小説
- ナノ -




 それからは起きて、寝て、祈って、仕事して、をひたすら繰り返した。
 二日、三日と眠り続ける日もあれば、丸一日眠って目が覚める日もある。だけどそういう日は体がやばいほどに冷たくなっていることが多く、真冬でもないのに湯たんぽを作って貰ったり、陸奥守に“火の気”を分けてもらうことでカバーした。
 ……まあ、分けられ方が非常にアレなので毎回ふにゃふにゃにさせられるわけなのだが、背に腹は代えられない。実際抱きしめられているより粘膜摂取の方が“火の気”も早く全身に巡るのだ。何故かとは聞かないで欲しい。
 とはいえ喜ばれているわけではない。むしろ「無理しすぎじゃ」と叱られることが多く、恋人同士の色気云々よりも親鳥が雛鳥に餌を与えている感覚に近い気もしている。
 どちらにせよ陸奥守のおかげで助かっているのだが、一月ちょい経った辺りで別の問題が出てきた。

「主。ご飯食べよう」
「……うん」

 本来ならお腹が減っていても可笑しくないのだが、眠りすぎの弊害か、それとも竜神様の気に満ちた水に触れているせいか。あまり食欲がわかないのだ。そのうえ二日も三日も眠っていれば自然と断食状態になり、まともな固形物が食べられない。
 結果的に多少やつれてしまい、燭台切の眉間の皺が次第に増えてきた。

「これ以上量が食べられなくなったら絶対にやめさせるからね」
「うい……」

 ちびちびと、うっすらと味付けされた重湯をレンゲで掬っては口に運ぶ。その間お師匠様の石切丸は暇を見つけては本丸に足を運んで加持祈祷してくれた。彼が来られない日は太郎太刀が来てくれることもある。
 勿論本丸にいる皆も日々祈りを捧げてくれている。おかげで竜神様の微かにしか感じられなかった気が僅かに上昇してきた。眠っていてもそれを感じられる時がある。
 だからこそ燭台切は「そろそろ止めよう」と口にするのだろう。でも、

「あともう少しだけ、頑張らせて欲しい」
「……はあ。じゃあ次が最後ね。その後はちゃんと回復出来るまで禁止。分かった?」
「はぁい」

 燭台切が心配する気持ちもよく分かる。だって真冬でもないのに半纏着て火鉢炊いて、太ももの上に湯たんぽ置いて重湯口にしてるからね。もう完全に病人である。
 でもあと少しで何か掴めそうなのだ。掴めそうというか、何かが変わりそうというか。
 皆に一月以上もの間出陣させていないのは申し訳ないけれど、あの同田貫でさえ「今はその時じゃねえだろ」と言ってくれた。だから彼の気持ちに応えるためにもどうにかして竜神様と接触したい。

「主、もんてきたぜよ」
「あ。おかえり〜」

 そんなことを考えていると、本丸から外出していた陸奥守が戻って来る。

 本丸を封鎖したのは最初の三日間だけだ。以降は私が起きている日にのみ外出禁止を解いており、その際に必要なものを買い出しに行く形を取っていた。食材然り日用品然り。皆で欲しいものをピックアップしては“呪詛返し”が出来る陸奥守を隊長として買い出し部隊を作り、手分けして購入する。まるで遠征のようだが、以前も『本丸警察』を作った彼らだ。あっさりこの案を受け入れ、戸惑うことなく生活の一部に組み込んでいた。

「ん? おまさん、まだ“水の気”が多いの。ひやいじゃろ」
「うッ」

 しかも恐ろしいことに我が誇らしき恋人様は、ここ最近一目見ただけで私の体に蓄積した“気”の状態を判断出来るようになってしまった。
 これは私がやつれ始めた頃に教えられたことなんだけど、元々女性は陰陽で言うところの“陰”の気側にいるらしい。で、“水”の気も“陰”側なんだと。陰に陰が重なりゃそりゃ毒にもなろうて。ということで、“陽”の気側である男性であり、また“火”の眷属でもある陸奥守は触れずとも分かるようになってきたらしい。
 全くもって優秀すぎて恐ろしい恋人様である。おかげで助かっているんだけどさ。

「今日はまた一段と重装備やのぉ」
「うん。でも寒い」

 燭台切には言わなかったけど、実は指先がめっちゃ冷たい。手袋を忘れて雪が降る街中に飛びだしたかのように冷えた指先を、陸奥守のあたたかな手が包み込んでくれる。
 その際に後ろから抱き込んでくれたから背中もあったかい。だから太ももの上に置いていた湯たんぽを片手で抱き上げつつ胸元に寄り掛かれば、逞しい腕が労わるように抱き留めてくれた。

「うーん……。今日はこぢゃんとひやいね。粥も胃に入らざったやろ」
「うぐッ。仰る通りで……」

 燭台切もうっすら気付いてはいるだろうけど、“水の気”が多い時はどうにも食欲が湧かない。というか、喉を通らない。そのため緩慢な動作で舐めるように重湯を口に運んでいた。だから実質量は減っていない。
 陸奥守は椀の中に残る重湯の量を見て「コイツ食ってねえな」と判断したのだろうが、責めることはしなかった。だけど肩を抱く手には力が籠められ、御簾で隠れていた頬に自身の頬を寄せて来る。
 正直恥ずかしいけど、頬も冷たくなっているからあたたかくて気持ちがいい。

「主。これ以上はおまさんの命が危険じゃ。そろそろ辞めんか」

 けれど囁くような声音で呟かれたものは燭台切と同じようなことで、つい苦笑いが浮かぶ。

「光忠にも同じこと言われた。けど、あと一回だけ、頑張らせて欲しい」

 この一月で筋力やら体力やらだいぶ衰えてしまった自覚はある。食も細くなったし、全身が怠い。だけど見えない視界には慣れて来た。朝も夜も変わらず真っ暗だけど、慣れてしまえばどうということはない。
 目で見えずとも肌で気温の差は感じ取ることが出来るし、物の配置を変えていないからどこに何を置いてあるかは把握出来ている。例え視界を戻せなくても頑張れば生きて行けるのでは? と考えていると、陸奥守の唇が額に触れた。

「ふぎっ?!」
「次で最後やきの。けんど、今回は“水の気”が多すぎじゃ。最低でも二日は休ませるき、そのつもりでおるように」
「はい……。畏まりました……」

 最初は一日おきと言われていたけれど、あまりにも私の状態がよろしくない時は二日、もしくは三日休息日を設けることとなった。それで一旦溜まった“水の気”をリセットし、再度夢に潜って祈りを捧げる。これの繰り返しだ。
 その間政府には『季節外れの風邪が〜』とか『家庭の事情で〜』とか適当に理由を誤魔化し、百花さんたちにも似たような理由で本丸に来ないで欲しいことを陸奥守が代わりに連絡してくれた。おかげで今月は戦績が残念な結果になってしまったのだが、事が事だ。仕方ないと自身に言い聞かせ、陸奥守の腕の中で改めて湯たんぽを抱え直す。

「正直むっちゃんがいなかったらこの方法取れなかったよね」
「わしはもうやめさせたいち思いゆうけんど?」
「あと一回だけチャレンジさせとうせ〜」
「……はあ……。まっことしょうことがないお人じゃ」

 陸奥守の呆れた声に笑いながらも、流れて来る“火の気”のおかげで幾らか楽になってきた。
 声の質からそれを読み取ったのだろう。陸奥守はこちらの体を支えていた腕を離すと、口元にレンゲを当ててくる。

「ほら。びっとでいいき、食べ」
「ん」

 もはや恋人ではなく介護である。それでも少しずつ口に入れては嚥下していると、一人で食べていた時の倍の速度で食べ終わることが出来た。

「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした」
「ヴぇ?! 光忠そこにいたの?!」

 てっきりどこかに行ったのかと思っていただけに、割と数メートルしか離れていないところから返事が来て驚いてしまう。だけど燭台切は「いたよ」とどこか不服そうな声で返事を寄こした。

「全くもう、見せつけてくれるんだから」
「あ゛! む、むっちゃん!」
「んははは! 仕方ないろう。おまさんの体がひやいき、あたためちゅうだけちゃ」
「うぬお〜……!」

 間違いじゃないから余計に怒り辛い。現にこの体は冷えている。燭台切も分かっているのだろう。だからこそ「はいはい。お邪魔者は退散するよ」と言って膳を持って出て行く。

「むっちゃんのアホ。意地悪」
「おん? わりこと言う口は塞いじゃろうか」
「んぎゃーーーっ!!」

 結局抵抗虚しく口を塞がれてしまったわけだが、そのおかげで体が少し楽になったので怒るに怒れず、最終的に「陸奥守は意地悪だ」と再認識するだけとなってしまった。

 そんなくだらないやり取りがあったものの、二日間の休息日を挟んだ今日。最後のチャレンジ日がやってきた。
 寝る前に陸奥守から一発入魂と言う名のちょっとアレな口付けをされてしまったものの、布団に潜り目を閉じる。

 少しずつ竜神様の気が回復しているとはいえ、それでも微々たるものだ。未だ楽観視出来る状態ではない。だけどこれ以上やると仕事にも生活にも支障が出る。だから今日こそ竜神様の気を辿ることが出来ればいいんだけど……。
 半ば祈るような気持で深呼吸を繰り返し、徐々に徐々に意識を沈めていく。

 そうしていつものように水の中に意識を落とし込み――いつもと何かが“違う”と感じ取る。

 普段であれば冷たい水底に向かって沈んでいく感覚に襲われるのだが、今日はどこかに流されている感じだ。沈むのではなく、流される。その違いに戸惑いながらも語り掛けるように竜神様を呼んでいると、不意にどこかに辿り着いた気がした。

「ここは……」

 目が見えないから触って確かめるしかないが、どうにもゴツゴツとした岩場というか、浅瀬、だろうか? に流れ着いた感じがする。
 それに水浸しになった全身を水中から引き上げれば、どこからか滝の流れる音が聞こえてくる。

 もしかして――

「竜神様?!」

 いつも私を呼ぶあの滝壺の近くに流れ着いたのではないのか。そう思い駆け出そうとするが、足場が悪いうえに目が見えない。だからすぐさま衝動的に踏み出した足を止め、慎重に音がした方向に向かって足を踏み出していく。

「滑って頭打ったら洒落にならんからな……。いや、でもめっちゃ怖え〜!」

 本丸を移動する時は誰かしらが手を引いてくれるから然程怖くはないんだけど、夢の中とはいえ一人で歩くのはだいぶ勇気がいる。
 それでも無風状態の水の中をザブザブと音を立てて進んでいく。すると次第に水が深くなり、脛の真ん中あたりまでしかなかった水位が太ももの半ばまでになり、腰に到達し、終いには胸まで上がって来る。
 そうなったら泳ぐしかなく、水泳が苦手ながらも頑張って前に進んでいると、次第に滝の音が近づいてきた。

「竜神さ、まっぶ?!」

 あの滝壺までどれくらいだろうか。なんて考えていると、突然バシャン! と大量の水が頭上に落とされ、水圧に耐え切れず潜った水の中でグルングルンと回転する。正直軽いパニック状態に陥りかけたが、すぐに根性と気合で精神を立て直し、水面に顔を出した。

「ぷはっ! うえっ、一体なに――」

 何が起きたのかと状況を把握しようと気配を辿ろうとすれば、突然ズムッと顔に濡れた何かが当たる。
 ………………もしや。

「竜神様?」

 そっと手を伸ばし、小突くようにして触れて来たなにかに触れれば硬い鱗のような感触が伝わってくる。
 やっぱり! 竜神様だ!

「竜神様!」

 思わずギュウと顔なのか尻尾なのかよく分からない部分を抱きしめれば、グリグリ、ゴツゴツと顔や頭付近に硬いとも柔らかいとも言えない部分が擦りつけられる。

 これ、尻尾じゃなくて顔、っていうか口元なのでは?

 予測を立てつつも見えない視界の中、必死に竜神様の神気を辿ればいつもより強く感じ取ることが出来る。それが嬉しくて自分からも頬を摺り寄せれば、竜神様の口先が額や頬、瞼辺りに擦りつけられる。
 最初は何をしているのかよく分からなかったけれど、次第に真っ暗闇だった世界に光が差して来た。

 でも、ただの光じゃない。少し前に見たうすぼんやりとした光でもない。かと言って日差しのような、スポットライトのような、焼けつくような眩いものでもない。
 真っ暗な世界に唐突に浮かび上がったのは、それこそ天上に輝く天の川のような――小さな光の粒子が集まった幻想的な一本の川だった。

「これは……」

 瞼を開けても閉じても同じ、突如暗闇しか見えなかった世界に現れた天の川。それが一体何を意味しているのか。分からないまま瞬きを繰り返していると、竜神様の口先が再度顔や頭、首筋などにも触れて来る。
 まるで猫が飼い主に匂いを着けるかのような行動に首を傾けていると、次第に他のものも見えてくる。

 蛍にも似た、緑色の小さな光。そして浮かんでは沈む、薄水色の小さな泡。じっと観察していると次第に増えていき、だからこそそれらが『自然のもの』だと分かって来る。
 蛍の光は恐らく新緑、木々や花々だろう。泡は水。だとしたら、この天の川のような美しい粒子の集まりは――

「竜神様……。そこにいらしたんですね」

 一つ一つの輝きは小さくとも、それらが集まれば大きな姿となる。そしてこの小さな輝きこそが、人や刀剣男士の“祈り”そのものなのだろう。
 その“祈り”が形となり、力となり、竜神様を形成している。信仰心がなければ消えてしまう神にとって、例え小さくとも“祈り”が捧げられることは重要だ。
 改めてその意味を噛み締めながら竜神様の顔に頬を寄せれば、応えるように顔を寄せてくれた。それが嬉しい。私たちの“祈り”は、ちゃんと竜神様に届いていたんだ。

 だけど蓄えていた力を殆ど使い切るまでに酷い目に合わせてしまったのは私だ。だから改めて顔を上げて「すみません」と謝罪すれば、今度は少し強い力で額にゴスッと口先が当てられる。

「あうっ。で、でも、私が巻き込まれたから竜神様はこんな、あいだっ!」

 ゴツッ。からゴリッ。に威力が変わった打撃に軽くよろめけば、すぐさま背中に尾が回って引き寄せられた。

「あ! ま、待ってください竜神様! 私、まだ――」

 話したいことが沢山あったのに、竜神様はいつものように私を自身の体に納めてくる。ヤダ、まだ話したいことがいっぱいあったのに!
 そんなことを考えつつ竜神様にいつものように運ばれたのだが、実際に目が覚めたのは本丸の私室ではなかった。

「あれ? ここって……」

 ザーッ、という可愛らしい音ではなく、もはや地響きのようなドドドドという壮大な音を立てて滝が流れ落ちる音がする。流石に本丸内にここまで大きな音を立てる滝は存在していない。だから一体どこに飛ばされたのかと首を巡らせていると、誰かの指先が額に触れてきた。

「ひぎゃっ?!」

 冷たすぎるわけではないが、あたたかいわけでもない。そんな誰かの指先に驚き全身を跳ね上げれば、子供をあやすように背中を優しく叩かれた。
 …………あれ? 悪い“気”ではない。むしろこの優しくて穏やかな“神気”は……。

「竜神様、ですか?」

 いつも竜のお姿しか拝見したことがなかっただけに、人の姿になっているとは思わず困惑する。だけどよくよく考えてみれば自分が寝ていたのは水の中ではなく布団らしきものの上だ。おそらく鳳凰様が仰っていた『竜神様の居城』に連れて来られたのだろう。
 初めて竜神様の居城に招かれたことに感激するよりも困惑していれば、まるで子猫を拾い上げる親猫のようにヒョイ。と片手で抱き上げられ、膝の上に座らされた。
 ……見えないけど、最近陸奥守に同じ状態で抱っこされてるから感覚的に分かってしまうのだ。南無三。

「あの、竜神様? ここは竜神様のお住まいですよね?」

 竜神様の声は聞こえないが、それでも問いかければこちらの手を取り、頬に当ててくる。そうしてどこか鱗のようなざらついた感覚のする皮膚が軽く上下に動き、肯定されたのだと気が付いた。

「……お加減は、幾分かよくなられましたか?」

 緊張しながらも尋ねれば、竜神様は暫く沈黙した後顔を横に振った。
 ……やっぱり。

「それは、あの“黒い水”のせいですか?」

 肯定。

「あの水は……いえ。あの本丸は、危険な場所、ですよね?」

 肯定。

「あそこにもう一度行きたい、と……そう思うことは、やはり……ダメ、ですよね?」

 ……沈黙。のち、肯定。けれど、今度は頬に当てていた手の平に文字が書き足される。

 い ま は

 ……これは、今はまだダメだけど、そのうち行っても大丈夫になる、ってこと?

 肯定。

 あ。竜神様も鳳凰様と同じでこちらの考えが読める感じなんですのね?

 ……肯定。

「フフッ。竜神様も嘘がお嫌いなんですね」

 私と一緒だ。なんてどうでもいいことを口にしたら、何故か抱擁が返ってきた。本当に何故ぇ?!

「竜神様。竜神様が以前の状態に戻るまで、どのくらいかかりそうですか?」

 抱擁された件については一旦置いておくとして、竜神様の状態がいつ頃好転するのか確認したい。若干緊張しつつ答えを待っていると、竜神様は暫し沈黙した後手の平に文字を綴った。

 一 年

 うぐぅ……! 多分これ『最低でも一年』って意味だよね……。でもそれは本丸に宝玉を移しているから一年で済む話なのだろう。もしも福岡の、あの小さな祠に祀ったままでは一年では到底追いつかなかったに違いない。
 そう考えたらやっぱり宝玉を本丸に移して正解だった。……いつかちゃんとあの土地買い取らないと不味いけど。

「竜神様が回復するまでに、私の“視界”を奪った『魔のモノ』は襲ってくると思いますか?」

 沈黙。のち、肯定。

 やっぱり竜神様もそう思っていらっしゃるんだ。この一月は結界が張られた本丸にいたから無事だったけど、今後は出陣も再開させなければならない。
 何せ『歴史修正主義者』と戦うために刀剣男士と審神者はいるのだ。それを放棄し、いつまでも立て籠もるわけにはいかない。彼らが呼ばれた意味を、審神者の本分を成し遂げなければ。

 だけど竜神様が回復するまでに最低一年はかかる。それまでに何か出来ることはないのか。悩んでいると、竜神様の指が目尻に触れた。

「うえ? あ……。すみません。今、殆ど何も見えていなくて」

 竜神様のおかげだろう。“神気”を始めとした生き物の“気”のようなものは見えるようになったけど、視覚が戻って来たわけではない。だから日の光が見えるわけでもないし、景色についても未だにさっぱりだ。あくまでも『普通の人間には見えないもの』が見えているにすぎない。

 それでも何も見えないよりずっといい。神気が見えるのであれば皆がどこにいるのか把握出来るからだ。

 それを竜神様が理解していないはずはなく、頬に当てた手が肯定の意を示してから再度眦や瞼を撫でて来る。だから大人しく瞼を閉じてマッサージのような触れ合いを受け入れていると、ふと自身の体が軽くなるのを感じた。

「竜神様。今何をなさったんですか?」

 だけどこの問いに答えが返ってくることはなく、手の平に文字も綴られなかった。ただ労わるように頭を撫でられ、抱きしめられる。
 ……そういえば、以前鳳凰様が仰っていたな。竜神様は愛情深い、って。だから本当は不敬なのかもしれないけれど、両腕を背中に回して抱きしめ返したら竜神様の体が一瞬固まった。けれどすぐに弛緩する。
 よかった。怒られなかった。

 そのまま暫くの間抱擁し合っていると、竜神様の手がそっと体を離した。そして再度手の平に文字を綴る。

 じ か ん

 …………。そうか。もう帰らないといけないのか。
 後ろ髪を引かれる思いではあるが、長居しては私の体が持たない。陸奥守を初めとしたうちの刀たちに心配をかけるのも嫌だ。だから寂しいけれど竜神様のお顔がある辺りに向かって笑みを向ければ、柔らかい感触が左右の瞼の上に一度ずつ落ちてきた。
 ん?! これ、もしかしてキスされた?!

「うわっ?!」

 だけど驚いたのも束の間、いきなり浮遊感が襲ってきて咄嗟に竜神様の体に抱き着く。そう言えば人型の竜神様も着物をお召しになっているらしい。鳳凰様が陸奥守に与えたものとは異なる、絹のような手触り。そんな高価な着物にしがみつくなど「罪では?」と思ったが、咄嗟の行動だったため許して欲しい。
 そんなアホなことを考えている間にも全身が水に浸かる。だけど今度は真っ暗闇ではなく――閉じた瞼の裏にも関わらず、光の粒子が溢れかえった。

 きっとこれは川に住む魚や微生物、岩や藻と言った小さな命が持つ“生命の輝き”なのだろう。成程。もしも鳳凰様にもこうした一つ一つの命が輝いて見えていたのであれば、それを好ましく思えるのも頷ける。
 ん? だとしたら真逆の存在であろう『魔のモノ』たちってどう映るんだろう?
 疑問を抱きながらも思考は次第に緩やかに、そして霞掛かっていき――

「んん……?」

 今度こそ本丸の私室で目が覚めた。それが分かったのはすぐ傍にいた陸奥守の“神気”が見えたからだ。

「むっちゃん……」
「おん。起きたかえ?」
「ん……。何日経った?」
「今日で三日目じゃ。けんど、今回はちっくと様子が違っちょったき、起こさんで待っちょたがよ」
「そっか……。ありがと」

 布団の中から手を伸ばせば、あたたかな手の平がしっかりと掴んでくれる。あー……。あったかいなぁ……。

「むっちゃん」
「おん。どういた?」
「お風呂入りたい」
「おーの。用意して来るき、ちっくと待っとうせ」

 握られていた手が離され、陸奥守の気配が廊下を歩く音と共に遠ざかっていく。
 これは当然と言えば当然のことなのだが、審神者が女性の場合、本丸に備えられた浴室も女湯と男湯で別れている。とはいえ刀剣男士と違い浴場はかなり小さい。
 何せ基本的に審神者は一つの本丸につき一人しかいないのだ。それなのにデカイ浴場なんてあっても意味がない。だから普通の温泉施設で言うところのサウナ室のような規模しかなかった。
 そうは言ってもビジネスホテルに比べたら遥かに広い。むしろ露天風呂付き客室に近いと言えるだろう。そう考えたら十分贅沢だ。

 って、本丸のお風呂事情はさておき。今は午前なのか午後なのか。探ろうとして布団から抜け出せば、今までは真っ暗だった視界に様々な光の粒が飛び込んでくる。

「わあ……」

 よくあるファンタジー小説や漫画で見る『妖精』のように、様々な物が小さな輝きを放ちながら視界を染める。
 部屋の四隅に貼られた百花さん特製の結界札と破魔の札は白と紅に輝き、自分が今しがた眠っていた布団にも僅かにだがキラキラとした星屑のような輝きが残っている。
 その光景に好奇心が刺激され、執務室へと続く襖を開ける。するとそこにも、僅かではあるが輝くものがあった。

 まずは、さっきまで陸奥守が触っていたのであろう、机周り――特にパソコンには僅かに“神気”が残っている。あたたかな橙色の光は鳳凰様の眷属になったからだろうか。それでも熱さや恐れはなく、むしろ視界を優しく染める柔らかな光にほっと息をつく。
 興味が引かれるままにそっと触れてみたら、逃げるように光は霧散した。だけど寂しいというよりは面白く、隙あらば突きたい感じだ。

 他にも普段使っている小物入れやペン立て、タブレットや書類ケースにも、微量とはいえキラキラとしたものがくっついている。
 他にも何か見えるものがあるだろうか。四つん這いの状態で廊下に出れば、冷えた風が肌を撫でた。

 うーん……。日のあたたかさは感じられないから、夕刻だろうか。でも夕日の暖かさも感じないから、恐らく夜。陸奥守が部屋にいたということは、夕餉前か後。七時か八時あたりだろう。

 そう考えると随分と遅くまで一緒にいてくれたんだなぁ。改めて陸奥守の愛情深さにじんわりとした喜びを感じていると、広間の方に光が集まっているのが見て取れた。
 と言うことは、夕飯時か。
 いつもならどんちゃん騒ぎ、とまではいかないものの、それなりに楽しそうな話し声が聞こえてくる。が、今は違う。私がまだ眠っていると思って静かにしているのだろう。気遣い屋の彼ららしい。

 それから、この視界になって分かったことだが、本丸自体が光の粒子を纏っている。
 でも考えてみたら当然だよな。本丸は付喪神である刀剣男士の住まいとして用意された特別な施設だ。ここに神気が溢れていなけりゃどこに流れてる、ってんだ。
 自分の鈍さに苦笑いしたくなるが、柔らかい光はどこか幻想的で、心安らぐ風景と言ってもいい。
 勿論全体を覆っているだけで細部まで見えているわけではない。ただ意外にも廊下や、日頃皆が触れているであろう襖の取っ手部分などにも光は集まっている。だから大体の位置を把握しやすかった。
 おそらく神気がよく流れる場所、留まる場所にこの光の粒はくっついているのだろう。

 そんなことを考えていると不意に何かが目の前を過っていく。それこそ蛍のような光だ。
 だから物珍しくてつい目で追い、そのまま指先でちょんと突けば「ねえ」と幼い声が庭先から飛んできた。

「わひっ?! え、は、はい?! どなた様でしょう?!」
「あ。驚かせてごめん。俺だよ。蛍丸」
「蛍丸様? こんな時間にどうかなさいましたか?」

 何か不都合があっただろうか。それともいい加減本丸から出せ。という催促だろうか。
 緊張しつつも話しかければ、蛍丸はどこか言葉に悩むように「あのさ……」と続け、すぐさま吹っ切れたような声で「隣、座ってもいい?」と問いかけてくる。

「あ、はい。どうぞ。あ、でも座布団……」
「いいよ。いらない。目が見えてない人にそこまで酷いこと言わないよ。それじゃあお邪魔しまーす。よいしょっ、と」

 隣に座ったことが気配だけでなく、彼の体に流れる“神気”でも分かる。それと同時に、彼の中に残る『魔のモノ』と契約した審神者の霊力も、僅かにだが見える。
 ……だって彼自身の神気は綺麗なのに、審神者の霊力は濁った色をしているから。嫌でも分かるというやつだ。っていうか逆に目立つ。
 だけど、だからこそ、彼は“まだあの審神者の刀なのだ”という認識を強く抱いてしまう。
 そんな私に気付いているのだろう。蛍丸は足をぶらぶらと揺らしながら「あのさぁー」と間延びした声で話しかけて来る。

「こんなこと言うのも図々しいかな、とは思うんだけど、その『蛍丸様』って呼び方、やめてほしいなー。って」
「へ? 呼び方、ですか?」
「そう。だってさ、審神者さん、自分たちの刀には凄いフレンドリーじゃん。そりゃあ『さん』付けして呼んでる奴もいるけど、結構、話し方自体は気安いっていうか」
「ああ……。それは、まあ。そうですね」

 これは一度改善しようと試みたのだが、結局皆から「やめろ」と言われてしまいこういう形になった。だから本気で馴れ馴れしくしているつもりはないのだが、他所の刀剣男士から見たら気安い関係に映るのだろう。
 不安を抱きつつも蛍丸の言葉に耳を傾けていると、どうにも懸念していた事態とは少し違うようだった。

「実はさ、俺って結構後から顕現したんだよね。国行や国俊は早い段階から顕現してたんだけど、俺と巴は遅くて。本丸の中では『後半組』って呼ばれてた」
「そうなんですか」
「うん。それでも巴よりは半年ぐらい来るの早かったんだけどね。ただ『蛍丸』自体はかなり前から実装されてたけど、主さんはどうにも運がなかったというか。だから俺が呼ばれた時は二人共練度が上限まで上がってて、負けたくない。って思ったよね」

 うちには大太刀が一人もいないから分からないけれど、多分、あの審神者はそれなりに戦力を揃えていたのだろう。あるいは育成や進軍が上手かったか。
 あ。でも刀たちを保護した時に『とりわけ優秀ではなかった』と言っていたから、本当に運がなかったんだろうな。私みたいに。

「ただ俺が来た辺りから主さんは可笑しくなってたからさ。皆に比べて主さんと話したことないんだよね」
「え。そうだったんですか?」

 最初の口振りでは結構長い付き合いがあるような感じがしたけど、実際には違ったらしい。蛍丸はどこか自嘲するような、寂しそうな声で当時を振り返る。

「俺が来てすぐの頃は国行と国俊に『よかったな』って話しかけてたから、悪い人じゃないな。と思ったんだ。でも、特がついた頃だったから、大体二ヶ月目ぐらいかな。例の女審神者と知り合ってさ。段々言動が可笑しくなって、気味が悪いな。って思ったんだ」

 それでも蛍丸は『こんなこと思うのは悪いよな』と思い、前向きに受け止めようとしたのだという。だけど――

「前にも話した通り、主さんは占いとか星読みとか、とにかくそういうのにのめり込み始めてさ。進軍とか、俺たちとの会話が疎かになっていったんだ。そりゃあ刀剣男士自体も多くいたから、俺だって毎日話してたわけじゃない。それでも誰かを特別嫌ったりする人じゃなかった。苦手なのかな、と思う刀剣男士は何人かいたけど、喧嘩したり、避けている様子はなかった。ちゃんと皆に、平等に仕事を回してた。だけどさ、あの女と会ってから主さんは変わった。早かったよ。生活の中心が一気にその女になって、皆戸惑ってた」

 後から来たという蛍丸が戸惑う程なのだ。初期からいたメンバーであればその衝撃や困惑は相当なものだっただろう。簡単に言えば私がいきなりグレるみたいなものだ。いや、年齢的にも常識的にもしないけどさ。
 あ、そうだ。癒し系枠の百花さんがいきなりグレたら戸惑うのと一緒だ。そういうことにしておこう。うん。百花さんマジでごめん。
 真面目な話の最中にアホな例え方をして申し訳ないとは思うのだが、自分の中でうまいこと変換しないと親身になって話を聞けないという残念な脳みそなので許して欲しい。
 というわけで改めて蛍丸の話に頷きながらも耳を傾ける。

「本丸に刀が多いとどうしても主さんと話す機会って減るんだよね。だから俺も主さんとの思い出って少なくてさ。国行と国俊から聞いた話の方が圧倒的に多いんだ」
「そうだったんですか……」
「うん。だから、こっちに来てビックリした。土地神様がいらした時も驚いたけど、それ以上に審神者さんと俺たち刀剣男士の距離がすごく近くてさ。だけどお互い尊敬しあってる。それがさ、態度や言葉から伝わってくるんだ。内番してる時もそう。うちの本丸じゃサボってばかりいた鶴丸とか鶯丸とかも割と真面目に参加しててさ。その後審神者さんに会いに行ってはああしたこうした、って話してたでしょ? あれが何か新鮮だなー、って」

 他所の本丸に行くことは度々あるが、確かに内番が終わる頃まで長居したことはない。そもそも他所様の畑とか道場とか厩とか見に行くことがないから、どんな風に内番を行っているのかも分からない。
 それは蛍丸も同じだったようで、別の本丸から刀が来て畑仕事を手伝うのも、野菜を分け合うのも、一緒に縁側に座って茶を飲み、終われば審神者である私に会いに来て雑談するのも見慣れない光景だったという。

「しかもさー、審神者さん、結構普通に俺たち刀剣男士に触るじゃん。ここが特別なのか、うちがそういう本丸だったのかは分からないけど、うちでは鶯丸や三日月なんてそうそう触らせることはなかったよ。別に拒否してたわけじゃないだろうけど、主さんが男だったからなのかな。よく分かんないけど、手や肩に触れる姿も見たことがない。だから、そういう意味でも不思議だな。って思って見てた」

 蛍丸の話は、正直言ってしまえばかなり新鮮だ。男と女で差が出るというより、審神者の性格による違いだろう。あとは本丸の空気とか。だから刀剣男士にどんな違いがあるのか、交流の仕方などは聞かなければ分からない。だからこういう、些細な時間にも違いが滲み出ると知り「面白いなぁ」と思う。

 でも考えてみれば同性に触られるのを嫌がる刀剣男士はいるのかもしれない。実装されている刀を全員顕現させているわけではないから知らないけど、大倶利伽羅や山姥切のように他者との接触を控える傾向にある刀は他にもいるだろうし。
 そう考えると畑仕事の終わりに土で汚れた姿のまま「今日もいい汗をかいた」とか「よう! 終わったぞ!」と報告しに来たり、顔を覗かせる三日月や鶴丸、首にタオルをかけた状態で「今日も働いてきたぞ」とさぼっていないことを告げに来る鶯丸は珍しいのかもしれない。そして、そんな彼らに「お疲れ様」と声をかけ、時には顔や頭についた泥や汗を拭ってあげる私も。

「だけどさ、審神者さん、俺たちに対しては余所余所しいっていうか、壁があるから。嫌われてんのかなー。って思ってた」
「え?! ないです! それは絶対にないです!」

 私が刀剣男士を嫌うとかないない!
 全力で否定すれば、蛍丸はクスリと笑う。その声というか雰囲気が、彼の童顔に似合わぬ大人びた空気でちょっとドキッとしてしまった。でもそんな私に気付かなかったのだろう。蛍丸は明るい声で「分かってる」と告げる。

「そう思ったのは最初だけ。すぐに後藤藤四郎と一緒に『これは他の刀にガードされてるだけだな』って分かった」
「うっ。そ、その節は大変申し訳なく……」
「いいよ。別に。審神者さんが指示してたわけじゃないんでしょ?」
「勿論! そんなアホな指示絶対出しませんよ!」

 何が『これ以上敵を増やしたくない』じゃ! 刀剣男士は皆審神者の味方だというのに、一体何を言っているのか。思い出したら腹立ってきたな?
 腕を組んで「あの野郎共……」と呟けば、蛍丸がケラケラと声を上げて笑いだす。

「あはは! でも、そうしたくなる気持ちもよく分かるよ。だって、審神者さんの霊力はすごく綺麗だから。守りたいんだろうな、って思う」
「そう、でしょうか」
「うん。……この本丸で目を覚ました時、すぐに分かった。俺たちの本丸じゃない、って。でもそれは景色を見て悟ったんじゃなくて、流れる空気で分かったんだ」

 蛍丸が肌で感じた、この本丸に流れる清浄な気。それらは本丸内だけでなく庭園にも及んでおり、探検がてら歩いた場所の隅々にまで行き渡っていたという。普段生活している分には分からないけど、よく別の本丸から遊びに来た刀たちが「良い空気が流れている」と言うのはこのことなのだろうか。
 内心で首を傾けていると、蛍丸は「水も美味しいしねー」と続ける。

「本当なら、俺たちはとっくに斃れてた。あの本丸で瘴気に飲まれてたかもしれないし、他の誰かに助けられても、流れて来る主さんの霊力で苦しんだと思う。でも、この本丸で生活してたらさ、最初は感じてた苦しさも薄くなってきたんだ」
「へ? そうだったんですか?」
「うん。やっぱり、よくない霊力は俺たちの神気と合わないから。でも、ここの空気と清められた水のおかげでかなり抑えられてる。浄化されてるんだ」

 審神者との契約が続行している限り霊力は流れ続ける。だけど供給されてくる一定の霊力に比べ、清められた空気を吸い、水を飲み、それらの空気と水を含んだ畑で育てられた野菜を食べていれば自然と浄化されていく。
 私の血を直接舐めた刀剣男士は特に浄化されるのが早く、今は痛みや胸の苦しみを感じることも殆どないそうだ。

「だから、感謝してるんだ。審神者さんじゃなかったら、きっと俺たちは堕ちてた。他の審神者さんに助けられても同じ。流れて来る霊力が前に比べて酷くなってるのが分かるから」
「そ、それじゃあ、まだどこか苦しいんじゃ……!」

 どこか痛むところがあるのだろうか。あるいは吐気を感じるとか? でも手入れじゃ治らないものをどうすればいいのか分からず焦りそうになるが、蛍丸はすぐに「だーいじょーぶ」と安心させるような声音で宥めてくる。

「言ったでしょ? 浄化されてるから、心配されるほど酷くはないよ。時々「うえっ」とはなるけど、重傷で進軍してた時の方がよっぽど苦しかった」
「そうですか……。でも、しんどかったら仰ってくださいね。どこまで出来るか分かりませんけど、出来る限りのことはしますから」

 気持ちが前のめりになっていたせいだろう。つい自分たちの刀にするように蛍丸の然程大きくもない手をギュッと握り、自身の霊力を流せば蛍丸はビクリ、と体を揺らす。
 そして暫く口を噤んだかと思うと、小さな声で「ずるいよねー……」と諦めたような口調で呟く。

「ずるいって、何がですか?」
「んーん。ここに顕現した刀たちが羨ましいな、って思っただけ。審神者さん、俺たちの主じゃないのに、こんなに良くしてくれるんだもん。神様たちが大事にするの、すごくよく分かる」

 蛍丸は私の手をそっと包んで離すと、再び足を揺らし始める。だけどこの目で視える彼に流れる穢れた霊力は、確かに薄れている気がした。

「そりゃああのおっかない火の神様も『愛し子』って呼ぶよ」
「あうっ」
「それに、陸奥守も。あいつ、刀剣男士の姿してるけど、実際は違うんでしょ?」
「え゛」

 まさか言い当てられるとは思っておらず驚けば、蛍丸は「一回火の神様が殴り込みに来たからバレてるよ」と教えてくれた。そりゃそうですよね!

「はい……。実は、そうなんです」
「ビックリした。最初は気のせいかと思ったんだけど、一人だけ神格が違うからさ。今もうまく隠してはいるけど、分かる奴は分かると思うよ。数珠丸とかすぐに気付いてたし」
「え。そうだったんですか?」
「うん。陸奥守は肯定も否定もしなかったけど、逆にそれが肯定しているようなものだ。って言ってた」
「あー……」

 言い得て妙と言えばいいか。確かにうちの陸奥守はそういう微妙な言い回しで明言を避けるところがある。それを初見で見抜くとは……。流石天下五剣だなぁ。と感服する。
 だけどそれを確信させたのは鳳凰様なので、そこは何とも言い難いところだ。やっぱり火の神様だから一回怒ると止められないんだろうなぁ。

「まあ、一番驚いたのはあの性格だけど」
「あ。やっぱりそうなんですか?」
「うん。すごい落ち着いてるし、皆の事よく見てる。うちにいた陸奥守は、なんていうか……。次郎と一緒に女装してはバカ笑いするような刀だったから」
「すいませんちょっと想像できません」

 基本的に“陸奥守”と言えば陽気で明るい刀であることは共通だとは思うんだけど、え? 次郎太刀と言えばあの太郎太刀さんの兄弟刀で、見た目綺麗なお姉さん枠に見せかけたパワー系酒豪だよね? それと一緒に女装してたの? マジで?
 必死に女装した姿のむっちゃんを想像しようとするけど、ダメだ。うちの陸奥守男前が過ぎて全然女装してくれねえ。むしろ女物の着物でも持って行けば「おまさんのかえ? えいにゃあ! 早う着て見せてくれんか」って言われて部屋に押し込まれて終わる。
 そりゃあ「お願いだから着て欲しい!」と頼み込めば着てくれるかもしれないけど、その前に絶対「おまさん熱でもあるがか。それとも頭打ったかえ」って心配されるに決まってる。最悪即病院に予約入れる未来すら見えるぞ。

 うーんうーん、と唸っていると、再び蛍丸はケラケラと笑って「あれはあれで面白かったよ」と伝えて来る。……正直ちょっと見てみたいかも。女装姿のむっちゃん。

「あとは、他の刀もそうだな。和泉守もぶっきらぼうに見えて案外気遣いが出来るから、うちにいた和泉守より大人びて見えるし、三日月は穏やかで優しい。いつもニコニコしてるよね。うちのも終始笑顔だったけど……。何て言うか、喰えない刀だな。って感じがした。だから『おじいちゃん』って言うよりは『狸爺』って感じがして、苦手だったかなぁ」
「た、たぬきじじい……」
「うん。それに左文字兄弟も大典太も、うちに比べたら明るい。大倶利伽羅と山姥切があんなに話すところも、こっちで見たのが初めてだった」
「あの二人もそうなんですね」
「うん。皆違う。でも、イヤじゃないよ。この本丸ではそうなんだ、って、自然と思える。居心地がいいんだ。ここ」

 蛍丸は揺らしていた足を止めると、月を眺めるように上げていた顔を下げ、こちらに視線を向けてきた。多分、だけど。視線が肌に突き刺さるから、間違ってはいないはず。

「俺さ、審神者さんの力になりたい」
「え」
「この一ヶ月、審神者さんがすごく頑張ってたの、見てたから知ってるよ。人間なのに無茶ばかりして、明日突然死んだらどうしよう、って本気で毎日思ってた。審神者さんの刀たちもきっとそうだよ。毎日何度も水神に祈りを捧げに行ってた。俺たちも祈ったよ。元はと言えば俺たちの主さんのせいなのに、どうして審神者さんばかりこんな目に合うんだろう、って悔しくもなったし、情けなくもなった」
「それは――」

 決して蛍丸のせいでも、彼らの主のせいでもない。だけど不満をぶつけたい相手はもうどこにもおらず、彼らの憤りはどこに向かわせればいいのか。
 悩む私に、蛍丸は「だからさ」と優しくも力強い声で続ける。

「自分たちの主さんの不始末は、俺たちがつけないと。いつまでも守られてばかりってのは、ガラじゃないんだよね」
「蛍丸さん……」
「蛍丸でいいよ。ねえ、審神者さん。俺たちは、まだ今の主さんと契約が続いている状態だから、審神者さんを『主さん』って呼べない。でも、もしもこの件が無事に終わったら――……。俺を、この本丸の“初の大太刀”として迎え入れて欲しい」
「ッ!」

 蛍丸からもたらされた思わぬ一言に瞠目すれば、彼はどこか寂しそうな声で続ける。

「分かるんだ。俺たちの主さん、もう人間には戻れない。本当なら俺たちも終わってた。だけど、今は主さんの霊力より、ここで蓄えられた神気の方が勝ってる。それが寂しくないかと聞かれたら嘘にはなるけど……。それでも、俺は刀剣男士だから。戦いたいんだ。誰かが必要としている場所で、自分を振るいたい」
「蛍丸……」

 彼が「そう呼んで欲しい」と願った通りに名を呼べば、彼はどこか嬉しそうに「うん」と応えてくれる。それが、私にとっても泣きたくなるぐらい嬉しかった。

「今の主さんを簡単に捨てるような奴に見えるかもしれない。でも、俺は審神者さんに恩がある。だから、絶対に、何があっても審神者さんを裏切ったりしない。約束する。俺は、審神者さんの役に立ってみせるよ」
「あ……。で、でも、私は……」

 来派の刀を呼べないかもしれない。彼が慕う明石国行や愛染国俊を呼べないかもしれない。心苦しく思いながらも伝えれば、蛍丸は意外なほどにあっさりと「別にいいよ」と返してきた。

「え!? い、いいんですか?!」
「うん。だって例えこの本丸で会えなくても、他所の本丸で元気にしてる姿が見られたらそれで十分。それに、今の主さんのところで一緒に過ごした思い出もちゃんとあるから。だから気にしないでよ。二人がいないと戦えないほど子供でもないしね」
「は、あははっ。確かに、蛍丸さん、ものすごくお強いですもんね」

 演練で出会った審神者さんたちも、武田さんや柊さんの話を聞いても、出陣させたら高確率で誉を取って来る彼を侮る審神者などいやしない。
 それを思い出してつい吹き出せば、蛍丸はちょっとむくれたような声で抗議してきた。

「だから蛍丸でいーってば。……ま、それは審神者さんと契約した時でもいいか。とにかく、覚えてて! この本丸の初大太刀として予約するから!」
「はい。その時は、よろしくお願いしますね」

 まさかこんな形で初の大太刀が来てくれる予定になるとは思わなかった。
 嬉しさと驚きのあまり笑ってしまうが、蛍丸は気を悪くするどころか「そういうことだから! じゃあね!」と言って駆けて行ってしまった。

「おーの。気持ちのえい男じゃにゃあ」
「むっちゃん。ずっと立ち聞きしてたでしょ」
「おん? ばれちょったか。けんど、しょうがないろう。あそこで割って入ったら『最低の男』ち認定されるがよ」
「あはは! そうかなあ?」

 陸奥守の言い方も可笑しくて笑っていれば、先程まで蛍丸が座っていた場所に陸奥守が腰かけてくる。そしてそっとこちらの頬に手の平を当て、目尻を軽く撫でてきた。

「おまさん、なんぞ視えるようになったがか」
「うん。最後のチャレンジでようやく竜神様とお会い出来てね。その時に、霊力っていうか、流れる“気”っていうのかな。そういうのが視えるようになったんだ」
「……ほうか」

 心配、してくれてるんだろうな。普通なら視えないものが視えているんだから。でも大丈夫。平気だよ。
 そう伝えたくて当てられた手の平に手を重ね、すり寄るように頬を当てればすぐさま抱きしめられた。

「ほいでも、わしは奪われたもんを奪い返す。あげなあやかしい奴らにおまさんの髪の毛一本たりとも渡しはせん」
「……うん。私も、むっちゃんの顔を見られないのはやっぱり寂しい。だから、絶対に奪い返すし、勝つよ」

 あんな他人の人生を弄んで楽しむような輩に負けて堪るか! という気持ちを込めて頷けば、陸奥守は「頼もしい主じゃ」と言って笑った。だから私も「頼りにしてるからね」と伝えたのだが――あることに気付きハッとする。

「って、まだお風呂入ってないから! 離してくださいますぅ?!」
「イヤじゃ。わしがこの一ヶ月どがな気持ちでおったと思いゆう。これ以上おまさんがこんまくなるのは許さんきの」
「小さくなるってなに?! 言うほど小さくなっとらんわ!」
「なっちゅう。もちもちした肌が減っちゅう」
「に゛ゃあーっ! セクハラーッ!!」
「んはははは! 元気じゃのお!」

 これ以上私がやつれなくていいと分かったからだろう。どこか上機嫌な陸奥守にお腹やら腰やらを撫でられ悲鳴を上げるが、悪戯な手が止まることはない。むしろ膝の上に抱き上げられてしまい、ヒクッ、と喉が戦慄く。

「ほうじゃ。わしもこの一ヶ月頑張ったき、ご褒美に一緒に入浴せんか?」
「しません!!!」
「なんじゃあ。現世ではおまさんの方から誘って来たがに。わしからはイヤながか?」
「むっちゃんだって『夫婦になるまでお預け』ち言うたやないか!」
「まははは! 前言撤回、ち言葉もあろう?」
「だから撤回すんなーッ!!」

 ギャアギャアと叫ぶ声が広間にも届いたらしい。和泉守から「うるっせーぞ! イチャイチャすんなら部屋でやれ!」と叱られてしまった。しかもそれに皆が同意したり笑い声を上げるし! あまりの恥ずかしさに「誰か助けろくださーい!」と叫べば、途端に長谷部が「主命とあらば!」と叫びながら転がるようにして広間を飛び出してきた。それを見た瞬間陸奥守は「おーの。邪魔者が来てしもうた」と残念そうに口にしたものの、案外すんなり膝から下ろしてくる。

「陸奥守! 主を襲うとはどういう了見だ!」
「まだ襲うちょらん」
「まだとはどういう意味だ?!」
「本当だよ。隙あらば襲うつもりだったんかい」
「んはははは!」

 べしっ。と逞しい背中を叩くが笑って流される。ほんとこーいうとこあるからなぁ、うちのむっちゃん。食えないというか何というか。

 結局その後は長谷部が陸奥守を叱っている間に着替えを用意し、いつものように手伝いに来てくれた小夜が浴室まで手を引いてくれた。だからのんびりと湯船に浸かり、その間に歌仙が用意してくれたという薄味の卵粥をお風呂上りに自室で摂った。
 広間に行かなかったのはアレだ。恥ずかしかったのと、陸奥守が「今日ぐらい一緒にいさせとうせ」と珍しく素直に甘えて来たからだ。それに負けたからであって別に皆に合わせる顔がなかったからではない。
 ついでに布団に押し倒されてちょっとアレなキスもされたけど、一線を越えなかったからセーフだと思ってる。

 ……セーフだよな?

「むっちゃん最近容赦ないよね……」
「おん? これでも我慢しちゅうが」
「嘘だろ初期刀」
「ほんまじゃ主様」
「ぎえっ」

 ムギュッ。と強く抱きしめられ情けない悲鳴を上げてしまうが、陸奥守は軽く笑った後「ほいたらまた明日の」と言って部屋を出て行った。
 ここで無理に事を進めない辺り優しいというか、大人だなぁ。と思うのだが、それはそれとしてキスの頻度が増えてきているのが何とも言えず恥ずかしい。
 でも明日からはもうこんな無茶をしないし、きっと減るはず!
 そう前向きに考えながらその日は素直に横になったのだが、結局寝る前の「おやすみのキス(時々ヤバイ奴)」が日課に加えられるとはこの時は夢にも思っていなかった。





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