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 結界を解いた扉を駆け上がった先では、例の本丸から助けた刀たちがあの謎の物体と戦っていた。

「ぐおーっ! なんだコイツら気持ちわりー!」
「僕の! 服に! 触らないで! くれるかな!」
「チッ、鬱陶しい……!」

 だけど全員揃っているわけではなく、さして広くもない部屋と廊下で戦闘を繰り広げていたのは後藤藤四郎と燭台切光忠、大倶利伽羅の三振りだけだった。

「いい感じに分散してるねえ。よいしょ!」
「フンッ! しかし、いつもの気配が近くにないな」
「他にも刀剣男士の気配を感じる。そちらにおるのかもしれぬな」

 視界が悪い中、室内戦となれば太刀と言った長物は動きが鈍くなる。そのうえ灯りがないため夜戦と言っても過言ではない。辺りは瘴気に満ちているし、厄介で不利なのはそのままだ。
 だけど僕たち短刀は夜目が効く。周囲に主の姿も気配もないことをすぐに理解し、陸奥守さんを見上げた。

「主はいません」
「みたいやのぉ。主は……あっちか」

 陸奥守さんが一瞬周囲に視線を巡らせ、襲い掛かって来た泥のような悪意の塊を引き抜いた銃で撃ち抜く。その一連の動作に迷いはなく、またこれと言った感情も乗せられていなかった。

「わしらは広間の方へ行くぜよ!」
「陸奥守が言うならそっちに主がいる、ってことでしょ? 俺も行く!」
「というより、誰もここに残る気なんてないでしょう」
「当然じゃないですか! 皆さんも気になるならついてきたらいいですよー!」
「じゃあ僕は逆方向に行こうかな。面白いものが見つかるかもしれないし」
「おれも好きにやらせてもらう」
「ふむ……。では父は他の部屋を探してみるか。面白いものが見つかるやもしれぬからな」

 主の神気を辿って走り出した僕たちに皆も続いて駆け出す。そして鯰尾さんが声をかければ、共に上がって来た三振りは別方向に、一時期預かっていた三振りはすぐに「一緒に行く!」と言って後をついてきた。
 だけど道中も敵の手は止むことはなく、むしろ広間に向かうにつれ増えている気がする。だから機動力に優れた短刀や脇差の二人、長谷部や加州さんが中心になって道を開き、遂に大広間へと躍り出た。

「主――!」

 広々とした大広間も薄暗かったが、それでも四方には蝋燭が焚かれていた。そして広間には所狭しと言わんばかりに膳が並んでおり――だけど中身は何も入っていない、奇妙な光景が広がっていた。更に膳の前に座していたのは例の“泥人形”たちだ。だけど彼らは襲い掛かってくることはなく、ただゆらゆらと揺れている。そんな泥人形たちの顔が向く先、上座に座っていたのは――例の黒い影と、真っ黒に染められた花嫁衣装に身を包んだ一人の女性だった。

『おや。もうお出ましですかな?』
「貴様……!」

 苛立ちを露にする長谷部を陸奥守さんが片手で制す。僕も逸る気持ちが前に出そうになったが、寸でのところで抑えた。

「おまん、あの時の奴じゃな」
『ええ。お久しぶりですね。“陸奥守吉行”。お元気そうでなによりです』
「おーの。おおきに。けんど、好き勝手やってくれたもんじゃのぉ」

 陸奥守さんの言う『好き勝手』には色んな意味が込められているのだろう。主を傷つけたことも、本丸を襲撃したことも、竜神様の力を極限まで削いだのも、全部コイツらのせいだから。
 だけど黒い靄が人の形を象っているだけの存在は、どこか楽し気に笑うだけだった。

『我々は常に“奪う側”なのですよ。第一、奪うのはあなた方も同じでしょう?』
「はあ? あんたらみたいな気持ち悪いのと一緒にしないで欲しいんだけど」

 心底嫌そうな声で加州さんが言い返すが、悪神は「何を言っているのか」とわざとらしく頭部らしき場所を左右に振る。

『“命を奪うための武器”が何を言っているんです? 人の器を得たからといって、勘違いしてはいけませんよ?』
「……辞世の句は必要ない、ってことだね?」
「僕たちの主を傷つけた代償、払ってもらうよ」

 二人の燭台切さんが殺気を向ける。だけど悪神は突然ニンマリと笑い、隣に座していた花嫁衣裳――本来なら真っ白なはずの白無垢を真っ黒に染め上げた婚礼衣装に身を包んでいた女性の体を抱き寄せた。

『まあ落ち着いてください。今日は祝いの席なのですから』

 悪神の指が女性の、蝋のように青白い頬を撫でる。だけど陸奥守さんも僕もアレが主だとは微塵も思っていなかった。だって、僕たちは知っている。主の体に流れる神気の質を、その清らかさを。
 幾ら穢れた水に浸されようと、竜神様が生きている限り主は守られ続ける。だから何の力も感じられないアレは主ではない。

 そう高を括っていた僕たちの前で、その主を象った“人形”は真っ黒な紅で染められた唇を緩慢な動作で開いた。

「……むっちゃん?」
「?!」

 誰一人として疑っていなかっただけに、零された声に衝撃が走る。だって、あの姿からは主の霊力も神気も感じない。だけどただ声音を模倣しているのとは違う、柔らかな響きがる。現に人形かと思っていた黒無垢姿の女性は僕たちを探すように緩慢な動作で首を巡らせた。

「他の皆もそこにいるの? 怪我してない?」
「本当に、あるじさんなの……?」

 乱が困惑したような声で呟く。そしてこちらの、徐々に広がっていく内心の焦りを見透かしたかのように黒い影が『ああ〜』と如何にも、わざとらしい声を上げて肩をすくめてみせた。

『いけませんよ、レディ。私の許可なく話しては』
「うっ!」
「貴様! その手を離せ!」

 あの女性が本当に主なのかどうかは分からない。それでも駆け出そうとした長谷部の足元を突然黒い靄が襲い、拘束する。

「こんなものッ……!」
『おっと。無理に動かない方がいいですよ。それは抵抗すればするほど拘束する力が強まりますので』
「貴様……!」
『おお、怖い怖い。ですが、他の方もそれ以上こちらに足を踏み入れないように。もし踏み込めば我が眷属があなた方を拘束します。そして私も、ここにいるレディに何をするか……。彼女の無事はお約束出来かねます』
「下種がッ」
「ほんっと、いい性格していますね」
『フフッ。さて。睨み合うのはこの辺にして。皆様本日はよくぞお集まりくださいました。この度は我が新しい契約者――皆様の主様との“契約の会”にご参加いただき、誠に感謝いたします』
「契約の会?」

 主があいつの甘言に惑わされるわけがない。もしかしたら操られているのかもしれない。だって、主の目元には謎の呪が刻まれた布が巻かれているから。
 影を睨む振りをして女性を観察していた僕の視線に気付いたのか、影は楽しそうに女性の頬を撫でる。

『これは彼女の能力を封じるために特別な“呪”を施したもの。ですから今の彼女はただの“無力な人間”です。現にこの方からは何も感じないでしょう? ですが間違いなく“あなた方の主”です』
「ッ!!」

 能力を封印?!
 それがどこからどこまでを指しているのか。だけどもし、もしもそれが主の中に流れる霊力や神気も含まれるなら、あの人形だと思っていた女性はアイツの言う通り、僕たちの主なのかもしれない。
 冷や汗が背中を伝う中、背後に立っていた皆にも動揺と疑念が広まっていく。そんな中口を開いたのは、隣に立っていた陸奥守さんだった。

「――おんし、そいたあと結婚するがか?」

 ハッとして見上げた先にいた彼は、ちっとも驚いていなかった。むしろまっすぐ影と、主かもしれない謎の女性に視線を向けている。
 その瞳には熱も悲哀の情もない。何の感情も読めない、ゾッとするような昏い瞳だった。だから一瞬自分の中に巣食う淀みが彼に乗り移ったのかと焦る。
 だけど下手に騒げば陸奥守さんを、この場を乱してしまう。だから僕たちは陸奥守さんを刺激しないよう、息を飲みつつも繰り広げられる会話に耳を傾けることしか出来なかった。

『そうですねぇ。人間にとって我々との契約はいわば一生のもの……。“婚姻”と同じ意味を持つのは確かですね』
「ほうか。それでこがな状況になっちゅうわけじゃな」
『ええ。彼女と恋仲であった貴方様には申し訳ございませんが……。契約は“絶対”ですので。どうか広いお心で我々を祝福してくだされば、と』
「貴様、よくもぬけぬけと……!」

 足元を拘束されていた長谷部が憎らしそうに吠えるが、陸奥守さんはただ一言「ほうか」と返しただけだった。
 思わず全員が彼の名を呼ぶが、陸奥守さんはそこから一歩も動くことなく女性を見つめている。

『……やはり、認められませんか?』
「いんや? 主が決めたならそれに従うだけじゃ。わしはあいたぁの刀であって、親でも持ち主でもないき。むしろわしが主の持ち物じゃ。主人の命令には逆らえんぜよ」
「ちょっと陸奥守! あなたそれでいいんですか?!」
「見損なったぞ陸奥守! それでも主がお認めになった男か!」
「そうだぜ旦那! 幾ら何でも諦めが早過ぎる!」
「しわいちゃ。主が決めたことには従う。それがわしらの定めじゃ」

 少しでも動けば主かもしれない女性がどうなるか分からない。だから皆が矢面に立つ陸奥守さんを責めるように次々と抗議するが、陸奥守さんは全く聞き入れなかった。
 だけど「最後に一つえいか」と静かな声で、けれどしっかりとした口調で投げかけた。

『ええ、どうぞ。そこから“動かない”というルールを守ってくださるのでしたら構いませんとも』
「おおきに。ほいたら主に一つ、頼みがあるんやが」
「……なに?」

 陸奥守さんを探すように首を巡らせる女性の顎を影が掴み、陸奥守さんと視線を合わさせるように動かす。その慇懃無礼な動作に皆が殺気立つ中、陸奥守さんは身じろぎ一つせず“願い”を口にした。

「――最後に一度だけ、わしの名を呼んでくれんか」

 最後と呼ぶにはあまりにも“ささやか”な願いに皆が口を噤む。そしてすぐさま全員の視線が黒無垢姿の女性へと集まり――その黒く染められた唇が、青白い頬が、ゆっくりと動いた。

「……陸奥守、吉行」

 この状況に戸惑っているのか、それとも恐ろしく思っているからなのか。どこか震える声で陸奥守さんの名前を呼んだ主をじっと見つめた後、陸奥守さんは瞼を伏せた。

「……おおきに」

 誰もがどんな言葉をかければいいのか迷う中、陸奥守さんは瞼を開けると同時に握ったままだった銃口を女性に向け――止める間もなく引き金を引いた。

『なッ……?!』
「陸奥守さん?!」
「陸奥守?! 貴様なにを……!」

 陸奥守さんらしくない、突然の凶行――。
 だが止める間もなく放たれた弾丸は見事女性の額に命中し、彼女は後ろに吹き飛び、後頭部を強く打ち付けながら床に倒れた。

 余りにも予想外過ぎる行動に動揺が走る中、陸奥守さんは留まることなく隣にいた黒い影に銃弾を撃ち込む。

『あ、あなた! 恋人を撃ち殺すとは、正気ですか?!』
「恋人? その出来損ないがわしの主なわけないろう。声だけ似せても騙されんぞ」
『くッ……! 行け、お前たち!』

 まさか陸奥守さんが女性を撃つとは思っていなかったのだろう。そして相手は戦闘に向いていない質なのか、撃たれた女性を置いて逃げようとする。
 だけどもうあの女性が主じゃないとなればここで二の足を踏む必要はない。抜刀し駆け出した陸奥守さんに続けば、どうやら拘束が取れたらしい。長谷部が「二人に続け!」と叫び、大広間はすぐさま合戦場に早変わりする。

「よくも騙しやがったな!」
「許さないんだから!」
「早く殲滅し、主君を探しましょう!」
「くそっ! いい加減灯りが欲しいものだなあ!」
「電気を恋しく思う日が来るとは思わなかった、なッ!」

 どこからともなく現れた泥人形たちに再度刃を向け、その出来損ないの体を裂いていく。だけど穢れに満ちた場所だからか、斬っても斬っても湧き出て来る。これじゃあ先に体力の方が消耗しそうだ。
 見た目同様の泥試合に思わず舌打ちしそうになった時、不意に倒れていた黒無垢姿の女性が起き上がった。

「ァ……アアァ……」
「うっわ。エグっ」

 近場にいた加州さんがボソッと呟いたけど、彼の言う通りだ。主を似せて作ったらしい泥人形は、撃ち抜かれた額と目隠しの隙間から血液の代わりのように黒い何かを垂らしている。そして目隠しの布地が濡れたせいか、そのポッカリと空いた眼孔のくぼみに沿ってへこんで気味が悪い。
 そんな化け物じみた泥人形は糸でつられた人形のようにフラフラとした様子で立ち上がり、こちらに向かって一歩足を踏み出してくる。その際黒く染められた綿帽子がずり降り、結われた髪がパラパラと崩れた。そしてそれが合図だったかのように駆け出した人形が「アアァアアア」と悲鳴のような叫び声をあげながら襲い掛かろうとする。

 だけど僕と加州さんが迎え撃つ前に、“その刀”は上から降りてきた。

「オラア! 首落ちて死ね!!」

 どこからともなく怒りと憎しみに満ちた声が降り注ぎ、人形の首がストンと落ちる。そうして頭を失った体はその刀に蹴られ、ドサッと軽い音を立てて床に倒れた。

「はあ……はあ……。やっと、やっと殺せた……!」
「安定?! お前、今まで一体どこに……」

 泥人形の首を落としたのは、一度はただの刀剣に戻った別本丸の刀。全身ボロボロな状態の『大和守安定』だった。

「はっ、ははっ……ははは! ざまあみろ! このくそ女! 主の、かたき、だ……」
「おい! 安定!」

 彼は全身を震わせて笑ったかと思うと、不意に動きを止める。恐らく力尽きたのだろう。ゆっくりと体制を崩し、駆けつけた加州さんが両腕を回すと同時に瞼を閉じた。

「安定! おい、安定! ……ダメだ。完全に気を失ってる」
「こんな状態じゃ置いていくことも出来ない、ねッ! 移動する時は、力持ちな人に、担いでもらおう、よっ!」
「そう、です、ね!」

 加州さんと大和守さんに向かって来た敵を、乱と共に切り伏せる。随分戦ったけど、まだまだ敵は多い。このまま消耗戦を繰り広げるより一度場を改めたいけど……。
 広間から見える庭は黒い水に浸かっている。とてもじゃないが外に出るわけにはいかない。光源は四方に置かれた蝋燭のみで、大して役に立っていない。瘴気も未だに満ちている。長居すればするほど体力も気力も削られるだろう。
 一体どうすれば、と考えていると、僅かな熱気を感じて咄嗟に振り向いた。

「陸奥守さん!」
「大丈夫じゃ。ちっくと払うだけやき」

 火神に刻まれた刀身が赤く光る。神聖な炎の気を纏う彼に泥人形たちは蜘蛛の子を散らすように離れていくが、戦嫌いであろうと逃がす刀ではない。
 陸奥守さんは燃えるように染まった刀身を駆け抜けざまに振り、次々と泥人形を屠ってはこの場を浄化した。

「流石だな」
「ふぅー……。今日はちっくと火の気が強いき、ここぞ、という時以外は使いたくなかったがやけんど……」
「だがおかげで一息つけそうだ。はあ……。茶が飲みたい……」
「年寄りだなぁ、鶯丸」
「お前も年寄りだろう、鶴丸」

 陸奥守さんが泥人形を払ってくれたおかげで皆一息つくことが出来たけど、主の救出には至っていない。それに、骨喰藤四郎を始めとした他の刀もどこにいるのか分からないのだ。
 彼らの救出も出来ればしたい。だって主なら、きっと彼らの捜索を諦めないだろうから。

「それにしても、陸奥守。あなた何故あの女が主でないと分かったんです?」
「ああ。霊力も神気も封印された状態で、しかもあいつらが座っていた上座と俺たちが立っていた場所は離れていた」
「僕は太刀だから仕方ないけど、明かりも殆どないなか、どうして主じゃないと確信出来たんだい?」

 机も膳も戦闘で破壊された広間の中、空になった銃に弾を込めながら陸奥守さんは「あー」と間延びした声を上げる。

「理由は幾つかあるけんど、決め手になったがは“呼び方”じゃ」
「さっきの、名前を呼べ。ってやつか?」

 薬研が尋ねれば、陸奥守さんは「おう」と答える。そして銃弾を込めた拳銃を懐に仕舞うと、次に刀身を眺めてから軽く汚れを拭き取り、鞘に納めた。

「主は、ああいう時“名前を呼べ”ち言われたら、呼び捨てにはせん」
「……そうなのか?」
「おん。それに、力を封じられても主の気を確かめる方法はあるきに。三日月も、分かっちょったがやろう?」

 一瞥と同時に陸奥守さんが話を振れば、鶯丸さんと鶴丸さんと共に会話を聞いていた三日月さんがやんわりと笑みを浮かべながら頷いた。

「うむ。俺と陸奥守は主と深層意識で触れ合ったことがあるからな。アレが主でないことはすぐに分かった」
「そんなもんかあ?」
「っていうか何で二人だけそんな特別な経験があるわけ? ずるくない?」

 首を傾ける同田貫さんと不満を垂れる加州さんだけど、三日月さんは「そういうこともある」としか答えず、陸奥守さんも「ほにほに」と頷くだけだった。
 そんな二人は皆に睨まれようと構わずすぐさま態度を切り替え、視線を合わせた。

「陸奥守。先程感じ取れた主の気が遠くなった」
「おう。わしもじゃ。方角的にはあっちやけんど……」

 あっち。と陸奥守さんが視線を向けたのは裏山がある方角だ。だけどそちらも黒い穢れた水で満ちている。外に出るには舟に乗る以外方法はない。だけどかつて主が乗っていたと語った舟の姿はどこにもなく、作る暇もない。
 一体どうすべきか。広間に沈黙が落ちたその瞬間、眩い光と共に「あれー?」と明るい声が届いた。

「こっちから鬼の気配がしたと思って来てみたんだけど。もう退治しちゃった?」
「うむ。……だが完全には退治出来ていないようだな」
「髭切に鬼丸じゃん。てか、どこから懐中電灯見つけてきたの?」

 大和守さんの様子を見ていた加州さんが尋ねれば、二人はそれぞれ向かった先の部屋で見つけてきたという。現に髭切が持つ懐中電灯には『秋田藤四郎』、鬼丸のには『愛染国俊』と書かれていた。

「兄弟の部屋にあったのか……」
「二人共大事にしてたんだろうな……」

 薬研と後藤さんが呟く中、二人の後ろからひょっこりと別の刀たちが姿を現す。

「みなさん、ご無事だったんですね!」
「やあ、迷惑ばかりかけて申し訳ないね」
「我々は体が大きいので、室内戦には向かず、苦労しました……」
「ホントだよ。前も見えないし、本当最悪だった」
「物吉に亀甲、それに数珠丸さんに蛍丸か。全員無事みたいだな」
「ええ。ですが巴形が怪我と視界不良で動けず……」
「すまない……。完全に足手纏いと化してしまった……」

 説明する数珠丸さんの背中には、巴形薙刀が苦し気に呼吸をしながら背負われていた。そんな彼を大和守さんの横に寝かせていると、今度は逆方向から誰かが走って来る音がする。
 気付いた皆が柄に手を掛けるが、現れたのは別本丸の五虎退だった。

「み、みなさん! たすけてください……!」
「五虎退?!」
「どうした! 何があった?!」

 僕たちの本丸の五虎退は平野、前田と一緒に不安そうな顔で別本丸の五虎退を眺めている。そんな僕たちの前で、五虎退は涙を流しながら「みずのさまが……!」と震える声で話し始めた。


 ◇ ◇ ◇


 私が“強奪”に提案した賭けの内容はこうだ。

 私の声と姿を模倣し、それが作られた存在か私本人かうちの刀たちに見極めさせる。で、うちの刀が間違えれば契約者に、正解すれば私を諦める。そういう内容だ。
 その間私たちは私の“視界”が保管されている部屋に閉じ込められていたので、賭けに勝ったか負けたかは“強奪”が戻ってくるまでは分からなかった。

「嬢ちゃん、本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫ですって。うちの刀たち、ああ見えて超がつくほど過保護で私の事よく見てるんで。間違わないですよ。きっと」
「不安しかないんだが……」

 どこか胡乱げな視線を肌で感じていると、不意に空気が揺らいだ気がした。

『……レディ。どうやら賭けはあなたの勝ちのようです』
「お。やったね」

 どうやら“強奪”が戻って来た気配だったらしい。現に苦々し気な“声”が賭けの結果を伝えて来る。最初は勝っても負けてもいいようにされるんじゃないかという不安があったが、どうにもこの悪神たちは“約束事”に縛られる身らしく、一度契約した内容は勝手に変更することも偽ることも出来ないようだった。
 おかげさまで無事“視界”を取り戻すこともでき、目隠しも取ることが出来た。
 やっふー! さっすが私の神様たち! 信じてた!

『ああ……やはりこのまま返すのは“惜しい”ですねぇ……』
「はあ? まだ言ってんの? 諦めも往生際も悪いと、痛い目見るよ」

 解かれた目隠しの向こう。ようやく戻って来た視界に喜びたい気持ちはあったももの、ビックリするほど部屋が暗いうえに瘴気に満ちていて喜ぶことは出来なかった。
 せめて明るい日の下にいたかったよう!!
 なんて考えている間にも、姿を現さない“強奪”は名残惜しそうにぶつくさと文句を垂れる。

『仲間も殆ど消滅させられ、私の力も削られ、このままノコノコ帰るのは流石に体裁が……』
「あのさぁ、先に言っとくけどうちの刀はやる時は殺るからね? 消されたくなかったら大人しくここを捨てて逃げること」

 私自身コイツを許したわけじゃない。だけど下手に勝負をけしかけ、また何かを奪われたら厄介だ。それにここには拘束を解かれたとはいえ、他所の審神者と契約した刀剣男士がいる。彼らに契約を持ちかけることはないだろうが、彼らの主に連絡を取られたら面倒だ。
 だから早く私たちから手を引いて欲しかったのに――。

「水野殿! 危ない!」
「ッ?!」

 突然廊下側から、襖を食い破るようにして大蛇が飛び込んでくる。寸でのところで骨喰が庇ってくれたけど、ミイラのような土気色をした大蛇は不快な音を立てて威嚇して来る。

「シャーーッ!!」
「この蛇は……」

 視界を取り戻したうえ、封印されていた力も戻ったから分かる。突然襲い掛かって来たこの蛇は骨喰たちの契約者であり、元ブラック本丸の審神者だったあの男性だ。
 だけどその姿は完全に人を捨てた蛇に変わっており、辛うじて「人らしさ」が残っているのは頭部から生えている黒髪の部分だけだった。

「こいつは……」
「まさか……主、殿……?」
「そんな……」

 三者三様の驚きが伝わってくる。五虎退に関しては涙まで流しており、胸が痛い。だけど相手には理性がないのか、それとも彼らを自分の刀だと認識出来ていないのか。
 飛び掛かるようにして襲って来た体を骨喰が自身を抜いて阻んだ。

「主殿! 止めてくれ!」

 だけど骨喰が必死の形相で叫ぼうとも、蛇は背後に匿われた私を狙おうと牙を剥く。だからどうすればいいのか悩み――ふと「何でいつまで婚礼衣装着とかにゃならんのだ」と思い至った。いや、こんな一分一秒を争う場面で考えることじゃねえとは思うんだけど、それでもやっぱりイヤじゃん?
 だから綿帽子も打掛も、邪魔苦しい帯も解いて床に放る。

「あ?! おい、嬢ちゃん! 何脱いでんだ!」
「いや、だって重たいし邪魔だし、あんにゃろうの結婚相手だと思われるの嫌なんで」
「だからって男の前で脱ぐ奴がいるか!!」

 日本号さんからガッツリお叱りを受けるが、嫌なもんは嫌だ。言うて全部脱いだわけじゃない。邪魔くせえな。と思うものだけ脱いだだけなので、まだセーフだセーフ。
 それに、こんな狭い部屋じゃ皆思うように戦えない。
 骨喰だって幾ら決心したとはいえ主を斬るのはやはり抵抗があるのだろう。苦し気に顔を歪め、必死に呼びかけ続けている。だから――。

「どうせアイツの狙いは私でしょ? だったらやることは一つだけ」
『おや? レディ? 一体何を――』

 訝る“声”も、焦ったようにこちらを見遣る日本号さんも、大蛇となった元主を食い止める骨喰にも背を向け、私は一心不乱に駆け出した。


 目隠しの封印が解かれたと同時に聞こえた“別の声”に応えるために。


「おい! 待て! 嬢ちゃん! ああ、クソッ! 五虎退、嬢ちゃんの刀たちを探してきてくれ! 俺は嬢ちゃんを追いかける!」
「わ、わかりました! 骨喰兄さん……!」
「俺のことはいい! 日本号の指示通り動け! 行け! 五虎退!」
「は、はいっ!」

 背後で僅かなやり取りの後、日本号さんが私を追いかけて来る。室内じゃ見づらいだろうに、それでも迷うことなくその長い足と機動力を駆使して追いついて抱き上げてくる。

「おい嬢ちゃん! どこに向かってんだコレ!」
「私を呼ぶ声が聞こえたんです! それに応えないと!」
「はあ?! なんだそりゃ! 俺たちには聞こえなかったぞ?!」

 バタバタと走りながら、日本号さんが疑問をぶつけてくる。だけど懇切丁寧に説明している場合でもない。だから「そのまま真っすぐ走ってください!」とお願いすれば、すぐさま黒い水に浸かった庭が見えてきた。

「って、先ねえぞ!」
「はい! このまま投げてください!」
「は!? 何を?!」
「私を、です!!」

 ギギーッ! という急ブレーキ音が聞こえてきそうなほど、ものすごい速さで走っていた日本号さんが止まる。そのまま「何言ってんだお前!」と突っ込まれるが、立ち止まっている場合ではない。

「一番! 審神者、水野! いっきまーす!!」
「だっ、ちょっ、待てアホーーーーっ!!!」

 日本号さんには大変申し訳ないが、なりふり構っている場合ではない。辛うじて残っていた掛下着を脱いで飛び込もうとすれば、すぐさま日本号さんに腕を捕まれ――そのまま黒い水にダイブした。

「うぐっ……!」

 流石に日本号さんにとってこの水は毒だろう。勿論私だって長く遣っていれば正気でいられるか分からない。それでも、確かにこっちから“声”が聞こえたのだ。“強奪”とも“小鳥遊さん”とも違う、別の声が――。
 だからそれに応えようと飛び込んだのだが、実際に私たちを迎え入れたのは沢山の“腕”だった。


 ◇ ◇ ◇


 駆け込んできた五虎退と共に向かった先にいたのは、大蛇に襲い掛かられている骨喰藤四郎だけだった。

「骨喰くん!」
「骨喰さん!」

 貞宗の二人が同時に抜刀し、大蛇に斬りかかる。だけどただの大蛇ではないらしく、鞭のように勢いよく太く長い尾を振ってきた。その勢いは凄まじく、ギリギリで避けた二人の頭上を音を立てて通り過ぎ、奥にあった箪笥を破壊する。どうやら見た目通りただの蛇ではなさそうだ。
 チロチロと割れた舌先を口から出しながら、蛇はこちらの出方を伺っている。

「この蛇……」
「ええ。この微かに残された霊力……。そして我らの中に流れ込んでくる力……」
「……主さん、なんだね」

 後藤、数珠丸、蛍丸が苦々し気に呟く声を聞き、ようやく悟る。あの蛇が主の“視た”と言っていた審神者の成れの果てなのだと。確かに“人非ざる存在”に堕ちたとは聞いてはいたけど、まさか人の姿すら捨てたとは思ってもいなかった。
 実際、最初の担当員でもあった鬼崎も“人非ざる存在”だったけど姿は人間のままだった。主もそうだ。半神になりかけてはいたものの、異形の存在にはなっていない。だけど目の前にいる奴は完全に“人の姿”を捨てた“人非ざる存在”だ。遡行軍とも違う禍々しい気を纏う相手に、それぞれ抜刀し、構える。
 だけど既に満身創痍だった骨喰さんが血のにじむような声で叫んだ。

「ここはいい! 皆は早く水野殿を追いかけてくれ!」
「なに?! 主はどこへ行った?!」
「日本号と共に向こうへと走って行った! その先は知らん!」

 威嚇しながらも骨喰さんと長谷部のやり取りを聞いていたのだろう。部屋から飛び出ようとする大蛇を骨喰さんが鞘で殴りつけ、押し留める。だけど体力はかなり減っているらしく、息も絶え絶えだった。
 だから加勢した方がいいのでは、と考えていると、彼らの刀がそれぞれ前に出て来た。

「自分たちの主の不始末は、僕たちの手でつけないとね」
「ええ。これ以上皆様に頼るわけにはいきませんから」
「主さんには悪いけど、国行と国俊を苦しめたこと、ちゃんと償ってもらうからね」

 自分たちの主だから自分たちの手で片をつけたい。
 そう願う彼らに、陸奥守さんは頷いた。

「ほいたらわしらは主を探しに行くぜよ」
「だが、主の気配はどこにも――」

 三日月さんが顔を顰めつつ周囲を探っていると、突然地震が起きたように地面が揺らぐ。

「何だ?!」
「地震か?!」

 まともに立っていられないほどの大きな揺れに地面に膝をつくが、勢いを殺すことが出来ず陸奥守さんにぶつかってしまう。そのまま二人して床を転がり壁に激突するが、彼が庇ってくれたおかげで大した痛みはなかった。

「ん゛ッぐっ……!」
「陸奥守さん! 大丈夫ですか?!」
「おおの……。大丈夫じゃ。びっと打っただけやき……」

 僕たち以外の皆もそれぞれ床に倒れたり、廊下を転がったり壁にぶつかったりと大変なことになっている。髭切と鬼丸が持って来た懐中電灯もどこかに転がって行き、辺りは再び暗くなった。
 大蛇も揺れには弱いのか、もんどりを打つようにあちこちにぶつかっては唸り声を上げる。だけどその瞳から憎悪は消えておらず、時折尾で攻撃しては僕たちの行く手を阻んだ。

「ったく、次から次へと……!」
「酔いそうなほどに酷い揺れだったな……」

 一体どれほどの時間揺れていたのか。ようやく本丸が倒壊しそうなほどの揺れが収まりほっとしたが、すぐさま漂っていた瘴気が外に向かって流れだし、皆勢いよく立ち上がる。

「おい! 外を見てみろ!」
「はあ?! なんだありゃ!?」
「雅じゃない……!」
「雅とか言ってる場合じゃないだろう!」

 鬼丸の声に従い外を見てみれば、本丸を覆っていた水が引いている。だけど広い庭には一つの、瘴気を纏った大きな黒い塊が浮いていた。それはグネグネと形を変え、時には表面をボコボコと膨らませては瘴気を吐き出す。不思議で異様な物体と化していた。

 これは一体何なのか。あまりの出来事に呆然としていると、陸奥守さんが抜刀し、何かを呟きながら刀身を指先でなぞる。途端に鳳凰様に刻まれた文字――眷属の証でもある刻印が赤く光り、先程広間で聞いたばかりの“不愉快な声”が突然悲鳴を上げた。

『グアアアア!! また、またこの印が……! イヤだ、燃やされる……!』

 どうやら僕たちを謀り、また主から“視界”を奪った相手はあの物体の中にいるらしい。苦しそうな悲鳴を上げると同時に山となっていた水の塊は形を変え、瘴気と共に出来損ないの泥人形を幾つも吐き出した。
 だけど意志も命も宿っていないそれらは地面の上でドロリと溶け、ベチョベチョと濡れた音を立てながら這って来る。だけど先程とは違い、本当の意味で“出来損ない”なのだろう。腐った野菜のような異臭を放ちながら地面を這うだけだ。だけど異臭と共に瘴気も放っているため油断は出来ない。
 現に皆顔を顰め、それぞれが袖や手で口元を覆いながら刃を振り始めた。

「うおえっ。待って無理。俺この匂いダメ。吐きそう」
「吐くなよ。ゼッテー吐くなよ」
「そう言う兼さんも顔真っ青だよ」
「兄弟も汗がすごいがな……」
「アレを斬るのは……骨が折れそうだな……」

 相手がどんな様相をしていようと戦わないという選択肢はない。近付いてきた泥人形を斬ったり蹴飛ばしていると、山のような形から球体となった物体を睨むように見つめていた陸奥守さんが突然目を見開き、駆け出した。

「陸奥守さん!」
「おい、陸奥守!」

 だけど陸奥守さんは球体に向かったわけではないらしい。次から次へと生み出され、雨のように落ちて来る泥人形を飛び越えると背後へと回る。だけどその勢いは止まらず、そのまま振り返ることなく裏庭の入り口にあった鳥居まで一直線に駆けて行く。

『クッ……! そうはさせるか! 待て、陸奥守吉行!』
「やかましい! 邪魔すな!」

 そんな陸奥守さんに向こうも気付いたらしい。行先を阻むように球体から黒い腕を何本も伸ばしてくるが、陸奥守さんは銃弾ではなく自身を鞘から引き抜くと、迷うことなく球体に向かって投擲した。

「は?! お前何してんの?!」
「正気か?!」

 誰もが陸奥守さんの行動に目を見張ったが、当の本人は既に背を向けて走っている。そうして陸奥守さんが投擲した刀身は黒い球体に吸い込まれるようにして突き刺さり――『ギャアアアア!!』と大地を揺るがすような悲鳴を上げた。

 もしかしたら陸奥守さん自身に刻まれた刻印の力で内側から敵を焼いているのかもしれない。

 どちらにせよ彼の行く手を阻もうとしていた腕は全て霧散し、陸奥守さんは誰もが見過ごしそうなほどに小さな祠の前で立ち止まると傾いていた祠の扉を両手でこじ開け、勢いよく中に腕を突っ込んだ。

「主!!」

 そんなところにいるはずもないのに、それでも陸奥守さんは迷うことなく“主”を呼ぶ。だけど今にも朽ちそうだった祠はまるでゲートのように光り輝き――勢いよく二つの影を吐き出した。





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