小説
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 主の『霊力』が可笑しい。
 それを伝えた時、多くの刀たちは眉間に深い皺を寄せた。

「薬研くん、それってどういうこと?」

 畑仕事に出ていた燭台切達も呼び寄せ、現在遠征に出ている刀以外は全員広間に集める。
 今日は主が不在だったため百花嬢の刀たちは来ていない。おかげで余計な心配をかけずに済む。でないと元気になった後主が気にするからな。
 だが今は説明が先だ。早速皆に自分が感じたことを説明していく。

「お前たちも知っている通り、大将の体には三つの『気』が流れている」

 一つは主自身が持つ霊力だ。これは主が死なない限り微量であっても流れ続けるものだ。早々失うことはない。
 もう一つは主の魂に住まう竜神の『気』だ。これに関しては主の霊力と混ざりあっているため切っても切り離せるような類ではない。そもそも相手は土地神だ。付喪神がどうこう出来る相手ではない。出来るとすれば同等の位を持つ神だけだ。
 最後に『神気』。これは主が以前助けた刀たちから譲渡されたものだ。本来ただの人間が『神気』など持てるものではないが、主の魂には『竜神』がいる。おかげで主は『人』の形、魂を保ったまま神気を受け継ぐことが出来た。

 だが、突然それらの気が乱れ出したのだ。

「いや。正確に言うと『乖離している』と言う方が正しいな」

 まるで水と油のように反発しあっている。どちらか一方を食い合うというより、磁石の対極に近い。もっと分かりやすく言えば心と体がバラバラになるようなものだ。
 皆も事の深刻さが伝わったのだろう。各々眉間に皺を寄せ、考え始める。

「ねえ、薬研。それってかなりやばい状態だよね? 治るものなの?」
「そもそも今の主はどういう状態なんだ?」

 加州と長谷部から同時に質問が寄こされるが、まずは長谷部の質問に答えることにする。

「まず主の状態だが、今体の中で三つの『気』がバラバラになっている。そのせいで神経のバランスが乱されている状態だ。だからそれが落ち着くまでは以前のように体調不良が続くだろう」

 神気を譲渡されたばかりの頃、人の体に馴染まない気を大量に与えられたため主は長いこと体調不良に苦しめられた。あの頃と同じ状態と言っていい。
 いや、むしろあの時はまだ竜神の気が主の霊力と混ざりあっていた。だが今は違う。三つの気全てが個別に存在しているのだ。主の負担はどれほどのものか。付喪神である俺たちには計り知れない。

「正直こんなこと言いたくはないが、ハッキリ言おう。これについては俺たちがどうこう出来る問題じゃない」
「!!」

 皆の顔が驚愕に彩られたのは一瞬。すかさず小夜が挙手をする。

「まずは政府に連絡しましょう。それから主の容体が酷くなる前に、竜神の祠があるという福岡に行くのが一番だと思います」
「そうですね。ただいつ頃復帰できるかも分かりませんし、先の件があります。一度榊様に視て貰えればいいのですが……」

 宗三の言うことも一理ある。そもそも今の今ままで主は健康そのものだった。混ざり合った三つの気が暴走することもなければ均衡が崩れることもなく、上手くいっていた。
 それが何故突然こんな状態になったのか。分からないが、心当たりがないとも言えない。

 先の本丸で主を『視た』審神者の存在だ。あの日、主を置いて逃げ帰った自分にとっては苦い思い出だが、目を背けるわけにはいかない。

「ほいたら小夜は武田に連絡を取ってくれんか。薬研は主を頼むぜよ」
「ああ」

 ぽん。と陸奥守に肩を叩かれ我に返る。視線を上げた先には、まるでこちらを安心させるかのような笑みが浮かべられていた。

「今は何も分からんが、やれることはあるはずじゃ。わしらが慌ててもしょうないきの。分かりゆう人に連絡を取るのが先じゃ。勿論“なるはや”での」
「……それもそうだな」

 優先すべきことは主の護衛と政府への伝達だ。
 陸奥守とアイコンタクトを取った小夜はすぐさま立ち上がり、端末のある執務室へと向かう。
 俺たちは交代で主の護衛をする順番を決めるため再度膝を突き合わせ、その間主の元には小夜と陸奥守がつくことになった。

「薬研。この一件、先の本丸の審神者が関係していると思いますか?」

 隣に座した宗三に耳打ちされ、少しばかり返答に迷う。

「ハッキリと断言出来るわけじゃない。が、あまりにも唐突すぎる。何の関係もないとは言い切れないな」
「彼らなら元主の霊力が関与しているかどうか分かるでしょうか」

 彼ら、とは現在うちで預かっているあの本丸での刀たちだ。この場にはいないが、本丸内の異常は察知しているだろう。一か八か。聞いてみる価値はある。
 だがもし彼らが近付いたことで主の容態が悪化したら――。

「…………リスクが高すぎる」
「だよね。僕もやめた方がいいと思う」
「ああ。まずは主の御身を安全な場所に移すことが先だ。対処法も分からないうちは無暗に動かない方がいい」

 燭台切と長谷部もこれに頷き、一旦彼らに事情を説明するのは保留とする。だがすぐ話すことになるだろう。場合によっては武田たちが聞き取りに来るかもしれない。それならそれで構わない。問題は主だ。
 この先何をどうするか。皆で考えている時だった。突然ゲートが反応する。今日は来訪者の予定はなかったはずだが、これでもあちこちに顔を出している主だ。誰かしらが遊びに来た可能性もある。
 そういう時は普段主に連絡が行き、主が俺たちに伝えてくれるが今はそれが出来る状態ではない。
 とりあえず迎えに行けば、そこには案の定百花嬢と夢前嬢が立っていた。

「あ、薬研くーん! センパイいますかー?」
「こんにちは。薬研さん。お姉さんいますか?」

 夢前嬢はともかく、百花嬢は一度怪異に巻き込まれている身だ。そのため本丸を移動する際は護衛として必ず二振りつけている。
 聞けばそれは当番制らしく、今日は次郎太刀と厚藤四郎だった。

「よっ、兄弟。水野さんはいるか?」
「さっきからうちの主が連絡してても繋がんなくてさー。どうかしたの?」

 片手を上げて挨拶をしてくる厚に続き、次郎太刀が困惑顔で見下ろしてくる。それに反応したのは俺たちではなく、共に来ていた夢前嬢と、その護衛の髭切と膝丸だった。

「え? そっちもなのかい? 僕たちの方も主が騒ぎ立ててうるさかったから、こうして顔を出したんだ」
「兄者。言い方」
「あはは。でも本当のことだろ?」
「髭切さん。ちょっと黙ってもらっていいですか?」

 一瞬で不機嫌な顔になる夢前嬢に髭切は悪気無く笑っては「分かったよ」と返している。だがすぐさま主を寝かしつけている執務室の方へと視線を向けた。

「でも、何だか変な感じがするね。彼女、大丈夫なのかい?」
「! センパイに何かあったんですか?!」
「薬研さん! お姉さんのところに連れて行ってください!」

 二人に食いつかれ、咄嗟に両手を掲げて「落ち着け」と諭す。

「そんな興奮した状態で行かれても困る。一度深呼吸をしてくれ」
「うっ、わ、分かりました」
「は、はいっ。そうですよね。すみません」

 大人しく気持ちを静めてくれた二人と四振りを改めて本丸へと通せば、すかさず小夜が駆けて来る。

「薬研。連絡とれたよ。武田さんがすぐに来るって」
「そうか。お客人にこんなことを言うのは申し訳ないが、主の前で騒ぐのはやめて欲しい。何が起きているか俺たちも把握出来かねているんだ」
「おやまぁ。そんなに大変なことになってるのかい?」
「あ〜……道理で。この本丸らしくない空気が流れてると思った。最初はアタシが酔っぱらってるだけかと思ってたのにねぇ」
「判断鈍るほど呑むなよ」
「にゃはははは〜! ご愛敬ご愛敬!」

 次郎太刀に呆れた顔で突っ込む厚たちを執務室へと案内すれば、そこには呻きながら布団の中で体を丸める主がいた。

「センパイ!」
「お姉さん、どうしたんですか? 苦しいんですか?」

 すかさず二人の女子が駆け寄り、主の体に触れる。だが主はただ「痛い……」「苦しい……」とうわごとのように繰り返している。
 これに泣きそうな顔をしたのは夢前嬢だけで、百花嬢はすぐさま鞄の中に入れていたお札を数枚取り出す。

「なにが効くか、次郎太刀さん分かりますか?」
「う〜ん……。そうだねぇ……。魔除け、は違うな。厄除け、も違う。結界も必要ないし……。あ、これなんてどうだろう」

 そう言って次郎太刀が選んだ札は『破魔』の札だった。これは魔除けとは違い、魔を浄化するものだ。原因が分からない今、選べるものといったらそれぐらいしかないのだろう。
 それでも百花嬢は頷くと、その札を主の背中に貼り付ける。

「神様、お願いします……! お姉さんから悪いものを取り去ってください……!」

 百花嬢が祈るように手を組み、霊力を込めれば札に描かれた文字が淡く光り出す。主と共に榊様の元で修業を積む様になってから百花嬢の浄化能力はかなり上達している。
 分かってはいたがここまでとは。正直予想以上だった。

「う……」
「主、大丈夫か?」
「う、ん……? や、げん……?」

 百花嬢の式神が効力を発揮したのか、息を荒げていた主の意識が戻って来る。それにほっとしたのも束の間、すぐさま主は痛む体を守るように身を丸める。

「うぐ……っ、む、ねが……! くる、し……ッ!」
「お姉さん! しっかりして!」
「センパイ! 絶対絶対大丈夫ですから! 負けないでください!」

 ゼエゼエと息を切らす主をどうにか宥めていると、反応したゲートの向こうから武田が駆けつけてくる。

「水野さん! 無事か?!」
「病棟の受け入れは?!」
「ああ、しっかり通して来たぜ。このまま福岡の役所前まで運ぶぞ。太郎、頼んだ」
「お任せを。それでは水野さんをお運びいたします。皆さん、少し離れていてください」

 太郎太刀が主を横抱きに抱えあげ、長谷部と歌仙が押してきたストレッチャーへと乗せる。そうして音を立てながらそれを走らせ、主は本丸から運び出された。

 ――そして主は意識不明の重体と判断され、緊急治療室へと運び込まれることになるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 気付いたら怪異に巻き込まれていました。
 が、悲しいことによくある私こと水野です。そんな私が何故か今、見知らぬ和室に一人で座していた。

「いや。何でさ」

 ここは本丸でもない。実家でもない。気付いたらだだっ広い、何畳あるかも分からない広い部屋に一人で座っていたのだ。どういうことなの……?

 一旦落ち着いて思い出してみよう。
 まず今日は母親に強制参加させられた婚活パーティーに行った。それは覚えている。そこでちょっとした面倒事に襲われたけど些末なことなのでスルーして、本丸に帰ってきた時はどうもなかった。
 だけど軽くお茶をした後突然激しい頭痛に襲われ、倒れ込んだのだ。うん。そこまではまあ、それなりに覚えている。だけどその後が問題だ。

 あの時、ただただ体が熱くて苦しくて仕方なかった。何ていうのかな……。体中が熱暴走を起こしている感じ。インフルエンザに罹った時と似ている。あちこち痛くて息苦しくて、マジで死ぬんじゃないかって弱気になってしまうあの感じ。
 それが一瞬楽になった瞬間はあったけど、すぐに誰かに心臓を鷲掴みにされたみたいに息が出来なくなって、意識を失ったのだ。

 …………うん。訳が分からないよ。今度は一体何に巻き込まれたの、水野さん。

 はあ。と心の底から溜息を零す。実はここで目覚めてから結構な時間が経つのだが、未だに何の進展もないのだ。動きたくても何故か動けないし。だからただじっと座って待つことしか出来ない。
 正直何度目になるか分からない溜息を零しそうになった時だった。開け放たれていた襖の奥から人が現れる。

「待たせたようじゃの」
「え?」

 こらまた随分とまぁ……。美人さんが来たものだ。

 しずしずと、単衣のように長い衣を引きずりながら、燃えるような赤い長髪の女性のような男性のような、性別不明な美丈夫が近付いてくる。そうして黄金のような美しい金色の瞳でこちらを一瞥したかと思うと、そのお美しい、作り物めいた顔に微笑を浮かべて上座へと座した。

「其方を此方へ呼び寄せたのは我(わえ)だ。驚かせたようですまなんだの」
「あ、いえ。それはお構いなく」

 見た目は女性にも見えるが、声は低くて男性のようだ。顔立ちも恐ろしく整ってはいるが性別を感じられないし、着物も女性用にしては大きく、また柄も華やかというよりは荘厳だ。
 深い紫色を下地に、目を惹く金糸で流れるような模様が刺しゅうされている。うーん……。こんな美丈夫知り合いにはいない。というかそもそも纏う雰囲気からして違う。これは所謂、やんごとなき御方というやつなのでは……?
 え? 私何で呼ばれたの?

「クククッ、そう構えるでない。其方を呼んだのは我ではあるが、なにも罰しようと思うたわけではない」
「は、はあ……。では、何用でございましょうか」

 こんな何の取り柄もないどすこい審神者を、高貴なお方が呼びつけるとは一体どのような御用があってのことだろうか。
 少しばかり身構える私に、彼か彼女か分からない高貴な人は笑みを浮かべる。

「なに。旧き友人が手を貸して欲しいと言うて来ての。我からしてみれば人の子がどうなろうと知ったことではないが、アレとは双璧を為す身である故な。たまにはアヤツの慈悲にも付き合うてやろうと思うたまでよ」
「旧きご友人、であらせられますか」

 そんな人心当たりありませんが。と頭の中でぼそっと呟いたところで、赤く塗られた鋭く長い、鷹のような爪先が向けられる。

「心当たりがないと申すか。何ともまあ、恐れ知らずの女子よな」
「え、え?」

 向けられた指先の向こうにあるのは私の左胸――心臓がある位置だ。あ。ってことは、もしかして――

「りゅ、竜神様のご友人であらせられますか……?」
「クハハッ! ようやく気付いたか。なんともまあ見た目にそぐわぬ鈍さよなぁ。アレも報われぬわ」

 どこか愉快そうに笑われておられるけど、つまりこのお方も神様?! やべえ! どうしよう!! 叩頭しないままお出迎えしてしまった!!
 古来より下々の者はやんごとなきお方を直視することは禁じられている。叩頭し、許可が下りるまで顔を上げないのが常識だ。それなのに私と来たら……!! 普段刀の付喪神たちと一緒にいるからといって大切な礼儀作法を疎かにしちゃいかんよ!
 しかも竜神様のご友人とあらせられるのであればかなり高位な神様だ。慌てて叩頭すれば、相変わらず愉快そうに笑いながら「もう遅いわ」と突っ込まれる。

 ですよね!!!!!!!

「た、大変申し訳ございません……」
「よい。我は寛大である故な。此度の無礼は許そう」
「ありがとう存じます!」

 畳に額がつくほど頭を下げてから、ゆっくりと顔を上げる。
 ……おぉう……。改めてご尊顔を拝すると本当、お美しくあらせられる……。これが神様かぁ……。でも何を司る神様でいらっしゃるのだろうか。
 竜神様は水を司っていらっしゃるから、そのご友人、しかも『双璧を為している』とおっしゃられていたから、自然に由来する存在なのは確かだとは思うのだけれども……。

「うむ。勘は悪くないようだの。が、戯れている時間はない故率直に申せば、我が司るは“火”。いわば『命』そのものである」

 ぎ、ぎえーーーーーーーっ!!!!! と、とんでもないお方だった……!!!
 え? え?! つまり、あ! そうか! 竜神様が水であれば、双璧を為すのは火を司る神様になるのか。
 それに水も火もどちらも生きるうえでは必要なものだ。勿論他にも『土』や『緑』は必要だけれども、大体大地を司る神様っていうのは創造神と似た立場にあるから、もっと上の立場である可能性も否めない。
 などと考えていると、目の前に座す神様が鷹揚に頷く。

「うむ。その通りだ。其方、鈍いところとそうでないところがあるようだの。まぁ良い。我が其方をここに呼んだのは一つ忠告をするためだ」
「ご忠告、でございますか」

 ええ。一体何を言われるのだろう。命を司る神様だから、余命数日とか……? うぐぐ。ありえる。ないとは言い切れないのが非常に辛いところではあるが、決められた運命(さだめ)というものは存在する。ならばそれに抗うのは今まで散々神様方にお世話になった身では出来ない。
 だけど身構える私が考えていることとは全く別の事を――けれどある意味では似通っていることを火を司る神様はおっしゃられた。

「其方は今“呪われて”おる。それもかなり厄介な相手にな」

 へ? 呪われてる?
 ……うん。なんかもう、怪異に巻き込まれるようになってから常に思ってたんだけど、やっぱり呪われてたのか、私。お師匠様にお祓いしてもらったはずなのになぁ……。
 でも神様が『厄介』と口にするなんて、相手は本当に人間か?

「うむ。其方が疑問視する通り、相手は人間ではない」

 おっふ……。もうこれ完全に詰んだわ。人間が人外に敵うとでもお思いか!? 無理! 私には百花さんみたいな浄化能力もなければお師匠様みたいに何でも出来る万能さもありません! 唯一出来ることと言えば感知ぐらいで――

「落ち着け。人の子よ。確かにこの“呪い”は人の手には余るであろうが、術者は人間である」
「へ? そ、そうなのでございますか?」
「うむ。しかして呼び寄せた相手が悪かったな。古来の方法とは違う喚び方ではあるが、其方を呪うために術者が喚んだのは『嫉妬』。そして『強奪』の二柱である」

 二柱も?! どういうことなの?! 私何かした?!?!
 ショックを受けすぎて叫びそうになるが、神様は頬杖を付きながら軽く指先を振る。

「必ずしも其方である理由はなかったやもしれぬ。が、無関係でもない」
「……と、おっしゃいますと?」
「其方も心当たりがあろう」

 …………考えたくないんだけど、もしかして、先日の『アレ』でございますか?

「うむ。其方を“視た”相手が『嫉妬』を司る者の力を借りたことは間違いない。故に今は狂うておるだろう」
「あ。成程……そういう……」

 先日のブラック本丸で、目が爛々と光るヤバイ状態になっている審神者と目が合った。刀たちは『呪詛返しにあった』と言っていたけど、実際には神様の力を借りた代償として何かを捧げたか奪われたのだ。まぁ呪詛返しにあったうえでそうなったのかもしれないけど。
 そしておそらく、対価は彼自身の力では足りなかった。だから“ああなってしまった”のだろう。

「で、あるな。その者は身に余る存在を喚び寄せ、あまつさえ能力を借りた。対価も支払えぬのに力を行使すればどうなるか。今の人の子でもそれは分かろう」
「はい」

 借金と同じだ。いずれ首が回らなくなる。でも『呪いは計画的に!』なんて言えない。そもそも『人を呪うな』って話だし。いや本当、何で呪うのよ。私が何をしたって言うんだ。

「ふむ……。だがもう一人は、少々勝手が違うようだの」
「と、おっしゃいますと?」
「其方と同じだ。其方に目を付けたもう一人は、その身に『強奪』の力を宿しているのであろうな」

 そんんんなことある?!?! っていうか『強奪』の神様って何?! 七つの大罪かよ!! いやー!! 悪魔とかそういうオカルトチックなお話は創作物としては好きだけど知識としては浅いも浅い、素人レべルなんですけど?! ソロモン七十二柱とか名称しか知らんよ!

「外の神については知らんが、『強奪』は神であって神にあらず。アレは人の欲が生み出した魔のモノである」
「あえ? で、でも、先程“二柱”と……」

 神様を数える単位は主に「柱」か「座」だ。悪魔に対しては使わない。だけれども、神様は先程「柱」と称した。……ってことは、もしかしてなんだけど、神様並みに力が強い……とか? もしくは邪神系?

「で、あるな。術者と相性がいいだけでなく、『強奪』は常に人の身に巣くう欲望の一つである。信仰なぞなくとも力は蓄えられる」
「つまり、強奪と呼ぶからには『相手から何か奪いたい』と思う人が多くいると、そういうことでございますか?」
「うむ。人の才を妬む輩は数えずとも後を絶たぬが、強奪は様々だ。誰それから恋人を奪いたい、というものなど最たるものであろう」
「あ。成程」

 一番分かりやすい例えを持ってきてくださったので理解出来た。確かにそういう気持ちは多くの人が持つだろう。芸能人相手では特によく見る。
 相手に相応しくないだとか何だとか言って、あー、何だっけ。匂わせ? って言うんだっけ? そういうのも嫌われるし、攻撃対象にもなる。別段「自分がその人に相応しいのに」と思わずとも、相手をその場から『引きずり下ろしたい』と言う欲はあるはずだ。自覚があるかないかは別として。

「金銭絡みでも似たようなことはあろう」
「はい。強盗や空き巣などですね」

 銀行強盗から始まり、時には自販機や両替機、果てにはお賽銭箱まで狙われる時代だ。こう思うと確かに『強奪』という思想はあちこちで見受けられる。

「つまり、人の心が生み出した魔物の力で私は呪われていると」
「で、あるな。流石の友も二つも呪いを相手取るのは難しい。故に共に命を司る我に助力を申したということよ」
「左様でございましたか。それはまことに申し訳ございません。わが身が不甲斐ないばかりに、皆々様に多大なるご迷惑を……」
「よい。時には人の子と戯れるのも一興である。それに友からの願いなど久しくなかったこと故な。其方は気にせず我らの加護を受けるが良い」
「加護、でございますか」

 いつの間にか外れていた御簾にも気付かず瞬けば、神様から「近う寄れ」と手招きされ、おずおずと距離を詰めて御前に座す。
 あ。今更だけど初めて動けたわ。神様の了承があれば動けるということは、やっぱりここは神様の領域か何かなんだろうな。

「我の加護は人の身には重い。が、其方は“人”ではない故、耐えられるであろうよ」
「はへえ?」

 人、ではない? え、っと。そりゃあ、その、確かに“魂が人非ざる者に〜”とか色々言われてきたけど、もしかして私、マジで人じゃなくなったん? え? いつの間に?
 どこか呆然とした心地でいると、先程から私の考えを完全に読んでいた神様が「うん?」と形のいい細い眉を跳ね上げる。

「其方、自覚がなかったのか?」
「は、はい。周りからそのようなことは言われてはいたのですが、あまり、どこがどう変わってきているのか自分では分からず……」

 毎日鏡で見る顔が変わったわけでも、体型が変わったわけでも、何某かが生えてきたわけでもない。これでツノでも生えて来れば「鬼になってしもうたわ」とか言えたけど、そういうわけでもないし。
 精々感知能力が上がって――あ。まあ“霊視”は出来るようにはなったけど……。

「それではないか」
「へ?」
「其方の変化だ。“目”に現れたのであろう」

 ………………ハッ?! そ、そういう?! え、あ、そういうことなの?!?!

「で、ですが、目の色が変わったわけでも、遠くのものがよく見えるようになったわけでは……!」
「たわけ。其方の目は“本質”を捉えるものなり。能力に色も何もあるものか」

 つまり、私の“人非ざる能力”は目に集まっていると。だけど大事なのは能力だから、目の色が変わったり、瞳孔が裂けたりという目に見えて分かる変化は訪れないと。そういうことなのだろう。

「し、知らなかった……」
「で、あろうな。まぁ良い。所詮は人の子。神代の知識も薄れゆく今、其方の知識が乏しくとも可笑しくはない。ほれ、さっさと顔を貸せ。あまりここに長居させては現世に戻れなくなるぞ?」
「よろしくお願いいたします!」

 サッと前髪をあげて気持ち顔を前に出せば、神様の真っ赤に染められた鋭い爪先が額に何かを描く。

「友が司るは水。水は“守り”に重きを置くものである。故に戦いには向かぬ」

 うっ。そ、それなのに私と来たら……。今まで散々竜神様にご迷惑を……。

「だからこそ此度は我の力を借りに来たのだろう。我は戦神でもある故な。些末な呪いなど全て、灰も残さず焼き尽くしてやろう」
「ありがとう存じます」
「だが、過信するでないぞ。我の加護はあくまで“其方の身に耐えられる程度”のものでしかない。力に頼り過ぎては力によって殺される。それをゆめゆめ忘れるでない」
「はい。ご忠告、ありがたく頂戴致します」

 少しばかりくすぐったいが、神様は加護を描き終わるとふと口元に笑みを浮かべた。

「しかし、成程。旧き友が慈しむのも分かる。其方の魂は質がよいな」
「さ、左様でございますか……?」
「うむ。心地が良い。火そのものである我にとって水は大敵でもあるが……。あれほど美しきものは他にない。だが水を司る神が、分霊と言えど魂に住まうのだ。穢れた者では無理だ」

 つまり、身も心も穢れがないから竜神様が住める。ってことだろうか。う、うーん……。今まで喪女でよかったのかな?

「クハハハッ! 乙女であることを恥じるではないわ。なに、そんなに花を散らしたければ我が相手になってやろう。其方の魂を喰らうのは気分がよさそうだ」
「遠慮させて頂きます!!」
「クククッ、それは残念だ。まぁ、良い。其方はアチコチ、九十九共からも好かれておるようだからの。楽しみは後程まで取っておこう」

 えーん! 引いてるようで実は引いてないよこの神様ー!!!
 でも、さっき軽くスルーしちゃったんだけど、ここどこなんだろ。長居したらまずいってことだから現世じゃないのは確かなんだけど……。

「うむ? ここか? ここは我の居城の一つである。周りが緑に囲まれておろう? 一息つくのに使う、まあ単なる休憩所のようなものだ」

 休憩所がほぼお城と同格なんですが。それは神様だからですよね。そうですよね。
 とりあえず数度頷けば、神様は再度笑ってから立ち上がる。

「では我はもう行こう。しかして、其方は暫く現世で魂と体が馴染まず苦労するであろう」
「は、そ、うなのですか」

 意識が落ちる前の苦しみを思い出して身を固くすれば、神様は一瞬真顔になったかと思うと、再度手招きしてくる。
 そうしてノコノコと近付いて行った私の顎を掴んだかと思うと、突然唇を合わせてきた。

「?!?!」

 だけどそれに驚く暇もなく、突然喉から内臓、四肢の末端にまで燃えるような熱が迸り、勢いよく咳込む。

「ゲホゲホゲホッ! い、いまの、は……?」
「其方の中に居座っていた悪しきものを焼き殺しただけだ」

 焼き殺した?! 神様の息吹的なやつで?! すごっ!!
 驚きのあまり呆然とする私を楽し気に見下ろした後、神様は美しき単衣を蝶の羽のように広げる。

「では我はもう行こう。人の子よ。次からは我のことは“神様”ではなく“鳳凰”と呼ぶがよい」
「――へ?」

 間抜けた声をあげた私の目の前で、人の姿を象っていた神様が美しい、赤き火の鳥へと姿を変える。そうして優雅に燃え盛る翼を広げたかと思うと、青々とした空に向かって一直線に飛んで行った。

「ほあぁ……」

 そのあまりにも類を見ない美しさに、間抜けな顔をしたまま瞬いた次の瞬間――。私の体はいつもの如く水の中に落ちていた。

「がぼぼっ」

 これ、正直かなりビビるのよね。毎回突然足場がなくなる不安ってすごいのよ? 怖いどころの話じゃない。
 それでも必死に水面から顔を出せば、どこか疲れた様子で滝つぼに身を横たえる竜神様がゆっくりと瞬きながらこちらを見ていた。

「あ……。ありがとうございます。竜神様。それから、ごめんなさい。いつもご迷惑をおかけして……」

 バシャバシャと水音を立てながら竜神様へと近付き、その半透明の美しい体に手を当てる。どこも傷ついてはいないけど、なんだか全体的にお疲れでいらっしゃる。
 どうすればいいんだろう。私に何か出来ることはないかな。
 必死に学のない頭を回転させていると、下顎を水に沈めていた竜神様が顔を起こし、口先で額を軽く突いてくる。

「あ。はい。先程火の神様――鳳凰様に加護を授けていただきました」

 そう言って濡れた髪を掻き分ければ、竜神様は少し目を細めてから再度水の中に下顎をつける。
 うぅ……やはりだいぶ弱っていらっしゃる。これは福岡に行って宝玉を奉る祠に向かわねば……!
 と思ったけど、何故か竜神様は私の考えを否定するように尾を軽く左右に振った。

 え? 行かなくてもいい? ってこと?

 さっきから神様たちの前で間抜け面を晒し過ぎではあるが、それでも竜神様を見上げれば頷くように「グルル」と返事が返ってくる。
 そうなんだ……。あ。もしかして既に私の体、福岡に運ばれているのでは? 主に病室に。

「……あの、竜神様。これから暫くの間、魂と体が馴染まず苦しむことになるそうです。その時、竜神様も同じように苦しみを感じるものなのでしょうか?」

 だとしたらものすごく嫌というか、申し訳が立たないんだけど。
 だけど私には竜神様の声は聞こえない。鳳凰様は人の姿を象っていたけれど、竜神様はいつも竜の姿でしか現れない。これにも何か理由があるのだろうか?
 考えたところで答えなど出てはこないが、それでも頭を掠めた疑問に竜神様は再度尾を振る。
 かと思えば再び私は水の中に潜っており、どうやら竜神様との面会時間は終了を告げたようだ。

 自分が迷惑をかけておいてなんだけど、竜神様が苦しまないといいなぁ……。

 そんなことを考えながら、沈む体と共に意識を手放したのだった。





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