小説
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 陸奥守と秋田を連れ、タクシーに乗って戻った実家には既に多くの警察官と野次馬が集っていた。勿論その中にはご近所さんもいたが、今捕まると面倒だ。だからまずは物陰から家の様子を伺うことにする。

「うっわあ……。マジで突っ込んでるよ」
「怪我人がおらんでよかったがよ」
「そうだね」

 陸奥守の言う通りだ。ご近所さんもそうだけど、本当に両親が不在でよかった。安堵の息を吐き出し、肩に下げた鞄の紐をギュッと握りしめる。
 秋田は刀の状態で専用の鞄に入れて持ち運んでいる。もしも黒幕が近くにいた場合、刀剣男士が二人いたら近付いて来ない可能性がある。だからいざという時までは刀の状態に戻ってもらうよう、タクシーの中でお願いしていたのだ。

「あの、すみません」
「はい? 何でしょうか」

 近くにいた警察官に「この家の者だ」と伝えたら身元確認をされた。だからすぐに通されたわけではなかったけれど、連絡先やら何やら色々と照合をし、問題ないとみなされたため中に通してもらう。
 玄関やリビングはそこまで被害はなかったけれど、衝撃で食器棚が倒れてお皿が割れてしまっている。大きな地震が起きた後みたいだ。そのため土足で中を歩いていると、先を進んでいた警察官が振り返った。

「被害は一階の、寝室……仏間でしょうか。畳の破片が飛んでいるので和室だと思うのですが、お間違いないですか?」

 現場検証をしている方とは別に、担当官らしき人が案内をしてくれていた。そこで見たのは、ひしゃげた外壁と障子、粉々に砕け散った窓ガラス。ボロボロになって四方に破片を飛ばした畳。――普段両親が寝室として使っている和室だった。

「……はい。両親が普段使用している寝室で間違いありません」

 ――もしもこの時間両親がここにいたら。
 想像しただけでもぞっとして両腕を擦る。確かに以前鬼崎のせいで母が木の化け物に殺される夢を見たけれど、今回は本当に、現実世界で両親が殺されるところだったのだ。質の悪さなら鬼崎以上とも言える。
 だけど鳳凰様と陸奥守のおかげで両親は助かった。だから今は今後どう対処するか考えないと。

「そうですか。この度は本当に災難でしたね。ですが被害者は出ていませんから、ご安心ください。それでは改めて事情を説明させて頂きますね」

 そう言って現在分かっている情報を教えてくれた警察官曰く、両親の寝室に突っ込んできた車の持ち主は男性で、飲酒運転をしていたらしい。そのため現行犯逮捕となったそうだ。一応保険やら何やらは降りるし、相手からも賠償金は貰えるだろうが、ハッキリ言って問題はそこではない。

 突っ込んできた車の、外装やガラスの破片が残る室内に黒い靄のようなものが残っているのだ。それもあちこちに。

「…………絶対許さねえかんな……」

 誰にも聞こえないような声量でボソリと呟くものの、正直言って怒りは収まらない。
 確かに全身の毛が逆立つような気配がして気味が悪いし、あれが『魔のモノ』の仲間じゃなければ一体何なんだ。っていう話になるんだけどさ。
 とにもかくにもそーくんに留まらず、今度は家族にまで手を出してきたことが本当に許せない。
 だから内心で憤っていたが、ここであることを思い出し「ちょっとすみません!」と小走りで部屋の中を進む。

「あ、何を――」
「この中に大切なものが入っているんです!」

 両親が寝起きしている和室にある押し入れ。その中に家宝でもある『白鹿の角』が仕舞われているのだ。鳳凰様からも「あれは大事にしろ。でないと一族郎党凋落するぞ」と言われている、ガチのお宝だ。
 アレに何かあったらと思うと気が気でない。だから半壊している押し入れの前に膝をつこうとすれば、男性警官が「私がお手伝いしましょう」と言って代わってくれる。まあ、私軍手すら持ってないからな。素手で怪我をしたら危ないか。それにうちの刀たち過保護だから。何言われるか分かったもんじゃない。
 だから素直に頭を下げ、お願いした。

「このぐらいの、少し大きめの白い頑丈な箱があると思うんですけど――」

 へし折れた襖を外し、ひしゃげている古い箱やら全壊して滅茶苦茶になっている裁縫箱、衣服が入っているケースも全て無視して『白鹿の角』が納められている箱を探す。
 確か、昔母に見せて貰った時は白くて頑丈な、それなりに大きな箱に納められていた。だからそれを目印に中を漁ってもらうと、警察官が「これですか?」と声を上げる。

「あ! それです! 多分それ!」

 事故の衝撃で押し入れも被害を受けていたため、細かな汚れは付いているがどこも潰れてはいない。ほっと息を吐き出し、念のため蓋を開ければまろやかな色味を帯びた角で作られたネックレスが綺麗に収められていた。

「よかった〜……」
「代わったネックレスですね。年代物ですか?」
「はい。代々伝わる我が家の家宝でして……」
「なるほど。それは大切ですね」

 にこやかに対応してくれる男性警官に微苦笑を返していると、どこか神聖な気配が漂う、大地の神の象徴である家宝に反応したのだろう。残っていた黒い靄が僅かに蠢く。それに気付いてハッとするが、気付いたことを気付かれてはいけない。と思い直し、首を巡らせることはしなかった。

 それにしても面倒だ。あれらが一つ一つ意識を持っていても面倒だけど、一部を切り取ってカメラ代わりに残しているなら相当厄介な存在になる。相手はこちらの動向を確認出来るが、こちらからは掴めないのだから質が悪い。
 確かに私の“目”は変わってきているけど、自分がどの程度の能力を使えるのか把握出来ていないのだ。鳳凰様からは「見たくないものまで見えるようになる」と言われたけど、今のところアレが見えるだけでその中身、真の姿などが見えるわけではなかった。だから慎重に動かないと。

「冬千さん。少しよろしいですか?」
「あ、はい」

 警察官に呼ばれ、宝物を胸に抱いたまま移動する。現状この警察官に嫌なものはくっついていないから疑う必要はないだろう。
 だとしたらこの場合、外にいる野次馬の中に黒幕が混ざっている可能性がある。正直言えば外に出たいけど、今出るのは不自然だ。だから外にいる陸奥守に探ってもらうしかない。

 ――頼むよ、むっちゃん。

 心の底から願いながら、今は警察官と今後の段取りについて話し合うことに集中した。



 ◇ ◇ ◇



「は……? また、失敗したの……?」

 水野、と名乗る女審神者の元に男を送る前に、昔付き合っていた男に連絡を取りあいつの実家に向かわせた。その際にお酒をたくさん飲ませて判断力を鈍らせ、新しく手を借りた“洗脳”の力によってあいつの両親を殺したと思っていたのに。

「なんでよ! どうしてまた失敗するのよ!」

 咄嗟に手にしていたグラスを投げつければ、中に入っていたお酒がカーペットに染みを作る。その音は電話の相手にも伝わっていたらしい。『落ち着けよ』と返される。

『念のためここに残って見てたけどさ、最初から誰もいなかったぜ?』
「そんなはずないわ……! だってあの家は、あの夫婦はこの時間滅多に外に出ないのに……!」
『だからおかしいと思ってご近所さんに聞いてみたんだよ。そしたら何て言われたと思う?』

 ――二泊三日の温泉旅行に行ってるんだとよ。

 と呆れたような声で教えられ、声にならない声で叫ぶ。

 何でよ! どうしてうまくいかないのよ!! この時間帯なら絶対にいるって、確実にいるって、わざわざ他の男を使ってまで調べさせたのに!! 何で突然旅行なんて行くのよ! そんな話してなかったじゃない!!

 手あたり次第に物を投げ、クッションを地面に叩きつけ踏みつけていると、現場に残っていた男から『今日はやけに神経質だな』と咎められる。

「うるさいわね! こうなったらもう直接刺し殺して!! お金なら幾らでも払うから!!」
『何で俺がそこまでしなきゃならないんだよ。殺るなら自分で殺れよな』
「はあ?! 何で私が! 手が汚れちゃうじゃない!!」

 それに私が直接手を下すならただ刺し殺すだけじゃ終わらない。あらゆる苦痛と恥辱を与えて社会的にも抹殺しないと気が済まない。どうせならあいつの家族も全員巻き込んで不幸にしてやる。
 そう考えている時だった。

『うわっ?! お前誰――』
「は? ちょっと、何よ。どうしたの?」

 ガツッ、と地面にスマホを落としたのだろう。耳に痛い音がした後、唸る声や衣擦れの音が聞こえてくる。もしかして警察にでも見つかったのだろうか。不安に思って電話を切ろうとした瞬間、

『おーの。そこにおったがか』
「――え?」

 どこか聞き覚えのある、だけど一度も耳にしたことのない低い声が鼓膜を揺らす。
 分かってる。この訛り、この喋り方。私も話したことがあるから覚えている。自分の本丸で、別の本丸で。何度も何度も。だから忘れるわけがない。人懐っこい割に主には忠誠心が高く、意外と落とすのに苦労した相手――“陸奥守吉行”だ。

『やっと見つけたぜよ』

 ドクドクと心臓が音を立てている。
 でも、ここがバレるはずない。だって、この電話だって、私のスマホから掛けているわけじゃないから。別の男の部屋で、その男のスマホを使って電話をかけているのだから。だから場所なんて分かるはずない。
 だけどその考えすら読み取ったかのように、陸奥守吉行は『逃がすわけないろう』と口にする。

『おんしゃあがどこにおろーが関係ない。わしの大事な“竜”に手を出したんじゃ。相応の償いはしてもらわんと、割に合わんぜよ』

 いつの間にか呼吸が荒くなっていることにすら気付かず、また声を出すことも、通話を切ることも出来ずに相手の声に恐怖心を煽られる。それでも何か言い返すべきか。それとも謝るべきか。一瞬二つの選択肢が脳裏を過るが、それすらも読み取ったかのように『謝っても許さんきの』と芯まで凍りそうな冷たい声で釘を刺されてしまう。

「ヒッ、」
『ほいたらそっち行くき、待っとうせ』
「い、いやっ……!」

 咄嗟にスマホを投げつけ、寝ている男を無視して鞄を引っ掴む。こうなったら自分の本丸に逃げるしかない。そこには私の帰りを待つ刀たちがいる。それに本丸同士を移動するには相手の本丸IDか座標値がなければアクセスできないようになっている。審神者名も違うからどんな手を使おうがこっちには来られないはずだ。だから急いで男のマンションを出て、適当にそこら辺を走っていたタクシーを捕まえる。

「どちらまで?」
「いいから走って!」

 早く、早く逃げなきゃ……!!

 震える指で自身のスマホを操作し、現在地から最も近いゲートを探す。そうして近場の商業施設の前に止めるよう指示を出し、祈るように手を組んだ。

 ――契約者よ。

 だけどこんな時に“声”が話しかけてくる。他人といる時に話しかけるな、って言ってるのに、このバカは……!
 苛立つ私の心の声は聞こえているだろうに、こちらの心情を理解しない“声”はいつも通り淡々とした声で『何でもない』ことを話すようにソレを告げてきた。

 ――最終警告だ。契約者よ。これ以上私の忠告を無視するようであれば、相応の“対価”を支払って貰う。

「はあ? 対価ですって?」

 運転手には聞こえないよう、殆ど口の中で転がすような声で返事をする。それに対し“声”は「然り」と答える。

 ――これ以上我が同胞を失うわけにはいかんのでな。

「使えない同胞なんてこっちから願い下げよ」

 どいつもこいつも役に立たない。自信満々に自分たちのことを『悪魔だ』なんて言った割に、ちっとも成果を出していないじゃない。
 だから成功していない約束に払う対価などないわ。とあしらうと、姿の見えない“声”が呆れたように――あるいは、残念がるように。初めて『溜息』を吐き出した。

 ――ならば致し方ない。

「え?」

 自身を“悪魔だ”と紹介した“声”と、運転手の声が重なり合う。だから私も釣られるように俯かせていた顔を上げ――

「……え?」

 タクシーの運転手と同じように、間の抜けた声を上げた。
 だけど私が“ソレ”に理解を示すよりも早く、私たちはタクシーごと“闇”の中に取り込まれてしまった。



 ◇ ◇ ◇



 警察との話し合いも無事終了し、一先ず今日は無事だった部屋の一室で休むことになったのだが。外で動きがないか探って貰っていた陸奥守の姿がどこにも見えない。

「え〜……? どこに行ったんだ? むっちゃん」

 不安にびくつきながらも、秋田藤四郎を収めた鞄を胸に抱いて夜道を歩く。すると薄暗い夜道の向こう、対面側から誰かが歩いて来るのが見えた。シルエット的に「陸奥守かな」と思って声を上げようとしたが、直感と言うのだろうか。何となく嫌な気配がしてすぐ傍にあった曲がり角に身を顰める。

 …………いやいやいや。なんでまたスニーキングミッションみたいなことせなあかんねん。
 水無さんの事件というか、“母”の中でも同じことしたけどさ。あの時は確か、巡回に来てたっぽい燭台切さんから身を隠さなきゃいけなくてヒヤヒヤしたんだよね。
 でもここは現世だ。あの時ほど「見つかったら命はねえ」という緊迫感は抱かなくてもいいはずなのに、何故かあの時同様緊張している。

「………………」

 ドッドッドッ、と心臓の音を全身で感じながらも必死に傍にある街灯に背中を貼り付け息を殺していると、ゆっくりと何かが近付いて来る気配が感じられた。
 でも、大丈夫。あの時と違って今は秋田がいる。大典太さんからも「怪異から身を守る」ためのお守りだって持っている。だから何の不安もない。
 そう自身に言い聞かせていると、アスファルトの上を歩いていた足音が急に止んだ。

「…………?」

 おかしいな。周囲に自販機もなければ通行人もいない。だから立ち止まる理由などないはずなのに、どういうことなのか。
 イヤな緊張感を全身で感じつつも、口を開けっぱなしにしている鞄の中から見えている秋田藤四郎を確認する。現状は刀だが、秋田の意識は常に傍にある。意図的に肉体を手放したとしても眠っていなければいつでも受肉出来るからだ。
 だから大人しく鞄に収まって貰っているのだが、その秋田が反応していないということは本当はそこまで危険ではないのかもしれない。
 だけどどうしても気軽に動くことが出来ず、そのままじっとしているとようやく立ち止まっていた誰かが動き出す。

 なんだ。やっぱり杞憂だった。そう安堵して肩を下ろそうとした時だった。

 ――パシッ。と鞄の中から小さな手が伸び、秋田が私の口を塞ぐ。それに驚く暇もなく、背後からヌッとした影が伸びてきた。

「……ここか?」

 何が。っていうか誰だお前。
 そう内心で突っ込むものの、秋田が猫のように瞳孔を開いた状態で瞬きすらしないことから危険な状況にいることが察せられる。
 だから呼吸すら止めてじっとしていると、背後に立っていた影がゆらりと蠢いた。

「――時間切れか……」

 スウッ、と何らかの気配がいなくなった瞬間、鞄の中から秋田が飛び出してくる。だから名前を呼ぼうとしたけれど、それよりも早く秋田はどこかに向かって駆け出し――何かを切り付けた。

「ギャアアアア!!!」

 だけど秋田が切ったナニカは断末魔のような悲鳴を上げて虚空へと消えるだけで、一体何を切ったのか。誰を切ったのかは定かではなかった。
 それでも秋田は足元に落ちた何かを拾い上げると、街灯の明かりに翳してから振り返る。

「――主君」
「なに? どしたの?」
「これを」

 いつになく真剣な眼差しと共に差し出されたものに視線を落とせば、そこには秋田が切り落としたと思われる男性用のシルバーのブレスレットが握られていた。
 だけどそれには黒く濁った何かが纏わりついており、咄嗟に後退る。

「それは……」
「はい。残滓に過ぎませんが、微かに残っています」
「……触れても、大丈夫……かな?」

 正直かなり怖いけど、私に害を及ぼすものを秋田が差しだしてくるとは思えない。だからそっと指先で突くように触れると、途端に目の前の景色が変わる。

「――ッ?!」

 それはいつか見たモノクロ映画のような、うすぼけた世界にも見える“誰かの記憶”だった。

『――さん! こんにちは! 今日は――』

 また現れる顔のない女性。そして所々聞こえない音声に神経を集中させていると、次第に見えなかった顔が徐々に見えて来る。

『――スカ。これで君はまた一つ――』

 女性に話しかけている男性の顔はよく分からない。きっと知らない人だからだろう。だけどよく目を凝らしてみると、うっすらとだが目や鼻の形がぼんやりとだが見えて来る。
 そして相手側の女性も、今度はそれなりに見えてきた。

『ありがとう! ――さん!』

 どこかで聞いたことがある声と、男ウケのよさそうな笑顔。内心で「やっぱりそうだったか」という落胆のような確信に肩を落としそうになるが、今はそれどころじゃない。

『じゃあ、これお願いね』

 顔の見えなかった女性――婚活会場で出会った“小鳥遊さん”が男に渡したメモに記された数字の羅列には見覚えがあった。
 ということは、だ。彼女が新人審神者になろうとしていた狭間くんを危険な目に合わせた張本人であり、その手助けをしたのがこのブレスレットの持ち主である男性なのだろう。つまり、今の影、そしてこのブレスレットの持ち主は政府役員を騙った誰かだ。でも、一体誰だ? 私の知り合いじゃないのは確かなんだけど……。

 考えている間にも視界が切り替わり、秋田の青い瞳が目に入る。どうやらこのブレスレットが持っている“記憶”のようなものは今ので見終わってしまったらしい。
 何だか惜しいような気もしたが、とにかく。犯人の一人が分かってよかった。
 ほっと息をついていると、秋田が「あ」と声を上げる。

「陸奥守さん!」
「へ?」

 弾むような秋田の声に弾かれたように振り返れば、今度こそ探していた私の陸奥守が歩いて来ていた。

「むっちゃん!」

 秋田と一緒に駆けよれば、陸奥守はサッと私と秋田に視線をやってから「大丈夫やったみたいやのう」と穏やかに口元を緩める。とはいえ何もなかったわけではない。それは秋田が顕現している時点で察しているのだろう。陸奥守はすぐに表情を引き締めると「それで?」と秋田に視線を落とした。

「秋田。何が起きたか話しとうせ」
「はい。主君はご無事でしたが、どこからともなく影のような、瘴気のようなものを身に纏った男が現れました」

 秋田の言う通りだ。さっきの影は、街灯の灯りしかなくて暗くてよく周囲が見えなかったとはいえ、大人しく歩いてきた通行人とは違い足音がしなかった。それこそ、足元に伸びる影がいきなり実態を持ったかのように突然対面に姿を現わしたのだ。それに――。

「むっちゃん。秋田。これを見て」
「主君、それは――」
「そう。大典太さんがくれたお守り」

 大典太が作ってくれた“怪異から守る”お守りが真っ二つに裂けていた。それこそ、身代わりになったかのようにひしゃげた状態で。

「…………。陸奥守さん」
「おう」
「報告を続けます。謎の影に気付いた主君も危険を察知し身を隠しましたが、このお守りからも分かるように、相手は主君を探しているようでした」
「おん。それで?」
「今の主君は吐息だけでも相手に察知される可能性があります。ですから暫くの間息を止めて頂くよう、口を塞いでじっとしておりました」

 え? ちょっと待って? 私の息がなんだって?
 疑問を抱いたものの、二人の空気的に口を挟んでいい場所じゃないことは分かっている。だから終わるまで待っていようと口を閉じていたのだが。

「せめて何か手がかりでも、と思い瘴気の間から見えた物を切れば、これが」
「……残滓、かの。よくないものがくっついちゅう」
「はい。ですが先程主君はこの装飾品に残っていた“記録”をご覧になったようです」

 あ。そこまで分かるんだ?
 何も言っていないのに相変わらず観察眼がすごい刀たちに驚いていると、陸奥守はチラリと私を見てからそっと頬に手を当て、顔を近付けてきた。

「ミッ?!」

 一瞬キスでもされるのかと思ったけど、流石にこんな場所では何もしないはず!!!
 そう信じて逆に目を見開いて陸奥守の琥珀色の瞳を見返せば、やっぱり陸奥守は何かを確認したかっただけらしい。スッと体を引くと一つ頷いた。

「主の中には何も残っちょらんようやき、コレにはもう何の力も残ってないっちゅうことじゃな」
「はい。この程度であれば主君でも問題ないと思い、差し出したところでした」
「ほにほに。ちっくと危険な賭けやったけんど、ようやったぜよ。秋田、ありがとう」
「いえ! 主君を守るのは僕たちの務めですから!」

 どこか誇らしげな秋田に陸奥守も笑みを返すと、褒めるように大きな手で薄桃色の頭を撫で回す。それに秋田も「えへへ」と嬉しそうな声を上げていたが、ここで一つ。私はそっと挙手をする。

「あのー……すみません。質問してもよろしいですか?」
「おん? なんじゃ。どういた」
「はい。何でしょう、主君」

 二人からそれぞれ視線を向けられるけど、私としては色々と気になる部分があるのですが。

「あのさ。とりあえず、さっきの私の呼吸云々のくだり、なに?」

 まるで人の呼吸が瘴気か何かのように話してくれやがりましたけど、一体どういう了見なのかしら。説明してくださる?
 そんな気持ちで質問を投げかければ、途端に二人は互いに顔を見合わせ、それから同時に私を見つめてきた。

「あー……。そういえばおまさんは自分の変化には疎かったのぉ」
「え? 変化?」
「えっと……はい。今の主君の体には竜神様の神気と我々刀剣男士に与えられた神気、それから主君の霊力、三つの力が流れているのは覚えていらっしゃいますよね?」
「それは流石にね」

 幾ら何でもそれを忘れるほどアホじゃない。だから秋田の言葉に頷けば、陸奥守が説明を引き継いだ。

「今のおまさんは霊力よりも神気の方が多い状態なんじゃ。やき、正反対の気質を持っちゅう相手には呼吸だけでも存在がバレる。そういう話ぜよ」

 ……………………。

 な、なんだってー?!?!

「え?! うそ!?」
「こがな嘘ついてどうするが」
「そうですよ、主君! だって考えてもみてください! 主君は日頃竜神様が祀られていらっしゃる本丸で生活されているのですよ? そこで毎日、朝晩と竜神様の宝玉の前でご挨拶をされています。そして本丸で使用されている全ての水には竜神様の気が少なからず混ざっています」

 秋田の説明に一つずつ「うんうん」と相槌を打っていたのだけれど……。あれ? ねえ。これってさあ……もしかしてなんだけど……。

「もしかして、竜神様の気を、毎日少しずつ体に蓄積させてた、ってこと……?」

 キリスト教で言うところの聖餅みたいなさ。ちょっと違うか? でも毎日本丸で暮らし、竜神様が清め、管理する水を体に取り込んでいれば自ずとそうなるのだろうか?
 だけど大事なのは“水”を取り込むだけではなかった。

「それもあるけんど、重要なのは“おまさん自身”じゃ」
「へ? 私?」
「おん。竜神様の宝玉は、確かにわしらの本丸に祀られちゅう。けんど、その竜神様が力を使うのはわしらのためがやない。おまさんのためじゃ」
「はい。そして竜神様のお力にもなっている“信仰心”を集めているのも、また主君なのです」

 えーっと、つまり?

「ようはおまさんの体――肉体と心、両方を通して竜神様は力を蓄えちゅうちことじゃ」
「はい。ですので集められた信仰心や清められた本丸の気が、一度は主君の身に宿るのです」

 おっぱーーーーー?!?! え?! 嘘ぉ?! 私の体そんな、通り道みたいなことになってたの?! いや、でも竜神様が魂に住んでいるということはそういうことになるのか?
 半ば混乱し頭を抱えていると、秋田は困ったように眉根を寄せながらこちらを見上げてくる。

「あの……だから主君の魂が“神格化されつつある”と言われているのですよ?」

 OMG!!!!! 秋田に言われてようやく理解しましたよ!!! そりゃ間接的にとはいえ毎日竜神様の気を取り込み、尚且つ供物――じゃなかった。私の刀や預かった刀、また離れに住まう保護した刀や時折遊びに来る余所本丸の審神者とか刀たちの信仰心が竜神様の力になっているのだ。ってことは、だ。生まれてからずっと私の魂に住んでいる竜神様に力が蓄えられるということは、自動的に私の魂にも力が宿るというか蓄積されるわけで! そりゃ竜神様のお力になるぐらいなんだから神格化も進みますわよね! はい! 理解!! 解散ッ!!!

「……おまさん、今気付いたながか」
「チクショーーーー!!! 鈍くて悪かったなーーーーー!!!」
「主君……」

 思わず膝を抱えて蹲り、抱えた膝に顔を埋めこんだけど今更気付いても遅いものはしょうがない。一体いつ私の魂の神格化が進んでいたんだ。とか思ってたけど、毎日だったよ! エブリデイでしたわよ! そんなの分かるかい!!!

 脳内でひたすらに突っ込んでいたけど、ここで更に秋田が爆弾を投下してくる。

「あの、でも、それだけじゃないんですよ? 主君」
「ほえ?」
「もう一つの原因が今、こちらにいらっしゃいます」

 ここ。そう言って秋田が丁寧に紹介してくださったのが、何と我らが初期刀! そして私の“恋人”という肩書を手に入れた高知のお宝、陸奥守吉行さんです!!

「………………は?」

 どゆこと?
 意味が分からず二人を交互に見上げれば、陸奥守は咳払いをし、秋田はニッコリと微笑む。あれ……? なんだろう……。この笑み、どこかで見たことがあるような……。

「つまり、主君と陸奥守さんが男女の仲になると「秋田。ストップじゃ」

 バシッ。と陸奥守の大きな手の平が笑顔で話し出した秋田の口元を覆う。でも、ごめん。分かった。今ので分かっちゃった。これあれだ。鳳凰様とのお勉強タイムで私が無様に叫んだ時と同じ展開だ。

「…………嘘でしょむっちゃん……」
「……すまん」

 まさか『火の気質』を鎮めるための触れ合い(ちょっとアレ)のせいでこっちの神気が高まるとか誰も思わんじゃろがいッ!!!!!
 もう夜も遅いから突っ込まないけど、それでも胸中で必死に叫べば陸奥守がもう一度咳払いする。

「あー、それじゃあ話を戻すけんど、とりあえずおまさんらぁも手がかりを見つけた、っちゅー話じゃな」
「色々突っ込みたいところもあるけどそうだよ……」

 もう泣けばいいのか落ち込めばいいのか笑えばいいのか分かんねえよ。
 それでもこれ以上掘り下げても私しかダメージを喰らわないことは分かっているので、素直に軌道修正の波に乗る。だけど内心拗ねていた私を余所に、陸奥守は思ったよりも真剣な声音で話し始めた。

「実はの、わしの方も手掛かりを見つけたんじゃ。けんど、黒幕の方は取り逃がしてしもうた」
「え?! 接触したの?!」

 まさかの展開に勢いよく立ち上がるが、陸奥守は静かに首を横に振る。

「一度は居場所を突き止めたんじゃ。けんど、いきなり気配が消えてしもうてな」
「気配が、消えた……?」

 なんだそれ。霊圧が消えた、みたいな感じで言われたけどさ。一体どういうことだ?
 でも小鳥遊さんが審神者なら自分の本丸に逃げ帰った可能性がある。そうなると相手の本丸IDも座標値も知らないこちらからはアクセスすることが出来ない。
 そういう意味で『取り逃がした』と表現したのかと思ったが、陸奥守は「違う」と再度首を振る。

「存在そのものがこの世から消えた感じじゃ。まるで何かに『喰われた』みたいにの」

 存在そのものが消えるって……。人一人がそう簡単に、忽然と消えるものなのだろうか。でも陸奥守の言い方だと『殺された』のではなく突如として相手が『消えた』ということだ。……そんなこと、出来るのか?
 やっぱりこれも新たな『怪異』だろうか。
 ふむ。と口元に手を当て考えてみるが、あまりにも情報が少ない。だから「他に何かあった?」と尋ねるが、二人して首を横に振った。

「何はともあれ、もう遅いです。主君、戻りましょう」
「おん。そうやの。おまさん、今日はどっちで休む気じゃ?」
「あー……。明日帰ってくる両親に状況を説明しなきゃいけないから、今日は実家で寝るよ。秋田も、家に着いたらまた刀に戻ってくれる? 必要な時はまた呼ぶから」
「はい! 分かりました!」

 元気いっぱいに頷く秋田に笑みを返し、陸奥守と並んで帰路を辿る。だけどここで一つ疑問を抱いた。

「そういえばさ、むっちゃんは本丸に帰るの?」
「は? おまさん何を言いゆうが。わしも残るに決まっちゅーろう」
「そうですよ、主君。主君の御身をお守りするのが僕たちの使命なんですから、陸奥守さんが主君を置いて本丸に帰還するわけないじゃないですか」
「え……? じゃあ……ってことはだよ……?」

 もしかして、むっちゃんと誰もいない実家でお泊りフラグ、ですか……?

「秋田くん! やっぱり顕現したままでいて!!」
「大丈夫です、主君! 僕たち短刀は慣れっこですので!」
「違う! 違うから!!」
「まっはっはっ! 秋田、気持ちは嬉しいけんど、今回は見送りじゃ。おまさんも、なーんもせんき安心しとうせ」
「うぐぐっ」

 今回は、って何。今回は、って。
 そう突っ込みたい気持ちはあったけど、突っ込んだら絶対墓穴掘る羽目になるし、最悪そっちフラグが立つから何も言えずにグッと我慢する。
 そうして辿り着いた悲惨な我が家で、どうにか顕現した状態を保ってもらうよう説得した秋田と陸奥守が交代で見張りを行ってくれることになり、私は悶々としながらも自分の部屋で横になるのだった。
 その間陸奥守がどこで何をしていたのか、よく確認しないままに。



続く





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