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 竜神様の宝玉を奉納してから早数日。体調も落ち着きを取り戻し、日々職務に励んでいる時だった。

「悪ぃな。忙しいのに時間作ってもらってよ」
「いいですよ。私も狭間くんがどうなったか気になってましたし。それに忙しいのは武田さんの方でしょう。大丈夫なんですか? 色々と」
「まあ……問題は山積みだわなぁ」
「ですよねぇ」

 こんのすけと、本日の近侍補佐である長谷部が客室に案内してきたのは私の担当官こと武田さんだった。

 彼には例のブラック本丸に何故か一人で飛ばされてしまった新人審神者くこと『狭間くん』のことを任せたきりになっていたのだが、その件について話がしたい。と言われ、こうして時間を作っていた。
 私自身色々あったせいか、武田さんも報告することを忘れていたらしい。
 そりゃそうだよね。突然倒れて入院したかと思えば、退院と同時に竜神様の宝玉をルパンしに行き、その後の奉納式で鳳凰様が現れたんだから頭からすっこ抜けるのも頷ける。
 事実あれから二週間以上経っているのだ。事情聴取は既に終わっている。

 何も知らない新人が突然『瘴気』に溢れた本丸に飛ばされた。
 その事実だけでもだいぶスキャンダラスなのに、被害者は未成年だ。狭間くん自身、心優しい分少々臆病というか、怖がりな面があるのだろう。精神的ダメージが大きく、保護してからも数日はまともに情報が得られなかったそうだ。

「とはいえ二、三日もすれば流石に落ち着いたみたいでな。理路整然、とはまではいかねえが、覚えている範囲で色々喋ってはくれたぜ」

 私の担当だけでも忙しいだろうに、狭間くんの保護も任されている武田さんが聴取してきた情報を机上に広げる。それを受け取りザっと目を通せば、どうやら彼に本丸のIDを伝えた政府役員は実在しない人物だったらしい。

「まさか政府の名を騙って犯行に及ぶとは思わなかったぜ。相手が何を目的にしているか分からねえし、足取りも掴めてねえ。おかげで捜査が難航している」
「でしょうねぇ。何せ相手は政府の役員と偽れる程度の度量と頭があるということですから。尻尾を隠すのもうまいでしょう」

 でも本丸のIDを知っていたのだ。確実に関係者だろう。
 政府役員に扮していてもバレなかったとなると、鬼崎みたいに何かしらの呪術が使えるのかもしれない。あるいは『嫉妬』と『強奪』どちらかに属しているのか。結局のところ推測の域は出ないが、厄介な相手であることに変わりはない。
 二人で「うーん」と唸りつつ、書類を片手に茶を啜る。

「ところで、狭間くんはどうなったんですか?」
「ああ。それなんだがよ、あんな目にあっただろう? だから本丸を持つ事に消極的でな」
「あー……」

 無理もない。誰だって「今日から審神者だ! 頑張るぞ!」と意気込んで向かったところが瘴気漂うブラック本丸だったとか、笑おうにも笑えない。むしろ彼からしてみればマジで『死ぬ一歩手前』だったのだ。助かったとはいえ、そのまま「じゃあ次に行きます」とはならないだろう。
 これが社会経験もあって、それなりに肝が据わってやる気に満ち溢れている人なら話は違ったかもしれないが、彼はそういうタイプには見えなかった。幾ら時間が経ったとはいえ、あの恐怖心が薄れたとは思えない。

「ではどうするんです? 暫く様子見ですか?」
「ああ。折角教育したんだ。審神者になって貰わなきゃこっちも困るんでな」

 施設出身者は政府の役員が直々に教育を施す機関である。そこを出ているのだからしっかり貢献しろ。ということだろう。それでも管轄が違うからか、それとも本人の気質か。武田さんは苦い顔を隠さない。

「つっても俺個人としては時期尚早だと思うんだがな。あいつは小心者だ。今回の件で相当ビビッちまってるし、本人も“新しい本丸を与えられても刀剣男士たちとうまくやれる自信がねえ”って後ろ向きな態度だしよ」
「うーん……。三十振りしか顕現させられていない私が言うのもなんですけど、確かに今の彼には荷が重いでしょうね」

 現在登録されている刀剣男士は九十振り近い。半分にも満たない弱小本丸を運営する私が言えることではないが、それだけの付喪神を纏めるのは至難の業だ。おいそれと安請け合いは出来ないだろう。だって私でもヒイヒイ言ってるからね。九十もおったら身がもたんわい。

「まあなぁ。俺のところも八十振りまで増えたが、名前と顔を覚えるのが大変でよ」
「言ってしまえば一学年分ぐらいの人数ですからね。下手すりゃ二学年分ですよ」
「全くだ。それに加えて元持ち主の関係やら兄弟刀の関係やらがあるだろ?覚えなきゃいけねえことがありすぎて面倒くせえ、じゃなかった。大変だっつーのに、付喪神共を纏めるなんておいそれと出来ることじゃねえよ」
「本人の気質は勿論ですけど、例えば専攻が日本史だったとか、歴史が好きだったら話は変わってくるんですけどね」
「おう。まったく困ったもんだよ」

 刀が増えればそれだけ歴史も覚えなければいけない。本人が「コイツとは因縁がある!」と言ってくれたらまだいい方だ。でもそういうことを言わない刀が殆どだから、審神者である私たちは必死に勉強しなくてはならない。

 だって新選組の刀だって面と向かって陸奥守に悪態をついたりしない。
 まあ、主である私が陸奥守に信を置いているせいもあるんだろうけどさ。あとは付き合いが長くなれば互いのことも分かってくる。触れられたくないことは互いに触れずにうまくやっているのだろう。
 でもそれに気付けたのだってこの本丸には刀が三十振りしかいないからだ。八十振りもいたらそう簡単にはいかない。しかもそれだけの数を新人が纏めるなど無茶ぶりもいいところである。私が十代だったら泣くな。絶対に。

「だが折角育てた人材だ。暫くは信頼の置けるベテラン審神者のところで面倒を見てもらう、ってことで一応話は纏まった」

 ベテラン審神者は各地に大勢いる。私と彼が同じ担当地域なのかは分からないが、武田さんのことだ。悪いようにはしないだろう。
 頷きながら相槌を返すと、武田さんは「ところで」と話を切り替える。

「お前さんはどうなんだ? あれから何かあったか?」
「いえ、これといった変化はないですね。鳳凰様にも竜神様にもお会いしていませんし、神気と霊力が乱れることもありません」

 私に掛けられた『呪い』が進行している気配もない。おそらく竜神様と鳳凰様の加護のおかげなんだろうけど、それでも懸念がないわけではない。

「あとは救出した刀たちですが、彼らも少しずつこの本丸に慣れてきているみたいです」

 あのブラック本丸から連れて来た刀たちからも、既に瘴気は取り払われている。審神者との繋がりは細々としたものではあるがまだ感じられるらしく、刀たちは時折寂しそうな、それでいて困ったような複雑な表情を見せる時がある。
 うちの刀たちが言うには『例え人非ざる存在に堕ちても一度は“主”と呼び慕った相手。なかなか思いが断ち切れないのも無理はない』とのことだった。
 実際様子がおかしくなるまでは普通にいい主だったんだから、その気持ちは尚の事強いだろう。
 それでも私に対しては恩義を感じているらしく、本丸に帰りたいだとか、主を探して欲しいとは言われたことがない。

 私自身触れないよう気をつけている。薬研たちに止められているから、っていうのもあるんだけど、もし彼らの主が本当に『戻れない場所』にいる、あるいは『状態』になってしまっていたとしたら――。例え知り合いじゃなくても、やっぱり苦しいものがある。
 だって私自身『人非ざる者』になってしまった身だから。一歩間違えれば私も『そうなる』可能性があるのだ。反面教師にすべきなのかもしれないけれど、そこまで冷酷にはなれなかった。

 そんな私の臆病な、後ろ向きな気持ちを何となく彼らも察してくれているのだろう。日本号や数珠丸は特に『気負う必要はない』と口にしてくれる。亀甲や物吉も何かと気にかけてくれるし、燭台切や大倶利伽羅も本丸内の清掃や内番の手伝いもしてくれる。
 後藤藤四郎や五虎退はこっちの藤四郎たちと仲良くしてくれているし、大和守は加州と軽口の応酬を繰り返しているせいだろうか。笑顔が増えた気がする。
 蛍丸はうちにはいない大太刀だからか、鍛錬組とよく道場に行っては手合わせをしているみたいだ。

 ただ巴形は初めて仕える主と離れ離れになったことが気がかりなのだろう。あまり他の刀とは交流を持たず、静かに時を過ごしていることが多いようだ。私も彼とは殆ど喋ったことがないから考え方や気持ちを把握出来ていない。
 まぁ、離れにいる他の本丸から保護した巴形と話したことはあるから基本的な性格というか思想・思考は知ってはいるけど、本丸によって個性があるからこればかりは何とも言えない。
 武田さんもそれが分かっているのだろう。顎に手を当てつつ眉間に皺を寄せる。

「巴形薙刀か。あいつにはこれといった逸話が残っているわけじゃねえからなぁ。初めて自分が仕える“主”という存在に執着する傾向がある。うちでも長谷部とは折り合いが悪い。そっちはどうだ?」
「私は彼の主じゃありませんから。むしろ長谷部は『奴の気持ち、分からなくはありません』って逆に気にしてましたよ」
「そうか。水野さんが主になりゃあまた変わってくるだろうがな」
「ははっ。それこそ“ない”でしょう」

 巴形はどんな形であれ――それこそどんなに辛い仕打ちにあってもひたむきに主人を思っている。そんな彼が下賜されたわけでもないのに私を“主”と仰ぐことはないだろう。
 とはいえ、私が気にしているのは巴形だけではない。むしろ一番気にかかっているのが――。

「骨喰藤四郎? あいつがどうかしたのか?」
「まあ……。色々ありまして。顔を合わせる度に顔を赤くして目を逸らすものですから、どうしたものかと思いまして」

 確かに。確かに一瞬のこととはいえ裸を見られはした。でもそんな、ねえ。決して人に自慢できる体型ではない。むしろ残念ボディだ。日向陽さんみたいに出るとこ出たナイスバディなら気持ちは分かるんだけど、私相手にそんな態度されても困るというか何というか。
 正直『そんなに気にすんなよ』と言いたくなる。

「つっても、あいつらにはあいつらなりの価値観があるからなぁ。現世より昔の記憶の方が強いんだ。“責任”ってやつを感じてんじゃねえのか?」
「言い分は分からなくもないんですが、正直私としてはやりにくいんでさっさと忘れて欲しいというか、いっそのこと“なあなあ”でもいいと思ってるんです」

 実際翌日にはしこたま刀たちから叱られた骨喰が謝罪に来た。その時も青くなったり赤くなったりと忙しなかったけど、私自身『見られたもんはしょうがねえ』って気持ちでいたから、責める気もなければ『責任』を取って欲しい。という気持ちもない。それこそミクロン単位で存在していない。だから早く元に戻って欲しいというか、気兼ねなく接して欲しいんだけど……。

「ま、こればっかりはなぁ」
「ですよねぇ」

 幾ら『気にするな』と言っても男所帯にいたんだ。横綱ボディでも女は女なのだろう。……何だか可哀想になってきたな。グラビア画像でも見せて免疫つけて貰った方が早いか? ショック療法的な。新たな衝撃で『私の事は忘れて貰おう作戦』とでも名付けるか?

「おい。何かよからぬこと考えてねえか? お前」
「いやいや、そんなまさか。ははは」

 可笑しいなぁ。御簾をつけているはずなのに武田さんからジロリ、と疑わしい者を見るような目を向けられてしまう。何だろう。オーラでも出てたのかな。っていうかそんなに分かりやすいのか? 私って。

「とにかく、狭間のことはこっちに任せとけ。調査の方も新しいことが分かったら教えてやる」
「ありがとうございます」
「単に巻き込まれただけなら教えなくてもいいんだがな。水野さんは色々とイレギュラーだからなぁ」

 怪異に巻き込まれやすいのか何なのか、やたらと問題を起こすうえに神様とのパイプがあるイレギュラー中のイレギュラーな存在だもんな。私って。政府としても動向が気になるのだろう。あるいはいっそのこと情報を提供し、味方につけた方がいいと判断したのかもしれない。可能性は十分ある。
 ま、私も今回の件は色々と気になっているし、当事者でもあるから無視出来ないからいいんだけどね。

「他に何か聞きたいことや、こっちに報告することはあるか?」

 ある程度話し終わったところで武田さんが尋ねてくる。一瞬迷ったが、婚活会場と病院で出会った『小鳥遊さん』のことを話すことにした。
 だって鳳凰様の加護が彼女の手を弾いたのだから、何の関係もないとは思い辛い。例え私に関係なくても“別の何か”で関わってくる可能性もある。だから婚活のことは伏せて説明をすると――。

「確かにそれは気になるな」
「でしょう? でも『小鳥遊』って名前が本名なのかどうかも定かじゃないですし、審神者なのかも分かりません」
「だな。あんたが個人的に参加した行事で出会った、ってんだからコッチ関連とは断言出来ねえし……。とはいえ武神の加護が発動した、ってんなら全くの無関係とも思えねえ。分かった。頭に入れておこう」
「お願いします」

 今も福岡にいるのかは分からないが、何となくだけど、あの人から『嫌な感じ』がした。極力関わりたくない気持ちもあるけど、それ以上に鳳凰様の加護が発動した事が気にかかる。
 個人を調べることに限界はあるだろうけど、伝えていても損はないはずだ。
 そんな私の考えを分かっているのだろう。武田さんは頷くと立ち上がった。

「それじゃあな。何かあれば遠慮なく言ってこいよ」
「はい。武田さんもお気をつけて」
「おう。またな」

 他にも仕事を抱えているのだろう。颯爽とゲートを潜って去って行く大きな背中を見送っていると、近侍の陸奥守と補佐の長谷部が廊下を歩いてくる。

「お? 何じゃあ。話し合いは終わったが?」
「うん。今から仕事に戻るよ」
「それもよろしいですが、主。一先ず休憩なさっては如何です? 働き過ぎでは倒れてしまいますよ?」
「ほにほに。長谷部の言う通りじゃあ。ちっくと休憩するぜよ」
「えー? 本当に大丈夫なんだけどなぁ」

 過保護な刀たちに苦笑いする。が、「たまにはいいか」と思い直してそのまま縁側に腰かける。
 そよそよと肌を撫でる風も、澄み渡った青空も、繁る緑も、心を落ち着かせてくれる。
 本当、こんなことに巻き込まれてなかったら気兼ねなく休憩出来たのになぁ〜。

「あーあ。何でこうなったかなぁ〜?」

 ぐっと両腕を天に向かって伸ばす。そうして背中を反らしつつ背後に倒れれば、両側に座っていた陸奥守と長谷部が同時に苦笑いを浮かべた。

「おんしは『巻き込まれ体質』やきなぁ」
「竜神様や鳳凰様だけでなく、我らもおります。存分に頼ってくださいね、主」

 ぐしゃぐしゃと陸奥守に頭を撫でられ、長谷部がその手を「不敬な!」と言って弾く。そんな二人に軽く笑い、そっと息を吐きだす。
 そうして不自然に見えないよう、御簾の上から変化した目を隠すように手の平で覆う。

「本当、弱っちゃうなぁ……」

 呟いた言葉は言い争う二人には聞こえなかったらしい。
 それを心のどこかでありがたく思いながら、数日前のことを思い出していた。




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