6
日本号さんとの契約も無事終わり、本丸の片付けもある程度終わった時だった。武田さんが柊さんを連れて裏門からやって来たのは。
「水野さん!」
「あれ?! 柊さん?!」
裏門の近く、夏場にはヒマワリを植えていた場所の片づけをしていたら突然裏門が作動して二人が顔を覗かせたのだ。かと思えば柊さんは日頃の冷静さが嘘のように、先輩であるはずの武田さんを押しのけこちらに駆け寄って来る。
「水野さん! ご無事ですか?! お怪我は?!」
「ほん?! な、なんだかよく分かりませんが元気ですよ?!」
「あー、悪いな。水野さん。本当はコイツには黙って行こうとしたんだが、何でか知らねえけどバレちまってよ。無理矢理ついてきたんだよ」
ガリガリと後頭部を掻く武田さんを無視し、柊さんはこちらの手を取りグッと顔を近付けて来る。
「水野さん。大体の話は武田から聞きました。どうして我々に何も相談してくれなかったんです?」
「はへえ。めっちゃ怒ってはるぅ」
「当たり前です! 水野さんは放っておけばすぐに変な相手に絡まれるので気をつけないといけないのに、どうしていつも一人で解決しようとするんですか!」
「ひいん! すみません!」
どうやら今回何の相談もせず突っ走ったことが琴線に触れたらしい。過去最高に怒っていらっしゃる。
そんな柊さんにタジタジになっていると、いつものように共に来ていた山姥切からも呆れた目を向けられた。
「水野殿はいつも大変な目に合っているな」
「はは……。何ででしょうね?」
「さあな。そういう運命なのだろう。だがうちの主を放置するのは止めてくれ。八つ当たりが酷くて大変だった」
「山姥切。余計なことは言わないでください」
「ほら、これだ」
肩をすくめる山姥切は修行に行ったからかちょっと明るくなった。というか柊さんを揶揄うようになった。そんな山姥切を柊さんがキツク睨むが、慣れているのだろう。彼は肩を竦めただけで、反省の色はない。
「おい、柊。言いたいことが山ほどあるのは分かるがまずは事情聴取だ。たっぷりと絞ってやらねえとなぁ」
「怖い怖い怖い。どこのヤクザ警官ですか」
「警察でもヤクザでもねえよ。政府役員だ。ほら、さっさと広間に行くぞ」
手慣れた様子で背を押され、柊さんからも「しっかりと説明してもらいますから」と釘を刺されて背筋が寒くなる。おぉん……。美人は怒らせると怖い……。
とはいえ武田さんには一度、ざっくりとはいえ概要を話している。だからそこまで話すことはないかと思っていたのだけれども。
「その前に、水野さん」
「はい?」
「水神の祭壇を新たに設置するとお聞きしました。奉納の儀はお済になりましたか?」
「あ、いえ。まだです」
今日もキッチリ武田さんと共に来ていた太郎太刀に尋ねられ、首を横に振る。とはいえ祭壇自体は私と陸奥守が一度現世に戻って買ってきたので、それを皆が組み立ててくれた。だが奉納の儀はまだだ。本丸内の清掃は粗方終わったものの、お師匠様にも都合があるから予定を聞こうと考えていたところだった。
だけど太郎太刀と共に来ていた石切丸が「僕が代わりに行おうか?」と提案してくれたので咄嗟に手を合わせて拝みそうになる。
「いいんですか?!」
「勿論、構わないとも。それに、あの祭壇から宝玉を取り出したのは私だからね。改めて奉納をするのであれば関わりたいと思っていたんだ」
「すごく助かります。ありがとうございます」
正直なことを言うと『御神刀』自体は蛍丸がいる。だけど来たばかりというか、契約したばかりの彼に竜神様を任せるのは荷が重いんじゃなかろうか。と思って打診していなかった。
だから石切丸の有難いお申し出に両手を合わせてお願いすれば、すぐさま取り掛かってくれるとのことだったので、まずは祭壇がある道場まで行くことにした。
「皆〜、武田さんの石切丸さんが、竜神様の奉納の儀を行ってくれるって!」
「お。よかったじゃねえか。ついでに本丸に残った穢れも祓ってもらえよ」
「そうそう。俺らじゃ出来ねえことだしな」
「こら、二人とも。礼儀を失するなど雅じゃない。相手はお客人なんだから、弁えなさい」
同田貫と和泉守の軽口に歌仙が眉を吊り上げれば、途端に同田貫は舌を出し、和泉守は「冗談だよ」と苦笑いする。そんな彼らに苦笑いした後、部屋から宝玉を持ってくれば刀たちは全員道場に集まっていた。
「お待たせしました」
「いいや。それじゃあ始めようか」
石切丸が柔らかい笑みを浮かべつつ、一礼した後宝玉を受け取る。そうして厳かに始まった奉納の儀を静かに見守っていると、今度は鳳凰様も乱入することなく恙なく進んでいく。
小鳥遊さんの本丸から帰ってからずっと、暇さえあれば祈りを捧げているのだが、今のところ一度も竜神様からの反応はない。神気は感じられるから大丈夫だとは思うんだけど、それでも奉納の儀を行っている間もずっと手を合わせ続ける。
そうして静かに祈りが捧げられる中無事奉納の儀が終了し、道場から出て広間に戻ろうとした時だった。
「おあ?! なんだこりゃ?! また水か?!」
「これは……!」
突然、どこからともなく溢れて来た水が辺りを満たしたのだ。
だけど今回の水は黒い穢れた水ではない。透明なそれは清らかな力に満ちており、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。武田さんと柊さんはギョッとしていたけれど、私はなりふり構わず――それこそ裸足のまま水の中に飛び込んだ。
「竜神様!」
穢れを一切知らないかのような清浄な気に満ちた水の中。太陽の光を受けて輝く水面のような鱗を持つ竜が静かに佇んでいる。
夢の中ではなく、こうして本丸に姿を現したのは初めてな気がする。
いや、私が本丸にいない間お姿を現したことはあったみたいだけど、その時とは状況が違うし、直接目にしていないからノーカンだろう。
何はともあれ足の付け根まで満ちている水の中をがむしゃらに進めば、あっという間に竜神様のお傍まで行くことが出来た。
「竜神様! もう大丈夫なのですか?」
二度も穢れた水に浸かってしまったため、相当力を削られたはずだ。本当なら以前のように深いところで休息を取られているはずなのに、今回はどうして本丸にお姿を現したのか。
分からないが、まずはどこも悪くないか、姿を現しても大丈夫なのか確認するために声をかければ、竜神様は以前と同じようにこちらに顔を近付け、そのままグイグイと口先を当ててきた。
「うわっ、っぷ、りゅ、竜神様っ」
スリスリと頬や目尻に口先を擦りつけられ、咄嗟に両手を伸ばして竜神様の頬を掴む。それからじっと白銀の睫毛に覆われた瞼の向こうにある、透明に近い水色の瞳を見つめれば何となく安心出来た。
「……よかった。もう大丈夫なんですね?」
本調子ではなくとも、こうしてお姿を保てる程度には回復されたのだろう。現に竜神様の中で輝く光の粒子は穢れに屈しておらず、鱗のように輝いている。
だから安心して竜神様の額に顔を寄せれば、竜神様もこちらを安心させるように優しく擦り寄ってくれた。
「よかった……。本当によかった……。それから、竜神様。本当にごめんなさい。何度も助けていただいたのに、何もお返しできなくて」
冷たすぎず、けれど熱くもない体から手を離して見上げれば、竜神様はスッと目を細めた後長い尾を使って抱き寄せて来る。下半身だけとはいえ水中にいるから、簡単に手繰り寄せられ竜神様の体にピッタリと全身を添わせた。
途端にその半透明の体からコポコポと気泡が浮かぶような音が聞こえてくる。その穏やかな音に眠気を誘われるように瞼を下ろすが、本当に眠るわけじゃない。ただ竜神様の無事を喜び、その清らかな力に安心していると、そっと腰に尾が巻きつけられる。かと思えば勢いよく竜神様が上体を動かした。
「うわっ?!」
大きな体躯が動いたからだろう。本丸の庭に満ちていた水が音を立てて盛り上がり、波を作る。そうして波と共に竜神様が向かった先の広間では、皆が叩頭していた。その姿にちょっと「壮観だな」と思ったものの、竜神様は気にせず水から全身を引き上げ――一瞬で竜の姿から人型に変身した。
『お も て を』
「?!」
それは声というよりも“音”に近かった。
雨の日にそっと耳をそばだてた時に初めて聞こえる、葉に雫が当たった時のような微かな音。音階などあってないような、けれど心を揺さぶるようなその音。それが脳内に直接響く。
気付けば竜神様に肩を抱かれていた私の前で、皆がゆっくりと顔を上げた。特に先日契約したばかりの刀たちはどこか緊張した面持ちだったけど、小烏丸は面白そうに目を輝かせている。
「えっと……竜神様?」
視界が戻ったから初めて竜神様の人型を見たけれど、鳳凰様と並んでも遜色がないほどに美しい。いやもう本当美人。美人っていうか、儚げ美人というか。三日月と宗三も美人枠だと思っていたけれど、更に上を行く美しさでちょっと言葉が出てこない。
鬣のように長い髪は床についているどころかそのまま廊下の先にまで出て水に浸かったままだが、汚らわしいとは思わない。むしろ艶やかな御髪であることを知らしめるように、その髪の毛はゆらゆらと揺れる水面のように輝いている。……っていうか、よく見てみればこれキューティクルじゃなくてマジで水面を表現しているんじゃないか?
幾ら人の形を真似ようとやっぱり水の神様だ。体のどこかしらで水を体現なさっている。
それに丸みを帯びた頭部には立派な、鹿の角のような真っ白な角が二本立っており、肌は虹色に輝く鱗がちらほらと浮かんで見えている。纏う着物も光沢のある純白と淡い水色という華美とは言えない色合いだけれども、鳳凰様同様金糸銀糸で細かな刺繍が施されており、決して安っぽい印象はなかった。
ひえぇ……。神様って本当、何から何まで綺麗でビックリする……。
改めて自身が信仰する水神様の美しさに仰天していると、竜神様はスッと視線を動かし、最前列に座っていた陸奥守の額に触れるかのように手を翳した。
『み た び ま で』
「……はっ。必ずや、お守りいたします」
竜神様の手短すぎる言葉にクエスチョンマークしか出てこないのだが、陸奥守は全て分かっているかのように頭を下げる。
そんな陸奥守に竜神様は顎を引くようにして小さく頷くと、用は済んだとばかりに踵を返した。だけどここで三日月が「水神殿」と声をかけて引き留める。
「不躾にお呼び止めして申し訳ござりませぬ。ですが、一つ我らの願いを聞き届けて貰えませぬか」
「三日月さん?」
上げていたはずの頭を再び下げたのは、三日月だけじゃない。新しくうちに来た刀を除く、二年もの間付き合いがある三十振り近い刀――いや。正確に表現しよう。陸奥守を除いた二十四振りの刀が献上するかのように両手に自身を持っていた。
「貴殿の御子でもある我らの主、そしてその夫は火神の眷属となり申した。しかしてその力は強く、抑止する者がおらねば凶事に繋がるやもしれませぬ。故に、我らを御身の眷属に加えて頂きたく存じまする」
「は?!」
思いもしなかった申し出に、私だけでなく武田さんたちもギョッとした顔をする。だけど願われた竜神様はと言うと、立ち止まっていた体をゆっくりと動かし、三日月を始めとした二十四振りを見遣った。
『………………』
竜神様は何も言わない。是なのか否なのか。ハラハラしながら見守っていると、竜神様がスッと片手をあげる。そうしてゴツゴツとした人差し指と、長い爪で空を掻き乱すように軽く指先を振れば、途端に本丸の周りを大量の水が、それこそ滝のように勢いよく上から下へと流れて囲う。
まさに下界と本丸との間を隔てるための壁だ。現にそれは凄まじい勢いで流れており、安易に指でも突っ込めばそのまま真っ逆さまに落ちそうなほどだった。
そんな隔離された本丸の一室で、じっと竜神様と三日月たちは視線を交わす。肌を焼くような緊迫感に身じろぎ一つ出来ぬまま竜神様を見上げていると、竜神様はゆっくりと瞼を下ろし、瞬いた。そしてもう一度指を掲げる。
『ゆ る す』
ポン、ポン、と雫が落ちるような音は、確かに『許す』と告げた。そのことに安堵していると、竜神様が掲げた指を軽く振る。途端に三日月たちの額に何かの文字が浮かび上がり、雪が溶けるように消えて行った。
そして次の瞬間に本丸を満たしていた水も下界と隔てていた水の囲いも、そして竜神様も消えており、本丸には穏やかな静寂が戻っていた。
「い、まのは……」
太郎太刀がぽつりと呟いた声に、ようやく固まっていた武田さんや他の刀たちがハッとして動き出す。逆にうちの刀たちは何事もなかったかのように居住まいを正そうとし――慌てて声をかけた。
「ちょーーーーッ!! みんな何やってんの?!」
「うむ? なに、とは?」
「見ての通りだが」
「いや、『見ての通りだが』じゃないんだが?!?!」
まさかすぎる展開に主である私がついていけてない。というか人間側である私たちは誰一人としてついていけていない。更に言えば武田さんと柊さんと一緒に来た太郎太刀も石切丸も山姥切も全員ポカンとしてるからな?!
だけど陸奥守を初めとした、勝手に竜神様の眷属になった二十四振りの刀たちは何事もなかったかのような顔をしている。一体全体どういうことだってばよ!?
「ははは。まあそう怒るな」
「そうだぞ、主。少し落ち着いてくれ」
「落ち着けって言われても……」
どうして何の相談もなくこんなことをしたのか。改めて問うためにもいつもの場所に腰を落ち着ければ(因みに服は濡れていない。竜神様の水は神気のようなものだからだ)代表者として三日月が口を開いた。
「主。そなたは再三危険な目に合っておる。しかしその度に我らはそなたを見失い、無力感に苛まれていた。此度もそうだ。そなたが現世にいる間、我らに一体何が出来たと思う? ただでさえ我ら五振りは一度主を裏切っておる。今度こそ身命を賭して守ると決めたにも関わらず、またもやそなたを失うところだった。これではそなたに忠義を誓う家臣としても、天下五剣としても名折れである。しかしその一方で、陸奥守はどうだ? 単身で火神に刃を向け、その心意気を買われて眷属となった。それ故にそなたを守ることが出来たのだ。しかし火神の力は我ら刀には強すぎる。抑止できる者がおらねばそなたは傷つくだろう」
「そんなこと――」
「主。三日月の言うことは最もじゃ。それに、これはわしが皆に願ったことでもあるがよ」
「――え? どういうこと?」
陸奥守は困惑する私をまっすぐ見つめると、少しだけ、困ったような笑みを口元に浮かべた。
「わしはまだ、上様から与えられた力を使いこなせちょらん。むしろ振り回されっぱなしじゃ。今日は大丈夫でも明日は分からん。やき、もしもわしが暴走した時は、皆に主を守るよう頼んじょったがよ」
「そんな、こと……」
いつも悠々と構えている陸奥守らしからぬ弱気な発言に衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。だけど鳳凰様はご自身の力が強いことも、刀が眷属になることが如何に難しいことかも説いてくれた。
陸奥守も度々火の気に参っているような姿を見せていたし、今後も私の力だけで中和できるとは限らない。だから皆にお願いしていたのだと言う。もしも自分が私を傷つけそうになったら、その時は止めて欲しいと。
「けんど、火の力はこぢゃんと強いき、水神様のお力を借りられる眷属にならんと火の力が暴走したわしとはまともな打ち合いもできん」
「うむ。だから一か八かで竜神殿に頼んでみたのだ。我らの中の、一振りだけでもいい。かの神々が慈しむ寵児を預かる者として、火神の眷属に対抗できる者がおらねばならぬと進言させてもらったのだ。そして出来れば選んで欲しいと願った」
「えっと……。それじゃあ、選ばれたのは……」
竜神様の眷属として三日月が代表して選ばれたのかと思ったけれど、実際には違った。
「いやあ、ははっ。水神殿は太っ腹であらせられる。そなたを守る我ら二十四振り、全てを眷属として迎え入れてくださったぞ」
「え?! 皆を?!」
「うむ。新たに契約した者たちは流石に除かれたようだが、我らは二年の月日を共に過ごした。その姿をそなたの目を通して見ていたのだろう。眷属になることをお許しくださった」
「ええ……マジか……」
っていうか、三日月を含めた太刀五振り――三日月、鶴丸、鶯丸、大典太、江雪が私のためにと誓ってくれるのはまだ分かる。だけど他の刀たちも? と首を巡らせれば、加州から「当然じゃん!」と力強い言葉が返ってきた。
「俺にとっては前の主も大事だけど、今の主も大事なの!」
「そうだぜ。今のオレたちはあんたの刀だ。主を守るのは家臣の務め。そうだろ?」
「兼さんの言う通りだよ、主さん。僕たちはもうあなたの刀なんだから、最後まで一緒に戦わせてよ」
「はい! それに主君はいつも危険な目にあっていますから! 僕たちも強くならないと!」
「秋田の言う通りです。僕たちが今よりももっと強くなって、御身をお守りします。この先も、ずっと」
「前田の言う通りです。それに、竜神様の眷属になれば主との繋がりもより一層強まりますから。例えこの先誰かに連れ去られようとも、必ず見つけ出すことが出来ます」
「これまではずっと後手に回りっぱなしだったからなぁ。大将一人で突っ走られるこっちの身にもなってくれ」
「そうだよ、あるじさん! 今度はボクたちが、どんな時でもすぐに駆けつけるからね!」
「お、お守りします! 絶対に!」「ガウッ!」
「そもそも火にはうんざりしているんですよ。こっちは。放火はお断りしますが、消火なら喜んでしますよ」
「宗三の言はともかくとして、俺は主の刀です。生涯あなたさまにお仕えすると、顕現した日より決めております。そのためならば高位の神にも刃を向けますし、眷属にもなります」
「長谷部ほど盲目的じゃねえが、俺はあんたの刀だからな。主人を守れず死なせた刀なんて逸話、残すわけにはいかねえんだよ」
「写しも本科も関係ない。ただ一振りの刀としてあんたを守る。……そう、決めただけだ」
「それに主が絡むと暴走しやすい陸奥守くんから主を守るのも、家臣として大事な務めだしね」
「おーの。燭台切、一言余計じゃ」
「あはははっ」
「みんな……」
皆それぞれの形で審神者である私に応えようとしてくれたんだ。
そりゃあ皆修行に出たから、それぞれがそれぞれの言葉で『私の刀だ』って言ってくれた。だけどここまで想ってくれているとは思ってもいなかった。
思わずジーンとした感動に見舞われていると、黙って聞いていた武田さんがグシャリと髪の毛を掻き乱しながら項垂れた。
「これを……どう上に報告しろと……」
「高位の神々が度々降臨しているというだけでも封印指定扱いなのに、更には眷属、ですか……」
「仕事が増えたなぁ、主……」
珍しく青い顔をする武田さんに続き、柊さんまで顔を覆っている。その隣では山姥切が虚ろな目で天井を見上げていた。
お、おお……。まるで生きる屍ではないですか。やだー。なんて……。
一回おふざけを挟まないとまともな話すら出来ない心境になっていると、ここでようやく太郎太刀がゆっくりと、それでいて青い顔で口を開いた。
「政府の仕事はこの際どうでもいいです。問題は高位の神が二柱も降臨し、またそれぞれの眷属が二十振り以上も存在していることです。しかもそのうちの一柱は直にこの本丸、そして主人を守護しています。つまり今度こそ“神域”として認定しませんと、神々の怒りを買うことになりますよ」
「うわあああ! 上にどう説明すりゃいいんだよ! 石頭ばっかりのクソジジイ共が簡単に信じると思うか?!」
「それはもう説得するしかないね。榊さんにも頼むしかないだろう。それでもダメなら実際に神罰を下してもらえばいいさ。そうすれば嫌でも実感するだろう」
「石切丸さん存外シビアですね?!」
にこやかな顔してえげつない提案をした石切丸を見遣れば、途端に「信じない方が悪い」と返される。……それは、そうかもしれませんが……。
「まあ、何はともあれここは間違いなく“神域”として認定されるだろう」
「し、神域、ですか」
「ええ。我々分霊とされる付喪神とは違う、権能を持つ古き神々が降臨し、またその眷属が住まう場所になるわけですから。他の本丸と同等に扱うことは出来ません」
「ひええ……。なんかとんでもないことになってきた……」
審神者である私自身はクソザコ側なのに、バックヤードが強すぎて完全に虎の威を借る狐状態だ。だけど竜神様はともかくとして、鳳凰様はこの数ヶ月の間に何度も訪れている。他所の本丸と同じ扱いにしては確かに鳳凰様の名に傷がついてしまうだろう。
そう考えたら無理にでも「すげえ本丸」として認定してもらわねば不味い気がする。だけどここで柊さんのところの山姥切が静かに挙手をした。
「ところで、あまりの衝撃にうっかり流しそうになったんだが」
「は、はい。何でしょう」
「水野殿。君の“夫”とは誰だ」
「あ」
それに関しては武田さんにもまだ説明していなかった。現に二人も「そう言えばさっき三日月が……」と呟きながら蒼白となった顔を上げ――私と陸奥守へと視線を向けてきた。
「えー……。はい。私水野と、初期刀陸奥守吉行。この度結婚することにいたしました」
「はああああ?!?!」
「水野殿……。いつの間に陸奥守とそのような関係に……」
「聞いてません……私、聞いてません……!」
「いや、その……いつかちゃんとご報告しようとは思っていたのですが……」
本当は前回の『審神者女子会』の時に話そうと思っていたのだ。だけど次から次へと話題が移り変わったうえ、どこで切りだせばいいのか分からず、結局何も報告出来ないまま帰ってきてしまった。
そうこうしている間にも呪われたり視界を失ったりして顔を合わせない日々が続いたので、結局「お付き合い始めました」を通り越して「結婚します」という報告をすることになってしまったのだ。
いや、本当申し訳ない。
「あ! でも細かい話と言うか、詳しいこととかに関しては何も話し合えていないので!」
「そこじゃねえ! そこじゃねえんだよ!」
「この際刀剣男士との結婚云々に関する手続きなど、その辺は、ええ。もうどうでもいいんです。問題は水野さんたちの本丸――いえ。水野さんご自身も既に半神へと近付いているという報告が上がっておりますので、そこに関しても……。ああ、頭が痛い……」
ぐったりと床に倒れてしまった武田さんと柊さんに「おぎゃーっ!」と悲鳴を上げていると、うちの刀たちがいそいそと動き出した。
「まあ細かいことは気にするな。どれ、今日は特別に俺が茶を淹れてやろう」
「ははは。過去最高の驚きを与えられたようだなあ。この際だ。きみたちのお上とやらにも一発デカイのをぶちかましてやろう」
「頭痛薬が欲しいならあるぞ。持って来てやるから茶でも飲んで待ってな」
「ほほ。おもしろきことが起きるであろうと思っていたが、まさかこのような、千年に一度でも見ることが叶わぬであろう機会に恵まれようとは。やはり来て正解だったなぁ」
「ねェ〜。驚いちゃった。居心地のいい場所だなぁ、とは思っていたけど、想像以上に高位の神が関係していたんだね」
「逆に言えばそれだけの困難にも見舞われるということだ。鬼を斬ることに関してはおれが役に立てるだろう」
「わあ。皆さん肝が据わっていらっしゃる……」
新たに我が本丸へと加わった古刀太刀三振り――小烏丸と髭切、鬼丸国綱の肝が据わりまくった発言に乾いた笑いを零していると、彼らを代表してだろうか。小烏丸がふわりと微笑んだ。
「うむ。そなたがどのような人間であるか、ある程度把握することが出来た。前の主とは違い、ひたむきで純真な魂を持つ子であるとな」
「孔雀丸の言う通りだ。君なら、弟が来ても大丈夫そうだ」
「魂の質云々はおれには関係ない。だが、あんたは度々危険な目に合っているんだろう? 必要ならばおれと契約を結べ。鬼を斬ること以外に関しては期待しないで欲しいがな」
「え?」
鬼丸国綱の思わぬ一言に目が点になる。だって、この三振りはただあの本丸から脱出するために、そして身の置き場がないからうちにいただけだと思ったのに。現在は鍛刀でもドロップでも顕現することがないと言われている“あの”鬼丸国綱が自分から契約を持ちかけてきた、だと?
「ほほ。稚い幼子を導くのも父の務めよ。どれ、人の子よ。父とも縁を結ぶがよい。我の扱いに困ると言うのであれば、恥じることなく相談するが良い。必ずや答えて進ぜよう」
「前の主は苦手だったけど、君とはうまくやれそうだ。弟が来るまでの間、よろしく頼むよ」
「ほあっ」
まさかすぎる展開に思わず陸奥守と小夜を振り返れば――二人は諦めたように頷いた。成程! 古刀には何を言っても無駄と言うことですね! 了解であります!!
「えっと、それでは。改めまして審神者の水野と申します。互いに思わぬ形での契約とはなりますが、良い関係を築けるよう、精一杯努力させて頂きます」
「うむ。こちらこそよろしく頼むぞ、新たなる我が主よ」
「こちらこそよろしく。弟は……ええと、なんだったかな。まあ名前なんて大した問題じゃないか。とにかく、弟が来るまでにいい成績を残しておかないとね」
「鬼を切りに行く以外興味はない。が、あんたは過度な期待はしなさそうだな。鬼が来たら呼べ」
何だかんだ言って今回の事件で一気に刀が増えたなぁ。なんて考えている間にも、気を利かせてくれた鶯丸が武田さんたちにお茶を振舞ってくれた。勿論私にも淹れてくれたので有難く頂き、疲れた様子の二人にポツポツと時間を掛けて今までのことを話して聞かせた。
で、私が話している間に他の刀たち――光忠と前田、平野、秋田、堀川が新たに加わった刀たちにこの本丸で起きた数々の怪事件について語って聞かせているようだった。
おかげさまで後藤藤四郎からは「今度こそ大将のことは守り切ってみせる!」と決意表明され、亀甲と物吉からは「命に代えても守ります」と重たい宣言を喰らう羽目になってしまった。それに苦笑いする間もなく鬼丸からは「近々おれの出番がありそうだな」と不吉な一言まで頂戴してしまったのだから笑えない。というか、全くもって御免である。
そして翌日。武田さんが急ぎで手配してくれた業者のおかげでゲートが無事修復し、出陣や遠征が可能になった。
更に更に、竜神様が神気で清めてくれたおかげで土に残っていた穢れも綺麗さっぱり浄化されたのだ! これには小躍りするほど喜んでしまったわけなのだが、それはそれとして。作物も花も全てダメになったのは変えられない。だから離れに隔離していた刀たちの手を借りて庭園を、残った刀で畑を耕していたのだが。
「センパイセンパイセンパーーーーイ!!! なぁんでそんな大事なこと黙ってたんですかーーーー!!!」
「そうですよ! 酷いですよお姉さん! お姉さんのためならお札百枚でも二百枚でも書いたのに!!」
「流石にそこまでせんでも!!? いや本当黙っててごめんね?!」
ようやくゲートが繋がったからだろう。あるいは柊さんから連絡が行ったのか。即座に夢前さんと百花さんがアタックをかけてきた。当然、この人も一緒に。
「酷いわ、水野ちゃん……! 私、水野ちゃんが死んだらどうやって生きて行けばいいの?!」
「普通に頑張って生きてください!! 今もそうしてるでしょ?!」
相変わらずよく泣く美人こと日向陽さんにも泣きつかれていた。いや、本当黙ってたのは悪かった。悪かったんだけどさ。いい加減離してくれないかなあ!!
「本当に心から申し訳なく思ってはいるんだけれども! せめて離れてくれませんかね?! うちに来てからずっとくっつかれて流石にちょっと居たたまれなくなってきたんですけど!」
「イ・ヤ・で・す! この手を離しちゃったらセンパイまた勝手にどこかに行くでしょ?!」
「行かねえよ?! 行くとしてもお手洗いが精々だよ!」
「うわーん! お姉さんのバカァー! 私が子供だから頼りないんですか?! お札もお守りもたくさん作るから、もうゼッタイゼッタイ無茶しないでください!」
「ばーーーっ!!! 百花さんマジでごめん! お願いだから泣かないで! 加州と今剣さんから怒られちゃう!」
「いや、今回は主泣かせたことよりあんたの無鉄砲さにキレてんだけど」
「そうですよみずのさま! どうしてれんらくしてくれなかったんですか!! ぼくは! おこって! います!!」
「ひぃん! ごめんなさーーい!!」
彼女たちが押し掛けて来てから早一時間。延々とお小言&泣き言を垂れ流され、精神がガッツリと削られた。それでも三人がそれぞれ本丸から刀たちを連れて来てくれたので畑の整備は思ったより早く進んだし、竜神様にも各自祈りを捧げてくれた。
因みに本丸の修繕は既に始まっている。ゲートが無事開通したおかげで業者が来られるようになったのだ。厠はともかく厨は離れもこっちも酷い有様だったから、床も全部剥がしての大工事だ。とはいえ鳳凰様が穢れた水を全て燃やしてくれたおかげで柱等の骨組は腐っておらず、床板も畳も張り替えるだけでよさそうだということだった。
ぶっちゃけどっちも酷い有様だったからようやく綺麗に出来ると安堵している。皆も「歩き辛い」とか「寝心地が悪い」と言っていたから、今夜はしっかりと休めるだろう。
そんなこんなで泣きつく三人と、怒り心頭の百花さんの加州と今剣をどうにか宥め、最終的に百花さんが「絶対に、今度こそお姉さんを守ってくれるお札を書きます!」ととんでもねえ宣言をして帰っていた。
夢前さんも「明日から本丸に残ってる刀たちは全員センパイのところに来させますから! 一緒に復興がんばりましょう!」と応援してくれたし、日向陽さんも「水野ちゃんが困っているなら私もお手伝いするわ」と言ってくれた。おかげで畑も庭園もどうにかなりそうで安心だ。
ただすべてが順風満帆に進んでいるわけでもなく――。まだ一つ。心に引っかかったままの問題が残っていた。
◇ ◇ ◇
「おっすー。二人共久しぶりー」
「ユカ?!」
「ユカちゃん……」
そう。残っていた問題はそーくんのことだ。視界が戻り、本丸の片付けも一段落した。残りは業者に任せるだけとなったので、こうしてそーくんのお見舞いに来られたわけである。
因みに二人には何の連絡もせずに来たので完全にドッキリだ。だからやっちゃんもそーくんも目を丸くしたけど、そーくんとは同窓会でも話さなかったからほぼ遊園地以来の会話となる。恐らく気まずいのだろう。サッと視線を逸らされたけど、構わず入室した。
「そーくん久しぶりだね。あとこれ、お見舞いのゼリー。冷やして食べて」
「あ、ありがとう……」
「ユカ、お前大丈夫なのか? 目やってたんだろ?」
「え? そうなの?」
大人しくゼリーを受け取ったそーくんが驚いた様子で見上げてくる。多分やっちゃんが黙っていてくれたんだろう。それに、そーくんからも私に連絡はなかった。だからこっちも黙っていたのだが、もう視界も戻ったことだし、見舞いに行くか。と今回足を運んだのだ。
「まあね。三ヶ月ちょいかな。視界真っ暗生活で大変だったけど、もう大丈夫だよ」
「そんなに酷かったのかよ?」
「そ、そんな……僕、何も知らなくて……」
「あー、いいのいいの。心配かけたくなくて黙ってたわけだし。てか、私のことよりそーくんの方が心配なんだけど。大丈夫なの?」
あれからも時々やっちゃんから連絡は来てたんだけど、全身大火傷を負ったそーくんは植皮手術を行った。入院してから既に四ヶ月は経っているが、その後も皮膚の状態が悪化したり壊死した細胞を取り除くためにと手術を繰り返していたらしく、退院にはまだ時間がかかりそうとのことだった。
実際、ぱっと見だけどどことなく顔の皮膚が引き攣っている感じがする。まだ新しい皮膚に慣れていないのか、それとも私のせいか。だけどこのまま話もせず陸奥守と結婚するわけにもいかないので、ちゃんと話をしておこう。と考えたのだ。
それでもそーくんを心配していたのは本当なので「大丈夫なのか」と問いかければ、かつてのもっさり少年だった頃に逆戻りしたかのようにそーくんは俯いた。
「う、うん。まだ退院には時間がかかりそうだけど、人前に出られるようにはなるんじゃないかな」
「いや。そこじゃなくて。見た目じゃなくて精神的な話してんの」
見た目は、確かに多少火傷の痕や手術の痕は残るだろう。皮膚が引き攣る感覚とか、後遺症が出るとかあるかもしれない。
だけど外見はどうとでも出来る。それこそメンズ用化粧品だってあるんだから、ファンデーションやコンシーラーで皮膚の色なんか隠せるし、腕や足は服でカバーできる。
でも心はそうじゃない。
一番見えないところだけど、常にむき出しで傷つきやすい部分はここなのだ。だからそこが傷ついたままだと一生引きずることになる。今までの私みたいに、無自覚であったとしても。
「精神的な、話?」
「そ。心の方。全身火傷負ったことも、その時の苦しみも、そーくんみたいな繊細なタイプはトラウマになってもおかしくないでしょ? 夜眠れないとか、寝てもうなされるとか、そういうのないの?」
居酒屋で倒れた時はさぞ苦しかったことだろう。
そーくんと契約していた、私と彼を苦しめた悪心は陸奥守と鳳凰様が焼き尽くしてくれたけど、記憶は残っている。“自己嫌悪”が極限まで大きくなった時は私も辛かったし、そーくんもこの四ヶ月、痛みや苦しみといった様々な感情に耐えて来たはずだ。
他にも親族の目とか、職場を始めとした周囲の目も気になったことだろう。流石に休職しているだろうが、退院がいつになるか分からない以上、彼のキャリアコースはどうなるのか。そういうものに関する心配もあるはずだ。
体のことだけに集中出来ればいいのだが、彼はそんな器用な人間じゃないし。むしろ責任感が強く、打たれ弱い。だから「あんたのメンタルの方が気になっとるんじゃい」と伝えてやれば、そーくんは再度俯いた。
「……多少は、あるかな」
「はあ。なるほど。結構な頻度で眠れてない訳ね?」
「多少って言ったのに……」
「そーくんの“多少”は詐称でしょ? 格好つけてんじゃないよ」
「うわっ」
グシャグシャとかなり短くなっていた髪の毛ごと頭を撫でてやれば、そーくんはグッと唇をかみしめた。
「僕だって男なんだから、すこしぐらい格好つかせてよ……」
「やせ我慢する姿は“格好いい”じゃなくて“強がりの見栄っ張り”にしか見えないからやめときな。あと、大丈夫じゃないのに「大丈夫」って言うのも。……せめてやっちゃんと私の前では素直でいなよ。笑ったりしないからさ」
離れていた時期があったとはいえ、それでも素直なそーくんに嘘や見栄は似合わない。そりゃあデッカイ会社に勤めているんだから、時にはそういう態度や言動も必要だろう。だけど私たちは友達だ。……例え、この先会って話すことがなくなったとしても。
「……ユカちゃんは、強いよね」
「そうでもないよ。あんたをぶん殴った時はメンタルグズグズだったからね」
「は? お前相馬のこと殴ったのか?」
何も聞いていなかったのだろう。私も話していなかったし、話せる内容でもなかった。現にそーくんはギクリと肩を強張らせたけど、私は正直に「殴った。パーで」と平手打ちしたことを白状する。
「なんでそんなことしたんだ? 幾ら暴力的だからってマジで殴ることなんてないだろ?」
「うっせ! 暴力的は余計じゃ! でも確かに手を出した私の方が悪い。けど、あの日の事謝るつもりはないから」
「……うん」
「だから、そーくんも謝んないでよ」
「え?」
予想通り謝るつもりでいたのだろう。俯かせていた顔を上げ、どこかあどけなくも見える顔を見せるそーくんを笑ってやる。
「お互いの気持ちをぶつけた結果なんだから、謝る必要はないよ。てか、謝罪されたところで過去に戻れるわけじゃないし、お互いに対してやったことが無くなるわけじゃない。第一そんなこと望んでないし、必要もない。私の人生はあの日からも動き続けてるから、いつまでも立ち止まってらんないんだよね」
偉そうにこんなこと言ってるけど、実際の所陸奥守たちがいなかったらこんなこと言えなかっただろうな。むしろそーくんの告白を受け入れていたかもしれない。でも、それは『もしも』の話。
本当の私は、今を歩む私は、そーくんの手を取らないって決めたから。
「……ユカちゃんは、やっぱり強いね」
「そうでもないよ。あ、あといきなりブッ込むけど、私今度結婚するから」
「は?! 何で次から次へと爆弾落とすんだよッ! 対処しきれねえって!」
「あははは! すまん!」
「男らしい謝罪だなあ、オイ!」
やっちゃんに突っ込まれるけど、これに関しては「ごめんやで」としか言えない。実際親にも同じような感じで「はあ?!」って言われたしね。兄貴に至っては「何言ってんの?」という酷い返事がきたものだ。それでもここに来る前に陸奥守と共に両親に「結婚するお!」とちゃんと説明してきたのだ。
おかげで父は再び無言の石像と化してしまったけれど、母は「神様と結婚してもお母さんたちと会えるのよね? それなら反対しないわ」と謎理論で承諾してくれた。まあ反対されたところで陸奥守が上手く説得してくれただろうけどさ。
何はともあれそーくんとは色々あったのだ。何も言わずにいるのは後味が悪い。だからこうして堂々と宣言したのだった。
「結婚……。この前の、同窓会にユカちゃんを迎えに来た人?」
「そ。色々あった結果ね。結婚することにしたの」
「あー……。あのすげえ男前……」
「そ! マジめっちゃ男前なんだよね。見た目も中身も」
だから自分にはもったいねえ男だなぁ。と思う時は今でもやっぱりあるんだけどさ。それでも「好き」になったんだからしょうがないよね。他の女性審神者にあげたくないもん。私のむっちゃんのこと。
そういう気持ちが顔に出ていたのだろうか。そーくんは気まずそうに視線を逸らし、やっちゃんは頷きながら受け入れてくれた。
「そっか。ユカが選んだんだからいい男なんだろうな」
「おうよ。よく分かってんじゃん」
「すげえ自慢して来るな。だったらオレも嫁さん自慢するぞ?」
「あははっ! すんのかい! 別にいいけどさ」
私だって陸奥守の好きなところ上げろ。って言われたらめちゃくちゃ自慢する自信がある。だから人の惚気話だろうと自慢話だろうと余裕で受け止めてやんよ! と笑い飛ばせば、やっちゃんは「いいんかい」と苦笑いした。
だけどそーくんだけはぼんやりと渡したゼリーを見つめ――小さく「いいなぁ」と呟いた。
「ユカちゃんと結婚出来るなんて、羨ましいよ」
「あー……。何となくだけど今ので察した。相馬、ユカにもう一回告白したんだな」
流石高校時代もそーくんと連絡を取っていた大親友だ。少ない情報で真実に辿り着いた自慢の幼馴染に思わず拍手を送る。
「やるじゃん名探偵。犯人は私です」
「おーい。推理する間もなく自首するんじゃねえよ。つーか何でか弱い相馬を殴ったわけ?」
「おい。私との体格差が見えんのか。わしのほうがちっちぇんだぞ」
あっち百八十! 私百五十! と指さしながら伝えれば、やっちゃんは「あれ? そうだっけ?」と分かりやすくとぼけたし、そーくんは緊張が解けたかのように笑った。
「ははは。颯斗くんに軽蔑される覚悟で白状すれば、僕がユカちゃんに無理矢理キスしたからだよ」
「は?! 相馬、お前ユカにキスしたとか勇者かよ!」
意外にも男らしく白状したそーくんに「お?」と思ったのに、やっちゃんの余計な一言に青筋が浮かびそうになる。
「おいコラア! ここが病院じゃなかったら腹パンの刑だからなぁ!」
「ほら見ろゴリラじゃん!」
「ウホッ! 怒りのゴリラパンチ!」
「ぐほっ、このアマゾネス……!」
まあ、結局病室だろうと関係なく腹パンを入れてしまったわけなのだが。それにしてもゴリラなのかアマゾネスなのかハッキリしやがれってんだ。片方は動物で片方は人間だぞ。……って、私は最初から人間じゃボケエ!!!!
「ゲホッ、あー、まあ理解した。それでユカがビンタしたのか」
「おうよ。思いっきりな」
「はは……。人生で一番痛い平手打ちだったよ」
「あー……。うん。まあ、お互いが割り切ってんならそれでいいんじゃねえかな。オレからは何も言えねえよ」
こういう幼馴染の男女の間に挟まれると一方が苦労する。それは想像できるし、何となく分かるからやっちゃんが言葉を濁す気持ちもよく分かる。実際首を突っ込まれても困るから、このぐらいの距離感がちょうどいい。
変に心配されても面倒だし、片方だけ味方されても腹が立つ。そういう意味ではやっちゃんの選択というか、気遣いはありがたかった。
そーくんも同じ気持ちなのだろう。苦笑いするだけで、それ以上は何も言わなかった。
「まあ、だからと言ってそーくんのこと嫌いになったわけじゃないから。そこは勘違いしないでね」
「え? そうなの?」
「は? 当たり前じゃん。嫌いになっとったら見舞いになんぞ来んわ。でも、恋愛的な意味じゃないから。私はこれから先もずっとそーくんのことは『友達』であって、彼氏にする気も夫にする気もない。けど、そーくんが変な女に引っかかってしんどい目にあわされた時は慰めに行くし、その女に天罰下してやっから。遠慮なく頼りな」
言うて自分に本当に天罰が下せるのか、と聞かれたら「わははは!」と笑って誤魔化すしかないんだけどさ。でも気持ちの面ではゴリゴリに雷落としてやるし、足の爪冷蔵庫とか机の角でぶつけたらいいと思うし、何ならデスクに着く時必ず一日一回は膝打ち付けたらいいのに。とか地味にイヤな呪い掛けると思うよ。
そう思うぐらいにはそーくんは大事な友達だから。だから、あの時のことを蒸し返すのも、戻らない時間を後悔して謝罪し合うのもイヤだ。人は過去には戻れない。前に進むしかない。だったら過去の辛いことを全部踏み台にして、高く飛ぶしかないのだ。
……まあ、それが簡単に出来ないから私も皆に迷惑かけたんだけどね。
でも、今は皆が傍にいてくれるから。私は、ちゃんと飛べる。前に進める。だから、そーくんも置いてけぼりにすることは出来ない。
「……お前、時々男より男前だよな」
「あははは! 案外女の方が気が強かったりするからね!」
「……僕、ユカちゃん以上に好きになれる人に出会えるかなぁ……」
何気なく呟かれた一言だけど、それだけ一途に思ってくれたんだな。と思うと素直に「有難いな」と思う。むしろあの時の告白より今の一言の方がグッと来たぐらいだ。……むっちゃんにバレたら怒られそうだけど。
「ありがと。でも、私より“いい女”には会えないかもしれないけど、私より“好きになる”ことは出来るはずだよ」
「おっとぉ? すげえ自信だなぁ」
「ははっ! まあね! つーか言葉は使えば使うだけ、言えば言うだけ自分の力になるからね。だから自分で言っておくの! “私はいい女だ”ってね」
今までずーっと後ろ向きの言葉ばかり使って来たから。だから今度からは自分を認める言葉を使っていきたい。もう二度と「私なんか」っていう言葉で大事な神様たちを傷つけないためにも、私は自分をよくしていかないといけないから。
「それにさぁ、“好き”になったところでその気持ちを育ててあげないと、大きくはならないしね。相手のいいところだけを見つめても盲目的になるだけだし、見なければただの押し付けになる。だから簡単に“好き”って言えても、その気持ちをちゃんと育ててあげないと小さくなったり、歪んだり、押し付けになったり、都合のいい逃げ道のような言葉になると思う。だから“好き”になった後もお互い努力し続けないといけない。でもさ、人生って長いんだから。時間かけて育んでもいいんじゃない?」
一瞬で熱く燃え上がる恋に憧れる人は多いけど、私はそんなすぐに消えてしまう線香花火みたいな恋は御免だ。私はじっくりコトコトが大好きなシチュータイプの人間なのだ。だからそーくんも時間を掛けて育めばいいと思う。サボテンの花が一年やそこらで簡単に咲かないように、たくさん時間を掛けて、愛情を育てたらいつか胸を張って自慢できる“愛”になるはずだから。
「おお……。流石今度結婚する人間は言うことが違うな。夢が詰まってる」
「ほほほほ! それが出来る相手を捕まえたからだと思いなさい!」
「クソッ! 結局惚気かよ!」
「あははははっ!」
頭を抱えて嫌がるやっちゃんを笑い飛ばせば、そーくんもクスクスと笑う。でもその顔は完全に吹っ切れたようには見えないから、この辺で退散するか。と席を立った。
「そんじゃま、次に会う時はそーくんの結婚式で、ってことで!」
「は? お前結婚式に呼んでくれねえのかよ」
「残念ながら身内だけで行う予定なんだよねー。だから写真だけ送るわ」
「マジか。まあ、事情があってそう決めたならしょうがねえか。ユカ! 幸せになれよ!」
「おう! サーンキュッ!」
片手を上げて“言祝ぎ”を贈ってくれたかつての初恋相手に笑みと共に感謝を返す。そして私に初恋と、二度目の恋を捧げた男は深く俯いた後――泣き笑いのような顔で唇を開いた。
「ユカちゃん! 僕は、ずっとユカちゃんが好きだから! 絶対……幸せに、なってね……」
「……うん。ありがとう」
三度目の告白。だけど、やっぱりそれに頷くことは出来ないから。「ごめんね」の代わりに「幸せになるよ」と返せば、そーくんは下手くそな笑みを浮かべた。
でも、それを指摘するのも、慰めるのも、揶揄うのも、私の役目じゃない。だからやっちゃんに「あとはよろしく」と目だけで伝え、潔く病室から出た。
「……もうえいがか?」
「……うん。帰ろう」
ずっと病室の外で待ってくれていた陸奥守は、私たちの会話を、そーくんの告白をどんな気持ちで聞いたんだろう。
聞きたいような、聞きたくないような。何とも言えない気持ちで歩き出すと、すぐさまぶらつかせていた手を握られた。
「――ッ! むっちゃん?」
「……おまさんの“友達”は、どっちも“えい男”じゃな」
「……、へへっ。まあね!」
私の“大事な友達”を貶めるのではなく、認めてくれた陸奥守に笑みが浮かぶ。だけど同時にそーくんを三回も振ってしまったことが改めて胸に迫って来て、ちょっとだけ涙が浮かんだ。
この気持ちは“恋”じゃない。泣くほどの情熱を宿していたわけでもない。だけど、私にとってはかけがえのない友達だから。同情で応えたくはなかった。だから、これでいい。これでいいのだけれど――
「あー……。やっぱつれえぇ〜……」
友達の“好意”に応えてあげられなかったのは、やっぱり少しだけ辛い。一途に“好き”でいてくれたんだと理解出来たからこそ、ありがたくて悲しい。私以外の誰かを好きになっていたら、そーくんは火傷なんかしなかったし、順調にキャリアを積めていただろう。
だけどそーくんがいなかったら、きっと私と陸奥守はこんなにも素直に交際出来ていなかった。そーくんの気持ちを、理解することなんて出来なかった。中学時代と同じようにまた酷い言葉で傷つけただろうし、私も、精神的に成長出来ずに「私なんか」を繰り返したことだろう。
だからこれでいい。これでいいのだ。巻き戻せないなら、進むしかないんだから。
「……羨ましい男やの」
「へ? 何か言った?」
「いんや。なーんも」
ズズッ、とハンカチの奥で鼻を啜っていたから、陸奥守が呟いた言葉が聞き取れなかった。だから聞き返したんだけど、返って来たのは何とも形容しがたい笑みだけで、首を傾ければギュッと繋がれた手を強く握られただけだった。
prev / next