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久々のパティシエ我愛羅くんシリーズ。季節感ガン無視で、今回も砂糖多めなお話です。
『桜の季節なので』
すっかり冬の寒さが和らぎ始めた今日この頃。新しいスタートを切る新入生・新社会人の背を押すかのように様々な新商品が巷には溢れてくる。それは彼のお店でも同じであった。
「桜のムース?」
「ああ。そろそろ花見も始まる頃だしな。いつもケーキか焼き菓子ばかり作っているから、たまにはいいかと思って作ってみたんだ」
そう言って彼が白い箱から取り出したのは、まだ『試作品だ』という二つの容器だった。
一つは桜色のムースの上に鮮やかな薄紅色のクラッシュゼリーと桜の塩漬けがちょこんと乗った、華やかでありながらもどこか上品なタイプ。
もう一つは下段に抹茶のムースを、上段に桜のムースを重ね、更にその上に白玉や小豆、桜の塩漬けを乗せた『ザ・和風スイーツ』と言わんばかりのタイプだ。
どちらも見た目からして美しく、一つだけを選べと言われても小一時間は悩みそうなぐらい綺麗で目を惹く。
「こんな贅沢が許されるのかしら……」
「何が贅沢なんだ?」
心底理解していないのだろう。キョトンとしながらもお茶を用意してくれる彼に私の気持ちが分かるはずない。
だって! だって彼の新作を二つも食べられるのよ?! これは繁忙期に頑張って残業し続けた私へのご褒美なのでは?!
そう錯覚しそうになるほど、目の前のデザートはキラキラと輝いていた。
「本当に食べてもいいの?」
「むしろ率直な意見・感想を聞かせてくれ」
肩を竦める彼にお茶を淹れた湯呑とスプーンを渡され、ありがたく手を合わせる。さて……。どちらから食べるべきか……。
うーん。と悩みつつも、まずは見た目からして興味を引くクラッシュゼリーが乗ったムースに手を伸ばす。
容器も大人っぽさを醸し出すためだろう。背の低いワイングラスのようなガラス容器に入っている。
どこかドキドキとしながらスプーンを入れれば、“ふんわり”というよりも“ぷるん”とした感触が伝わってきた。ゼラチンを入れているのかしら?
「いただきまーす」
目の前に座る彼は一人でお茶を啜っている。それに構うことなくゼリーと一緒に桜色のムースを口に入れれば、ゼリーやプリンよりも軽い触感でありながらも、どこかしっかりとした滑らかなムースが舌の上で蕩けていく。
「んん〜……! おいしい〜……!」
半透明なクラッシュゼリーは、ちょっとお酒が入っているのだろう。ムースだけだと甘すぎるけれど、このゼリーと一緒に食べると後味がくどくなくていい。むしろサッパリとした風味になっている。このゼリーだけでも十分いけるわ。
「美味いか?」
「とっても!」
「そうか。よかった」
強く頷き返せば、安心したのだろう。彼の目元がやんわりと綻ぶ。
そんな彼に笑みを返し、今度はムースだけを掬って口に運ぶ。うん。やっぱり美味しい。それにゼリーがないことでムース自体の甘さがよく分かる。確かに他所のケーキ店に比べたら甘さ控えめに感じるけど、物足りなさはない。むしろ舌の上で蕩けるこのクリーミーさが一層贅沢な気持ちにさせてくれる。
一度彼が淹れてくれたお茶を飲むことで口の中をリセットし、今度はゼリーだけを掬って食べてみる。
こちらも甘さはあるが、ふんわりと花のような香りが鼻孔を抜けていき「あ〜」と声を上げてしまいそうになる。これは……これはダメだわ。ダメになるお味だわ。美味しすぎ大問題。
でもこう、一気にパクパク食べるより、一口一口味わって食べたい感じのデザートね。だから子供向けというよりは完全に大人向けだ。あまりワイワイしながら楽しむお花見には向かないかもしれない。
うん。これはしっとりとした大人な空間でこそ味わうべきデザートだわ。夜景が見えるレストランとか、夜のバーとか。なんかそういう落ち着いた雰囲気が合うわね。
「これは“ちょっと贅沢をしたい日に楽しむ夜のデザート”だと思うの」
「やけに具体的だな」
「お酒にも合いそうだなぁ〜。と思って」
「ああ、ゼリーには桜のリキュールを使っているからな。合うかもしれん」
あ。やっぱりそうなんだ。どこかサッパリとした風味なのはお酒が入っているからなんだわ。だったら完全に大人向けよね。小さなお子様には向かないだろう。小さい子って舌が敏感だから。
逆にもう一方はどうなのかと、抹茶と桜のムースを手繰り寄せる。
こちらはゼリーが乗った方とは違い、背の低い陶器の小鉢に入っている。実際に店舗に出すときはプラスチック容器に変えるのだろうけど、これはこれで趣があっていいと思う。
「じゃあこっちもいただくわね」
「ああ」
頷く彼が見守る中、白玉を避けてムースだけを掬って口に含む。今度はゼラチンを使っていないのだろう。舌に乗せた瞬間粉雪のようなふんわりとした触感を感じる。そうして口の中で転がせば、じゅわりと崩れて口全体に桜の上品な甘さと抹茶の程よい苦みが混ざり合い、ほろほろと溶けていく。
「んん〜〜〜……! 甲乙つけがたい〜〜〜!」
「ははっ。ありがとう」
ダンダンと机を叩く私に、彼は朗らかな笑みを浮かべる。
最近ではお客さんも増えてきたと言うのに、それでも自分の腕に不安があるのだろう。私が「美味しい」と言うまでどこかソワソワとしていたのに、今では随分と空気を和らげている。
うぅ……! 悔しいけど美味しい! 美味しいのよ! 本当に!
「桜の甘さと抹茶の苦みがこんなにも相性がいいだなんて……」
「同じ和の素材だからだろうな」
「それもあるけど、後味も甘くなり過ぎないのが凄いわよね。こっちのゼリーがサッパリ系なのに対して、こっちは柔らかく余韻を残しながら香りだけを残していく感じかしら?」
後を引く甘さは安っぽい証だ。でも彼は材料に拘っているためか、そういった後味の悪さがない。むしろサッパリと、名残惜しく思うほどに香りだけを残していくのが憎い。もう少し味わっていたいのに。思わず唇を尖らせてしまいたくなる。
「でも、だからこそ! スプーンが進むのよねぇ……」
「何で少し残念そうなんだ」
「だってうっかり『もう一個……』とかなりそうなんだもの」
甘いもの好きには辛いところだ。確かに食べている時はこの上なく幸せなんだけど、食べ過ぎは体重増加の元だから。でも彼の作るスイーツを断つなんて絶対に嫌! だから食べ過ぎには気を付けなければいけない。今後も彼の美味しいデザートを食べるために太るわけにいかないのだ。
「二つ食べたところでそう変わらんだろう」
「甘いわね。砂糖一キロより甘いわ」
「そんなにか……」
どこか愕然とした顔をする彼に神妙な顔で頷く。これ、他人から見たら酷い絵面なんでしょうね。それでも今度はムースと一緒に白玉と小豆、桜の塩漬けを掬って口に運ぶ。
あ〜〜〜! これ、おいっしい〜〜〜!!
「…………いつ見ても幸せそうに食うな。お前は」
「だって美味しいんだも〜ん」
口の中で弾む白玉は甘さ控えめだけど、小豆と一緒に噛めば気にならない。むしろ小豆の優しい甘さが白玉ともムースとも合ってやばい。三種類の食材とかみ合うなんて小豆凄すぎじゃない?! あんみつに入れても美味しいもんね。流石小豆様だわ。和風スイーツには欠かせない絶対的王者の風格を改めて感じる。
でも甘いだけじゃない。桜の塩漬けがキュッと全体を締めてくれるから、味の調和がしっかりと取れているのだ。
もう完全にほっぺたが蕩け落ちそうな心地に陥っていると、彼から改めて「商品としてどうだろうか?」と尋ねられる。
「うん。両方ともどこに出しても恥ずかしくない和風スイーツだわ。こっちはご年配の方にも受けそう」
「そうか」
「うん。小さい子には抹茶のムースが苦いかもしれないけど、我愛羅くんのお店に来る人は大人の女性が多いからいいんじゃない?」
以前年末のスイーツ展に出店したことがあるせいか、彼のお店は客足が増えた。勿論口コミもあるんだろうけど、結局一時的なことにならず客足が絶えないのは彼の作るお菓子が美味しいからだ。
それにケーキだけじゃなく焼き菓子も売っているから「子供のおやつに」と買ってくれる方もいると聞く。あと最近では学生の子も買いに来てくれるんだとか。
「マカロンや焼き菓子はケーキと違って持ち運びも楽だし、温度管理もしなくていいからな。意外とよく売れて驚いている」
「だから言ったじゃない。単品で売るのもいいけど、好きなお菓子を詰め合わせで選べるようにしたら買ってくれる人増えるわよ、って」
更に言えばラッピングの要不要による値段差と時間短縮、箱の大きさも種類を増やし、デザインも一新したためか飛ぶように売れるようになった。おかげで完売する日も多いという。
特に好きな焼き菓子を自分で選べるのが人気を博した理由の一つだ。色味で選んでも味で選んでも楽しめるから、学生だけでなく二十代のお姉さま方にもよく売れるみたい。
「学生たちはシェアでもしているのだろう。よく弾むような声を上げながら買っていく」
「フフッ、気持ちはわかるわ。美味しいものを独り占めしたい、っていう気持ちは勿論あるだろうけど、やっぱり友達と食べるのが一番だもの」
「そういうものか?」
「そういうものなの」
彼自身は甘いものが好きではないから味見以外では口にすることはないんだろうけど、やっぱりお菓子や見目麗しいスイーツにキャアキャアはしゃぎながら食べるのは楽しいのだ。
それにセット販売は単品で買うより少しお得な価格になっているため、少ないお小遣いで美味しいものを食べたい学生たちにとっては有り難い話だろう。
「でも今回の新作は『お花見』で食べるにはちょっと向かないかもね」
「そうか……」
「うん。外で食べるより家の中で、ゆったりとした贅沢なティータイムを楽しむ時用ね。あとはほら、食べた後容器の後片付けもあるじゃない? 外だと不法投棄される可能性もあるし……」
「ああ、そうか。ではまた別のものを考えるとするか。……しかし外で食べるお菓子を考えるのも難しいものだな」
そうぼやく姿に数度瞬き、ふと思う。
「でもテラスで食事会をした時とか、ご年配の方たちのお茶会とかで出す分には申し分ないから、これはどっちも商品にしてもいいと思うわよ?」
「そうか?」
「うん。それにどうしても『外で食べる用』がいいっていうなら、持ち運びが出来そうなスティック系の焼き菓子なんてどうかしら。個別包装して箱詰めすれば大勢での花見にももってこいだし、食べきれなくても持って帰ることが出来るじゃない?」
「ああ……。それもそうか」
本当に、普段作る癖に用途についてはサッパリなんだから。でもそういうちぐはぐしたところが魅力的と言うか面白いというか。目が離せないのよねぇ、この人。
そんなことを考える私の目の前で、彼は顎に手を当てながら早速頭の中にレシピを描いているのだろう。真剣な眼差しで携帯を取り出し何かを打ち込み始める。
「種類も幾つか用意した方がいいな」
「そうねぇ……。鉄板で人気のチョコレートは絶対に欲しいけど、あとはドライフルーツとかナッツを乗せたものもいいんじゃない?」
「ならばパイ生地のようにサクサクしたタイプと、バウムクーヘンのようなケーキタイプ、どちらがいいと思う?」
「一概には言えないけど、保存のしやすさと持ち運びのしやすさで言えばパイ生地タイプじゃない? バウムクーヘンは味も質も重くなりがちだから、食後のデザートよりは三時のおやつ向けって感じがするし」
スイーツ好きの私の意見に、彼は律義に頷き携帯に打ち込んでいく。パティシエという職人でありながら素直に人の意見を聞くことが出来るのは彼の美点だと思っている。気難しい人なら「素人が分かったような口利くな」って言うだろうしね。その点彼は柔軟な頭と感性を持っていると言える。
その甲斐あってか、購買者意識に寄せた商品の数々は続々と売れている。おかげで最近ではお店に感想を込めたお手紙も増えて来たんだとか。販売を担当しているテマリさんも喜んでいた。
「ならばその間は通常の焼き菓子を下げて売り出すのも手だろうか」
「“期間限定”で新商品を売り出している間はそれでもいいと思うけど、その分値段についてはよく考えないといけないわね。学生のお小遣いってそんなに多くないはずだし」
「ならば売れ行きがいいマカロンは並べておくべきか……」
「そうね。マドレーヌやフィナンシェは一時的に下げてもいいと思うわ。でも問い合わせが多く来るようだったらその時はまた考えないといけないけどね」
「ふむ。悩みどころだな」
学生たちが購入するのはケーキよりも焼き菓子だ。コスパもいいし、友達同士でシェアしやすい。特にセット販売で安くなるのがいい。ケーキは幾つ買っても値段が変わらないからね。
「でも大丈夫だと思うわよ? 女の子は大体“新商品”と“期間限定”に弱いから」
「そうか」
「ええ」
彼は「改めてテマリにも相談してみる」と告げると、タッチペンを取り出し携帯に図案を描き始める。こうなったら暫くはそちらに集中するので、私はありがたく彼の作って来た試作品を味わうことにした。
「ん〜……シ・ア・ワ・セ」
口の中でふんわりと淡く溶けていくムースの触感に頬を緩めながら、ひたすらペンを走らせ唸る彼をひっそりと眺める。
でも、どうして『桜のムース』を選んだのかしら。春なんだから『苺』が出回る時期なのに。
じっと彼を見つめながら思案する私の視線に気付いたのか、珍しく集中していたはずの彼が視線を上げる。
「何だ?」
「ん〜? いやあね、どうして『桜のムース』なのかなぁ。って考えてたのよ。幾らお花見の時期とはいえ、春と言えば『苺』じゃない? 洋菓子店的には」
ケーキに欠かせないフルーツの王様といえばやはり苺だろう。クリームの上に乗せてもよし。スポンジに挟んでもよし。ジャムにしてもプリンに入れても美味しい。それなのに何故敢えて『桜』を選んだのか。尋ねる私に、彼はビクリ。と肩を震わせる。
……何よ。その反応。気になるじゃない。
「……別に大した意味はない」
スッと逸らされる視線と、気まずそうな空気。これは恥ずかしいけど言いたくない時の表情ね。そんな顔されたらますます気になるじゃない。
「本当に〜?」
「……まあ……」
「その割には歯切れが悪いじゃない。いつものスパッとした口調はどうしたのよ」
スプーンを置いて身を乗り出せば、途端に彼はグッと言葉に詰まって背を反らせる。何だか少し楽しくなってきた。でも言葉で追い詰めては可哀想なのでじっと見つめ続ければ、観念したのだろう。彼は大きく息を吐きだすと片手で口を覆い、ボソボソと小さな声で喋り出す。
「……別に……。ただ“桜”と聞いてお前を思い出しただけだから……。他意はない」
え〜〜〜?! 嘘、可愛い〜〜〜! この人照れてるの?! っていうか絶対「他意はない」って嘘でしょ!
「本当に〜?」
「な、何故疑う」
「だって食べ物で私を連想するなんて、まるで『私の事を食べたい』って言ってるみたいじゃない」
正直自分で言っておきながら恥ずかしい気持ちはある。でも目の前で苺のように真っ赤に染まる顔を見ていると悪い気はしない。むしろ揶揄いたくて可愛がりたくて仕方がない。
「ち、ちがっ……!」
「あら? 違うの?」
「――ッ! さ、サクラ!」
「フフッ。なあに?」
「〜〜〜ッ!!」
首を傾ければ、彼は真っ赤な顔を隠すように腕で顔を覆うとそっぽを向く。でもバッチリ見ちゃったから。照れてるところ。
「フフッ。可愛い人」
「…………お前、あとで覚えてろよ……」
「しょうがないわねぇ。楽しみに待っておくわ」
「ぐっ……!」
歯を食いしばって悔しがる彼に声を上げて笑い、八つ当たりするかのように画面に図案を描き続ける彼を待つ。
きっと今夜は寝かせてもらえないんだろうな。なんて思いながらも、噛み締めたムースは先程よりもずっと熱くなった口内で雪のように溶けていくのだった。
終わり
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