小説
- ナノ -



 そうして迎えた翌々週の週末。そーくんとやっちゃんの三人でご飯を食べに行くことになり、私は再び現世に戻っていた。

「いや、デケエんだわ」
「ぶはははは! 開口一番それかよ!!」
「はは……。久しぶり、ユカちゃん」

 遅刻しないよう早めに家を出たと言うのに、それでも早く集合場所に来ていた二人を呆然とした顔で見上げる。
 いやだって、やっちゃんはこの前再会したから分かってたけど、そーくんが思った以上にデカいんだわ。

「え? は? デカくね?」
「うははははは!」
「そ、そうかな。あ、でも、一応百八十はあるから……」
「百八十?! 羨ましすぎるんだが!! 十センチぐらい頂戴?!」

 バシバシと膝を叩いて笑うやっちゃんだって百七十後半はあると言う。そのうえで、当時一番小さかったそーくんが百八十センチ超えているんだから驚くのも無理はない話だろう。
 てか、え? マジで全然違うんだが。体型が。

「やっば。筋肉めっちゃあるじゃん。ゴリゴリに鍛えられてんじゃん」
「一応、健康に気遣ってジムに行ってたら、こんな感じに……」
「やべえよなぁ。あの相馬が今じゃムチムチマッチョだぜ?」

 色白で引っ込み思案で、いつもオドオドとして自信なさげだった少年が、今では一番背が高くなり、胸板も肩幅も厚く、広くなっている。うちの刀で言えば光忠みたいな体型だ。
 ほんっと、男の子って理不尽だわ。

「え〜……? やっちゃんは昔から細マッチョだったけど、そーくん変わりすぎじゃない? やばくない? もうこれ百八十度違うじゃん。別キャラじゃん。え? 触っていい?」
「うははは! ユカの反応マジ予想通りなんだけどっ! つーかセクハラすんなしっ」
「うっせえな! どうせ分かりやすい女だよ!」

 目尻に浮かんだ涙を指先で拭い取るやっちゃんの背中を叩けば、すぐさま「すぐ手が出る!」とまたもや笑われる。そういや昔から手が早かったな。私。
 一方、相変わらずな私たちにそーくんも安心したのだろう。どこか緊張気味だった顔に笑みを浮かべ、肩の力を抜いたようだった。

「はは……。ユカちゃん、変わらないね」
「おう。体型もな」
「胸張るとこじゃねえ〜」
「うるせ〜」

 笑いながら突っ込んでくるやっちゃんの腕を再度叩けば、そーくんは相変わらず優しい笑みを浮かべる。
 そうなんだよなぁ。私がそーくんのことをそういう目で見られなかったのは事実なんだけど、そーくん、笑うと結構可愛いんだよ。雰囲気も、石切丸さんに似ておっとりしてるし。癒し系なんだよね。

「つか、そろそろ店行こうぜ」
「りょー。ちゃんと予約取ってくれたー?」
「取った取った。まーかせとけって」

 早速歩き出したやっちゃんの隣に並べば、体躯に恵まれたそーくんは私たちの後ろを歩きだす。何気に昔からこの布陣で歩いていたから自然にそうなったんだろうけど、正直後ろからの視線がちょっと痛い。

「なに?」
「え? な、なにが?」
「私の事見てたでしょ。視線が刺さるんだわ」

 赤信号で待つ間、耐え切れずに振り返れば驚いたような瞳と視線がかち合う。昔は前髪で隠されていたのに、今ではよく見える丸い瞳は真っ黒だ。髪も瞳も日本人らしい黒さを持った彼は、黒が映える白い肌を僅かに染めながら視線を逸らす。

「そ、そんなに見てた……?」
「は? 無自覚かよ。天然か?」

 昔は小さかったから後ろをついて来ても「雛鳥みたいで可愛いなぁ」だったけど、今は獅子を従えているみたいでソワソワする。
 だけど身長に恵まれた男に私の気持ちは分からないのだろう。やっちゃんから「いじめんなって」と小突かれる。

「はあー?! いじめてないし!」
「相馬は久しぶりの再会なんだから、ユカのこと見たって別にいいだろ」
「そりゃいいけどさ、言いたいことあればちゃんと言いなよ、って話。見てるだけじゃ伝わんないんだからね? 気持ちなんて」

 思わず両手に腰を当て見上げれば、何故かそーくんは目を丸くしたあとに笑いだす。それに驚いてやっちゃんと二人でそーくんを見つめれば、そーくんはひとしきり笑った後、こちらをまっすぐ見下ろしながら頷いた。

「うん。そうだったね。ごめん」
「別にいいけど……。笑う要素あった?」
「ふふっ。なんでもないよ」

 どこか上機嫌なそーくんに首を傾けていると、信号が青に変わる。それに気付いた男たちに促され、急いで歩道を渡ればそのうち一軒の居酒屋に着いた。

「ここ、焼き鳥と出汁巻き卵が美味いんだ」
「ほほ〜? わしは味にうるさいぞ〜?」
「なんでいきなり年寄りキャラになるんだよ」

 朗らかに笑うやっちゃんに続き、あまり綺麗とは言い難いこじんまりとした店の暖簾をくぐる。そこには既に複数名のグループが座っており、各自酒を片手に楽しそうに話し込んでいた。

「いらっしゃいませー! 何名様ですかー?」
「予約していた八神です」
「はい! 八神様ですね! お席はこちらでーす!」

 バイトだろうか。元気のいい、笑顔が眩しい女性店員に促されたのは奥の座敷だった。靴を脱いで座布団に腰を下ろせば、対面に男二人が座る。

「うっわ。窮屈そう」
「おい。ちゃんと間空いてるだろ」
「いやでもさぁ、ガタイのいい男が並ぶと壮観だよねぇ〜」

 幾ら刀剣男士で見慣れているとはいえ、広間は文字通り広く、皆が詰めて座ることは滅多にない。最初に百花さんの刀を預かった時ぐらいだろうか。本丸内に沢山刀がいたのは。

「ユカちゃんは、その……あんまり変わらないね」
「な。言ったろ? 大丈夫だって」

 二人がどんなやり取りをしていたのかは分からないけど、そーくんは見た目は変わっても中身は相変わらずらしい。私は「ふんっ」と鼻を鳴らして頬杖をつく。

「どーせ変わってませんよっ」
「拗ねんなって」
「拗ねてねーし」

 敢えて態度を悪く見せるために片膝をついてオラつけば、途端にやっちゃんは笑いだし、そーくんは苦笑いを浮かべる。
 でも、懐かしいな。昔からよく笑う子供だった私とやっちゃん、引っ込み思案で笑うよりも戸惑うことの方が多かったそーくん。あれから何年と経っているのに、私たちの関係はあまり変わっていないように感じた。

「でも……ユカちゃん、女の子、って感じじゃなくなったよね」
「は?」
「なんか……大人の女性、みたいな」

 そーくんがしどろもどろに零した言葉に、思わずぽかんとする。が、次第に羞恥で頬が赤くなってきた。

「は……はあ?! いきなり何言ってんの?!」
「ご、ごめん! でも、だって! お化粧してるから……!」
「やっちゃんといいアンタといい、何で化粧したぐらいで驚かれないかんのじゃ!」
「うはははは! いやだって、ユカって化粧とかしなさそうだからさぁ」

 うぐっ。た、確かに本丸じゃ「すっぴんイエーイ!」なものぐさ審神者ですけれども!! でも御簾をしたまま闊歩出来る万事屋と現世は違うのだ。そこら辺のコンビニやスーパーに行くわけでもない、いい歳した女がすっぴんで出歩けるわけないじゃないか。
 だからそれを分からせるためにも敢えて威圧的に言い放つ。

「つーかアレだよ。化粧っつーのはね、女にとっての武装なのよ、武装」
「あはははは! 武装って!」

 失礼なぐらいゲラるやっちゃんと、目を丸くしたまま「ぶ、武装?」とオウム返しするそーくんに深く頷き返す。

「丸腰で合戦場に行くバカなんていないでしょ? 女にとってお洒落は戦闘服! メイクは武装! 例え相手が昔馴染みであろうと、丸腰で出かける女はいねーのよ!」

 ビシッ! と決めてやれば、やっちゃんは笑いすぎて苦しいのか机に突っ伏し、天然で素直なまま育ったそーくんは「な、なるほど?」と神妙な顔で頷いた。

「つまり、今のユカちゃんは臨戦態勢、ってこと?」
「臨戦態勢っていうか、もう出陣してんだわ」
「居酒屋が合戦場かよ」
「そういうこと」
「くくくっ……!」
「っていうことは、僕たちが対戦相手になるの?」

 肩を震わせ、浮かんだ涙を拭いながらも的確に突っ込んでくるやっちゃんに頷き返せば、真逆の性格をしたそーくんが真面目に話を展開してくる。だからこちらも神妙に頷き返してやれば、何故かそーくんは肩を落とした。

「そんなぁ……僕、ユカちゃんの敵じゃないのに……」
「カーッ! デカイ図体して落ち込むんじゃないよ! 単なる冗談だっつの!」
「あいたっ」

 べしっ、と机に乗り出し軽く額を叩いてやれば、見た目だけ大きくなった子犬のような男がつぶらな目を向けて来る。
 ったく。本当気が小さいんだから。

「あー、笑った笑った。とりあえず飲み物頼もうぜ」
「じゃあ私ウーロンで」
「僕はオレンジジュースで……」
「りょー。すんませーん!」
「はーい!」

 やっちゃんが大声で店員さんを呼ぶ中、私は思ったより普通にそーくんと接することが出来ている自分にほっとしていた。
 確かに見た目が変わったことには驚いたが、中身は変わっていないらしい。どこかソワソワとした落ち着かない様子で居酒屋を見回す姿はいいところのお坊ちゃんのようで、何だか可笑しかった。

「そーくん」
「ん?」
「元気してた?」

 今更すぎる質問だとは思うけど、ずっと気になっていたことを初めて口にする。あんな別れ方したから、本当は顔を合わせるのも嫌だったんじゃないのか、って、不安だったから。
 でもそーくんは驚いたように目を丸くしながらも背を正し――すぐに照れたような笑みを浮かべながら「うん」と頷いた。
 その顔はやっぱり甘ったるくて、大きな子犬みたいで憎めなくて、可愛くて。私も同じように笑い返しながら「そ。よかった」と返したのだった。


 ◇ ◇ ◇


「へ〜。じゃあ最初はお医者さん目指してたんだ?」
「うん。でも、手術の見学中に気分が悪くなっちゃって……」
「うっわ。そんなん絶対無理だわ」

 やっちゃんが早速『飲酒禁止宣言』を無視してビールを飲む中、私は久方ぶりに再会したそーくんとの会話に花を咲かせていた。

「だけど折角勉強したから、何か生かせる道がないかな、と思って……」
「なるほど〜。それで医療機器メーカーねぇ〜」

 ふんふん。と頷きながらやっちゃんおすすめの卵焼きを一口食べる。うーん。確かに美味しい。光忠や歌仙が作るものとは違う、しょうゆが少し濃い目だがフワフワの卵焼きは確かに美味しかった。
 続いて特製ダレが掛かった焼き鳥を一口齧れば、こちらも肉が柔らかくて食べやすい。タレも甘過ぎないし、良い感じだ。
 それぞれの料理を楽しんでいると、やっちゃんから「相変わらず美味そうに食うよなぁ」と笑われる。

「だって美味しいじゃん」
「まあそうなんだけどさ。ユカは昔から美味そうに食うようなぁ、と思って」
「そりゃこんな見た目でごわすからね!」
「なんで相撲取り」

 ブハッ! と吹き出すやっちゃんに「はー、どすこいどすこい!」と言ってやれば更に爆笑する。それにつられるようにこちらも笑えば、そーくんも口元に手を当てて笑っていた。

「ゆ、ユカちゃん、相変わらずおもしろいね」
「しゃー、おらぁ! 高校時代は『なんで将来の職業欄に“芸人”って書かないの?』って聞かれまくった女です! よろしくどーぞぉー!」
「うはははは! 芸人!」

 バシバシと膝を叩いて大笑いするやっちゃんと、堪えきれないように「あはははっ」と声を上げて笑うそーくん。こちらも開き直ってゲラゲラと笑えば、一足早く立ち直ったやっちゃんが「そーいえば」と話しを変える。

「コイツさぁ、高校でずっとテストの成績一位死守したんだぜ」
「は?! マジで?!」
「た、たまたまだよ」
「たまたまでトップ獲れるかい! え! すごいじゃんそーくん! 頑張ったね!」

 思わず、そう。例え酒が入っていなくてもテンションがハイになっていたことと、普段行くことのない『居酒屋』という魔の空間に神経が侵されていた。そのせいで、ついいつも短刀を褒める時みたいに、そーくんの髪をグシャグシャと掻き回すように撫でてしまい、自分で固まってしまう。

「あ……ありが、と……」

 こちらも酒を飲んでいないのに顔を真っ赤にしたそーくんに見つめられ、即座に手を離す。やべえ。しくった。
 逆に唯一酒を入れているやっちゃんはニヤニヤとこちらを見ており、なんだか腹立たしくなってその足を蹴ってやった。

「おぉい! 足癖ぇ!」
「あ〜らごめんなさ〜い。あたしの足がつい! ゴール決めちゃったのよっ」
「むかつく〜!」

 女だけどオカマちっくに煽ってやればやっちゃんは笑いながらも悔しがる。そんな私たちをそーくんは顔を赤くしたまま視線を遣り、それから「あ、あの」と珍しく自分から話しを切り出した。

「ゆ、ユカちゃんは、その……今、お付き合いしてる人って、いるの?」

 うぐっふえっ。
 予想だにしてなかったところかのシュートに思わず呻きそうになる。どうやらやっちゃんはその答えを知りながらも教えていなかったらしい。怨むぞテメエ。と目線だけで訴えるが、やっちゃんはタコのように唇を突き出しながら全く音の鳴っていない口笛を吹く素振りをした。
 くっそ。ムカつく!

「いないよ。いるわけないじゃん、私なんかに」

 美人でもないし可愛げもない。体型だってずんぐりむっくりの残念チビデブスだ。まあ、入退院を繰り返した結果若干体重は落ちたけど、標準体重からはだいぶオーバーしたままの豚さんである。
 このまま〆られて市場に運ばれる日もいつか来るかもしれない。なんて思いながら串焼きに噛みついていると、そーくんは「そっか……」と何故か微笑を浮かべた。

「いないんだ……」
「おうよ。いねえわ」
「オラつくなって。ほら、姐さん! 今日は飲みましょう!」
「おうおう! ウーロン持ってこいやあ!」

 再び片膝をたててオラつけば、途端にやっちゃんは「姐さんカッコイー!」と合いの手を入れてくる。べっつにぃ?! 恋愛しなくても幸せですけどねえ! 彼氏がいなくても好きな人がいなくても、仕事は充実してますしぃ?!

「相馬も彼女いないもんなー」
「う、うん」
「は? 天下の九条グループの親戚なのに? 許嫁とかいないの?」
「んな昔の時代じゃあるまいし。いるわけねえだろ。な、相馬」
「流石に許嫁はいないかなぁ」

 どこか控えめに笑うそーくんに、私は「なーんだ」と声を上げる。

「てっきり面白い話が聞けるかと思ったのに」
「おっまえ、性格悪いなぁ」
「だって滅多にビッグネームのお家事情って聞けないじゃん。だから実際はどうなのかなぁ〜、って思ってたんだけど、案外普通なんだね」

 医療系ではトップに君臨し続ける九条グループと来れば、誰もがその恩恵にあやかりたいと思うものだろう。だけど親戚でしかないからか、そーくんは「そんなことないよ」と否定するだけだった。

「それに、結婚は好きな人とするものでしょ?」
「お。ってことは、そーくん今好きな人がいるってこと?」

 私だって恋愛ごとには疎くとも、友人の恋愛事情を聴くのは嫌いじゃない。だから思わずニヤつけば、そーくんは慌てて首を振った。

「そ、そんなんじゃないよっ」
「おおーっと。これは怪しいぞ〜? 八神選手どう思います?」
「これは怪しいですねぇ。若宮選手、とっておきの隠し玉があるのでは?」
「もーっ! やめてよぉ〜!」

 相変わらず親しい相手であっても強く出られない、心優しく控えめなそーくんに二人揃って笑う。その後もとても数年ぶりに再会したとは思えないほど賑やかな時間を過ごした後、私たちはしっかりと割り勘してから居酒屋を出た。

「んん〜! 楽しかったー!」
「いやー、マジで十年ぶりとは思えねえぐらい盛り上がったな」
「ねー。めっちゃ笑ったわ」

 店の戸を静かに閉めるそーくんも、先に出た私たちに追従するように「うん。楽しかったね」と言って笑う。

「最初颯斗くんから連絡来たときはビックリしたけど……ユカちゃんも変わってなくて、安心した」
「まあね〜。てか私が変わるとか、そうそうないし」

 昔からこんな性格だった。可愛げがなくて、がさつで、負けん気が強くて、大雑把で。仲のいい友達が意地悪されてたら「何してんだ!」ってキレて吠える子供だった。
 やっちゃんと一緒に、一人で本を読むそーくんの手を取って外に走り出すような子供だった。
 周囲の女の子みたいに虫を怖がるなんて可愛い芸当が出来なくて、汗と泥にまみれながら遊ぶのが大好きで、ほんっと。生意気な子供だった。

「あー……。帰りたいなぁ」

 本丸に、帰りたい。
 みんなに、今日あったことを話したい。

 むっちゃんに、小夜くんに、宗三に、長谷部に、光忠に、三日月や大倶利伽羅、鶴丸や鶯丸、他の皆にも、話したい。
 みんなどんな顔するかなぁ。「楽しかったよ!」って言ったら、みんなも笑い返してくれるかな。
 いつもと変わらない、優しい笑顔で、あったかい声で、「よかったね、主」って、言ってくれるかな。

「会いたいなぁ……」

 皆に。今すぐ、会いたい。

 そんなことを考えていたからだろうか。ぼんやりとしていた私は油断していたのだろう。物陰から自分を見つめる存在にも気付かず、こちらの頭を撫でて来るやっちゃんにだらしのない顔を見せてしまう。

「なーんだよ。酔ってんのかぁ?」
「んなわけねえじゃ〜ん。つーか撫でんなしっ。縮むじゃろっ」
「うはははっ。縮むんかよっ」

 パタパタと頭上に置かれた手を退かすように手を振れば、即座にやっちゃんの大きな手が離れていく。
 やっちゃんの手の大きさは、陸奥守と似てる。でも、むっちゃんの方が皮が厚くて、体温も高い。それに、私を見下ろす目も、やっぱり違う。
 やっちゃんは「悪戯っ子」みたいな目で、揶揄うような顔で見てくるけど、むっちゃんは「愛しい」って思ってくれるのが分かる目をしてる。柔らかい、大地の温かさを感じるような、そんな優しい瞳。同じ「好き」でも、やっぱり違う。

「――ユカちゃん」

 ここ最近、本名で呼ばれることがなかったから不思議と耳がこそばゆい。
 あまりにも『水野さん』って呼ばれることに慣れていた私の耳は、正しく自分の名前を呼ばれているのに、まるで知らない誰かを呼んでいるかのような心地でその声を聞いていた。

「そんな顔しないで。食べちゃいたくなる」

 ぐっ、と、存外強い力で顎を捕まれ上向きにされる。そうして強制的に視線を合わせてきたのは、真っ黒な髪と瞳を持ったそーくんだった。あー……やっぱり違うなぁ。むっちゃんとは。

「おーい。お前らマジで酔ってんの?」

 やっちゃんの上擦った声が聞こえて、私は数時間前そーくんの頭を撫でた手で、不埒な手を叩く。

「離して」
「ご、ごめん」

 命令することに慣れてきたのだろうか。咄嗟に出て来た声は思った以上に硬く、絶対的な意思を持っていた。だからだろうか。そーくんは慌てて大きな手を離した。

「ウエイウエーイ! ビックリしたぁ〜」
「それオレのセリフ〜」
「うははは! それな!」

 安心したのだろう。ガクッと両肩を下ろすやっちゃんに笑えば、やっちゃんも軽く笑ってからこちらの頭を撫でて来る。

「てか、さっきのお前ちょっと威厳があった気がする」
「マ?! やっべえ。私女王様じゃん」
「やっぱ酔っぱらてんじゃねえかよ」

 笑うやっちゃんにこちらもケラケラと笑い返せば、そーくんが隣に並んでそっと覗き込んでくる。

「ユカちゃん。うちまで送ろうか?」
「んーん。いい。自分の足で帰る」

 幾ら酒を入れていないとはいえ、夜道を女性一人で歩かせるのは心配なのだろう。やっちゃんからも「オレも一緒に行くぞ?」と言われたけど、首を横に振って断った。

「ふっふっふっ。そなたたちは知らぬかもしれぬがなぁ、今は文明の利器というものがあるのじゃよ?」
「おう。どうしたばあさん」

 説明ババアキャラになり切った私に乗っかってくれるのは、やはりノリのいいやっちゃんだった。そーくんはそんな私たちのやりとりを面白そうに眺めているだけだったが、私は気にせずスマホを鞄から取り出し、夜空に掲げる。

「ドロー! 俺のターン! タクシー召喚!」
「おい! ババアキャラどこいった!」
「ヴァカめっ! ワシの心はいつまでも十代なんじゃよ!」
「所々はババアなんだな」

 お会計をする前に呼んでいたタクシーは、あと数分も経たずに到着する予定だ。だから「送らなくても大丈夫」と伝えれば、二人は「分かったよ」と頷いてくれた。
 それでもタクシーが来るまでは一緒にいてくれるらしく、その後もくだらない話を繰り広げてはバカみたいに笑い合った。

「じゃーあー、今日は楽しかったよ! また一緒にご飯行こーぜい!」
「おー、また連絡するから。とりあえず気をつけて帰れよなー」
「またね、ユカちゃん。おやすみ」
「おやすみー。またねー」

 手を振る二人に車内から手を振り返し、それから運転手にゲートがある役所前までお願いする。
 お酒は飲んでないけど、居酒屋に漂うアルコールの匂いに酔ったのかもしれない。どこかフワフワとした心地で背もたれに体重を預け、うとうとしている間にもタクシーは目的地に辿り着く。
 だからちゃんと、間違えることなく料金を払って、ゲートを起動させて、無意識に動く指に任せて自身の本丸へと道を繋げれば、まさか私が帰ってくるとは思っていなかったのだろう。広間で酒盛りでもしていたのだろうか。陸奥守と大倶利伽羅、日本号がギョッとした顔をしながら庭に降りて来る。

「主! どういたんじゃ、こがな時間に」
「えへへ〜、むっちゃんただいま〜」
「あ? 嬢ちゃん、あんた酔ってんのか?」
「主は酒が飲めないはずだが……」

 いつにない私の姿に驚いたのだろう。困惑するみんなの姿がめずらしく、ちょっと愉快な気持ちになってくる。うん。鶴丸が降臨? ちがう。憑依したみたいだ。おもしろくて、楽しい。

「んふふー。驚いた?」
「おお、驚いた驚いた。そんで? 嬢ちゃんは何でこーんな時間に本丸に戻って来たんだぁ?」

 むっちゃんに抱き着いたまま、へらへらと笑う私に固まる二振りとは違い、日本号が近所のおじさんみたいに優しい声で尋ねて来る。その声がなんだか亡くなったおじいちゃんみたいで懐かしくて、嬉しくて。
 日本号さんのつなぎをギュッと片手で引き寄せてからお酒の匂いのする体に額を押し当てた。

「にほんごーさん」
「んー?」
「いつか、おじーちゃんにあえたら、自慢していい? おじーちゃん、にほんごーさんのこと、だいすきなんだぁ」
「……おう。好きなだけ話してやんな」

 やっちゃんとも、むっちゃんとも違う。おじいちゃんとも違う。だけど、おっきくて、あったくて、優しい手が慈しむように私の頭を往復する。それが嬉しくて「うへへ」と笑えば、むっちゃんが「主」と呼んで来た。

「部屋に連れて行くき、ちゃんと休むぜよ」

 そっと肩に置かれた手が、私と日本号さんを引き離す。それがちょっと寂しかったけど、代わりにむっちゃんに『むぎゅうっ』と抱き着けば珍しくその体が硬直した。

「……陸奥守。桜」
「……堪忍しとうせ……。今耐えちゅうきに……」
「あーあ。こりゃ記憶ぶっ飛んでねえと嬢ちゃん引きこもるぞ」

 頭上で繰り広げられる男たちの声にふにゃふにゃと声にならない声で返事をすれば、日本号さんが代わりに抱き上げてくれたらしい。お酒の匂いが漂ってくる。
 だから初めて感じる、自分の刀じゃない霊力につい眉間に皺が入ってしまい、咄嗟に「むっちゃん」と呼べば手を握られた。

「これは反則じゃぁ……」
「チッ」
「わははは! 残念だったなぁ、大倶利伽羅」
「うるさい」

 久々に現世で騒いだせいだろうか。それとも、やっぱり周囲のアルコール臭にやられたのか。本当なら聞こえるはずのない心臓の音と、厚い胸板から伝わるぬくもりに、ここがどこだか分からなくなってくる。
 だから何度も大事なものを探すみたいに「むっちゃん」と名前を呼べば、その度に優しい声が「おう」と鼓膜をくすぐった。それがなんだか嬉しくて、やっぱり頼りがいがあって、安心できるなぁ。なんて考えていたら、いつの間にか意識が沈んでいた。


 ◇ ◇ ◇


「……なんで本丸?」

 そして迎えた翌朝。家に帰ったとばかり思っていた自分が目覚めたのが本丸の、いつも寝起きする私室の天井を見上げている。そのことに心底疑問を抱きながらも起き上がれば、ボサボサになった髪が垂れて来る。それを片手でかき上げながら軽く整え、痛む後頭部に顔を顰めつつ枕元に置いてあった鞄を引っ張りスマホを取り出す。
 示された時刻はいつも起床する時間の五分前。それからやっちゃんとそーくんからそれぞれ無事に家についたかを確認してくるメッセージが飛んで来ていた。

「あー……。まあ、無事に帰って来たと言えば帰って来たから、それでいいか」

 二人に「おはよー」と言うスタンプと、昨日は即寝落ちしたことを軽く説明し、最後に「また遊ぼう」というスタンプを送ってからスマホを置く。

「……あれ、夢だったんかな……」

 日本号さんと、おじいちゃんと、陸奥守と大倶利伽羅が出た気がするんだけど……。いや、何でじいちゃんが出てきたし。まあいっか。どうせ夢なんだし。じいちゃん日本号好きだったから、夢で逢いに来たんでしょ。
 なんて考えてから再度布団に寝転がる。

「あ〜、またじいちゃんとばあちゃんの墓参り行って来ようかな〜」

 ゴロゴロと布団の上を転がりながらうつぶせになり、それからふとあることに気付いて「ん?」と声を上げる。
 見ればいつも本丸で眠る時に着るパジャマではなく、昨日飲みに行った時の服装だった。道理で寝返りが打ちづらいわけだ。と思ったのも束の間、すぐさま飛び起きて確認する。

「は?! なんで?!」

 家に帰ったと思ったら本丸だったでござる。
 かーらーのー?

「え…………? まさか、あれ……夢じゃない……?」

 またたびに酔った猫みたいにうにゃうにゃ言いながら、何度も無駄に陸奥守を呼んだ。日本号さんにもなんか色々話しかけた気もする。
 サーッと血の気が引く中、さっき枕元に投げたばかりのスマホが着信音を響かせる。慌てて取り上げたそこに示されたのは母の名前で、慌てて出れば「あんた今どこいるの!!」というお叱りが飛んで来た。
 だがそれにいつものように答えられるほど冷静ではなく、むしろ記憶に残るあれやそれやらが夢ではなく現実だったと確信してしまう。だから母の問いに答えるよりも早く、早朝だというのに「うわあああああ!!!!」と無様に叫んでいた。

 そして当然のように駆けつけてきた刀たちと、電話の向こうで困惑する母親に謝り倒すことになったのだった。


続く


 今回は『箸休め回』及び『水野の現実パート回』でした。今まであまり描写することのなかった水野(仮名)のリアルについて書きましたが、今後もこの二人は出てきます。もはや「とうらぶとは?」みたいになっていますが、無駄な登場人物ではないので寛容に受け止めて頂けたら幸いです。

 久々更新がこんなのですみません。
 それでは、最後までお付き合いくださりありがとうごいました。m(_ _)m



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