小説
- ナノ -




 何事もなく無事『審神者女子会』が終わった日の夜のこと。お風呂上りの火照った体を夜風で冷ましつつ自室に向かって歩いていると、縁側に陸奥守が座っていた。

「むっちゃん?」
「ん? どういた?」
「隣、座ってもいい?」

 陸奥守も夜風に当たっていたのだろうか。どこを見ているのか分からない横顔は普段見る顔とはどこか違って見えた。だからというわけではないけど声をかければ、途端に陸奥守は悪戯っ子のような笑みを浮かべて膝を叩いて来る。

「隣じゃのーて、こっち来とうせ」
「だ、誰がそこに座るかいッ!」

 部屋の中ならともかく、誰に目撃されるか分からない縁側でそんな恥ずかしい格好は出来ない。だから無理矢理引き込まれないよう素早く隣に座れば、途端に笑われた。チクショウ。この初期刀、すぐ揶揄ってくる。
 羞恥心故の毒を内心で吐きながらも先程のどこか遠くを見るような横顔が気になり、じっと整った顔を見つめれば陸奥守は苦笑いを浮かべた。

「二人の時はこっち見れんち言いよったのに、今は違うがか?」
「ん? んー……。何となく。今はそういうのじゃないかな、って」

 どう説明すればいいのか分からないけど、物思いに耽っているような、大事な記憶を思い返しているような。そんな空気だったから。だから何となく隣に座っただけで特に何かを話そうと思ったわけでも、理由を聞きたかったわけでもない。
 ただ隣にいたかったのだ。何も話さなくてもいいけど、一人じゃないよ。っていうのを伝えたくて。
 それを伝えると、陸奥守は私の顔を見つめたまま口を噤み、二回、三回と瞬きする。そうして今度は困ったように笑うと「降参じゃ」と言って両手を上げた。

「今日は、いつもより上様の火の気がきつうての。夜風に当たっちょったんじゃ」
「ぁ」

 眷属になった以上、陸奥守は鳳凰様の『火の気』の影響を受ける。普段はそこまで酷くはないみたいだけど、やはり自然の神だ。気が強くなる日もあれば弱くなる日もある。今日は特に強いみたいで、陸奥守は縁側で涼んでいるらしかった。
 でも、本当は火の気に当てられて昔のことを思い出したのだろう。それこそ、自身が『焼けた日』のことを。

「…………そっか」

 ここでバカ正直に「怖くない?」と聞いたところで頷くはずもない。むしろいつもと変わらない声で「なんちゃあない」と言うに決まっている。だってこの神様は、私が何も知らない頃からずっと一人で色んなことを抱え込んで、私と皆を守ってきてくれたのだから。それに“巻き込まれ体質”の私を気にしてか、自分の弱いところは決して見せようとしない。今日話してくれたのだって表面部分だけで、きっと大事なところまでは踏み込ませてくれないだろう。それが分かるからこそ、少し――寂しかった。

 こんな時、自分はなんて無力なんだろう。と実感する。自己嫌悪っていうより、情けなさを噛み締めている感じだ。砂を食んだみたいに口の中がジャリジャリして気持ちが悪い。
 でも戦う術を持たない私はいつだって皆に守られている。だからこそ何か返せる時があれば返したいのに、その切欠さえくれない。だからせめて、それこそこんな時には強引に抱きしめてもいいのにしないのだから、つくづく困った神様だ。

「むっちゃん」
「おん?」
「イヤだったら突き飛ばしてね」
「は?」

 鳳凰様の気を鎮めるために毎日触れ合ってはいるけれど、いつもいつも『恋人同士』との接触だと思うと全身がガチガチになって霊力を感じる暇もなかった。
 だけど今は素直に陸奥守の躰に触れることが出来る。

「ある、じ」
「大丈夫。大丈夫だよ。……何も聞かないから」

 お風呂上がりだから汚くもないし、汗臭くもないはずだ。
 だから膝立ちになって陸奥守を抱き寄せれば、途端に逞しい体が硬直する。だけどすぐに弛緩した。

「……おまさんは、ちょいちょい大胆になるきびっくりするちゃ」
「そうだね。自分でもそう思うよ」

 でも、今は自分の『羞恥心』よりもあなたの方が大事だから。
 確かに、苦しんでいる相手が陸奥守だろうとそうじゃなかろうと私は自分の力で相手が楽になるなら幾らでもこの手を伸ばすつもりでいる。男だとか女だとか、そんなの関係ない。普段何も出来ないからこそ、何か出来る時には全力で取り組みたいのだ。
 だから今も陸奥守の体を抱き寄せて頭を撫でていると、陸奥守は「はー……」とため息のような吐息を零した。

「わしも男なんやが」
「そんなの見れば分かるよ」
「いんや。そうやない」

 陸奥守が男性であることは見れば分かることだ。だから何を今更。と思い返事をするが、陸奥守は私の背中と太ももの裏に腕を回すと、グッと持ち上げ自身の膝の上に乗せて来た。

「うおう?!」
「がははっ。なんちゅー声出しゆう」
「だ、だってビックリしたんだもん!」

 咄嗟に陸奥守の肩と首筋に縋りついたため極度にバランスを崩すことはなかったが、向き合う形で膝の上に乗せられたことには驚いた。だけどいつものように全身を緊張で硬くすることはせず、そのまま視線を合わせて会話をする。
 だって、今は自分のことより陸奥守のことが大事だから。
 陸奥守もそれに気付いているのだろう。どこか可笑しそうに笑うと、こちらの頬に手を伸ばし、そのまま撫でて来る。

「ほんにしょうことがない人じゃ。……どういたら伝わるがやろか」
「なにが」

 まるでいつかの繰り返しのような会話を繰り広げると、陸奥守はそのまま顔を近付けキスをしてくる。

「んっ」

 でもここでいつもみたいにビクついていたら話が進まない。だから今日はどうにか硬くなりそうな全身を抑えつけ、軽く触れてから離れた唇を追いかけ、初めて自分から唇を重ねてみた。

「ッ、」
「――はあっ。わ、私だって、やる時はやるんだからねッ」

 めちゃくちゃ恥ずかしいけどな!!!
 夜とはいえ月明りも星明りもある。それに時には野戦にも赴くことがある陸奥守のことだ。こちらの真っ赤に染まった顔など見えているだろう。御簾も、今は外しているから。
 案の定陸奥守は初めての――私からのキスに驚いたように目を丸くしていたが、すぐに目を細めて笑いだした。

「あー、いかん。こりゃいかんちゃ」
「だからなにがっ」

 なんだよう。私からのキスが下手だったから笑ってんのか?! しょうがないじゃん! 自分からすんの初めてなんだからさ!!
 いつもいつも与えられてばかりで中々返せなかったが故に、照れが爆発してちょっと強めの声が出てしまう。だけど陸奥守はそんな私に気にせず笑ったかと思うと、いきなりこちらの体を抱えて立ち上がった。

「ひぎゃッ?! な、何すんのさ!?」
「ここじゃ人の目があろう? 今は誰もおらんけんど、見つかったら面倒じゃ。おまさんの部屋に行くぜよ」
「お、おう?」

 見つかったら不味いことでもある――あるな。うちの刀たち過保護だし、私たちの関係がバレた翌日なんて陸奥守めっちゃ文句言われてたし。いや、もしかしたらバレた日の夜から既に色々言われまくったかもしれないんだけどさ。
 それでも今は時折チクチクされるだけで皆認めて(?)くれてはいる。……多分。
 だからと言って恋人同士の触れ合いを見せるものでもないし、陸奥守の判断は正しいと言えるだろう。
 そう考えたら抵抗するのも可笑しい気がしてそのまま陸奥守に体を預ければ、またもや「おまさんは危機感がないき心配じゃ」と言われてしまった。なんでやねん。

「だからさー。何で私がむっちゃんを警戒しなきゃなんないのさ」
「これから教えちゃるき、しっかり覚えとうせ」

 教えるって、何をだろう。
 首を傾けている間にも目と鼻の先だった私室に辿り着き、陸奥守は私を下ろすと勝手知ったる、と言わんばかりに押入れを開けて布団を敷き始める。だから慌てて自分も手伝えば、シングルの布団はすぐさま用意出来てしまった。

「ほいで、おまさん、これ見て何か言うことはないかえ?」
「え? 特には……。敢えていうなら『いつでも寝れるな』ぐらいだけど?」

 だって布団は“寝具”だ。寝るための道具なんだから、それが用意されたら「よーし、後は寝るだけだぞー」しか言うことないじゃないか。そう思ったから素直にそう言ったのに、何故か陸奥守は片手で顔を覆った。

「ううん……。いや、大丈夫じゃろ。多分殺されん」
「何?! 何の話?! 怖いんだけど!」

 寝室が殺害現場に早変わりする事件でも起こすつもりか?! え? 待てよ? その場合殺されるの私じゃね? なんで???
 疑問符ばかりが脳内に乱舞していると、陸奥守に手を引かれ、そのまま布団の上に座らされる。かと思えば優しく肩を抱かれたまま布団の上に倒され、意味が分からないまま押し倒して来た陸奥守の、いつになく真剣な表情を見上げた。

 …………あれ? なんか、この体勢……。やばくない?

「…………むっちゃん?」
「おん? どういた?」
「あの……この体勢……」

 無防備に晒していた両手は、グッと重ねるようにして布団に押し付けられている。その状態でとんでもねえ美男子から見下ろされていれば、なんというか……。流石にというか、今更すぎるけど“危機感”とやらを覚えてしまう。だって、これ、傍から見たら完全に――。

「おん。よーよー気付いたかえ? けんど、先に言うたろう? わしも“男”じゃち」
「う゛あ゛ッ!!!!」

 え?! あ、それ、そういう意味だったの?!?!
 ようやく陸奥守が言っていた『男』の意味が分かり、一気に全身が熱くなる。
 いや! でもちょっと待って!! 流石に心の準備やら何やらが出来ていないのですが!!!!

 だけど狼狽えるこちらとは裏腹に、陸奥守は「言うたろう」と同じ言葉を重ねて来る。

「おまさんは“危機感がないき心配じゃ”ち」
「だ、だって誰も“こんなことしてくる”なんて思わねーじゃん!!」

 今の今まで誰にもそう言う目で見られたことがないから分かるはずもない。そう主張したのに、陸奥守はどこか呆れたような目でこちらを見下ろしてくる。

「そらおまさんの“勝手な思い込み”っちゅうやつじゃ。おまさんを好いちゅー男は、皆こういておまさんを押し倒す夢ぐらい見ちゅうもんぜよ」
「は?!」

 そんなわけないじゃん! と反論しようとしたところで、グッと陸奥守に顔を近付けられ息を飲む。

「――わしがそうやきの」



 お、ん、ほぎゃああああああああああ!!!!


 あんまりにもあんまりな事態に脳が混乱してパンデミック、じゃなくて、普通に大混乱して「あうあうあう」と意味のない言葉しか紡げない。さっきは頑張れたが、今はもう普通に羞恥心が天井突き抜けてどうすればいいのか分からない。
 全身熱いし心臓はドクドク言ってるし、混乱のあまり目の前まで滲んできた。唇はさっきから意味もなく震えて必死に酸素を吸おうと必死だし、重ねられた手の平には汗が滲み始める。
 それでも陸奥守は体を離すことなく、じっと至近距離からこちらを見つめている。その瞳がどこか恐ろしく――だけど不思議と目が離せない。鳳凰様の全てを見透かすような底知れない瞳とは違うのに、やはり眷属になったせいかどこか似た色を帯びている気がする。そんな、不思議と内側から発光しているかのように見える琥珀色の瞳を見つめていると、陸奥守の手がゆっくりと離された。

「これで分かったやろう。これに懲りたらもう少し危機感を――」

 持て。と、そう続けようとしたのだろう。分かっているけどどうしてだか――いつもなら分からない『火の気』が強くなったような気がして、咄嗟に離されたばかりの手を握って「待って」と告げる。
 まさか引き留められるとは思っていなかったのだろう。目を丸くした陸奥守の手を今度は自分から握りしめ、羞恥と緊張で頭の中が爆発しそうになりながらも押し倒されていた上半身を起こして厚い胸板に額を押し付ける。

「わ、分かった。けど、」

 心臓が耳元に移動したみたいに煩い。ドクドク、ドクドクと、鼓膜から脳みそまで揺さぶって来るようだ。それでも意を決して顔を上げれば、どこか期待するような瞳がこちらを見ていて息が出来なくなった。

「きょ、今日は、もう少しだけ――」

 陸奥守の全身に巡る『火の気』がもう少し落ち着くまでは、と思って引き攣る喉の奥からどうにか言葉を絞り出せば、皆まで言う前に噛みつくように口付けられ目の前で星が飛ぶ。

「んんッ?!」

 いつもの重ね合わせるだけの、触れ合いを楽しむような、戯れるようなキスとは違う。明確にこちらを『喰らおう』とする意思すら感じられる強引な口づけに全身が硬直したが、このままだといつものパターンに陥ってしまう。
 だから今夜ばかりは勇気を出して自分から陸奥守の首筋に両腕を回して縋りつき、引き寄せれば、初めて陸奥守の舌がベロリ。と唇を舐めて来た。

「――ヒッ」

 誰かに唇を舐められたのは、そーくんに無理矢理キスされた時以来だ。だけど、あの時と違って嫌悪感はない。むしろずっとドキドキが収まらなくて別の意味で死にそうですらある。
 それでもなけなしの知識と勇気と覚悟を総動員して恐る恐る頑なに結んでいた唇を開けば、すぐさま舌先が押し込まれ、舌同士が重なり合った。

「んうッ」

 ふぁ?! 予測出来ていたのに初めての出来事過ぎて体が驚いてしまい、変な声まで出てしまう。裏声とはまた違う、妙に甲高い声だ。その声に自分で驚いて背中がギクリ、と膠着したけれど、すぐさま宥めるように手の平が背に回り、撫でられる。

「ふぅぅっ……!」

 でもその優しすぎる撫で方が殆ど愛撫みたいで、却ってゾクゾクと、みっともないほどに背中が震えてしまい、目の前の体に必死にしがみつく。

「はあ、主っ」
「あっ、むっちゃ、まっ――」

 待って。と言おうとしたのに。大きな手の平が後頭部に回され、そのまま有無を言わさず引き寄せられる。その後はもう、なんかもうグチャグチャにされる感じだった。

 強引なようでやっぱりどこかこちらを気遣うような優しい舌先に、何度も何度も不慣れな舌先を撫でられ玩具みたいに体が震えてしまう。その度に宥めるように頭や背中を撫でられるけど、時折悪戯するみたいにうなじを撫でられ変な声が唇の隙間から唾液と一緒に溢れて零れる。
 それがイヤで必死に堪えようとするのに、不思議とそれが悟られてしまい何度も背中やうなじを撫でられ全身から力が抜けていく。
 最終的には陸奥守の首筋に縋りつく力すら抜けてしまい、またもや布団の上に押し倒され、そのまま呼吸すらままならないキスに思考まで溶かされそうだった。

「はあ、んっ、んうぅ……あっ、はあっ、あっ」

 熱くて、心臓が煩くて、もう右も左も分からない。閉じ込めるように抱きしめられた陸奥守の体は正直言って私以上に熱くて、キスの合間に汗が流れ落ちて来ていた。
 ――熱いんだ。火の気が全身に回っているから。
 鳳凰様も言っていた。本来刀は火の眷属にはなれない、と。だけど私は水の神様を宿しているから、鳳凰様と並ぶ水神の気が流れているから宥めてやれる、と。
 だから必死に応えた。少しでもむっちゃんの体を蝕む『火の気』が収まるなら、って。でも、その中に自分の“欲望”がなかったのかと聞かれたら嘘になる。だって、陸奥守以外の誰かが『火の気』で苦しんでいたとしても、こうした触れ合いは出来なかったと思うから。
 むしろビンタするか腹部を膝蹴りするか、大声で叫んで助けを求める可能性の方が高い。

 だから、つまりは、そういうことなのだ。

「はあ、はあっ、……あッ!」

 貪るように口付け合っていたからどのくらい時間が経ったのか分からない。それでもグッと抱きしめられた体――下腹部に当たった“ゴリッ”とした硬い感触に思わず悲鳴を上げれば、陸奥守がハッとしたように目を見開き、密着させていた体を離した。

「す、すまん」
「ッ……!」

 上半身は離れたけど、いつの間にか開いていた足の間で触れ合っていた体から――そこに触れる猛ったモノが治まる気配はない。

 ど、どうしよう。し、知ってるけど、知識としては知ってるけど、まさか、本当に、男の人のアレがそうなるなんて、自分と触れ合ってそうなるだなんて予想だにしていなかった。

 思わず両手で口元を覆い、驚愕と混乱で息を荒げていると、陸奥守が逃げるように体を離して起き上がる。

「すまん。主、ほんにすまんかった」
「うえっ」

 ガシガシと後頭部を掻きながら、捨て台詞のような謝罪を一つ残して襖が閉められる。だけど今度は追いかけることも、引き留めることも出来なかった。

 だって、そんな余裕こちらにもなかったんだからしょうがないだろう。


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」


 ただでさえ心臓の音が煩かったのに、再び和太鼓のような激しい音が全身で鳴っている。だって、だって、むっちゃんのアレ、めっちゃ反応してた……! 嘘かと思ったけど、ちゃんと当たったから夢ではない、はず!
 確かに小さい頃は兄貴や父親と一緒にお風呂に入ってたから見たことはあるけど、あんな状態じゃなかったから実質初めての経験だ。アレがああなってあんなになるなんて……!
 いやもう語彙力失せたけど許して欲しい。これは数日前まで喪女だった女にはキツイ。どう対処していいのか分からない。喜べばいいのかビビればいいのか、本当に分からないのだ。

 けど、一番の心配はマシになったと考えていいだろう。

 最後、逃げるように立ち上がった陸奥守の体からは『火の気』が収まっているのが感じられた。多分、あれなら今夜は寝られるはずだ。…………寝られる、のかは、知らないけど。

「うえぇぇぇえぇええぇ……」

 あまりにも、あまりにもこの短時間、短時間? で経験したことが凄すぎて、脳みそが追い付かない。
 足なんか未だにガクガク震えてるし、腰が抜けているのか立つことすら出来ない。頭だけでなく口の中もグチャグチャだし、生々しい表現をするなら陸奥守の熱とか舌の感触とか匂いとか、とにかくそういうものが全身に残っている。
 元は刀のはずなのに、なんであんな軟体生物みたいに動けるんだ。意味が分からない。本当は経験者じゃないのか?! 遊郭行ったことあるだろ、絶対! もしくは刀剣男士になる前、坂本家でなんか綺麗な付喪神とそういう関係になったとか!
 いや、待って。それならそれでちょっとショックだ。へこむ。いや、へこむなよ。そんな権利ないからな、私。

 一人でボケたり突っ込んだりと、躁鬱かよ。と突っ込まれそうなほどテンションを上げたり下げたりしながらゴロリ。と布団の上でもんどりを打つ。

 …………いやさ。マジでさ。皆どうやってああいう時間過ごしてんの? だってさ、き、キスだけで私こんなになったんだよ? 足も腰もガックガクで全然いうこときかない。そんな奴がこの先、ここから先のアレやらソレやらを出来る日がくるの? っていうか、その先 is なに? 何がどうしてそうなってああなるのさ。いやごめん。よく分からん。自分でも何言ってるか分かってない。ごめん。
 でも本当にちょっと待って欲しい。アレが、どこに、inされるの???

 いや知ってる! 知ってるんだけどさ! 保健体育で習ったから! めしべとおしべ(人体ヴァージョン)だろ!? 分かってるよ!
 でもさ、でもさ、こんなさ、元ドスコイ体型、今はちょっぴりマシになった色気ゼロゼロセブンだった私の体で、あの美男子がぼっ……! だっ、あ、あんなになるとは思わないじゃん!!!!
 キスしてる時もなんか、すごかったし! 体めっちゃ熱かったし汗かいてたし、息も荒くてもうお互いどこで呼吸すればいいのか分かんないぐらいグッチャグッチャだったんだけどさ!! いや、本当よく生きてるな?! 私!

「し、しぬかと思った……」

 主に酸欠と心臓発作で。
 未だに爆音のビートを刻み続ける心臓を抑えて寝返りを打てば、足の間が湿った感じがして硬直する。

「あ〜〜〜〜〜〜う〜〜〜〜……!!!」

 いやもうこれアウトでしょ!!! 全年齢向けからR指定に変わっちゃったよ!!! どうしよう!! 水野本丸にあるまじき事態です!! 私がやりました! さーせん! いやもう本当に無理なんだけど! マジでどうしていいか分かんない! 皆にバレた時以上にどんな顔して明日から会えばいいのか本当に分からない! 皆どうやって恋人と顔合わせてんの?! 教えて経験者の皆様!!!

 なんて必死に脳内で叫んでいると、物理的に息が切れて「ゼエ、ハア」と情けない呼吸を繰り返す。

「…………あれ、一人で処理するのかな……」

 男性が一人でどういう風に処理するかも知っているがため余計に居たたまれない。
 しかもうっかり想像してしまい、一気に顔が熱くなる。

 んもーーーーーーッ!!!! 私のアホーーーーーーーーッ!!!!!

 いやいやいや。でもさ、よくよく考えてみれば今日ここまで進んだのであればいつかは“その先”までする日が来る、ってことじゃないの?


 ……その先?


「ピーーーーーーッ!!!!!」


 再び情けない悲鳴を上げながら、結局その日は悶々とした眠れぬ夜を過ごす羽目になってしまった。


 ――現世で何が起きているのか知らないまま。



 ◇ ◇ ◇



 また失敗した。今度こそ成功すると思ったのに。あの使えない男に比べていいところまでいったのに。どうして最後の最後で“呪詛返し”にあってしまったのか。

「うぅ……!」

 病室のベッドで呻く男の肌は焼け爛れ、私と同じように煤のように黒ずんでいる。

 ――原因不明の全身大火傷――

 それが、今回の“呪詛返し”だった。

「あんたも私と同じで綺麗な顔と体が台無しね」

 あの女を追っていたら見つけた、酷く純粋な利用しやすそうな手駒。最初は私のことを訝しんでいたけれど、あの女とくっつけてあげる。と言えば一瞬隙を見せた。
 だからそこに付け込み『悪魔』と契約をさせたというのに、なんてザマだろう。私ならもっとうまくやれたのに。結局この男は『甘すぎた』からこうなった。折角あと一歩、というところまで追いつめたのに。つくづく男という生き物は使いものにならない。

 ――契約者よ。

「何よ」

 深く被ったフードの中。極力周りには聞こえないよう小さな声で返事をすれば、足元の影から、あるいは頭の奥から。あの“声”が響いて来る。

 ――この辺で手を引いたらどうだ。

「はあ?! 何いきなり弱気になってんのよ!」

 ――いきなり、ではない。先に言っただろう。『成功するかは分からん』とな。ただ同胞に声をかけてやっただけだ。成功するとは言っていない。

「屁理屈ばっかり言って……! だから信用ならないのよ! あんたたちは!」

 使い物にならなくなった片手で見えない影を殴るように腕を振るが、実体のない相手だから殴った気がしない。それが余計に腹立たしく舌打ちすれば、途端に“声”は呆れたような声で話しかけて来る。

 ――契約者よ。これ以上は力を消耗するばかりだ。今のままではあの女から何も奪えはしない。

「だから何でよ! 何であいつからは何も奪えないの?! どうしてよ! 今まで全部うまくいってたじゃない! 何でダメなのよ! 教えなさいよ!!」

 ヒステリックに叫ぶ女なんて醜くて嫌い。そう、今までは嘲笑っていたのに。いつの間にかそんな“醜い自分”を晒していることにすら気が付かず、見えない声に向かって声を張り上げる。

「何でもいいから奪ってきなさいよ! あんたそのための存在でしょ?! あいつの家族でも友達でも恋人でも、何でもいいからとにかく奪って! いつもみたいに綺麗に消してよ!!」

 折角私が話しかけてやったのに、喜ぶどころかどこか迷惑そうに相槌を打って逃げるように立ち去った『水野』と名乗る女審神者。
 あいつが審神者だって知ったのは病院に入院しているのを知った時だ。だから看護師の一人からナース服を奪ってまで接触したのに、結局何も奪えなかった。そのうえこんな醜い体にされてしまい、私のプライドはズタズタだ。

 こうなったら何が何でも地獄に落としてやる。

 そう決意してあの女に片思いをしている男を捕まえたというのに、どうしていつもあの女は私の手から逃げていくのか。

 ああ、憎い憎い憎い憎い!!!
 私が一番嫌いな、大っ嫌いな“無関心”を突き付けた挙句、私から何も奪わせないあの女が憎い!!
 せめて何か一つでも、些細なものでもいいから奪ってやらないと気が済まない。

 ――そうよ。あいつが審神者なら刀を奪うのが一番精神的にダメージが大きいはずだ。本丸の位置もどんな刀がいるかも知らないけど、もう誰でもいい。一番の狙い目は初期刀だけど、それが無理なら短刀でもいい。
 とにかく何でもいいから奪いたい。誰でもいいからあの女から刀を奪いたい。

 だけど“声”は「無理だ」と言う。
 理由を聞いても「自分には出来ない」「無理だ」「不可能だ」と繰り返すばかりで要領を得ない。だから他の手駒を動かしたのに、こっちもダメだった。折角『夢魔』と呼ばれる奴の力を使って未来を見せてあの女を陥れるための時間と猶予をあげたのに、失敗するなんて本当に使えない。だから平凡な男はダメなのだ。
 いや。平凡以下だった。あの男は。顔も財力も知識も何もかも。だからせめて『命』ぐらいはうまく使ってあげようと思ったのに。今では自分の本丸だった場所で狂ったように徘徊しているだけなのだから本当に使い物にならない。命を懸けるならあの女と一緒に死ねばよかったのに。

「むかつく……ムカつく、ムカつくムカつくムカつくムカつく。絶対奪ってやる……絶対に、何でもいいから奪ってやる……」

 あいつの刀はダメだと言われた。命もダメだった。私の力で無理ならあいつを好きだと言う、見る目のない優男を利用したけどそれもダメだった。
 どうすればいい? どうすればあの女から『絶望』を引き出せる?

「……そうよ。家族がいるじゃない。あの女には」

 私と違ってきょうだいがいるのに愛されて育った女。成人したのに今でも過保護に守られている。愛されている。いつも上と下に比べられ、“期待外れだ”と言われて来た私とは違う。本物の愛情を授けてくれる両親がいる。
 だけどあいつと違って霊力がない一般人だ。だったら――“奪える”。そう確信した時だった。またしても忌々しい“声”が私に呼びかけて来る。

 ――契約者よ。それは止めた方がいい。

「はあ?! なんでよ! 相手はただの一般人よ?! 棺桶に片足突っ込んでるような中年の男女じゃない! あんたなら適当に消せるでしょ?! 今までもそうだったじゃない!」

 どんな人間も消してきた。消しゴムで存在を消すように。男も、女も。刀剣男士でさえも。私が「消して」と言ったら消して来たくせに、どうして今更怖気づくのか。
 だけど“声”は繰り返す。「それだけはやめておけ」と。

 ――あの女の家族には手を出さない方がいい。

「どうしてよ! あの女には手を出しておいて、その家族には何もするなですって?! 意味が分からないわ! 相手はただの一般人よ?! 何の霊力も持ってない、ただのフツーの人。どうしてそんな人間、一人も殺せないのよ!」

 最悪そういう人間を金で雇って殺せばいい。金ならあの女以外からでも奪えるから。
 だけどそれすら“声”は「無駄だ」と言う。

 ――あの女の血縁者には手を出さない方が身のためだ。

「はっ! 身のためですって? もうこんな姿にされてるのに?」

 全身に鱗のような模様が浮かび上がり、片手は煤のように焦げている。痛みすら感じない、もはやただの炭と化している指先を反対の手でそっと触れる。
 綺麗に整えていた爪も、皆に羨ましがられた指も、全部あの女のせいで黒焦げにされた。それなのにどうして私が引き下がらないといけないのか。
 腹立たしくてどこにいるかも分からない“声”に憎しみすら抱いていると、その“声”が心底呆れを滲ませた調子で話し始める。

 ――契約者よ。先の一件で我が同胞が一人焼き殺され、消滅した。

「だから何よ。どーせあんたたちはまた生まれてくるじゃない。人が生きてる限り“消えない”って言ったのはあんたでしょ?」

 ――その通りだ。だが、再生するわけではない。次の我々がまた生まれ、時を重ねて力を得るのだ。だがそれも一筋縄ではいかぬ。折角溜めていた力も同胞も、既に多くを失った。これ以上は損というものよ。

「……ッ!」

 ギリッ、と噛み締めた奥歯が軋んだ音を立てる。
 こうなったらコイツら抜きでやらないと。私に惚れた男たち――男審神者が他にもいたはずだ。何人かは使い物にならなくなってしまったけど、まだ残ってる。そいつらに連絡を取ってあの女を精神的に堕とせばいい。
 どうせ婚活会場にいた女だ。男日照りが続いて押せば簡単に堕ちるはず。
 やっぱり最終的には私が勝つのよ。あいつが惚れた男を横から奪う。――いいえ。初めから私の男だと知ったら酷く絶望するはずだから。そしてようやく分かるのよ。あんたに残るものは何もない、ってね!

 ――はあ……。私は忠告したぞ、契約者よ。

 どこか諦めたような“声”に返事はせず、私はスマホを取り出して何人かの男たちに連絡を取った。この後あの女がどんな悲鳴を上げてくれるのか想像をしながら。





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