小説
- ナノ -




 珍しく真面目な顔で何を話すのかと地味に緊張していれば、母はいつもより抑えた声音でとんでもねえことを聞いてきやがった。

「あんた、ちゃんと避妊してるの?」
「ぶっ!!!」

 あんまりにもあんまりな質問に芸人ばりのリアクションを取ってしまう。だが許して欲しい。
 だって母親からセッ……にまつわる話をされるとは誰も思わんじゃろ!!

「してませんけど?!」
「してないの?!」
「バッ、違ッ……! じゃなくて! まだそこまでいってねえ! って話ですよ!!」

 確かにその一歩手前までは行きかけたけれどもだね!! まだ未通ですよコンチクショー!!
 などと夜も更けてきた一軒家で叫べるはずもなく。
 しかも思いっきり小夜左文字を抱え込んでいる中、こんな生々しい話をしたくはない。っていうか小夜くん、マジで耳塞いでてくれねえかな。もしくは仮眠とか取ってて欲しいんだけど、どうなんだろう。いっそ見て見ぬふりならぬ聞かぬふりをしていてくれ。頼む。
 あんまりな内容に必死に精神の安定を図っていたというのに、この母親。とことん娘に恥をかかせたいらしい。

「ねえ、そもそもなんだけど、神様に避妊って概念あるの?」
「知らんがな!!」

 もうこれに関しては全力で「知らんがな!」とお答えさせて頂くしかない。
 だって元々刀やぞ?! 斬ったり斬られたり突いたり刺したりするのが基本的な彼らが、男女のほにゃららについて詳しいかどうかなんて分かるはずがない。まあ、秋田を始めとした短刀たちはそれなりに知ってそうだけどさ。太刀とか大太刀とか、寝室に置けないであろう刀はどうなんだろう? よく分からん。
 確かに男女のほにゃららはある意味『貫く』ことにはなるんだろうけどさ。……って、待て待て。何で母親と膝付き合わせて下ネタ話さなアカンねん。ここはどこの拷問部屋だ。退室させてくれください。

「つーか何でいきなりそんな話始めたんよ。聞く必要ある?」
「あるわよ! だって陸奥守さんは神様なんでしょ? どこかの昔話みたいに子供が出来ちゃったらどうするのよ」
「ゼウスと一緒にすんなし! そもそも世界観が違うわ!!」

 世界各地にある神話では、確かに色んな神様が色んな女神とか人間の女性を孕ませたりなんたりしておりますけれども。陸奥守はそういう神様じゃねえから!!

「第一『付喪神』だって言ってんじゃん! 神様だけど権能を持った女神や男神とは違うの!」
「知らないわよ、神様の事情なんて。それよりも、子供は出来ないのね?」
「それこそ知らんがな……」

 あ。いや。でも刀剣男士との間に子供は出来る。と聞いたことはあるな。確か鳩尾さんの娘さんが刀剣男士と結婚して子供を設けたとかなんとか言っていた。
 え? ってことは、その子供って『半神』になるのか? でも彼らは元から“神”だったわけじゃない。長い永い時を経て“付喪神”になったんだ。そんな彼らとの間に出来た子供って、果たして本当に“普通の子”になれるのだろうか?
 突然黙りこくってしまったことが気がかりなのか、母がソワソワし始める。でも気になるのだ。もしも本当に“人間”と“付喪神”の間で子供が産まれたとして、それは果たして“どちら”に似るのか。

 “刀”寄りの考えを持つ子供になるのか。それとも“人”寄りの考えを持つのか。そして刀剣男士の刀種によっても変わるのかどうか。

 例えば好戦的な同田貫と結ばれ、子供が出来た場合。もし子供が“刀”寄りの思考回路を持っていたら本人に悪気がなくても周囲の子供を傷つけ、結果遠巻きにされ孤立していく可能性が高い。
 逆に戦を厭う江雪と結ばれ、子供が出来た場合。喧嘩とは無縁になるかもしれないが、マイナスの事象に関して感情移入しては最終的に引きこもりになるかこの世を憂いて自殺してしまうかもしれない。
 それに大太刀を始めとした比較的力が強い刀種の場合。人の身では持てない“膂力”が子供に受け継がれてしまった場合、子供が他人を傷つけないとは言い切れない。特に子供の内は力加減が分からず、周りの子供だけでなく止めに入った大人にまで怪我を負わせる可能性がある。

 そう考えたら一概に“子供を設けること”が『いいこと』とは言えない。

「……あのさ」
「ん?」
「母さんは、子供を産んだ方がいいと思ってる?」

 私と兄、二人の子供を育て上げた母。そして今は孫が生まれて『おばあちゃん』と呼ばれるようにもなった。そんな『一般的な家庭』で育ち、それを築いた母の答えなど分かり切っている。それでも尋ねたのは“自分の考え”を伝えるための前準備だったのかもしれない。
 現に母は「当然じゃない」と予想と違わぬ答えを“自信満々”と言った体で口にした。

「結婚と子育てはセットよ。子供がいない夫婦も増えてはいるみたいだけど、そんなの寂しいじゃない」

 ――寂しい、か。

 母は何を思って『寂しい』と口にしたのだろうか。
 妊娠どころか男女のアレソレの経験すらない自分が反論出来る内容でもないため、暫くは黙って母の言葉に耳を傾けることにする。

「それに子育てって大変だけど面白いし、楽しいこともあるのよ。喜びだってあるしね」

 何かを思い出したのか、楽しそうに笑う姿に嘘はない。でも、残念ながら私の考えは“逆”だ。

「由佳は? 子供欲しくないの?」

 もしこの質問をされたのが審神者になる前だったら。母の意思を上手に汲んで「そりゃあ普通に結婚して、問題なければ子供を産んで育てるだろうね」と答えただろう。だって、無意識とはいえ、当時はそれが“結婚後の義務の一つ”だと考えていたのだから。
 でも、今は、違う。

「……うん。欲しくないね」
「どうして」

 さっきまで楽しそうに子育てについて語っていた母が不満そうに問いかけて来る。
 うん。心配やら不安やらを抱く気持ちはよく分かる。でも、それは私だって同じだ。

「“神様”との間に産まれた子供が、本当に“幸せ”になれると思う?」
「――それは、」
「“産んでみなきゃ分からない”“育ててみなきゃ分からない”なんて言葉は聞きたくない。それは、生まれて来た命に対してものすごく失礼だから」

 子は親を選べない。そして親もまた、子供を好き勝手に育て上げ、自分好みの何でも言うことを聞く“都合のいい存在”にすることは出来ない。
 だって相手は機械ではなく生身の、生きた、感情がある生き物なのだから。だからこそ安易に選択してはいけない。
 もしも将来、生まれた子供に“人非ざる力”が備わっていたとしたら。もしも私みたいに“他の人には見えないもの”が見えてしまったら。その子は、周囲からどんな目で見られるだろうか。

「由佳……」
「私はさ、無責任な人になりたくないんだよ。子供の将来は子供のものであって、大人のものじゃない。大人は、単に手助けをするだけの存在だと思ってる。だって、実際に周囲にいる同年代と接して生活するのはその子自身だから」

 親が四六時中一緒にいられるのは幼少の頃だけだ。保育園や小学校に上がったら日中は手の届かない場所に行くことになる。
 勿論「何があったの?」と尋ねたら答えてくれるかもしれない。だけど「親に心配をかけたくない」「いじめられているだなんて知られたくない」と考え、嘘をつく子どもにならないとどうして言い切れるだろうか。
 子供だろうと感情がある限り――脳が、思考が、親の願う通りの“解”を提出するという決まりはない。

 むしろ真実にほんの少しの嘘を織り交ぜて事を大きくする子もいれば、逆に小さくして下火にしようとする子もいる。守って欲しくて可愛がられたくて『嘘』を吐くことに罪悪感を抱かない子もいる。逆に私のようにほんの少しの嘘でさえ良心が痛んで顔に出てしまう子もいる。
 だけどどの子供たちも皆“傷つく”のだ。自分と他者が“違う”ことに。違いすぎることに、沢山の傷を負ってしまう。

「私は陸奥守が好きだよ。でも、だからと言って彼との子供が欲しいわけじゃない。むしろ大切な人だからこそ、彼との間に産まれて来た命が苦しむ姿なんて見たくない。何かを我慢したり、好きなものを好きだと言えないような生活を強いることはしたくない。“どうして自分は生まれたの?”とか“どうしてこんな力を持ってしまったんだろう”なんて考えてしまうような人生を歩ませたくない」

 幾ら親が愛しても、友人の一人も出来なければ子供は傷つく。目には見えない心の傷がどんどんどんどん増えて行き、最終的には感情を殺してしまうかもしれない。逆に爆発させ、いずれ大きな問題を起こすかもしれない。結局その先にあるのは“破滅の人生”だ。
 周りから後ろ指を指され、陰口を叩かれ――それでどうして“幸せだ”と言えるだろうか。

「だから、子供は欲しくない。大切な人との間に出来た命であれば勿論愛することは出来るけど、私たちだけが愛してもその子の人生は豊かにはならない。それに、いつまでも子供と一緒にいられる親なんていないでしょ?」

 今の私や兄のように。いつか子供は親の元を旅立ち去って行く。そして、親もまた、子供よりも先に旅立っていくことの方が多いのだ。
 その時にもし子供が親としかまともに接していなければ。その子は“孤独”という抗いきれないマイナスの感情に支配されることになる。外の世界と触れ合うことを恐れ、誰もいない家に絶望し、全てが崩れ去ってしまうかもしれない。過去の甘やかな時間に捕われ、今を、未来を生きられなくなるかもしれない。
 それは、流石にダメだと思うのだ。

「友達を作るのが上手な子になってくれたらいいけど、もしそうじゃない子だったらこの世は紛れもなく“地獄”だよ。最悪自分で命を絶つかもしれない。そうなったら……私たちにとっても“幸せ”とは言い難いでしょ?」

 親として愛する我が子に“自死”を選ばせることほど情けなくて悲しいことはないはずだ。
 おそらく“親”として長く生きていればいるほどこの考えは伝わるはず。現に母はハッとしたような顔をした後、むっつりと黙り込んだ。

「だからね。例えこの先陸奥守と“そういう仲”になったとしても、私は子供を望まないし産まない。出来たとしても……きっと大変な目にあうと思ってる」

 そもそも“半神”なんて現世では生きづらいだろう。周囲の、普通の子供たちに比べ何かに優れ、また寿命も長いはずだ。だけど父親が神様だから、いずれはゆっくりと衰えていく自分と見目の変わらぬ父親に年齢が逆転して見られるようになるはず。そうなれば外で「お父さん」なんて呼べば奇異の目で見られてしまう。そんなのはどちらにとっても不幸だ。
 我が子を我が子として愛せない父親と、純粋に親子として接することが出来ない子供だなんて。……私なら、耐えられない。

 大切だからこそ守りたいのだ。

 それこそもしも子供が産まれたとしても、現世ではなく本丸で育てれば大きな問題は起きないかもしれない。陸奥守は私と子供を全力で守ってくれるだろう。皆もそうだ。むしろ喜んで子育てを手伝ってくれるかもしれない。
 でも本丸から一歩でも出てしまえば、刀剣男士の皆は姿を保つことが出来ない。それに異空間にある本丸で同年代の友達を作ることなど実質不可能だ。他所の本丸に行ったとしても、そこに子供がいなければ意味はない。
 他にも不安はある。例えば生まれて来た子供が“半神”らしく“付喪神”寄りで生まれた場合。現世では“霊力のない人には見えない存在”であったとしたら――。……これ以上に悲しいことはないと思う。

「問題なんて、それこそ数えきれないぐらいあるよ」

 戸籍・保険・進学に就職。上げ始めたらキリがない。若い頃はよくても自分たちが老いた時、残される側はどうなるのか。またこの戦争が終わり、刀剣男士たちが本科に戻ることになった場合。子供たちはどうなってしまうのか。
 保証もなければ確信もない。ハッキリと明言できる確定事項も何一つとして存在しない。分からないだらけの手探りの生活を、どうして子供に課せられるだろう。

「まあ、必ず“出来る”って保証もないしね」

 実際、刀剣男士と“夫婦”になった審神者が全員身籠ったわけじゃない。私が知らないか、あるいは隠している可能性もあるけれど、現状“いない”方が多いと聞く。あくまでも噂だけどね。
 あとは奥さん側が「絶対避妊しろ」って言ってる可能性もある。もしくは自分が女性用の避妊具をしているか。両方の方が避妊率高いんだけど、刀たちは基本的に倫理観が現代と乖離しているからその辺どうなんだろうなぁ。言えばちゃんとゴムしてくれるのかな? むしろ水風船にして遊びそうじゃね? よく分かんねえな。

 そんなくだらないことを考えている間にも、母は母で色々と考えたらしい。眉間に深々と皺を寄せている。その間私は脳内で『刀剣男士たちがコンドームで水風船を作ってそのままバレーを始めた』妄想を繰り広げていたのだが、光忠が「何やってるの!」と叱りに来たところで母が深く長い溜息を吐き出した。

「そうね。あんたの言う通りだわ」
「お? おお。分かってくれた?」

 あんなに真面目に話していた割に、頭の中で『光るゴム』に鶴丸が興味を持った挙句水風船にして遊んでいるところを妄想していたのだから何だか申し訳ない気持ちになってくる。
 いや、でもマジで鶴丸だったら興味持ちそうじゃない? 最悪刀剣男士の間で流行らせようとするかもしれない。
 待て。流行らせるなバカ。その際は一期一振がいなくても長谷部に頼んで「お覚悟」してもらうからな。いや違う。お覚悟されるのはこんなこと考えてる自分だわ。南無三。

 そんなアホなことを考えていた自分とは違い、母は未だに真面目な様子で話しを続けて来る。

「でも、もしもあんたがそのうち“子供が欲しい”って思うようになったら、その時はどうするの?」
「うーん……。まあ、そん時はそん時で考えるよ」

 正直自分の考えが変わるとは思わない。だけどもしその時に周囲の『刀剣男士と夫婦になった審神者』が増えて、出産も育児も問題なく出来ていることが周知されていれば欲しくなるかもしれない。でも、可能性は低いだろうな。だって彼らは“創造する側”ではないから。蓮っ葉な物言いをすると“種”を持っているとは思えない。
 それに結局のところ、彼らの肉体は政府が用意した“仮初のもの”でしかない。体のいい、替えが利き、手入れも簡単に出来る紛い物の肉の器だ。言い方は悪いが所詮彼らは“物”であり“刀”でしかない。まあ、付喪“神”だから裏技とか、それこそ呪術で孕ませるとか出来るのかもしれないけどさ。実際のところはよく分からない。されたことないし。そんな話も今のところ聞いたことがないから。
 ただ審神者である私が「分からない」のであれば一般人である母が分かるはずもない。だから諦めたのだろう。完全に納得した様子ではなさそうだったけど、一先ずは頷いてくれた。

「分かった。じゃあもうこの話はしないわ」
「ん。そうしてくれると助かる」

 うん。何が悲しくて母親と下トークせなあかんねん。って話やろ。
 ようやく肩の荷が下せるとほっとしていたのに、それはそれとして母は娘と『恋バナ』がしたいらしい。先程よりも楽しそうな顔で詰め寄って来る。

「ところで、あんたいつから陸奥守さんとそんな関係だったのよっ」
「で?! あ、あー……。それは……」

 実は同窓会の帰りに“そういう関係”になりました。と言うのは恥ずかしいのだが、濁したところで構わず聞きに来る母だ。ここは仕方なく正直に暴露すると、どうやら母は『陸奥守と恋人になったおかげで元気になった』と勘違いしたらしい。先程よりもずっと明るい表情で「やっぱり恋愛は健康にいいのよ!」と訳の分からん方向に舵を切っていた。
 もうどうにでもなりやがれってんだ。わしゃ知らん。

「初めて見た時から『いい男』ね〜。と思っていたから、お母さんとしてはあんたを選んでくれて嬉しい限りだけど」
「はいはい。そーですか、っと」

 親の贔屓目と言う奴か。やたらと持ち上げて来る母親に照れが勝ってついつっけんどんな態度を取ってしまう。ていうか、陸奥守以外も皆いい神様たちばっかりだかんな? ちょっと過保護気味だけど。
 あとやっぱり神様だから皆顔が良い。いや本当どうなってんだあの造形美。ちょっとぐらいあの美貌を分けて欲しい。
 彼らの眩いばかりの顔面を思い出していたせいか、返事をするのも億劫で小夜を抱きかかえたままベッドに横になる。すると一人で盛り上がっていた母と打ち上げられたマナティーのようになっていた私たちの元に、リビングでテレビを見ていたはずの父がやってきた。

「おい、母さん」
「はい。なあに?」
「コレ、由佳に話すんじゃなかったのか?」
「あ」

 これ。と言って父は抱えていた白い箱――“白鹿の角”で出来たネックレスを見せて来る。途端に母は「そうだった!」と手を叩いて立ち上がり、父からその箱を受け取った。

「ねえ、由佳。あんたこれどうにか出来ない?」
「は? どうにか出来ないって、どういう意味よ」

 あまりにも雑な質問に呆れるが、大事な宝物についての話だ。適当に受け流すわけにはいかない。
 だからマナティーから人間に戻ってベッドに座り直せば、両親はちょっと困惑しているような表情のまま箱を差し出してきた。

「それがね、こっちに帰って来た日の夜から変な夢を見るのよ」
「変な夢?」
「そう。白い、こう……ぼやぁ〜とした霧みたいな靄みたいなのがね、フヨフヨ漂う夢なんだけど、なんだか気味が悪くって」

 母の抽象的な説明に思わず脊髄反射並みの速度で「ケセランパセランかよ」と突っ込みそうになったが、ギリギリのところで父が阻止してくれた。

「父さんも同じ夢を見るんだ。ただ母さんと違って白い靄というより動物みたいに見えるんだよなぁ」
「動物?」

 ってことは、鹿か? と思ったけど、どうにもハッキリとは分からないらしい。これは二人に霊力がないからだろう。だから“神様”と縁深い私に相談を持ち掛けたらしい。

「うーん……。でもコレ、おばあちゃんから『絶対に譲らないで』って言われた宝物なんでしょ?」
「そうなんだけど……。実はお母さんも詳しくは知らないのよ。何度聞いてもおばあちゃんが『大事にしないといけないものだから』としか答えてくれなくて」

 祖母は私が産まれてすぐ亡くなったから、どんな人なのかは知らない。ただ祖父や母、父に聞いた話ではとても穏やかで優しく、滅多に怒らない人だったのだとか。それでも芯は強い人だったようで、こう! と決めたことに関しては頑として譲らなかったんだと。
 そんな祖母が詳しい説明をしなかったのは単に知らなかったのか、それとも『口に出すことも憚られる』ような出来事が起きてこの家宝がうちに来たのか。
 分からないから何とも言えないが、事故が起きるまでそんな夢は一度も見たことがないという。
 だとしたら、現状出せる答えは一つだけだ。

「これは、ここに置いていた方がいい」
「でも――」
「得体が知れなくて気味が悪いと思う気持ちも、怖いと思う気持ちも分かるよ。でも、これは“大地の神様”が残した大切な依り代でもあるんだ。無下に扱えばもっと酷い目にあう」
「そんな……」

 途方に暮れたような声で、表情でこちらを見る二人に、出来る限り深刻に思われないよう笑みを返す。

「でも安心して。このネックレスに宿っている“神様”は二人を守ってくれているだけだから」
「え? 守る?」

 流石に大地の神様に直接お会いしたわけじゃないからあくまでも憶測だけど、この家――事故が起きた当時、車が突っ込んできた寝室には『魔のモノ』の残滓が至る所に付着していた。
 おそらく神様はそれを警戒しているのだろう。これでも私と母は竜神様がかつてお過ごしになられていた霊山で暮らしていた民の末裔だから。同じ霊山におわした“大地の神様”が母とその夫を蔑ろにするとは思えない。

 だって竜神様も鳳凰様も、人には推し量れない存在ではあるけれど、とてもお優しい神様たちだから。

 いつだって身を挺して私を守り、時には加護を、知識を与えて下さる。そんな神様と知己ならば、やはり大地の神様も相応に慈悲深いのではないかと思うのだ。

「あのね。まだ詳しいことは言えないんだけど、今回の事故は単なる“飲酒運転による事故”ではないかもしれないんだ」
「どういうこと?」
「だから詳しいことは言えないんだって。こっちもまだ調査中だから」

 実際、まだ事故を起こした本人に会っていないから加害者に『魔のモノ』が憑いているのかどうかは分からない。単に操られただけなのか、それとも『魔のモノ』と契約している人なのか。
 見定めない限りどこまでも憶測にしかならない。
 だから二人には「今まで以上にこのネックレスを大切にして欲しい」と伝えるだけに留める。

「小さなものでもいいからさ。出来れば神棚とか買って、祀ってくれたらより加護は強まると思う」
「祀るって言われても……」
「不安だったら榊さんに連絡してみたらいいよ。お金なら私だって出すし、場所が問題なら私の部屋を使っていいから。審神者の私が断言する。このネックレスも、それに宿る神様も、決して悪い存在じゃない。だから大切にして欲しいんだ」
「そ、そう……。あんたがそこまで言うなら……」

 渋々、といった様子ではあったものの、頷いた母にほっとする。その流れで父を見遣れば、どこか難しい表情でこちらを見ていた。

「父さん? 他に気になることでもある?」
「いや……。いや、そうだな。気になると言えば気になる」

 普段あまりこちらの仕事内容に首を突っ込むことがない父にしては珍しいな。と思い先を促せば、父は母が譲った椅子に座り、改めて視線を合わせてきた。

「由佳」
「うん」
「お前は、今回の“調査”を“政府から依頼されて”行っているのか?」

 まさかそんなことを聞かれるとは思っておらず、つい目を丸くして父を凝視してしまう。でも、何故そう問いかけて来たのかは分かる。
 ――心配なんだろうな。また私が病院送りになったり、この間みたいに死にそうになることが。

 だけど正確に言えば“政府からの依頼”ではない。確かに切欠はそうだった。だけど今回の件に関しては政府――武田さんや柊さんに報告をしていない。何故かと言うと、現状どこから情報が洩れるか分からないからだ。
 実際狭間くんをあの本丸に飛ばした人間は政府を騙った誰かの犯行だった。そしてそれを唆した小鳥遊さんは行方不明。
 元々大きな組織は一枚岩にはなれないと分かってはいるが、人命が掛かっているのだ。それに不確定要素があまりにも多い。どこから情報が漏れ、また誰が敵になるのか分からない今、二人を巻き込むわけにはいかない。
 それにもし巻き込んでしまったが故に二人にも被害が及んでしまったら――。今度こそ理性を失って犯人を素手でボコボコにしてしまうかもしれない。もしくは“私刑”を望むだろう。だから理性を保つためにも可能な限り水面下で調査する必要があった。

 父は、何となくそういう娘の『どうしようもない頑固で無鉄砲なところ』を危惧しているんだろう。その心配がくすぐったくもあり、ありがたくもある。
 だから、嘘を吐いてでも安心させたい。だけど真摯に向き合ってくれているからこそ、嘘を吐けば傷つけてしまう。分かっているからもどかしい。だけど、私ももう“大人”だから。ずるいとは思うけど、ぼかした表現で有耶無耶にする方を選んだ。

「……正確に言えば違うけど、まったくそうじゃないわけでもない」
「由佳」
「ごめん。でも、これ以上は言えない。こっちにも守秘義務があるから」

 これは嘘ではない。何せ神様を相手にしているのだ。何でもかんでも口にしていいはずがない。むしろその逆だ。表面化の、政府が“公言している部分”までなら審神者だろうが一般人だろうが口にしても良いとされているが、その内容――蓋を開けた中身については誰にも話してはいけない。
 それこそ親族だけでなく配偶者にさえも。それほどデリケートな問題であり、複雑な戦争なのだ。歴史修正主義者との戦いは。

 だから『詳しく言えない』とぼかすしかない。そして両親も、どんなに受け入れ難くてもこの回答を受け入れなくてはならない。
 それが“審神者”としての勤めでもあり、周囲がその審神者を間接的に守るためのラインだ。これを超えてはいけないし、超えさせてもいけない。塩梅が難しいからこそ、学生にはあまり審神者にはなって欲しくないんだけどね。

「壁に耳あり障子に目あり、って言葉があるからね。文字通り、どこで誰が聞いているか分からない。そしてそれがどこかに抜けてこっちの“戦”に影響が出ても困る。……だから、これ以上は何も聞かないで」

 うっかり審神者の仕事に関して口にした場合、もし耳にした人が『一般人の振りをして過ごしている歴史修正主義者、またはその関連人物』だった場合、どうなるか分からない。
 本丸が襲撃される可能性だってあるし、また別の時代の歴史を改変しようと目論むかもしれない。逆に現実世界で両親や友人に被害が及ぶ可能性もある。
 『守秘義務が』と言ってお茶を濁すのは卑怯に感じるかもしれないが、巡り廻ってそれが皆を守る盾となるのだ。だからここは引いて欲しい。と視線に込めて伝えると、父は母と同じように深いため息を吐き出した後、顎を引くようにして頷いた。

「……分かった。そこまで言われたら引き下がるしかない」
「ありがとう」
「いや……」

 椅子から立ち上がった父はふと立ち止まり――どこか寂しそうにも、誇らしそうにも見える眼差しで見つめて来た。

「……父さん?」

 初めて向けられる、深い愛情が感じられる眼差しに無意識に背筋を伸ばすと、父は少し笑ってから椅子の背もたれに置いていた手を離した。

「何でもないよ。ただ、いつまでも“子供”だと思っていたが、お前はもう立派な“大人”だったんだな。と思っただけさ」

 ――それは、紛れもなく“父”の本心なのだろう。
 ずっと大事にしてくれた。見守ってくれた。時にはとんでもない心配と心労を掛けさせてしまったけれど、それでも――父はずっと私を“我が子”として深い愛情を向けてくれていたのだと、改めて思い知った。

「父さん……」
「うん……。だから、まあ、なんだ。陸奥守さんは、すごく立派な神様だし、そこいらのよく分からない男に比べたらずっとマシというか、むしろありがたいよ」
「うをい。どーいう意味じゃい」
「あははっ。もう、お父さんったら素直じゃないんだから」

 ただここで茶化すあたり私は父に似たのかもしれない。寂しそうにも見える苦笑いを浮かべて笑う父に、母も雰囲気をあたためるように声を上げて笑う。
 そんな二人に私も乗っかることでちょっとしんみりとした空気は吹き飛んでしまったけれど、我が家にはこの空気の方が似合う。だからそれ以上追及することはなく、二人も部屋を出て行った。

「それじゃあ今日は安心して眠るといいよ」
「ああ、ありがとな」
「じゃあまた明日ね。おやすみ」
「うん。おやすみ」

 ロクでもない会話から始まった親子の会話ではあったが、最終的には絆が深まった気がする。
 特に何もしていないのにどこかやり切った気持ちでベッドに腰かけ、改めて小夜を顕現させるために『神卸』をすると、大して広くもない部屋に小夜が降り立った。

「……主」
「ん?」

 ゆっくりと閉じていた瞼を開き、幻影のような桜を舞わせながら顕現した小夜は、猫のような瞳を数度瞬かせながらこちらを見上げてから少し笑った。

「主は、ご両親にとても似ているね」
「え゛。そ、そう?」

 陸奥守にも言われたけど、そんなに似ているかしら?
 自分ではよく分からず首を傾けたが、小夜は「似てる」と断言してからキョロキョロと周囲を見回す。

「ああ、ここは私の部屋だよ」
「主の?」
「そ。本丸に比べたら狭い部屋だけど、学生の時からずーっと使ってる部屋。このベッドも机も、小学生の時からの付き合いだよ」

 先程まで両親が座っていた椅子を引き、だいぶ年季の入った机を軽く撫でる。小学校入学時に祖父が買ってくれたという勉強机は一緒に青春時代を過ごしたかけがえのない“相棒”だ。

「テスト勉強したり絵を描いたり、時には泣いたりムシャクシャしてちょっと雑に扱ったり……。うっかり居眠りする日もあれば、遅くまで起きて読書した日もあったよ」

 沢山の思い出が詰まったこの机にも、いつか“神様”が宿るのだろうか。そしたら私のことを何て言うのだろう。『前の主は勉強が苦手でね。いつも居眠りしてちっとも勉強が進んでいなかったよ』とか言われんのかな。それはそれでちょっと面白そうだ。
 想像して一人で笑っていると、いつの間にか近付いてきた小夜がじっと机を見つめた後、私と同じように優しく表面に触れてきた。

「……いい机だね」
「でしょ?」
「うん」

 自慢かよ。と思われるかもしれないが、それでも自信満々で笑みを浮かべれば小夜も穏やかに頷き返してくれた。
 ――『小夜左文字』という刀は“復讐”に捕われている刀だ。だけど“私の小夜”は“私がそう願ったから”という一つの理由だけで“復讐”だけに目を向けず、共に前を向いて頑張ってくれている。
 本当に、格好よくて頼りになる神様だ。

「ところで、むっちゃんはいつ戻ってくるのかな?」
「さあ……。僕はここに来たのが初めてだから、どの辺りを回るのかもよく分からないんだ」
「それもそうか」

 すぐに戻ってくると思っていた陸奥守はまだパトロール中のようだ。カーテンを開けて外を眺めてみるも近くに姿はない。
 だから「探しに行こうか」と提案してみるも、小夜はすぐさま首を横に振った。

「ダメ。主はここにいて。少なくとも、ここには“大地の神様”の気が溢れているから、『魔のモノ』は近寄れないはず」
「あ。やっぱりそうなんだ?」

 箱を開けて直接触れたわけじゃないけど、それでも事故が起きた日に取り出した時に比べて神聖な空気を感じた。だから『もしかして』と思っていたのだが、神として存在している小夜はしっかりとその気配に気づいたらしい。頷きを返してくる。

「竜神様や鳳凰様ほどではないけど、確かに感じる。範囲はこの家全体と、少し出たところまでぐらいかな。結界ではないけど、それに近い力で『悪しきモノ』を弾いてる」

 だとすればその影響が両親の“夢”に現れたのだろう。父は「動物に見える」と言っていたから、確実に“大地の神様”は今回の事故に関して思うところがあるということだ。
 そりゃあ自分が寝ているところに無粋な『魔のモノ』が突っ込んで来たら怒るわな。
 うんうん。と頷いていると、小夜が「あ」と声を上げた。

「陸奥守さん。戻って来たみたい」
「え? 本当?」
「うん。ほら、あそこ」

 小夜が指を差したのは、我が家の近くに立つ街灯の下だった。確かにそこに陸奥守の姿があったが――もう一人。陸奥守の前に誰かが立っていた。

「あれは……?」

 一体誰だろう。街灯の下にいるというのに、全身真っ黒で全然顔が分からない。それにフードでも被っているのだろうか? 顔立ちは勿論、髪型や髪色すらも不明だ。
 単に道を尋ねているだけならいいんだけど。と呑気に考えていた時だった。突然その真っ黒な人物が陸奥守に向かって突進してきたのだ。しかも一瞬、何かが街灯の光を反射して煌めいた。
 まさか刃物?! とヒヤリとしたが、日頃から戦場に出ている刀が簡単にやられるはずもない。あっさりとその人の腕を掴んだかと思うと、そのまま捻り上げて地面に押し倒した。

「うわぁ。流石むっちゃん。落ち着いてらぁ」

 取り乱すことは勿論、悲鳴すら上げずに易々と相手をねじ伏せた陸奥守にテンションを上げればいいのか引き笑いすればいいのか。悩みつつも窓の鍵に手をかけ、開けた瞬間だった。

「――ッ?!」

 ゾワリ、と肌を撫でた気味の悪い感触に咄嗟に身を引く。途端に小夜が窓を閉めカーテンを引いてくれたが、一瞬、陸奥守に捻り上げられた誰かの“目”がこちらを見た気がした。

 というか、アレは――

「主! 大丈夫?!」
「さ、小夜くん……。今のって……」


 “人間”じゃ、なかった。


 ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
 もし、アレを見たのが両親なら何と言っただろう。「ただの人じゃない」と口にしたのか。あるいは「何もいないよ」か。でも、私には“視えた”。視えてしまった。あの、赤く光る“単眼”が。

「……主」
「あれは、人間じゃ、ない」

 いや。待て。断言はまだ出来ない。もしかしたら今のも『元』は人間だったかもしれない。でないとあんなにもハッキリとした人の姿を保てるだろうか?
 だけど一瞬しか見ていない。確信出来るほどの何かが“視えた”わけでもない。もっと近くで、あるいはもっと長く“視”れば答えが分かったかもしれないが、小夜に止められた。

「ダメだ。これ以上は主の負担にもなるし、最悪向こうに居場所がバレてしまうかもしれない」
「……そう、だね」

 私だけでなく家族にも影響が及ぶかもしれない中、迂闊に顔を出すわけにはいかない。
 無意識にそっと瞳を隠すように瞼を抑えれば、小夜が優しく背を撫でてから離れて行った。

「主。もう大丈夫だよ。あいつは陸奥守さんが燃やしたみたいだから」
「そう……」

 言われてみれば肌に纏わりつくような悪寒も消えている。だからいそいそと立ち上がり、ほんの少し開けたカーテンの隙間から先程の場所を見下ろすと、陸奥守が軽く手を上げた。

「……もう大丈夫そうだね」
「うん。でも、外には出ない方がいい」
「分かった」

 ――現世にも、いや。むしろ“現世だからこそ”と言えるのかもしれない。
 今回の『魔のモノ』はあちこちに蔓延り、こちらの様子を伺おうとしている。私を狙ってきている。
 実際、無謀とはいえ陸奥守にまで襲い掛かろうとしたのだ。これはもう、お互いなりふり構っていられる状況ではないのかもしれない。

「むっちゃんに話を聞きたいけど、戻ってきそうにないね」
「うん。今日はこのまま外を巡回するんじゃないかな」
「うーん……。それなら堀川とか秋田を連れてくるんだったかなぁ?」
「大丈夫だよ。それに、神気を纏った僕らがうろついていると却って隠れてしまう可能性がある。だから陸奥守さんと僕だけでよかったと思うよ」

 ほぼ断定的な言い方で説得されれば頷くしかない。それに気付けば夜も更けてきた。小夜は「主はもう床に就いた方がいい」と言ってベッドを指さす。

「主のことは僕が守るから。安心して」
「勿論。頼りにしてます」
「うん。あなたのことは僕が守るよ。絶対に」

 ――何があっても。

 そう、小さく呟かれた声に頷くのではなく笑みだけ返して。数日ぶりにベッドに潜り込めば、すぐさま小夜が電気を落としてくれた。

「おやすみ。主」
「おやすみ。小夜くん」

 本当に眠れるかどうかは分からない。それでも瞼を下ろし、明日向かう病院で何らかの手掛かりが見つかればいいな。と思った。




prev / next


[ back to top ]