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 それからは目につくアトラクションには片っ端から乗った。
 空中ブランコにバイキング、ジェットコースターにフリーフォール、急流滑りではレインコートを着ていたにも関わらず、あちこちが濡れて笑ってしまった。

「靴までビショビショなんだが!」
「笑いごとじゃないよ〜っ」
「あはははっ! そーくんジーパンまで濡れてんじゃん! ウケる!」
「うえぇ〜……」

 高身長が祟ったらしい。レインコートの丈が少し足りなかったそーくんのジーパンが膝下から濡れている。言うてゲラってる私も靴下に水が染みて気持ち悪いのだが、今日は天気がいいから乾くだろう。
 その後もひとしきり笑った後、濡れた靴跡を地面に残しながら園内を歩き出す。

「そろそろお昼になるねー。どこで食べようか?」
「お店も増えたよね。ユカちゃんは何が食べたい?」
「そーだなぁ。こういうとこ来るとさぁ、なんかそれっぽいの食べたいよねぇ」

 既に多くの人がレストランやらバーガーショップやらに詰めている。私たちも早く行かなければ席を確保出来ないだろう。ま、最悪立ち食いでもいいんだけどね。私は。

「ここからだとこのお店が一番近いかな」
「だね。とりあえずそこ行ってみる?」
「おけー。行こ行こ」

 二人で広げたマップを覗き込み、一番近くの飲食店まで歩いていく。存外近くにあったそこも既に人が並んでいたが、幸いテラスの二人席はまだ空いていた。

「そーくん何にする〜?」
「僕はランチセットにしようかな。ほら、アレ」

 店内に掲げられたメニュー表の中、一際目立つ『おすすめ!』のポップが貼られているのがオムハヤシとサラダのランチセットだった。

「お〜、いいじゃん。私は何にしようかな〜」

 こういうところだから大体カレーとかドリアとか、パパっと用意が出来る洋食が多いんだけど、いつも本丸で和食食べてるからかなぁ〜。何だか新鮮な気分だ。でも光忠が見たら「野菜が少ないよ!」って文句言いそうだな。やばい。想像したら笑う。

「じゃあ私はパスタにするかな」

 メニュー表に掲載されているパスタは二種類しかない。カルボナーラとミートソースだけ。正直パスタにしては高すぎるんだけど、こういう場所で食べるんだから文句は言っていられない。他に食べたいものもないし、デザートとかその辺は適当に他の店で買えばいいしね。

「そういえば、ユカちゃん昔もミートソースのパスタ頼んでたよね」
「は?! マジで?! 覚えてないんだけど! むしろ何でそーくん覚えてんの?!」
「なんとなく。目の前に座ってたからかなぁ」

 ニコニコと笑っているけれど、そーくんの記憶力やばすぎないか? 自分が当時何食べたかなんて覚えてないし、真向かいに座っていたというそーくんが何を食べていたのかも記憶にない。やば。そーくん凄すぎだろ。これが学園一位を死守してきた男の記憶力か……!

「じゃあ自分が何食べたかも覚えてんの?」
「僕はねー、オムライス」
「マジで覚えてんのかよ! 凄すぎかッ!」

 普通にビックリして仰け反るリアクションを取れば、そーくんは「そこまでじゃないよ」と笑って首を横に振る。いやいやいや。普通誰が何食べたかとか覚えてないし。言っとくけど本丸で三日前に何食べたか聞かれたらちょっと悩むぞ、私は。

「じゃあ出来るまで遊ぶルート決めとこうぜい」
「そうだね。フフッ。このままだと本当に夜までに全部制覇しちゃいそうだね」
「マジでそれもいいかもね〜。出来たらやっちゃんに自慢してやろーぜ」

 言ったら絶対『クッソー! 今度は俺も全制覇してやるからな!』と言い返してくるであろうもう一人の幼馴染を思い浮かべて笑っていると、そーくんも同じ想像をしたのだろう。クスクスと笑う。
 あーあ。デートだ何だと色々気負って来たものの、やっぱり男とか女とか関係なく友達と遊ぶのは楽しい。周りが結婚して子供を産んで会えなくなっていく中、私はあと何度こうして友人と気兼ねなく外出出来るのだろうか。ちょっとセンチメンタル。

「ユカちゃん? どうしたの?」
「ん? いや。今日そーくんが誘ってくれてよかったな〜、と思って」

 女友達と映画に行ったり買い物に行ったり、喫茶店でおしゃべりすることもそりゃあ楽しいけど、家庭を持っている人はこうして長時間一緒に遊ぶことが難しい。
 保育園のお迎えだとか、家事や食事の準備とか。他にも色々ある。だからこうして夜まで一緒に遊べる友達っていうのは貴重だ。それに相手が結婚して家庭を持てば難しくなる。むしろ今日が最初で最後かもしれない。だから尚の事、今日は楽しまないとな。と考え直した。

「花火も楽しみだね」
「その前に力尽きないようにね?」
「約束出来かねる〜」
「約束してよ〜」

 お互いの軽口に笑い合いながら、ご飯を食べて園内を歩いて、またアトラクションに乗って、お化け屋敷にも入って。二人して「わーっ!」とか「ギャーッ!」とか「無理無理無理無理!」とか叫びつつ、子供に還ったかのように遊び倒した。

「はーっ! 楽しかった!」
「お化け屋敷怖かったね」
「いやー、あれはヤバイでしょ。今VRになってんだね。超ビックリした」

 最近増えてきたのは知っていたけど、この遊園地でも『VRお化け屋敷』というのが導入されていた。好奇心が刺激されて試してみたんだけど、これが思った以上に怖くてやばかったのだ。

「だって無理くない?! あんなリアルだとは思わないじゃん!」
「凄かったよねぇ……。廃校が舞台だったけど、あんなに怖いとは思わなかった」
「もうさー、机が『ガタッ!』って言うだけで超ビビったもん。心臓に悪すぎだし! マジで『やめろやあ!』って叫びそうだった」
「あははっ! ユカちゃんらしい」

 そーくんは笑ってくれるけど、こういう時に「キャーッ」とか「こわーい」「助けてー」って言えないからダメなんだろうなぁ……。思いっきり「ざっけんなよ!」って叫んだもん。可愛げがねえどころの話じゃねえ。ていうか途中から刀たちの名前叫びそうだったし。「むっちゃーん! 小夜くーん! 誰か来てー!」って。

「大倶利伽羅なら怖がらずに来てくれる、か?」
「え? なに?」
「いや、何でもない」

 お化け屋敷だから、太刀である光忠や江雪さん、古刀たちは夜目が利かないから不利だろう。短刀と脇差なら誰を呼んでも駆けつけてくれそうだけど、打刀だと誰が来てくれるだろうか。
 長谷部は来る。絶対来る。最悪「はせ」って呼んだ時点で来る。あいつ速いからな。だから長谷部は除外して、あと怖がらずに来てくれるとしたら大倶利伽羅と山姥切かなぁ。いや、加州も大丈夫そう。多分だけど。
 スマホの画面をスワイプし、撮った写真を見ながら考えていると思っている以上に撮影していたことに気付き苦笑いする。

「つーかめっちゃ撮りまくってるんだが。すげえ楽しんでんじゃん、私」

 キャラクターを模したパンケーキとか、可愛くデコレーションされたアイスとか。つい加州や短刀たちに見せようと思って沢山写真を撮ってしまった。普段はこういうことしないんだけど、何となく目に入った時に「これ絶対加州喜ぶじゃん!」と思い、気付けばスマホを取り出してシャッターを押していた。勿論お土産は買ったけど、それはそれ。私の刀たちは私の話も土産の一つとして楽しんで聞いてくれるから、話し甲斐があるんだよね。

「あー、コレとか乱好きそう。こっちは秋田かなぁ。前田と平野ははしゃがないだろうけど、きっと目をキラキラさせて覗いてくるんだろうなぁ」

 薬研は見た目だけ子供だから笑って見ているだけだろうけど、鯰尾は「コレ面白そうですね!」とか言いそう。五虎退も怖がりながらも「僕も乗りたいです」って言うかな。言わなくても目を輝かせてそう。あ、こういう食べ物の写真とか、虎ちゃんが間違えて画面舐めて首傾けそうだな。大きくなっても可愛いんだぁ、あの虎ちゃん。
 歌仙と和泉守はあんまり興味なさそう。「そういうものがあるんだなぁ」ぐらいで終わりそうっていうか。堀川は「楽しめたならよかったです」って言ってくれそうだな。光忠と江雪さんもきっとそう。特に江雪さんは私が笑ってると穏やかな顔をしてくれるから。皆大体そうだけど、特に江雪さんは人が楽しんでいる姿を見ると穏やかな顔をする。そういうところ、すごく素敵だなぁ。って思う。
 宗三は何て言うかな。「騒がしそうなところですね」って顔顰めそうだな。小夜も「僕には、ちょっと……」って遠慮しそう。大典太さんも「俺は場違いだろう……」って顔背けるんだろうなぁ。別に場違いなんかじゃないのに。

 古刀たちはどうかな。鶴丸は絶対に楽しむ。何なら短刀たちの次にはしゃぎそう。鶯丸と三日月は「楽しそうだなぁ」って後ろから和やかな顔で眺めているだけな気がする。
 同田貫はどうだろう。「何する場所なんだ? 敵とかいんのか?」って首傾けて周りから笑われてそうだな。長谷部は「主命とあらばアトラクションにも乗りますとも」とか言うんだろうか。ダメだ。想像しただけで笑う。
 鳴狐はどうかな〜。お供の狐は「賑やかそうな場所ですねえ!」とか言ってくれそうだけど、本体はじーっと写真眺めるだけな気がする。でも、興味がなかったらどこかに行くはずだし、もし写真を眺め続けていたら興味を持った、ってことになるんだろうな。一回試してみようかな。どんな反応するんだろ。楽しみだなぁ。

 加州は絶対一緒に楽しんでくれるよね。そんで「次は俺と一緒に行ってよね!」って言いそう。こういうの素直に言えるとこ、加州は可愛いよね。山姥切は加州みたいに「行きたい」とは言わないだろうけど、私が話したら黙って聞いてくれるんだろうな。大倶利伽羅もそう。「俺には関係ない」とか言いながら黙って聞いてくれるんだよ。あの二人、そういうとこあるから。
 むっちゃんは、多分だけど「楽しんできたかえ?」って先に聞いてからアトラクションのこととかについて聞いてくるんだろうな。私ちゃんと説明できるかなぁ? パンフレット余分に貰って帰ろうかな。どうしよっか。

「ユカちゃん、今日は楽しかった?」
「ん? そりゃあもう!」

 年甲斐もなくはしゃいじまったぜ! という自覚があるぐらいには楽しんだ。絶叫マシーンにも乗ったし、ン年ぶりにメリーゴーランドやコーヒーカップにも乗った。約束通り思いっきり回してやったわ。隣のカップに乗ってた小学生男子と一緒になって回しまくってたから、周囲からは異様に映っただろうな。まぁ、その子とはお互い「やってやったぜ!」みたいな顔したけど。
 何気に空中ブランコも楽しかったなぁ。涼しかったし、景色もよかった。観覧車もそう。てか、観覧車って意外と揺れる。昔は気にならなかったというか気付かなかっただけなのかもしれないけど、ちょっとビックリしてしまった。あとはてっぺんに着くまでは長く感じるけど、終わりまでは早い気がした。「あー。もう終わっちゃうなぁ」っていう名残惜しさ? それが印象的だったかな。なんか、夏の日の夕方みたいな。日中はあんなに暑くて明るくて、早く夜になって涼しくなれ〜! って思うのに、いざ陽が沈みだして空が赤くなると寂しくなる感じ。あれに少し似ている。

「そういえば、花火って何時から?」
「もうすぐだよ。あ、ほら。丁度アナウンスが始まったよ」

 そーくんの言う通り、園内に設置されたスピーカーから女性スタッフの声が響き渡る。挨拶と概要、注意事項が説明された後、カウントが始まり花火が打ちあがった。

「わーっ、本格的」
「だねぇ」

 花火がよく見える場所は人でいっぱいだったから、私たちは少し離れた場所から見ていた。と言っても周囲には沢山人がいるんだけどね。でも『花火の音でお互いの声が聞こえない』みたいなベタな展開は困るから、これでよかったのかも。

「綺麗だねー」
「そうだね」

 本丸で花火をした時は鶴丸が打ち上げ花火を用意したけど、やっぱり本職が作った打ち上げ花火は規模も華やかさも段違いだ。火薬の匂いもしないから頭が痛くならなくて済むし、結構いいかも。

「あーあ。やっぱり皆と一緒に来たかったな〜」
「みんな? みんなって、誰?」
「え? ああ、ごめん。声に出ちゃってた。なんていうか、仕事仲間? みたいな」

 うちは三十振りから増えていないからアレだけど、今じゃ百近くいるもんなぁ。刀剣男士。ちょっと私では御しきれないわ。でも大太刀とか槍とか薙刀とか、いてくれたら助かるだろうなぁ。って思う戦場は幾つもあるから、打刀と太刀の皆には本当に助けられてる。勿論短刀や脇差はどこでも活躍出来るから本当に有難い。
 てか脇差が二振りしかいないのマジで辛いんだよなぁ。いっつも堀川と鯰尾には無理させて、申し訳なさでいっぱいだ。本人たちは「じゃんじゃん戦りますよ!」って頼もしく言ってくれるけど、今は人の身だから。疲労は絶対溜まるし、怪我をしたら血が出るし痛みも感じる。だからせめて脇差! 脇差が二振りぐらい欲しい! どうにか来てくれないかな〜。なーんて。結局、私の霊力の問題だからこればっかりはどうしようもないんだけどね。あーあ。ほんっと、頼りにならねえ審神者ですこと。皆に申し訳なくなってくるわ。
 脳裏に戦績表を始めとしたアレやらソレやらが浮かんでくるが、その隙間にそーくんの声が割り込んでくる。

「ユカちゃんは、仕事先の人たちと仲がいいの?」
「まあね。っていうか、私が一方的に迷惑かけちゃってるだけなんだけど。でも皆面倒見がいいからさぁ。いつも助けてくれんの」

 怪異にあったり高位の神様の御座にお呼ばれしたり。呪われた本丸に行ったり神域にうっかり足を踏み入れちゃったり。本当、ロクでもねえや。その度に皆てんやわんやしているんだろうけど、よく我慢して着いて来てくれてるよ。内心では呆れたり「またかよ!」って突っ込んではいるかもしれないけど。そう考えるとやっぱり刀剣男士って優しいなぁ。と思う。

「…………その中に、ユカちゃんが好きな人とか……いる?」
「はあ? 別に? 皆大好きだけど?」

 誰が“一番”とか決めるのイヤだし、実際皆のことが大好きだ。こんな不甲斐ない主を支えてくれる彼らを嫌いになるとか、それこそありえない。無理無理。VRお化け屋敷を初見でノーミス最速クリアしてみろ、って言われるレベルで無理。

 ……まあ、私のことを「好きだ」って言ってくれた男士は何人かいるけどさ。それはそれ、これはこれ、ってやつでしょ。今は私のことしか聞かれてないから、そこは除外するってことで!
 でもそーくんは何が気になるのか、ギュッと眉間に皺を寄せると悩むかのように視線を下げた。……まさかだけど、うちの母から何か言われてたとかじゃないよね? それだったら流石に親にキレ散らかす自信があるんだけど。

「なに? 言いたいことでもあるの?」
「な、ない……わけじゃない、けど……」
「どっちよ」

 昔からハッキリしないところがあったけど、今も同じらしい。モゴモゴと唇を動かす割には思っていることを表に出さない。言葉にしない。だから前にも言ったのに。

「言いたいことがあるならハッキリ言いなよ。私はちゃんと聞いてあげるから」

 それが悪口でも愚痴でも相談でも、私はちゃんと聞くつもりでいる。これは昔から変わらない。だって、言ってくれないとその人の気持ちは分からないから。私は人の顔を見るだけで「この人こう考えてるな」なんて分かる程勘のいい人間じゃない。確かに『霊視』も出来るようになったし、以前よりも『感知能力』の精度も上がった。だけどそれとこれとは別だ。
 私は鳳凰様みたいに人の考えが読めるわけじゃない。だから言葉にしてもらわないと分からないのだ。それがどんなものであったとしても。
 だから花火ではなく俯いたまま硬い表情を浮かべるそーくんを見上げていると、ようやく決心したのだろう。黒真珠のような瞳がこちらを向く。

「あの、さ」
「うん」
「その……僕は……」

 でっかい図体して、昔から自信がなくなると指先を合わせて弄り出す癖は変わらない。もじもじとする姿は小さい時はまだ見ていられたが、ここまで大きくなると何だか微妙な気持ちになってくる。
 普段から剛毅な奴らばっかり見てるからかなぁ……。五虎退は同じもじもじでも短刀だから平気だけど、光忠と同じレベルの体躯をした男がもじもじしててもどんな顔していいのか分からなくて困る。てか、光忠なら絶対もじもじしないし。
 一瞬脳裏で「そんな格好悪い姿、絶対に見せたりしないよ」とプリプリする光忠が浮かんだけど、頭を振ることで消した。ごめん、光忠。きみはいつだって格好いいよ。分かってる。審神者知ってる。だから安心してくれ。

 暗い夜空に次から次へと色とりどりの花火が打ち上がる中、ひたすらそーくんの言葉を待つ。周囲の人が花火に対して反応する中、いっそ不気味なくらい二人して沈黙を保っている。
 そうしてふと音が止んだ時、そーくんはようやく閉じていた口を開いた。

「――僕は、ユカちゃんが好き」
「は?」
「まだ、好きなんだ。あの頃から、ずっと――」

 ドン! と再び大きな音がする。それと同時に、私の脳内には『あの日』のことが思い出されていた。


 ◇ ◇ ◇


 中学三年生の卒業式。私は高校が離れるからという理由で、やっちゃんと一緒に写真を撮っていた。

「イエーイ! お母さんちゃんと撮ってくれた?!」
「撮った撮った。ほら」
「おー。じゃあ後で焼き回しよろしく!」
「おっけー!」

 紺地のセーラー服に、赤いリボンタイ。下級生が用意してくれた造花を胸ポケットに挿し、私たちはこれからの未来について何の恐れも憂いもなく話し合っていた。

「颯斗くん、東京の学校に行くんですって? 頑張ってね」
「はい! サッカーの強豪校なんで、絶対レギュラー勝ち取って全国試合に出ます!」
「そんでプロになるってか? 今のうちにサイン貰ってたらそのうちプレミアついたりしてっ」
「お前金儲けに俺を使うなよ!」
「だははっ! 冗談だって!」

 小さい頃から一緒に遊んでいた。中学に上がってから周りの男子に私たちの関係を揶揄われたこともあったし、女子たちに睨まれたこともあった。だけどやっちゃんはずっと私を『友達』として見てくれた。だから平気だった。
 そりゃあイヤなことは沢山あったし、嫌味も陰口も散々叩かれた。容姿のことも、性格のこともボロクソに言われた。だけどやっちゃんとは関係のないことだったから、私の気持ちが、やっちゃんに対する『好き』という気持ちが変わることはなかった。それが周りの、告白して玉砕した女子たちと同じかどうかは微妙なところだったけど、やっちゃんの未来を信じ、応援していたのは事実だ。だからやっちゃんが『東京に行きたい』って言った時も特別「寂しい」とは思わなかった。

「東京行ったらさー、やっぱり彼女とか作んの?」
「さあ〜? どうだろ。けど、ユカみたいに気楽に遊べる女友達は出来そうにねえなぁ」

 やっちゃんはモテる。そりゃあもう、小さい時からすごい人気だった。そんなやっちゃんが卒業式が終わった後もこうして私と一緒にいてくれることが、子供ながらに嬉しかった。
 そんな時だった。担任と写真を撮っていたそーくんが戻って来たのは。

「颯斗くんっ。ユカちゃんっ」
「お。相馬! 卒業おめーっ!」
「いや、お前もだしっ。つーかそれ朝お互い言ったじゃん!」
「めでたいことなんだから何度でも言っていいだろ〜?」
「なーにそれ。誕生日じゃあるまいし」

 やっちゃんと軽口の応酬をしていれば、そーくんがクスクスと控えめに笑う。この時はまだ前髪が長くて、猫背気味で、身長もそこまで高くはなかった。だから何ていうか、油断してたんだよな。「男の子」だと意識してなかったっていうか、ずっとただの『友達』としてしか見ていなかった。

「は、はやとくんっ!」

 小学生の時から変わらない、男二人女一人の、性別の垣根を超えた友人関係。私はそう思っていた。だからやっちゃんがガチガチに緊張している女の子に名前を呼ばれた時も、嫉妬する気持ちは微塵も湧かず、むしろニヤニヤと笑って眺めていた。

「おっとぉ? ご指名ですぜ、旦那」
「おっ前さあ……楽しみやがって。ったく。あ〜……。行ってくる」
「おう。行ってら」

 もうこの時点で『あの子は振られるな』っていうのは分かったんだけど、そこに優越感を抱くことはなかった。かと言って憐れむ気持ちもなかったけど。ただ、女の子と一緒に廊下の先に消えていくやっちゃんの背中をじっと見ていた。やっちゃんも大変だなぁ〜。なんてアホみたいなことを思いながら。

「あの……ユカちゃん」
「ん? なに?」
「写真、とってもいい……?」
「あったりまえじゃん。てか、そーくんも北海道行くんでしょ? 一緒に思い出作んないと、寂しいじゃん」

 そーくんは親の転勤で北海道に行くことが決まっていた。三学期の初めにそう言われたのだ。その時はただでさえ細い体をブルブルと震わせて、泣きそうな声で「僕……北海道に行くことになって……」って言うから流石に可哀想に思ったものだ。
 だけど泣いて送り出すなんて嫌だったから、私は努めて明るく振舞っていた。どうせ別れることが決まっているなら、沢山、いい思い出だけを、笑っている顔を、お互いの胸に刻んでおきたかったから。

「あ、ありがとう……」
「いいってことよ。だって北海道遠いしね〜。気軽に行ける距離じゃないから、写真大事にしないとね」

 母親から借りたカメラを片手に笑いかければ、そーくんも笑って頷いた。そうして並んで写真を撮ろうとしたら、どういうわけか私単体を撮って来たのだ。

「は?! 今シャッター押した?!」
「え?! う、うん!」
「なんで?! 一緒に撮るんじゃなかったの?!」
「え。い、一緒に写っても、いいの?」
「はあ?! 逆にイミフなんだけど! 一緒に撮らなきゃ意味ないじゃん! ちょっとお母さーん! そーくんとの写真撮ってー!」
「はいはい。分かったからカメラ返しなさい」

 カメラを母親に返せば、そーくんはどこか緊張した様子で、おずおずと隣に並んで来た。それが何だか面白くなくて(だって小学校からの付き合いなのだ。いい加減遠慮してんじゃねえよ、という気持ちがあった)だからわざと肩を引き寄せ、顔を寄せてやった。

「ゆ、ユカちゃん?!」
「へっへー。どーせならそーくん困らせてやろうと思ってさっ」
「〜〜〜ッ! ユカちゃんっ!」
「なはははっ!」

 豪快に笑う私に慌てるそーくん。そんな私たちは特に身長差がなかったから、母は「動かないで」と言うだけですぐにシャッターを押した。そうして撮られた四角い紙面の中には、可愛い子ぶることもなくバカみたいに笑う私と、白い肌を赤く染めたそーくんが映っていた。母はそんな私たちを見て「つくづく正反対だわ」と言って苦笑いしたけれど、私は気にしなかった。
 その後は他の子や担任とも写真を撮り、案の定告白して来た女子を振って戻って来たやっちゃんとバカ話に花を咲かせた後――そーくんから呼び出しを受けたのだ。

「あ、あの、ユカちゃん」
「ん? どしたー?」
「あの……帰る前に、ユカちゃんに、言いたいことが……あって……」

 そーくんの引っ越しは卒業式の翌日と決まっていた。だから『お別れの挨拶に来て欲しい』とか言うのかな。と思っていたんだけど、実際は違った。

「うん。なに? 聞くよ? 言ってみ?」
「あ、あの……僕……僕……」

 まだ人が多くひしめき合う廊下の先。他の教室や廊下に比べて人がいなかった階段下で、そーくんは全身を震わせながら私の前に立っていた。

「僕、ず、ずっと、ユカちゃんに、言いたいことが、あって」
「うん。だからなに?」

 この時点で気付けばよかったのに、当時の私はちっともピンと来ていなかった。だって、この頃から既に私は『自分を好きになる男なんていない』と思っていたから。だから分からなかった。察せられなかった。この後そーくんがどんな言葉を口にするのかを。

「僕っ、ずっと、ゆ、ユカちゃんのことがッ」

 もっさりとした前髪の下から見える肌は真っ赤で、まだ寒いのに汗まで浮かべていた。制服を握り締める指先は震えて、長い前髪から見える、眼鏡の奥に見える黒い瞳には涙まで浮かんでいた。
 それでもそーくんは勇気をもって言ってくれたのだ。私に、こんなクソ鈍感な女に「好きだ」って。

「す……好き、で……こ、こい、びとに、なって、ください……ッ」

 大して差はなかったとはいえ、この時はまだほんの少しだけ私の方が身長が高かった。すぐに抜かれるんだろうなぁ。とは思っていたけど、それでもそこまで気にしていなかった。そーくんが「男の子」だなんて、女の子を好きになる「普通の男の子」だなんて、頭の中からすっぽりと抜け落ちていたかのように意識していなかったのだ。
 だから驚いた。青天の霹靂、とはまさにこの時のことだ。私は驚き過ぎて二の句が継げず、無意識に一歩後退っていた。

「は……、は? な、なに言ってんの?」
「ッ! ぼ、僕は……」

 私の容姿は中学に上がる前からプクプクと太って行った。小学校高学年になってからやっちゃんに好意を抱く女子が増えてきて、嫌味とかすごい増えたのだ。それでやっちゃんと遊ぶ機会が減り、それに伴い運動する時間も減った。むしろストレスで過食になったのだ。
 だから中学生の時は一番太ってて、今よりもずっとずっと丸かった。それこそ、周りの男子から「白ブタ」と陰で笑われる程に。

「そ、そーくん、もっと見る目養いなよ。私なんて好きになっても、いいことないよ」
「そんなことないよっ! ユカちゃんは、ユカちゃんは、ずっと……!」

 震える唇に、濡れた黒い瞳。前髪のせいでちゃんと表情が分からないのに、それでも私に告白して来たそーくんは『綺麗』だと思った。

 ――私と違って。

「…………ごめん」

 ヒュッ、と赤らんだ顔の“友人”の喉が、乾いた音を立てたのが聞こえた気がした。

「そーくんのこと……そんな風に、そういう目で見たこと、ない」

 実際、そーくんは私にとって『友達』だった。やっちゃんと三人で、時にはのんちゃんやみさきちゃんを含めた五人で、よく遊んでいたから。だから、そーくんのことを「異性」として意識したことが一度もなかったのだ。

「だから、あっちでいい子見つけなよ。ほら、あっちには綺麗な人いっぱいいるって言うし、逆に私となんか付き合ってたら、向こうで笑われちゃうよ?」

 半分以上が本心だった。私より綺麗な人はいっぱいいる。私より可愛い人はいっぱいいる。私より痩せてて、優しくて、そーくんが好きになるような女の子はいっぱいいる。そう思っていた。
 だけどそーくんはギュッと唇を噛みしめると、何も言わずに走り去ってしまった。

 それが中学校三年生最後の――そーくんを見送りに行けなかった私にとって最後の、苦い思い出だ。





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