小説
- ナノ -



「主!!」
「水野さん!」

 広間に残っていた皆の声が、駆けつけてくれた石切丸の声が鼓膜を揺さぶる。だけど一瞬で私の命を奪い去るはずだった『死の腕たち』は、横から振りかざされた“赤い刀身”により勢いよく吹き飛んだ。

『ア゛ア゛ア゛アアア!!!』

「陸奥守!」
「陸奥守さん!」

 武田さんと小夜の声でようやくソレが“陸奥守”自身だと気付く。そうして怨念に満ち溢れた『死』を吹き飛ばした陸奥守はと言うと、真っ赤な刻印がギラギラと光る刀身を音を立てて振った。

「主! 怪我ぁないか?!」
「だ、大丈夫!」
「ほうか。間に合うてよかったぜよ。けんど、引き込まれんよう気ぃつけや」
「うん。ありがとう」

 ほっとした様子の陸奥守が吹き飛ばした腕は、鳳凰様の刻印のおかげか、それとも陸奥守が何か術を発動させたのか。庭先でのたうちながら燃えている。一瞬「気持ち悪っ」と思ったが、どうやら他の皆も似たような感想を抱いたようだった。あちこちから「うわ」とか「うげ」と引いた声が聞こえてくる。

「相変わらず恐ろしい男ですねぇ」
「いやはや。流石と言えば流石だが、やはり火神の加護は恐ろしいな」
「で、でも、陸奥守さんのおかげであるじさまは無事です!」「ガウッ!」
「ですが油断は出来ませぬぞ! 主殿! ここは我々が食い止めますゆえ、早くお逃げ下さい!」「早く逃げて」
「分かった!」

 私たちを守るためだろう。宗三や三日月、五虎退に鳴狐が立ちはだかる。だけど骨喰を媒体に大きくなった“悪意の塊”は苦悶の表情を浮かべながらもこちらを睨みつけ――突然『ニタリ』と笑った。

「主! 早く!」
「うん!」
「大将も行くぞ!」
「おう!」

 小夜が私の手を、厚藤四郎が武田さんを促す中ゲートでもある門前へと走るが――。

「はあ?! 何だこりゃ!?」
「どうなってんだ?!」
「え?! 何々?! 何ですか?!」

 武田さんと厚藤四郎の驚愕する声が鼓膜を揺らし、焦りと恐怖が煽られる。それでも「何があったのだ」と尋ねれば、すかさず小夜が「あいつ……!」と心底憎らし気な声を漏らした。
 そして武田さんの「開かねえ!」と言う声で察する。敵が何らかの形でゲートに干渉し、私たちを閉じ込めたのだ。現に厚藤四郎が「クソッ!」と悪態を吐きながらも刀身で門を切り付けるが、刃を弾く鈍い音しか聞こえてこない。そして遂に武田さんが震える声で私を呼んだ。

「水野さん、やべえことになったぞ。あの野郎、ゲートに術を掛けて俺たちを閉じ込めやがった」
「ッ……!」
「見えてるか分からねえが、門扉に見たことがねえ紋様が描かれている。なんかこう……西洋の黒魔術つーか、悪魔召喚みたいな魔法陣がな、赤い……それこそ血文字のような感じで描かれてるんだ」

 悪魔召喚とか正気かよ。いや、でも実際“悪神”は人の心に巣食う存在だ。“悪魔”と呼んでも差し支えはないかもしれない。
 でも困ったことになったぞ。ただでさえ私と武田さんには呪術の知識が乏しい。なのに西洋の封印式とか完全にお手上げだぞ。

「すみません。武田さんを巻き込まないためにも黙っていたのに、結局こんな目に合わせてしまって……」
「何言ってんだ。水野さんは何も悪くねえ。むしろ毎回こんな目に合って、よくもまあ審神者を続けようと思えたもんだ」
「あはは……。まあ、それが“選ばれた者の責任”と言う奴かと思って」
「はあ……。あんたは肝が据わってると言うよりも自分の命を軽く考えすぎだ。もっと命を大事にしてくれ」
「それ皆にもよく言われますぅ」
「だろうな!」

 軽く茶化しはしたものの、実際陸奥守を初め、今隣にいてくれる小夜がいなければあの“黒い本丸”で死んでいただろう。勿論それ以前の怪異で命を落としていた可能性もある。この二年で何度生死を彷徨った事か……。
 それに彼らだけでなく、竜神様もいてくれたから助かった。だから本当、色んな意味で「助けられてばかりいる」のだが、今回ばかりは自分の命だけでなく武田さんも守らなければならない。
 とはいえここには小夜だけでなく、武田さんを守るために厚藤四郎も傍にいる。何としてでも彼らを安全な場所に移動させないと。

「クソッ! ダメだ! 傷一つ付きやしねえ!」
「裏門もアクセス権限とキーコードがねえと開かねえし、電波も圏外と来やがった! これじゃあ柊にも連絡が取れねえ!」

 さっきから何かをタップする音が聞こえていたと思ったら、柊さんに連絡を取ろうとしていたのか。だけど圏外になっているらしく、メッセージも電話も繋がらないみたいだ。
 これもアイツのせいだろう。つい剣戟が聞こえてくる広間側へと目を向け――悲鳴を上げそうになった。

「主、視ちゃダメだ」
「で、も、」

 ゲート前に逃げた時には骨喰藤四郎に纏わりつく『悪意の塊』しか見えなかったのに、今は沢山の泥人形のようなものが地面いっぱいに蔓延っている。しかもその姿は完全体とは呼べず、下半身がなかったり、顔がグチャグチャだったりと、ゾンビ映画の再現のようだ。
 これで発狂しなかった辺り私も鍛えられていると思えばいいのか、それとも竜神様がなけなしの力を振り絞って守ってくれているのか。どちらにせよ吐き気を催す有様に顔を逸らせば、武田さんが「どうした?」と不思議そうに声をかけて来る。

「あー……。大将はあいつらが見えてねえんだな。いや、そっちの方がいいんだけどよ」
「何だよ、厚。コレそんなに酷ェのか?」

 霊力はあっても特別な力を持たない武田さんには彼らの正確な姿が見えないらしい。そのことに私と小夜だけでなく厚藤四郎も安心するが、状況は全くと言っていいほど安心できない。

「オレは刀剣男士だから見えるけど、あんなもん見えない方がいいぜ。気が弱い奴ならとっくに発狂してる」
「マジかよ……。俺にはなんか、黒いドロドロとした、ヘドロみてえなスライムにしか見えねえんだが」
「見た目はそうでも、中身がヒデエ。悪意を始めとした負の感情のごった煮だ。ああなっちまったらもう……オレたちにとっては猛毒でしかねえよ」

 厚藤四郎の言う通りだ。幾ら彼らが『人を殺すため』に作られた道具であろうとも、悪神側にいるわけではない。むしろ人を愛し、愛され、守り、守られる物だ。そんな彼らにとってあそこまで大きく膨らんだ『悪意』はもはや毒でしかないのだろう。
 現に骨喰の肉体を媒介にした『ボス』的な存在に、うちの刀たちも迂闊に近付けない様子だった。

「長く生きてきたが、ここまで気味が悪い存在は久方ぶりに見たぞ」
「まったくだ。いつまでも茶を飲んでいられんな」
「でも、流石にキツイかな! 格好良く決めたい気持ちはあるけど、迂闊に近付けないよ」
「和睦の道は、もはやありません」
「クソ、雑魚共が足元をうろつくのも、やりづらい理由の一つだな!」
「あるじさまには、近付けさせません!」「グルルル……!」
「ほんっと、うっざいしキモイ! つーかさ! もしかしてなんだけど、コイツ骨喰たちの記憶とか経験とか、そういうのを元に戦ってたりしない?!」

 皆にも聞こえるようにだろう。声を張り上げる加州に全員が口をそろえて「成程なあ!」と叫ぶ。私には分からないけど、普段手合わせしているから動きとかで勘づくのだろうか。
 現に加州の発言を耳にした小夜と厚藤四郎も「言われてみれば確かに」と頷き合っている。

「攻撃自体は早くないけど、間合いの取り方が上手いから、加州さんの考えは合っていると思う」
「だな。こっちの攻撃を仕掛けるタイミングや癖、ってのはやっぱり知ってるのと知らねえのとでは動きが違うからよ。つまり兄弟を取り込んだくそ野郎はめちゃくちゃ厄介な相手、ってことだ」
「成程」

 分かりやすい二人の解説に頷いていると、武田さんが「それじゃあよ」と静かに話しかけて来る。

「突然刀に戻ったやつらは力を抜き取られた、ってことでいいのか?」
「ああ。多分、水野さんには見えてたと思うけど、あの変なやつに力を奪われてたみたいだから」
「はい。厚藤四郎さんの言う通りです。日本号さんを始めとした彼らには、微力ながらも審神者の、穢れた霊力が流れていました。それがいきなり勢いを増し、彼らを蝕み膨らんでいったんです」
「何だよそりゃ! あいつら元に戻せるんだろうな?」

 心配と苛立ちが綯い交ぜになったような様子で声を上げる武田さんだけど、その問いに答えられるだけの確信がどこにもない。最悪の場合、事が終わり次第彼らの刀身が折れている可能性もある。
 それは武田さんも考えているのだろう。彼の視線は操られる骨喰の背後に転がる刀剣たちに向けられているようだった。だって彼は政府役員でもあるが審神者でもあるのだ。そして正義感と責任感が強い。そんな人からしてみれば彼らがあんな目に合うのが許せないはずだ。
 悔しそうに前を見据える姿に、ふと疑問が生じて確かめてみる。

「あの、武田さん」
「ん? 何だ。どうした?」
「もしかしてなんですけど、武田さん、ここ一体に満ちる瘴気が見えてなかったりします?」

 実のところ、骨喰を覆う『悪意の塊』からは常に瘴気が噴き出ている。そのため日頃は綺麗な空気が流れている本丸内にも瘴気が満ちつつあるのだ。そのせいで刀たちも視界が悪くなり始めているはずなんだけど、武田さんは骨喰の背後にある刀剣たちの姿が見えているみたいだった。
 私は視覚を失った代わりに霊力なんかで彼らの居場所が分かるけど、普通の視覚に頼っていたら見えなかったことだろう。だけど感知能力を持っていない武田さんは瘴気も見えていないのか、それとも『見えづらい』だけなのか。どちらにせよ尋ねてみれば、案外すんなりと「そうだな」という答えが返ってきた。

「いや、何となく見え辛ぇな、気持ち悪いな、とは思うんだけどよ。ハッキリと何がどうとは分からねえな」
「つまり骨喰の後ろに転がる刀剣たちの正確な位置が分かっている、と」
「そうだな」

 これは、ある意味凄いことではないだろうか。いや、だってさ。やろうと思えば骨喰の元から彼らを救えるかもしれないのだ。
 ああでも、幾ら武田さんが筋骨隆々だからとはいえ危険な目に合わせるわけにはいかない。それに短刀ならばともかく、槍や薙刀もいるのだ。それを一気に集めるなど無理な話だろう。

「水野さん、もしかしてあいつらを手元に戻したいのか?」
「はい。出来るかどうかは分からないんですけど、彼らが自分の力を取り戻すことが出来れば、あの骨喰に纏わりついている変な奴から力を削ぐことが出来るかな、と思って」

 とはいえ浄化能力もないし、お札もない。それで一体どうするつもりだ。と聞かれたら非常に困るのだが、こう、触れたら何とかならねえかな。と考えていたら小夜から「ダメだよ」と釘を刺されてしまう。

「これ以上主を危険には晒せない」
「小夜の言う通りだ。榊さんならともかく、俺も水野さんもその手の術や式神は使えねえ。命を張ってまで渡る橋じゃねえよ」
「そうかもしれませんけど……」

 でも、と二人を説得できる内容を考えようとしていると、皆が「陸奥守!」と叫ぶ声が聞こえてきて顔を上げる。

「ぐっ……!」
「むっちゃん?!」
「はっ、なんちゃあ、ない……!」

 見えないけど、先程よりも刀身が赤く燃えているのが分かる。そこでようやく気が付いた。

 もしかして、今日は“火の気”が強い日なんじゃないか、と。

 そのうえで何らかの術を使ったのであれば、まだ火の眷属になって日の浅い陸奥守ではコントロールが出来ないのかもしれない。
 現に宗三は「何と言う無茶を!」と恐怖と混乱が滲んだような声を上げ、鯰尾が「無理ですよ陸奥守さん!」と陸奥守の腕を掴んでいる。
 あの二人は炎に焼かれたことがある。だからこそ火の気配には敏感なのだろう。それでも、皮肉なことに陸奥守の“火の気”に相手は怯んでいる様子だった。

「陸奥守さん……!」
「嘘だろ……! あんなことして平気なのかよ、陸奥守の旦那……!」
「お、おい。厚。一体どういう状況なんだ?」

 何も分からない私たちとは違い、彼らは神だ。だから細かい事情を知らなくてもある程度の状態は分かるのだろう。厚藤四郎が『信じられない』と言わんばかりの様子で説明を始める。

「陸奥守の旦那は、政府に制御を掛けられているオレたちじゃ到底扱いきれねえ力を使おうとしてる」
「それって、火の神様の?」
「力の源は流石に分からねえ。けど、オレたちは刀だ。だから火には弱い。それを、あんな……」

 離れていても恐怖を感じているのだろう。厚藤四郎は全身を震わせると、小さく「マジで信じられねえ……!」と呟いた。

「あんな力、扱いきれるわけねえよ……! 下手すると旦那の方が燃えちまう……!」
「ッ!!」
「ダメだよ! 主!」
「水野さん!」

 ――陸奥守が、また燃えてしまうかもしれない。

 そう考えたら居ても立っても居られず、立ち上がって走り出す。当然小夜が追いかけて来たけど、その声に皆も、あの『悪意の塊』も気付いてしまった。

「主!?」
「バッ……! こっちに来るんじゃねえ!」
「何やってるんですか! こっちに来るんじゃありません!」

 皆が口々に「戻れ!」と言うけど、今戻ったら絶対に後悔する。それが分かっているからこそ私は走り――こちらを睨みつけて来た『悪意の塊』に叫んだ。

「“私を見るな”!!」
「――ッ!!」

 ビキッ! と何かにヒビが入るような硬い音が聞こえた気がした。だけどそれに気を取られている場合ではない。
 荒い呼吸を上げながら地面に片膝を立てていた陸奥守の柄を上から握りしめ、熱い刀身に霊力を注ぐ。

「あ、るじ……」

 言っておくが、休憩時間に触れ合っていたのは単にイチャイチャするためだけではない。いや、確かにそりゃあちょっとはドキドキしましたけれどもよ。それはそれ。元はと言えばあの時間は慣れない“火の気”を私の“水の気”を纏った霊力で中和するために設けた時間なのだ。
 だから一応、その練習はしていた。そして逆も然り、だ。現に竜神様に呼びかけていた一カ月間、陸奥守は私に“火の気”を注ぎ続けた。そして竜神様の元に通い、時には陸奥守から分けられた気を竜神様が栄養分として持って行くなか学んだのだ。

 気の流れの読み方や、その流し方を。

 だから燃え盛る炎を鎮火させるように自身の霊力に混ぜた“水の気”を流し込むと、陸奥守が僅かに息を和らげる。
 だけどスーパー戦隊の変身シーンを大人しく見守ってくれる悪役とは違い、私たちの敵は容赦なく攻撃してくる。それでもすぐさま皆が駆けつけ、襲い掛かって来る腕を弾いてくれた。

「丸腰で飛び込んでくる奴がいるか! 小夜! 二人を頼んだぜ!」
「はい! 必ず守ります!」

 同田貫の叱責に肩をすくめるが、そこに滲むのは私たちに対する愛情だ。だから「マジでごめん!」と叫べば、すかさず加州から「二人とも無茶しすぎ!」と叫ばれ、燭台切からも「後で纏めてお説教だからね!」と叱られる。
 そして二人が同時に駆け出せば、すぐさま三日月と鶯丸が地面を這って来た泥人形たちを薙ぎ払った。

「主よ、ここは我らに任せよ。そなたたちには指一本触れさせぬ」
「今の陸奥守を止められるのは主しかいないからな。頼んだぞ」
「はい!」

 だけど敵もやられっぱなしではない。加州と燭台切の行く手を阻むように、泥人形たちが二人の足元に纏わりつく。その間にも平野と乱が開かれた足場を駆け抜け、骨喰に肉薄した。

「骨喰兄さん、お覚悟!」
「幾ら骨喰兄さんでも、あるじさんには指一本触れさせないから!」

 そして短刀に続き、宗三と鳴狐が援護するように刀身を振る。

「あるじのためだ」「お覚悟をー!」
「魔王の刻印、とくと御覧なさい」

 だけど骨喰を覆う『悪意の塊』は、体をぶつ切りにされてもダメージを喰らわないのか、それとも微々たるものなのか。僅かに後退しただけで消え去る気配はない。
 むしろボコボコと体を蠢かせたかと思うと、勢いよく分裂させた腕を伸ばし、転がっていた刀剣たちを纏めて掴み取った。そしてそれぞれの手に彼らを握ると、改めて刀たちと切り合う。

「は! 第二形態ってやつか? 平野、乱! 大将を頼む! 俺は足元を狙うぜ!」
「もうッ! このドロドロしたやつなんなのさ! あるじさんに触ったら許さないんだから!」
「主、僕たちが盾となり刃となります!」
「二人共、ありがとう」

 十一振りの刀剣を混乱することなく振り回す敵だが、薬研は怯むことなく、むしろ薄笑いを浮かべたまま走り出す。代わりに平野と乱が入れ替わるように私と陸奥守の前まで後退し、三日月と鶯丸は敵が振り回す薙刀と槍をそれぞれ食い止めるため前に出た。

「っていうか、あるじさんも陸奥守さんも無茶しすぎ!」
「全くです。そんなところは似なくていいのに、お二人共無茶ばかりなさるんですから」
「ははっ、すまんのぉ」
「あははは……。マジでごめん」

 刀を構える二人は口々に苦言を呈すが、こちらに向かってくる泥人形たちを次々に跳ね飛ばしていく。そこには小夜も加わっており、陸奥守も銃を構えては弾を撃ち込んでいく。凄まじい勢いで近付いてきた敵を殲滅しくなか、ここに残っていた石切丸もその打撃力を遺憾なく発揮してくれた。

「祓い給え! 清め給え! ふうー。病魔と遡行軍以外を斬る日がくるとは思わなかったよ」
「さっすが大太刀! 頼りになるー!」
「ええ。足場が清められるだけでも動きやすいですからね。有難いことです」

 加州と宗三の声を聞きながらも、ずっと霊力を注ぎ続けている陸奥守の体の中で荒れ狂っていた火の気が鎮まっていくのを感じる。
 っていうか触った時に気付いたけど、これめっちゃやばかったやつじゃん! そりゃ厚藤四郎も震えるっての!
 だからこのままお説教でもしてやろうかと画策していると、執務室へと駆けて行った面々が戻って来た。

「主さん! これ、主さんの部屋から取って来たお札!」
「わ! ありがとう! 助かる!」
「こっちはこっちでえらいことになってんなあ! 行くぞ、之定!」
「言われなくとも!」

 和泉守と歌仙はそのまま戦闘に混ざり、堀川はこちらに真っすぐ向かってくる。そうして差し出したのは、私の部屋にまだ数枚残っていた浄化札と破魔のお札だった。それを二枚ずつ引き抜きワンセットにし、一組を陸奥守の懐にねじ込み、もう一組を自分のポケットにねじ込んだ。

「堀川。残りは武田さんに渡してきて」

 その一言に堀川は一瞬だけ動きを止めたけど、すぐに「分かったよ」と頷き後方でゲートと格闘していた武田さんの元へと走って行く。

「主、あの腕輪は完全に破壊した。おそらくこれ以上あの出来損ないの泥人形たちは出てこないだろう」
「大典太さん、やっぱり、あれを通してこいつらが湧いてきたの?」

 遅れて戻って来た大典太に問いかければ、共に戻って来ていたらしい。膝丸が代わりに頷き、説明を始める。

「君の部屋に残されていた装飾品、あれには相当な恨みが込められていた。だが俺と太郎太刀が粉々に砕いたうえ、祓い清めている最中だ。これ以上こちらに干渉することは出来ないだろう」
「そうですか……。ありがとうございます。手を貸してくださって」
「なに。こちらも主の命が掛かっている。当然のことだ」

 冷静に説明してくれた膝丸に改めて感謝の念を伝える。だけど膝丸の視線は骨喰藤四郎から動かず、彼の状態か、あるいは憑りついているモノについて観察しているようだった。

「惨いものだな。あそこまで人の負の感情を寄せ集め、膨らませるにはそれなりの年月が必要なはずだが……」
「そうなんですか?」
「ああ。意外に思うかもしれないだろうが、人ひとりの悪意や負の感情というものは些末なものだ。だがそれを長い年月をかけて集め、増長させればとんでもない代物になる。現に骨喰藤四郎たちを始めとした刀剣男士複数名が飲み込まれているだろう」
「確かに……」

 膝丸の言う通りだ。本来“戦う”ということに関し、刀剣男士はエキスパートと呼んでも過言ではない。そんな彼らを一方的に取り込み、苦しめるなど相当な力がなければ不可能なはずだ。
 ということは、ああなるまでに一体どれほどの人が、付喪神が犠牲になったのか。
 想像しただけでも怒りとやるせなさが湧きおこる。それでも、今は悔やみ、悼んでいる場合ではない。

「おそらく向こうも総力戦に持ち込まねばならない状況なのだろう。一気に覆すぞ」
「よろしくお願いします」
「ああ。最良の結果を我らの主と君に捧げよう」

 だけど戦闘に混じろうとした膝丸が突然立ち止まり、私も妙な気配を感じて後ろを振り向く。そんな私たちに泥人形を倒していた短刀たちも気付いたのか、すぐさま声をかけて来た。

「あるじさん、どうしたの?」
「主、何か気になることでも?」

 だけど乱と平野とは違い、小夜はこちらに駆け寄り「主」と声をかけて来る。おそらく彼も妙な気配を肌で感じているのだろう。その声に焦燥のようなものが滲んでいる気がする。
 そして火の気がある程度鎮まった陸奥守もまた、身の毛がよだつほどの気持ち悪い気配に「最悪じゃ」と吐き捨てるような声音で呟いた。

 だって、未だに私の刀たちは蝕まれた骨喰と戦い続けている。その剣戟の音はすさまじく、一分の隙も油断も許されない緊張感を孕んだものだ。
 それなのに全身は熱くなるどころかどんどん冷え切っていく。むしろこの三ヶ月の間で幾分かよくなった聴力が唐突に“ある音”を拾い上げた。

 ミシミシと言う、何かが軋む音を。

「――ッ!! 皆! 逃げて!!」

 だけど気付いた私が叫ぶと同時に、ゲートでもある門が勢いよく破壊される。そしてあの“穢れた水”こと“黒い水”が暴れる竜のように流れ込んできた。だから咄嗟に石切丸が渡してくれた竜神様の宝玉を両手で握りしめれば、私と小夜を守るように陸奥守が両腕を回してくる。
 とはいえ幾ら陸奥守でも水の勢いに抗うことは出来ず、そのまま三人揃って襲い掛かって来た水に飲み込まれる。

 そして今回はヒシヒシと感じ取ることが出来る。全身を襲う、穢れた水の気持ち悪さ。前回は竜神様が守ってくれてたけど、今はその力もないはず。だからこそ理解する。

 この水に長時間触れたら死んでしまう、と。

 そして同時に悟る。先日病室で“視た”光景は、小鳥遊さんの本丸ではなく“穢れた水”に満たされた私の本丸だったのだ、と。
 今更気付いても遅いが、濁流のような水の勢いには勝てず――結局そのまま意識を失ってしまった。




prev / next


[ back to top ]