小説
- ナノ -




 ベッドに潜ってからどのくらい経ったのだろうか。いつの間にか寝落ちていたらしく、訳の分からない“夢”の中で目を覚ました。

「……何じゃここ」

 “大地の神様”が守っている実家で眠ったにも関わらず、真っ黒な大きな海のような、湖のような、そんな不気味な場所に漂う一隻の小舟の上に寝転がっていた。
 新品とは言い難い、どこか使い込まれたように感じる木製の小舟に櫂はなく、漕ぎ手もおらず私だけが横たわっている。
 硬い床の上に寝ていた割に夢の中だからか体が痛むことはなく、舟の縁に手を掛けながら起き上がれば周囲はかなり薄暗かった。

「どこかのホラゲーみたいだな……」

 首を巡らせて確認するも、辺り一面には霧のように靄のような、瘴気のようなものが満ちており、とてもじゃないが長居したいとは思わない。
 それに視線の先にはどう見ても本丸にしか見えない、どんよりとした空気を漂わせる薄気味悪い建物がそびえ立っている。

 しっかしこれ、っていうかここ、本当に酷いな。こんなとこ竜神様でも息出来ないんじゃないか?

 ザブッと音を立て、ゆっくりと小舟は進んでいく。漕ぎ手は勿論、風すら吹いていない。それでも舟は本丸に向かって進んでいく。
 鳥居はないが神社のようにも、大きな寺のようにも見える本丸は薄暗く、明かり一つ灯っていない。刀剣男士は誰もいないのだろう。こんのすけもいるかどうか分からない。ならばここにいたはずの審神者はどうなったのだろう? っていうか、そもそもここは一体どこで誰の本丸なんだ?
 疑問は尽きないうえ、次から次へと新しい謎が増えて行く。もういっそのこと全部ぱよえーんって消えてくれないかな……。そしたら頭もスッキリするのに。

 元から考えることが苦手な物理で殴る脳筋タイプのせいか、謎が増えて行く度に頭痛がしそうだ。
 だってどうして実家で寝てたら見知らぬ本丸に辿り着くんだよ。マジで意味分からんわ。

 身を守るものが何もない以上、出来る限り周囲を警戒するしかない。
 だけど現状、周囲を幾ら見渡しても人っ子一人見つからない。そのうえ生き物の気配すらない世界には舟が水を掻き分け進んでいく音しか響いておらず、一層不気味さに拍車がかかっていた。

 うえぇ〜……。マジで誰もいないのかなぁ? 流石に怖いんだが……。

 恐怖故か、ブルリ。と体を震わせている間にも小舟が本丸の入り口前まで辿り着いてしまう。
 正直言って降りたくない。
 だけど櫂がないから自分で漕いでUターンすることも出来ない。というか帰り道すら分からんしな。気付いたらここにいたんだからさ。どうやって目覚めたらええねん。

 頬を引っ張ってみるが目覚める気配はないし、アホみたいに「目覚めよ自分!」と念じてみるけど景色は変わらない。
 つまり、何らかの情報を得ない限り帰れない。ということだろうか。どこの鬼畜ゲーだよ。せめてヒント寄こせや。

「はあ……。もうヤダ……」

 ガックリと肩を落としつつ、舟が止まった場所を改めて見下ろす。
 停船した場所は本丸の入り口だ。ここは波打ち際になっており、黒い水が寄せては返している。一応石造りの階段が見えるから降りても服がびしょ濡れになることはないだろうが、もう一度言おう。降りたくない。
 だってこれが何の水か分からんし、そもそも“ただの水”なのかどうかも怪しい。穢れて汚染されていないとは言い切れないのだ。

 それにここは辺り一面黒というか、濃い紫というか、そういう靄のような霧のような瘴気のようなもので満ち溢れている。そこに満ちている黒い水だぞ? むやみに触れたらどうなるか。分かったものじゃない。そもそもどこからこの水が湧いているのかも分からないのだ。安易に降りて水底に引きずり込まれたら確実に死ぬぞ。
 つーかさ、地味に気になっているんだけど、どうして毎回夢の中では巫女服に身を包んでいるのだろうか。自分は。竜神様が運ぶ時は“神職”扱いになって自動的にこの格好にメイクアップ(?)されるのか? 変身バンクとか用意したつもりもなければ用意されてもねえと思うんだけど。その辺どうなってんだマジで。

「というか、そもそも今回は竜神様が連れて来たかどうかも謎だしなぁ……」

 確かに竜神様は時折夢の中であちこちに連れて行っては事件解決のヒントになるものを見せてくれるけど、その時は『水』が媒介になっていることが多い。
 風呂場でいきなりドボンってされたり、部屋で眠っていても一度あの滝壺に召喚されてからどこかに連れて行かれる。だけど、今回はそれがなかった。だから不安というか、不信感を抱いてしまうのだ。

 “本当にここに連れて来たのは竜神様なのか”と。

 だって眠る前に目にしたのは“人の形をした単眼の何か”だった。陸奥守が燃やしてくれたと小夜は言っていたけれど、ああいうものが束になって干渉してきた可能性もあるのだ。それこそ鬼崎が作った蟲毒の虫たちが夢で追いかけて来たように。
 それに小夜の話では大地の神様は竜神様や鳳凰様とは違い、そこまで力を感じなかったみたいだし。我が家にずっと保管されてはいたけど祀られていたわけではないからな。力が弱まっていても可笑しくはない。だから不意を突かれて侵入を許した可能性は十分ある。

 だとすれば、だ。間違いなくこれは“罠”だ。

 現に一度、『魔のモノ』は竜神様と鳳凰様の目を掻い潜って夢に干渉して来たことがある。あの時は竜神様と鳳凰様が私を助けてくれたけど、今回はどうなるか分からない。
 このまま何もせずじっとしているか、それとも覚悟を決めて進むか。

 停船したまま動かぬ舟の上でじっと佇んでいると、不意に頬を撫でるような風が吹いた。だけどそれは決して気分のいいものではない。むしろ生ぬるく、全身の毛が一斉に逆立つような気味の悪い“視線”に似ていた。

「ッ!」

 でもこんな小さな、精々二人しか乗れないような小舟に隠れるような場所などない。とはいえこのままじっとしてればこちらを探すような“視線”に捕われてしまう。
 ちくしょー……。『進む』しか選択肢はないのか。せめてあと一択はくれよ。何で実質『はい』か『YES』の二択なんだよ。クソゲー扱いにするぞバカやろう。

 舟の縁に手を置き、下を眺める。寄せては返す黒い水。もしも某風の谷みたいに酸で出来てたらどうしよう……。夢だから大丈夫かな……。いや分かんねえな。もしかしたらマジで命取られるかも。
 ドクドクと心臓が素早く脈打つ。陸奥守と触れ合っている時とは違う、嫌な時の鼓動だ。急かすような、命の終わりに向けてカウントダウンをされているような、そんな不穏なものだ。

「……ええい、ままよっ!」

 結局『紐なしバンジーだと思ったら飛べないくせに、死なない高さだったら飛ぶ』とユキちゃんに例えられた通り、舟から飛び降りる。
 途端にバシャッ! と水が音を立てて跳ね返り、巫女服の裾が濡れたけど、酸の海ではなかった。おかげで濡れはしたけれども怪我をすることはなく、急いで本丸の戸を開けて中へと駆け込む。

「うぅ……。怖いよぉ……」

 もーさー! だからさーーー! なんでこんなホラゲーみたいな場所に一人で飛ばされなきゃいけないんだよーーーー!!
 現実世界には小夜がいるのに、夢の中には来られない仕様なの本当どうにかして欲しい。何なんだよマジで。止めてくれ。せめて一振りは護衛としてつけてください。でないと審神者が死ぬぞ。

「はあ、はあ……」

 流石に恐怖故か息が荒くなっている。だけど秋田にも言われたじゃないか。今の私には呼吸だけでも相手に居場所が伝わるかもしれない、って。だからゆっくり、裾を口元に当てて深呼吸を繰り返す。時間を掛けてそっと息を吸い込み、のろのろと吐き出す。
 数度繰り返せば少しは呼吸も落ち着き、改めて本丸の中を見回した。

 見た目はアレだったが、中は思ったより綺麗だ。むしろ水無さんの手により荒らされた百花さんの本丸の方が酷かった。あっちが『ボロ屋敷』ならこっちは『マヨヒガ』だろうか。富を運んでこない方のマヨヒガだけどな。
 それに本丸の外には黒い水が満ちていたが、中までは浸水していない。埃も被っているようには見えないし、棄てられたというよりかは時間が止まっているみたいだ。

 そのままある程度息を潜めて待っていたが、誰かが襲い掛かってくるような気配はない。だから改めて息を吸い込み廊下に足を踏み出せば、途端にギッ、と軋んだ音がした。

 うるっせえな! デブって言うな!! これでもちょっとは痩せたんだからな!!!

 内心で悲鳴を上げた床に対して文句を言っていると、どこかの部屋で空気が揺らいだ気がした。
 でも実際のところは分からない。自分は刀剣男士ではないから索敵なんて出来るはずもないし、百花さんみたいに式神も持っていない。つーかそもそも扱えない。変なものが視えること以外は基本的には一般人(?)なのだ。
 だからせめて武器が欲しい。消火器じゃなくてもいい。バールのような何かをくれ。幽霊だったら無理だけど、刀剣男士なら物理攻撃が効く。『魔のモノ』に関しては知らん。無理だったら死ぬ。それだけだ。

 はあ〜……。マジでむっちゃんか小夜くん迎えに来てくんねえかな……。

 鬼崎に狙われていた時は前田藤四郎が何度も助けに来てくれたけど、今回は誰の助けも望めそうにない。だから一人で頑張るしかないんだけど……。
 せめてさあ! なんかヒントくれよヒント!! ホラゲーでもそれっぽいメモが落ちてたりするじゃん! でもここ何もねえんだよ! めっちゃ綺麗! 埃が積もっていたり、蜘蛛の巣があったら嫌だもんね! キレイが一番! ありがとう! じゃねえんだわ!!

「うぅ……」

 怖い怖いと思うから怖いんだ。そう何度も言い聞かせ、一歩ずつ慎重に廊下を進んでいく。
 いやもうマジで怖いんだが。確かに鬼崎の本丸こと“蟲毒の呪いに満ちた本丸”も怖かったけど、今回はまた別の怖さだ。あっちが“不気味”ならこっちは“異様”とでも言うのだろうか。いや、逆か? ただどちらも『正常な状態ではない』のは確かなので恐ろしさは募るばかりだ。

 あーもう、ヒントがないならせめて灯りをくれ。ホラゲーでも懐中電灯は用意されているぞ。例えそれが山の中だろうと何故か電池切れを起こさない優秀な懐中電灯が用意されているというのに、何で神様の寓居に灯りが一つもねえんだよお! せめて蝋燭頂戴よお! 足元が見えているだけでも奇跡だからなあ?!

 心の中でひたすら騒ぎつつ、それでもどうにか壁に背を当てじりじりと亀の如き遅さで進んでいく。そうしてやっと一番近くにあった部屋へと近付き――ゆっくりと息を吐き出し、天井を見上げた。

 ……もう目覚めたい。誰か起こして……。

 正直泣きたい気持ちでいっぱいだ。何で私ばっかりこんな目に合うんだろう。誰か助けて。
 だけど幾ら願っても念仏を唱えても誰かが助けに来てくれる気配はない。だから諦めて息を吸い込み――最悪の場合を覚悟しながらそっと襖に手をかけ、少しだけ動かした。
 だが中から弓矢が飛んでくることも、誰かが飛び出してくる様子もない。もしや気付いていないのか? それとも本当に誰もいないのか。
 ドキドキしながらそっと上体を傾け中を覗き込めば――中はもぬけの殻だった。

「ふぅ……」

 安心ゆえかドッと疲れが押し寄せて来る。もしここに遡行軍がいたらどうしよう。とも思っていたから、本当によかった。
 ほっと一息ついたあと、誰もいない部屋へと足を踏み入れる。だけどここにどの刀剣男士がいたのかは分からない。それでも確かに“誰か”が使っていた形跡はある。

 文机に、木製の書類ケース。座椅子のクッションはへこんでおり、新品には見えない。そっと開けた押し入れには二組の布団が納められていたものの、衣装ケースの中身は空っぽだった。
 内番着も軽装も入っていない。当然ながら甲冑もない。まだ建てられてすぐの本丸だったとしても内番着ぐらいは残っていそうだが……。処分してしまったのだろうか。
 よく分からないが、部屋の隅々を探してもこれといった何かを見つけることは出来なかった。
 そのため文机の上に置かれていた書類ケースの引き出しを開けてみたのだが、文房具すら入っていない、完全な空箱だった。

「せめてヒントくれやあ……」

 ホラゲーなら何か一枚ぐらいメモか日記の切れ端ぐらい入ってるところだぞ……。
 再び肩を落としながら引き出しを閉じれば、どこかから『カタン』と音がする。

「………………」

 ねえねえねえ。本当マジでイヤなんだけどさ。あのさ、だってさ、ほら。狭間くん助けに行った時もさ、審神者の部屋から変な音したじゃん? あれ思い出すんだよ。それにさ、水無さんの時も襖に竜神様の爪ブッ刺したら血がブッシャアーッって飛び散ったわけじゃん? 怖いのよ。襖開けんの。
 もう何なの? 幸運アイテムがあるように自分にとって襖はロクでもねえものに関する象徴か何かなの?
 心底うんざりしつつも部屋の中をウロウロと動き回り――結局廊下に出た。

 言うてどこから音聞こえて来たのか分かんないしな。襖関係ないかもしれんし。とりあえず進も。

 肝が据わって来たというよりもほぼ諦めの境地に片足を突っ込みつつ、隣の部屋へと向かう。そこも緊張しつつ開けたが誰もおらず、中も先程の部屋同様何も残されていなかった。
 まだ二部屋しか調べていないけど、他の部屋も同じ状況だったらどうしよう。もういっそのこと審神者の執務室に向かった方が早いのかもしれない。
 そんなことを考えている時だった。

 ――ギッ。

 廊下が軋み声を上げる。
 でも、今私がいるのは廊下ではない。畳の敷かれた部屋の中だ。ドッドッドッ、と再び耳のすぐ近くで忙しなく鼓動が爆音を奏で始める。
 頼む。マジでお願いだから待ってくれ。今本当丸腰なんだって。伝家の宝刀エクス火器バーすらないこの部屋で、完全な丸腰の女が一人。相手は未だに姿が見えないものの、刀剣男士もしくは遡行軍、もしくは全く別の何かかもしれないけど何かがいること自体は確定だ。
 どうする。隠れるか?

 先程探索する時に開けた押し入れには余白がある。そこに身を潜めればやり過ごせるかもしれない。
 でも相手が誰なのか確認した方がいいのだろうか? でも丸腰の時点でそれはリスクが高すぎる?
 悩んでいる間にもギッ、ギッ、と廊下の軋み声は近付いて来る。

 ああもう!

 悩んでいる暇はないと押し入れに潜り込み、極力静かに襖を閉める。それでもほんの少しだけ、見えるか見えないかギリギリのところで閉めきらずに開けておく。だって明かりもない薄暗い本丸の中だ。夜目が利かない相手ならこちらの存在には気付かないはず。
 だから息を止めた時に苦しくならないよう今のうちに深呼吸をし、出来るだけ緊張を解こうと試みる。だけど音が近付くごとに心臓の音は忙しくなり、もう深く息を吸い込むことすら出来ず両手で口元を覆う。

 ブルブルと両手が震えているのは、結局のところ自分には戦う術がないからだ。
 実を言うと、二度も怪異に巻き込まれたから一度まともに剣道でも習ってみようかと竹刀を手に取ったことがある。だけど普段触らないせいかすぐに手の皮が剥けてしまい、過保護な刀たちから「やめろ」と言われてしまったのだ。
 とはいえ一度きりで諦める私ではない。その後も治ってはこっそり隠れて竹刀を握って素振りをしてみたのだが、握り方が悪いのか私の手の平が弱いのか。毎度血塗れになってしまい、遂には陸奥守と小夜から叱られてしまった。
 何でも私の血には神気が混ざっているため、拭き取ってもすぐに分かるそうだ。だから竹刀に残っていた血の香りと神気ですぐさま皆にバレてしまい、全員から大なり小なりお小言を貰ってしまった。

 だから結局戦う術も心得もないままこういうところに放り込まれると無力さをヒシヒシと感じてしまう。
 それでもどうにか今回も悪運が働かないかな、と願いを込めて息を止めていると、廊下を歩く足音が止まった。

「………………」

 刀剣男士でもなければ訓練された忍でも暗殺者でもない。消しきれていない気配を察したのか、それともその場で消えたのか。
 止んだ足音の持ち主が何をしているのか分からず息を潜めていると、軽い音を立てて襖が開けられる音がした。

 ぐえーっ!! どうしよう!! 入ってきちゃったよ!!!

 相手が誰なのか分からないのに入って来られて、これはもう『THE・END』へのカウントダウン待ったなしですよ!!
 私の人生ここで終わるの?! 終わったとしてもここから竜神様の元に行けるのか?!

 あらゆる不安とこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡りそうになった瞬間――

「はあ……。やっと見つけたぜよ」
「…………へ?」

 心底『安心した』と言わんばかりの声が降って来て、俯かせていた顔を上げれば、そこには“私の陸奥守”が立っていた。

「むっちゃん……?」
「おん。おまさんの“むっちゃん”じゃ。よう頑張ったの」
「うぇ……」

 畳に膝をつき、片手を伸ばしてくる陸奥守の手が力の入らない腕を掴んで引き寄せて来る。
 安心したせいか、それとも恐怖で力が入らないのか。どちらにせよズルリと押し入れの中から引きずり出された私は陸奥守の腕の中にギュッと閉じ込められ――ドバっと涙が溢れてきた。

「うえぇぇ……! 怖かったよぉ……!」
「おうおう。そうやろうそうやろう。おまさんはわしらと違うて戦えんき、怖くて当然じゃ。よう頑張ったね」
「うぅぅ……」

 素面だったら「ふええん、怖かったよぉう」なんて死んでも口にしたくはないが、こんな状況ではぽろっと出てきてしまった。いやだってマジでめっちゃ怖かったんだもんよ。今回は本当に「もうダメかもしれない」と思っていただけに安心感がやばい。
 だからついつい縋りついてしまったのだが、陸奥守は何度も優しく背を叩き、撫でてくれた。

「うっ、うっ、で、でも、なんで、むっちゃんがここに?」
「ん? おーの。話せば長くなるけんど、簡単に言うたらおまさんの夢にわしがせせりこんじょる状態じゃ」
「せせり……?」
「おん? ああ、すまんの。“入りこんじゅう”ち意味じゃ」

 久々に出た『意味がパッと分からない土佐弁』に首を傾ければ、こちらにも分かるよう訂正してくれる。
 おかげで理解出来たけど、やっぱりコレ、夢の中で間違いないんだ。感覚がリアルだからもしかしたら現実世界で拉致られた可能性もあるんじゃないかと思っていただけに、ちょっとだけ安堵する。
 だけど安心できる状態ではないらしく、すぐさま陸奥守から「主」と硬い声で呼びかけられる。

「分かっちゅうとは思うけんど、ここは危険じゃ。現世では小夜がわしらを守ってくれちゅうが、長居は出来ん」
「うん。でも、帰り方が分からなくて……」

 というか、いつもそうなのだが、一方的に連れて来られるばかりで帰り方がまったく分からないのだ。どうすれば目覚めるのか。どうすればここから出られるのか。分からずに頭を下げれば、陸奥守の手が再度優しく背中を叩いた。

「わしもざっとしか見ちょらんけんど、ここに刀剣男士はおらん。やき、手掛かりがあるとしたら審神者の部屋じゃ」
「……分かった」

 また審神者の部屋か。でも本丸に関する殆どの情報、権限は審神者の部屋にある。ゲートを操作するための端末であったり、緊急時に救援要請を飛ばすための装置があるのも、全て審神者の部屋だ。
 だから陸奥守に手を借りながら立ち上がり、その背に守られながら本丸の廊下を二人で進んでいく。

「ねえ、むっちゃん」
「おん?」
「この本丸に充満している霧みたいなのって、やっぱり瘴気かな?」

 狭間くんが飛ばされた元ブラック本丸でも同じような霧のような瘴気が立ち込めていた。だからその類かと思い尋ねれば、陸奥守は周囲を確認しつつも「そうとも限らん」と答えて来る。

「瘴気ち言えばそうかもしれんけんど、他にも色々混ざっちゅうみたいやき」
「混ざる? 何が?」

 何かあれば自分の目で何か“視”えたはずなんだけど、今回は何も視えなかった。とはいえ私の体はまだ人間のままだ。魂のように神格化しつつあるわけではない。だから元より神様である陸奥守にしか見えないものがあってもおかしくはないのだ。
 そう考えたからこそ何が混ざっているのか問い掛けると、陸奥守は後方を確認するようにこちらと背後に視線を巡らせてから口を開いた。

「“残留思念”、ち言えばえいろうか。色んな、人や他の生き物の無念や疑問、その手の類が混ざっちゅう気がするんじゃ」
「残留思念……」

 それこそ何か視えそうなものだけど、逆にありすぎて視えないのか、それとも竜神様が弾いているのか。もしくは視えるほどの強い思念ではないのかもしれない。
 だけど体にいいものでないことは確かなので、一刻でも早く目覚める必要はあった。

「ここじゃな」
「うん」

 辿り着いたのは本丸の最奥に位置する審神者用の執務室だ。本丸によって執務室の位置は異なったりするのだが、それは審神者が自身の手で改造した時に限る。基本的に本丸を建てた時の執務室の位置は最奥と決まっているのだ。
 だから辿り着いた部屋の前で陸奥守は気配を探るように口を閉ざし――それからそっと襖に手をかけた。だけど次の瞬間には陸奥守は私を抱えて背後に飛び退き、すぐさま発砲した。


『ア゛ア゛アアア!!!』
「ッ!!」


 ドチャッ、と濡れた音を立てて襖を押し倒し、中から出てきたのはヘドロのようなものに塗れた“何か”だった。
 顔も性別も分からない。水の中で聞こえる歪んだ声のような、機械で声を弄ったような奇妙な声音が悲鳴を上げてのたうち回る。

「まっことおよけない奴じゃのお! 遡行軍の方がまだ可愛げがあるぜよ!」

 およけない、は確か『気持ち悪い』みたいな意味だった気がする。陸奥守と二人暮らし時代に土佐弁翻訳アプリで検索した記憶がある。ってことは、だ。今は私に分かるよう標準語に置き換える余裕がないのかもしれない。普段であれば『気持ち悪い奴じゃの』って言うから。
 出来る限り陸奥守の邪魔にならないよう大人しくしていると、銃弾を受けた謎の物体Xはグチャグチャと粘着質な泥のようなものを全身に纏わりつかせたまま『ウウウ』と唸り声を上げる。

『ア゛ア゛……ズ、ゲ、デ……』
「?」

 グチャッ、と磨かれた床の上に泥がぶつかる音と共に、何か聞こえてくる。一瞬何を言っているのか分からず御簾の奥で顔を顰めていると、その謎の物体Xはドロドロと今にも溶けそうな顔を――それこそ泣いているかのように――波打たせながら『ダズゲデ』と口にした。

「助けて……?」
「主、聞きな」
「でも、」
「ダメじゃ。付け込まれたら終いじゃ」

 ――付け込まれる。
 確かにその可能性がないとは言えない。でも、この得体のしれない“何か”は、この状況から抜け出したくて藻掻いているようにしか見えない。ああ、でも、これが敵の策略、演技だったらと思うと混乱して来る。一体どうすればいいのだろう。
 そんなことを考えていると、ズルズルと這うようにしてこちらに近付いていた“何か”の足を、別の黒い“何か”が掴んだ。

『ア゛ア゛ア゛アァァ!!!!』
「?!」
「主ッ!」

 陸奥守が再び私を抱えて間合いを取るように下がっていく。だが新たに現われた“黒い手”は、私たちを追いかけるどころか悲鳴を上げる謎の物体Xを部屋へと引きずり戻していく。

『ア゛ア゛ア゛アア!!!! イ゛ヤダ、ダズゲデ……!!』

 謎の物体Xは必死に藻掻いて“黒い手”に抗うが、そんな抵抗をものともせず“黒い手”はものすごい力で部屋の中へと引きずり込んでいく。
 その一種異様な光景に慄いていたが、ふとこれと同じようなものをどこかで見た気がして恐怖が一瞬飛ぶ。そして、そのおかげで気付くことが出来た。


 ――これは、タクシーが消えた時に“視”た記憶と一緒だ。


 真っ黒な、闇のようなものの中に消えていく一台のタクシー。
 確かにタクシーは自分から突っ込んで行った形ではあったけど、あの時の黒い闇と謎の物体Xを引きずり込む“黒い手”はよく似ている気がする。
 だから、つい叫んでしまった。

 ――小鳥遊さん、と。

 だけどその声に応えたのは彼女ではなかった。

 ズルリ、と引きずり込まれていった彼女の代わりに部屋から現れたのは、一匹の“黒いこんのすけ”だった。

「黒い、こんのすけ……?」
「………………」

 真っ黒な体に、本丸中に漂う瘴気と同じような深紫色の模様を刻んだその“黒いこんのすけ”は、狐ではなく“人”のように“ニチャリ”と笑みを浮かべた。

「ッ!!」

 怖気を感じて息を飲む私とは反対に、陸奥守は握っていた拳銃の銃口をこんのすけに向けてすかさず発砲する。その際私の耳をしっかりと塞いでくれてはいたけど、その音は大きく鼓膜がキーンとなる。
 だけど“黒いこんのすけ”は放たれた銃弾に撃ち抜かれてもその場から吹き飛ぶことなく、ただ姿形を変えるようにグネグネと蠢く。陸奥守はその後数発銃弾を撃ち込んだが、結局“黒いこんのすけ”は音もなく霧散した。

「……なに、今の……」

 倒したのかどうかも定かではない中、呆然とした声が静まり返った廊下に響く。だけど困惑が治まる前にドンッ、と地面が揺れ、本丸の中に黒い水が大量に流れ込んできた。

「主! こっちじゃ!」
「うっ……!」

 謎の黒い影と、恐らく小鳥遊さんであろう謎の物体Xが消えた審神者の部屋に突入するのはあまりにも無謀すぎる。そう考えたのか、陸奥守は私の手を引くと本丸の裏口へと続く非常口を引き抜いた刀身で壊し飛び出すが――突然視界が真っ赤に燃えた。

「うわっ?!」

 ゴウッ! と音を立てて炎が襲い掛かって来る。だけど、これは鳳凰様の火ではない。もっと無機質で、無情なものだ。
 それに驚いたものの、特に衣服に燃え移った様子はない。それに安堵したのはいいが、目の前にいたはずの陸奥守の姿がいなくなっている。この一瞬でどこに消えたというのか。訳が分からず首を巡らせるが、本来ならば本丸の裏口、裏庭へと続いているはずの道すらない。完全に見知らぬ建物の中に立っていた。

「むっちゃん! どこ?!」

 ここがあの本丸の延長なのか、それともまた別の夢、世界に介入しているのか。分からないけど早く出ないとマズイことだけは本能的に分かる。どこかに出口はないのか。必死に周囲を見回っていると、一振りの刀が大事に納められているのが目に入った。

「……あれは……“陸奥守、吉行”?」

 普段目にしている刀とは拵えが違うように見えるが、何となく「陸奥守かな」と思い近付いてみる。とはいえ刀剣博士じゃあるまいし、ぱっと見で「This is a 陸奥守吉行!」とは断言出来ない。だけどこんなところに放置していれば燃えてしまう。
 日頃刀剣男士と暮らしているせいか、どうにも刀に対し甘くなっている気がする。それでも周囲に焼失する物が沢山ある中、どれを手に取るかと聞かれたら真っ先に刀を選ぶ。それぐらい、自分の中で彼らは大きな存在になっていた。

「づぅ……!?」

 だけど周囲が火に包まれているせいか、手に取った刀は鞘に包まれていると言うのにめちゃくちゃ熱い。反射で一瞬手を離しそうになったが、ここで離したらもう二度とこの刀に触れられない気がして、気合と根性で無理矢理掴んで引き上げる。

「むっちゃん! 一緒に帰るよ!!」

 ここがどこかなんて分からない。夢の中なのか、それとも“陸奥守吉行”の記憶なのかも定かではない。もしかしたらあの“黒いこんのすけ”や“黒い水”が見せている幻覚なのかもしれない。
 それでもこの刀を手放すものかと両手でしっかり握りしめる。途端にジュウッ、と音を立てて肉と皮が焼ける音がしたが、歯を食いしばって襲い掛かって来る激痛と熱に耐えた。

「はっ……! こんなもん、なんちゃあない……!」

 いつも陸奥守が口にするように、鳳凰様が教えてくれた“まことの言葉”の力を借りるように、己を鼓舞して周囲に視線を走らせる。
 だけど炎は収まるどころかより一層勢いを増して辺りを飲み込み、次々と形あるものを飲み込み、焼いては溶かしていく。

 このままじゃマジで死ぬかも。

 どうにか脱出出来ないかと壁に視線を走らせるが、どこにも戸口らしきものはない。窓も真っ赤な炎と黒い煙が立ち込めるせいでどこにあるのかが分からず、肺が焼かれるような熱気に思わず噎せる。

「このクソ……!! 負けるかボケエ!!」

 確かに私は何にも出来ないダメ審神者だけどなあ! 竹刀もまともに触れないし、手の皮すぐに剥けちゃって血塗れになって皆から「何やってんだ!」って叱られたどうしようもない審神者だけどなあ!
 刀を放り出して、見捨てて逃げるような主にだけはなるつもりは微塵もないんだよ!!

「死ぬなら一緒に焼け死ぬっつーの!!!」

 ガンガンとようやく見つけた戸口らしき場所を蹴りつけるが、ビクともしないどころか軋み声すら上げやしない。
 さっきの本丸みたいにギィギィ鳴けやクソ!! わしの体重足りとるじゃろがい!!

「ああもう……! むっちゃんごめん!! 後で怒っていいから!!」

 両手で握りしめていた“陸奥守吉行”を鞘から引き抜き、やっぱり普段とは違い“反り”がある刀身を戸口に向かって突き刺す。
 その際引き抜いた鞘は袴のウエスト部分に突っ込んだ。だって捨てて行くわけにはいかないだろう。この鞘も含めて“陸奥守吉行”なんだから。もう二度と、夢だろうが幻覚だろうが“焼失”なんてさせない。

 だけど意志だけあっても体の方が追い付かない。煙を吸い過ぎたのか、それともさっきの本丸で長居しすぎたのか。咳が出始め、胸も苦しくなってくる。視界は滲むしぐらつくし、正直今すぐにでもぶっ倒れて横になりたい。
 でも、諦めたくない。もう二度とむっちゃんを炎の中に閉じ込めたくない。一人にしたくない。肥前さんも南海さんも呼べていない身だからこそ、私が“最初に選んだ”刀だからこそ、何が起きても最期まで一緒にいたかった。

「ぐんぬぬぬぬ……!」

 ジリジリと柄を握る手が焼けて行く。もしかしたらもう皮膚と肉が溶けて柄にくっついているかもしれない。汚いだろうな。ごめんね、むっちゃん。でも、絶対離してやらねえから。

「神様仏様竜神様ーーーッ!!! 誰か助けてゲボハア?!」

 全体重を掛けて刀身を戸口に突き立て、最後の悪足掻きとばかりに叫べば、途端に戸口の向こう側から勢いよく水が流れ込んでくる。
 だけど今度は“黒い水”ではなく、いつも私を迎えに来てくれる“竜神様”の『水』だった。そして目の前には、驚いたように目を見開いた陸奥守が浮いており、何か話しかけようと口を開ける。
 でもここは夢だろうが幻覚だろうが“水の中”だ。付喪神であろうと話せるはずがなく、ガボッ、と大きく気泡が漏れて陸奥守は咄嗟に口を両手で塞ぐ。それが何だか可笑しくて笑いそうになったが、慣れている私とは違い陸奥守は半ばパニックになっていることだろう。
 だから竜神様に引き離される前に陸奥守の顔を両手で掴んで引き寄せると、そのまま口付けて僅かに残っていた空気を陸奥守の口内に移した。

 ゴボッ、と隙間なく重ねたはずの唇の隙間から気泡が漏れて行く。それに気付いたのかどうかは分からないけれど、陸奥守がしっかりとこちらの体を抱き寄せ頭を支えてくれる。

 あー……。今回もめっちゃ頑張ったな、私……。それに、今回はちゃんとむっちゃんが助けに来てくれた。竜神様も迎えに来てくれた。だったらもう、心配しなくていいかぁ……。

 酸素を与えたせいか、それとももう限界だったのか。全身の力が抜けると同時に意識が遠くなり、焦ったようにこちらを見つめる陸奥守を視界に入れながら瞼を下ろした。
 きっと竜神様が元の世界に戻してくれると信じて。



 ◇ ◇ ◇



 ――……じ……るじ…………。

 誰かに全身を揺すられる感覚と、必死に呼びかける声が意識を肉体に定着させていく。そうして次第に大きくなっていく声に導かれるようにして瞼を押し上げれば――必死の形相でこちらを見下ろす小夜の顔が目に入った。

「……さよ……くん……?」
「主! よかった……!」

 心底安堵したのだろう。眉間に皺を寄せつつもほっと息を吐き出す小夜を見て「あー……。帰って来れたんだなぁ」とまだぼんやりとする頭で考える。すると、どうやら隣で寝ていたらしい。陸奥守が勢いよく上体を起こし、こちらの存在を確かめるように馬乗りになってきた。

「うおっ。むっちゃんどし――」

 どしたん。といつものように聞こうと思ったけど、出来なかった。いつも頼りになる陸奥守が、私の“初期刀”が、今にも泣きそうな顔で私を見下ろしていたから。
 いつも人を甘やかし、気遣い、時に揶揄う柔らかい唇もわなわなと震え、頬に触れた手は指先まで冷たくなっている。

 なにがそんなに不安なんだろう? 私たちはちゃんと“戻って来れた”のに。

 意味が分からず首を傾け、いつものように「むっちゃん?」と呼びかけながらその強張った顔に手を伸ばす。出陣やら畑仕事やらで日に焼けた働き者の肌に指が触れた途端、陸奥守は上体を曲げて噛みつくように口付けてきた。

「んむっ?!」

 突然のことに驚きはしたものの、乱暴に唇を重ねられたわけではない。むしろ存在を確かめるように、あるいは夢の中の延長のようにこちらの頬をしっかりと大きな手で包み込み、優しく吸い付いて来る。

「ぷあっ、ちょっ、むっ、んんっ」

 しかもいつかのように一回で終わることなく、何度も何度も角度を変えては口付けられ、目の前がグルグルと回って行く心地に襲われる。
 全力ティーカップ再来だよ!! 本当何なの?! どうした一体! 大丈夫?!

「はあっ、はあっ、ちょ、ほんとに待って!」

 ちゅっ、と音を立てて離れた一瞬の隙を突き、ぐっと両手を胸板に置いて「待った」をかければようやく口付けの嵐が止まる。だけど今度は胸板に置いていた手を捕まれベッドに縫い付けられたかと思うと、そのまま覆い被さり苦しいほどの力加減で抱きしめられた。

「主……!」
「お、おう。どしたん」

 まるで泣きだす寸前の子供のような背中を優しく叩けば、何度も「主」と呼ばれる。だからその度に「本当にどうしたんだろう」と思いながら「はい」とか「うん」とか答えていると、ようやく落ち着いてきたのだろう。耳元で「あげな無茶して……!」と震える声で叱られる。

「いや、無茶って言われても……」

 ぶっちゃけ不可抗力じゃない? あの変な本丸に飛ばされたのは。
 多分だけど竜神様が運んだとは思えないからそう答えたのに、すぐさま「そっちじゃのうて」と否定される。だから「他に何かあったっけ?」と返せば、一層陸奥守の抱きしめる腕に力が込められた。

「こんのべこが……! 竜神様が助けに来てくれざったらおんしは……!」

 震える声で紡がれる――まさに『血を吐くような』声音でやっと陸奥守の言いたいことを理解する。
 ……どうしたもんか。本当にこの初期刀様は――私の大切で可愛い恋人様は、心底優しくて過保護で困る。

「あの時言った言葉は、嘘じゃないよ」
「ッ!」
「私、あなたたちに嘘つかないって決めてるの、知ってるでしょ?」

 可哀想なほどに強張っている背中を、宥めるように何度も叩く。いつも陸奥守が私にしてくれているように。優しく、だけど気持ちがちゃんと伝わるように。撫でて、叩いて、言葉を紡いでいく。

「本当にそう思ったから言ったんだよ。あなたをあの中に置いて行きたくはなかったし、離したくもなかった。だから、焼けたなら、その時は一緒に焼けてしまおうって、そう思ったんだよ」

 焼けるのも、死ぬのも、本当はイヤだし怖い。だけどあそこに陸奥守を一人きりにして、自分だけ逃げ帰る方がイヤだった。だって、もう陸奥守は一度“焼けてしまっている”身だ。あんなの、もう二度と経験しなくていい。

「痛いのも、熱いのも、むっちゃんだってイヤでしょ? でもね、一人で死ぬ方がずっとずっと寂しくて悲しいから、今度は私が一緒なら、少しはマシかなぁ、って」

 行きつく先が同じだとは限らない。むしろ違うに決まっている。それでも最後の最期まで、“私の”愛刀である“陸奥守吉行”を手離したくはなかった。

「でも、やっぱり焼け死ぬのはイヤだよねぇ。竜神様が助けに来てくれた時、めーっちゃ安心したもん」

 意識が落ちる寸前、陸奥守の背後でゆらり、と大きな鱗を持つ体が揺れた気がした。だから「もう安心だ」と思って気兼ねなく意識を飛ばしたわけだが、陸奥守はもう一度「べこのかあ……」と泣きそうな声で呟いた。
 だから力の入らない指先で何度も背中を撫でていると、ふとあの時焼けた手の平が気になり掲げてみる。だけどそこにはいつも通りの柔らかい手の平が広がっていて、火傷の痕すらついていなかった。

「なんか、もったいないね。いっそのこと火傷の一つでも残ってたらよかったのに」

 そしたら、あなたを手離さなかった証明になるのになぁ。と考えたのだが、顔を上げた陸奥守からもう一度「こんのべこのか」と叱られてしまった。
 だけど『バカ野郎』と罵って来る割にその顔は泣きそうなままだし、目は赤いしで、正直迫力に欠ける。むしろ自分でも笑いそうになるほど愛おしくて――というか実際に笑ってしまえば、すぐさま両手を取られ、そこに頬を当てて来た。

「……おまさんの体に、焼け痕なんぞついたら、死んでも死に切れん」
「大袈裟ぁ」
「大袈裟やない。大袈裟じゃないぜよ……」

 あ。ほんとに泣くかも。
 そのぐらい声を震わせる姿に、心配よりも愛しさを感じてしまうのはどうしてだろうか。だから引き寄せられ、頬に当てられたままの指先を少しだけ動かして、血の気が引いて冷たくなっている肌をそっと撫でた。

「――大丈夫だよ」

 なにが。と聞かれたら正直よく分からない。火傷をしていなかったこともそうだし、助けに来てくれたから命は無事だよ。と伝える意味もあったのかもしれない。自分でもよく分からないまま紡いだ言葉は――それでも陸奥守にちゃんと届いたらしい。
 震える唇は「本当にどうしようもない」と言わんばかりに湿った吐息を零し、何かを諦めたような、説得することを諦めたような笑みを浮かべた。

「おまさんには、敵わんちゃ」
「嘘ばっかり。私よりむっちゃんの方が強いじゃん」
「そういうことがやない。……ほんに、しょうことがない人じゃ」

 涙は結局零れなかったけれど、それでも目尻にキラキラとしたものが残っている。それを「綺麗だなぁ」なんて思いながら拭ってやると、途端に陸奥守が抱き着いてきた。

「ぐえっ」

 まるで大型犬だ。でも大型犬も慣れたら可愛いんだよね。
 竜神様の“水”で清められたおかげでどこにも不快感はないけれど、それはそれとしてお互い汗だくになっている。だから正直言うと自分の臭いとか気になるんだけど、ぶっちゃけ夢で大変な目にあったせいか妙に体がだるい。だからもう諦めて受け入れていると、ずっと傍に立って見守ってくれていた小夜が「主」と声をかけてきた。

「もう変な奴らは襲ってこないと思うから、少し眠るといいよ」
「え? もしかしてこの部屋にもなんか集まってたの?」
「その件についてはまた後で話すから、今は眠って」

 労わるような声音に頷きそうになったけど、すぐに腕を動かし枕元に置いていたスマホを手に取る。時刻は六時前。カーテンの向こうからは夜明けを知らせる橙色の明かりが僅かに零れており、少なくともあと一時間は寝れるな。と考える。

「じゃあ小夜くんも一緒に寝ようよ」
「いや。僕は――」
「むっちゃん。ちょっと詰めて」
「ん」
「はい、小夜くんはこっちね」
「うわっ」

 こちらにしがみつくように抱き着いていた恋人の背を叩き横にずれるよう促せば、すぐさま体を起こして壁際にずれてくれる。だから困惑している小夜の手を引きよせれば、小夜はベッドに片膝をついた状態で溜息を零した。

「主、幾ら何でも三人で眠るのは無理だよ……」
「いけるいける。私が小夜くんをギュッとすれば問題なし」
「問題しかないよ……」

 ほらほら。と手招きするものの、小夜は「ダメ」と首を横に振る。だけどそんな押し問答に飽きたのか、後ろからこちらを抱きしめていた陸奥守が小夜をベッドに引きずり込んだ。

「む、陸奥守さん?!」
「もう三人で寝たらえい。わしもだれた」

 流石に陸奥守も疲れたらしい。そりゃそうだよね。ただでさえ今日は近侍もして、夜はパトロールして、そのうえ私の夢にまで介入して助けてくれて、最後にあの火事だ。肉体的にも精神的にも疲れていておかしくない。
 小夜だって畑仕事をしていたのだ。一晩中何かから私を守っていたなら相応に疲れているはず。だから少しでも休もうと陸奥守が引きこんだ小夜を抱きしめ笑いかければ、小夜は諦めたように嘆息した。

「本当、今日来たのが僕でよかったよ……」
「まっことまっこと」
「何さ。どういう意味だよ」

 胸元に抱き込んだ小夜の頭を撫でつつ問い掛けるも、二人からはこれといった返事はない。むしろどちらからもギュウと抱きしめられ、ちょっと苦しいぐらいだった。

「……てかさー、こうしてるとマジで“家族”になったみたいだよねー。お父さんがむっちゃんで、お母さんが私。で、息子の小夜くん。みたいな」

 こんな状態になっていたからだろう。まだ私が幼い頃、家族四人で川の字になって眠っていた。その時の記憶が蘇って何気なく口にしたのだが、途端に二人は口を噤んでから溜息を零した。

「どうしよう、お父さん。お母さんが無自覚すぎて僕は心配だよ」
「おーの。おとうもおんなし気持ちじゃ」
「なんじゃい。さっきから。失礼やぞ」

 うりうりと後ろにいる“お父さん”に後頭部を押し付ければ、仕返しのように後頭部に額を押し付けグリグリとドリルされてしまった。うっそやろ。仕返しされるとは思ってなかったわ。

「ふふふっ」

 しかもそれがくすぐったくて笑えば、伝わる振動がくすぐったかったのか、珍しく小夜もクスクスと笑う。それが伝染したように陸奥守も「んはははっ」といつものように快活な笑い声を上げ、眠るどころではなくなってしまった。

「あーもー、これじゃあ寝れんじゃにゃあか!」
「ん〜、土佐弁以外の言葉が混ざっちゅうね」
「え? 嘘。今私どこの言葉使ったん?」
「知らん」
「フフッ」

 中身があるようでない。そんなくだらない会話をしているうちにトロトロとした眠気が襲ってくる。それは二人も同じようで、お互いの言葉が次第に間延びし始める。そうしていつの間にか三人で眠りについており――アラームが鳴るまでの間、夢を見ることなくぐっすりと眠った。

 だけど起きた時に服が寝汗で湿っていることに気付き、シャワー浴びるか。と小夜を膝に乗せたまま考える。その際横に腰かけていた陸奥守を見れば、彼も似たような状態だ。小夜も戦った後ならサッパリしたいだろう。
 なので二人に「お風呂入る?」と聞けば、何だかんだ言ってお風呂好きの二人は「出来れば」と頷いた。

「じゃあ用意して来るから、ちょっと待ってて」
「おう。すまんの」
「ありがとう、主」
「いえいえ。どういたしまして」

 だけどここでふと悪戯心が顔を擡げ――部屋を出る前ににんまりとした笑みを浮かべながら振り返る。

「折角だから三人で一緒に浴びる? なーんて、」

 ね。と続けようとしたのだが。思ったよりもマジな顔で陸奥守に見つめられ、一瞬息が止まった。

「……本気にしてえいなら、わしは断らんぞ」
「すみません冗談です」
「ほーか」

 あっさり頷いてくれたから「あ、意外と大丈夫だったのかも」とほっとしたが、いつの間に近付いていたのか。ドアノブに掛けた手を上から抑えられ、グッと背中に熱い体が当てられる。それにギクリとする間にも、陸奥守は“全然大丈夫じゃない”熱の籠った声で囁いた。

「一緒に入るがは、夫婦になるまでお預けじゃ。えいな?」
「うい……」

 夫婦になることは確定なんですかそうですかっていうかこれプロポーズになるんですかね私なんて答えたらいいの教えて偉い人。
 もうあまりにもいっぱいいっぱいで返事もロクなものにならなかったが、それでも逆上せたような頭で頷くと火傷しそうなほどに熱い体が離れて行った。

 正直その後どうやって部屋を出たのか記憶はないし、朝ご飯を作っていた母親の声にもまともな返事は出来なかった。洗面所で顔を洗っていた父の顔は見られなかったし、湯船にお風呂を溜めている間も変な呻き声は止められなかった。そうして先に二人にお風呂を進めている間も部屋の中で一人プチパニックを起こしていたことは言うまでもない。





prev / next


[ back to top ]