小説
- ナノ -




 朝食の席でとんでもない失態を犯した日の夜。結局その日は皆の前に顔を出すことが出来なかった。
 だってどんな顔すればいいのか分からなかったんだよ。
 そりゃあ御簾はつけているけどさ。皆神様だからか、この顔隠しの御簾を付けていても何故か表情を読み取ってくるのだ。もはやつける意味を感じさせないレベルの看破力に脱帽するしかない。それでも一応、念のためつけてはいる。意味があるのかはもう本当に分からないのだけれども。まあそう簡単に顔を晒せる心境でもなかったからいいんだけどね。

 つーかさ。あんな失態見せた後にどんな態度で皆の前に出りゃあいいのよ。
 どこぞの陽気な外国人みたいに「ヘイヘイヘーイ! 皆元気かーい?」ってやればいいのか? 無理だろ。流石に羞恥心が心を殺しに来るし、皆から頭の心配をされて最悪病院行きだ。

 それに、今は預かっている刀もいる。ただでさえ高位神のドンパチに付き合わせてしまった挙句、先日は我が本丸のドタバタ劇にも巻き込んでしまった。そして今日の失態だ。だからこそ余計に顔を出すことが出来なかった。流石にそこまで厚顔無恥ではない。
 だけど有難いことに、私の気質を誰よりも理解してくれている初期刀と初鍛刀が気を利かせてくれたおかげで無事一日を終えることが出来た。
 本来ならば今日の近侍は陸奥守が担当し、小夜が出陣部隊に組み込まれていたのだが、編成を変えてくれたのだ。おかげで仕事はいつも通り捌くことが出来たし、食事やお手洗い、湯浴みなども二人のおかげで誰とも遭遇することなく行うことが出来た。
 というわけで、今は用がなければ誰も近寄らない私室にいるわけなのだけれども。

「……今日は流石に来ないか」

 昨日の今日だ。陸奥守は気遣って部屋に来ないだろうな。と思っていた。現に今の時刻は既に二十二時を回っている。広間で酒盛りでもしているのか、陸奥守の部屋から灯りは漏れていない。
 ……まあ、今日は既に触れ合う時間があったから今しなくてもいいんだけどさ。

「眠れないんだよなぁ……」

 ゴロリ。と布団の上で寝返りを打つも、昨夜のことがフラッシュバックしてすぐに起き上がってしまう。
 う、うるせえ! 悪かったな、経験不足で!!
 たかがディープキスぐらいで、と経験者からしてみたら笑ってしまうぐらい幼稚な反応だということは分かっている。それでも、私にとってはアレが初めてだったのだ。す、好きな人とするアレなキスは。
 だから嬉しかったし、混乱もしているのだが。なんて悶々としていた時だった。投げ出していたスマホが震えだし、すぐさま手に取る。

「あれ? 兄ちゃんからじゃん」

 こんな時間に掛けて来るなんて珍しいなー。と思いながらも電話に出れば、すぐさま兄貴から『由佳!』と名前を呼ばれてビックリする。

「な、なに? どしたの?」
『お前大丈夫か?! どこも怪我とかしてねえよな?!』
「え?! いきなり何の話?!」

 突然安否を確認され目を白黒させれば、兄貴からとんでもない事情を聞かされる。

『それがさ、さっき実家に見知らぬ車が突っ込んだらしくて――』
「は?! 車が突っ込んできた?!」

 思わず立ち上がれば、兄貴も『おう』と頷く。だけど運よく両親は出かけており、誰も怪我をしていないのだと。だけど兄は私がどこにいるか分からなかったからこうして電話を掛けてきた。ということだった。

「父さんと母さんは? どこにいるの?」
『それが珍しく懸賞に当たったらしくてさ。二人して温泉旅行に行ってるんだと』
「はー……よかったー……」

 とりあえず両親が無事なことに安心したが、何でこんな時に車が実家に突っ込んでくるんだ。正直気味が悪い。だけど両親も兄貴も遠方にいてすぐに帰ることが出来ない。だから私に警察と話をしてきて欲しい。ということだった。

「オッケー。分かった。すぐに行く」
『悪いな。俺も今親父から連絡受けてさ。流石にもう飛行機も新幹線も動いてないし、車で行こうにも、な』

 確かに車でも行けない距離ではないが、何時間かかるか分かったものじゃない。高速を使ってもすぐに駆け付けられる距離ではないため、兄の言い分は最もだ。それに明日も平日。兄にも仕事がある。両親に何事もなかった以上、そう簡単に家を飛び出すわけにもいかないだろう。
 だからまだタクシーで行ける距離にいる私が動いた方がいい。それに、場合によっては刑事部捜査二課に勤めている田辺さんの力を借りることになるかもしれない。
 ……審神者やってるだけなのに、何で上位神やら警察官やらと知り合いになるんだろうなぁ……。
 自分の数奇な運命にいっそ笑いたくなる。

「ま、心配しないでよ。私だってもう成人してるんだからさ。とりあえず兄ちゃんは警察から連絡が来てから動いてもいいんじゃないかな」
『おう。親父からもそう言われた。明日の朝一でそっち帰るってよ。だから今日はよろしく頼むわ』
「オッケー。任せて」

 時間が時間だけど、ゲートは二十四時間稼働させることが出来るので問題ない。タクシーもすぐ捕まるだろう。例え路肩にいなくても手配すればいいしな。
 だから荷物を纏めて部屋を出ようとすれば、今度は母親から電話がかかってきた。だから兄貴と同じように「代わりに話を受けて欲しい」と言われるのかと思い、何の気なしに出たのだが。

『由佳。……そこに、陸奥守さんはいらっしゃるの?』
「は? むっちゃん? なんで?」

 何故かあれだけ敬遠していた陸奥守の所在を聞いてきた。いや、なんでやねん。

「傍にはいないけど、本丸にはいるよ? それがどうしたの?」
『…………』

 普段はペラペラと、こっちが止めない限りはしゃべり続ける母が珍しく言葉に詰まる。そんな母に首を傾けていると、バトンタッチしたのだろう。今度は父が『由佳』と名前を呼んできた。だけどその声はいつもより硬く、のんびりとした父にしては珍しいな。と思った。

『もし陸奥守さんがそこにいるなら、お礼を言って欲しいんだ』
「は? お礼? なんで?」

 さっきとほぼ同じ台詞を繰り返えせば、言葉に詰まった母とは違い、父が事情を説明してくれる。

『お前のところにも連絡が行ったかは分からないが、さっき我が家に車が突っ込んできたらしい』
「みたいだね。兄ちゃんから電話が来たよ。だから二人の代わりに話をして欲しい、ってさ」

 それこそ数秒前の出来事だ。どうせこの時間帯だから飲酒運転か高齢者がアクセルとブレーキを間違えたか、その辺だろうと思って深く考えていなかったのだが――

『……実はな。この前、お前が陸奥守さんをうちに連れて来ただろ?』
「うん」
『あの時に、父さんたちに「肌身離さず持っているように」とお守りを渡して来たんだ』
「お守り?」

 初めて聞く話に首を傾けていると、父は『うん』と頷く。

『中に“身代わりの札”が入っているから、勝手に中を開けることも、どこかに置き忘れて出かけることもないように、と。そう言われてね』
「え」
『最初は半信半疑だったんだ。だけどお前がわざわざ連れて来た神様だろう? 真正面に座っている時も人とは違う感じがしたから、彼の言う通りにしようと思って母さんと二人でいつもお守りを持ち歩くようにしたんだ』

 母は紐を通して首にさげ、父もポケットに入れて持ち歩くようにした。そんな中、少しずつ不可解な現象が起き始めたという。

『最初は悪戯電話がかかって来る程度だったんだ。父さんや母さんのスマホや家の電話にね。無言電話が殆どだったから無視していたんだけど、誰もいないのにドアフォンが鳴ったり、風も吹いてないのに窓ガラスが揺れたり、そういうことが続いたんだ』

 流石に不気味に思った両親が私のお師匠様である榊さんのところに相談に行けば、途端に「お祓いをしましょう」と言われたらしい。

『そこでお祓いを受けたんだけど、その時に榊さんから「今持っているお守りは必ず、どこに行くにしても必ず持ち運ぶように」と念を押されたんだ』

 なにそれこわい。
 お師匠様がそこまで言い募るぐらいなのだ。よっぽど酷い何かが二人に憑いていたとしか思えない。

 と、そこまで考えてハッとする。まさか――。

『お祓いを受けた翌週だったよ。何となく応募した懸賞に当たってね。お祓いを受けたからいい運気が流れて来たのかと思って、母さんと二人で温泉旅行に出かけたんだ』

 そんな中起きた事故。だが車が店や家に突っ込む事故というのは全国的に見ても珍しいものではない。だから普段ならそこまで薄気味悪く思わなかっただろう。だけど――。

『お守りがね、突然“燃えた”んだよ。父さんと母さんの、二人分がね』
「え……」

 陸奥守が『“身代わりの札”が入っている』と告げて渡したお守りが“燃えた”? ということは、恐らくだけど鳳凰様の気か術が組み込まれていたのだろう。それが燃えたと言うことは、即ち、

『……助けて下さったんだ。お前の神様が、私たちを。だから、お礼が言いたくてね』

 もし、もしも陸奥守が両親にお守りを渡していなかったら。

 考えただけでも足が竦むような心地になり――いや。実際にふらついて咄嗟に襖にもたれかかる。だけどここで私の体を抱き留める人がいた。

「…………むっちゃん」

 陸奥守は、黙ってこちらを見ていた。その瞳は穏やかなようでいて、どこか心苦しそうにも見える。
 そんな、いつにない陸奥守の瞳を見上げていると、耳元で父親が『そこに陸奥守さんがいるのかい?』と問いかけて来て我に返る。

「あ、う、うん。むっちゃん、うちのお父さんが――」
「分かっちゅう。おまさんのご両親が無事ならそれでえい。そう伝えてくれんか」

 スマホを向けていたから、恐らくその声は聞こえていただろう。だから大人しく自分の耳元に戻せば、父からも『ありがとう』と言われる。だから陸奥守には頷くことで伝わっていることを教えれば、陸奥守も無言で頷き返してくれた。

「それじゃあ、もう二人には何も起きない、ってことだよね?」
『さあ。流石にそこまでは分からないな。父さんたちはお前やお養母さんと違って何も分からないから……』
「あ……そっか。そうだよね」

 感知能力や神様と謎のパイプを持っているわけでもない。本当に、どこにでもいる平凡な両親なのだ。兄だってそうだ。だから、私がしっかりしなくちゃいけない。

「とにかく、今夜はゆっくり休んで」
『分かった。父さんたちも朝一でそっちに行くから、お前も無理はしないようにな』
「うん。ありがと。おやすみ」

 通話を切り、スマホを鞄に仕舞ってから改めて陸奥守と向き直る。だけど、泣きつくためじゃない。

「――知ってたの?」

 うちの両親が、危険な目に合うかもしれないって。
 それが聞きたくて真正面から琥珀色の瞳を見つめれば、陸奥守は一度瞼を伏せた後、静かに頷く。

「予測、やったけんど、上様がな。『念のため渡しちょけ』ち言うて、わしにおまさんらのご両親に渡したお守りをくださったがよ」
「なんで……何であの時教えてくれなかったの?!」

 そんな大事なことをどうして教えてくれなかったのかと詰め寄れば、陸奥守は「確信がなかったからじゃ」と静かに答える。

「上様は相手の心は読めるけんど、未来は視えん。けんど、『魔のモノ』は周囲に不幸を、災禍をまき散らす存在やき、用心に越したことはないち言うて……。おまさんのご両親に何かあったら、おまさんがショックを受けろう? 上様はそれを嫌がったがよ」
「でも、確信がなくても話して欲しかった!」

 だって私の両親なのだ。親を失って傷つくのは鳳凰様でも陸奥守でもない。私なのだ。それなのにどうして、と掴みかかるようにして着物を握り締めれば、陸奥守はそっと私の肩に両手を置き、ゆっくりと引き離す。

「……言えんかった。どこで誰が見ちゅうか分からん中、素直なおまさんに話せば相手に勘繰られる可能性があったき。言えんかったがよ」
「………………そんな…………」

 確かに嘘は苦手だ。嘘を吐くことも、吐かれることも好きじゃない。でも、自分の両親に関わることを秘密にされるのは流石に堪えた。
 無意識に二三歩下がってしまったが、ここで悲劇のヒロインのように涙を流し、慟哭しても仕方がない。確かに秘密にされていたのは悔しいし、腹立たしい。だけど鳳凰様と陸奥守がいなかったら両親は確実に怪我をしていた。最悪の場合命を落としていたかもしれない。

「…………フーッ……」

 私はグチャグチャになりそうになる感情を抑え込むために深く息を吸い込むと、勢いよく両頬を叩いた。

「主?!」
「はー……。むっちゃんと鳳凰様には、正直『こんにゃろー』って思ってる。でも、同時に感謝もしてる」
「……おん」

 分かってる。二人が両親を気にかけ守ってくれたのは、結局『私を守るため』だったってことは。だけど素直にお礼を言うにはやっぱりちょっと癪だ。確かに私は何も出来ない。それは事実だ。だけど両親を守れる力が備わっていなくても、せめて一言ぐらい説明が欲しかった。
 でも、神様と人では視点が違う。常に沢山の人を、長きに渡って人の生活を見て来た鳳凰様と陸奥守に人間の心の機微についてとやかく言うのは野暮というものだ。
 それに、二人のおかげで助かったことは事実だ。そこは最大限の感謝を示さなきゃいけない。

 だから、もう、詰ることも精神を乱されることもあってはならない。

「……むっちゃん」
「おん」
「一緒に現世に来て」

 ――ここから先は、女審神者“水野”の仕事だ。そして、私は私に喧嘩を売ってきた、私の家族まで巻き込もうとした黒幕を絶対に許しはしない。

「勿論じゃ。おまさんが望むなら、わしは地獄でも喜んでついて行くきの」
「何バカ言ってんの。私は死んだら竜神様のところに行くって決まってるの。だからむっちゃんとは――」

 そう。皆とも、陸奥守とも、ここの本丸での生活が終わればもう会えない。どんなに好ましく思っていても、大切に思っていても。いつかは、別れなきゃいけない。

 思わず唇を噛んだ私に、陸奥守はそっと手を伸ばしてくる。
 正直、叩いてやろうかと思った。いつも優しいばかりで、甘やかすばかりで、ちっとも私を頼ろうとしないこの手を。
 だけど、弾くにはあまりにも“愛しすぎてしまった”――。だから甘んじてその手の平を受け止めてから顔を傾け――がっしりと手首を掴んでその手に軽く噛みついてやった。

「お゛ん゛?!」
「はい。これでチャラ。でも次黙って何かしたら、ビンタするからね。ビンタ」

 こうして、こうじゃ! と言わんばかりにスイングして見せれば、陸奥守は目を丸くしたあとケラケラと笑いだす。

「がはははは! まったく……おまさんにはびっくりさせられてばかりじゃ」
「なーにが。いっつも驚かされてるのはこっちだっつーの! ほら、もう行くよ!」
「おう!」

 鞄を肩に下げ、バタバタと廊下を走っていたら「なんだ」「どうした」と皆がそれぞれ顔を出してくる。とはいえ流石に全員連れて行くわけにはいかないから、陸奥守ともう一振りだけ連れて行こうとザっと視線を走らせる。

「よし! 秋田! 君に決めた!!」
「はい! お供します!」

 私の懐刀は小夜だけど、小夜には本丸で皆を纏めてもらいたい。あとは時間帯的な問題で太刀は除外する。もし戦闘になった場合を考えれば脇差か短刀がいいのは分かっているんだけど、脇差は二振りしかいないし、二人には今日それぞれ仕事を与えていた。だから休ませてあげたいので却下。
 となると短刀の中から選ぶしかないんだけど、五虎退は虎がいるから却下。薬研は本丸で誰か怪我をした時に診て欲しいから残ってて欲しいので除外。平野と前田は礼儀正しいからどこに出しても恥ずかしくはないんだけど、現世では逆に堅苦しすぎて悪目立ちする。乱は少年に女装をさせてるやべー奴。と思われたくないので却下。
 残る短刀は秋田藤四郎だけだ。でも不満はない。何せ秋田は小夜の次に来てくれた付き合いの長い短刀だ。私の性格も理解しているだろうし、何だかんだ言って柔軟な子だから臨機応変に動くことが出来る。だから秋田を指名すれば喜んで駆けてきた。

「陸奥守と秋田以外全員本丸で待機! 私が戻るまで勝手に遊びに行っちゃダメだからね! 分かった?!」

 下駄箱から靴を出しながら指示を出せば、皆不思議そうな顔をしながらも返事をしてくる。そんな中ひょいと鶴丸が顔を出したが、気まずさを覚えたのは一瞬だけだった。
 私はすぐに鶴丸を手招きすると、いそいそと近付いてきた男に「しゃがんで」と告げる。流石に今朝のことがあったのだ。鶴丸は大人しくその場で正座する。おかげで大変やりやすくなった。
 ――ので、思いっきりその脳天にチョップを入れてやった。

「おう?!」
「はい。これで今日の件はチャラね。謝ったら今度はビンタするから」
「な……! 謝らせてもくれないのか?!」

 どこか愕然とした様子を見せる鶴丸だけど、別に怒ってはいない。恥ずかしかっただけで。だから鶴丸を責める気はなかった。というか、

「だって、もう皆に叱られたんでしょ?」
「それはそうだが……。だが、きみを傷つけたのは事実で――」
「は? 別に傷ついてなんかないけど」

 え? とうちの刀たちの声が重なる。
 いや。逆になんでさ。

「何を勘違いしているのかは知らないけど、別に傷ついてはないよ? 恥ずかしい話、自分の反応に自分で驚いただけ。鶴丸には怒ってないよ」
「い、いや、だが、」
「それに、皆が私のことを嫌ってないなら、それでいい。逆に驚かせてごめんね。って感じ」
「え」

 正座したままの鶴丸が硬直するが、私としては本当に怒っていないのだ。ただ、皆に失望されるのが怖かっただけで。

「ほら。私って泣き虫じゃん? すぐ泣くし、すぐ切れる。でも皆はすごく優しいから、すぐに私の事甘やかす。それがさ、逆に情けないっていうか……時々すごく――辛くなるんだよね」
「主……」
「分かってるよ。私は、確かに皆の“主”だけど、結局“女”であることに変わりはない。竜神様とか鳳凰様とか、すごい神様と知り合いだけど、私自身には戦う力なんてないし、剣道も出来ない。運動神経もよくないし、皆には迷惑ばかりかけてる」

 自分で言っておきながらほとほと役立たずだな。としか思えないが、それでも――私は“審神者”なのだ。政府に言い付けられたからといって何の努力も責任感も持たずにこの職に居座りたくはない。むしろ自分に出来ることがあれば何でも全力で取り組みたい。まあ、最終的には一人じゃどうしようも出来なくなって皆に手助けしてもらわないといけないことばかりなんだけどさ。

「本当は、いつ失望されても可笑しくないって分かってる。だから、出来る限り“主”らしくいたかったの」

 だけど荒波にもまれた時代に生きた刀たちにとって“将”とは男性だ。女じゃない。だから少しでも“女らしさ”を持たないよう心掛けていた。まあ、半分は長年根付いていた癖と無意識だったけど。

「でも、どんなに逆立ちしたって私は“女”でしかない。だからいつも心のどこかで恐れてた。皆に――私の神様たちに、失望されることを」

 誰かの『懐刀』として託されることが多い短刀はともかく、脇差や打刀、太刀の皆は常に男性に所有されていた。勿論家々で女性を見る機会はあっただろう。大典太とか枕元に置かれていたぐらいだ。女性を知らない訳ではない。
 だけど女性は“家主”でも“将”でもないのだ。女は、いつだって下に見られていたから。

「だから、少しでも“女”である部分を見せたら嫌われちゃうって、ずっと思ってたんだ」

 皆からよく「危機感を持て」とか「女性なんだから」と注意を受けていたけど、それを聞かなかったのは性格上の問題だけではない。ほぼ無意識の領域だったけど――自分が“女”であることを否定しようとしていたのだ。

「無駄なことだったのにね。私は……どうやっても“男”にはなれないのに」

 今まで沢山、皆に守られてきた。その腕に抱きこまれ、背に庇われてきた。何度も何度も。皆が繰り返し教えてくれたのに、自分の性別を最初から除外していた。

「主……」
「だから、今朝あんな声を出しちゃった自分がすごくショックだったの。心から『情けないな』って思った。それから、皆に嫌われたんじゃないかと思って、すごく怖かった」

 もし皆から『主に相応しくない』と言われたらどうしよう、って震えていた。皆に嫌われたら、もう“主”って呼んでくれなくなったら。私のことをただの“女だ”と思って蔑んだ目で見られたら――。そう思うと怖くて――動くことすら出来なかった。
 あの場に和泉守と小夜がいなければどうなっていたことか。正直よく分からない。

「だから、鶴丸は何も悪くない。ただ私が弱かっただけ。ずっと強くいられなかった私が悪いの」
「違う! きみは何も悪くないぞ!」

 鶴丸が片膝を立ててまで抗議してくるけど、私は黙って首を横に振った。

「うん。性別に関してはそうだね。だって、生まれて来た性別は変えようがないから」

 いや。厳密に言えば性転換手術とかあるんだけどさ。そこまでする必要はないっていうか……。うん。性別変えちゃったらむっちゃんも両親も、兄貴もビビりそうだからやめておく。

「でも、少なくともむっちゃんと小夜くん、江雪さんは私が“女”でも味方でいてくれる、ってのが分かったから。なんか、もうそれでいいかな。って」

 陸奥守は恋人でもあるからある意味では『当然』と言っていいのかもしれないけど、小夜と江雪は私が“女”であっても“主”であることを認めてくれた。むしろ私の代わりに怒ってくれるとまで言ってくれたのだ。それだけで救われた気がして、随分と楽になったのだ。
 だけど私の発言に問題があったのか、すぐさまあちこちから不満の声が上がる。

「主さん! ボクだって主さんの味方だよ!」
「そ、そうです! 僕も、あるじさまをずっとお守りしますっ!」
「主君をお守りするのは我らの存在理由です。性別など関係ありません」
「前田の言う通りです。僕たちは何があっても主さまをお守りすると決めているのです」

 粟田口の短刀がすかさず詰め寄って来たかと思うと、目の前にいた鶴丸からも「きみは本当に……」と頭を抱えられる。だけど見上げて来た瞳に、蔑むような色はなかった。

「主。確かにきみは女性だ。だがな、主が女だからと言って厭うほど我々は子供ではないぞ」
「鶴丸の言う通りだぞ、主。むしろそなたを守るために我らは戻って来たのだ。そんなことを言われたら寂しいぞ」
「鶴丸と三日月の言う通りだ。死に物狂いで戻って来たのだから、せめてもう少し信用して欲しいものだな」

 鶴丸に続いて声を上げたのは、鬼崎によって呼び出され、またうちに送り込まれた古刀太刀だ。だけど皆一度折れ――そして不思議な縁を辿って戻って来てくれた。今度こそ『私に仕えるために』と言って。頭を下げ、忠誠を誓ってくれた。
 忘れていたわけじゃないのに、彼らの気持ちを蔑ろにしていたのだと気付いてハッとする。
 だけど私が落ち込むよりも早く大典太さんから頭を撫でられた。

「あんたが男だったら、と思うような奴はここにはいない。いたら言え。俺が切ってやる」
「大典太さん……」
「そうですよ。まあ、確かに刀にモテるのはともかくとして、同性からも人気なのは流石にどうなんだとは思いますけど」
「宗三。何故あなたは素直に気持ちを告げられないのですか……」
「おや。僕は常に素直ですよ、江雪兄様」
「兄様……。素直に敵が多くて困る、って言えばいいのに……」
「小夜! 違いますからね!」

 なんだか賑やかになって来た面々に思わず吹き出せば、今度は和泉守から頭を撫でられる。

「ったく、んなこと気にしてたのかよ。オレらの主はあんただけだ。他所の本丸だとか、元の主だとか、比べて勝手に落ち込むぐらいなら相談しろ、っての」
「だって……。皆凄い人が元主じゃん。気にするよ」
「まあーね。主の気持ちも分からなくはないけど、でも、俺はちゃんと主のこと大好きだよ。主が新しい持ち主でいてくれてよかった、って、いっつも思ってるんだからさ。あんまり寂しいこと言わないでよね」

 和泉守に続き加州にまで励まされてしまう。だから思わず「ほんとに平気なの?」と尋ねれば、全員から「当たり前だ」と言われてしまった。

「むしろ何故伝わっていないのか、そこに僕は物申したいよ」
「歌仙くんの言う通りだよ、主。僕たちは君の刀だ。持ち主である君に不満があるとすれば、性別云々じゃなくて、僕たちの気持ちを信じてくれないところだよね」
「え゛。そ、そんなつもりは……!」

 燭台切からもたらされた思わぬ一言に身を硬くすれば、途端に「そーだそーだ!」と声が上がる。チクショウ! お前らあ!!

「第一、文句があるならもう言ってるっつーんだよ」
「そうですよ、主さん。僕たちもう長い付き合いなんですから、もっと信じてもらわないと」
「困る」

 同田貫に続き、堀川、鳴狐と初期メンバーにツン、と額を押されて瞠目してしまう。
 ……そう言われたら何も言い返せないなぁ。思わず苦笑いすれば、ここで預かっていた刀の中で一際背の高い“日本号”が口を開いた。

「むしろ審神者が男だと完全な男所帯になっていけねえなぁ。むさ苦しくて敵わん」
「それはお前がそんな見てくれで顕現するからだろう。もっと小柄になれなかったのか。もしくは髭を剃れ」
「一々うるせーなぁ、へし切よぉ」
「長谷部と呼べ!」

 やはり長年一緒に保管されていたからか、既に気安いやり取りをしている二人につい笑ってしまう。だけど日本号の発言に関しては冗談ではなかったらしく、意外にも大和守や亀甲なども「そうだね」と頷き始める。

「なんていうか、潤いがないよね。男臭いし」
「癒しは欲しいよねえ……。それに、楽しみがない分下品な話題も出やすいしね」
「それ、お前が言うか?」
「ぼくのどこが下品だと?」

 呆れた顔をする日本号を仰ぎ見る亀甲は心底不思議そうにしている。なんか、この人ちょっとにっかり青江っぽいところあるんだよな。青江もうちにいないけど、他の本丸で見るとなんかこういう掴みどころのないイメージがある。
 だからつい苦笑いしていれば、後藤藤四郎も「まあなー」と明後日の方向を見ながら頷いた。

「あんたの本丸で暮らしてさ、うちと何が違うのか、よく分かったよ」
「明るいよね。ここ」

 後藤藤四郎の言葉に続いたのは、唯一の大太刀である蛍丸だった。だけどその発言の意味が分からず「明るい、ですか?」と首を傾ければすぐさま頷かれる。

「明るいよ。すごく。皆前向きで、目が生き生きしてる。だから強い」
「うん。それ、すごくよく分かるな。皆、君に仕えることを、君の力になれることを喜んでる。全力で応えようとしてる」
「ボクたちの本丸も特別暗いとか、元気がないとは思わなかったんですけど、水野さんの本丸に来たら皆さんとってもパワフルで、圧倒されちゃいました」
「それに、とても良質な神気に溢れています。……なによりも、古き神々があなたを見守っているのです。あなた以上の持ち主など、早々現れることはないでしょう」

 蛍丸に続き、燭台切に物吉、数珠丸にまで肯定されてちょっと驚いてしまった。日頃彼らとはあまり話さないからてっきり居心地が悪いのかと思っていたのだけれど、そうじゃなかったらしい。

「つーかここの刀ガード硬すぎなんだよ!! せめて挨拶だけでも、と思ってもすぐ誰かに止められるから、あんたと話せる機会が全然持てないんだよ!」
「へ?」

 後藤藤四郎からの思わぬ一言に目が点になるが、即座にうちの刀に視線を走らせたら途端に視線を逸らしたり笑みで誤魔化そうとしてくる。
 お、お前らあ!!!

「皆何やってんの?!」
「いやー。これ以上敵を増やすのはどうかと思ってな」
「敵ってなに!? 刀剣男士は審神者の味方ですけどぉお?!」
「違う。そうじゃない」
「あなや。陸奥守よ。主のこういうところは変わらぬのか?」
「がははは! むしろこのままの方がかわえいろう」
「むっちゃん?! 何言ってんの?!」

 意味が分からな過ぎて誰をどう叱り飛ばせばいいのか分からない。だから仕方なく、そう。仕方なくだ。鶴丸の頬を横に引っ張った。

「何故俺?!」
「一番近くにいたから」
「そんな理由でか! 驚きだぜ!」

 本当は逃げようと思えば逃げられたし、この手を弾こうと思えば弾けたくせに。敢えて引っ張られて「驚いた」なんて口にする鶴丸に呆れて笑ってしまう。

「もー。皆ほんっとーに過保護なんだから」

 グニグニと鶴丸の白いほっぺたを揉んでから離してやると、何故か鶴丸は「なんだかご褒美を貰った気分だな……」と訳の分からないことを言っていた。でも三日月も撫でられるの好きだし、加州や乱もそうだから、皆触られるのが好きなのかもしれない。元々刀だからかな? だったら顔とか頭って持ち手の部分なのか? よく分からん。

「でも、ありがと。皆に嫌われてないって分かって、安心した」

 だって、皆は私にとって大切で、大好きな“神様”だから。嫌われたらやっぱり悲しい。だから今度はちゃんと笑顔でお礼を言えば、今度は三日月から頭を撫でられる。

「大丈夫だ。主。そなたは皆に愛されておる。性別など気にせずともよい」
「ああ。むしろ君が女性でよかった。我々にとっては“癒し”だからな」
「それは手入れが出来る、という意味でですか?」

 鶯丸の言葉に首を傾ければ、途端に「はあー……」と全員から溜息を零された。なんでだよお!!!

「がははは! やき言うたろう。おまさんはそれでえい、ち」
「でもさー……」
「でも、じゃないぜよ。上様からもそう言われたがやろう?」
「それはそうだけど……」

 鳳凰様からも「そなたはそのままでよい」と言われた。水と同じであるがままだから良いのだ、とも。だけど今の話とこれ関係あるのか?
 うーん? と首を傾けていると、陸奥守からぽんぽんと優しく背を叩かれる。

「さ、もうえいろう? 早う行くぜよ」
「あ。そうだった。皆! 私今からちょっと現世に行ってくるから!」
「それは構いませんが……。何があったのかお聞きしても?」

 膝をついた長谷部に尋ねられ、まあ隠す事でもないからいいか。と思って実家に車が突っ込んできたことを正直に告げる。途端に皆がざわついたけど、すぐに口を噤んだ。

「大将。これはもしかしたら……」
「うん。鳳凰様がくださったお守りが反応したくらいだから、きっとそうだと思う」
「ならば我々も――」
「ううん。流石に時間も時間だし、相手は審神者でも政府役員でもない警察官だから。大勢引き連れて行ったら変に思われちゃうよ」

 だから鳳凰様に特別に肉体を与えられた陸奥守と、夜戦、室内戦で活躍できる短刀を連れて行くつもりなのだと伝えたら一先ずは納得してくれた。だけどここで薬研から一つ提案がもたらされる。

「だが大将、相手が近くにいた場合陸奥守と秋田が傍にいたらそいつを追うことが出来ない。身辺警護は二人に任せ、他の奴らを外で待機させていた方がいいんじゃないのか?」
「まあね。それは私も考えた。でも相手が審神者だった場合、皆の顔を知っている。幾ら夜道に紛れていても仲間がいた場合は逃げられる。不信感を与えて逃げられる方が面倒だ」

 勿論相手が自分の刀を何振りも連れて来ていた場合はまた話は変わるのだが、今のところ刀を使っての襲撃は行われていない。“嫉妬”を司る『魔のモノ』だって刀剣男士ではなく審神者についていたのだ。そして“浸食”はそーくんを通して私に呪いをかけてきた。
 つまり、悪神と刀剣男士の相性は悪い。そう読んでいる。まあ、刀剣男士は戦刀とはいえ善の陣営にいるからだろう。人の魂を堕落させ、奈落に落とす悪神とは相性が悪くて当然だ。
 それに、鳳凰様の『退魔の加護』が発動した相手は“小鳥遊”と名乗る女性だった。彼女が“嫉妬”の悪魔と契約した審神者が惚れた女性審神者だった場合、刀剣男士の性格や行動パターンを把握している可能性がある。もしもそれを警戒していた場合、こちらの刀剣男士を見つけたら即現場から離脱するはずだ。
 そして次はもっと巧妙に隠れ、影から襲って来るに違いない。結果的にそちらの方が対処が面倒になるので、どちらにせよ多くは連れて行く気がなかった。

「そうか……。あいわかった。では気を付けて行くのだぞ。相手は何をしてくるのか分からぬのだからな」
「三日月さんの言う通りだよ。主さんはボクたちみたいに手入れすれば治る体じゃないんだから、注意してね」
「まあ、いざとなれば竜神殿が手を貸してくれるだろうが……」
「念には念を、だ。せめてこれを持っていけ」

 ぬっと伸ばされた大典太の手から渡されたのは、万事屋では見たことのないお守りだった。

「これは?」
「俺が作った。怪異からお前を守るためのお守りだ」
「前よりうまくなってる!!」

 以前、バレンタインのお返しにお守りを貰った。だけどあの時より上達しているからてっきり売り物だと思ってしまった。素直に驚いていると、大典太さんが「練習したからな」とどや顔で可愛いことを言い放った。……この神様、顔は怖いけど中身は可愛いんだよなぁ……。

「ありがとう、大典太さん」
「構わん。だが、無理はするな。あんた自身に戦う力はないのだから、いつでも本丸に逃げられるよう準備はしておけ」
「はい! それじゃあ皆、行ってきます!」

 皆からの心強い応援を貰いながら、私は陸奥守と秋田を連れてゲートを潜った。




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