小説
- ナノ -






その日の夕餉を取り終わると、昼間随分と寝たせいか二人は眠気が訪れず、仕方なしに宿の中をうろつく。

「あ、見てみて我愛羅くん。卓球台」
「そうだな」

大浴場のすぐそばにある三台の卓球台のうち二台は既に女性二人組の観光客と、そこそこ歳を重ねた男たちがやいのやいの言いながら使用している。
楽しそうねぇ、と眺めていれば、我愛羅がするか?と問う。

「え、我愛羅くん卓球できるの?」
「上手くはないがな。大体カンクロウとテマリがいい勝負をして俺は相手にならん」
「ふふ。意外」
「そうか?」

ラケットを借り、二人は他の使用者に軽く会釈して最後の台の前に立つ。

「スマッシュは打てる?」
「あの勢いのある一撃だろう?」
「我愛羅くんが言うとしゃれに聞こえないわね…」
「テマリの得意技だ」
「想像に容易いわ」

苦笑いしながらサーブを打てば、かん、と軽い音を立てて我愛羅が打ち返してくる。

「思ってたより上手いじゃない」
「そうか?」
「そうよ」

暫く二人が会話を楽しみつつラリーを繰り返せば、周りの観光客からすごいねぇ、やうまいねぇ、などの賛辞を贈られ、徐々に二人ともうずうずし始める。

「サクラ、お前はスマッシュ打てるのか?」
「あら、当然よ!これでも結構強いのよ?」
「なら打ってみてくれ」
「当たったら痛いから、避けるなり弾くなりしてね?」
「心得た」

こん、とサクラに向けて打ちやすい球を送れば、サクラはしゃーんなろー!といつもの掛け声をあげその球を強く打ち返す。

「!!」

我愛羅がラケットの面でそれを受ければ、勢いよくそれは跳ね返り、高く宙を舞って飛んでいく。
すげえ…と感嘆の声が聞こえる中、サクラがえへへ、と笑いながら球を拾いに行き、我愛羅はなるほど。と頷く。
これはテマリ以上に手強いかもしれん。
我愛羅はラケットを回すと、サクラから送られてくる球を打ち返す。

「サクラ」
「何?」
「今度テマリと勝負してみるといい」
「どうして?」
「白熱した試合が見てみたい。カンクロウとテマリじゃ結局テマリが勝つからな」

お前とテマリだといい勝負になりそうだ。
そう言って笑う我愛羅の顔は穏やかで、サクラも楽しげに笑む。

「じゃあ我愛羅くんは審判ね」
「お前たちの球を目で追うのは大変そうだな」
「言ったのは我愛羅くんよ?」
「カンクロウに押し付けるか」
「あー。ずるいわよ、それ!」

時折軽いスマッシュを互いに入れながら、カンコンと再びラリーを続ける。
そして今度は我愛羅がスマッシュを入れるが、サクラに弾き返されこれは困った。と苦笑いする。

「あたし負けず嫌いなの!」
「知ってる」
「負けないわよ」
「お手柔らかに頼む」

かくいう我愛羅も大概負けず嫌いではあるのだが、卓球に関しては散々姉兄に負けているので、そもそも勝負というカテゴリーにはいれていなかった。
というより最終的に卓球で本気にある二人を見ていれば、もう少し娯楽的な意味で楽しんだ方が良いのでは。と我愛羅が学んだからだ。
そのうち二人は他の観光客に誘われるままそれぞれダブルスを組んだりシングルスで試合をしたりと、存外楽しい時間を過ごした。


「んー!やっぱり体を動かすのは楽しいわね」
「そうだな」

程よく汗をかいた二人は、並んで露天風呂へと足を運ぶ。
観光客を混ぜての卓球は随分と楽しく、白熱し、おじさんたちのお色気の術、もとい足チラに我愛羅が物凄く渋い顔をして笑いを誘ったりもしていた。

「それにしても我愛羅くんのあんな顔、初めて見たわ」

思いだしてくすくす笑うサクラに、仕方ないだろう。と我愛羅はげんなりとした顔をする。

「いい歳した親父の毛むくじゃらの足を見て誰が興奮するんだ。俺はゲイじゃない」
「やだもう!あははは」

我愛羅の言葉にサクラが笑えば、我愛羅はどうせならサクラのが見たかったと思う。
だが今のサクラは浴衣姿ではないのでそれは叶わない。まぁいずれテマリと勝負する際にでも着てもらおうか。などと考えているとそれぞれ浴場の前に着く。

「じゃあまた後でね」
「ああ。のぼせるなよ」
「我愛羅くんこそ。溺れちゃダメよ」
「…もう溺れん」

朝のことを揶揄され再び我愛羅が渋い顔をすれば、サクラはからかうように笑った後ひょいと暖簾をくぐり中に消えていく。
やれやれ。と我愛羅も首の裏を掻き、暖簾をくぐる。部屋風呂をよく利用する我愛羅にとって露天風呂に来るのは久々で、露天もたまにはいいかと服に手をかけ脱ぎ捨てた。



サクラは女だから長湯だろうと、我愛羅は先に部屋に戻っていることを告げていたため今は一人広縁で夕涼みをする。
部屋の前を流れる川の音と、吹き込む風が火照った体を冷やして心地いい。
昨夜は花火も見れたし、今夜は満月だ。今までになく順風満帆な休暇に、帰りたくないな。と苦く笑う。
それでも我愛羅にとって里は大事であったし、旅は名残惜しいぐらいがちょうどいい。

だが思った以上に出費が重なったなとは思う。
普段滅多に金を使わないためいつもなら出費が少ない。だが今回はさすがにテマリ辺りに何か言われそうだと苦い思いが込み上げる。
それにシーツの件だ。
女将に頭を下げれば、よくあることだから特に気にしなくていいと言われ胸を撫で下ろしたが、正直恥ずかしかったなと首の裏を掻く。
我愛羅は女を連れ込まないし、遊びにも興じない。
だからこそ初め女将は驚いていたが、すぐに気にしないでくださいな。と母のような顔で笑んだのだ。
その際随分恥ずかしかったが、ものはついでにと、汚しに汚した浴衣の洗濯と買い取りの受付も済ませた。

そもそも我愛羅は初めからあの浴衣をサクラに贈る気でいた。
男が女に服を贈るのはそれを脱がせたいからだとどこかの誰かが言っていたが、贈る前に脱がせた場合はどうなのだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると部屋の襖がすらりと開く。

「あ、やっぱり我愛羅くんの方が早かったわね」

湯上りで暑いからか、サクラは髪を纏めており、開いた浴衣の襟から覗く肌は血色がよくなり薄紅に染まっている。
その煽情的な姿に思わず釘付けになるが、慌てて視線を外す。昨日あれだけ彼女を求めておいてまた今夜も、となればさすがに鉄拳が飛んでくるであろう。
それが容易く想像できるぐらいにはサクラのことを理解している。

それよりも、自分はいつからこうも獣になったのだろうか。
我愛羅はサクラから外した視線を夜空へと投げだし、どうにも理性が働かない今の自分に困惑する。
そんな我愛羅をよそに、サクラは我愛羅のすぐ傍に腰を下ろすと同じように月を見上げる。

「今夜は満月ね」
「ああ」
「綺麗ね」
「ああ」

短いやり取りをし、無言が続く。けれど気まずい空気は無く、まるで長い間連れ添った熟年夫婦のような穏やかさがある。
不思議な女だ。
我愛羅はここ数日で幾度となく抱いた思いを再び胸に抱きながら、二人は暫くの間夜風に髪を遊ばせ、虫の声に耳を澄ます。

「ねえ我愛羅くん」
「何だ?」
「月には兎が住んでるっていう話知ってる?」
「ああ…」
「月に住む兎ってどんなのかしらね」
「さあな」

俺には分からん。
そっけなく返す我愛羅だが、サクラは気にした様子もなくそうね。と答える。
そして二人はまた無言になり、ほう、と辺りに木霊する梟の声に耳を傾ける。

「我愛羅くん」
「何だ?」
「…やっぱり何でもないわ」

サクラは我愛羅をちらりと見やった後、そう言って瞼を伏せ少し顔を俯かせる。
すっかり熱が冷めたサクラの頬は、優美でまろやかな曲線を描き、月の光でますます青白く輝いて見える。
まるで芸術品のようなその肌に我愛羅が手を伸ばせば、柔らかな頬がやんわりとその指を跳ね返す。

「ふふっ、我愛羅くんって私の頬好きよね」
「?」
「だっていっつも私に手を伸ばす時、頬からなんだもの」

言われてみれば確かに。と我愛羅は頷く。
どうにも我愛羅はサクラの頬に一番に触れる傾向がある。特に理由はないと思うが、やはり触り心地がいいからだろうか。
そう思いつつも絹のような頬を指先で何度も撫で続けていれば

「今夜はだめよ」

とサクラが口を開く。何が。とは聞かずとも分かる。さすがに我愛羅とてそこまで獣ではない。
だが明日此処を発つのなら、今一度だけ触れたいとも思っていた。
どうせ此処から出れば我愛羅はサクラを求めることはできない。
あの日サクラに初めて触れてから、我愛羅は幾度もサクラに手を伸ばそうとしては拳を握り耐えてきた。
砂隠の里長として、木の葉の重要なくノ一に手を出すことはできない。だからこそこんな風に逢瀬し、共に過ごすこと自体が奇跡だった。

(もし俺が木の葉の忍なら…こんな思いをせずに済んだのだろうか…)

我愛羅はサクラの肌の感触を覚えておこうと、何度も頬を撫で、耳の形を辿るように触り、うなじに落ちる後れ毛をなぞる。
綺麗だと、我愛羅は目を細めじっと動かずに鎮座するサクラの横顔を眺める。
そうしていつの間にか止まった我愛羅の指に比例するように、サクラは閉じていた瞼をゆっくりと開く。
それはまるで月の下でしか花開かない、月下美人の如く美しく優美な一瞬だと思った。

「だめよ」

再びサクラの口が開かれるが、我愛羅は返事もできず、動きも出来ず、ただサクラの翡翠の瞳を見つめた。
サクラも何も言わず我愛羅を見つめ続ける。その瞳は女であり、母のようであり、見知らぬ者のようでもあった。
辺り一面に吹く風だけが二人の間を行き来する。我愛羅は名残惜しい気持ちを感じながら、そっとその指をサクラから離す。

逢瀬はもう、終わるのだ。

はたりと廊下に落ちたサクラに触れていた指だけが、じんと熱を帯びて痺れているようだった。

「今夜はもう寝ましょう」

サクラはそう言って立ち上がる。
すらりとした出で立ちはすっかり大人の女で、十代の頃の面影はない。
それはそうだ。我愛羅も二十を半ば過ぎたのだから、サクラもそれだけ年を食っている。
そして歳を重ねた分だけ、幼さは消え香り立つような女の美しさを身に纏い、我愛羅の目を奪う。

「我愛羅くん」

呼ばれる名はまるで自分のものではないような響きを持って辺りに霧散する。
先に隣の部屋へと体を滑り込ませていたサクラの青白い腕がこっちよ、と緩く上下し我愛羅を誘う。
その腕に誘われるままに立ち上がり、広縁へと続く障子を締切り隣の部屋へと移る。
たん、と襖を閉めると同時に体がぶつかったのは、サクラが我愛羅に抱きついたからだった。



「…ダメじゃなかったのか?」
「だめよ」

驚く我愛羅の体は、サクラの体を抱き返せずに立ち尽くす。
一組の布団の傍には小さな間接照明が置かれ、広い部屋をぼんやりと照らす。
まるでここだけ、どこの世界からも切り離された異空間のようだった。

「だって…あなたの手は私をおかしくさせるから…」

怖いの。
呟くサクラの切なげな声が我愛羅の耳に届き、ぞわりと我愛羅の肌を粟立たせる。
それでも尚、我愛羅の腕は動かず立ち尽くす。

「…ねえ、」
「何だ」

甘えるような声音は昨日何度も聞いた己を求める声と同じ香りがする。
我愛羅を誘惑し、誘い込む淫猥な香りだ。

「ねえ…」
「何だ…」

強くサクラの腕が我愛羅の背に回り、熱を帯びた体が我愛羅の肌にひたりと重なる。
だめだと言われたのに、我愛羅は唇を噛みしめ誘惑から目を反らす。

「だめなのよ…」

泣きだす寸前のような震える声は、我愛羅の胸を苦しいほどに締め付け切なくする。
今すぐにでも目の前の女を抱きしめ口付けて、肌を愛撫し自分の証を刻みたいのに、それをすればサクラが泣きそうな気がして怖くてできない。
何度も求めて、何度もその肌を味わったのに、それでも尚この女が欲しいと心が叫ぶ。
ねえ、と甘く囁かれるたびその唇を貪り言葉ごと飲み込んでしまいたくなる。
震える腕はサクラの肩を掴み、ぐいとその体を引き離す。

「…もう寝よう」
「…うん」

我愛羅は先に布団の中に滑り込むと、おいでとサクラを手招きする。
その手に誘われるまま、サクラはしなやかな猫のようにその隙間に身を滑り込ませると、子が親に甘えるように我愛羅の体に腕を絡め強く抱き着く。

「…ごめんなさい」
「…構わん」

我愛羅はサクラの頭を腕に乗せ、そのまま薄紅の髪に指を通して抱きしめ返す。
足を絡め、肌を合わせるように抱き合い、地獄のような胸の痛みと泣き出したくなるほどの幸せとを噛みしめながら腕の中の体を掻き抱く。
サクラは我愛羅の胸に額を当て、ぐずる子供のように背中を掴み、我愛羅の匂いを胸いっぱいに嗅ぎ目を閉じた。

その夜二人は深い眠りにつくことはできず、たゆたうような眠りの中何度も相手の体を確かめ合うように抱きなおし、肌を撫で目を閉じる。
夢のような逢瀬は、明日で終わる。




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