愛し子よ。友より美しき存在を、この世で見たことがない。どれほど美しく織られた着物も、精緻な意匠を施した簪も、高められた技量で奏でられる音楽も。素晴らしいとは思えど、友を凌駕する存在とは思えぬ。それほどまでに、我にとって友は特別な存在なのじゃ」
「そう、だったんですか……」
初めて語られた鳳凰様の出自と、二人の出会い。きっとこれは鳳凰様にとっては“弱み”になるかもしれない情報だ。だって聞かれてもいい話であれば陸奥守を在席させたはずだ。だけど実際には違う。
ではなぜこんなことを語り聞かせてくれたのか。真意を確かめるためにもじっと鳳凰様の御尊顔を見つめていると、鳳凰様はフッと吐息を零してから微笑まれる。
「……竜の鱗は、神であってもそう簡単に手に入れられぬ、貴重なものなのじゃ」
「鳳凰様でも、ですか?」
「然り。実際、我も遥か昔に友に頼み込んだことがある。そなたの鱗をくれぬか、とな。だがその時は断られてしまった。数百年前に生え変わったものでもいいと粘ってみたのだがな。すげなく一蹴されたものよ」
苦笑いする鳳凰様と竜神様にそんなエピソードがあるだなんて思いもしなかった。内心驚いていると、鳳凰様はキラキラと輝く蓮の花を見つめ、眩しそうに目を細めた。
「――ああ……。やはり美しい、な。友が纏う気も、この鱗も。何者にも染められぬ、いつまでも透明であり続けることの出来る強さ。逞しさ。そしてそれを確固たる意志で守り続ける心のありようが、美しい」
あ。そっか。鳳凰様は、竜神様の“見た目”だけを語っているんじゃないんだ。竜神様の生き様全てを、この偉大な神様は『美しい』と称し、慕い、大切にしているんだ。
現に鳳凰様はそっと指を伸ばして鱗で出来た蓮の花弁に触れる。本物の花弁でなくとも、薄い鱗で出来ているため多少曲がる。だけど折れることはない。ましてや水神の加護が宿っているのだ。そう簡単に燃えることもない。
そんな特別な“花”に、鳳凰様は笑みを深めた。
「――素晴らしい。心の籠った贈り物じゃ。有難く頂戴しよう」
「あ……。よかったです。職人でもないので、完全に素人の出来で申し訳ないのですが……。それでも、受け取ってくださりありがとうございます」
號さんのように器用なわけじゃないから、どうしても不格好だ。だけど鳳凰様は「構わない」と首を横に振る。
「この我が触れても燃えぬ花など、初めてじゃからの。まさに世界に一つだけの花よ」
「あはは。鳳凰様、お花好きですものね」
これはほぼ勘なんだけど、鳳凰様は木々や花といった緑を愛している。燃えれば全てを不毛な土地にしてしまうと悲しそうに語られていたからそう思っていたんだけど、鳳凰様は驚いたようにこちらを見た後、クスリと控えめに笑われた。
「愛し子よ。何故我が花が好きだと思うたのじゃ?」
「え? だって、鳳凰様はいつも『木々や花に影響が出る』と説明される時寂しそうなお顔をされるので……。てっきり好きだからこそ触れずにいようとしているのかなぁ、と思ったのですが……。違いましたか?」
見当違いのことを口にしていたら申し訳ないな。と思ったんだけど、鳳凰様はクツクツと肩を揺らして笑うとゆっくりと首を横に振った。
「はあ。まさか人の子にここまで読み当てられるとはの。その通りじゃ。我は木々を、花を、緑を、大地を、風を、ありとあらゆる自然のものを愛しておる」
「はい。だからこそ、ご自身の力が影響を与えないよう、常に気を配られているのですね」
「うむ。……我らは、あまりにも力が強すぎる。灰も残さず燃やし尽くすことは勿論、香りさえ煙の匂いが書き消してしまう。故に我は戦場以外でこの力を使うことを禁じておるのじゃ。……不毛な土地は、必要なかろうて」
竜神様の愛が人間に向けられるのだとしたら、鳳凰様の愛は自然に向けられているのだろうか。……いや。きっと、恐らくどちらも『命』そのものを愛していらっしゃる。
だから優しく、時に厳しく接せられる。そんな神様の心が安らぐのであれば、この蓮の花を造ってよかったな。と思えた。
「しかしよくぞ鱗を強請れたの。あれは渋らなかったか?」
「え? いえ。違います。私が強請ったんじゃなくて、鳳凰様が自ら鱗をお選びになったんです」
「うむ? なんじゃと?」
鱗の在処は教えられないけど、もう一度「何を贈ればいいのか分からなかったので相談したら、ご自身の手で鱗をお選びになりました」と伝える。すると鳳凰様は再度目を丸くし――珍しく片手を口元に当ててから視線を逸らした。
「そう、か」
「はい」
「……そうか。友が、自ら、鱗を。我の、贈り物にと……」
「はい。きっと、竜神様も何かお礼がしたかったんだと思います。すぐに鱗をお選びになったので、きっと覚えていらしたのではないのでしょうか」
かつて、鳳凰様がご自身の鱗を強請ったことを――。
それが叶えられたのがこんなにも時間が経ってからとはいえ、鳳凰様は私の言葉に暫く言葉を失ったかのように黙した後、そっと目を閉じた。
「そう、か。では、改めてそなたに感謝を伝えよう」
「そんな! いつも助けて頂いていますし、贈りものだって沢山頂いています。それに、今回は殆ど竜神様からの贈り物みたいなものなので。私は私の手でご恩を返したいと思います!」
「クハハハ! そうか。では、それはそれで楽しみにしておこう」
鳳凰様はどこか愉快そうに笑ったけれど、その笑みは子供のように無邪気で、こちらを揶揄っている様子は微塵もなかった。
「それじゃあ、私はこれで御暇させて頂きます」
「うむ。気を付けて帰るが良い」
「はい。お邪魔しました」
退室の旨を伝え、頭を下げれば鳳凰様は頷かれる。その後も特に呼び止められることもなかったので、襖を開けて控えていた陸奥守と共にお屋敷を去った。
そして本丸に戻れば皆から「心臓が止まるかと思った」とか「今度は一体何をやらかしたんだ」「また事件か」と根掘り葉掘り聞かれたので「贈り物渡したかっただけだよう!」と泣く泣く説明する羽目になったのだった。
◇ ◇ ◇
「鱗で出来た花を、のう……」
その日、水神の後継者と影ながら噂される人の子を案内していた女中は初めて自らの将が花に手を当て、愛でている姿を見かけた。
無色透明な、この世の物とは思えないほどに美しい、虹色に輝く蓮の花。それを慈愛に満ちた眼差しで見つめ、壊れ物に触れるかのようにそっと指の腹で優しく撫でる主人の姿に、女中はそっと瞼を伏せて僅かに開いていた襖を音もなく閉めた。
――偉大なる主人の心の安寧を守ること。それが自身の務めだと信じながら。
終わり
本編で選んだ鉱石のその後と、本編中では語ることのなかった鳳凰様と竜神様についての関係、そして水野の祖母のお話などを織り交ぜたお話でした。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。m(_ _)m
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