小説
- ナノ -




 さて。現世で思わぬ収穫を得た翌日。朝食後に礼の如く会議という名の情報共有タイムを設けていた。


『本丸事変』


 起床した時には武田さんから『後日改めてそっちに行くからな』という旨のメールが届いていたが、日取りはまだ決めていない。言うてこっちからは行けないから武田さんの都合次第なんだよね。だから彼の予定に合わせるつもりでいた。
 その際諸々の事情を説明するために陸奥守には傍にいて貰わないといけないのだが、それはそれとして。まずは皆に話をしておく必要があった。

「えー、昨日の時点で陸奥守たちから報告は受けていたとは思うのですが、改めて昨夜現世で何が起きていたのかを話したいと思います」

 説明と言っても、朝食を部屋で摂っている時に陸奥守からどこまで話したのかは予め聞き及んでいる。ただ細かいところまでは話していないそうで(議論に発展する可能性があったからだ)皆も随分と気になっているんじゃなかろうかと思う。
 だから余計な話はせず、必要なところを話していく。

「まずは私たちが行った“傲慢”の契約者が失踪した病院の方からです。そこには私が“視覚”を奪われた時のように、ベッドに『魔のモノ』の残骸? みたいなものが残っていました」

 皆の目からどう見えていたのかは分からないけど、私には灰色の、人の顔みたいな形をした泥人形のような、木偶人形のような物体が見えた。陸奥守はアレを『悪意が形になったようなものだ』と評したけど、私としては悪意以外の感情も込められているような気もした。
 それこそ『恨みつらみ』を始めとした『他者を憎む感情』、『悲しみ』や『苦しみ』と言った負の感情。そして、誰かに『救い』を求めるようなもの。
 だって見た目は気持ち悪かったけど、何となく悲鳴みたいにも聞こえたんだよね。「苦しい」とか「助けて」という救難信号を発するかのようなさ。だからアレは『魔のモノ』の残骸と言うより、失踪した契約者の『恐怖』が残ったものなんじゃないかな。なんて考えもある。
 あくまで推測だけど。失踪する間際に残った恐怖心の欠片みたいなさ。

 ただそれらを話す前に、あの“残骸”に触れた時に見えた“記憶”なのか“予言”なのか分からないものの話をする必要がある。

「それに触れた時、この間の“黒い本丸”がまた視えました。そして辺りに満ちる黒い水の底からは沢山の腕が招いているような、拒絶しているような動きで舟を追いかけている映像も」

 そしてその追いかけられる小舟に自分が乗っていたことも話せば、皆一様に口を噤んでいたものの、空気は硬く、重苦しかった。
 だけどあれが“過去”の映像なのか、これから起こり得るものなのかは分からない。それにどうすればあの本丸に行けるのかも分からない。断片的な映像から判断できることは少なく、あまり収穫があったとは言い難い。

「ただその後にもう一つ映像が視えました」

 どちらかといえばこちらの方が“収穫”と言えるだろう。鳳凰様が施した“オマケ”について話せば、そこここで「流石だ」とか「相変わらず容赦ねえな」と囁き合う声が聞こえてくる。現に隣に座っていた小夜も囁くような声で「頼りになりますね」と口にしたので、しっかりと頷いておいた。
 ただここで驚くべき一言が小夜とは反対側に座っていた陸奥守からもたらされた。

「ほいたらわしが上様の“気”を辿ったら、主の“視界”を奪った相手の居場所が分かる、っちゅうことじゃな」
「え?! そんなこと出来んの?!」

 確かにこの目で視えた映像の中には私の視覚を奪った『魔のモノ』――“強奪”らしき影はあったけど、そいつに刻印された印というか気を陸奥守が辿れるとは思っておらず素で驚いてしまう。
 とはいえ陸奥守もそう簡単に出来るそうではないようで、少しばかり時間が欲しい。とのことだった。

「対策立てんままやってもうもういかんきの。すっと出来るように準備しちょくき、そのつもりでおってくれたらえい」
「えっと、一応聞くけど私に何か出来ることある?」

 鳳凰様の気が分かるのは陸奥守だけではない。一応私にも感知能力はあるのだ。だから何か手伝えることはないかと尋ねたのだが、即座に拒否されてしまった。

「いらん。逆に探られたらどうするつもりじゃ。それにおまさんが動くと竜神様が回復出来んき、じっとしとうせ」
「あ。そうだった」

 皆に任せきりになるのがイヤでつい何か出来ることがないかとソワソワしてしまうのだが、今は竜神様の回復を優先しなければいけなかった。
 うっかりしていた自分に「大馬鹿野郎」と内心で罵っていると、宗三が「主」と声を上げる。

「主がご覧になった映像の中に、僕たち刀剣男士の姿はありましたか?」
「いや。それがどこにもなかったんだよね。ただ……」

 黒く濁った水底から突き出た腕の中には、どことなく見知った腕や服装がちらほらと見受けられた。特に印象に残っていたのが褐色の肌に竜の刺青が彫られている腕――大倶利伽羅のものだった。

「大倶利伽羅の腕が?」
「うん。あとは、髭切か膝丸かは分からないんだけど、彼らの衣装に似た袖も見えた」

 うちにはいない刀だが、武田さんがよく膝丸を連れているし、彼のところの髭切にも会ったことがある。流石に細部までは覚えていないが、何となく衣装がそれっぽいなぁ。と思ったのだ。

「ほんの数秒のことだったから全員の腕や衣装が確認出来たわけじゃないけど……。子供とか、お年寄りとか、女性の腕みたいなのも見えたから、あそこに沈んでいるのは刀剣男士だけじゃないと思う」
「それはまた……」
「異様というか何というか」
「“水葬”のようにも見えますね」

 皆それぞれ考察を始めるが、ここで正解が出たとしても今の私たちではどれが正しいのか分からない。
 それにあの腕たちは彼女が“強奪”の力で奪って来た人たちの成れの果て……なのかもしれない。でも何の力ない一般人はともかくとして、どうやって刀剣男士をあんな目に合わせたのか。それが分からない。だって刀剣男士は刀の付喪神。そう簡単に倒されたり堕とされるとは考えづらい。
 もしやあの“強奪”に百年以上を生きる彼らを堕とすだけの力があったのか? それとも小鳥遊さんを媒介に何らかの罠を張ったのだろうか。

 いや、そもそも何で彼らをあんな目に合わせたのだろう。これも“糧”にするためなのだろうか。
 原因も方法も不明だが、少なくともこれで本丸内に彼らがいない理由は一先ず理解出来た。
 とは言えまだまだ分からないことばかりだ。先に進んでいるようで進んでいない気もするが、日進月歩。三歩進んで二歩下がる。結果的に一歩前に進んでいるならそれでいい。少しでも前向きに捉えるよう、軽く頭を振った時だった。

「問題は他にもあるぞ」

 鼓膜を揺らしたのは、薬研のいつもより硬い声だった。だから彼の霊力が視える辺りに視線を向ければ、薬研は皆に言い聞かせるようにその“問題点”を上げる。

「大将が“視た”のが予知だった場合、その中に刀剣男士はいなかった、ってことはだ。大将はまた単身であそこに乗り込まなきゃいけない可能性があるってことだろう? 竜神殿が弱った状態で大将を一人で行かせるのはあまりにも危険だ」

 薬研の言うことは最もだ。現にあの穢れた水のせいで竜神様は死にかけたのだ。だけど竜神様を死なせない方法なら、ちゃんとある。

「大丈夫だよ、薬研」
「大将。何か策でもあるのか?」
「策って言うか……単純な話、竜神様が私の体から離れていればいいんだよ」
「!!」

 以前、水無さんの事件の時に竜神様は一時私の体から離れていた。だから彼女の山姥切が憑依出来たのだ。だから不可能ではないはず。
 だけど私の提案に皆がこぞって反対する。

「大将! それはあまりにも危険すぎる!」
「薬研の言う通りですよ、主。あなたには戦う術がございませんでしょう」
「俺も同意見です、主。今回主が無事だったのは竜神様が主をお守りしていたからです。そのような危険な場所に主だけで向かわせるなど……!」
「そうだよ、主。幾ら何でも無鉄砲すぎ。主は俺たちみたいに手入れで簡単に治らないし、お守りだって身代わりにならないんだよ?」
「僕も同意見です。主さんにだけ危ない橋を渡らせられないよ」
「そもそも何故主君お一人だけしかその本丸に行けないのかも謎です」
「秋田の言う通りです、主君。穢れていても本丸とあらば僕たちだって行けるはずです。お一人での行動はお控えください」

 苛烈な割に心配性な性格が揃っている織田刀を始めとし、新選組の面々や短刀たちからも「危険だ」とか「無鉄砲すぎる」と苦言が飛んでくる。
 でも、これ以外にないのだ。私たちが竜神様を危険から遠ざけるやり方なんて。

 それでも納得出来ないのが彼らなんだろう。他の方法を探そうとも言ってくれるが、私に浄化の能力はない。百花さんから退魔や破魔の札を貰っても、あの広大な敷地に満ちる穢れを全て浄化できるとは思えない。
 うむむ。と悩む中、上座に近い場所に座していた鶴丸が「そもそもだ」と語り掛けて来る。

「主。先程の発言だと自分の意思で出来るかのように話したが、竜神殿が承諾するとは思えん。きみは古き神々の寵児だ。ハッキリ言ってしまえば未熟なきみを、慈悲深い竜神殿が死の淵へ追いやるとでも?」
「そうだぞ、主。竜神殿にとってそなたはもはやただの“人の子”ではない。火の神にとっても同じだ。その意見が罷り通るとは思えん」

 鶴丸に続き、硬い声で続けた三日月の言い分も分かる。竜神様はきっと渋るだろう。でも、時間が足りないのだ。竜神様が回復されるまでに最低でも一年はかかる。その一年の間に“傲慢”がどれほど力をつけるのか分からない。それに、奪われた私の“視界”がどうなるのかも。

「でも、やるしかないよ。だってこのまま竜神様の回復を待てばいつになるか分からない。その間何もないと、本気で思う?」

 あいつらの元にいつまでも保管されている間、人としての機能を失うかもしれない。何か異なる別の能力が生まれ、変質してしまうかもしれない。鳳凰様が授けてくださった加護も永久に続くものではない。だから加護が消えないうちに動くしかないのだ。
 結局のところ、鳳凰様が手助けしてくださっている今こそが最大のチャンスなのだ。だから可能なことならすぐにでも動きたいなだけど……流石に無理なのは分かっている。幾ら何でもそこまで考えなしではない。

「だけどまずは武田さんと話してみないと。昨日引き渡した男性から何か情報が得られるかもしれないしね。それからだよ。竜神様がいなくても大丈夫だと思える作戦を立てるのは」

 勿論思い通りに事が進むとは思えない。それでも備えあれば患いなし、というやつだ。だから出来るだけ早く武田さんと会わなくては。

「それに、ほら。本名かどうかは分からないけど小鳥遊さんの名前も発覚したし。そこから何か掴めるかもしれないじゃん?」
「まあ、可能性はなくはないが……」
「どこまで期待できるか……」

 皆が微妙な反応を示す理由も分かる。だって小鳥遊さんの名前が完全に偽名である可能性もあるからだ。本名でも審神者名でもない、アカウント名のようなものの可能性もある。そうなったら陸奥守が先日懲らしめた“色魔”の元契約者に動いてもらってもいいかもしれない。……なーんてね。

「さ、この話は一旦置いて。長谷部」
「はいっ!」
「長谷部たちに向かって貰った病室には何も残っていなかったんだよね?」

 一応昨夜電話を受けた時には『何もなかった』とは言われたけど、もう一度確認のため問いかける。すると長谷場はすぐさま頷いた。

「はい。主命に従い病室に向かったところ、特にそれらしいものは残っておりませんでした」
「契約者の印も見つからなかったんだよね?」
「流石に服を脱がせてはいませんが、あの男から悪しき力は感じませんでした。おそらく既に契約は切れているものかと」

 出立前に「彼は大事な友人だから危害を加えないで欲しい」と伝えていた。だから最大限配慮してくれたのだろう。でなければ問答無用で病衣をはぎ取り、刀を突きつけていた可能性がある。だからほっとしたのだが、すぐさま「主命とあらばいつでもへし切に行きます!」と続けられて苦笑いを浮かべた。
 だからすぐに殺そうとするんじゃないよ。だけどここで宗三が「妙な話ですね」と口を挟んでくる。

「その捕らえたという男、何故主の御友人がおられる病院に現れたのでしょう。それに何故そこで黒幕の女を探していたのか。その辺りが引っかかります」
「言われてみればそうだね。なんでだろう?」
「件の男を通して回収するものがあったのでしょうか?」
「もしくは後始末を任せられていたとか?」
「それなら黒幕の女を探していたのはおかしくない? 後始末ならさっさと殺して帰ればよかったのに」
「だよなぁ……」

 そーくんがいつどこでどうやって『魔のモノ』と契約を結んだのかは分からない。そして何故例の男は小鳥遊さんがそーくんの元に訪れると思ったのか。意味が分からず首を傾けるが、当然答えが分かるわけではない。もしかしたらそーくんが何かの鍵を握っている可能性もあるが、見知らぬ刀剣男士が会いに行っても正確な情報を教えてくれるとは思えない。かと言って私はこんな状況だ。外に出ることを控えているのを除いても、この目では何も見ることが出来ない。
 だからこの件は武田さんから報告を貰ってから考えよう。ということで一旦は落ち着いた。

「とりあえずはこんなところかな。まだ分からない点の方が多いし、何かしらの策を立てないといけない。でもまずは担当官である武田さんにも話をしないといけないから、今度改めて時間を取って会議を開きたいと思います」

 このまま会議を続けてもいいんだけど、ここ最近竜神様への祈りに時間を費やしていたため戦績が落ちている。だから連日とはいかずとも出られる日があれば出陣させるようにしていた。
 だから早速今日の仕事にとりかかろうと号令を掛けようとしたんだけど、ここで意外な人物から声をかけられる。

「水野殿。少し、いいだろうか」
「はい? 何でしょうか」

 一瞬誰に呼ばれたのか分からず首を傾けそうになるが、流れる神気で手を上げたのが『骨喰藤四郎』だと察する。だからそちらに視線をやりつつ促せば、彼は軽く頷いてから口を開いた。

「このようなことを尋ねるのはお門違いだと重々承知している。それでも、一つお伺いしたい」
「はい。何でしょう」

 自分に答えられることであれば何でも答えるつもりで促せば、彼は一呼吸置いた後、いつも通り淡々とした調子――と呼ぶには聊か消沈しているかのような声で「自分たちの主はどうなっているか分かるか」と尋ねてきた。

「あなた方の主、ですか」
「ああ。正直に言ってしまうと、自分の中に流れて来る主の霊力は穢れている。彼は……今の主は、もう、人には戻れないだろう」

 彼自身の霊力だろう。淡い藤色のような、グレーに近い薄紫色の神気の中にドロリ、とした淀みのような“霊力”が流れている。あれはもう人が持つ力ではない。だから気になるのだろう。
 正直荷が重いが、それでも傍まで来て欲しい。とお願いし、それから一言断りを入れてからその手に触れる。出来るかどうかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。

 皆が見守る中、集中してその“穢れた霊力”を探ってみる。
 これでも一月の間ずっと竜神様に語り掛け続けていたのだ。ドロドロとした淀んだ霊力の源を辿るように意識を沈め――あれから一度として踏み入れていなかった“彼らの主”がいる本丸が視えた。

「……暗い、な」
「暗い?」
「うん。日本号さんなら覚えていると思うんだけど、瘴気に包まれたままになってる。というより……もっと酷くなってる気がする」

 骨喰の声を、視覚を失ってから少しだけ良くなった気がする聴覚で拾い上げながら答える。
 確かに景色とかを見る能力はないが、この目のおかげで霊力を始めとした“本来ならば見えないもの”が視えるようになった。だからあの時徘徊していた刀剣男士が一振りもいないこと、そして霧のように充満していた瘴気が濃くなっていることは分かる。
 実際、辺りに満ちる瘴気のレベルが段違いだ。あまりにも濃く、禍々しい。神経に纏わりついて来るような粘着さ、とでも言うのだろうか。そういう怖気が走るような気味の悪さを感じる。
 これが“嫉妬”の能力故なのか、それとも彼らの主の気質のせいなのかは分からない。それでもどこか重量を感じる瘴気の中神経を集中させると、あの時同様“ズルリ”。と何かが這っている姿が視えた。

「……水野殿?」

 骨喰の声が不安そうに揺れる。でも、答えたくない。
 だって、あの時は瘴気のせいで何も見えなかったけど、今なら“視える”。ここにいる彼はもう、人の姿をしていない。

 ズルリ。ズルリ。とゆっくりとした動作で地面を這う姿に手足はない。まるで大きな蛇――世界最大と謳われる“アナコンダ”みたいだ。でも蛇のように全身均等なサイズではない。やはり元が人間のせいか、頭側から胴回りにかけてが太い。コブラみたいだ。
 唯一動いているのは彼だけで、規則性があるのかないのか。もはや人間らしい思考すら残っているのか分からないような動きで道なき道を這っている。

 ……これ以上“視る”のは止めよう。そう思い、骨喰の手を離す瞬間だった。一瞬だが彼がこちらを“見た”気がしたのだ。もしくは彼に憑いている『魔のモノ』がこちらに気付いたのかもしれない。
 それでもあちら側が何らかのアクションを取る前に私の目は彼らを映すことを止め、骨喰藤四郎へと向き直った。

「……あなたが仰るように、あなた方の主は、もう人の姿をしておりませんでした」
「……やはり、そうか」
「はい」

 どんな姿をしているのかは言わなかった。それでも、彼はもう“人”ではない。私とも、鬼崎とも違う。全く異なる“人非ざる者”へと堕ちてしまった。
 小鳥遊さん同様“対価”を支払えずああなったのか、それとも望んでそうなったのか。判断は出来ない。それでも、あの姿を彼らに見せるのはあまりにも酷だと思った。

「……水野殿。改めて感謝する。これでようやく、決心がついた」
「決心、ですか?」
「ああ。……主を、この手で屠る決心だ」
「!」

 思わぬ一言に目を見張るが、今は面布をしているため彼には見えなかったのだろう。それでも動揺は伝わったらしい。どこか物悲し気な声で「仕方のないことだ」と告げて来る。

「本来ならば契約している俺たちも無事では済まなかった。だが水野殿のおかげで生き長らえた。……つまり、俺にはまだ“やるべきことが残されている”ということだ」
「……それは……」

 付喪神とはいえ彼らは“刀”。つまりは無機物であり、人を殺すための道具だ。だけど背筋が凍りそうなほどに凄まじい逸話を持っていようと人の手が入らねばいつかは朽ちてしまう存在でもある。
 持ち主を転々とする運命にあり、時には炎に巻かれたこともある。それでも人を憎まず怨まず、むしろ今を生きる人間たちのために身を粉にして戦ってくれている。働いてくれている。
 そんな彼らの口から『主を屠るのが恩の返し方だ』と言われるのは、非常に心苦しい。

 だって、“骨喰藤四郎”はそんな刀じゃない。そんなことを言う刀剣男士ではないのだ。修行に出ていようとなかろうと、彼は審神者のために戦ってくれる刀なのに――。きっと、今の主と長く付き合いがあっただろうに。そんな彼にこんなことを言わせてしまったことが酷く情けない。

 それでも私は何でも出来るスーパーマンでもなければ、浄化が出来る巫女でもない。ファンタジーのように祈れば彼を元に戻せるような聖女でもない。
 本当に、何も出来ない。ただ“視える”だけの無力な審神者だ。
 自然と頭が下がっていく中、骨喰藤四郎はそっと私の肩に手を当てる。

「すみません……。助けてあげられなくて……」
「水野殿が全て背負う必要はどこにもない。我らの主だ。我らの手で始末をつけなければならない。それだけだ」

 声は淡々としているのに、やっぱりどこか物悲しさが感じられる。思わず離れていった手を両手で握れば、彼は一瞬空気を固くしたあと、ふっと息を吐き出した。

「……俺は、主が初めて顕現した脇差だった」

 握った手の平を離すことはなく、むしろほんの少しだけ力を入れて握り返してくる。鯰尾や堀川とは違う、ゴツゴツとした関節が特徴的な武骨な指。多くの戦場を駆け抜けたのだろう。そんな、滲み出る“強さ”を感じさせる男らしい手だった。

「初期刀は歌仙兼定。兄弟刀である粟田口の短刀が五振りという戦力が揃っていない中、俺は顕現した」

 鍛刀かドロップなのかは分からない。それでも打刀が一振りしかいない中脇差が顕現し、審神者は幾らか楽になったことだろう。実際、うちも似たようなものだったから。

「数多の戦場を駆け抜けた。第一部隊に配属されてからずっと、初期刀である歌仙と共に。主の命を受け、時に失った記憶に精神を迷わせながら……。それでも一度戦場で自分を振れば無心でいられた。……そんな俺を、主は重用してくれた」

 口ぶりからすると、恐らく彼の本丸では脇差が顕現し辛かったのだろう。言うてうちも二振りしかいないのだが、これは私の元々の霊力が少ないのが原因だと思われる。だけど彼の主はそうではないみたいだから、単に運がなかっただけだろう。
 様々な刀と連携を取りやすい脇差はどの戦場でも活躍出来る。彼の主が『骨喰藤四郎』という唯一の脇差を重用するのは十分に理解出来た。

「月日が経つごとに刀が増えても、主は俺を使い続けた。にっかり青江、堀川国広、鯰尾藤四郎、浦島虎徹、物吉貞宗……。どれだけ脇差が増えても、自分にとっての『脇差』は俺だと、主は何度も口にした」

 骨喰藤四郎という刀がどんな性格をしているのか、どんな偉人たちの元を渡り歩いてきたのか。詳しくは知らない。いや、勿論耳にしたことはあるからざっくりとしたことは知ってはいるけど、周囲から聞いた話と本人から語られる話は別物だ。
 そういう意味では私は彼のことを何一つとして知らない。武田さんや柊さん、他の皆の本丸に遊びに行っても無口な彼と交流することは殆どなかったから。

 だけど今目の前にいる『骨喰藤四郎』は“審神者”の元で働き、修行にも出た個体だ。契約した主に対する思い入れは相当強いはず。しかもうちの堀川同様初期から顕現し、主の信頼を得ていたのなら尚更辛いに違いない。
 それでも彼は「決心した」と口にした。自分が『守るべき対象』として認識した主を、その手で“屠る”という決意を、下したのだ。

「……だが俺は、守れなかった。守れなかったんだ。一緒に本丸を支え続けた歌仙兼定のことも、常に気にかけてくれた兄弟のことも。……主が、あんな目にあったのに……俺は……きみたちに、助けられた」

 グッとこちらの手を握る手に力が籠る。痛みを感じるほどの力加減だったけど、振りほどいたりはしなかった。
 ……解くことなんて、出来なかった。出来るはず、なかった。

「日々感じていた主の霊力が一気に穢れ、それに呑まれた時も、きみは助けに来てくれたな」
「いえ……。あれは……」
「分かっている。竜神殿のお導きなのだろう。だが、この本丸で生活していれば何故竜神殿がそうなさったのか、そのぐらい分かる。……きみは、きみが、俺たちをとても尊敬し、尊重してくれているからだと。だからこそ手を貸してくださったのだろう。彼の古き神は」
「………………」

 実のところ、何故竜神様があの時ああなさったのか分からない。竜神様のお声が聞こえるわけではないから。それでも骨喰が言うように、私が彼ら『刀剣男士』を敬愛しているから手を貸してくださったのだと思う。堕ちかけた存在を、排除するのではなく“水”を媒介にして清めて呼び戻すために。

「自らの手で主を屠るのは、生半可な気持ちで出来ることではない。だが、俺では主を助けることが出来ない。……所詮俺は刀。人を生かすのではなく、殺すことしか出来ない」

 無口だと言われている彼の、恐らく滅多に語られることがないであろう心中を皆と揃って耳を傾ける。衣擦れの音一つしない、普段は広く感じる広間の中で、しんと静まり返る空気の中、骨喰藤四郎は項垂れるように頭を下げた。

「――だから、切欠が必要だった」
「キッカケ、ですか?」
「ああ。主を……今の主を、この手で切るための切欠が、必要だったんだ」

 強く握られた手の平から感じる、僅かな震え。声は震えていなくても、心が震えている。――泣きたくなるほどの苦しみが、彼の手から伝わってくる。

 声にしなくても、言葉にしなくても分かる。本当は誰よりも主を助けたいのは彼だ。だって、主との思い出を沢山語らなくても伝わってくるから。
 彼がどれだけ主を大切にしていたかなんて、聞かなくても分かるよ。

「ごめんなさい……。何も、できなくて……」
「いいんだ。これは、俺がしなくてはいけないことだから。……主の罪を背負い、共に逝く。それが、俺の“決意”だ」

 何振りかは私と“再契約”する道を選んだ。だけど、彼は違う。“人非ざる者”に堕ちてしまった主と共に逝くと言う。だから、私はそれを“受け入れた”。だって、どんなに彼らを大切に思っても、無理矢理契約なんてしたくはないから。
 ……自分で、選んで欲しいと、思っていたから。

 一緒に逝きたくなるほど大切に思われているなんて、主冥利に尽きるというものだ。

 だから頷いた。強く握られた手を解かぬまま、彼の気持ちに応えるために。真心を込めて、彼の決意に“是”と答えた。

「見届けます。最後の最期まで。――あなたの決意に、私も応えます」
「……ありがとう」

 祈るように握った手を額に当て、呟いた彼を皆はどんな目で見て、どういう風に受け止めたのか。私には分からない。それでも、これも一つの愛のカタチなのではないかと思う。
 ……私の知らない、彼の主にだけ伝わる、不器用な愛情。だからこそ願う。悲しくも愛おしい、歪なようで優しいその気持ちに、彼の主が応えてくれますように、と。


「――骨喰にだけいい格好させられないよね」


 だけどここで、どこかしんみりとした空気に陥っていた広間の中に唐突に響く声がある。この本丸で普段聞くことのない声の主へと顔を向ければ――浅葱色の神気――新選組の羽織を纏う『大和守安定』が立ち上がっていた。

「お前だけだと思うなよ。僕だってもう、大事な人に置いていかれるのはイヤなんだ」
「大和守……」

 大和守はどこか憮然とした声で骨喰に語り掛けると、迷いのない足取りでこちらに近付き、片膝をついた。

「水野さん。悪いけど、僕も骨喰と同じ気持ち。あなたの刀にはなれない」
「はい」

 驚きはない。むしろそんな気はしていた。だって彼は加州清光と共に使われて来た刀だ。……主を変えるなんて、出来なくて当然だろう。だって彼がここに来た時、主を語る声には沢山の感情が込められているような気がしたから。
 ……大切な人を想う気持ちに、刀も神様も人も関係ないと、常に思う。

「だから戦う。例え主が人じゃなくなっても、僕のことが分からなくなっていても、僕は主の刀だから。主のために戦って、主のために死ぬ。……だってさ、僕たちの主、あれで結構寂しがり屋だから。骨喰だけじゃ物足りないでしょ。無口だし」
「む。悪かったな」
「あはは」

 大和守も古参なのだろう。骨喰との気安いやり取りでそれが感じられる。だからつい笑ってしまうが、二人共気を悪くした様子は見せなかった。むしろしんみりとした空気が和らぎ、慰めるように柔らかな声で語り掛けて来る。

「それでも、僕だってあなたには感謝してる。ここでしか経験出来ないことも沢山あったし、審神者にも刀剣男士にも色んな関係性や形があるんだ、って教えて貰ったから。だから、責任もって恩返しを兼て手伝うけど、最期は、主と一緒に逝くよ」
「はい。大和守様のご意思も、その御姿も。僭越ながら私が見届けさせて頂きます」
「うん。何から何まで頼ってごめんね。でも、よろしくお願いします」
「はい」

 審神者と刀剣男士の関係は、時に複雑で、時に強固で、時に怖い。それでも惹かれてしまうのは、きっと彼らがその心根も含めて真っすぐで美しいからなのだろう。
 どんなに血に塗れても、どんなに辛く悲しい過去を背負っていようとも。自分を手にした主と共に歩もうとしてくれる姿は、眩しくて頼もしい。
 そして同時に少しだけ悲しくて、どうしようもなく、愛おしい。

 ……私も、そのぐらい愛されてたらいいな。『一緒に逝く』なんて、早々言ってもらえる言葉じゃないから。
 ほんの少しだけ彼らの主さんが羨ましくなってしまう。

 だけど口にしていないのに伝わったのか、それとも長く付き合いがあるから悟られてしまったのか。
 骨喰の手が離れて少しじんじんとする手に、然程大きさの変わらない乾いた手が重ねられた。

「主」
「小夜くん?」

 どこか固く聞こえる声に首を傾ければ、小夜は逡巡するように少し黙した後、重ねた手をギュッと握ってきた。
 そうして放たれた言葉に、特別に拵えられた綿布の奥で目を見開いた。

「――僕は、あなたと共にいる。この先何が起きても、あなたが僕の主だ」
「へ」
「僕は、あなたの“刀”。主が僕を“いらない”と言う日まで。僕が、折れてしまうその日まで。黄泉の国だろうと、どこまでも、一緒にいくよ」
「小夜くん……」

 驚くほどピンポイントな言葉に驚くが、すぐにその体に腕を伸ばして抱きしめた。

「ありがとう」

 少し前だったら小夜の気持ちにも『申し訳ないな』と思ったことだろう。遠慮、というより『私なんかに』という気持ちから来る無自覚の刃で小夜の気持ちを傷つけただろう。
 だけど今は彼の気持ちをちゃんと受け入れることが出来る。素直に『嬉しい』と思える。だから沢山の気持ちを込めてギュウ。と抱きしめれば、何となく小夜の体に流れる神気が強く光った気がした。

「よろしくね、小夜くん」
「はい」

 他の本丸で『小夜左文字』がどういう風に過しているのかは知らない。何を求め、どんな存在として顕現しているのかも。でも、『それでいい』と思う。
 だって、私の“小夜くん”は私を守る“懐刀”で“守り刀”だから。力強くて真っすぐで、逞しくて頼りになる。そんな彼が“私の小夜左文字”だ。そして「どこまでも一緒にいてくれる」と言う。これ以上に嬉しいことはないだろう。

「まったく……。羨ましいなぁ。小夜坊は」
「うむ。しかし小夜は主と同じぐらい純粋だからなぁ」
「当たり前です。僕の弟をあなた方と一緒にしないでください」
「ははは。まあ細かいことは気にするな。あれは性別の垣根を超えた、本当の意味での“主従愛”というやつだからな。言うだけ野暮というやつだ」

 と、ここでいつものように古刀太刀with宗三が気の置けないやり取りを始める。そんな皆に面布の奥で笑っていると、広間に活気が戻ってきた。
 現に次々と「俺だってなぁ」とか「僕だって」と言う声が上がって来る。だから『愛されていたらいいなぁ』と考えた自分がバカだったな。と考えていると、陸奥守が両手を叩いた。

「おまんら、主への告白は後じゃ。まずは今日の出陣部隊と遠征部隊を伝えるき、各自用意するぜよ」
「はーい」
「うーい」

 頼りになる初期刀の声にどこか不満そうではあるが、皆返事をする。今後の対策を練りたい気持ちは確かにあるが、それを決めるにはまず武田さんと話をしなければならない。
 ここまで政府に内緒で進めてきたが、三分の一、いや。四分の一ぐらいは話してしまったのだ。だったらちゃんと政府に、というか武田さんに説明したうえで今後の方針を決めた方がいい。場合によっては力を貸してくれるかもしれないし。
 これに関しては今朝陸奥守と二人で取り決めたことだった。だから本日の情報共有タイムもとい『朝の会』はこれにて終了だ。

 目が見えない私の代わりに次々と名前を読み上げ仕事を割り振る陸奥守の声を聞きながら、武田さんにはどこから説明すればいいのかなぁ。とぼんやり考え始めた。





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