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「お疲れ様でした。こちらが当宿でございます。どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
宿に着いたサクラは馬車から降りると、老齢の馬車引きに連れられ宿に入る。
そこは師である綱手が予約してくれたもので、高価な宿だった。
休暇を取ってこいと言われ、更に宿の予約もしてるからと告げられれば来ないわけにはいかなったが、まさかここまでいい宿を取ってくれるとは。と内心感激する。
師の好意はありがたく受け取ろうと、足取り軽く宿の敷居を跨ぎ、受付を済ませ仲居に案内された部屋に入る。
「うわーっ!すごい部屋…」
サクラの部屋は一人部屋にしては広く、軽く見ても十畳以上はある。そのうえ広縁付きときたものだ。
随分と奮発してくれたものだと喜び勇んで荷物を置き、仲居から露天風呂のことを聞いていたサクラは着替えを片手に露天へ直行する。
「わーっ…本当贅沢…」
露天風呂の目下には、手入れの行き届いた広大で優美な庭園が広がり、瑞々しい芝の緑や、風に流れる木々の新緑が目に鮮やかだ。
耳に届くのは庭園を流れる川の音と、そこかしこから聞こえる鳥の囀り。そして時折虫の鳴く声が混ざりあい、まるで一つの音楽のようだ。
サクラはその美しい情景と癒しの場に、ほう、と感嘆の吐息を零す。
「広いお風呂ってだけでも贅沢なのに、露天風呂なんて本当最高だわ」
昼時ということもあり今露天にいるのはサクラのみで、意図せず貸切状態となったサクラは鼻歌交じりに体を流し湯につかる。
「あー…幸せー…」
じんわりと体に広がる湯の心地よさを目を閉じ感じ入る。風が凪げば火照る顔を冷やし、鳥の囀りが聞こえれば穏やかな気持ちになる。
サクラは再び師に感謝し、お土産は少し奮発しよう、と思う。
そうして悠々と足をのばし湯に浸かるサクラは、脳まで溶けていきそうな心地よさにすっかり夢中になり一人長湯を楽しんだ。
「はー。いいお湯だった」
ぱたぱたと貸出されていた扇子で火照る顔を仰ぎながら、磨かれた床の上をのんびり歩く。
シーズンも終わりに差しかかってはいるが、館内に宿泊客は多く殆どすべての部屋が埋まっている。
けれど避暑地でもあり観光地でもあるこの土地は、宿内だけでなく町中も巡れる場所が多く皆昼間は宿を出る。
だとすれば露天風呂も貸切状態にできるわよねー。なんてすっかり気を抜いて上機嫌に廊下の角を曲がったところで
「わぶっ!」
「っと、」
サクラは真正面から誰かにぶつかり後ろによろけ、咄嗟に相手の手がサクラの背を支える。
「す、すみません!ぼーっとしてて…」
「いや、こちらこそ…」
とここで互いに聞きなれた声に顔を上げれば
「え…が、我愛羅くん?!」
「サクラ…」
目の前には驚いたように目を見開く我愛羅が立っており、サクラは何でここに、と口を開ける。
暫し互いに固まったが、我愛羅はサクラの浴衣姿と、背を支えた掌から感じる熱に気付き、風呂に入っていたのか?と問う。
「え?あ、うん。今ちょうど誰も居なくて、意図せず露天風呂貸切しちゃったわ」
えへへ、と笑うサクラに我愛羅はそうか。と頷くと、支えていた背を離す。
あの初体験以来我愛羅とこうして触れ合うことのなかったサクラは、数年ぶりの接触に思わず顔が熱くなる。
それもこれも移動中にあの日のことを思い出した自分が悪いのだと軽くかぶりを振り、今度はサクラが我愛羅くんは?と問いかける。
「いつから来てたの?仕事?それとも休み?」
「休暇だ。来たのは昨日」
サクラの問いに端的に答える我愛羅に、サクラはそう。と頷く。
まるで単語のような我愛羅の返答に昔は戸惑ったものだが、長い付き合いである今では慣れたもので特に気にすることもなく受け流す。
そして続けざまにいつまでいるの?と聞けば三泊四日だから明後日出る。と返される。
「そっか。私と一日違いだね。私は今日から三泊だから」
「そうか」
「ところで我愛羅くん何してるの?今お昼だけど…」
この宿の宿泊客は今ほとんど町中に出ているらしく、その中で残っているお客様は数人だと仲居が言っていた。
まさかその中に我愛羅がいると思っていなかったサクラが不思議に思えば、我愛羅はああ…とどこか気まずそうに視線を外し、首の裏を掻きながら今起きたばかりでな。と答える。
「え…今?もうお昼だよ?」
「……そうだな」
随分と寝てたことは重々承知の上らしい。
我愛羅はまるでイタズラがバレた子供のような体でサクラから視線を外し、それがおかしくてサクラはくすりと笑う。
「ま、我愛羅くんは忙しい人だから。たまにはそんな日もあっていいと思うわよ」
「…そうか」
我愛羅はサクラの言葉に軽く目を見張ると、どこかほっとしたように息をつく。
「てっきりだらしないと叱られるかと思ったが」
「ええ?そんなことで私怒ったりしないわよ。だってお休みの日まできっちりかっちりしなくてもいいと思うし」
「そう言ってもらえるとありがたいな」
表情を緩める我愛羅にサクラも笑みを返すと、そう言えば。と少し高い位置にある我愛羅の顔を見上げる。
「何処に行こうとしてたの?」
「ああ…あそこの売店で何か食べ物を買おうかと…」
「ええ?!こんな観光地に来て何言ってんの我愛羅くん!そりゃあこんないい旅館だから美味しいもの売ってそうだけど…」
サクラの言葉に我愛羅は売店の何がいけないのかと首を傾ける。
「三食付きで頼んでるんだが、まだ昼餉には時間がある。さすがに腹が減って何か軽く食べておこうかと思ったんだが」
「あ、そうなんだ。でもそうよねぇ…我愛羅くんレベルだと三食付きは当然かぁ」
うんうんと頷くサクラの宿泊プランは朝夕の二食付だ。これだけ贅沢な旅館なのだから、三食付きになればそれだけ料金も上がる。
サクラからしてみれば朝夕の二食付きでも十分贅沢な気がしたが、風影の我愛羅となれば三食付きでも余裕なのだろう。
流石風影ね。と頷いていると、我愛羅は一緒に食うか?と首を傾ける。
「え?!いやいやいや、それは流石に無理でしょ?!食材もあるか分かんないし、それにお金が…」
「安心しろ。金ならある」
「わぁ素敵、じゃなくて!」
思わず漏れる本音に慌てて首を振るが、我愛羅は颯爽と歩き出すと受付に顔を出す。
「女将はいるか」
「はい。少々お待ちください」
「ちょ、ちょっと我愛羅くん、」
浴衣の裾に気を付けながら慌てて我愛羅の背を追えば仲居は既に女将を呼んでおり、すぐさま奥から端麗な女性が出てくる。
「はい。どのようなご用件でございますか?」
「俺の昼餉なんだが、一人分追加できるか」
「そうですね…厨房に確認して参りますので、今しばらくお待ちいただけますか?」
「頼む」
「いや、あの、ちょっと…」
突然の展開に焦るサクラをよそに、二人は流れるようなやり取りで話をし女将は再び奥へ消えてしまう。
「流石にそれは悪いって!」
「何がだ?」
「い、いろいろよ!旅館の人もそうだし、我愛羅くんにもだし…」
「では一人で飯を食うのが寂しいから一緒に食ってくれ」
「ぐっ、そ、そういう取ってつけたようなお願いはさすがに」
口ごもるサクラに我愛羅が口の端をあげれば、お待たせいたしました。と奥から柔和な笑みを浮かべた女将が戻ってくる。
「厨房に確認いたしましたところ了承を得ましたので、本日の我愛羅様のご昼食は二名様分ということで」
「助かる」
「ええ?!あの、いや、その、」
「行くぞサクラ」
「ちょっと我愛羅くん?!」
ごゆっくり。穏やかな声を背に聞きながら、歩き出す我愛羅の背を再び追いかける。
「どうせなら外より中で食う方がいいだろう。暑いし」
「いやまあ…それはそうなんだけどさ…」
とにかくお金は後で必ず払おう。
そう決心していれば、今度は我愛羅がそう言えば、とサクラに視線を向ける。
「お前の部屋はどこだ?」
「え、ああ。私の部屋はそこの廊下を曲がって、奥から二つ目の部屋よ」
指差して説明すれば、我愛羅はそうか。と頷きサクラの手元の荷物へと視線を移す。
「では待っているから先に荷物を置いて来い」
「え?」
「昼餉は俺の部屋に運ばれてくるんだから当然だろう」
至極真っ当な言葉に思わずサクラはそうか。と頷きかけたが、いやいやいや!とやはり首を横に振る。
「後でちゃんとお金払うから」
「気にしなくていいぞ」
「これはけじめだから」
「俺が勝手に言い出したことなんだ。気にする必要はないぞ」
「でも…」
「デートは男が驕るものなんだろう?」
我愛羅の言葉にデート?!と頬を僅かに染めれば、我愛羅はしたりと笑む。
「ほら、いいから荷物置いて来い」
「うっ…が、我愛羅くんのバカっ!」
どこの忍が砂隠の里長に対してバカと言えるだろうか。
他の忍が聞けば仰天するだろうが、サクラはついいつもの癖で悪態をついてしまう。
だが当の本人は気にすることなく口の端を緩めサクラの背を押す。サクラはそんな余裕な態度をとる我愛羅を恨めしいと思いながら、急ぎ部屋へと戻り用意を整えた。
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