小説
- ナノ -



 私の目に変化が訪れたのは、竜神様の宝玉を奉納後、久方ぶりに実家に戻った日の翌日だった。

「おあ?!」

 起床し、顔を洗ってタオルで水気を拭いて顔を上げた瞬間――鏡に映った自分の姿を見て女らしくない悲鳴を上げた。
 いやだって、誰だって起きたら突然『目の色』が変わってたらビックリするでしょ。カラコン入れたわけでもないのに、一般的な黒茶色の瞳が左右非対称の色になっていたら誰だって叫ぶと思う。
 実際野太い声を上げた私はそろりそろりと慎重に指を伸ばし、左右非対称の色に染まった目を数度擦った。

「えぇ……? ナニコレぇ……」

 鏡から見て右――実際の位置である左目は青く、また右目は赤に近い橙色に染まっている。しかも鏡を覗き込んで確認してみれば、どういうわけだか瞳の色は常に変化しているらしく、薄くなったり濃くなったりと安定しない。まるで流れる水のようだ。
 内心冷や汗を掻きつつマジマジと鏡を見つめていると、情けない悲鳴が聞こえていたのだろう。母が「どうしたの?」と尋ねながら顔を出してくる。
 それに驚き、咄嗟に目を隠そうとしたが既に遅い。この手の話に敏感で、かつ嫌がる母であれば勢いよく詰め寄ってくるだろう。内心で酷く焦りつつ、それでも必死に言い訳を探したが何も思い浮かばない。
 だけど冷や汗を掻く私に首を傾けた後、母は普通に「何してんの?」と問いかけて来るだけだった。

「あんたいつまでそこにいるつもり? なに? ゴキブリでも出たの?」
「え? あ、いや、その、」
「それとも目に睫毛でも入ったの? さっさと水で流してコッチ来なさい。朝ごはん出来てるんだから」

 どこか呆れた様子でそう言うと母は洗面所を出て行った。この変化した目には一切触れずに。

 …………もしかして、霊力を持たない母には見えてない?

 再度鏡へと向き直れば、やはり左右非対称の色に染まった瞳がこちらを見つめ返している。
 何となく居心地の悪さを覚えつつ、朝食を食べ終えるとさっさと家を出てお師匠様の元へと向かった。
 とはいえアポなし訪問は流石に非常識なので一報入れはしたが、お師匠様も私の瞳の色が変わったことが気になったのだろう。すぐに面会してくれた。そして私を見るや否や――

「これは……大変なことになりましたね」
「ひえっ」

 と、いつもゆったりと構えているお師匠様らしくない一言がもたらされた。当然私はビビったわけなのだが、お師匠様のように察しがいいわけではない。
 こちらを呆然と見遣るお師匠様を前にオロオロしていると、我に返ったのだろう。お師匠様から「暫しお待ちを」と言われ、そのまま座っているよう促される。その間もお師匠様は何かを考え込むように黙り込んでいたが、こちらも口を噤んで待っていると視線を合わせてきた。

「水野さん」
「はい」
「正直なところ、今ここにあなたがいること自体が信じられない」
「え」

 いつになく硬い声音と表情のお師匠様にこちらも心臓が止まりそうな心地になる。この時は現世にいたから御簾をつけておらず、ダイレクトに私の表情が分かったからだろう。
 お師匠様は落ち着かせるようにふと表情を緩めると、一度周囲を気にするように視線を巡らせてから再び目を合わせてきた。

「水野さん。今のあなたは大変貴重であり、かつ珍しい状態になっています」
「と、言いますと?」
「神々の神気が体内に満ち、循環しているのです。それも正反対の性質が、争うことなく巡っている。“ただの人”であれば片方の力だけでも耐え切れずに押し潰されてしまうでしょう。ですが、あなたの体はそれを受け入れている。……これがどういう意味か、分かりますね?」

 ようは遠回しに『お前はもう人間じゃなくなった』と。そういうことだろう。これには私もビックリだよ。
 そりゃあ確かに前から言われてはいたけどさ。だからと言ってこんな急に変わるとは思わないじゃん?

 でも正直なところ、そんな気はしていた。

 だって、そうでもないと突然『目の色』が変わるとかありえないでしょ。それに鳳凰様からも『お前の変化は“目”に現れる』って教えて貰ってたし。うすうす『そうなんじゃないかな』と思っていた。
 だから言うほどショックはなかったし、心のどこかでは分かっていた。

 でもそれを素直に、はいそうですか。と受け入れられるほど大きな器を持っているわけでもない。私はどこかぼんやりとしながらもお師匠様の言葉に頷き――両手で顔を覆った。

「これ……どうにもならないですか」
「私の力では何とも……。溢れる神気をある程度抑えることは出来るかもしれませんが、元に戻すことは出来ません」
「そうですかぁ……」

 お師匠様でも『抑える』ことが限界だと言う。っていうかもう、さっきの言葉で答え出てんじゃん、っていうね。

「私は、“神の眷属”になったんですか?」

 どこかのライトノベルじゃあるまいし。自分が“神”になったとは思わない。っていうか生身の人間が神になんかなれるわけがない。だから『神の眷属』になったのかと思って尋ねたのだが、お師匠様は首を横に振った。

「厳密にいえば違うと思います。とはいえ、竜神様と鳳凰様、二柱の気が確かに感じられます。おそらく水野さんを内側から守護なさっているのでしょう」
「あー……。確かにそんなことおっしゃってましたもんね、鳳凰様……」

 竜神様は元より私の魂に住んでいた。だから竜神様の力が体内を駆け巡っていても何ら可笑しいことではない。鳳凰様に関しては加護を与えられたから、それが切欠だろう。
 何はともあれ水と火、異なる性質を持つ力が巡っていることが分かった。その変化が『目』に現れたのだろう。鳳凰様に教えられた通りだ。目の色が濃くなったり薄くなったりしているのは気の循環による錯覚か何かだろう。

 とはいえ救いもある。それはこの違いに気付く人は『霊力』を持つ人だけだということだ。
 だから母には気付かれずに済んだ。それだけでもありがたい。

「とにかく、今の水野さんからは強く神気が溢れています。これでは却って危険ですから、神気を抑えるお守りをお渡しします」
「すみません、お師匠様……」
「今回のことが落ち着けばまた変わるかもしれません。そう気を落とさずに」

 お師匠様に軽く肩を叩かれ、社務所で待たされること数十分。お師匠様お手製の、特別で特殊なお守りを手渡された。

「それを常に身をつけておけば刀剣男士様方でもすぐには気付かないでしょう」

 あくまで“目くらまし”程度の力しかない。とお師匠様は説明したけれど、同時に「このことはまだ誰にも言わない方がいい」と釘を刺される。

「武田さんにもですか?」
「ええ。先の事件が解決していない以上、政府に渡った情報を相手が掴まないとも限りません。水野さんの身が危険に晒される可能性もあります。機会を伺い、然るべきタイミングで報告するのが一番でしょう」
「そう、ですか」

 ――危険、なのか。この力は。

 いや、でも、そうだよな。『嫉妬』と『強奪』、どちらも私に呪いを掛けているうえ、竜神様の力を狙っている可能性もあるのだ。用心するに越したことはない。
 首から下げたお守りをギュッと両手で包む様にして握れば、再度お師匠様から肩を叩かれる。

「気を確かに持ちなさい。確かに、今の水野さんは現世に来られたのも不思議なほど神気が高まっています。それでも“あなたはあなた”です。神様になったわけでも、神の遣いになったわけでもない。あなたが望むままにあればいいのですよ」
「……はい。すみません。ご迷惑をおかけして」

 私は私。お師匠様の言う通りだ。
 ここで凹んだところで流れる神気を止められるわけでもなければ外に放出することも出来ない。それに竜神様も鳳凰様も私を守ろうとしてくれているだけだ。その心遣いを無下にすることは出来ない。

「ありがとうございます。刀剣男士の皆には……私の気持ちが落ち着いてから話そうと思います」
「そうするのがいいでしょう。ですが焦ってはいけませんよ? 気落ちしたところに悪しきモノは付け込んできますから」
「はい。気を付けます」

 心配してくれるお師匠様に礼を言い、お守りの代金をキチンと支払ってから家に戻った。
 いつもならブラブラと適当に街を歩き、本屋とか雑貨屋に顔を出すのだが、あまり外をウロウロして人目に付きたくなかった。例え審神者ではなくとも敏感な人は何かを感じ取るかもしれないから。

 ――爾来本丸内でも肌身離さず、周りから分からないよう服の下に隠すようにしてお守りを下げている。実際溢れる神気は抑えられているのだろう。皆から何か言われたことはない。

 それでも毎日鏡で見る目の色は変わらず、今も左右非対称の色に染まったままだ。

 青と赤。水色と橙。

 移り変わる季節のように濃淡を変えながら気は体を巡っている。
 縁側から移動した執務室の中、陸奥守たちが席を外している間にそっと覗いていた鏡から目を離す。

「はあ……」

 ずらしていた御簾を元に戻し、机に突っ伏して目を閉じる。
 思っていたより精神的にダメージを受けてたのかな。もう何も考えたくなくなってきた。

「……………………」

 そよそよと、開け放った障子の向こうから風が流れ込んでくる。それを心地よく思いながらも微動だにせず、机に突っ伏したままでいると、ふと誰かがこちらに向かって来る足音が聞こえてきた。

 ……誰だろう。あんまり聞いたことのない足音だな。

 別に一人一人の足音を把握しているわけじゃないけど、江雪さんや宗三、歌仙などは音を立てないよう静かに歩く。反対に同田貫や和泉守なんかは大股で、しっかりとした足取りだ。
 長谷部は他の皆に比べてテンポが速く、光忠や大倶利伽羅は逆にゆっくりとしている。短刀たちは足取りが軽いし、駆け足気味のことが多いから大体分かる。

 一体誰が来たんだろう。考えながらもじっとしていると、相手は部屋を覗き込んだのだろう。ハッとしたのが気配で分かる。かと思えば周囲を探っているのか、廊下の奥や手前を一度、二度と往復した後、躊躇いがちに執務室へと足を踏み入れてきた。

「……水野殿」

 この声は……骨喰藤四郎? どうしたのかな。何かあったのかな。
 気になりつつも何となくこの先の行動が気になって、所謂『寝たふり』を続けていると、彼がじっとこちらを見ている気配がする。

 ……いや、何をそんなに見るところがあるかね?! 顔か?! 顔なんか?! 何?! もうバレたの?!?! 早くね?!?!

 だけど私の懸念は空振りで済んだ。
 骨喰は労わるように私の前髪をそっと指先でかき分けると、細いように見えて意外としっかりとした手の平で頭を撫でてきた。

「はあ……やはりダメだな。出直そう」

 骨喰はため息交じりにそう呟くと、来た時とは違い、少し早めの足取りで去って行った。

「…………何だったんだろう」

 さらり、さらりと、手袋越しに撫でられた前髪を指先で弄る。

 ……思えば、あんな風に優しく触られたのは初めてな気がする。
 陸奥守は結構豪快にわしゃわしゃーって撫でるから。あとは……っていうかそもそも髪というか、頭を撫でて来る刀がいない。少し前に鶴丸に軽くぽんぽんってされたことがあるけど、目撃してた短刀に追いかけ回されてからは触って来ないし。
 三日月も「触ってよいぞ」とは言ってくるけど私には許可なく触れてこない。乱も抱き着いてはくるけど頭や髪に触れることは滅多にない。他の刀たちもそうだ。
 そう考えると骨喰のあの優しいような、戸惑っているような、それでも触れることを辞めようとはしない不器用な指使いは、なんともむず痒い気持ちにさせられた。

「って、何考えてんだ私。少女漫画じゃあるまいし」

 ブンブンと首を振って意識を入れ替える。すると席を外していた陸奥守と長谷部が戻って来た。

「主、本丸内の巡回を終えました」
「おん。本丸内も内番組も問題なしじゃあ」
「そっか。ありがとね、二人共」

 一応本丸内に危険はないだろうとは思うんだけど、それでも念には念を、ということで定期的に本丸内を刀たちが巡回している。普段なら過保護な刀たちが私を一人きりにすることはないんだけど、この部屋と奥に続く私室にはお師匠様が四方にお札を貼っているうえ、百花さんが大量にお札をプレゼントしてくれたので他の部屋より危険が少ないのだ。
 だから私がここにいる間に皆が巡回し、その結果を報告するようにしていた。
 とりあえずは今日も平穏無事に過ごせそうだ。それだけでも心の荷が僅かに下りた気がする。

「もうすぐで遠征組も帰ってくる時間だし、それまでにちゃちゃっとコレ纏めちゃいますか」
「主命とあらば」
「おん。しゃんしゃん終わらせるぜよ」

 今日は百花さんも百花さんの刀も来ない日だ。日向陽さんも夢前さんも自身の本丸を持ったため、数カ月前までは毎日のように騒がしかった日々が懐かしくなるほどに穏やかに時間が過ぎていく。
 そうして一つ一つ仕事を片付けていく私の知らないところで、事態は少しずつ進行していた。





prev / next


[ back to top ]