小説
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 日本号と共に無事帰還することが出来た私たちは、改めて瘴気が残っていないか改めてから本丸へと上がった。

「日本号はともかくとして、主に瘴気が残ってなくてよかったよ」
「そうそう。俺達はお祓いすればいいけど、主は人間なんだから。無理しちゃダメだよ?」
「あはは……ごめんね。小夜、加州」

 本丸に残っていた百花さんの刀たちには、事情は話せないけど大丈夫だから。と言って帰ってもらった。じゃないと百花さんも心配するだろうし。それに彼女のおかげで無事帰還出来たのだ。事が落ち着けばまた改めてお礼をしに行こう。そしてまた新しく護符を貰おう。全部使っちゃったからね。
 それから改めて、あの本丸から救出出来た十振りの刀を見つめる。本当は十二振りだけど、日本号は現在お祓い中なので割愛する。それと、未だ意識が戻らない骨喰藤四郎も。

「皆さんも、ご無事で何よりです」
「それは君のおかげさ。本当にありがとう」

 胸に手を当て、頭を下げる亀甲に慌てて「顔を上げてください」と告げる。だけど彼だけでなく、殆どの刀が「礼を言う」と頭を下げて来たので内心冷や汗びっしょりだ。

「いや、そんな……自分本当、何もしてないんで……」
「だがあんたのおかげで俺たちは瘴気に呑まれずに済んだ」
「そうですよ、審神者様。ボクたちの体に流れてきた上質な神気……あれがなければ今頃皆瘴気に呑まれ、誇りある刀剣男士ではない祟り神にでも堕ちていたでしょう」
「そうそう。正直折れそうな程しんどかったけど、あの神気があったから俺たちは動けた。だからそんなに畏まらないでよ」
「そ、そうですか……」

 大倶利伽羅に続き、物吉や蛍丸にまで言われてしまってはこれ以上遜るのは野暮だろう。だから改めて背を正せば、厨でお茶を注いできてくれた鶯丸が傍に座す。

「それで? 何があったんだ、主」

 皆へのお茶は歌仙と燭台切、堀川が出してくれるけど、私のお茶は基本的に彼が出すことになっている。暗黙の了解ってやつなのかな。よく分からないけど、いつも通り美味しく淹れてくれたお茶を呑めば心が落ち着く。そうして一度肩の力を抜いてから皆にも事情を説明することにした。

「皆は知らないと思うんだけど、小夜と仕事をしていたら武田さんから連絡が来てね。何でも新人さんが元ブラック本丸に誤って到着したらしくて、しかも何故かゲートが封鎖されていて助けにも行けないし、向こうからもアクセス出来ないから何か出来ないか、って協力要請が来たんだ」
「ゲートが封鎖されていただと? では何故連絡が取れたんだ?」

 訝しむ鶴丸に「ネットだけは繋がったみたいだよ」と答えればすぐに彼は頷いた。

「成程。よくは分らんがそれで助けを求めて来たと。だがどうして主だけ行けたんだ?」
「さあ……それはよく分かんないけど……でも彼が聞いていた本丸IDとは別のIDを打ち込んだら繋がったんだよね」
「別のID? 主はどうやってそれを知ったの?」

 鶴丸に続いて燭台切が疑問を投げかけてくる。手元にはタブレットもあのスレッドもないが、身振り手振りも加えてそれを説明する。

「あの新人審神者くん――狭間くんって言うんだけど、彼がネットにアップしていた写真に別のIDが浮かんでたんだ」
「成程。それをあなたが打ち込んだらゲートが繋がったと。何だか怪しいですね。本当にその男、迷っただけなんですか?」

 眉間に皺を寄せる宗三に「彼は無実だと思う」と返す。

「だって彼、かなり臆病なんだよね。一緒にいて嫌な感じはしなかったし、多分彼を本丸に行かせた担当官が嘘のIDを彼に渡して、本来のIDを自分で打ち込んで彼だけゲートを潜らせたのかもしれない」
「その点については大将も聞いてなかったんだな」
「うん。あんまりあの場で不安な気持ちにさせるのはよくないと思ってね。それに、今は武田さんが事情を聴いてくれているんでしょ? だったら武田さんに聞いて貰った方がいいかもしれない。男同士だしね。私よりも気兼ねなく話せるかもしれないし」

 彼は相当な怖がりだった。アレが演技だとは思えない。いや、マジで演技だったら相当な役者なんだが……。多分、彼は巻き込まれただけだろう。可哀想なことだ。

「ですがあまりにも迂闊だったのでは? 武田さんもいたのでしたら、太郎太刀もいたでしょうに」
「うん。一緒にいたんだけど、何故かゲートを潜れたのが私と薬研だけでさ」
「せめてもう一振り連れてくるんだったと後悔したもんだぜ」

 肩を竦める薬研に「面目ない」と頭を掻く。だってまさか自分しか通れないだなんて思わなかったのだ。というより、

「どうして私たちだけ通れたんだろう……」

 武田さんは拒まれ、私と私の刀である薬研だけがあのゲートを潜ることが出来た。そこに意味はあるのだろうか。顎に手を当て考えていると、強い視線を感じて意識を戻す。その視線を投げていたのは、共にあの本丸に行った薬研だった。

「……なぁ、大将。気分が悪いとか、悪寒がするとか、そういうのはないか?」
「え? うん。大丈夫だけど……どこか変?」

 自分自身では特に異変を感じないのだけど、薬研はじっと鋭い視線で上から下まで眺めてくる。そうして眉間に深く皺を寄せたかと思うと、口元に手を当て何事かを考え始める。

「……確証がないうちは黙っていた方がいいのかもしれんが、大将は二度も怪異に巻き込まれている。何かあってからでは遅い、か……。大将。実はな、」

 薬研が話し出そうとした瞬間、本丸に置いていた電話がけたたましく鳴り響く。それに驚き肩を跳ね上げるが、電話であればとらなくてはいけない。立ち上がって取りに行こうとすれば、何故か傍に座していた鶯丸から腕を取られた。

「待て。出るな」
「へ? 何で?」

 本丸に元々設置されていた電話は今でも鳴り続けている。大体ここの電話が鳴る時は武田さんと柊さん以外の政府役員から連絡が来る時だ。会議の日時変更とかそういうやつ。だから皆も普段は気にせず取るのに、今は腰を浮かし、自身の柄へと手をかけている。

「主。離れないで」
「小夜くん……」
「水野さん! それに触れてはいけません!」

 どうすれば分からずそのまま立ち竦んでいると、どうしたことだろうか。太郎太刀が急いで駆け付けたかと思うと、勢いよく電話線ごと固定電話を叩き斬った。

「ほげー?! なななな何で?!」
「ふぅ……間一髪でした。水野さん。急で申し訳ないのですが、本日はここに泊まらせて頂いてもよろしいですか?」
「へ? あ、ああ……はい。武田さんがいいのであれば……」

 ていうかこれ……もしかしてかなりヤバイ感じ?

「主。太郎太刀だけではない。今日は俺も傍に置け」
「大典太さん……」

 大典太の視線は叩き斬られた電話に向いている。その眉間には深く皺が寄っており、声も硬い。それに続いたのは武田さんと連絡を取るために席を外していた石切丸だった。

「嫌な気配がして戻ってきたけど、これは不味いね。水野さん。私もここに残るよ」
「そんなにやばいんですか?!」

 思わず叫べば、先程発言しようとしていた薬研が「やはりな」と苦々し気に呟いた。

「大将。皆。聞いてくれ。多分だが、大将は奴に狙われている」
「奴って?」

 あまりの急展開に薬研を仰げば、物吉が「やはりそうですか……」と沈鬱な表情で肩を落とす。

「今の気配……きっとボクたちの主様……だった人かもしれません」
「だった、人?」

 何故過去形なのか。改めて物吉に視線を向ければ、再び薬研が口を開く。

「大将。あの本丸にいた時、奴と目を合わせたな?」
「奴って……あの、審神者の執務室にいた奴?」

 ミイラのようにやせ細った指と、濁った黒い瞳。薄闇の中だったから男か女かも分からない、薄気味悪く、臓腑が震えるほどの恐怖を覚えた存在。あの瞳と言いようのない恐怖心を思い出して咄嗟に腕を擦れば、宥めるように石切丸が背を撫でてくれる。

「大丈夫。朝日が昇るまで私が加持祈祷を続けるから、君は安心してお休み」
「朝までって、そんな……!」
「心配は無用です。我らは一日寝ずとも活動に支障はありません。むしろ、このまま何もせず放置することの方が危うい」
「そうだぞ、主。あんたは間違いなく誰かに狙われている。俺たちはもう二度とあんたを危険な目に合わせるわけにはいかないんだ」

 石切丸だけでなく太郎太刀と大典太にまで言われてしまったら頷かざるを得ない。……この三人がここまで言うなんて……やっぱりアイツは……。

「薬研……あれは、何?」
「正確にはまだ分からん。だが、アイツは大将を『視』た。だから捕らわれてしまったんだろう」
「見た?」

 そりゃあ確かに目はあったけど……それが問題なのだろうか。よく分からずに首を傾けると薬研は時折会議の時に使用するホワイトボードを引っ張り出し、そこに『視』という字を書く。

「アイツの存在はまだよく分からん。だがな、アイツは確実に大将を『視た』んだ。大将の魂に巣くう、竜神ごとな」
「竜神様を……?」

 悪しきものにとってはこの上ない脅威となるはずの竜神様を狙っているのだろうか。それとも他に理由が?

「狙いは大将の魂そのものなのか、それとも体に流れる神気なのか。それについては分からん。だが確実に大将を狙って何か仕掛けてくるだろう」

 そういえば、以前鬼崎から私の存在は生贄として素質があるだとか何だとか言われたような気が……。考え込んでいると、いつの間に戻って来ていたのか。縁側に座っていた日本号が声を掛けてくる。

「おい、嬢ちゃん。あんたはオレたちの、呪詛返しにあい畜生に堕ちちまった元主に狙われているのは確かだ」
「呪詛返し?」
「はい。ボクたちの主様は、本来ならどこにでもいるような、平凡な方だったんです」

 日本号に続いて物吉が語りだす。彼らの、私や鬼崎とは違った“人非ざる者”に堕ちてしまった者の話を――。

「主様は、至って普通のお人でした。霊力に問題はなく、しかし特殊な能力は持っていない。戦術を立てるのも得意ではなく、かといって壊滅的に下手なわけでもない。戦績も中の上という、特筆すべき汚点もなければ優秀な所もない。驕ることも遜りすぎることもない。そんな方でした」
「ああ。誰かを呪うような度胸もなかった」
「臆病っていうより優しかったんだよ。困っている人がいれば手を貸すような、当たり前の優しさを持っている人だった」

 初期からいたのだろうか。大倶利伽羅と燭台切が静かに、けれどどこか懐かしむような声音でかつての主を語る。

「だが――ある日突然主は変わってしまった」
「僕も覚えてる。演練先で出会った女性審神者に熱を上げ始めたかと思うと、急に“占い”やら“星読み”を始め出したんだ」

 大和守はキツク眉間に皺を寄せると、その“女性審神者”について語りだす。

「主は彼女と会う日は前日から浮ついていた。名前も知らない。顔も見えない。俺達には見えないようになっていたのかもしれない。それでも、のっぺらぼうみたいで不気味な女だった」
「彼女は審神者様のように御簾でお顔を隠していたわけではありません。ですが、何故か不思議と顔が“分からなかった”のです」

 御簾をつけていない審神者は半数近くいる。これはあくまでも『使用しておいた方がいい』という物であって、強制ではない。初期の頃は着用必須だったみたいだけど、今は御簾がなくてもいいように本丸自体が改良されているらしい。勿論万事屋もそうだ。こんのすけも本丸も、随時何かしらのアップデートのお知らせが来る。
 そもそもこの御簾は神様である刀剣男士から自分の『魂』を守るためのもの。彼らが悪用しようと画策しなければ基本的に命を狙われる心配はない。愛されすぎて神隠しされることも、憎まれて祟られることも、滅多なことではありえないのだから。

「先にも言ったように主は平々凡々でさ。占いも星読みも、結局は素人の域を出なかった」
「だけど徐々に言動や態度が可笑しくなってきたんだ。俺達に過剰な進軍や労働を強いるようになって……」

 蛍丸は「それで国俊も国行も……」と悔しそうに唇を噛み締める。そうか。私の本丸には来派は一振りもいない。だからその関係は他所で見ることでしか分からない。それでもあの三振りはとても仲がよく、見ていて微笑ましいものがある。そんな大切な仲間が疲弊していく姿は見ていられなかっただろう。

「そして過度な進軍が続いて一月ほど経った頃、本丸の空気が淀み始めたんだ」

 彼らが言うにはその“淀み”は石切丸や太郎太刀が率先して払っていたらしい。当然、この場にいる数珠丸も。

「我々は日々その淀みを払い続けました。しかし……」
「“淀み”は徐々に徐々に姿を変えていった」
「まるで誰かを“呪う”かのように、息苦しさを感じるような、重く、粘着質なものに変わっていった」

 そして気づけば“淀み”は“瘴気”となり、祓っても祓いきれぬ存在にまでなっていた。

「気付いてからは早かった。重傷者から瘴気に呑まれ、倒れ始めたんだ。そうなると進軍どころじゃない。何時の頃からか部屋から出てこなくなった主に僕たちは“出てきて欲しい”“逃げて欲しい”と訴え続けた。でも――」

 彼らの主はそれを聞き入れるどころか、一切の返事をせずに引きこもり続けたそうだ。

「その期間はわずか一週間ほど。半数以上の刀剣男士が意識不明となり、我々は政府に直接連絡を入れようとゲートを起動しました」
「だがその頃にはゲートは既に封鎖されていた」
「連絡しようにも端末は主が持っている。部屋に行っても出てこない。無理に開けようとしても襖は開かない。僕たちはただ“瘴気に呑まれる”のを待つだけだった」

 でも過度な進軍が続いていたのなら何故この八振りは軽傷だったのか。疑問を抱いていると、その件については数珠丸が説明してくれた。

「部屋から出てこない主でしたが、今は端末から我々へ指示が出せるでしょう? 手入れもそうです。ですから我らは重症になるほどの進軍を終えた後手入れを受け、その後の進軍で軽傷を負ったまま放置されていた身でした」
「だから最後まで瘴気に呑まれずに済んでいたんだ」
「そう、だったんですか……」

 石切丸が切り捨てられた電話機を祓い始める中、彼らがどうしてこんなことになったのか、彼らの主がどんな人だったのかはおおよそ把握できた。だけど何故そうなってしまったのかまでは分からない。部屋から出てくることのなかった審神者と会話もなかったみたいだし、無理もないか。

「でも、どうして“呪詛返し”にあったと分かったんですか?」
「霊力の質だよ。顔を合わせずともオレ達には審神者の霊力が流れ続ける。瘴気の質が悪化した頃に流れてきた霊力から“多分そうだろう”と判断した」
「はい。日本号さんのおっしゃる通りです。主様の霊力は審神者様ほど清らかではありませんでしたが……あんな……生命そのものを呪うような、そんな酷いものではありませんでした」
「そうですか……」

 霊力に関しては契約を結んだ刀剣男士にしか分からない。口で説明しようにもそれは難しく、また他者が感じ取ることはとても難しい。私のように感知能力がなければ尚更だ。だからこそ、今は正確なことが分からなくても彼らの言葉を信じるしかなかった。

「とにかく、今の話はすぐに纏めて武田さんに報告しよう。それで何か分かるかもしれないし」
「そうですね。ですがその前に、水野さん。まずは身を清めてください。万が一もあります。少しでもあなたを狙う者からあなたを隠さねばなりません」
「あ、はい。分かりました」

 太郎太刀に指示され、まずはお風呂が先になってしまった。でも確かにお風呂には入りたい。報告書はそれからでもいいだろう。

「小夜くん。もし携帯に武田さんから連絡が来たら代わりに聞いてもらえる?」
「分かった」
「お風呂、すぐに沸かすからね。待ってて、主」
「うん。よろしく、光忠」

 湯船に湯を張りに行ってくれるのだろう。席を立った燭台切に続き、堀川と薬研が近づいてくる。

「大将。せめて脱衣所の前に最低二振りは護衛を置いておけ。寝る時もそうだ。決して一人になるな」
「寝室には大典太さんを。室内戦に向かない太刀の皆さんは短刀と脇差と組んでもらい、二人一組となって順次本丸内を巡回します」
「ん……何かごめんね。いつも巻き込んじゃって」

 一難去ってまた一難。気づけばいつも大切な刀たちに苦労をかけている。いつまで経っても戦う術を持たない自分が不甲斐なく、自然と目線が下がっていく。だけどそんな私を支えるように陸奥守の手が背に当てられた。

「落ち込まんでえい。おんしは十分すぎるほど頑張りゆう。それ以上は過分な領域っちゅーやつぜよ」
「そうだよ、主さん。僕たちから仕事を取られたら立つ瀬がないじゃないですか」
「そうそう。戦いは俺たちの領分だ。大将は俺たちを信じて、もう少し頼ってくれ」
「……うん。分かった。ありがとう」

 本当に皆優しい神様だ。苦笑い気味に返せば、すぐに他の刀たちも参戦してくる。

「そもそも、だ。巻き込まれているのはいつも君の方じゃないか」
「鶴丸の言う通りだぞ、主。君が責任を感じる必要などどこにもない。むしろ狙ってくる奴の方が悪いんだ。君が落ち込むなど可笑しな話だろうに」
「そうだぞ、主。これでも怪異や呪いには縁のある身だ。気兼ねなく頼るが良い」
「お前が言うと説得力があるなぁ、三日月よ」
「はっはっはっ。当事者でもあったが故にな。任せるがよい」

 朗らかに笑う三日月だけど、彼も被害者で加害者だった身だ。その分余計にこの手の話には体が反応するのだろう。いい思い出ではないはずなのに、それでも力になろうとしてくれている。それに短刀や打刀の皆も口々に「お守りします!」と意気込みを語ってくる。
 ……うん。だったら私が過剰に不安を覚えたり、心配しては却って彼らの重しになってしまう。今は彼らを信じて、自分の身を守ることを第一に考えよう。

「分かった。じゃあ、今日は大典太さんと、小夜くんが一緒に寝てくれる?」
「いいよ。僕はあなたの刀だから。絶対に守ってみせる」
「承知した。お前に襲い掛かる全ての怪異を切り伏せよう」
「ありがとう。二人共よろしくね」

 部屋の中には大典太と小夜を。部屋の外には交代で見張りを付けることとなり、その順番や組み合わせは彼ら自身で決めて貰うことにした。実際に戦場に出てお互いの癖を知っているのは当事者たちだからだ。
 だから私が入浴している間は短刀たちが見張りをすることとなり、今日の見張り役は前田と秋田だった。

「主君が男性であれば中までお供出来たのですが……」
「ご安心ください! 僕たちが絶対にお守りしますから!」
「うん。ありがとう。よろしくね、二人共」

 脱衣所の前で分かれ、ようやく一人きりになった空間で改めて今日のことを考える。
 どうして薬研は敢えて『見る』ではなく『視る』という字を使ったのか。そしてあの目は一体私の何を見て、何故捕えようとしているのか。そもそもどうして私はあの本丸に行くことが出来たのか。それに何故狭間くんはあそこに飛ばされたのか。
 分からないことばかりだ。

「ふぅ〜…………竜神様……私、どうしたらいいのかな……」

 薬研の本体で切りつけた手の甲と、掌に出来た傷から血が滲むことはない。それでも刀剣男士と違ってすぐに治る傷でもない。大きな浴槽に肩まで浸かり、ぼんやりと天井を見上げる。そして溜息を吐くと同時に目を閉じれば、突然体が重力を失ったかのようにして湯の中に沈んでいく。

「?!」

 ガボッ、と口の中から空気が抜けて行く。咄嗟に両手で口元を押さえ、周囲に視線を走らせるがそこは浴場ではなく完全なる“水中”だった。
 どどどどどこだここ?! 思わぬ展開に心底焦るが、ふと前にもこんなことがあったな。と思い出す。確か……そうだ。この感じは――

「竜神様」

 ぽたり。といつの間にか地面に足をついていた自分の前髪から雫が垂れてくる。一糸纏わぬだらしない姿で申し訳ないが、我に返った自分が立っていたのは竜神様の住まう山にある、あの滝壺だった。そこには案の定竜神様がそびえたっており、静かに目を閉じて滝に打たれていた。

「……あの……?」

 こうして竜神様が姿を現すなんてよっぽどのことに違いない。だけど困ったことに私は竜神様と意思疎通が出来ないのだ。巫女じゃないから。幾らこの身に竜神様が巣くっていようとも、神託を受け取る器がないのであれば意味がない。竜神様もそれが分かっているのだろう。うっすらと瞼を開けて私を見るも、今度は口を開くこともなければ飲み込んでくるわけでもない。
 それでも滝壺に浸していた尾を持ち上げると、私を引き寄せるようにして包んでその身に抱き寄せた。

「え? あの、竜神様?」

 どうすればいいのだろうか。竜神様の体はあたたくもないが凍りそうな程冷たくもない。というより体温を感じない。だけど耳を澄ませば水が流れる音を感じる。コポコポと、小さな気泡が竜神様の体を巡るような音が聞こえてくる。

「はあ…………きもちいい……」

 気付けばそんなことを口にしていた。でも本当にそう思ったのだ。体の中に何かが巡る。悪いモノじゃない。むしろ良いものだ。ハッキリとは分らなくても体の中が変わっていくのを感じる。これは……何だろう?

「竜神様……わたしは……」

 私は、どうなるのでしょうか。
 交わせない言葉を求めるように吐息に混ぜて縋るように呟けば、竜神様の体の中にズブズブと体が埋まっていく。……いいのだろうか。これで。本当に?

「わたし……わたし、は…………」

 ごぽっ、と口の中から空気が泡となって消えていく。そうして徐々に徐々に瞼が落ちて行き、私の意識は深く深く沈み込んでいった。


***


「…………はっ」

 がばり、と目を開けると同時に体を起こせば、どういうことか。私は既に布団に体を横たえ、就寝していたらしかった。

「ど、どういうこと……?」

 待て待て。確か自分はお風呂に入っていて、そしたら何故か竜神様と対峙していて、そのまま目を閉じたら意識がなくなって……。とそこで改めて自身を見下せば、何故か一度しか袖を通したことのない巫女服に着替えていた。え? 私コレを寝間着にしてたの? バカなの? っていうかちょっと待って? これ誰が着せたの???
 ぐおおおお、と頭を抱えるが、更におかしな点があることに気付く。今日は大典太と小夜が私の寝室にいるはずだ。だが二人の姿がどこにも見当たらない。おかしい。彼らが約束を破るなんてありえない。それこそ空から槍が降るレベルでありえない。
 立ち上がれば、何故か不思議と電気を点けずともどこに何があるか把握出来る。だからこそここが『自分の寝室』ではないことも分かってしまった。

「どこだここ……」

 寝ている間にまたもやどこかに引き込まれたのか。片手で額を押さえて天を仰ぐが、ここにいても事態は解決しない。お札も武器の一つもない完全な丸腰ではあるが、動かないことには何も始まらない。

「よし! 女も度胸! 行くぞ!」

 気合を入れながらも実際は恐る恐る廊下に続く襖に手をかける。正直言って今の自分に襖は鬼門だ。あの審神者らしき人物と目が合ってからこんなことになっているのだ。油断は出来ない。
 それでもそっと隙間を開けた先から頭だけ出せば、案の定廊下は真っ暗で何も見えなかった。どうしたものか。せめて蝋燭の一本でもあればいいのだが。振り返った部屋の引き出しには何も入っておらず、仕方なく明かりもない完全な闇の中へと歩き出す。
 とはいえ微妙に三歩先ぐらいまでは廊下がぼんやりと見えるので、足元に妙なものが転がっていて躓き倒れることもなければ、臓腑が震えるような悪寒も感じない。だから淡々と進んでいると、ふと自分以外の気配を感じた。

「……誰?」

 立ち止まって声を掛けるが、相手には聞こえていないらしい。ギシギシと軋んだ音を立てながら廊下を進んでいる。
 追いかけるべきか。無視するべきか。悩むが、相手は進行方向にいる。無視するということは今まで歩いてきた道に戻るということだ。それは……なんというか時間の無駄だ。だから意を決して歩みを進める。

「………………」
「………………」

 相手からの反応は未だにない。というより、気付いていないのか? 刀剣男士であれば人の気配には敏感なはずなのだが……刀剣男士ではないのだろうか? 考えながらも歩みを進めていると、徐々にその姿が見えてくる。

「アレは……」

 目の前を歩くぼんやりとした儚げな後姿。あれは未だに意識を取り戻さない『骨喰藤四郎』だった。

「骨喰藤四郎!」

 声を掛けるが、私の声が届いていないのか、それとも無視しているだけなのか。骨喰藤四郎は歩みを進めることなく、しかしどこかフラフラとした覚束ない足取りで前に進み続けている。一体どこに向かっているというのか。
 分からずに後を追いかけるが、その身に完全に並ぶことは出来ない。どうしてだろう。分からないけれど仕方なくそれに従えば、骨喰はとある部屋の前で立ち止まった。

「主殿……」

 主人を呼ぶ声は切なく、けれどその瞳に光はない。むしろどこか虚ろだ。だが私が近づくよりも早く、薄闇の中でぼんやりと確認できる襖の奥からガタン! と、あの時聞いた音と全く同じ音がする。

「ッ!!」

 ゾワリ、とフラッシュバックするかのように怖気が走る。咄嗟に骨喰の手を掴めば、彼の体がビクリと跳ねてこちらをその瞳に映す。

「お前、は……」

 虚ろだった瞳に光が戻る。それを確認すると同時に私は走り出し、後ろからダダダダ! と音を立てて追いかけてくる何かから必死に逃げる。

「ま、待て、きみは……!」
「待てるかーーーー!! イヤーーーー!! ギャーーーー!! 何か分からん奴が何か分からんけど全力で追いかけてくるーーーー!!! 助けて竜神様ーーーー!!!!」

 涙目になりながらも必死に目覚めた部屋へ向かってひた走る。大典太も小夜もいない。そうなるとここに連れて来たのであろう竜神様に向かって助けを求めつつあの部屋へと転がり込めば――というより、襖を開けて飛び込んだ瞬間再び水中にダイブしていた。

「ごばぶえっ」
「ごぼっ、?!」
「あばば、ぶっへあ!!」
「ぶはっ!」

 ザバッ! と音を立てて水面に向かって顔を出す。突然の水中ダイブに水が気管に入り、二人して盛大に咳込む。

「げほっ! ごほっ! ごほっ! あー、もう何だよあれぇ〜、めっちゃ怖かったぁ〜……」
「ごほ、ごほごほっ……げほっ、きみ、きみは……」

 全身ずぶ濡れになった骨喰藤四郎がこちらへと視線を寄越す。が、すぐさま白い顔を赤く染めたかと思うと、目にも止まらぬ速さで立ち上がり走り出す。

「すま、すまなかった!!」
「え? なにが?」

 湯煙でぼやける視界の中走り去る彼の背中に問いかけるが、すぐさま脱衣所の向こうから前田と秋田の「何故骨喰兄さんが?!」「どうして兄さんが脱衣所から出てくるんですか?!」と半ばパニックに陥ったような声が聞こえ、すかさずのその声を聞いていたらしい脇差二人組が「御用改めであるーー!!」「何やってんだ兄弟ーーー!!」と叫び声を上げていた。
 そうして呆然とする間にもドタバタと数名の足音が聞こえ始め、全身ずぶ濡れで、しかも今まで意識不明だった骨喰が脱衣所から出て来たことに対する疑問や廊下を汚すなという説教、そして「主は無事なのか?!」という声が聞こえだし、ようやく自分は自身の状態に気付いて「あ」と声を上げた。

「……裸……見られた……」

 呆然と呟いた瞬間勢いよく浴場の扉が開かれ、凄まじい勢いで「ご無事ですか主!!」と顔を出してきた長谷部と、何故か目を輝かせている亀甲に向かって傍にあった桶を勢いよく投げつけた。



続く

【追記】

救出出来た刀一覧

日本号
大和守安定
蛍丸
数珠丸恒次
骨喰藤四郎
後藤藤四郎
五虎退
亀甲貞宗
大倶利伽羅
物吉定宗
燭台切光忠
巴薙刀

です。

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