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 そんな一見穏やかにも見える時間を過ごしていたが、事態はある日突然動いた。

「そーくんと面会が出来るようになったって本当?」
『おう。つっても、十分程度だけどな。あいつが負担にならない程度に、一日に一人か二人だけ面会が出来るらしい』

 私が“視界”を奪われてから早くも三ヶ月が経った。季節も変わり、審神者に就任してから二年目を迎えることも出来た。ただ二周年を祝える状態ではなかったので、この事件が終わり次第改めて祝うこととなっている。
 そんな中やっちゃんから連絡が来た。全身大火傷を負っていたそーくんが面会出来る程度に回復してきたのだと言う。とはいえ原因不明の大火傷を負ったうえ、手術やら何やらをして体力的にも精神的にもダメージが蓄積されている。そのため長くは話せないそうだった。

『お前も行くだろ? 見舞い』
「あー……うん。行きたいのはやまやまなんだけど……。実は私も今ちょっと目をやっちゃっててさ。動けないんだよね」
『はあ?! お前も怪我したのかよ! 大丈夫なのか?! つーか目?! 目って、まさか失明したとかじゃねえよな?!』

 狼狽えるやっちゃんに「命に別状はないよ」と笑って伝えるが、すぐさま「そうじゃねえ」と突っ込まれる。でも詳しいことは話せないし、地元から離れた場所で療養しているから会えないことも伝える。
 別にこれは嘘じゃない。だって本丸は“地元”には存在してないからね!! 離れている、と言っても過言ではないはず! 実際、今外に出るのは危険だ。特に私は“視界”を失っているうえ、『魔のモノ』にも狙われている。竜神様の気はだいぶ回復したけれど、それでも以前ほどではない。迂闊に動ける状態ではないのだ。
 でも手がかりを得たいのであればそーくんと接触すべきなんだよなぁ……。さて、どうしたものか。
 悩みながらも念のためそーくんの入院先と、病室の位置、部屋番号を近侍補佐であった長谷部にメモを取ってもらい、一旦通話を終えた。

「どうなさいますか? 主。必要とあらば俺と陸奥守だけで向かいますが」
「うーん……。でもそれだと相手が出てこない可能性もあるからなぁ」

 長谷部の気持ちは嬉しいが、私の“視界”を奪った『魔のモノ』の狙いは私だ。二人だけが病院に行ったところで接触してくるとは思えない。むしろ罠を張られていることを前提に飛び込んだ方がまだ得られるものがあるかもしれない。

「わしはまだ動かん方がえいと思うけんど」
「随分と弱気な発言をするではないか、陸奥守。怖気づいたか?」
「わやにすな。わしは敵の殲滅より主を優先しちゅうだけじゃ。見舞いなんぞこれから先何度でも行けろうが」
「それはそうだが、先延ばしにすればそれだけ相手に動く隙を与える。元契約者から何かを隠蔽したり、罠を張ったり、後手に回る程苦しくなるぞ」

 陸奥守が心配する気持ちも嬉しいし、長谷部の言うことも分かる。でもここで「じゃあ行くか!」と前向きな気持ちになれないのも事実だ。いつもなら「さっさと行って手がかりを掴んで来よう」と思うのに、どうして今回はそう思えないのか。
 うーん? と首をひねりながらも考える。
 何だろうな。何かが引っかかっている気がするんだ。そーくん以上の手がかりがどこかにあると踏んでいるのか、それとも……。トントンと指で顎を叩いていると、再びスマホが鳴り響く。どうやら今度は母からの電話のようだった。

「はーい。もしもーし」

 議論していた二人がピタリと口を閉じる中、呑気に電話に出た私に母は『ちょっと聞いてよ!』と声を荒げる。一体どうしたのかと話を聞けば、どうやら件の加害者が病院から消え失せていることが分かったそうだ。

「失踪したって、いつから?」
『それが結構前からだ、って言うのよ。医療関係者も警察も私たちを不安にさせないために伏せていたんですって! ちゃんと説明しなさいよ、って思わない?!』

 本当にそれが原因で警察は情報開示を伏せていたのだろうか。憤る母に「うむ?」と頷くような首を傾けるような反応をしてしまったが、その後続いた言葉に息を飲んだ。

『なんでも病院のベッドに黒い煤みたいな痕だけ残して消えたんですって。イヤよねぇ〜。事故を起こしてトンズラなんて。それに病院にも訳の分からない悪戯をして失踪するなんて、いい歳した大人がすることじゃないわよ』

 ――黒い煤みたいな痕。それって、もしかして鳳凰様が言ってた“おまけ”と関係があるのかな。そーくんとの契約が切れていたとしても、あの加害者の元で“視覚”を奪われたのだ。何らかの関係性があっても不思議ではない。

「それで? 警察は何て?」
『現在捜索中だから待っててくれ、ですって。ほんっと当てにならないんだから』

 憤る母を宥めつつ、どちらを優先すべきか考える。加害者か、そーくんか。愚痴混じりの話に適当に相槌を打ちながら考え――通話を終えてから改めて二人の名前を呼んだ。

「むっちゃん。長谷部」
「おん」
「はい」
「今、うちの母親から電話があったんだけど、“傲慢”と契約していた人が失踪したんだって」

 そして二人が先に口論にしていた『動くか否か』についての見解を述べる。

「私は、今の電話を受けて“動いた方がいい”と思った」
「主、」
「危険なのは分かってる。だから今回は二手に分かれたいと思ってる」
「二手に、ですか」

 長谷部の訝るような声に一先ず頷く。私としては加害者側に何らかのヒントが残されていると踏んでいる。というか、恐らく鳳凰様が仰った“おまけ”が残されているのはこちら側だろう。
 だけどそーくんの方に何も残っていないとは限らない。まあ、何も残っていない可能性も勿論あるんだけどさ。だから二手に分かれようと考えたのだ。

「私とむっちゃんと小夜くんは加害者側。勿論他のメンバーも考えて数人で向かうから、そこは心配しないで」
「はい。では、主の知己がいらっしゃる方に別部隊が向かえばよろしいのですね?」
「うん。もしかしたら何らかの罠が仕掛けられている可能性もある。人に見られてはいけないし、夜戦や室内戦、っていう悪状況下での戦闘が起きるかもしれない。それでも、行ってくれる?」

 どちらにも罠が仕掛けられている可能性もあるし、何の収穫がないかもしれない。だけどそれは行ってみないことには分からないのだ。
 だから僅かな緊張感を孕みつつも尋ねれば、長谷部は頷いてくれた。

「勿論です。主命とあらば如何様にでも。このへし切長谷部、主に仇名す全てを切り伏せて来ましょう」
「ありがとう。頼りにしてる」

 長谷部であればこちらに組み込んでも別部隊に組み込んでもきっちり働いてくれるだろう。だけど問題は陸奥守だ。何も言わない彼に二人で答えを待っていると、小さく、溜息のような呼気を吐き出す音が聞こえた。

「分かっちゅうとは思うけんど、危険じゃ」
「でも、時にはその危険に飛びこまなくちゃ何も得ることは出来ない。でしょ?」
「……しょう困ったお人じゃ」

 多分、陸奥守は分かってる。私が「決めたら実行する人間だ」って。だからこそいつだって見えないところで頭を巡らせ、支えてくれる。そして今回も、陸奥守は「分かった」と頷いた。

「けんど、編成はわしに任せてくれんか。小夜と相談して決めたいき」
「うん。そこはむっちゃんに任せるよ。我儘言ってごめんね」
「えいえい。これで今回の件がびっとでも前に進むがやったら苦労する甲斐もあるきに」
「あはは。それじゃあよろしく」

 今日の出陣に小夜は含まれていない。送り出した遠征部隊も夕方には帰ってくる。それに、人目を避けて動くならやはり夜だろう。そこで夜目が効く短刀と脇差をメインに編成を組むことになり、一度この話は終了した。


 ◇ ◇ ◇


 そして数時間後。夕餉も湯浴みも終え、一旦仮眠を取った午前零時過ぎ。全身黒い服装に、フードを被った状態で現世の病院前に降り立った。

「皆、準備はいい?」
「勿論です!」
「いつでも行けます」
「主君をお守りいたします!」
「まーかせて。主は守ってみせるから」

 私の護衛として選出されたのは、部隊長兼総司令官役の陸奥守と、私の懐刀である小夜。隠蔽に長けた鯰尾に、初期メンバーである前田と秋田。そして加州だ。打刀に関しては誰が来ても問題なさそうだったんだけど、最終的にじゃんけんで勝ち抜いた加州が選ばれたんだとか。
 で、逆にそーくんの病院に行くことになったのが長谷部を隊長とした面々だ。編成としては堀川と和泉守の相棒コンビ。短刀からは乱藤四郎と薬研藤四郎。そして意外なことに夜戦や室内戦には不向きな鶴丸だった。何でも「年長者の鶴さんにお任せだ!」と言うことらしい。何だかよく分からんけど実際長生きなので何か分かるかもしれない。ということで許可を下した。
 残りのメンツは本丸で待機してもらっている。その際大典太からはお守りを授けて貰った。どうやらこれも術式を刺繍した特別仕様らしい。

 そんな安心安全な布陣とお守りを手に、小夜と秋田が夜間診療入り口に向かって駆けて行く。景色や病院そのものの外観は分からないが、竜神様に与えられた力のおかげでどこに人がいるのかは大体分かる。大小さまざまな光が動いたり留まったりしているからだ。
 そうして一際綺麗な“神気”を持つ二人が駆け抜けた先、出て来た守衛を二人は一瞬で気絶させると「こちらへ」と声をかけてきた。
 ……あまりにもスムーズでビックリしてしまった。というか普通にビビったのだが、小夜から「ちょっと強めに打っただけだから、すぐに気が付くと思うよ」と安心させるように言われた。ふっ。安心出来ねえぜ、とは口が裂けても言えなかったので頷くだけに留めたけどな!

 というわけで、陸奥守に手を引かれた状態で例の病室まで急ぐ。
 因みに刀剣男士の姿は通常の監視カメラには映らない。そのため周囲に人がいないかどうかを他の面々に都度確認してもらいながら病室へと進んだ。

「主。ついたぜよ」
「うん」

 ただでさえ暗い視界の中、それでも件のベッドに近付けば何か変なものが蠢いているのが分かる。現に加州は「うえぇ、気持ち悪っ」と呟いているから相当だろう。実際、私の目から見てもちょっと気持ち悪い。
 だってあの時は何も思わなかったけど、今は“本質”が見えているような状態なのだ。誰かを怨むような念が感じられ、咄嗟に陸奥守の手を強く握りしめる。それでも意を決してその気持ち悪い“残滓”のようなものに手を伸ばせば――前回とはまた違ったものが見えた。

 ザザッ、と砂嵐のような、一昔前のフィルムのようなノイズが一瞬過る。そして次に見えたのは、前回とは違う、現世での映像ではなくあの“黒い本丸”だった。
 そして前回連れ去られた時に見ることのなかった黒い手が一斉に水面に出て誰かを手招いている。いや、手招いているのか助けを求めているのか。実際の所はよく分からない。それでも何本もの腕は水上に突き出され、空を切っている。呼び寄せるような、帰れと言っているような。どちらにも取れる不思議な映像だった。

 続いて見えたのは一隻の舟。あの木製の小舟だ。漕ぎ手は見えない。だけどゆっくりと誰も乗っていない舟は本丸へと進み――瞬いた瞬間には舟の上に“私”がいた。
 前回同様、巫女服に身を包んだ私が舟に座した状態で本丸へと進んでいる。これは予知なのか、それとも『そうあれよ』という悪意から見せられている幻覚なのか。それとも前回の“記録”なのか。
 分からないまま見ていると、私が乗る舟の後ろから腕が突き出て、追い風のように舟を追いかけて来る。だけどその手が舟を掴む前に映像は終わった。

 ……予知夢、とまではいかないけれど、どうやらまたあの“黒い本丸”に行かなければいけない可能性が出てきた。

 だけどこれで映像は終わりではなかった。

 一瞬視界に暗闇が戻って来たものの、次の瞬間には“黒い本丸”の中で見た“黒い影”がグネグネと蠢く姿が見えた。
 それらはそれぞれ形が異なっており、最初に目についたのはほっそりとした影。これが一つ。その横にぺったりとしたスライムのように平らに伸びた影が一つ。そして小さいけれど赤い単眼を持つ影が一つ。計三つの影が何かを取り囲んでいた。
 声は聞こえない。それでも何か、綺麗に輝くものを取り囲んでいる。だけど触れないのか、手を出すことはしない。この影は間違いなく『魔のモノ』たちだろう。だけど一体何をしているのか。分からずに眺めていると、突然単眼の『魔のモノ』が燃えた。
 それに驚いた二つの影だったが、ほっそりとした影にも飛び火したのか何なのか。もだえ苦しみ始める。一方平らな悪魔は奥へと消えてしまい、見えなくなった。

 ……もしかしてこの炎と映像、あの時鳳凰様が私の心臓に巣食っていた“浸食”を燃やした時の『魔のモノ』たちの様子だろうか。

 この単眼が“傲慢”だと言っていたから、もしかしたら“傲慢”が僅かに残っていた“浸食”の力を取り込んでいたのかもしれない。このほっそりとした影も同様に。スライムが無事だったのは関与していなかったのだろう。逃げるように消えた影はどこに行ったのか分からなかったが、単眼の影は跡形もなく消えてしまった。
 そして残されたほっそりとした影はブルブルと震えながら黒い腕を伸ばし――そこに刻まれた真っ赤な“刻印”を掻きむしるように反対の手を伸ばしては弾かれ燃やされ、身悶えていた。

 これ、絶対鳳凰様だよ。あの時「さぞ苦しんでいるだろう」的なことを仰っていたけど、ガチで苦しめているとは思わなかった。それほどまでに強力な“おまけ”と手がかりを残してくれた鳳凰様に内心で感謝していると、映像が途切れ――誰かに勢いよく腕を引かれた。

「主!」
「ッ!?」

 私の手を引き、庇ったのは陸奥守だ。そして小夜や鯰尾、加州が入れ替わるようにして前に飛びだす。

「主に近付くな!」
「本性現わしたな、この化け物ッ!」
「キッモイ姿で主に手ェ出すなっての!」
『ギィイィィイイィイ!!』

 先程まで私が触れていた“残滓”が突然大きな塊となって襲って来た。だけどこの“目”に映ったのは“黒い影”ではなく、人の顔のように見える灰色の、泥人形のような手足が生えている不気味な塊だった。

「なに、あれ」
「悪意や欲望が形になったようなもんじゃ。秋田、前田! 主を頼むぜよ!」
「「はいっ!」」

 私の手を秋田と前田に握らせると、陸奥守も戦闘に混ざる。前回この病室にいた骨折していた男性は既にいない。だから暴れても問題ないのだろうが――

「秋田」
「はい」
「あそこの窓、開けられる? あいつを外に引きずり出した方がいいと思うんだけど」

 流石に高さがあるから危険は伴うが、ベッドがひしめくここより戦いやすいはずだ。現にこの目では神気と気持ち悪い灰色の物体が戦う姿が見えるが、刀たちは動き辛そうだ。
 だから機動力に長けた秋田に問えば、彼は「承知しました」と頷いてくれる。だから私の護衛として残ってくれた前田の手を強く握りしめ、前田には別のお願いをする。

「前田。もしあいつが私を狙ってきたら、この手を引いて一階まで走り抜けて欲しい」
「はい。主君の御身は、必ずお守りいたします」
「それじゃあ二人ともよろしく!」
「「はいっ!」」

 やる気に満ちた返事と共に秋田が駆け出し、皆の足元を潜り抜け背後の窓を開ける。それに気付いた鯰尾が「落ちろー!」と叫び、小夜と加州も「死ね!」と普段聞かないような恐ろしい声をあげながら灰色の塊を窓から押し出そうとする。
 だけどその塊はいきなりドロリと溶けて姿を変えると、こちらに向かって飛んできた。

「主君!」
「ダーッ! くそ! やっぱりこっちに来やがった!!」

 何となくそんな気はしていたため、既に病室を出る準備は整えていた。だから前田に手を引かれながら走れば、背後から怖気が走るような物体が勢いよく追いかけて来る。

「逃がすかっ!」
「お前の相手はこっちだ!」

 だけどすかさず鯰尾と加州が立ちはだかり、迫りくる物体を切り裂く。だけどほぼ液体と化しているそれらは多少怯んだものの、ドロドロとした状態のまま抜けようとする。

「ほんっとにキモイんだけど! 何なのコイツ! ブーツ汚れんじゃん!」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うんですけど!」
「ああもう、こういう時一気に薙ぎ払ってくれる薙刀がいればなー!」

 加州の言う通りだ。室内戦だから実際には振るえないだろうが、薙刀がいてくれたらああいう的にも困らずに済んだかもしれない。
 考えながらも前田に手を引かれつつ階段を駆け下りていると、下り道だからだろう。液体化した物体は勢いを増して降りて来る。

「ちょちょちょ! それはせこいって!!」
「主君! 失礼します!」
「ほぎゃあ?!」

 ここで手を繋いでいた前田からいきなり断りを入れられ、許可する間もなく小さな体に持ち上げられる。だけどそれに驚いている間にも前田は手すりの上に飛び乗り、勢いを殺しきれなかった灰色の波は壁に『ドチャッ!』と濡れた音を立ててぶつかって形を崩した。
 その姿に「おえっ」と思っていると、いきなり“赤い刻印”が刻まれた刀身が矢のように飛んでくる。そしてそのまま身悶える灰色の物体に突き刺さり――火柱の如く燃え上がった。

「い?! こ、これって……」
「はあ……。まだ自信がなかったきやりたくなかったがやけんど、背に腹は代えられんきにゃあ……」
「むっちゃん」

 やっぱり陸奥守だった。とういうことは、投擲したのは間違いなく自身の刀身だろう。そしてあの“赤い刻印”は恐らく鳳凰様の眷属になった日に刀身に焼き付けられた何らかの文言が光っているのだ。“気”の流れだけでなく強弱も分かる目だ。燃え盛る炎の中でもハッキリと分かるほどなのだから、それだけ力が強いという証拠だ。
 現に液体化していた悪意の塊、『魔のモノ』の残滓は奇怪な悲鳴を上げながら燃え続け――最後には煤すら残さず焼失した。

「うーわぁ……。ほんっと火の神様ってえげつない技用意するよね」
「そう思うがやろ? けんど、上様に比べたら可愛いもんぜよ。これでも不完全やき練習せんといかんちゃ」
「ええ?! これで不完全なんですか?! うっわ……。俺絶対陸奥守さんを怒らせないようにしよ」
「んははは! わしが怒ると怖いぞ〜?」

 軽く笑い飛ばしてはいるが、自身を媒介に『火』を扱う術なんて怖くはないのだろうか。
 手すりの上に乗っていた前田が私を下ろす中、壁に突き刺さった刀身を引き抜く陸奥守に「大丈夫なの?」と声をかける。だけど陸奥守曰く「なんちゃあない」らしい。どうやらこの炎は眷属になった時点で熱さや痛みは感じない『退魔の術式』の一つらしく、難易度は高いがその分効果もあるから使ったのだという。

「わしはまだ練習が足りんき、自分の刀を使ったけんど、上様なら小枝一本で出来るぜよ」
「小枝一本?!」
「おーの。その辺に落ちちゅうこんまい枝で十分じゃ。わしも小枝一本でひっくり返されゆうき、間違いないぜよ」
「つっよ」

 流石武神と言えばいいのか。打刀の中でも体躯に恵まれた陸奥守を小枝一本でぶっ飛ばすって、もはや意味分からんわ。
 でも今回は陸奥守のおかげで助かったようなものだ。だから「ありがとう」とお礼を言えば、いつも通り「気にしな」と笑われる。それにしても――

「まさかこんな風に襲ってくるとは思わなかったな」
「うん。ここに来た時は僕たちに襲い掛かって来るほどの力は感じられなかったのに……」
「形を自由に変えられるのも厄介ですね。液状化するのであれば隙間から入って来る可能性もありますから」
「そうねー。ブーツとか刀にくっついてないだけマシなのかもしれないけどさぁ……。普通にキッショイ」

 私の呟きに、小夜と前田、加州が反応して頷き合う。そして秋田や鯰尾も、それぞれ自身が感じた問題点を上げ始めた。

「ですが、今回の件で確信しました。やはり奴らの狙いは“主君”です」
「俺もそう思います。こいつらは俺たちと戦っている間もずっと主に襲い掛かるタイミングを計ってました。対策を立てないと、陸奥守さんだけじゃ対処しきれないですよ」
「鯰尾の言う通りじゃ。けんど、上様の力は強すぎるきにゃあ……」

 日頃扱かれているという陸奥守ですら『まだ練習しなければ』と言う程に鳳凰様から教えられた術式は制御が難しいのだろう。それを眷属でもない皆が扱えるとは思えない。実際、鯰尾を始めとした一部の刀剣男士にとって『火』は最も恐ろしいもののはず。
 そう考えたら大典太にお守りを大量生産してもらうか、百花さんやお師匠様にお札を書いてもらうかの二つに一つだ。どうしたものか。と考えつつももう一度あの病室に戻るが、完全に“残滓”は消え失せ、記憶を持つ何らかの物体も残っていなかった。

「うーん……。それじゃあ一旦帰るか。今回新しく見たものについても考えないといけないし」
「分かりました」
「おーの。そうするかの」

 頷く皆と共に一階に降り、未だに気を失っている守衛の横を忍び足で駆け抜け外に出た瞬間だった。ポケットに入れていたスマホが震えだし、陸奥守に渡せば繋いでくれる。
 電話を掛けてきたのは別部隊として派遣していた長谷部だった。

『主。俺です。長谷部です』
「はい。お疲れ様。そっちはどうだった?」
『ええ。そのことについてなのですが……――』

 どこか困惑気味な様子で長谷部が口にしたのは、病院内に異変はなかったものの、いきなり訳の分からない女性の名前を叫びながら長谷部たちに襲い掛かって来た男性がいた。という話だった。

『主の御本名かは分からないのですが、いきなり「アスカはどこだ! アスカを返せ!」と叫びながら襲い掛かってきまして』
「アスカ? いや、私の本名ではないけど」
『そうですか。でしたら誰かと勘違いしたのでしょう。とりあえず気絶させて鶴丸が見張っていますが、問題がない様なので適当に捨てて――』

 だけど長谷部の口にした『アスカ』という名前に一瞬何かが引っかかる。だから「あれ?」と声を上げれば、すぐさま長谷部と皆が「主?」と声を上げた。

「いや……。ちょっと待って。気のせいだったらいいんだけど、なんか引っかかるっていうか……」

 どこかで似たような名前を聞いたような……? いや、気のせいかもしれない。『アスカ』なんて名前珍しくないし、友達のその友達とか、有名人とかアニメやゲームのキャラの名前で一度は耳にしたことがある。だから「やっぱり気のせいかも」と言おうとしたところで、受話器の奥から『うおう?!』と鶴丸の驚く声がした。

「鶴丸?!」
『ああ、大丈夫ですよ、主。鶴丸が尻に敷いていた男が突然動いただけで――おい! 鶴丸! 後ろだ!』
「のっ!?」

 いきなり始まった戦闘っぽい声に驚けば、陸奥守がスマホを奪い取り「どういた!」と声を上げる。だけど向こうから返答らしい返答はないらしく、陸奥守は「主」と声をかけてくる。
 だけどここで出す答えは一択のみ。すぐさま皆に「行こう!」と声をかける。相手が誰であろうと私の刀たちが負けるとは思わないが、戦場では常に“もしも”を想定しなければならない。
 とはいえこことそーくんが入院している病院は結構距離が離れている。タクシーで向かうよりゲートを使って本丸に戻り、向こうの病院に近いゲートに繋いだ方が早いかもしれない。そんなことを考えている時だった。

『主!』
「長谷部?!」
『はいっ。申し訳ありません。突然の事態に少々通信に乱れが生じました』
「あ、いや。それはいいんだけどさ。皆無事なの?」

 陸奥守がスピーカー状態にしたらしいスマホから長谷部の声が聞こえてくる。だから安否の確認を行えば、特に負傷はないとのことだった。
 だけどいきなり何が起きたのか。事情を尋ねれば、どうやらあちらもいきなり男の体を謎の物体が覆い、襲い掛かって来たらしい。

『ですが鎮圧には成功しました。どうやら鶴丸が“破魔の札”を持って来ていたようで……』
『よう! 主! 驚いたか?』
「うわっ! ったくっもー! そんなベタな驚きはいらねえっつーの! って、そうじゃなくて。鶴丸、大丈夫? 怪我してない?」
『ああ、大丈夫だ。ちょっと驚かせてはもらったが、見ての通り無傷――っていかんな。今のきみにこの手の冗談が通じないことを忘れていた』
『おーい、もうボケたのかよ、じいさん』
『兼さん失礼だよ。あ、主さん! こっちは無事終わったよ! 一応破魔の札を貼り付けた男の人を縄で縛ったけど……。見に来ます?』

 一体どこに縄を仕込んでいたんだ。と突っ込みたい気持ちが俄かに沸き上がったものの、とりあえずは「そうだね」と頷いておく。
 だって本丸に連れて帰るわけにはいかないし。だから皆に適当に集まれそうな場所にいてくれ。と告げた後、一旦ゲートを潜って本丸に帰還する。その際待ち構えていたお留守番組に「すぐ戻ってくるから!」とだけ告げ、再度ゲートを潜ってそーくんが入院している病院の近くのゲートへと下り立った。
 するとそこでは長谷部が待っていたらしく、すぐさま駆け寄って来る。

「主! お怪我はありませんか?」
「うん。私は大丈夫。長谷部も平気?」
「はい! 無傷です!」
「それはよかった」

 元気いっぱいな返事に苦笑いを浮かべつつ、皆を集めている。と言う小さな公園に向かって皆で歩く。とはいえこの辺りに来たことがないので正直周りにどんな建物があるのかは分からない。
 この目で視えるのは皆の神気だけで、現世にはそれらしい光が少ないから。つまり通行人はおらず、周囲の施設にも人が残っていないということだ。だから住宅街というよりは商業施設やビル街なのかもしれない。
 足元の段差や欠けたりくぼんだりしているアスファルトを避けながら歩いていると、長谷部の向こう側に別の光が見えてきた。

「お。来たな。よう、主。おつかれさん」
「和泉守もお疲れさま。怪我はない?」
「おーよ。そこまで柔じゃねえぜ」
「僕も無事ですよ、主さん」
「よかった」

 どうやら公園の入り口で待っていたらしい。和泉守と堀川のコンビが声をかけてくる。だから三人に案内されるがまま奥へと進めば、薬研と乱が近付いてきた。

「主さーん!」
「おう、大将。そっちは何もなかったか?」
「二人共お疲れ様。怪我はないよね?」
「うん! 大丈夫だよ!」
「大将も、無傷だな?」
「うん。まあね。ただこっちにも面倒なのが出たけど、皆がいたから平気だったよ」

 短刀二人にも状態確認を行った後、改めて地面に転がしていた男を鶴丸が「よっ」と声をあげながら引っ張り上げる。……見た目細い割に意外と力あるんだよな。鶴丸って。
 変なところで驚きつつも、気絶している様子の男を覗き込み――すぐさま「あ」と声を上げた。

「主。知ってる人?」
「知ってるっていうか……。この人アレだよ。秋田があの黒い影から切り取ったブレスレットの持ち主」
「え! あの時の、ですか?!」

 顔も姿は見えないが、この男の体に纏わりついている黒い靄で察した。何だかんだ言ってあの“黒い影”とか靄って微妙にそれぞれ違うんだよね。やっぱり司っているものが違うからだろうか。どちらにせよおかげで判別できたんだけど。なんて考えながらもあのブレスレットに残っていた気配のようなものを男から感じたことを伝えれば、皆も一度はあれを見たことがあるため「なるほど。あいつの持ち主か」と頷き合う。
 実際ブレスレットを切り取った当事者である秋田はマジマジと男を観察した後、「言われてみれば背格好が似ていますね」と呟く。

「あの時は影に包まれていたから分からなかったけど、あの時の影が体に残ってる」
「ということは、俺が見様見真似で作った“破魔の札”はまだ改良の余地がある。ってことだな」
「え?! これ鶴丸が作ったの?!」
「ははは! 驚いたか?! 実はそうなんだ。一度百花嬢が破魔の札を作る姿を見たことがあってな。ちょっと試しに作ってみたんだ」

 いやこれには驚くわ! 三日月と言い鶴丸といい、意外なところで意外な才能を発揮して来る。だから素直に「驚いた」と伝えれば、鶴丸は嬉しそうに「来た甲斐があったぜ!」と声を上げて笑う。

「あ。だからか」
「ん? どういた?」
「いや、“アスカ”って名前に聞き覚えはなかったんだけど、ブレスレットに残ってる記憶にね、この男の人が小鳥遊さんのことを名前で呼んでるっぽい姿が残ってたんだよ。その時に“アスカ”みたいな名前で呼んでたから、それで引っかかったんだろうなぁ、と思って」
「ほにほに。なるほどにゃあ」

 実際には『ア』が聞こえず『〇〇スカ』って感じだったんだけど、この男が皆に襲い掛かって来た、というのだから『アスカ』は小鳥遊さんで間違いないだろう。
 ってことは、だ。

「狭間くんに偽のIDを教えたのはこの人で間違いないよ」
「そういやそんな奴いたな」
「ははは……。あの時薬研が助けてくれた新人審神者くんだよ」

 数ヶ月前の情報ではベテラン審神者の元で研修中ということだったけど、今はどうしているのか。何気に視覚を失ってから三ヶ月経ったため、問題がなければ研修を終えて自分の本丸を持つ頃合いである。
 いい加減武田さんや柊さんからも「顔を見せろ」コールが続いている。だからこの男を突き出すためにも一度は連絡を入れなくてはならない。

「しっかしこの男、どうやって政府役員に成りすましたんだ? そもそも何の実績もねえガキを危険な場所に送る理由も分からねえな」
「あの時の男の子に主さんみたいな特別な力があったとか?」

 訝しんでいる様子の和泉守と疑問を口にする乱に、首を傾けつつ「どうだろう」と答える。武田さんが言うには狭間くんにはこれといった特異な力はない。私みたいに感知能力もなく、霊視も出来ない。幽霊が見えるわけでも退治が出来るわけでもない。
 至って普通の彼が何故狙われたのか。最悪『誰でもよかった』事件に巻き込まれただけの可能性もあるが、どちらにせよこの男から事情を聞かない限りハッキリしないだろう。

「つってもこんな時間だしなぁ。武田も出ねえだろ」
「そうだね。とりあえずメールだけは入れておこうか」
「ほにゃ。ほいたらわしが送っちゃるき、文面だけ教えとうせ」
「うん。よろしく」

 すっかりメールを送る係りになってしまった陸奥守にスマホを渡し、武田さんに送る文章を代わりに打ち込んでもらう。そうして朝が来るまでどこで過ごすか話し合っていたのだが。

「ん? 誰か来るな」

 ここで黙って横に立っていた薬研が何かに気付いたように首を巡らせる。だから「誰が来たの?」と問いかけるが、気配は察知したけど誰が来たのかまでは見えていないらしい。「さあなぁ」と返される。
 実際この公園にも車が走る音は聞こえていたが、現在の時刻は午前一時過ぎ。こんな真夜中に誰が公園に来ると言うのか。
 もしかして病院から誰かが徘徊してきたとか?! ある意味ゾッとすることを考えていたら、突然「見つけたー!」と威勢のいい声が響いた。

「大将! 水野さん見つけたぜ!」
「えーっと、この声は……」
「厚藤四郎だな」
「うちにいないから声だけじゃ判別出来ないよね。って、あれ? ここに厚が来たってことは……」

 目が見えない分ちょっと怖くなって陸奥守の袖を掴めば、すかさず後ろに回された。ついでに鶴丸と長谷部、和泉守が前に出てくれたので自然と防御壁が出来上がる。
 それでも声は聞こえてくるから、ここ数ヶ月聞いていなかった男らしい声が鼓膜を揺らした。

「水野さん! ようやく見つけたぜ、っておい。何だこの鉄壁のガードはよ」
「はっはっはっ。そりゃあうちの大事な主だからなぁ。未婚の男女をこんな遅い時間に会わせるわけにはいかんだろう」
「じいさんの価値観は古すぎる気はするが、まあアレだ。幾らあんたでも警戒は怠らねえ、護衛としての職務の一環だよ」
「主命でなくとも主をお守りするのは当然のことだろう?」
「お前ら体のいい言い訳してるがな、俺は水野さんの担当だぞ? いいから警戒を解きやがれ」

 うちの刀と若干言い争ってはいるが、どうやら武田さんはあのメールを見てすぐに本丸を飛び出して来たらしい。まさかこんな時間に起きているとは思わず驚いていたら、夜戦に出ていたにっかり青江が「彼女からメールが来ているよ。ああ、水野さんのことだよ?」と言って眠っていた武田さんを起こしたようだった。

 って、ちょっと紛らわしい言い方すんのやめてくれねえかな。そういう刀だって知ってるけど少しだけ嫌な気持ちになってしまう。
 だって私の恋人陸奥守なので。武田さんに彼女がいるのかどうかは知らないが、勘違いされるような発言は控えて欲しい。
 だから見えないのをいいことにちょっとムッとしていると、突然陸奥守から頭を撫でられた。…………別にこんなことでご機嫌がよくなったりしませんからね?! 桜なんて舞いませんから!! あたくしそんなに分かりやすくなくってよ?!
 と内心で考えていたら陸奥守と小夜がクスクスと笑った。……うるせえやい! どうせ分かりやすいわよ!!

「――ってことで、青江が手入れ部屋に行っている間にオレが大将と一緒に本丸を出てきたんだ」
「ったく、ここ最近まともに姿を見せねえから心配してたんだぜ? 太郎と石切丸なんか『また何かに巻き込まれているんじゃないか』ってソワソワしてたんだからよ」

 私が拗ねている間にも話は進んでいたらしい。事のあらましを二人がかりで説明した二人は、どこか疲れた様子で同時に後頭部を掻く。こう見ると何だか親子みたいだなー。なんて考えたが、そんな微笑ましい状態に笑ってる場合じゃねえ。
 御神刀たちのとんでもねえ察知能力にヒヤッとしていると、言葉ではともかく体は未だに攻防戦を続けているらしい。うちの刀たちと武田さん、厚藤四郎が「いい加減退けよ!」と声を荒げ始める。

「いやー、最近こういう遊びが現代にはあると知ったんだ。かばでー、だったか?」
「それを言うなら“カバディ”な! つーか遊んでる場合じゃねえんだよ! 分かってんだろ!」

 真正面で鶴丸と武田さんが言い合っているかと思いきや、その数十センチ下では短刀同士が仲良く言い合いが繰り広げられている。

「おい兄弟! 何でオレまでガードするんだよ!」
「何でって、そんなの決まってるだろう。うちの大将は女だからな。男を近付けさせるわけにはいかねえんだ」
「そうだよ、厚! ボクたちの主さんにお目通りしたかったら、乱芸能事務所を通してもらわないと!」
「お前いつから芸能人になったんだよ!」

 これが昼間だったら「賑やかだなぁ」「仲がいいなぁ」で終わったのだが、今は真夜中だ。近所迷惑になる場所なのかは分からないが、それでも両手を一度叩いて口論を辞めさせる。

「皆、私は大丈夫だから」
「だがなぁ、大将。今まで隠して来ただろう。いいのか? バレちまっても」
「しょうがないよ。いつまでも隠し通せるとは思ってなかったし」
「あ? 何の話だ?」

 確かに武田さんに話したら彼が巻き込まれる可能性が出て来る。だけど捕まえた男性を本丸に連れ帰ることは出来ない。それにいつまでも誤魔化せるとは思っていなかった。いつかは強行突破される気がしていたのだ。主に夢前さんとか日向陽さんとか。その辺に。
 だったら一時でも防波堤になってくれる人がいてくれた方がいい。何せ武田さんはさっき自分でも言ったとおり私の『担当官』なのだ。時には壁になってもらわないと困る。

「というわけで、色々と面倒な事件に巻き込まれた結果“視界”を失った水野です」
「ちょっと待てえ。説明が雑すぎんだろ。つーか、は?! 久しぶりに会って早々何言ってんだ?! 何をどうしたって?!」

 驚く武田さんに「かくかくしかじか」で。とざっくり説明すると、一緒に来ていた厚藤四郎と共に絶句しているようだった。

「うっわ……。ちょっと前に太郎さんが『水野さん用の湯飲みが割れました。イヤな予感がします』って言ってたけどマジだった……」
「ま? 私用の湯飲みが割れたとかめっちゃ不吉じゃないですか」
「だから石切丸も言ってたんだよ。『また変なことに巻き込まれたんじゃないか』って」
「因みにそれはいつ頃……?」
「「大体三ヶ月前」」

 わー! ほぼこの視界を失ったのと同時期ー! 御神刀こわーい!!
 思わずブルリ、と全身を震わせていれば、鶴丸が「これでも着てな」と言って自分の羽織をかけてくれた。何かちょっといい匂いがするのが平安刀らしい。だからありがたく肩にかけていると、武田さんが「とにかく」と声を上げる。

「この男が狭間を例の本丸に飛ばした野郎ってんだな?」
「はい。実際にこの人の顔が見えているわけじゃないので百パーセントそうかと聞かれたらちょっとアレですが、間違いないかと思います」
「まあ、水野さんがこんな嘘つくわけねえしなぁ……。それに刀剣男士が見えた上に襲い掛かって来た、ってことはクロだろ」

 とりあえずこの男は武田さんが現役警察官である田辺さんに引き渡してくれるという。だから「よろしくお願いします」と頭を下げれば、いつも通り「おうよ」と頷いた後に話題を切り替えた。

「ところで、他にも隠してることはねえだろうな。こっちはあんたの担当官なんだ。あんまり隠し事されると、いざという時に庇ってやれねえぞ」

 普通なら関わることを厭う相手だろうに、武田さんは何かと手助けしてくれる。それが心底ありがたくもあり、嬉しくもある。だけど、だからこそ、言えることと言えないことの取捨選択を間違えてはいけない。
 ……でも、これだけは報告しておかないといけないんだよなぁ……。

「えーと、実は陸奥守が刀剣男士じゃなくなりました」
「は?」
「ですが刀剣男士と同じ働きは出来ますし、戦場にも問題なく出られます」
「おい。ちょっと待て。勝手に話進めんな?」
「というわけで、さーせん!」
「いや! 謝られてもだな?! どういうわけかちゃんと説明してくれねえか?!」

 武田さんが驚くのも無理はない。だから詳細は伏せて「鳳凰様に引き抜かれました」と端的に告げれば「おあ」と謎の声を上げて固まってしまった。……うん。お気持ちすごくよく分かります。普通に考えたら気絶ものだよね。
 現に厚藤四郎も「意味分かんねえ……」と呟いてはいるが、その視線は陸奥守に向いているらしい。小さな声で「言われてみりゃうちのと違ぇな」と呟く声が聞こえた。

「まあ、もう夜も遅いですし。今日は一旦解散しませんか?」
「そうだよ。睡眠不足はお肌の大敵! 主さんは女性なんだから、そろそろお布団に入らないと!」
「一応仮眠は取ったけど、主は頑張り屋さんだしね。今日は襲われもしたから、しっかり休まないと」
「おい待て。今“襲われた”って言ったな? まだ隠してることあるだろ。そうだろ」
「まあまあ。急いては事を仕損じるって言うだろ? この話はまた後日しようじゃねえか」

 堀川を始めとした、美容に敏感な乱と加州が肩に手を回してくる。だけど「まだ話は終わってねえぞ」と食いつく武田さんを薬研が笑って躱し、私は皆に手を取られて座っていたベンチから立ち上がった。

「ほいたらまた連絡するきの」
「武田さん。主の代わりにその男をよろしくお願いします」
「それでは参りましょうか、主君」
「え? あ、ちょ、」
「あ、こら! ちょっと待てお前ら!」
「おおっとお! せっかちなのはいけないなあ」
「そうそう。ここから先は通さねえぜ?」
「通りたければ我々を倒して行け。まあ、負ける気はせんがな」
「だから何でオレまで?!」
「はっはっはっ。まあ落ち着けよ、兄弟」
「そうですよ! 僕たちとお話しましょう!」

 だけど引き留める武田さんを鶴丸と長谷部と和泉守が、厚藤四郎を薬研と秋田が止める中、陸奥守と小夜に手を引かれ、乱と加州に背中を守られながら本丸へと帰還する。
 果たして本当にこれでよかったのか。分からなかったけれど、話が積もりすぎて簡単には説明しきれない。だから後日改めて時間を取ってもらう方がいい気はした。
 だから大人しく本丸のゲートを潜れば、まだ起きていたらしい。更に言えば広間に集まっているようで、いつもより光が強かった。

「主、戻ったか」
「おかえり、主。怪我はないかい?」
「三日月さん。光忠も。眠ってなかったの?」
「皆あんたが心配でな。寝られる心境じゃなかっただけだ」
「たまには月見茶もいいものだ。さて、怪我はないようだが、何か収穫はあったか?」

 本丸で待ってくれていた皆に早速報告をしようとしたけれど、すかさず加州が「ねーえ。時間考えなよー」と声を上げる。

「今何時だと思ってんの? 仮眠とっても主は人間なの! 女の子なの! 眠らないと明日に響くでしょ?」
「そうだよ! お肌にも悪いんだから、主さんはもう休んで! 報告ならボクたちがするから!」
「ええ? でも、」
「大丈夫だよ、主。あとは僕たちに任せて」
「小夜の言う通りじゃ。おまさんはまだ本調子じゃないき、今は休みとうせ」
「えー……」

 相変わらずの過保護っぷりに流石にどうなんだ。と思わなくもないが、預かっている刀たちも集まっていたらしい。日本号さんからも「緊急じゃなけりゃ明日でも構わんさ」と言われてしまう。
 ぐぬう。正三位にそこまで言われたら頷くしか……。

「寝られんならわしが添い寝しちゃるけんど」
「ヴぁ! あ、あほかっ!」
「んははは! 分かったら早う行くぜよ」
「あわわわわ」

 まともな反論も出来ないまま結局部屋に連れていかれ、慣れた様子で布団を敷いた陸奥守に誘導されて横になる。かと思えば本当に陸奥守も隣に寝そべって来たので「ひぎゃあ!」と声を上げれば、すぐさま笑われた。

「冗談じゃ。もう行くき、怒りなや」
「ぐぬぬ……! 質悪すぎるんじゃ! 心臓止まるかと思うたやないか!」
「んははは! ほいたらおやすみ、主」
「……おやすみ」

 今日は唇ではなく額にキスを一つ落とし、陸奥守は部屋を出て行く。その際羽織っていた鶴丸の上着は陸奥守が返してくれるということで、彼が持って行った。
 最初は「こんな状態で眠れるかい」と思ったのだが、次第にうとうとし始め――気付いたらコロンと寝落ちていたのだった。




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