小説
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 小鳥遊さんの本丸から帰還し、まず初めにしたことは竜神様の宝玉を祀っていた祭壇の確認だった。
 案の定穢れた水に晒され若干傾いていたが、使えない状態というほどではなかった。だけど神聖な神様を祀る祭壇としては相応しくないので取り換えなければならない。

 次にうちの刀たちに離れの刀剣男士を確認してもらえば、どうやら彼らは異変を感じて屋根の上に避難していたらしい。そしてそこから本丸が穢れた水に飲まれ、私たちがいなくなる姿を目撃し、かなり驚いたそうだ。
 だけど意外なことに戻って来た皆だけでなく私のことも心配してくれた。

「そりゃあ主が直接助けに行った刀たちばかりだからね。普段顔を合わせることがなくても、本丸を維持しているのは審神者だってことは分かっているから。神聖な空気に包まれた本丸を運営する審神者を心の底から嫌うほど、彼らは堕ちてないよ」

 そう教えてくれたのはうちの光忠だ。現在離れにいる刀剣男士は過去一少なかったこともあり、被害は浸水した一階ぐらいであとは無事なようだ。とはいえ一階に厨や厠があるので修繕費はバカにならないのだが。特に電化製品。冷蔵庫は離れも本丸も無事逝きました。電子レンジは棚の上に置いていたから生きてたけど、冷蔵庫ないのマジ辛い。
 まあ、コンロは無事使えたから料理が出来ない、ってわけじゃないんだけどさ。でも床はグチャグチャだし、棚が倒れたせいでお皿も結構ダメになった。おかげで歌仙の顔が青を通り越して白になっていたけど、背に腹は代えられない。皆が無事なのが一番だから。とりあえず今度陶器市が開催された時には連れて行こうと考えている。

 それからもう一つ気になっていた場所は、皆で手入れしていた庭園だ。執務室から見える花壇も、裏庭に植えている花も気になっていたから見に行ったのだが、どこもかしこも酷い有様だった。
 庭園に関しては自分はほぼ何もしていないんだけど、日々の癒しだったから余計に悲しい。
 柵も舗道も花々も、全て流され土は黒く淀んでいた。流石に落胆が隠しきれずしょんぼりと肩を落とせば、励ますように「また一からやり直すよ」と皆が肩や背中を叩いてくれた。……今度は私も手伝います。絶対に。

 当然ながら庭園がそんな状態なら畑も酷い有様で、むしろ一番被害を被った場所だと言っても過言ではない。
 何せ広大な土地が完全にグチャグチャになっていたのだ。穢れた水に浸されたせいで作物は全滅だし、土もボロボロ。桑名江が見たら確実に悲鳴上げながら泡吹いて倒れるぞ。
 全体的にこんな有様だったから、暫くは出陣・遠征よりも本丸の手入れに時間を割くことになりそうだった。

 因みに資材を置いている蔵は完全防備されていたおかげで無事だった。よかったー! これで資材までロストしてたら私は立ち直れなかったぞ!!!

 でもそんな被害だらけの中以外だったのは、

「嘘でしょ? そんなことある?」
「それが事実なんだよなぁ」

 苦笑いする薬研の言う通り、何と厩にまで及んだ穢れた水から逃げるために、我が本丸の馬たちは自力で厩を破壊し、その足で本丸の中に上がって被害を免れていたのだ。
 私も時々顔を出すから馬たちのことは知ってたけど、まさかここまで知能が高いとは……。いやはや。恐れ入りました。

「ってことは、厩を立て直すだけでいいってことか」
「ま、金はかかるが馬たちが無事なのが一番だからな」
「そうだね」

 ほぼまるっと買い直すことになったし、本丸自体も畳がダメになったり縁側の床板が腐ってダメになっていたりと本当、とんでもなく修繕費が掛かりそうだけれども。武田さんが上に掛け合って保険金ぶんどってくれるそうなので多少はマシになるだろう。
 あとは事の顛末を武田さんや柊さんに説明しなきゃいけないんだけど、その前に。

「主。一つ確かめたいことがあるのだがな」
「はい?」

 諸々の確認と湯浴みを終えた夕食時。色んな刀が増えた大広間の席で三日月が笑みを向けてきた。だから何か欲しいものでもあるのかなー。とか、ご褒美に撫でろー。とか言うのかなー。なんて考えていたのだが。

「そなたの中に流れる神気が増えている気がするのだが、どういうことかいい加減説明してくれるか?」
「げえっ!」

 何故バレた?! と思ったけど、そういえばお師匠様から貰ったお守りどっか行ってんじゃん!!!
 実際首に手を触れたら毎日下げていた紐の感触がない。多分アレだ。花嫁衣裳着せられた時に一緒に切られたんだ。

 ダラダラと臨時でつけた御簾の奥で冷や汗を掻いていると、まるで逃げ道を塞ぐように鶴丸が傍に寄っては「主?」と笑みを向けてきた。更には宗三、長谷部、薬研と過保護な刀たちが正面に座って「さあ、説明を」と言わんばかりに微笑んでくる。
 ……あかん。絶対に逃がさん布陣が出来上がってしまったぞ。

「あ、あー……。えっと……それは、ですね……」

 一体どこから話せばいいのやら。
 結局陸奥守が鳳凰様の眷属になる前から、というか鳳凰様に加護を与えられた後から魂の神格化がまた一段階進み、その後視界を失い、竜神様から力を与えられたことで更に人外化が進んだことを話せば、全員から溜息を吐かれた。

「主……。何故そのような大事なことを黙っていたのだ……」
「まあ、なんとなく察してはいたんだがな。これでも俺たちは長生きだから。神気が強まればそれなりに分かる」
「ですが現世に馴染まない可能性まで出てきたとなると……」
「大将。本当にこのままでいいのか?」
「うーん……。まあ、でも実際こればっかりはなぁ。止めようと思って止められるもんでもないし」

 ぶっちゃけ受け入れるしかないと思ってる。そう伝えればまたもや全員が「頭痛が痛い」みたいな態度を取った。

「主。頼むからもう少し自分を大事にしてくれ」
「え? これでも大事にしてるよ?」
「これでも、と言っている時点でもうダメだろ」
「あんたなぁ、俺たちと違って生身の人間なんだから、もう少し気を引き締めろよ」
「主君をお守りするのが僕らの務めではありますが……」
「主自身もご自身を大事にしていただかないと……」
「皆めっちゃ言うじゃん」

 冷めないうちに食べないと忙しい中作ってくれた皆に申し訳ない。という理由でもくもくとご飯を食べながら会話していたんだけど、相変わらず皆過保護で心配性だ。でもこればっかりはなぁ。時間と一緒で進んだものは元に戻らない。
 だったらこれからどう生きるか考えればいいだけだ。

「ま、そうは言っても不安はあるよ。やっぱり」

 幾ら視界を取り戻したとはいえ、竜神様から授けて頂いた力が消えたわけじゃない。むしろ視覚が戻って来た分より一層見えるようになったのだ。皆の神気もだけど、土に残った微かな穢れとか。そういうのも。

「竜神様から貰った力も、私自身が持つ感知能力が進化した“視る”ことに特化した力も、自分じゃ制御出来ないものだから。鳳凰様からも『現世に戻れば苦労する』って言われたしね。予め忠告されるってことは、私が想像してるよりもずっと大変なことなんだろうな。とは思ってる」

 あの鳳凰様が心配するほどなのだ。本丸とは違い現世にはあらゆる人間がいる。そこに集うのは負の感情だけではない。喜怒哀楽の感情に左右され、気分が悪くなることもあるだろう。それこそ幼い頃に初めて参加したお祭りで人酔いした時みたいに。
 だから正直言うと、一人で現世をふらつくことに関して不安はある。

「だからと言って“封印”って形をとると審神者を辞めなきゃいけなくなるんだって。それ聞いて思ったんだよ。この力をコントロール出来ないことより、皆と離れなきゃいけない方が嫌だ、って。だから捨てるか耐えるかの二者択一だったら、耐える方を選ぶよ」

 鳳凰様から特別に肉体を与えられた陸奥守だけは、例えこの力を封印しても姿は見えるかもしれない。だけど大切なのは陸奥守だけじゃないから。
 恋人じゃなくても皆大事な刀で神様だ。そう簡単に切り捨てることなんて出来ない。

「だから後悔するよりも前向きに捉えようぜ! って話!」

 正直言うとそんな簡単に解決出来る問題ではないと分かってはいる。それでも皆がいれば頑張れそうだし、何だかんだ言って支えてくれそうだから。この際どこまでも甘え切ってやるわ! って気持ちで笑い飛ばせば、何故か天を仰がれたり溜息を吐かれたりした。なんでや。

「はあ……。きみの能天気さは果たして短所なのか長所なのか……」
「そのうえ無自覚に口説いてきますしね。ほんっと、手に負えないですよ」
「え? 今の話にそんな要素あった?」
「主……。僕たちは主の言葉に弱いから、色々と気を付けてね」
「っていうかみんな深読みしすぎ! あるじさんの今の発言にはそういうふっか〜い意味はないんだから! それに、あるじさんは陸奥守さんの恋人なんだよ? 他の人は手ェだしちゃダメだからね〜?」

 乱の一言に「ゲフッ!」と軽く噎せたが、事実なので否定できない。だからゴホゴホと咳を繰り返していると、当の陸奥守から「話は変わるけんど」と珍しく僅かな苛立ちを含んだ声が零れ落ちた。

「あの本丸で主の姿を象った花嫁を見た時は、ぞうくそわるうなったぜよ」

 意外と引きずっているらしい。プンスコ状態の陸奥守の言葉にギクリと肩を跳ね上げる。だって蒸し返されるとは思っていなかった。
 だけどこの件に関して腹立たしく思っているのは陸奥守だけではないようで、あちこちから同意の声が上がる。

「陸奥守の言う通りです。あんな趣味の悪い化粧までされて」
「更には主の力を封印する目隠しまでされていたんだから、腸が煮えくり返るかと思ったよ」
「歌仙の言う通りだよ。俺としては主の声まで模倣してたことが許せない」
「俺は足元まで拘束されていたからな。それさえなければ影ごとへし切っていたところだ」
「うおお……」

 口々に文句を垂れる刀たちだけど、実のところどうやって奪われた“視界”を取り戻したのか。その方法についてはまだ教えていない。だって本丸の状態を確認するのが先でそれどころじゃなかったというのもあるし、出来れば限界まで秘密にしておきたかった気持ちもある。
 だから皆が聞かないならそれでいいや! という軽い気持ちでいたのだが、まさか戻ってきたその日に聞かれるとは思っていなかった。

 くそう。皆流されてくれないかな。と微かに願ってはみたけれど、殆ど食べ終わっていた陸奥守は御簾の奥で視線を逸らした私にピンと来たらしい。即座に「主」と呼んでくる。

「まさかとは思うけんど、あれ、おまさんの策ながか?」
「はひっ?! にゃ、にゃにが?!」
「大将は本当に嘘つけねえなぁ」
「もうその反応が答えみてえなもんじゃねえか。ほら、さっさとゲロっちまえ」
「こら、和泉守。食事中に下品な言葉を使うんじゃない」
「じゃあ雅な言い方してみろよ、之定」
「…………そう言うのは食事が終ってから言えばいいんだ」
「思いつかねえだけじゃねえか」
「うるさい」

 愉快な兼定コンビのやり取りに笑ったものの、いつの間にか隣に来ていた小夜にギュッと手を握られ、席に戻った宗三たちの代わりに真正面にどっかりと陸奥守が座り込む。更には有無を言わさぬ笑み付きで「逃がさんぞ?」と釘を刺され、そっと目を閉じた。

 うん。これは逃げられませんね。

 ということで。

「さーせんっした!!!」
「おう。大将。勢いのいい謝罪だなぁ」
「主! なんで君はそう大切な時に口調が雅じゃなくなるんだ!」
「まことに申し訳のうございます歌仙様!!」
「そうじゃない!!」

 歌仙からの渾身の突っ込みという名の魂の嘆きを頂きつつ、例の“強奪”に話した“賭け”の内容を正直に、恐る恐ると言った体で伝える。
 ぶっちゃけあの時は「うちの刀なら分かってくれるだろ」と軽い気持ちで口にしたのだが、何故か当の刀たちからは深いため息が返された。

「ねえ……主。もしも、もしもだよ? 僕たちが間違えてたらどうなってたと思うの?」
「んー……。ごめんけど考えてなかった」
「主! 本当に君という人は! つくづくお説教が必要なようだね!」
「そうだよ! あの本丸に流される前にも丸腰で戦場に飛びだしてきて! 僕忘れてないからね?!」
「それを言うなら陸奥守もだろ。あんな無茶しやがって。このバカ主従が」
「妙なところで似ているバカップルなんですから、ほんっとうやってられませんよ」
「マジでごめんなんだけど皆めっちゃ毒吐くやん!! ごめんて!!」
「反省が足りない!!」

 うぅ〜! 皆めっちゃ怒るじゃん〜! いや、分かってたけどさぁ……。でも最悪むっちゃんと小夜くんぐらいなら分かってくれると思ってたし……。実際当ててくれたわけだし……。

「あ。そういえば誰が当てたの? あれ私じゃないって」
「おん? わしに決まっちゅうろう」
「ま? さっすがむっちゃん! でも何で分かったの? 結構似せて作ってたみたいだけど」

 あの時“強奪”は『なかなかいい出来ですよ』と笑っていたのだが、自分ではよく分からなかった。だから一体どこで陸奥守が気付いたのか気になって尋ねてみれば、陸奥守は「名前」とかなり簡潔に答えた。

「名前?」
「おん。あいたぁにわしの名前を呼ばせただけじゃ。試しに今わしの名前呼んでみ」

 むっちゃんの名前?
 意味がよく分からないけど、呼べと言われたら呼ぶしかない。だから何となく皆がこちらに意識を集中させている気配を感じながらも、いつものように彼を呼ぶ。

「むっちゃん」
「おん。そうやけどそうやのうて」
「あ、フルネーム?」

 宗三の言う通り『バカップル』っぽい姿を晒したようで恥ずかしくなる。だけどフルネームで呼べと言われたら呼ぶに決まっている。でも、それに何か意味があるのかな?

「“陸奥守吉行”――」

 何故か吉行、と言った辺りで皆の視線が鋭くなる。え? なに? 怖いんだけど。
 でも私の口はそこで閉じることはなく、そのまま残る“二つの音”を紡いだ。

「“さま”。……で、当ってる、よね?」

 え? なに? まさか名前呼び間違えたとか? そんなことある?
 不安に思いつつも陸奥守と小夜の顔を交互に見遣れば、何故か陸奥守は「んははは!」と機嫌よさそうに笑い出し、小夜は「ああ……。なるほど」と頷いた。
 え?! ちょ、なになに?! なんなの一体!!

「はーい。主に質問でーす」
「は、はい? なに? 加州」
「なんで普段は“むっちゃん”なのに、フルネーム呼びになると“様”がつくんですか〜?」
「えあ? あー……。これは感覚的な話になっちゃうんだけど……」

 何度も口にしていることだが、彼らは私にとっては間違いなく“神様”だ。だけど同時に“刀”という無機物でもある。幾ら付喪神が宿っていようとも、審神者になるまでその姿を見たことは一度もなかった。
 刀以外もそうだ。他の、それこそ博物館やら資料館やらに展示されている様々な歴史物に付喪神が宿っていたとしても、この目で確認出来たことはない。
 だから何となく、本当にただの感覚的な話になってしまうのだが、

「私の中では“陸奥守吉行”って呼ぶと、本体の方……刀の方を指している感じがするんだよね」

 刀剣男士は、言ってしまえば本家本元から枝分かれした存在だ。バグやら審神者の性質やらが大きく作用しない限り、同じ記憶を持ち、同じ声、体格、性格を持っている。だけど幾ら同じ個体と言えど、後天的に得られる情報や生活環境により性格や考え方は変わる。
 うちの陸奥守が比較的落ち着いていると言われるように、悪戯好きな個体もいれば、声が大きくて新しいものが好きで、本丸を賑やかしたり、酒盛りが好きな個体もいる。中には審神者が使う方言が移り、土佐弁と別の方言がごっちゃになっている陸奥守もいると聞く。
 だから何となく彼のことを『陸奥守吉行』と呼ぶ時は、その冷たい鋼の方を呼んでいる気持ちになるのだ。

「でも、私が選んで、私が最初に呼んだ神様として存在している“陸奥守”は、ここにいる彼だけだから。だからむっちゃんの名前を正式に呼ぶ時は、神様を“神”って呼ばないように、名前に“様”をつけちゃうんだよね」

 幾ら本体が刀であろうとも、傷を負い、血を流し、時に涙を流し、心底から私を愛し、心配してくれる“陸奥守吉行”は目の前にいるこの神様だけだから。

「呼び捨てなんて出来ないよ。だって大事な神様だもん」

 やっぱり最初の神様って特別だよなぁ〜。っていう思いもあって答えたのに、何故か質問した加州からは「なんかむかつく〜」と心外すぎる一言を貰い、和泉守からは「如何に陸奥守が主を理解しているのか見せつけられた気分になって気持ち悪い」とまで言われた。
 何でやねん!!!!

「ていうか、何でこんな質問されたわけ?」
「陸奥守くんがね、その偽物の主に言ったんだよ。“最後に自分の名前を呼んでくれ”って」
「はあ。それで?」
「で、その偽物の主はこう答えたのさ。“陸奥守吉行”ってな」

 光忠と鶴丸の答えで理解した。なるほど。あいつむっちゃんの名前に“様”ってつけなかったのか。不敬者め。

「……え?! それだけ?!」
「おん。それだけじゃ」
「いや! 他にも質問あったでしょ?! 私がうっかり、それこそ空気に呑まれて“様”つけるの忘れた可能性だってあるわけじゃん?!」
「それはないやろう。おまさんがわしを呼び捨てにする時は、他所の本丸でわしの話をする時ぐらいじゃ。そん時も“うちの陸奥守”ち言うじゃろ」

 よく理解していらっしゃる!!!

 これは社会人経験がある人なら誰しもが理解してくれると思うのだが、通常自社の人間を他社の人たちの前では「さん」付けして呼ばない。電話応対でもそうだ。
 相手側が「陸奥守さんいらっしゃいますか?」と尋ねて来ても「陸奥守さんですね」とは言わない。「陸奥守ですね。少々お待ちください」が正解だ。相手が年上だろうが上司だろうが社長だろうが関係ない。うっかり“さん”付してしてしまう時はあるにしても、基本的には言わないのがマナーだ。
 だから他所の本丸に行った時に陸奥守の話をする時は、相手方の本丸の陸奥守と混同しないためにも「うちの陸奥守」と呼ぶ。

 つまり。日頃から幾ら親し気に「むっちゃん」と呼んでいようと、私が彼を「大事な神様」と思っている以上呼び捨てにすることはない。と陸奥守は信じていたわけだ。

 ………………なんか、そう考えたらむっちゃんの私に対する理解力すごくない? ビックリするんだけど。

「あ。でも、陸奥守さんは他にも理由はある、って言ってましたよね」
「そう言えばそうでしたね」
「え? そうなの?」
「おん。あるにはあるけんど……」

 自信満々な姿から一転。妙に歯切れが悪いというか、言いたくなさそうな顔をする陸奥守に乱が「教えてよ〜」と可愛らしく強請る。そうすれば秋田や五虎退も「知りたいです」と続いたので、陸奥守はため息を一つ零してから私の頬に手を伸ばした。

「黒子じゃ」
「は? ホクロ?」
「おん。主の右耳の、耳たぶのところに二つ、斜めに並んだ黒子があるがよ。前に主から“それを目印に耳飾りつけゆう”ち聞いたことがあったき、真っ先にそこを見て、黒子がなかったき“ありゃ別人じゃ”ち思うたわけじゃ」

 頬に伸ばしたと思った手は、そのまま髪を掻き上げ耳にかけてくる。確かに昔、何気なく「ピアスを開けるのが怖いからイヤリング派なんだけど、ここのホクロを目印につけてんだよね〜」と話したことはある。
 だけどまさかそんなことを覚えているとは思わずギョッと目を剥けば、陸奥守は「他にもある」と言い、どこか可笑しそうに笑った。

「主は目が見えんくなった時、和泉守たちの顔の位置が分からんでよう訂正されちょったけんど、わしと小夜だけは絶対間違えんかったがよ」
「ヴァッ!!」

 いや、別にこれは確信があったわけじゃないんだけど、一番長く過ごしていたせいか、二人の身長というか、大体の顔の位置は覚えていたのだ。じゃあ和泉守とか鶴丸とか光忠の顔の位置が分からないのか? と聞かれたらそんなことはないんだけど、微妙に声が降って来る位置と記憶が一致しなくて「そこじゃねえ」と言われたことがちょこちょこあるのだ。
 だから恥ずかしくて硬直したのだが、小夜だけは納得したように「ああ、あの時の」と呟いた。

「主が陸奥守さんを探すように顔を傾けた時、影が補佐するように顎を掴んで動かしたから別人だと分かったんだね」
「そういうことじゃ。ま、この三つしかあそこでは分からんかったけんど、当たっちょったきえいろう」

 陸奥守はカラカラと笑うけど、これだいぶすごいことでは……?
 現に私と同じことを思った刀はいたようで、長谷部は「黒子の位置……知らなかった……」と呟いていたし、巴形は「右耳の耳たぶに黒子が……。成程」と心に書き留めるかのように頷きを繰り返していた。逆に和泉守は「細かすぎて気持ち悪い」と顔を顰め、加州は「俺だって負けてないし!」と謎の対抗心を燃やし始めた。
 ……いや、うん。本当、むっちゃんすげえです……。

「まあ、私も花嫁衣裳着せられた、って分かった時には愕然としたよね。流石にね」

 目が見えなかったから実際に花嫁衣裳を着た自分を見たわけではないけれど、好きでもねえ奴の花嫁に一瞬でもされかけたんだから嫌な気持ちにもなる。
 それは皆も同じなのか、小夜なんて特にキツク眉間に皺を寄せた。

「そもそも純白の花嫁衣裳を真っ黒に染めるとか趣味悪すぎだよね。反吐が出るっつーの」
「はい。確かに主は黒い服を好んで着ていますが、あんな汚らわしい衣装は着ないで欲しいです」
「そ、そんなに?」

 そんなに酷い見た目だったのだろうか。と首を傾けたけれど、そういや視界を取り戻した後も衣装適当に脱いで走ったしな。あんまり見てねえや。

「ほにほに。やっぱり花嫁衣装は白が一番じゃ」
「陸奥守の言う通りだ。それに白無垢ってのは“あなたの色に染まります”という意味も込められている、なーんて謳われるほどに新郎新婦にとっては大事なものだ。それを最初から染められてたら男としては腹も立つさ」
「へえ〜。じゃあむっちゃんの色に染める、って言われたら何色になるんだろう? やっぱりオレンジなのかな?」

 でも上着黒だしなぁ。と思いながらデザートのわらび餅を食べていたら、何故か目の前に座っていた陸奥守は硬直するし、小夜はこっちをガン見していた。
 他にも『あなたの色云々』と口にして笑っていた鶴丸も完全に時が止まったような顔でこっちを見ている。っていうか全体的に皆の動きが止まっていた。動いているのは新たに来た古刀太刀三名だけだ。

 え? てかなんで皆固まったの? なうろーでぃんぐなう?

「あ、あるじ……」
「ん?」
「その……今の、は……」

 何故かぎこちない様子で尋ねて来る小夜に首を傾ける。私なんか変なこと言った?

「あ。もしかしてむっちゃんのイメージカラー違った?! やっぱり黒?!」

 上着黒だもんね! うっかり修行に出る前の衣装のことも考えて「オレンジかなぁ」なんて言ったけど、恋人のイメージカラー間違うとか彼女としてやばくねえか?! と焦ったんだけど、小夜は「違うよ!」と珍しく食い気味に突っ込んできた。
 お、おう。本当にどうした?

「そうじゃなくて! そこじゃなくて!」
「お、おう?」
「ほほ。そなたわざとかと思うたが、本当に分かっておらぬようだな」
「へ? 何がです?」

 ここでチマチマとご飯を食べていた、来歴も性格もちゃんと把握できていない刀――三日月や鶴丸ですら子供扱いするというとんでもねえ古い刀である『小烏丸』が上品に笑った。

「そなたの先の発言は、つまるところ“自分が陸奥守の嫁になった時”を想像してのことだろう? 告白したも同義よ」
「え? あ、あ〜。そういうことですか」

 なーんだ。イメージカラー間違ったかと思ってビックリしたじゃん。と思ったけど、何故か皆から「何でそんな軽い反応なんだ?!」と突っ込まれてしまった。

「いや、だって私もむっちゃんも“遊び”で付き合ってないし。ていうか遊びで神様と交際するとか罰当たりじゃん」
「違う。そうだけどそうじゃないよ、主」
「ん?」
「だーかーらー、なんであんな発言したんだよ、って話だよ!」

 和泉守に急かすように突っ込まれ、そういや何でそんな話になったんだっけ? と思い返してからハッとする。

「そっか。そうだよね。こんな話するならまず先に言わなきゃいけないことあったよね」
「え? 主? 今度は何を言うつもりなの?」

 何かを察知したのか、ギュッと小夜が袖を握ってくる。だけど「大丈夫! 安心して! つーか任せて!」と言わんばかりに頷き、胸を張って堂々と、目の前に座る、というか未だに硬直している恋人に向かって“プロポーズ”した。


「むっちゃん! 私と結婚しようぜ!!」



「……は、はあああああ?!?!?!?!」


 ドッ、と本丸が揺れるような衝撃――。という名の全員の大声に、思わず両耳を塞いでしまう。いや、だって鼓膜キーンってなったんだもんよ。

「な、な、なにを……!」
「おま、なん、いま……!」

 なんか皆揃いも揃って口をパクパクさせているけど、別に女からプロポーズしたらダメとかいう理由なくない? それに今回の件を通して思ったんだよね。

「だって花嫁衣裳無理矢理着せられた時にさぁ、どうせ着るならむっちゃんが相手じゃないとヤダなー。って思ったんだよ」

 色が白だったとか黒だったとか、その辺は割とどうでもよくて。大事なのは“誰と”するか。“誰のために”着るかだと思う。

「まぁ、言うて別に式は上げなくてもいいんだけどさ。その辺に関しては特に拘りがないから。でももしもまた次にこんな事態が起きてさ、そん時も同じこと思うぐらいならさっさと結婚して『残念だったな! 私はもうむっちゃんの嫁なんだぜ!』って言いたいじゃん。それに、前々からそういう話は出てたし」

 一緒にお風呂云々のくだりもそうだったけど、やっちゃんのお母さんと出くわした時にほぼプロポーズされたも同然なこと言われたしね。あの時は照れ隠しもあって思わず手が出ちゃったけど、嫌だったわけじゃない。むしろそういう気持ちでいてくれたんだ。と思ってちょっと嬉しかったぐらいだ。

 ただあの“強奪”にも言ったけど、結婚が“最上の幸せ”だとは思わない。だって結婚したところでその先の人生は続くわけだし、この戦争だって未だに収束を見せていない。だから卑怯な言い方をすればずっと“恋人”でいた方が色々と楽だとは思う。面倒な手続きもしなくていいし、もしも彼が折れた時に未亡人にならずに済むから。だけど――

「あとはまあ、私にも人間としての欲がありますので。だってうちのむっちゃん他所様の審神者様たちに人気みたいだし。私のことを好きでいてくれるうちに捕まえておこうかなぁー。と思いまして」

 だってこっちは特別顔が綺麗なわけでもないし、可愛いわけでもない。自慢できるのは素直さぐらいで、口の悪さはよく歌仙に叱られるレベルだ。頭もよくないし、いいところを探す方が難しい。だからまあ、なんて言うの? つくづく性格悪いと思うんだけどさ、現代人と違ってそう簡単に「離婚すりゃいいや」と思うわないだろうから、私を嫌いになる前にちゃんとした関係に落ち着いた方が安心出来るかな。と思ったのだ。主に私が。

「そりゃあむっちゃんに他に好きな人が出来たら話は別だけどさ。でも皆基本的には想ったら一途じゃん? だから私のことずっと好きでいてくれるかなー……なんて」

 結局のところ臆病者なのだ。私は。誰かに嫌われるのが怖い。例えそれが友人であろうと家族であろうと関係ない。だから“いい顔”だってするし、いい人ぶる。そんな小汚い自分が陸奥守みたいな“いい男”にずっと好きでいてもらえる確率は低いとは思うんだけど、だからこそ釣った獲物が盲目的になってくれているうちに契約結んでおこうかと思って。

「ま、『惚れた方の負け』ってやつだよね。そう言う意味では“初期刀”としてむっちゃんを選んだ時点で“一目惚れした”とも言えるだろうし。結局私はむっちゃんには勝てないからさ」

 だから最悪、陸奥守に「他に好きな人が出来たき別れてくれ」と言われたら頷いちゃう気がする。なんて考えていたら、ずっと硬直していた陸奥守が突然目の前にあった膳を押しのけ、勢いよく抱きしめてきた。

「にぎゃっ?! な、なに?!」
「おまさんは、ほんに……!」
「あ。あー、いやなら断って――」
「イヤなわけないろう!!」

 お、おう。食い気味に否定された。しかもいつもより抱きしめる腕は強いし体も熱い。……えっと、これ、何気に喜ばれているということでは?!

「ってことは、オッケーってこと?」
「何で疑うがよ。あとわしは浮気なんぞせん」
「強めの断定系ですね?」

 なんか、いつも余裕があるというか、泰然と構えている姿ばっかり見ているせいか、こんな風に熱の籠った感情をぶつけられるとドキドキしちゃうな。ていうか普通に嬉しいんだが。

 それにしても、自分からプロポーズしておいてアレなんだけど、むっちゃんが私の旦那様か〜。
 いやー、今更だけど彼氏が出来て数ヶ月後に「結婚しようぜ!」は流石に早過ぎな気もする。けど何だかんだ言って同じ家(?)で二年間一緒に暮らしてきたからなぁ〜。私はともかくとして、陸奥守はこっちのことビックリするぐらいよく理解してくれてるし。何かあれば気遣ってくれるし助けてくれるし、これ以上にいい男他にいないのでは?
 ただ問題があるとすれば私がいい嫁になれるかどうかの話で……。

「あ、そうだ。むっちゃん」
「おん?」
「分かってるとは思うけど、私、公私混同はしないから」

 仕事は仕事。プライベートはプライベートだ。だから仕事中にそういう発言とか触れ合い方して来たら容赦なくぶん殴るからな。と伝えれば、何故かゲラゲラと笑われた。

「そがなことわざわざ言わんでも分かっちゅうよ」
「あ。そう? ならよかった」
「おーの。やき、休憩時間と夜は覚悟しとうせ」
「おん?」

 あれ? もしかして今、ものすげえ不穏なこと言われなかった?
 若干「なんか不味い言葉聞いた気がする」と思ったんだけど、ここで聞いたらとんでもない答えが返ってきそうな気がして口を閉じることした。うん! ワタシボケツホラナイ!

「えっと……。その、今度こそ、おめでとう、で、いいんだよね?」
「あ。うん。ありがとう、小夜くん」

 陸奥守と恋人になったことがバレた時は軍議中だったから「アホーッ!」と叫んだけど、今は夕餉の時間だし、ほぼプライベートと言っても過言ではな――

「ってそうだよ! 私皆の前でプロポーズしちゃったね?!」
「今更?!」
「嘘だろ主! あんたそこからかよ!」
「さっき私たち盛大に突っ込んだでしょうが! あなた何聞いてたんです?!」
「いやもう驚かせないでくれ。これ以上の驚きは鶴さんも処理しきれん」
「はっはっはっ! 鶴丸が大の字になって倒れておるぞ、主よ。そなたはすごいなぁ」
「ははは。見事な轟沈っぷりだなぁ、鶴丸。お前の醜態で茶が美味い」
「性格悪いなきみは!」

 途端に騒がしくなったけど、まあこれがうちの特色ということで。

「じゃあ後で竜神様に報告しに行こ〜」
「……主って、照れる時とそうじゃない時の差が激しいよね……」
「え? そう?」
「おーの……。わしが告白した時は照れちょったがに、今は平然としちゅう……」
「あー……。まあ、ほら。一度はむっちゃんに告白されたけど、私振っちゃったじゃん? だから今度告白する時は自分からじゃないとなー。と思って」

 当時は「刀と付き合うことなんて出来ない」と思ったけど、今は自分が人間じゃなくなってきてるし。だったらもう『神様に恋しちゃっても許されるんじゃないかな?』と思い始めたのだ。

「だからこれからもよろしくね? 私の旦那様っ」

 なーんて、と続けようとしたのに、珍しく勢いよく桜の花びらが落ちて来るし、陸奥守は顔を覆って項垂れるしで、何だか可笑しくなって笑ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


 さて。私が陸奥守に「結婚しようぜ!」と申し込んだ翌日。改めて巴形薙刀、後藤藤四郎、亀甲貞宗、物吉貞宗、数珠丸恒次、蛍丸と主従の契約を結ぶことになった。

「まあ、うちに来て既に十分理解したと思うんですが、私こういう人間なので。色々と苦労をおかけすると思いますが、改めてよろしくお願いいたします」
「ああ。こちらこそよろしく頼むぞ、主」
「今からは“大将”って呼べるんだよな! こらからよろしく頼むぜ、大将!」
「ご主人様のために頑張るよ」
「はい! ボクが主様に幸運をお運びいたしますね!」
「頂いたご恩を、必ず返しましょう」
「うん。俺こそよろしく、主さん。俺のこと、ちゃんと使ってね」

 過去この身に起きた諸々の濃い事件はそのうち発覚すると思うので今は黙っているが、もしもその時に彼らが契約を破棄したいと言ってきたらその時に考えよう。
 なんて考えていると、長谷部が黙ってこちらを見ていた日本号さんの脇腹を肘でどついた。

「おい。貴様はどうするつもりだ。この飲んだくれ」
「誰が飲んだくれだ。ここでは控えてただろうが」
「どこがだ! 我が本丸では貴様ほど飲む刀はそういないから、あっという間に酒が尽きたんだぞ!」
「ああ、そういや嬢ちゃんが飲めねえんだったか」

 日本号さんは気だるげな態度と表情で後頭部をガシガシと掻いた後、威嚇するように睨む長谷部から逃げるように近付いてきた。

「おう。嬢ちゃん。昨日はよく眠れたか?」
「はい。あれだけ大騒ぎしたせいか、ぐっすり眠れました」

 それこそ夢を見ることなく快眠だったぜい! と言わんばかりに答えれば、日本号さんは「そうか。そいつぁよかったな」と優しく表情を綻ばせた。
 ……ただ、その表情からは彼がどうありたいのかを読み取ることは出来ない。そりゃあ欲を言えばうちに残ってほしいけど、こればかりは強制出来ないししたくない。だから黙って見つめていると、日本号さんもじっとこちらを見下ろした。

「あんたも知っての通り、俺は主君と仲間を殺した槍だ。あんたが道を違えた時は、同じように刺し殺すだろう」
「日本号、貴様……!」
「長谷部。怒らないの。むしろそういう方がいてくださった方が安心します。一番恐ろしいことは、主と呼ばれる私が道を踏み外すことと、それを諫める者がいないことですから。道を違えた時に刺し殺してでも止めようとして下さる方がいらっしゃるのは、有難いことです」

 これは紛れもない本心だ。勿論私が“主”になってしまえば彼を無理矢理刀解することだって出来る。だけど体躯に恵まれた日本号さんを刀解室に連れ込むだけの腕力なんてないし、彼は私にとって思い出深い、そして憧れの槍だ。そんなこと操られでもしない限り出来っこない。

「はっ、流石だなぁ。こんな男でもあんたは望んでくれるのか」
「勿論です。日本号さんが嫌でなければ、ここに残って欲しいと心から思っております」

 これは恋愛感情とかそういうものじゃない。本当に個人的な思い出というか、そういう“審神者”らしからぬ、“主”としては決して褒められない理由から来ている願いだ。だから余計に無理強いしたくなくて苦笑いすれば、日本号さんは暫く見定めるようにこちらを見つめた後、手にしていた槍を掲げて見せた。

「天下三名槍が一本にして、日の本一の呼び声も高い、日本号だ。……ま、詳しく説明せずともあんたは色々と知ってはいるだろうが、ここにいる俺は主人殺し、仲間殺しの槍でもある。扱いには、十分気をつけな」
「――はい! ありがとうございます!」

 ブワッ、と一気に、それこそ指先から髪の毛の先まで電流が走ったみたいに喜びが駆け抜けていく。もしも私が刀剣男士だったなら、今頃一帯は桜で埋め尽くされていただろう。
 そんな私に日本号さんは笑うと、熊毛製の毛鞘に包まれた自身を私の手に乗せてきた。

「うわっ、わわっ!」
「ははっ。折角俺の持ち主になったんだ。一度ちゃんと手に取ってみな」

 槍そのものは細いのに、持てば存外ずっしりとした重みがある。自分のような低身長では絶対に振れないその槍を、改めて握って確かめた。

「重い……」
「持つ分にはまだマシだろうが、嬢ちゃんが振るうにはちとキツイだろう。ま、武器なんてどれもそんなもんさ」

 軽く笑う日本号さんに許可を貰ってから毛鞘を抜く。そうして優美な曲線を描く穂先、倶利伽羅龍が掘られた刀身を空に向かって掲げれば、太陽の光を反射して白銀の刃が虹色に煌めいた。

「きれー……」

 いつまでも見ていられる美しい刃だけれど、その姿を見ていると不意に喜び以上の切なさが胸を押し上げてくる。それに自分自身が驚いて慌てて取り繕おうとするも、間に合わずに目尻から形となって零れてしまう。だから慌てて拭ったのだが、結局喉がヒクッ、と戦慄いたせいで泣いていることがバレてしまった。

「お? おいっ、嬢ちゃん。どうした」
「主?! 大丈夫ですか?! どこかお加減でも――」
「ち、違う! 大丈夫! ただ――」

 ただ、あまりにも懐かしかったから。気持ちが、溢れてしまっただけで。

「そういえば、おじいやんとの思い出が詰まっちゅう、っち話をしちょったの」
「……うん。長谷部とは出合い頭にやらかした時に言ったけど、私のおじいちゃん、福岡の人でさ。生まれも育ちもずっと福岡で、学生の時、学校行事で訪れた博物館に展示されていた“日本号”を見て、一目で好きになったんだって」

 祖父は基本的に優しくて、よく笑う、愉快な人だった。おっとりしているところも確かにあったけど、野球と日本号の話になるとそれはもうすごかったのだ。

「一緒に見に行ったのは大きくなってからなんだけど、多分、ちっちゃい頃に見に行っても訳分かんないだろうなー、って思ったんだろうね。高校生のお正月休み、じいちゃんが亡くなるちょっと前だった。長谷部が一緒に展示されてる一月に初めて福博に行ってね? そこで兄ちゃんと一緒に、初めてじいちゃんが大好きな“日本号”を見たの」

 刀剣男士として顕現している『日本号』の鞘はかつて使用されていたとされる熊毛製の毛鞘だけど、福岡市博物館に展示されている鞘は後に新調された螺鈿細工が美しいものだった。
 それが柔らかい照明の中でもキラキラと輝いて、刀剣のことなんて何も知らなかったのに、じいちゃんが一目惚れするのも頷けるほどに綺麗だと思ったのだ。

「――綺麗だった。本当、これ以外の言葉なんて見つけられないぐらい綺麗で、何時間でも見ていられそうだった。じいちゃんもそうだったって。初めて見た時“日本号”の前から動かないから怒られた、って言ってた」

 子供ながらに見惚れるほどの名槍は、その後もずっと祖父の人生に関わってきた。

「事ある毎に見に行ってた、って話してくれた。それで、初めて“日本号”を見た時に私がさ、じいちゃんに「キラキラしてすごく綺麗だった。神様みたい」って子供っぽい感想伝えたらさ、じいちゃんがすごく喜んでくれて……」

『そぉやろ〜! ばあちゃんも同じこと言ってくれたけんね〜。だけん、じいちゃん、嬉しくなってよぉ。ばあちゃんに「綺麗やね〜。神様みたい」っち言われた時、思わずプロポーズしとったばい!』

 と笑いながら教えてくれたのだ。流石にプロポーズの言葉までは教えてくれなかったけど、その時の嬉しそうな横顔は、未だに忘れられない。

「ばあちゃんと同じこと言ってる、って笑われて、その後『やっぱりばあちゃんの孫やねぇ』って言われた時、すごく嬉しかったの。私が生まれてすぐに亡くなったから、ばあちゃんがどんな人なのか何も知らなかったからさ」

 そりゃあ両親や祖父から聞いた話は沢山あるけれど、どれも人から聞いた話ばかりで、私が自分の目で見て判断したことじゃない。だから時折「似てるねえ」と言われてもピンと来なかったのだ。

「でも、じいちゃんがあんなに嬉しそうな顔で笑って『似てる!』って言ってくれた時、すごく嬉しくて……。だってずっと、自分の誕生日とばあちゃんの命日が近くて、なんか、うまく言えないけど……会えないの、寂しかったから……」

 兄はまだ小さかったけど、祖母との思い出は微かに残っている。笑顔が優しい、おっとりとした料理上手な人だったと教えてくれた。でも、私はばあちゃんが作ってくれたご飯なんて一度も食べたことないし、写真でしか顔も見たことない。声なんて聞いたことすらない。
 いつだって頭の中で思い描く『おばあちゃん』は皆が語る姿だった。だから――。

「大好きなじいちゃんがさ、ずっとずっと大好きなばあちゃんに『似てる』って言ってくれたの、嬉しかったんだよね。私、じいちゃんっ子だったから。本当にすごく嬉しくて……」

 だけど審神者になった時、当時の担当官『鬼崎』にこう言われた。

「でも、私は霊力が少ないから。槍は顕現出来ない。って説明されたの」

 受け取った資料の中に『日本号』の名前を見つけた時の喜び。だけど質問する前に淡々とした調子でもたらされた一言に、一瞬で絶望に落とされた。

「なんか……それが悔しいっていよりも悲しくってさ。『あ〜……。じいちゃんに顔向けできねえ〜』って思って。でも霊力がないならどうしようもないじゃん? 諦めないと。って、遊びじゃないんだから。これは戦争なんだから、って。思おうとした」

 それでも襲い掛かってきたショックはすごくて、資料を受け取ったその日は眠れなかったし、ご飯も喉を通らなかった。
 だからせめて“へし切長谷部”だけでも、と思ってたら空回った挙句事故るしね。本当、笑えない。

「でもさぁ、やっぱり人間って欲が深くてダメだね。他所の本丸とか、演練会場で日本号さん見る度にさ、じいちゃんのこと思い出しちゃって……。心の中でいっつも『じいちゃんごめんね』って謝るしかなくて、ホンット辛いし情けないし、向けちゃいけない嫉妬心抱きそうっていうか実際に向けそうでさ。慌てて視線逸らしてた」

 皆が気付いていたかどうかは分からないが、目で追わないようにしていても彼は身長が高いから。すっといきなり視界に入って来た時は心臓が跳ねたし、その度に何故か後ろめたい気持ちになっては苦いものが込み上げてきた。

「だから、この手で“日本号”に触れる日が来ることは一生ないんだろうなぁ〜。って、諦めてたんだ」

 野球とお酒と日本号が大好きで、だけどそれ以上に家族が大好きで優しかったじいちゃん。今の私がいるのは、じいちゃんが沢山、大事なことを教えてくれたからだ。だから――

「だから、今、めっちゃ嬉しくて……! ずっと、うちでは会えないって、思ってたから……!」

 政府の仕事としてブラック本丸から救出しに行った時に、他の日本号さんにも会ったことはある。かつて離れに隔離していた個体もいた。だけど彼らは皆違う審神者の元に旅立ったし、時には刀解を望む個体もいた。だからうちに残って、私と契約してくれる“日本号”がいるなんて思ってもみなかったから――

「ごめんなさっ、泣くつもり、なんて、なかったのに……」

 止めたくても後から後から涙が溢れて止まらない。憧れの“日本号”が来てくれたんだから、笑顔でいたかったのに。色んな感情がごっちゃになってグズグズになって、全然笑顔でいられない。
 むしろ「う゛ぅ〜」と唸りながらひたすら袖で目元を擦っていると、すぐにハンカチが差し出された。

「主。そのように強く擦られては赤くなってしまいます。どうかこれをお使いください」
「長谷部……。ありがと……。でも日本号さん持ってるから受け取れない……」
「そんなもの地面にポイッ、で大丈夫ですよ」
「おい。捨てさせようとすんな」

 長谷部と日本号さんの打てば響くようなやり取りに思わず笑えば、日本号さんはフッと表情を緩めて私の手から自身を引き上げた。

「まさか泣くほど喜ばれるとはなぁ……。これじゃあ天国にいるじいさんに『可愛い孫を泣かせるな』って怒られちまうかぁ?」
「あはは。むしろ逆じゃないですかね。『日本号折ったらいかんぞ!』って私の方が怒られますよ」

 長谷部から受け取ったハンカチで涙を拭いつつ言い返せば、日本号さんは「元気なじいさんだな」と笑ってくれた。そして改めて、地面に膝をついてまで私と視線を合わせてくれた。

「安心しな。今日から俺はあんたの槍だ。あんたが道を違えぬ限り、俺が折れない限り、最後までこの槍、あんたのために振るうと誓おう」
「……はい。至らぬ審神者ではありますが、改めてよろしくお願い致します」

 日本号さんと話しているうちに涙も引っ込み、長谷部には折角だから新しいハンカチでもプレゼントしようかな。なんて考えていると、長谷部が「主」と呼んでくる。

「折角ですから、俺がこいつの隣に座りましょうか?」
「え? いいの?」
「ほお。お前さんがわざわざ俺の隣にか?」
「うるさい。主のためだ。断じて貴様のためではない」
「んなこと分かってらぁ。気色悪いこと言うな」
「貴様が言い出したんだろうが!」
「あはははっ!」

 相変わらずなやり取りをする二人だけど、それでも長谷部はわざわざ私のためにと日本号の隣に座してくれる。土の上だから膝が痛いだろうに。それでも初めてじいちゃんと見に行った、福博での二振りのように並んでくれた。それがすごく嬉しくて――同時にもっと頑張らないとな。と思えた。

「ありがとう、長谷部。日本号さん。今度じいちゃんの墓参りに行ったら、めちゃくちゃ自慢して来ます!」

 だからもう優しい二人が心配しないように、わざとらしいぐらいに明るい声を出せば日本号さんは笑い、長谷部は「俺の話もしてくださいね」と微笑んでくれた。
 そんな私たちの後ろで、私のなっさけない姿を黙って見守っていてくれた刀たちがコソコソと囁き合う。

「そりゃあさ〜、長谷部が来た時にうっすらと話しは聞いてたけどさぁ。あんなエピソードあるとか日本号ずるすぎない?」
「愛されたい刀代表としては思うことがあるってか?」
「兼さんもちょっとウルウルしてたもんね」
「う、うるせえ! 見てんじゃねえよ国広ォ!」
「こら。大声を出すんじゃない。それにしても、言葉遣いはともかくとして、美しい家族愛が詰まったいい思い出だ。雅だねぇ」
「主のああいう素直で一所懸命な所、応援したくなっちゃうよね」
「ああ。しっかし泣き顔ですら愛おしく感じるんだから、人間ってのはずるい生き物だよなぁ」
「驚いたか? 鶴丸」
「今更驚きはせんさ。人間の泣き顔なんて数えきれんほど見ているからな。だがこうも庇護欲を刺激されるのはなぁ……」
「主は古き神が愛する命であるからなぁ。我らが好ましく思うのも当然よ」
「まあ、その主が恋した相手は一人だけなわけだが」
「自分で傷口を広げるなんて、いい趣味していますね。鶯丸」
「そう言う宗三も部屋に戻らなくてよかったのか? 主に懸想していたのは君も同じだろう」
「僕はいいんですよ。第一、僕以外にも沢山いるでしょう。主に懸想していた刀なんて」
「自覚していたかどうかは分からねえがな」
「まっ、陸奥守さんと結婚したところで僕たちが主を守るのは変わりませんけどね〜」
「むしろグイグイいきすぎる陸奥守さんからあるじさんを守るのが、ボクたち短刀の役目じゃない?」
「主君は恥ずかしがり屋ですからね」
「そこがお可愛らしくもあるのですが……。陸奥守さんは時折暴走しますからね。その時は我々が盾となりましょう」
「と、とめられるかな……?」「グルル?」
「いやー、大将を泣かせたら俺たちよりもおっかねえ神様が出て来るからなぁ。止める前に雷が落ちて、旦那が焼けこげるんじゃねえか?」
「あ〜」

 なんてやり取りがされているなど露知らず、陸奥守と長谷部に支えられながらもう一度日ノ本一の名槍を空に掲げる。そうして改めて心の中で「じいちゃん! 日本号さんゲットだぜ!!」と語りかければ、倶利伽羅龍が掘られた刀身がキラリと祝福するように光った気がした。




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