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 そして迎えた翌日。蛍丸から『水野本丸初の大太刀』としての契約を向こうから持ち込まれたことに内心ホクホクしていると、珍しい刀剣男士から声をかけられた。

「審神者殿。暫し時間を貰えるだろうか」
「ほえ? どちら様でしょうか」
「巴形薙刀だ」
「は?! 巴形薙刀様?!」

 聞き覚えのない声に本気で誰か分からなくて首を傾ければ、初めてこの本丸の執務室を訪れたであろう『巴形薙刀』がサラリと自己紹介してきて素っ頓狂な声を上げてしまう。
 幸い今日の近侍は小夜であり、近侍補佐も光忠だったからお互い「珍しい男士が来たね」と小声で話し合うだけで終わる。もし今日の近侍補佐が長谷部だったら喧嘩を売っていた可能性があるからだ。

 これは武田さんに聞いた話なんだけど、どうにも主命第一、主第一の長谷部と、逸話を持たないと言われている巴形薙刀はそりが合わないらしい。とはいえうちには巴形薙刀がいなかったし、他所の本丸に顔を出しても話す機会がないので実際のところはよく分からない。だけど彼はうちに来てからずっと大人しくしていた薙刀だ。それが今になってどうしたというのだろうか。
 気になりつつも「どうぞ」と声をかければ、すかさず小夜が動いて座布団を用意してくれた。
 小夜くんマジでいつもありがとう。君のファインプレーにはいつも感謝している。そのうち花束と金一封を贈るよ。

 なんてアホな考えは遥か彼方に投げ捨てて、対面に座した巴形薙刀と改めて向かい合う。

「本日はどのようなご用件でしょうか? 何か不都合がございましたか?」

 聞いておきながら「不都合しかないやろな」とは思っている。だってうちに来てから古き神々の怪獣大戦争改めドンパチに巻き込まれたり、審神者である私のトラブルに巻き込まれたりと散々な目に合っているのだ。人間不信になってもおかしくない。
 実際元ブラック本丸にいた刀剣男士たちはその傾向が強く、離れで匿っている彼らもそうだ。うちの刀たちが定期的に顔を出しては状態を確認してくれてはいるけれど、私が彼らと顔を合わせる時は皆が「会わせてもいい」と判断してからなので、そうそう出会うことはない。
 それに聞いた話によるとどこの本丸でも『巴形薙刀』は自らを顕現させた主に雛鳥の如く懐く傾向にあるという。
 いや、懐くって言うと聞こえが悪いな。どうにも彼には逸話らしい逸話がないらしいから、唯一の主である審神者に思い入れが強くなるとの話だった。
 だから長谷部と喧嘩しやすいというか、一方的に敵視される傾向にあるのだとか。
 以前巴形薙刀が実装された時に鳩尾さんからも聞いた話だから、信憑性は高い。

 だからこそ今回近侍補佐が長谷部でなくてよかった。と心の底から安堵しつつ話しかけると、巴形薙刀は暫し言葉を探すように黙してから口を開いた。

「昨夜、蛍丸から話を聞いた。この一件が片付けば審神者殿と契約を結ぶつもりだと」
「え? そうなの? 初耳なんだけど」
「僕もです」
「あ。ごめん。朝部屋でご飯食べたから言うタイミング逃したんだよね」

 大体何かしらの連絡事項があれば朝食後に話すのだが、今はまだ私の体が通常通りの食事を受け付けない。だから部屋にお粥を運んでもらってチビチビと食べていたのだ。
 その際陸奥守も一緒に部屋で食べてくれたので、完全に話すタイミングを逃していた。
 なので慌てて昨夜蛍丸と「水野本丸初の大太刀として契約を結んでくれる」という約束を交わしたことを伝えると、二人はそれぞれ「そうですか」「そうだったんだね」と穏やかに頷いてくれた。
 よかった。二人が穏やかな気性で。長谷部だったら威嚇してたかもしれない。

「よかったね、主。ずっと『大太刀欲しい』って言ってたから、渡りに船じゃない?」
「お? 長船派なだけに?」
「ん? あ〜。そういう意味はなかったかなぁ」
「あはは! ごめん!」

 うっかりいつもの調子で光忠に絡んでしまったが、いかんいかん。今は巴形薙刀の話を聞かなければ。つい脱線しそうになる自身を戒めながら姿勢を正せば、巴形はじっとこちらに視線を定めているようだった。

「あの……?」
「いや、すまない。以前から感じていたが、審神者殿は我ら刀剣男士と随分と親しいのだな、と思ってな」
「へあ。そ、う、ですかね」

 蛍丸にも言われたけど、他の本丸も大体こんな感じじゃないのだろうか?
 いや、でも待てよ? そう言えば昨日聞いた話では巴形は遅れて顕現したんだっけ。蛍丸より半年ほど遅かったと言っていたから、その時既に彼の審神者はおかしくなっていた頃なんじゃないだろうか。
 あくまでも予測でしかないが、ほぼ確信していると言ってもいい。だって蛍丸が顕現して二ヶ月辺りで小鳥遊さんと出会い、それから一気にのめり込んだのであればほぼアウトな状態だっただろう。それでも顕現しているということは、ドロップで来た可能性が高い。どちらにせよ彼にとっては審神者との思い出は少ないのではないかと思う。
 実際それは当たっていたようで、彼は素直に私たちが「羨ましい」と口にする。

「俺が顕現した時、主は既に部屋に籠っていた。顔を見たのも、言葉を交わしたのも、顕現した時の一度だけ。傍に行きたくとも近侍や古参共に阻まれ、主からも『自分が呼ぶまで部屋で待機していろ』という命が本丸の全員に下された。だから、俺はここでもどのように過せばいいのか分からず、主の命令通りずっと部屋で待機していたのだ」

 初っ端からボディブローを喰らわされたというか、あんまりにもあんまりな内容に二の句が継げずに絶句する。それは後ろに控えていた二人も同じようで、困惑や労わる気配が漂ってくる。
 巴形も顕現してすぐこんな目に遭ったためどうしていいか分からなかったのだろう。その気持ちは痛いほどに分かる。実際、自分がもしも刀剣男士改め刀剣女子として本丸に顕現し、すぐさま「お前呼ぶまで出てくんなよ」と部屋に押し込められたら「舐めとんのか!!」と切れ散らかす自信がある。
 それなのに巴形は最後の命令に従い、保護された後もずっと部屋で大人しく待ち続けていたのだ。そんな彼をどうして責めることが出来るだろうか。

「だが、昨夜部屋に戻って来た蛍丸が『審神者さんと契約する!』と宣言してきてな。驚いた」
「あははは……。そうでしょうね」

 まさに『寝耳に水』という感じだったのだろう。とはいえ当時部屋に残っていたのは巴形だけだったらしく、他の刀たちには今頃説明しているのではないだろうか。ということだった。
 だけどこの話をしたということは、だ。巴形は抗議しに来たのではないだろうか。「俺の主の刀だ。主の許可なく契約することは許さん」みたいな。
 某何切長谷部さんを思い出しながら予測立てしたのだが、どういうわけか“真逆”の提案をされてしまった。

「ならば俺も、審神者殿の薙刀として契約することは可能なのだろうか」
「へえ?!」

 おっとお?! これが棚から牡丹餅案件か?! それとも漁夫の利?!
 パラパラと頭の中でことわざ辞典が音を立てて捲れていくが、そんなことを考えている場合ではない。一体どういう意味なのかと説明を求めれば、巴形は大きな体を雨に濡れた犬のようにしょんぼりさせながら話し出す。

「審神者殿。俺には逸話がない。そこに侍る彼らのように、己の名付け親となった主も、己の根幹となるような主も存在しない。出陣も、遅れて顕現したため最低回数しか経験していない。主との思い出も皆無と言っていい。そんな俺がどうして生き残ったのか。何故審神者殿に助けられたのか。ずっと考えていた」

 最初に彼らを保護した時、主との思い出を語る中に彼の言葉はなかった。ただじっと最後尾で座し、皆の声に耳を傾けるだけだった。だけどそれはショックで口を噤んでいたんじゃない。語れるほどの思い出が何もなかったのだ。それがどれだけ寂しいことか。
 想像しただけでも苦しくて、咄嗟に彼の手を握り締める。

「ッ! 審神者殿……」
「すみません、突然。許可もなく触れてしまって……。ですが、あまりにも……あまりにもあなたが過ごした日々が、聞いているだけでも悔しくて……!」
「主……」

 後ろから労わるような声が飛んでくるけど、本当とんでもねえ野郎だな! うちには薙刀なんていないのに!! 贅沢言いやがってー!!

「折角薙刀が来てくれたのに! 何てことしてんだっていうね!」
「あ、そっち?」
「やっぱりそっちなんだ……」

 憐れむ空気から一転。どこか呆れたような、苦笑いするような気配が後ろから漂って来る。だけどこっちはそれどころではない。
 確かに我が本丸も、初期に比べたら資材に余裕が出来た。だけど相変わらず刀は少ないし、太刀以上の長物は一振りもいない。最初育成に手間はかかるが後々大活躍してくれるという薙刀も一振りもいない。私だって岩融に会いたいわよ!! でも会えないの! 三条とは相性が悪い、って言われてるから!
 三日月はちょっと特例だから除外するけど、実際石切丸も小狐丸も今剣も顕現していない。だから本当、光忠を始めとした太刀がいてくれているだけでもありがたいというのに、薙刀に「お前部屋に籠ってろ!」とはどういう了見だ!

「だってさあ! 贅沢言ってんじゃねえぞ! って気持ちにならない?! うち薙刀いないのに!」
「うん。そうだね」
「羨ましいんだね、主」
「羨ましいよ! 折角戦力になってくれる刀剣男士が会いに来てくれたんだよ?! それを、はあ?! 呼ぶまで出てくんなって何様だよ! 刀剣男士はお飾りじゃねえつーの!」

 蛍丸も口にしていたけれど、刀剣男士は『戦うため』に呼び出された存在だ。人の器を与えられ、審神者の代わりに戦場に赴く戦神だ。それを、戦力に恵まれているからと言って蔑ろにしやがって……!

「神様のことなんだと思ってんの?! いや、まあその頃にはあの、あれ。ちょっとアレな状態になってただろうから完全に元の主さんが悪いとは言い切れないんだけどさ。それでも! それでもだよ?! 巴形薙刀さんとロクな話もせず、一方的に突き放すのは流石に“なし”でしょ!」

 巴形の手を握ったまま後ろを振り返れば、苦笑い気味な声で光忠が「そうだね」と相槌を打ち、小夜も「そうですね」と頷いてくれる。どこか言わせた感があるけど言質は取ったぞ!

「私なら絶対にそんなことしない! むしろ今後薙刀が一振りも呼べない可能性すらあるからね! うちに来たらいっそ一番やべえブラック企業化しそうな気配すらあるんだけれども!」
「うーん。主なら大丈夫でしょ」
「はい。主はそんなことをする人じゃないから」
「ありがとう! 確かにしたくない! でも、実際薙刀は室内戦とかを除けば活躍できる刀種だって聞いてるから、いざとなったら頑張ってもらうことにはなると思う。他にも薙刀を顕現出来れば交代で出陣してもらうこともできるけど、最悪の場合一振りだけしか薙刀がいない、ってことになるから……」

 時が経つにつれ増えていく合戦場に伴い、刀剣男士の数も増えてきた。だけど元の霊力が少ないうえ、どうにも『出会い運』がないのか新しい刀が来ることが極めて少ない。っていうか来ない。
 合戦場に赴いても刀をドロップするより資材を見つけて来る確率の方が圧倒的に高いのだ。いや、おかげで大変助かってはいるんですけれども。それはそれ。ぶっちゃけ私も戦力増やしたい。脇差と大太刀と槍と薙刀が欲しい。だから巴形薙刀の提案は本当に心から喜ばしい。だけど――

「私は、さ。皆のことすごく大事にしたい。疲労を溜めているのに無理して進軍なんてさせたくないし、傷を放置するのも嫌だ。でも、うちに来たら、今後薙刀があなただけしかいない、ってこともあり得るんです。そうなったら、私はあなたを出陣させるしかない。その時、あなたは耐えられますか?」

 替えの利かない状況で、休みなく進軍する羽目になるかもしれない。新しい刀が来ないから殆どの刀が上限まで育っている。そんな中一振りだけ練度が弱い状態での歯がゆいスタートを切ることになる。それでもいいのか。
 だって私は、彼を呼んだ本当の主ではないのに。

 姿が視えなくても流れる神気は視える。だから巴形薙刀がいる辺りをじっと見つめれば、何故か彼は私の手を強く握り返し、頭を下げた。

「俺は、主に必要とされたい……!」

 血を吐くようなその声に、その言葉に、ハッと息をのむ。でも、そんな反応を示したのは私だけだった。後ろで身じろぎ一つせず、事の成り行きを見守る二人は初めから分かっていたんだ。巴形薙刀がどうありたかったのかを。

「俺は、薙刀としては小型だ。馬上用とも、小柄な者が使うための型とも言われているが、もっぱら典礼用として用いられることが多い。銘も逸話も持たぬ、物語なき巴形の集まり。それが俺だ」

 巴形は振り絞るような声から一転し、訥々と語り出す。その声は消沈しているようでもあり、己を見つめ直しているようでもある。そんな、どこか不思議な響きを持っていた。

「だからこそ名のある刀剣男士たちが羨ましい。主を持ち、新たな物語を紡げる彼らが羨ましい。過去の主を語ることの出来る彼らが羨ましい。……羨ましいからこそ、今代の主に仕えたい。そう思い顕現したが、俺の願いはすぐに叶わないのだと悟った」

 それでも出陣命令が下されれば出陣した。刀装を持ち、お守りを持ち、慣れぬ戦闘にボロボロになりながらも彼は戦場に立ったのだ。けれど、

「誉を取ることが出来なかった。そのせいか、俺は主に声をかけられたことがない。それでも結局生き残り、ここに保護された。そんな俺に、審神者殿は価値があると思うか」

 “価値”。つい最近自分も同じことを口にした。だけど、彼は私とは違う。彼には戦える腕がある。力がある。能力がある。ないない尽くしの私とは違う。もっと自信を持って、胸を張って戦場に立てるのに、それなのに――

 あんの野郎……! マジで許さねえかんな!!

「あります! 例え今見つけられなくても! これから見つければいいんです!」

 彼は刀剣男士だ。戦うために呼ばれた、誇り高き神様だ。それを、銘がないからとか逸話がないからとか、そんな理由で自身を蔑んで欲しくない。
 そもそもないなら作ればいいのだ。
 例え世の中に彼の活躍が響き渡ることがなくっても、この本丸では違う。せめてこの小さな箱庭の中だけでもいいから、『巴形薙刀』はこういう薙刀なんだぞ、って。すごい刀剣なんだぞ、って、胸を張って生きて欲しい。

「あなたが望んでくれるのでしたら、私はあなたと契約します。捨てたりしません。放置もしません。戦うことが苦ではないのでしたら、傷つくことを恐れていないのでしたら、戦場に出て欲しいとすら願っております」
「審神者殿……」
「ですが、私は、戦が嫌いです。血が嫌いです。戦争は勿論、喧嘩すら見たくない。……それぐらい、臆病で弱い人間なんです」

 これは本当だ。軽口の応酬なら喜んでするし、罵倒合戦も楽しんで参加しよう。だけど、ガチの喧嘩はダメだ。相手を本気で“傷つけよう”という気持ちが滲んだ喧嘩は、怖い。物理でもそうだし、言葉でもそう。特に言葉は視えない刃物となって一生の傷をつける。
 この前、皆が教えてくれたように。

「ですが、私は審神者でもあります。公私混同は致しません。仕事である以上、あなた方が幾ら血に塗れようと、傷つき疲労を重ねようと、必要があれば出陣させます。その手で敵を切り、腹を裂き、心臓を突き刺し、美しき体に血を浴びせよと命令します」

 力強く握り返された手を、改めて握り返す。彼の心を、願いを、この手で包み切れない代わりに、言葉と気持ちで包むように。まっすぐと彼を見て、心からの“まことの言葉”を紡ぐ。

「折れることは許しません。私と契約するとおっしゃるのであれば、私の刀になると言うのなら、“死ぬ気”ではなく“最後まで生き抜く”気持ちで戦場に立ってください。骨が折れようが手足を切り落とされようが、痛みに意識が途切れそうになったとしても、必ず帰ってくる。それが約束出来ない刀に、私は心を預けたりしない」

 戦場では命がけだ。だから本当は、いつ折れてもおかしくない。だって彼らの本体は肉の器ではなく、一本の、鋼で出来た冷たい体だから。折れたらそれでお終いなのだ。
 確かにお守りは持たせるけれど、何が起きるか分からないのが時間遡行軍との戦争だ。無事に本丸に帰れないかもしれない。検非違使と二回遭遇するかもしれない。練度が追い付かず、一撃で刀装が剥がれて一気に傷つけられるかもしれない。
 あらゆる恐怖と不安を抱きながら私たち審神者は毎日彼らを戦場へと送り出すのだ。

 彼らの意思と覚悟をこの身に背負って。

 見えなくとも見つめ続ければ、巴形薙刀はブルリ、とその手を震わせた。いや、感じたのは触れ合っていた手だけだから、実際には全身を震わせたのかもしれない。
 それがどんな感情から起こったものなのか分からないが、それでも――巴形薙刀は、しかと頷いてくれた。

「ああ……! 審神者殿、俺は貴女の期待に応えよう……! あらゆる敵を薙ぎ払い、貴女に勝利と誉を捧げよう!」
「ふへ。勝利も誉も大好きですけど、でも、一番大事なのはあなた方刀剣男士様が無事に帰ってくることですから。例え傷だらけになろうとも、折れる寸前であろうとも、ここに帰ってきてくれさえすれば必ず治してみせます」

 言うてそれしか出来ないんだけどね。審神者なんて。
 そんな自嘲を込めて笑ったというのに、何故か巴形は震える声で「生き残った意味を、ようやく見つけることが出来た」と口にしてくれた。それが嬉しくもあり、同時に、少しだけ寂しくもある。

 本当は、自分を顕現した主だけに仕えたかっただろうに。

「でも、契約するのは全部終わった後です。それまでは、言ってしまえば人様の刀剣になるので。戦場に出すことが出来ないんです」
「構わない。いずれ審神者殿の唯一の薙刀となり、戦場でこの名を轟かせる武士となろう」
「はい。楽しみにしています」

 ヒラヒラと、薄桃色の粒子が頭上に舞い降りる。これはきっと、彼の『喜び』から生まれ出た桜なのだろう。桜の形は視えないけれど、淡くも美しい粒子となって視界を飾る。

 ――本当に、巴形薙刀は純粋で綺麗な刀剣男士だ。

「……あんなこと言われたら、震えるよねぇ……」
「震えますね」
「僕も出陣したくなっちゃったな」
「……誉は、譲りません」
「ありゃ。小夜ちゃんにも火がついちゃった」

 背後で交わされた言葉に「ん?」と首を傾けていると、一体いつから聞いていたのか。次から次へと預かっていた刀たちが執務室に雪崩れ込んでくる。

「はい! 俺は後藤藤四郎だ! この本丸には俺がいないんだろ?! 俺はいち兄の代わりにチビどもの面倒が見れるぜ!」
「ぼくは亀甲貞宗。ぼくは忠実な僕になるよ。戦も事務仕事も、掃除もお任せあれ、だ。まあ、一番得意なことは別にあるんだけど……。ふふふ。それは契約してから教えるよ」
「ボクは物吉貞宗と言います! 無銘のボクですが、ボクを持っていくさに行くと必ず勝てるというので、徳川家康公には大事にしていただきました! 今度はあなたさまに幸運を運びますよ!」
「ひええっ?! 何か一気に来はった!」
「あはは。実はさっきからずっといたんだけど、主は気付いてなかったみたいだね」
「口を挟むタイミングもなかったから……。ごめんね、主」
「いや、別にいいんだけどさ?! 何がどうしてこうなった?!」

 予想だにしていなかった展開に右往左往していると、最後にのっそりとした細長い、まさに『長身痩躯』という言葉がピッタリと当てはまる男士が口を開いた。

「私は、天下五剣の一振り。数珠丸恒次と申します。貴女に頂いたご恩を、貴女の力となって返すことが出来る。そう耳にして参ったのですが……。お取込み中のようですね」

 うわっほい。天下五剣の一振りまで来ちゃったよ。しかもうちにはいない青江派だから、この不可思議で掴みどころのない雰囲気にどんなテンションで言葉を返せばいいのか分からない。というかだね、人口密度高っけえんだわ!! 元々そんなに広くないからほぼすし詰め状態! ぷ〇ぷ〇なら消されとるぞあんたら!!

「え、ええと……。あの、皆さんのお気持ちはありがたいんですが、何でまた急に……」

 実際、彼らを保護してからというものあまり接点らしい接点はなかった。流石に共に内番をこなし、生活をしていたうちの刀たちは別だろうけど、私自身は色んなことがあってそれどころじゃなかったし、そもそもうちの刀たちが何故か変な防御壁を築いていたらしく話す機会がなかった。
 それなのに一体なぜ私の刀になると言い始めたのか。意味が分からず首を傾けていると、ドスドスと大股で歩く音が聞こえてきた。

「ったく、やっぱりここにいたか」
「おあ? その声は兼さん?」
「おう。オレだぁ。ったくよー、蛍丸から聞いたぜ? あんた、保護した刀と契約結び直すそうだな?」

 いや待って。蛍丸どこで話して来たん。
 本来なら私が説明しなきゃいけないことなのに先に蛍丸が通達したらしい。思わぬところからの口撃にビャッと冷や汗が噴き出てくるが、和泉守は気にせず執務室に入ってくると、私の前でしゃがんで軽く額を突いてきた。

「どーせあんたのことだから言うタイミング逃したんだろ?」
「ぐえーっ。仰る通りで……」
「つってもまあ、あんたが知らねえだけで陸奥守から通達はあったんだよ。飯の後に」
「あ、そうなの?」

 流石むっちゃん。頼りになるー! と手を合わせれば、すかさず「近侍とその補佐以外にな」と付け加えられて硬直した。……はい。すみません。二人には私が話すべきでしたね。

「二人共マジでごめん……。のろまな審神者を許して……」
「いやいやいや。怒ってないから」
「和泉守さん、主で遊ぶのはやめてください」
「だははは! 悪ぃ悪ぃ。んでもまあ、前から欲しがってたじゃねえか。脇差と槍、それに薙刀。打刀と太刀はまあ……ある程度揃っちゃいるが、戦力が増えて悪いことはねえ。こいつらとも結んでやれよ、契約」

 意外にも和泉守は前向きに捉えているらしい。てっきり「主を呪った野郎の刀となんて契約すんな!」と言うと思っていたのに。どこか呆気にとられた気持ちで和泉守を見上げていると、聞き慣れた足音が近付いてきた。

「おーの。ぎっちり詰まっちゅうね」
「むっちゃん」
「おん。蛍丸の件は朝餉の後にわしが説明したき、心配せんでい。皆も、おまさんが決めたことならそれに従うち言うちょったぜよ」
「あえ。そうなの?」

 彼らのことを敵だの何だの言った割には潔いな。と考えていれば、陸奥守は朗らかに笑いながら「わしらの主はおまさんやきのぉ」と意味不明なことを口にする。

「主は嘘つけんきにゃあ。やき、おまさんが『そうしたい』ち思ったらそれでえいがよ。拒否するのも、受け入れるのも、主の自由じゃ」
「えー……。でも私の口から皆に説明すべきじゃなかった?」
「だーい丈夫じゃ。わしらはそがなことで我儘言うほど子供じゃないぜよ。それに、戦力拡大は望むとこやろう?」
「そりゃ勿論」

 流石一番長く私を見ている刀である。まあ和泉守を始めとした皆が知っていることではあるんだけどね。常日頃から「脇差あと二振り欲しい! 大太刀と槍と薙刀も一振りは欲しい!」って叫んでたから。機会があれば逃すなよ。ということだろう。

「でも、皆は本当にそれでいいの? 確かに私は主だけどさ、何でも話し合わずに勝手に決めるのはよくない。あ。いや、でも、蛍丸と巴形については今自分で勝手に決めちゃったんだけれども……」

 前言撤回が秒とか早すぎんだろ。あまりにも恥ずかしすぎて御簾をつけているにも関わらず俯けば、和泉守からはため息が。陸奥守と燭台切からは笑い声が返ってくる。

「今更ぁ。つーか、あんたへの恩を仇で返そうってんならオレたちが黙ってねーよ」
「ほにほに。和泉守の言う通りじゃ。主と竜神様へのご恩の返し方はそれぞれやけんど、わしらは刀剣男士じゃ。戦働きで返そうち思うのが普通やろう」
「二人の言う通りだよ。例え主と再契約を結ばない道を選んだとしても、彼らに残された道は二つに一つ。刀解か、別本丸への譲渡だけだ。だったら主と契約を結び直そうと思うのが普通じゃない?」
「え〜? そうかなぁ」

 だって前の主と色々違うだろうし、思うところもあるだろう。蛍丸と巴形は後から顕現した身だから思い出も少なく、するっと再契約を提示して来たけど。大和守安定とか、大倶利伽羅とか燭台切とか五虎退とか、それに日本号さんも。それぞれ思い出があるだろうに。
 だけど顔を顰める私に、陸奥守は「心配せんでえい」と告げる。

「主の働きぶりを見ちょらん奴はおらん。この一月だけ見てもそうじゃ。ずっと頑張っちょったおまさんを、誰が悪く言えろうか」
「そうだぜ。むしろうちぐらいしかねーだろ。古き神々の気配が漂う本丸なんてよ。しかもその恩寵がそこかしこで得られるんだぜ? 最高だろ」
「まあ、主が巻き込まれ体質なのを除けば最高の就職先だよね」
「巻き込まれ体質で悪かったなあ! いつも迷惑と心配かけてごめんね!」

 半ばやけくそ気味に謝罪をすれば、光忠は笑いながら「僕たちも傍にいてあげられなくてごめんね」と謝り返して来たので言葉に詰まる。くそう。それはずるいぞぉ。いっそのこと最後まで茶化してくれたらいいのに。
 御簾の奥でちょっとむくれていると、庭先からも声が飛んできた。

「ねーえ。いい加減主の部屋から出なよ。見てるだけで暑苦しいんだけど」
「加州?」
「そうだよー! 今から庭掃除をする予定の加州清光でーす! 主、昨日はよく眠れた?」
「うん。大丈夫。夢も見なかったよ。心配してくれてありがと。あと、庭掃除もありがとね。加州はいつも綺麗に掃いてくれるから、すごく助かる」
「えへへー。どういたしまして」

 いつも通りの可愛らしい笑顔を浮かべているのだろう。それが分かるからこそこっちも笑みを浮かべていると、どうやら今日は大和守も一緒らしい。どこか強張った声で「ねえ」と話しかけられる。

「審神者さん、戦力不足なの?」
「ちょっ、失礼なこと聞くなよ! つーか打刀は足りてるっつーの!」
「うるさいな。お前には聞いてないよ」
「ムーカーツークー」
「あはは……」

 やっぱり加州とは別本丸の個体だろうと仲良く出来るのだろう。でも、彼にだって『大事な加州清光』がいたはずだ。あの瘴気に飲まれてしまった本丸の中に。

「戦力が欲しいのは、事実ですよ」
「主っ」
「大丈夫。ですが、誰でもいいわけじゃありません。戦いたくない人に契約を迫るつもりはありませんし、恩を売ったつもりもありません。この本丸を出て行きたいとおっしゃるのでしたら、今すぐにとは行きませんが、事が片付き次第他の本丸で、新たな審神者と契約するお手伝いも致します」
「……“自分のものにしたい”とは思わないの?」

 きっと、まっすぐ見つめているのだろう。矢のように飛んでくる鋭い視線が肌を突き刺してくるが、怖くはない。むしろ彼の真面目な気持ちが形となって視えるようで、好ましくすら思う。

「思いますよ。ですが、同時に望みません」
「……どういうこと?」
「だって、あなた方は“神様”ですから」

 そう。幾ら彼らと親密になろうとも、刀を大事に思えるようになろうとも、これだけは間違ってはいけない。違えてはいけない。彼らは刀であると同時に百年以上を生きる“付喪神”なのだ。神様を人間が好き勝手していいわけないだろう。

「私にとって、あなた方は“刀”であり“神様”でもあります。敬愛を抱きながらも心のどこかでは人非ざる存在を理解することが難しく、親しみを覚えながらもその鋼の身に恐怖する。そんなあなた方に命令を下し、行うのは“戦争”です。ごっこ遊びでも冗談の延長でもない。生きるか死ぬかの陣取り合戦です。そんな、ただの一般人であれば一生涯開けることのないと思っていた地獄の釜の蓋を開け、共に身を投じる……。実際に戦場に赴くのはあなた方ではありますが、血で汚れているのは私も同じです」

 陸奥守に初めて「敵を斬れ」と命じたあの瞬間からずっと、私の手は汚れ続けている。それを、忘れてはいない。

「私は、少々異質な存在ではありますが、元は普通の一般人です。あなた方が傅き、命を懸けて守るほど大層な人物でもございません。歴史に名を残すような偉業を成し遂げたわけでもありません。それでも、一度決めたからには最後まで成し遂げます」

 戦場に『絶対』はない。『生きて帰って来い』と背中を押すことはあれど、百パーセントが存在しないことは分かっている。必ず彼らが無事に帰ってくる保証なんて一つもない。お守りがあろうと何が起きるか分からないのが“戦争”だ。実際、私自身色々巻き込まれているしね。

「ゲートが誤作動を起こすこともあるでしょう。何らかのバグにより、あなた方が戦場で失った一部が戻ってこない可能性もあります。修復が不可能な傷を負うこともあるかもしれません。それでも、やらねばならないからやるのです。こんな私にも、守りたい人たちがいますから」

 そして、こんな私でも思うのだ。今の彼らを『守りたい』と。例えその背景に泣きたくなるほど辛い過去があろうとも、今の彼らを象っているのがその過去だから。
 ――今のあなたたちを大切に思っているからこそ、過去を守りたい。だって、変えてしまったら、もう今ここにいるあなた達には会えないから。

「戦場に立ったことのない女ではありますが、子供ではありません。『欲しいから』という理由だけであなた方に手を出す程、落ちぶれた覚えもありません」

 これは“戦”だ。戦力が増えればそれだけ力を蓄えることになる。それを御せるのか、と聞かれたら難しい。資材だって無限に湧き出るものではない。いずれは底を尽く日も来るだろう。あるいは突然この戦争が一晩で片付き、明日にでも本丸を解体する日が来るかもしれない。
 だけど、未来は誰にも分からないから。

「折角“主を選べる”体を得られたんですから、自由であって欲しいんです。仕えたくない主に侍る必要はありません。駄々をこねる審神者の手を嫌々ながら取る必要もありません。私は言葉と心であなたたちに向き合うつもりはありますが、その二つで縛る気はないんです」

 皆は私の言葉に縛られてる。なんて言うけどさ。こっちは微塵もその気はねえっつーの。

「審神者に限定されているとはいえ、今はもう、あなた方の声を聞くことが出来る人がいます。あなた方自身にも、自らの意思で動かせる手足があります。ご自身を持って、どこへでも行けるのです。自由に主を選びたいと願う気持ちを、戦を好ましくないと思う気持ちを、どうして私如きが否定出来ましょうか」

 心は自由であって欲しい。一番ままならない場所でもあるけれど、せめて新たに仕える主人を選ぶことが出来るのであれば、彼ら自身に選んで欲しい。……選ばせてあげたい、と強く思う。
 今度こそ、彼らが納得して、心から信じあえる主を。彼らの意思で、曇りなき眼で見て、選んで欲しい。
 そう思うのは、審神者の我儘だろうか。

「私は、前の主を大切に思うあなた方が好きです。心と体がバラバラに引き裂かれそうな程に辛い過去を背負っていようとも、それでも過去を変えるためではなく、過去を守るために戦ってくれるあなた方を心から尊敬しております。……そして、過去があるからこそ今のあなた方がいる。そんなあなた方を、私は大切にしたい。だからこそ、戦力が揃っている本丸を羨ましく思いながらも、望まぬ刀と契約するつもりはない。と、そう思うのです」

 愛しているから自由であって欲しい。愛おしいと思うからこそ自らを大事にして欲しい。
 たった一度の、仮初の人生だとしても。泡沫の夢だとしても、白昼に見る、胡蝶が運んで来た儚い夢なのだとしても。ここで過ごした時間が、いつか誰かの光になるならば。

「私は審神者です。あなた方刀剣男士を愛し、敬い、共に歩む者。共に戦場を立つ日が来ずとも、あなた方に命を下した時点でこの手は血に汚れております。ならばその血ごと愛しましょう。あなた方の痛みと過去の記憶を完全に分かち合うことは出来ずとも、その痛みを想い、共に背負って生きることは出来ます。あなた方の言葉に耳を傾けることは出来ます。勿論、あなた方がほんの少しでも預けて下さるのであれば、の話ですが。もしも許して下さるのであれば、共に背負いたいと思うのです」

 語れる主がいなくても、語れる主が多すぎても、彼らは思い悩むのだろう。人を愛おしいと思うから失うことが苦しくて、元の主が恋しいから過去の改変に惑わされる時もある。
 それでも、最後には審神者の願いを聞いてくれる。この不甲斐ない手を取ってくれる。そんな彼らを、どうして無碍に出来るだろうか。

「えっと、ごちゃごちゃと言葉を重ねましたけれど、私の想いは一つだけです。私と共に歩んで下さるのであれば、私はその手を取り、共に血を浴びます。痛みも共に背負います。幸せも苦しみも、共に分かち合い、乗り越えたいと思うのです。だって互いに一度きりの人生ではないですか。信頼のおける方と手を取りたいと思うのです」

 だから「人間となんてつるんでられるか!」と思っている刀とか、「審神者なんか好きじゃねえ。さっさと刀解しやがれ」と思っている刀とは仲良くなれねえんだよなー。と思っていると、何故か加州は「んあ〜! もーさー!」と悲鳴を上げ、和泉守は「やっちまったなぁ」と呟いた。
 いや、なんでさ。

「おまさんはまっこと……。おーのぉ……。ほんに無自覚やき恐ろしゅうて敵わんわ」
「何さ突然」
「主……。今のはダメだよ」
「だから何が。てか何で」
「えっと……。主。もう一度自分の言った言葉思い出して?」
「別にいいけど……。私何か変なこと言った?」
「まったく……。きみには本当に驚かされるなあ!」
「んえ? 鶴丸?」

 うーん? と首を傾けていれば、ここでまさかのビックリ爺の登場である。見えなくても声で分かるし、大体そういうところから突然出てくるのは鶴丸だけだ。
 現に「とう!」と勢いよく掛け声を上げながら屋根の上から飛び降りると、何故かこちらに詰め寄ってくる。

「驚いたぜ。まさかきみの口から“ぷろぽおず”なるものが聞ける日が来るとはなあ」
「はあ? プロポーズゥ?」

 誰がそんなこと言ったよ。
 心底意味が分からず眉間に皺を寄せれば、鶴丸が「コレ」と硬いかまぼこ板のようなものを握らせてくる。

「なにこれ。スマホ?」
「その通り」
「いや、意味分かんないんだけど」

 突然手渡されたのは一台のスマホだ。だけどこれは私の物ではなく、本丸に必ず一台用意されている共通の端末だろう。これがどうしたのかと問えば、鶴丸はどうやら知らぬ間に先のやり取りを録音していたらしい。おそらく『ボイスレコーダー』アプリを起動させ、一連のやり取りを再生した。
 ……うん。機械を通してとはいえ、自分の声を聞くのは気持ち悪いな。

「きみが言ったんだぞ? 我々は“神”だと。そんな神の前でこんなこと言われたら、俺たちはきみに執着し、また逃しはしないだろう。それこそ一生きみに付きまとうぞ?」

 ニヤニヤと笑っているのだろう。声で分かる。でも、注がれる視線で鶴丸の目が一切笑っていないことも伝わって来た。
 だけどそれを恐ろしく思う時期はとうの昔に過ぎている。つーか未だにビビってたら審神者なんぞやってられるか、っての。こちとら何度も危ない目にあってんだぞ? 否が応でもメンタル鍛えられるっつーの。だから今更怖気づいたりしない。というかだな、

「そもそも知ってるし。あんたたちが執着心強めだってことは」
「は?」

 だから特に何を思うこともなく言い返せば、何故か鶴丸は「何言ってんだコイツ」みたいな空気を醸し出す。いや、普通に考えたら分かるでしょ。

「だって皆元の主にすごい思い入れあるじゃん。何百年も前の持ち主のことを未だに覚えてるってことは、それだけ情も執着心も強い、ってことでしょ? 改めて言われんでも分かってるっての」
「あー……。いや、まあ、そう言われたらそうなんだが」
「それに逃がすもなにも、何で私が鶴丸たちから逃げる前提で話が進んでんのさ。私が逃げる必要どこにもなくない? てか何で皆から逃げなきゃなんないの? 鬼ごっこしてるわけでもあるまいし」
「そういう意味じゃないんだが……。そうか。そう来たかあ……」

 そう来たかって何よ。どういう意味だコノヤロー。分かるように説明しやがれってんだ。と鶴丸を見つめていると、トントンと優しく肩を叩かれる。だから振り向けば、そこにいたのは光忠らしく、懇切丁寧に私の言葉を噛み砕いて説明してくれる。

「あのね、主。主がさっき言った言葉って、もはや“誓い”なんだ」
「ん? うん。どの辺が?」
「全部」
「全部?」
「そう。『愛し、敬い、共に歩む』とか『幸せも苦しみも、共に分かち合い、乗り越えたい』とか『一度きりの人生だから信頼のおける方と手を取りたい』とか。もう完全にプロポーズ」

 ………………あー? なるほどね? 言われてみりゃ確かにそう聞こえなくもない。

「うん。でもさぁ、本心なんだわ。困ったことに」

 そう。困ったことにこれが本心なのだ。確かに私が“初期刀”として選んだのも“恋人”として選んだのも“陸奥守吉行”という名前の神様だけど、別に光忠を嫌っているわけでも迫害したいわけでもない。鶴丸を仲間外れにしたいわけでもない。むしろ皆のことが大好きだからこそ、一時は誰のことも“特別に好きだ”と言い切ることが出来なかった。
 でも結局私は欲深い人間で、浅ましくも想いを寄せてしまったわけだ。だから、それと一緒。
 単に自分なりのやり方で気持ちを示しただけに過ぎない。彼らに向ける想いを、自分が唯一胸を張って武器に出来る『言葉』という媒体を使って投げただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

「つーかね、審神者やる。って決めた時点でこっちは覚悟決めてんの。だって神様と仕事するんだよ? 生半可な覚悟で挑めるか、っての。それに、私は皆と違って武芸の心得がない。だから襲われたらあっさり死ぬ。だけど『死ぬ気』で挑んでるわけじゃない。むしろその逆」

 皆が『主』を大切にする神様だと知っているからこそ、安易に死ねない。死ぬことなんて出来ない。どうにか生き延びようと足掻いて足掻いて、それでもダメなら死ぬしかないけど、そうすれば彼らは傷つくだろう。
 だから「生きる」よ。どこまでやれるかは分からないけど、負けない限り、この命が続く限り。皆が、私の神様たちが「主」と呼び続けてくれる限り。私は彼らの『主』でい続ける。

「だから後は受け取る側次第ってこと。私の言葉を大仰に受け止める必要なんてないし、軽々しく扱われても『さもありなん』で終わるから気にしなくていいよ。“誓い”と言われたら確かにさっきの言葉は“誓い”になると思う。でもそれは私の覚悟を示す言葉であって、あなたたちを縛り付ける言葉じゃない。だから『私はあなた達を大事に想ってるよ』って気持ちが伝わっていれば、それで十分なんだよ。覚えてくれなくてもいいし、気にしなくてもいい。こっちが本気だからって、その言葉に振り回されたり、束縛される必要なんてどこにもないんだから」

 プロポーズに聞こえたとしても、それをどう受け取るのかは彼らの自由だ。適当に「サンキュー」って受け入れて貰っても構わないし、バッターのように「重いんじゃ!」って打ち返して貰っても構わない。
 ただ一つ知っておいて欲しいのは、私が彼らを敬愛しているという一点のみ。そこさえ間違えなければ気にならない。それでも彼らにとって先の言葉が『誓い』に聞こえたというなら、それだけ私の覚悟が伝わったということだ。だったらそれならそれでいい。そう説明すれば、何故か全員から溜息を吐かれてしまった。

「嘘じゃろ主……。ちっとも分かっちょらんやないか……。あ〜も〜、わしはどうしたらえいがよ」
「何が」
「いやぁ〜、分かっていたが本当に鈍いというか……。手強いなぁ、きみは」
「だから何が」
「ねえ。主。どうして、本当にどうして君は与えるばかりで自分のことは大事に出来ないのかな? 君の言葉にどれほどの価値があるか、どうして理解してくれないのかな?」
「ん? 今そんな話してた?」
「主……。僕は主が心配だよ……。お願いだから僕の手を離さないでね……」
「お? そりゃ勿論! だって小夜くん私の懐刀じゃん! 今更手離されたら逆に泣くからね?」

 流石に冗談だとは思うけど、小夜に嫌われたら立ち直れそうにないなー。と思って返答したのに、何故かギュッと抱き着かれてしまった。
 おおう? どうしたどうしたあ?

「主は僕が守ります」
「うん? うん。お願いしますね」

 何だか小夜が甘えているみたいで嬉しいなー。なんて思いながら抱きしめ返していると、和泉守が軽く頭を小突いてきた。

「あいた。何さ」
「あのよ、あんたはいい加減自分の言葉の威力っつーか破壊力を覚えてくれねえか」
「はあ? 何それ」
「いきなり過剰摂取させられてこっちもどういう顔すりゃいいのか分かんねえんだよ。せめて加減してくれ加減。オレですらグッときちまったじゃねえか」
「お、おう? ありがとな?」

 意味わからんけど何となく褒められている気がしてお礼を言ったのに、何故か「ちげーよ。そうじゃねーよ」と叱られてしまった。なんでじゃ。わしの何が悪かったんじゃ。教えとうせ。

「あーもー……。俺たちも主がめちゃくちゃ大事で、すっごい大好き! ってこと!」
「マ? ありがとー! 私も加州の事大好きだよー!」
「ほらすぐそういうこと平気な顔して言うー! 絶対陸奥守には言わないのにー!」
「でッ?!」

 大きな声で何てことを言うのだ加州は。あまりのことに硬直すれば、和泉守と鶴丸が「ほーう?」と揃って面白そうな声を上げる。

「何だきみ。本当に好きな相手には気持ちを上手く伝えられないタイプなのか?」
「あんだよあんだよ。そういうことならこのモテ男に相談しろよ。田舎侍がグッとくる言葉の一つや二つ一緒に考えてやっからよ」
「いらねえわバーカ!! 第一そういうのは皆の前で言うもんじゃないでしょ?! 二人きりの時に言うから意味があんの! だって私の気持ちと言葉はむっちゃんにあげる、って決めてんだから。皆に聞かれたら言葉の力が薄れちゃうじゃん」

 百万人のために歌われたラブソングなんかに僕は簡単に想いを重ねたりはしない。って某有名アーティストも歌ってたしね! ん? ちょっと違うか?
 なんか微妙に違う気もしたが、心からの気持ちを込めて突っ込めば何故か傍にあった柱に何かをぶつけたような凄い音が響いた。

「え?! なに?! 誰?! よく分からんけど大丈夫?!」
「いい音したなぁ。つーか被弾してんじゃねえよ。普段一緒にいるんだから分かってただろ」
「分かっちょっても無理じゃ……! 分かろうが……!」
「うははは! 確かに、避けたくても避けられんよなあ、今のは。嫉妬するのも烏滸がましいほどに可愛らしい“告白”だった。まったく、主にはいつも驚かされる」
「見事に心臓に一発だったね」
「“ばん”されましたね……」
「されたねぇ」

 よく分からんけど、会話の流れとして柱にぶつかったのは陸奥守らしい。恐る恐る「大丈夫?」と聞けば「おう」と返って来る。でもいつもより声に覇気がない。というより、何だろう……。照れてる? でもまだ何も言ってないよね? 和泉守が言うような『グッときそうな言葉』を言ったわけでもないのに、何でぶつかったんだろう? もしかして疲れてたんかな? う゛ッ。心当たりがありすぎる……! この一ヶ月心労かけたもんなぁ。今日ぐらい休ませた方がいいのかもしれない。

「むっちゃん」
「おん?」
「今日丸一日お休みあげるから、しっかり休んでね」
「はあ? なんでじゃ。どういてそうなったがよ」
「いや、だってさ、ふらついて柱にぶつかるぐらい疲れてるんでしょ? この一ヶ月心配かけたし、代わりに書類仕事もしてくれてたからさ。しっかり休んだ方がいいかと思って」

 こっちは真面目に提案したのに、何故か和泉守は声を上げて笑うし、鶴丸は「先は長いなぁ」と訳の分からないことを言っている。小夜は相変わらず憐れむような声で「主……」とこちらの背を叩くし、光忠も「笑えばいいのか同情すればいいのか……」と苦笑いでも浮かべてそうな台詞を口にした。
 うん。ぶっちゃけ意味分からん。こっちは真面目に心配しているというのに。陸奥守も「そうやない……。そうじゃないぜよ……」としか答えてくれないし、和泉守は鶴丸と一緒になってずっと笑い続けている。いや。本当に何でさ。
 この状況が理解出来ずに首を傾けていると、じっと沈黙を保っていた大和守が突然「なるほど」と声を上げた。

「審神者さんはあれだ。海老で鯛を釣るタイプだ」
「なんて?」
「同意したくないけど否定できない」
「加州ー?」
「付け加えると無自覚で心臓をぶち抜いて来る凄腕の弓兵でもあるぞ」
「弓なんか引いたこと一度もありませんけど?!」

 鶴丸の意味不明な言葉に突っ込みを入れていると、小夜が私から離れて陸奥守がいるあたりへと近付いていく。

「あの、陸奥守さん、大丈夫?」
「ん゛ん。ちっくと待っとうせ。今のわし見せられん顔しちゅうき」
「おー。ここだけ春爛漫じゃねえか。加州、もうコイツに庭掃除させろよ」
「マジそれなー」
「はははっ。そう言うきみたちもなかなかの爛漫ぶりじゃないか?」
「るっせえな! しょうがねえだろ!」
「そうそう。不可抗力ですぅー」

 小夜の心配する声に内心同意していたが、陸奥守はとりあえず(?)元気らしい。和泉守と鶴丸の発言的に皆桜を舞わせているんだろうけど、何でそうなったかは分からない。何か感情が高ぶることでもあったのだろうか?
 姿が見えないから尚のこと状況が分からないものの、大和守自身は先の言葉で納得(?)してくれたらしい。先程とは違い、柔らかい声で「あなたの気持ちはよく分かった」と口にし、そのうえで自分の進む道を決めたいとも言ってくれた。

「今はまだ、僕自身どうしたいか悩んでいるから。答えが出たら、その時は聞いて欲しい」
「はい。お待ちしております」

 彼らが少しでも前を向ける手伝いが出来るなら、それ以上に喜ばしいことはない。だから「よかったよかった」と一人納得していたのだが、新たに契約を望んでいた件の刀たちはどこか呆然とした様子で言葉を紡ぎ合っていた。

「アレを無自覚で、しかも本気で言っちゃう審神者さんって……」
「ある意味恐ろしく、ある意味では最強とも言えますね」
「うーわー……。俺まだ契約してねえのにドキドキしちまった」
「ああ……! 痛みとは別の意味でゾクゾクしたよ……! 早く彼女をご主人様と呼んで、彼女の言葉で縛られたい……!」
「審神者殿の願いに恥じぬ薙刀にならねばならぬと、改めて思い直したぞ」
「んお? おお? そうですか?」

 もう全部が全部意味分からんけどもういいや。
 とりあえずこの五振りとは事件後改めて契約を結ぶことが出来そうだ。それだけ分かっていれば十分だろう。
 よしっ! 何にせよ戦力ゲットだぜ! と喜んでいたのに、何を思ったのか。突然陸奥守に抱き上げられ、「ひぎゃあ!」と叫んでいる間にも執務室ではなく私室の方に押し込まれる。そうして狼狽えている間にも噛みつくようにキスをされ、最終的には以前のようにふにゃふにゃにさせられてしまった。

 ……うん。だからなんでやねん! むっちゃんの雄みスイッチが入る瞬間が分かんねえんだが?! なんで?! 一体どこでスイッチ入ったの?! 意味わかんねえんだけど!

「おまさん、えい加減にせんと本気で襲うぞ」
「もう半分襲ってるようなもんじゃん!」
「まだ加減しちゅう」
「これで?!」
「おーの。上様と竜神様に誓いを立てちょらんかったらとっくに手ぇ出しちゅう」

 陸奥守の言う「手を出す」にキスは含まれてないんかよ。
 心の底から突っ込みたかったけど、言ったら最後。とんでもないことを言われそうな気がして大人しく口を噤んだ。

 勿論この後はちゃんと仕事したけど、正直気まずすぎて恥ずか死するかと思った。





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