小説
- ナノ -




 燭台切と大倶利伽羅の今後の方針を決めた後、業務に戻った私のパソコンに武田さんからメールが送られてきた。

「主。武田さんが『急で悪いが、明日の午前中空いてるか』だって」
「うん。勿論大丈夫だよ」

 タブレットの操作は堀川が行ってくれているので、小夜がメールの返信を行ってくれる。その際武田さんから『事情聴取で得た情報も持って行くから、あんたも覚悟しておけよ』と恐怖の一言もいただいてしまった。
 ……一体どうなるんでしょうかね。私。

 そんな若干の恐怖を抱きつつも迎えた翌日。通常ならば出陣部隊を送り出している時間帯に、例の如く太郎太刀を連れて武田さんがやって来た。

「おう、朝から悪いな水野さ――」

 だけど珍しく武田さんの挨拶を遮るようにして太郎太刀が前に出てきたかと思うと、そのまま「水野さん」と生真面目な声音で名前を呼ばれる。
 だから思わず背筋を正しながら返事をしたのだが、驚きの余り舌が回らず「ひゃい」という間の抜けた声を出してしまった。しかし太郎太刀は気にならなかったらしく、そのままグイグイと近づいてくる。

「大体の話は主から伺いました。どうして相談してくれなかったんですか? そんなに私は頼りになりませんか?」
「うおおおおおうおうおうおう。近い。近いです。太郎太刀さん」
「おーい、太郎。あんまり圧掛けんなって」
「そうだぜ、太郎さん。心配してたのは分かるけど、水野さん引いてるって」

 ただでさえ体躯に恵まれている太郎太刀に迫られて「うおう」となっていれば、隣に立っていた陸奥守が「まあまあ」と笑いながら太郎太刀の肩を叩いて距離を開けさせる。
 そして先日と同じように厚藤四郎が来ており、太郎太刀に比べたら小さな手でその広い背中を叩いた。おかげで落ち着いたらしい。素直に謝罪して来る太郎太刀にほっとしていると、広間の用意を整えていた刀たちが私を呼んだ。

「主さーん! 準備出来ましたよー!」
「ありがと、堀川ー!」
「主、皆揃ったから上がって貰ったらどうだい?」

 堀川に続いて歌仙からも声を掛けられ、「りょうかーい」と片手を上げてそれに答える。
 私には見えていないけど、武田さんには広間の状態が見えているはずだ。いつものように揃っている姿を目にしたのだろう。慣れた様子で玄関口に向かいながら話しかけてくる。

「やっぱり全員揃ってたか」
「はい。武田さんに事情を説明することと、引き渡した男性についての話もあるから。と伝えたら皆「自分たちも聞く」と言って引かなかったので……。もしかして不味かったですか?」

 本当は出陣だけは通常通り行う予定だったんだけど、長引かなければ話し合いが終わり次第出陣してもいいし、短時間遠征とか内番に割り振ればいいだけだ。
 そんなわけで全員を集めたのだが、聞かれたら不味い話があったのかもしれない。念のため尋ねてみるが、特にそういう話はないらしい。それにうちの刀とも付き合いが長いので「むしろいなかったらどうしようかと思ったぜ」と笑われてしまった。

 政府の役員さんだけど、武田さんも火野さんも結構フランクで柔軟な考えを持っているから付き合いやすい。前担当者の鬼崎はまさに『お堅い政府役員』って感じだったから、当時はネチネチと嫌味を言われたものだ。
 もしも武田さんがサッパリとしたタイプじゃなかったらうちの刀たちも余計にピリピリしていたかもしれない。

 そんなことを考えつつ、だいぶ慣れてきた広間へと続く道を陸奥守に手を引かれながら歩く。

「さて、それじゃあまずは水野さんの話を聞かせて貰おうか」
「はい。えーと、とりあえず順序だてて説明しますと……」

 いつもの場所に腰を落ち着けると、早速と言わんばかりに武田さんが切り出してくる。
 今回は聴取を兼ねているからだろう。膝丸も来ており、彼がタブレットに入力をするようだった。
 だからなるべく早口にならないよう、落ち着いた声音で狭間くんを救出した後に何が起きたのか。そしてこの三ヶ月の間何をしていたのか。どんな変化があったのか。それらを説明する。
 すると膝丸以外の、護衛を兼ねてだろう。共に来ていた厚藤四郎も石切丸も、膝丸もにっかり青江も「うわあ」という反応を示した。

「この数ヶ月で何度も危険な目にあっていたとは……。つくづく巻き込まれ体質だな、君は」
「道理で水野さんの湯飲みが突然割れたわけです」
「そうだね。最初は力加減を誤って割ってしまったのかと思ったけど、こんなことが起きていたとは……」
「流石に“にっかり”とは笑えない出来事ばかりだよねぇ」

 膝丸は苦々し気に、太郎太刀は憮然とした様子で。そして石切丸とにっかり青江からは困惑したような声音で感想がもたらされる。
 それに対しこちらも乾いた笑いを返していると、御神刀である大太刀二振りは改めて「大変だったね」と労わってくれた。

「ですが、ようやく得心がいきました。水神の気が薄れているから可笑しいと思っていたんです」
「そうだね。榊さんが手を貸していたのならよっぽどだ。僕でよければ加持祈祷していくよ。どうだい?」
「わ〜、とても助かります。ご負担にならないようでしたらお願いしてもいいですか?」
「勿論だとも」

 石切丸の有難い申し出に「やったー!」と内心でもろ手を上げていると、お茶出しを手伝ってくれた堀川が「それじゃあ僕がご案内しますね」と言って立ち上がる。
 そうして善は急げとばかりに堀川が石切丸を祭壇へと案内するために出ていく中、一通り話して乾いた喉をお茶で潤す。

「ってことは、だ。水野さんは今“魂”だけじゃなく肉体も“人”じゃなくなってきてる、ってことだな?」
「はい。というか、目に関しては完全に人じゃないと思いますよ。他の部分はそうでもないですけど、自分でも“力が強くなってきたな”と思うので」

 これではお師匠様に貰った『神気を抑えるお守り』もいつか効かなくなるだろう。一応ずっと首に下げてはいるんだけど、いつまで持つか分からない。だけど武田さんにも内緒にしてくれていたお師匠様の気持ちを無下にしたくはない。だからこの件についてはまだ伏せている。
 うちの本丸でもこの件を知っているのは陸奥守と小夜だけだ。他の皆はまだ気付いていない。そういう意味では『まだ大丈夫なんだろうな』とは思えるんだけど、時間の問題だ。悠長にしている暇はない。

「それにしても、小鳥遊、か……。一昨日引き渡された男からも同じ名前が出て来たから調べてみたんだが、審神者名ではなかったな」
「あー……。そうでしたか」
「ああ。だが審神者と連絡が取れてねえ本丸は幾つかある。だからそのうちのどこかに勤めていたとは思うんだが、個人情報と同じ扱いになるんでな。持ち出し禁止なんだよ」
「でしょうね」

 一昔前からプライバシー保護だの個人情報がどうの、何かと問題になる話だ。幾ら審神者名が偽名であろうとそこから本名を読み解く人が出てくるかもしれない。如何に政府役員と言えど権限もなしに情報を閲覧したり探ったりは出来ないだろう。
 だけど武田さんはそれなりの地位にいるのか手癖が悪いのか。どこか悪童じみた声で「だからバレねえように写してきた」と言ってきて飛び上がりそうになった。

「はあ?! 大丈夫なんですか?! それ!」
「大丈夫なわけあるか。バレたら懲戒免職もんだよ。だけどやらなきゃ前に進まねえだろ。それに盗んできたのは本丸IDだけだ。つっても、これも外部には漏らしちゃいけねえ“個人情報”扱いだからよ。内緒にしろよ?」
「おわあ……」

 呆れる私の代わりに、いつも通り隣に座っていた小夜がリストを受け取る。本当なら結構な数の本丸IDがあったみたいだけど、私が活動している地域を中心に近場のIDをピックアップしてくれたらしい。そこまで多くはないようだった。

「そのうちの一つに狭間と水野さんが飛ばされた例の本丸IDもある。だからまあ、その中に正解があるかもしれねえな」
「何か色々とすみません」
「気にすんな。第一政府っつても一枚岩じゃねえしなぁ。割とガバガバというか、派閥やら権力争いやらで結構ごたついてんだ。下っ端の俺たちの苦労なんざ知ったこっちゃねえんだろうよ」
「あー……」

 大きな組織はどうしても綻びが出やすい。時の政府もそうなのだろう。特に審神者と直接対峙し、話をする武田さんたちは特に間に挟まれて大変だろうな。
 だから同情の目を向けると、太郎太刀も膝丸も「手伝う方も大変だ」と口にした。

「主の性格も中々だが、それ以上に大雑把な仕事を割り当てられる時もあるからな」
「貧乏くじもいいところです」
「るっせ。だが人の命が掛かってるからな。その辺お上にはしっかりして欲しいもんだぜ。実際そのせいで何も知らねえ狭間まで危険な目にあっちまった」

 武田さんの言う通りだ。どれだけ熱心に教育し、本人がやる気を抱いていても、初っ端からあんなところに飛ばされたら足が竦んでもしょうがない。何せ彼は本来ならば家臣として迎えるはずだった刀剣男士に刃を向けられたのだ。幾ら遡行軍と戦争をしているとはいえ、結局のところそれは水面下の戦いであり、表舞台で核兵器やら何やらが出てくるわけではない。
 武士でもなければ軍人でもない、平和な世で生きて来た一般人が突然『刀』に敵意を向けられるなどトラウマ確定である。

「しかもあの捕まえた男、政府役員に成りすましてたって言うじゃねえか。だから調べてみたらよ、うちに出入りしている業者の一つで働いてた作業員だったんだよ」
「え。作業員、ですか?」
「おう。恥ずかしい話、うちのセキュリティがなってねえ証拠だな」
「うーん、そう来たかぁ」

 時の政府もそれなりに警備体制を整えているとは思うのだが、どうしても機械のメンテナンスは行わなくてはならない。それ以外にも水回りの故障だったり電気系統の点検だったりと、全てを機械任せに出来ないところは必ずある。
 だから信頼のおける業者に業務を任せていただろうに、そこから『なりすまし』が出るとは。武田さんは「頭が痛いぜ」とぼやく。

「しかも水野さんはうちじゃ有名人だ。水神やら火神については伏せてはいるが、保護した刀の斡旋については殆どの役員が知っている。色んな意味で世話になってるってのに、こちらの不備で何度も面倒事に巻き込んじまって申し訳ねえ」
「やー……。こればっかりは武田さんのせいじゃないですし、言ってもしょうがないですよ。だって相手は“人”じゃないですから」

 そう。今回の相手は刀剣男士でも人間でもない。いや、確かに“人”を使って攻撃をしてきてはいるけど、その裏にいるのは“悪神”だ。人の心に巣食い、弄び、破滅へと導く『魔のモノ』たち。お師匠様や百花さんのような特殊能力を持たない人では太刀打ち出来ない相手だ。私もそうだからよく分かる。

「男の素性については分かったけんど、他には何もないがか?」
「いや。それがよ、あの男、実は“目が見えてない”んだ」
「目が?」

 一瞬皆の視線がこちらに向いたことが肌で分かる。武田さんも同じ気持ちなのだろう。隣に座していた太郎太刀から何かを受け取りながら困惑が滲む声で話し出す。

「さっきうちに出入りしていた業者の人間だ、って話したが、辞職してるんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。狭間にIDを渡した時にはまだ在籍していたはずだから、多分ここ最近のことだろうよ。本人も“小鳥遊”って女と連絡が取れなくなった頃にいきなり目が見えなくなったと供述した」

 それだけなら『私と同じで視界を奪われたのかな?』と思ったのだが、続けざまに気味の悪い報告がもたらされてぞっと肌が粟立つ。

「だけどな、妙なことにこの男、霊力がないにも関わらず刀剣男士の姿が“視えていた”んだ。……いや。“視えるようになった”と言った方がいいか。まるで誰かと目玉を入れ替えたみたいにな」
「それは……」

 ここで咄嗟に“謎の物体X”に変貌してしまった小鳥遊さんの姿が脳裏を過る。もしも彼女の霊力を、あるいは目を彼に与えたのだとしたら。あまりにも冒涜的な行い、想像に慌てて首を横に振る。
 真偽はともかくとして、今はあの男からどんな情報を得られたのか聞かなくては。
 改めて武田さんの声に耳を傾ければ、彼も何か悩んでいるようだった。

「過程は分からねえが、今の水野さんと状況が似ていると言えなくもない。だから気味が悪くてよ。そもそも霊力を持たねえ人間が後からそれを得る方法なんざ政府でも知られてねえんだ。得体のしれない何かの手が入っているとしか思えねえ」

 内情はともかく、武田さんが言うようにあまりにも私とあの男性は境遇が“似通っている”。共に“視覚”を失い、人ではない超常の存在からそれに代わる力を得ただなんて。
 咄嗟に口元に手を当てて込み上げてくる吐気をやり過ごしていれば、陸奥守と小夜が労わるように背を撫でてくれた。だけどゾワゾワとした気味の悪さは引かない。

「それにあいつは狭間に偽のIDを渡したのは『霊力を奪うため』とハッキリ口にしたんだ」
「狭間くんの霊力を奪うために……」
「ああ。色々検査をして分かったんだが、狭間のやつ霊力だけは一丁前なんだよ。むしろ上位に食い込むほど多い。実際俺よりも多かったしな」
「武田さんよりも?!」
「おう。だが刀剣男士と親和性があるのかどうかは分からねえ。あいつビビリだからなぁ。それに就任初日であんなところに吹っ飛ばされただろ? おかげで消極的になっちまってよ。まだ研修から抜けられねえんだ」

 今回の不祥事に加え、相手は未成年だ。政府も無理に新しい本丸を与えることが出来ないのだろう。例え元がホワイトであろうと引継ぎも難しい。私も斡旋業務やらちょっとしたお手伝いやらで引継ぎ審神者さんの本丸にお邪魔したことはあるけれど、大体一筋縄ではいかないものだ。特に前任が優秀であったり性格的に好かれていた場合は悪意無く比べられるから審神者の方が精神的に参ってしまう。
 だって相手神様やぞ? 神様から「やはり前の主の方が」みたいなことを言われたり視線を向けられたらショック受けるって。中には親族が引継ぎをする時もあるけれど、そこでも大なり小なり問題は起きる。だから楽ではないのだ。引継ぎも。
 ただ“戦力”と“知識”という点では引継ぎ本丸の方が一歩リードしているので、一長一短ではある。

「じゃあ、あの本丸に狭間くんを呼び寄せたのは彼の霊力を“奪う”ためで、それ以外の理由はない、ということですね?」
「あの野郎が言うにはな。なんでもその『小鳥遊明日香』って女から言われたんだと。『狭間にこの紙を渡してくれたらデートしてやる』ってよ。ただそれだけのことで犯罪に手を染めるんだから、怒るよりも呆れが勝つぜ」
「あー……」

 確かに小鳥遊さんは可愛い人だったもんな。性格はともかくとして、あんな人に「デートしよう」と誘われたら舞い上がる気持ちも湧くだろう。
 私に置き換えれば百花さんや夢前さんと同じ枠組みだ。可愛いもん。あの二人。そんな子に「デートしましょう」と言われたらホイホイついて行っちゃうよ。分かる分かる。
 いつものようにアホなことを考えていると、真面目な武田さんは「重要な情報はこんなところだな」と話しを終えた。

「ただ新人審神者の霊力を狙ってこんなこと仕出かした件はこれが初めてみたいだから、今後は起きねえだろうよ」
「そうだといいんですけど……」
「ああ。だが問題は“瘴気に包まれた本丸”でどうやって狭間の霊力を奪おうとしたか、だ。そもそも小鳥遊って女が審神者やってたなら自分の本丸に呼んだらいいじゃねえか。何でわざわざ他人の本丸を指定したのかも分からねえ」
「うーん……。これはあくまでも“同性”としての意見なんですが、嫌だったんじゃないですかね。知らない男性を自分の本丸に呼ぶことが」

 こんな自分が言っても何の説得力もないかと思うのだが、普通に考えたら見知らぬ男を家に呼ぶのはイヤだろう。例えそこが職場であろうと同じことだ。特に小鳥遊さんは男性に好かれやすい見目をしている。性格も、好かれるために演技をするタイプだろう。
 とすると、だ。特に好きでもない男性から好意を持たれるのはデメリットしかない。むしろリスクが高すぎて自分の首を絞める自殺行為とも言える。
 だってもし相手がストーカー化したらどうするんだ。本丸だけでなく私生活、現世で生活するマンションや家、実家を探り当てられたら? 彼女が身に着けている小物やら何やらと同じものを購入されたら? 偶然一致したならばともかく、繰り返さたら普通に気持ち悪いし嫌な気分になる。そういう意味で彼女は別の本丸を指定したのではないか。と伝えれば、武田さんは「成程なぁ」と呟いた。

「確かにそう言われたら納得するな。幾らヒョロガリのビビリだろうと狭間も男だ。無理矢理迫られたら抵抗出来ねえだろう」
「はい。私なんかこんな見た目ですけどめっちゃ非力ですからね! 短刀相手だろうと腕相撲したら余裕で負ける自信がありますよ!」
「いや、そこは自信持たねえでくれ。っていうか、そうか。短刀相手でも場合によっては力で負けるのか。あ〜、これは女性ならではの視点だなぁ。完全に盲点だったわ」

 実際小夜くんに思いっきり引っ張られたら倒れる自信あるし、前田だってこの前私を担ぎ上げて手すりの上にジャンプしたのだ。私なんて百花さんや夢前さんを抱っこするまでは出来ても手すりに乗り上げるなんて絶対に無理だ。
 流石に狭間くんもそこまでは出来ないだろうけど、人間というのはリミッターが外れた時にとんでもない力を発揮する生き物である。そんな男に押し倒されたら何も出来んて。マジで。

「私も学生の時電車で痴漢の被害に遭いましたけど、驚きと恐怖で声出なかったですからね」

 驚くかもしれないが、実のところ痴漢された経験があるのだ。いや、自慢ではなくマジで最低最悪な記憶なんだけどさ。
 あれは忘れもしない高校二年生の冬。通学時ではなく祝日に遊びに出ていた帰りのことだ。普段ならラッシュ時は避けるんだけど、どうしてもリアタイで見たい番組があったから嫌々ながらも満員電車に乗ったのだ。その時に、ね。詳しくは話さないけど、降りるまで本当にイヤな気持ちにさせられた。
 当時を思い出してげんなりしていると、何故か広間が静まり返っていることに遅まきながら気付く。

「え? なに? どうしたの?」
「……主。今の話、初めて聞いたんやが」
「はい。僕も初耳です」
「いや、そりゃあ話す内容でもないから言わんよ。思い出したくもないし」

 人のケツを撫でまくりやがって。一応犯人らしき男を探そうとはしたけど、ギュウギュウ詰めて身動きが取れなかったし、私の背が低すぎてよく分からなかったんだよね。ただまあ、不幸中の幸い、というわけではないけれど、スカートじゃなくてジーンズだったから盗撮とかその辺の心配はないはず。
 だから「気にしないで」と伝えたのだが、両隣からピリピリとした怒りのようなものが漂ってきた。

「わしらの主に、のぉ」
「復讐……」
「あー……。気持ちは嬉しいけど、相手分かんなかったんだよね。だからどうしようもないっていうか、それが初めてでもなかったし。もう考えないようにしてる」

 相手の顔とか名前が分かっていれば「あの時はよくも」と思ったかもしれないけど、流石に分かんないままだったし。言うてその一回だけじゃないしね。痴漢にあったの。
 だからもう訴えるとかそういうのよりイヤな記憶は忘れてしまえ! って感じで封じていたんだけど、痴漢にあったのが一回だけじゃないと聞いて遂に黙っていた他の面々まで怒りを露にした。

「主! そのような男どもが乗る車両など解体、いえ! この際爆破しましょう!」
「爆破?!」
「こんな驚きの事実は知りたくなかったんだがなぁ。その時俺たちと契約していたらそいつらの腕を切り落としてやったのに。命拾いしやがってくそ野郎共」
「怖い怖い怖い! なに?! どうしたの急に?!」
「クソ野郎っていうかゴミっていうか蛆虫以下だよね。いい歳してやっていいことと悪いことの区別もつかないとか。もうアレ切っちゃえば?」
「待って待って待って。加州も皆も落ち着いて」
「主君! 消毒しましょう!」
「いえ、それだけでは足りません。お祓いも受けましょう」
「いやそこまでのことじゃないからあ!!」

 言うて現代人、っていうかそこそこ都市部で暮らしている女性であれば痴漢被害って頻繁に聞くことだ。私の友達も何人も被害に遭っているし、ゆきちゃんもそうだ。まあ、ゆきちゃんは相手の腕掴んで引きずり出した強者なんだけどさ。流石に私は出来なかった。普通に「は?」から始まり、気のせいかなぁ〜? って希望的観測を抱いたものの、延々と撫で擦られ鳥肌が立ち、だけどどうすればいいのか分からずガッチガチに固まって降りる駅までついてしまった。で、そのまま逃げるように降りて家まで帰ったというにが〜い記憶しかないのだ。
 だから見知らぬ男性を避けたい気持ちはよく分かる。っていう話をしたかっただけなのに、何故か皆「クソ野郎共殺す」みたいな空気になってて怖い。今その話広げなくていいから!!

「心配しないでくださいよ、主! 夜戦と室内戦で鍛えられた僕たちに全部任せてください!」
「何をする気だよ! 絶対行かせないからな?!」
「主さん! 暗殺、闇討ちなら任せて! 僕たちの得意分野だから!」
「物騒な話題に速攻で乗ってくるとこ本当どうかと思うぞ堀川ァ! おかえり!」

 石切丸を祭壇に案内していた堀川がこのタイミングで戻ってくるとは思わなかった。というか一連のやり取りを聞いていないはずなのにこのノリの良さよ。本当、見た目にそぐわず好戦的だよね。堀川って。

「とにかく! 私のことはいいから! はい! もう終わり! 話を続けるよ!」

 両手を叩いて意識を切り替えるよう促せば、皆納得はしていないようだったけど乗り出していた体を元の位置に戻していた。……ん? 今気付いたけど長谷部と鶴丸と鯰尾、本体握ってないか?! 止めて止めて。超怖い。
 そんな私たちのいつもながらのやり取りを黙って見ていたと思っていたんだけど、何故か武田さんも太郎太刀を抑えていた。

「水野さん。微力ながら私もお力添えを……」
「待て待て太郎! お前が出るとマジで洒落にならん!!」
「そうだぞ、太郎太刀。相手の顔と名前が分からないのであればどうしようもない。来世では天敵に喰われる芋虫になるよう、願うのが精々だろう」
「割とえぐいこと言いますね、膝丸さん」

 食物連鎖、弱肉強食の世界の、更に非力は生き物に生まれ変わるよう神様が願うとか……。もうそれほぼ確定しそうじゃないですかヤダー。なんて思っていると、気付けばにっかり青江が目の前に片膝をつき、何か払うような仕草を見せた。

「えっと……?」
「ん? ああ、気にしないで。もしも君の体に許可なく触れる男がいたら、ちょっと怖い目に合うよう“おまじない”をかけただけだから」
「青江さんが一番怖いんですが?!」

 ひい! と思わず隣に座っている陸奥守の腕にしがみつくが、何故か青江に「すまんのぉ。助かる」とお礼を言っていて震えた。あかん。神様怒らせたらいかん。マジで怖い。
 日頃戦場に出ている刀たちの“ガチめの殺意”に震えていると、ようやく太郎太刀を落ち着けた武田さんが咳払いする。

「あー、まあ、とにかく、だ。水野さんにはお前たちがいるから大丈夫だろ」
「そ、そうそう! 皆がいてくれるから私も安心安全っていうか! だからもう嫌な気持ちになることは忘れよう! ね?!」

 自分から話したことではあるけれど、無理矢理纏めればとりあえずは頷いてくれた。だけど了承したというよりも「今回は事件を優先してやろう」みたいな空気だったので、そのうち何か起きるかもしれない。いや、何も考えんとこ。

「えっと、だから、小鳥遊さんは言葉は悪いですけど、自分に好意があり、且つ従順な方を通して狭間くんを罠にかけ、その力を奪う気でいた。ってことですよね」
「ああ。水野さんの話によるとその小鳥遊って女は他人から力を奪う能力を持ってたんだろう? 最悪、そいつが審神者になったのも誰かから霊力を奪ったから、っていう線もある」
「あ〜……。なるほど。それは確かに、あり得ますね」

 政府も対策を講じようとしている、霊力枯渇問題。それが外部からの攻撃――ようは“強奪”の能力により行われた人も中にはいるかもしれない。小鳥遊さんのことを詳しく知っているわけではないけれど、狭間くんの霊力を奪おうとしたのだ。可能性は十分ある。

「むしろ元々霊力がなかったから他人から霊力を奪ってたんじゃねえか? じゃねえと刀剣男士の顕現はおろか、姿さえ見えねえからな」
「そうですね。私も以前太郎太刀さんの姿が見えなくなりましたし、他人から奪える力があればそれを活かさない手はないでしょう」

 人を襲わせようとしたことも踏まえ、日常的に他人から何かを奪っていたのだとすれば彼女に“良心”というものは存在していなかったかもしれない。いや、親しい人には向けられたかもしれないが、見知らぬ他人に向ける思いやりはなかっただろう。
 殆ど無差別テロと呼んでも過言ではない所業に巻き込まれた狭間くんと私は被害者だ。改めてロクでもねえ事件だよ。

「けどよ、太古から存在する水神が弱るほどに穢れた水に満たされた本丸、ってのは手が出し辛ぇな」
「そうなんですよねぇ……。それに下手すると刀剣男士が“堕とされる”可能性があるんですよ」

 私が視た沢山の腕。もしもアレが他者を怨む存在に変わっていたとしたら、幾ら刀剣男士を連れて行っても一筋縄ではいかないだろう。最悪の場合、こっちを引きずり込み、自分たちと同じ存在にしてしまうかもしれない。
 そういう懸念もあり、余計にあの本丸には手を出し辛かった。

「戦力と対策を整えれば狭間くんが飛ばされた例の本丸には行けますけど……」
「その本丸もやべえことになってんだろ?」
「はい。あの本丸の審神者は、もう人の形を保っていません。蛇のような見た目に――」

 とここまで口にしてからハッと口元を抑える。しまった! ここには骨喰藤四郎を含めた保護した刀たちが揃っているのに。うっかり話してしまった。
 現に彼の耳にはしかと届いていたらしい。骨喰藤四郎は「蛇?」と呟く。そしてすぐさま身を乗り出し、問い詰めて来た。

「水野殿! 主の姿を“視た”のか?!」
「み、視たというか視えてしまったというかなんというか……」

 嘘はつけないけどハッキリ言うのも酷な気がして曖昧な返答をしてしまう。だけどそんな私の耳に、日本号の低く落ち着いた、けれど怒りを滲ませた声が届いた。

「――俺たちや嬢ちゃんに対する当てつけ、ってかあ?」
「当てつけ、ですか?」
「おう」

 私が下戸のせいか、それとも竜神様を思ってか。酒ではなく湯呑を傾けていた日本号がゆっくりとした口調で『何故そう思ったのか』を話し出す。

「龍ってのは人の願いを仏に届け、それが叶うと飛ぶ力を失い蛇になる、っていう思想があってな。俺たちからしてみれば『手前の主は願いを叶えた結果そうなった』と示されているようなもんだ。そして竜と縁深い嬢ちゃんに対しては『お前もこうなる』という挑発にも見える」
「日本号、貴様……!」
「長谷部」

 日本号の蓮っ葉な説明に長谷部がいきり立つが、私が名前を呼ぶと大人しく引き下がる。つまり、長谷部も私に対する侮辱だと怒りはしたけれど、その内容については肯定しているのだ。それに、私自身彼の発言には「成程な」と思わされた。だからこれと言って怒りはない。

「とはいえ、祀られている神は竜と言えど水神。仏に仕えているわけじゃねえから、竜が姿を変えることはないだろうよ」
「ああ、だから“当てつけ”なんですね」
「そういうこった」

 ようは『敵わない相手』だと分かっていても挑発してきた、という話だ。竜神様を堕とすことは叶わなくても、こちらを煽ることが出来たらそれで良し。そう思ったのか、それとも私の方はおまけで、救出出来た彼らに対する挑発がメインなのか。
 しっかし『お前たちの主はこんな姿になってしまったぞ』と言われるのは何とも腹立たしく陰湿なやり口だ。
 骨喰藤四郎も悔しいのか、それとも彼に憑りついた『魔のモノ』に対して怒っているのか。あるいは、主を守れなかった自分に対する憤りか。どちらにせよ怒りを堪えている様子の彼の背を、日本号が軽く叩いた。

「ま、これもただの“憶測”だ。深い意味はねえかもしれねえから、捕われんなよ」
「……ああ」

 一先ず怒りを抑えた様子の骨喰にほっとした時だった。急に誰かに“視られている”気配がして陸奥守の手を掴めば、すぐさま全員が立ち上がり抜刀する。

「お、おい?! どうしたんだお前たち!」
「分からん。だが、主はここから動くな」
「ええ……。嫌な気配がします。これは……あの時と同じ……」

 うちの電話をぶった切ったことを言っているのだろう。太郎太刀は「あの時と同じ気配がする」と口にする。つまり、向こうも気付いたのだ。私の居場所に。

「結界札を貼っているから立ち入ることは出来ないのでしょう。ですが、ゲートが開けばどうなるか分かりません」
「ああ。こちらを探っている気配がする。水野殿、どうしてこうなったか、心当たりはあるか」
「…………あり、ます」

 おそらく昨日骨喰の霊力を通して探ったせいだろう。大丈夫かと思ったけど、やっぱりダメだったか。
 骨喰藤四郎もすぐさま原因を理解したのだろう。即座に「すまない」と謝罪してくる。

「此度の失態は俺のせいだ。俺が、彼女を危険な目に……!」
「後悔は後だ! 今は敵の侵入を防ぐ方法を考えろ!」

 懺悔する骨喰を、長谷部が一刀両断するかのように鋭く叱責する。だけど鳳凰様がアドバイスをしてくれたおかげで本丸内には強力な結界が張られている。だから直接乗り込んでは来られないだろう。
 だけど言葉に出来ない不安のようなものがゾワゾワと背筋を這いあがってくる。私を守るように立つ陸奥守と小夜の後ろで両手を組んでいると、即座に何かに気付いたらしい。大典太と膝丸、青江が広間を飛びだした。

「大典太さん?!」
「陸奥守と小夜は主を守れ!」

 駆け出した三振りに続き、長谷部と大倶利伽羅、薬研が駆け出していく。かと思えば大きな足音を立てながら薬研が戻ってきた。

「大将! 武田! 今すぐここから逃げろ!」
「薬研?!」

 だけどそんな彼の後ろから、得体のしれない何かが襲い掛かって来る。薬研はすぐさま自身を振り抜き、また近くに立っていた宗三と鯰尾が共に一太刀を浴びせ、その出来損ないの“泥人形”のようなものは呻き声を上げながら庭に落ちる。

「あれは……!」
「何だ、こりゃあ……!」
「クソッ、打ち漏らしか!」

 詳しく話を聞きたいのに、次から次へと廊下の向こうから“ズルリ”と何かが這って来る音がする。

「この音……!」
「何人かは執務室へと回ってくれ! あの腕輪を通して奴らがこっちに来ようとしている!」

 薬研の言う『あの腕輪』とは件の男から秋田が切り取ったブレスレットのことだろう。念のため持って帰ってはいたものの、まさかアレを媒介にうちに乗り込もうとするとは思わなかった。
 だけど愕然としている場合ではない。すぐさま前田と秋田、歌仙、和泉守、堀川、山姥切、鶴丸が駆け出し、それに続く形で太郎太刀がブレスレットが保管してある執務室に向かって走り出す。
 あれだけのメンツが向かえば大丈夫なはずなのに、何故か悪寒が止まらない。

「主、今すぐ逃げよう」
「で、でも、」

 小夜がそっと手を握り囁いて来る。だけど今ゲートを開けば結界が消える可能性がある。そうなった時にこの本丸は、取り残された皆はどうなるのか。
 不安と緊張、そして思わぬ事態による混乱で正常な判断が下せずにいると、突然骨喰が「うぐっ!」と苦しそうな声を上げて跪いた。

「骨喰?!」
「おい、どうした!」
「ぐっ……! 胸、が……!」
「骨喰藤四郎! しっかりしろ!」

 例えその姿をハッキリ見ることが出来なくても分かる。彼の中に流れる“淀み”――審神者の霊力が勢いを増し、彼の体を蝕んでいる。しかもその“淀み”は骨喰藤四郎だけでなく、他の刀たちにも表れ始めた。

「ぐっ……! んの、野郎……!」
「あっ、ああ……! あ、るじ、あるじ、さ……どう、して……!」
「う゛っ、うぅ……!」
「あ、るじ……なぜ……」

 ものの数秒で骨喰以外の全員が床に膝をつき倒れ込むと、肉体を維持できなくなったのか。刀や槍と言った本来の姿に戻ってしまう。それに愕然としている間にも彼らの本体にムクムクと雲のような黒い靄がまとわりつき――未だに苦しみ続けている骨喰に向かって飛んで行った。

「ダメッ! 骨喰藤四郎!」

 だけど悲鳴交じりの声を上げて駆け寄ろうとした私の体を、武田さんと陸奥守が同時に引き留める。だからこの手は彼に届くことはなく――むしろこの場に残っていた薬研と加州と同田貫が彼を斬るべく刃を振りかざしていた。
 例え見えなくても分かる。長さと厚みが違う刃がほぼ同時に骨喰藤四郎の肉体を切り裂こうと空を切る音がする。

 だけどその刃が届く前に骨喰の全身から、音をたてて勢いよく瘴気が放たれた。その勢いはすさまじく、ほぼ噴射と呼んでも可笑しくはないレベルだ。おかげで三振りの刃は弾かれ、転がるようにして後退する。

「クソ! 呑まれたか!」
「あーもう! 最悪!」
「ったく、うちの本丸を汚さないで欲しいもんだぜ!」

 広間の中だけでなく、本丸全体に瘴気が広がっていく。その、空気と言うよりも肺や神経を焦がすようなピリピリとした感覚に思わず咳き込めば、すぐさま小夜と武田さんが私の手を取り広間から抜け出した。

「主!」
「石切丸! こっちだ!」
「ただならぬ気配を感じたから来てみれば……! きみたちは早く逃げる準備を! 水野さん! きみはこれを持って行きなさい」

 加持祈祷を中断し、駆けつけてくれたのだろう。石切丸は私の手に何かを握らせる。そしてすぐさま抜刀し、広間へと向かった。
 だけどその背中に声をかけることは出来なかった。何故なら彼が握らせたものは、丸くて冷たい、硬い感触の物体――。神棚に祀っていたはずの竜神様の宝玉だったからだ。彼がこれを渡して来たということは、本丸を捨てて逃げろ。という忠告で間違いない。
 僅かに感じられる神気を守るように胸に抱き、グッと目を閉じる。

 ここにいてはダメだ。皆を置いてでも逃げないと。

 身を切るような思いで決意してすぐのことだった。広間から“ドチャッ”と濡れた音がする。

 ……本当は、視なかった方がよかったのだろう。でも人は時として“見てはいけない”と思う場所を、ものを、見てしまうことがある。覗いてしまう時がある。

 だから、小夜と武田さんが私の手を取り背中を押す力に素直に従えばよかったのに、私の首は、目は、例の如く“視て”しまった。

 ――変わり果てた、“彼ら”の姿を。


「あ」


 ゴポリ。

 と、濡れた音がする。血の泡を吐き出すように、苦悶の表情を浮かべた“誰か”の血走った目がこちらを見ていた。それも、一つだけではない。沢山の目が、こちらを見ていた。


 ――“見る”という行為は、即ち“視られている”と同義だ。


 視界を失っても“目が合ってしまった”と悟った時には、既に彼の、彼らの腕が目の前に迫っていた。

 白く、灰色に、赤に、紫に、まるでカンバスに塗料が入った缶をそのまま投げつけたかのように様々な色、感情が混ざる物体――悪意と死を含んだ腕が、襲い掛かって来た。





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