小説
- ナノ -



 不運なことに新任早々元ブラック本丸に飛ばされた青年こと『狭間くん』は、十八歳を迎えたばかりの高校生だった。

「そ、その……俺、施設出身で……」
「施設って、児童養護施設?」
「はい……。あの、審神者を養成する……」
「あー、政府が取り仕切ってるアレかぁ」

 未だ終息を見せない歴史修正主義者たちとの戦争を有利に進めるため、数年前から政府は児童養護施設を立ち上げた。そこには霊力を持った子供たちが審神者になるべく英才教育を受けているらしい。実情はよく知らないけど。
 年齢は三歳から十八歳まで。政府役員が保護された子供たちを見て回り、素質がある子供だけを施設に引き入れる寸法だ。そのおかげか施設出身の審神者は増えてきている。とはいえメンタルケアに関しては甘いらしい。少年はポツポツと施設で習ったことを口にするが、友人や役員、スタッフについての話は出てこなかった。

「そもそも俺、霊力そんなになくて……」
「普通はそんなもの持って生まれてこないよ。だからそんなに落ち込まないで」

 私だって元々は弱小審神者だったのだ。今は、まぁ……色んな要素がかみ合ってとんでもないことになってるけど。

「それに、神様に指示を出すのって畏れ多いじゃないですか……」
「分かる〜! 最初はそこからだよねぇ」

 聞くところによると施設では「刀剣男士は“付喪神”ではあるけれど、立派な“戦神”だから戦場に出すように」と教育されているそうだ。でも神様を戦場に押しやり、自分だけは安全地帯にいるのってどうかと思う。狭間くんもそこが気になっているらしく、「本当にそれでいいんでしょうか?」と肩を下げていた。

「幾ら刀剣男士様方が、その……か、替えの利く存在だとしても……俺は……」

 気は小さいけれど優しい性格らしい。だけどやるしかないのだ。どんなに辛くとも、胸が痛くとも。戦場に審神者がついて行ったところで単なる足手纏いにしかならない。戦術を練るのが苦手であれば尚のことだ。指揮も取れないなら奥に引っ込んでおいた方がいい。それに彼らを手当て出来るのは審神者だけなのだ。治療出来る者がいなければ戦場に行くどころではなくなる。だから結局のところ持ちつ持たれつなのだと体で理解してもらうしかない。
 だから「君が刀とキチンと向き合い続ければ、いずれ自分の答えが出るよ」と背中を叩いてやった。
 その後はスレッドの書き込みと監視を優先してもらい、骨喰たちに案内されるがまま本丸の中を慎重に進んでいく。

「本丸内は荒れているからな。気を付けろ」
「大将。手を離すなよ」
「うん。ありがとう」

 最初は手っ取り早く審神者の部屋に向かおうかと思ったけど、骨喰たちから「軽傷者が広間にいる。まずは彼らを見て欲しい」と言われ、先に大広間へと向かっていた。

「瘴気に当てられ意識が戻らない者は自室へと横たえている。それ以外の軽傷者は広間にいるんだ」
「ってことは、重症者と中傷者は殆ど倒れている、と考えていいか?」

 薬研の言葉に骨喰ではなく後藤が「ああ」と返す。その声は悔しそうで、背後にいるから顔は見えないけど、辛そうな顔をしているんだろうな。と思った。

「皆。無事か?」

 骨喰が声を掛けた先に居たのは、薙刀である巴形薙刀、槍の日本号、大太刀の蛍丸、太刀は燭台切と数珠丸、打刀は大和守、大倶利伽羅、脇差は物吉だけだった。短刀はここにいる五虎退と後藤以外は全員瘴気に当てられ意識不明となっており、長兄の一期一振も同様に倒れているとのことだった。
 そしてここにいる刀たちも殆どが朦朧としているらしく、こちらを見遣っても呻くような声しか出せないようだった。

「俺たちしか動ける者がいなかった。だから――」
「分かりますよ。あなた方は仲間を守るために私たちを排除しようとした。これでもこういう場面には慣れてるんです。ご自分を責めないでくださいね」
「……すまない」

 今にも意識を失いそうなのは薙刀の巴形と物吉だ。とはいえ浄化用護符は一枚しかないから部屋に貼ることは出来ない。仕方ない。献血だと思って幾らか血を流すか。片手で袖を捲っていると、いつの間に列からはぐれていたのか。亀甲が一本の酒瓶を持って近づいてくる。

「ねえ。コレに君の血を混ぜて飲ませるってのはどうだい?」
「成程。それなら大将が流す血は少なくて済む。でもいいのか? この酒は汚染されていないようだが」

 本丸中に漂う瘴気は大広間にも及んでいる。狭間くんに関しては護符を渡したから一応は大丈夫だろう。この後は結界札を渡すつもりだから、彼が汚染されることはないと思う。
 だけど瘴気が満ちているということは飲み水や食べ物も汚染されていそうなものだが……。薬研が見る所亀甲が持ってきた酒瓶には瘴気は滲んでいないとのことだった。

「うん。これは物吉と二人で“いつか本丸が戻った時に開けよう”と約束し、隠していた物なんだ。でも死んでしまえば元も子もないだろう? だから封印のために施していた護符を切ってきたんだ」
「そうですか……。それじゃあ、ありがたく使わせて頂きますね」

 今度は手の甲ではなく、掌を切って血を酒瓶の中に垂らしていく。こんなことすれば普通は“穢れる”んだけど、お師匠様に教わった祝詞を唱えながらだからきっと大丈夫なはずだ。それに私には竜神様がついている。頼ってばかりなのは心底申し訳ないけど、自分だけでは何もできないのだ。百花さんみたいに式神を使って浄化することも、お師匠様みたいに穢れを払うことも出来ない。だからこの血に頼るしかない。
 竜神様。どうか、どうか今一度お力を貸してください。未熟な依代に、どうか――。

「大将。もういいだろう。止血するぞ」
「分かった」

 正直言うと、魂に竜神が住まうとはいえその気を彼らに分け与えるのだ。そうなると自然と私に対する加護も薄れる。だけど断ることは出来なかった。
 だって、例え見知らぬ人間であったとしても彼らは私を信じてくれた。その信頼に応えなければ今度こそ“堕ちてしまう”だろう。
 確かにこの本丸の責任者は私じゃない。それでも同じ審神者として最低限の礼儀を見せることがせめてもの償いだと思うのだ。

「杯は汚染されているだろう。直接流し込むぞ」
「大将は傷口を圧迫して止血してな。あとは俺たちがやるから」

 頼もしい薬研に後を任せ、ふうと一息ついているとおずおずと狭間くんが「大丈夫ですか?」と問いかけてくる。それに笑顔で、といっても御簾で見えないか。分かっていてもそれでも笑って「大丈夫だよ」と答えれば、彼はそっと握りしめていた携帯を起動させた。

「あの、さっきスレで、担当の人が水野さんの本丸で待機するって書き込みが……」
「そっか。よかった。ありがとね、伝えてくれて」
「いえ……助けて貰ったの、俺っすから……」

 狭間くんには私たちがこれから行うことをスレッドに書き込んでもらっていた。少し見せて貰ったけど、私の血液に浄化能力があると少し改変して皆に教えたらしい。中には「女の血液なんて穢れ」だろ。なんて書き込みも幾つかあったが、即座に担当――つまりは武田さんの太郎太刀が「次に彼女を侮辱したら神罰が下りますよ」と脅していた。……多分うちの刀たちのこと差してるんだろうな。皆過保護だから……。

「うッ……!」
「げほっ! げほごほっ!」
「かはっ……!」
「うぉえ……!」

 血液入りの酒を飲まされた刀たちが次々とえずいている。ちょっと悲しい。でも来た時には何の反応も示さなかった刀たちが咳込んだり、顔を上げたり頭を振ったりと、何らかのアクションを起こし始めている。本丸自体を浄化出来ていないからほんの気休めにしかならないけど、それでも意識を繋ぐだけの力は渡せたらしい。思い思いに呻いたり、顔を上げて互いを確認し合う。

「ほね、ばみ……」
「日本号。しっかりしろ。ほら、お前の好きな酒だ」
「う……」

 私の本丸にいなくとも、その槍をこの目で見たことがある。国宝へし切長谷部と並ぶ福岡の宝。他本丸で見るときは筋骨隆々の彼も、今は頬がこけていた。

「この……さけ、は……」
「ああ。水を司る神の神気が僅かながら流れている。お前との相性はいいだろう」
「はっ……いき、かえる……ぜ……」

 三名槍として、正三位として、プライドがあるのだろう。日本号はウロウロと虚ろな視線を彷徨わせた後、こちらを見つけたのか視線を定めた。

「は、ありがとなぁ……」
「いえ。あなたは福岡の――おじいちゃんの、宝でしたから」

 福岡に住んでいた祖父は、日本号が好きだった。私自身一時期福岡に住んでいた時は祖父に誘われ二人でへし切長谷部と日本号を見に行った。当時は刀剣について何にも知らなくて、何がそんなにいいのかよく分からなかった。それでも祖父は「福岡の宝だ」と嬉しそうに教えてくれたのだ。
 おじいちゃん。今なら分かるよ。私も、長谷部と日本号さんが大好きだよ。

「薬研。この酒を持って行こう。審神者殿の血で多少はあの部屋が清められるかもしれない」
「分かった。大将。さ、もう一踏ん張りだ」
「オッケー。やってやろう!」

 もう止血はいいだろう。圧迫していた指を離し、狭間くんに結界札を持たせて護符を受け取る。

「悪いけど、狭間くんはここにいて。審神者の部屋には何があるか分からないから」
「で、でも、」
「君が瘴気に当てられたら助けるのは難しい。でもここにいれば少しはマシだと思う。怖くても無理に動き回らず、異常を感じるまでここで待機していて」
「……!」

 恐ろしいのだろう。無理もない。再びガチガチと歯を鳴らし始めた彼の両肩に、安心させるように手を乗せてしっかりと掴む。

「大丈夫! 絶対に大丈夫だから、私を信じて」

 痩せぎすな肩は可哀想な程冷えている。それでも御簾越しであろうとしっかりと目を見つめて言い聞かせれば、彼はコクリと頷いた。

「よし。行くよ!」
「応!」

 百花さんの岩融からは『豪胆なのか阿呆なのか分からん』と呆れられた私だけど、あれから何度もこういう場面には遭遇している。ここよりマシな本丸もあれば、ここよりやばいけど『呪われたの本丸』よりはマシ。と思う場所もあった。でも最初の怪異があの『呪われた本丸』だったのだ。あれ以上の呪いや穢れに満ちた場所に行くことはそうそうない。
 現に薬研もそれを感じ取っているのか、先頭を歩く骨喰に比べ過度な緊張はしていなかった。
 それでも私の手をぎゅっと掴み、歩く最中キチンと注意事項を告げてくる。

「大将。少しでも異変を感じたら即撤退しろ。殿は俺が務める」
「分かった」

 大広間から審神者の執務室へ。一歩ずつ近づくごとに瘴気が強くなっていく。それに当てられているのか、時折骨喰が苦しそうに肩で息をする。それでも背中に手を当ててお師匠様から教わった“気を流す”マッサージを施せば、小さな礼と共に歩みを再開させる。

「はあ……はあ……」
「骨喰藤四郎。これ以上は危険だ。そこで待機していろ」
「や……げん……」
「大丈夫だ。俺っちに任せてくれよ」

 蹲る骨喰を背に、薬研と共に締め切られた執務室の前に立つ。そこから漂ってくる瘴気は尋常ではない濃さで、思わず袖で口元を覆う。

「大将」
「大丈夫……。それより、何か感じる?」

 幾ら感知能力があるとはいえ、ここまで瘴気に満ちていては感覚も狂う。だから戦場でその力を存分に奮う薬研に問いかければ、薬研は「やばい気配はするな」と眉間に皺を寄せた。

「いいか、大将。絶対に俺の前に立つな」
「……分かった」

 薬研と繋いでいた手を離し、彼の邪魔にならないようそっと背後に回る。そうして息を殺した薬研が襖に手をかけようとすると、突然中から「ガタン!」と何かが倒れるような音がする。

「ッ!」
「落ち着け、大将。焦るな」

 突然の物音はビビるって……。それでもどうにか悲鳴を上げずに済んだのは、今までに様々な経験をしてきたからだろう。ここに狭間くんがいたら叫んでいたかもしれない。もしくは気絶したか。とにかく薬研が再度襖に手をかけようとした瞬間、突如背筋を駆け抜けるような酷い悪寒を感じ、全身に鳥肌が立つ。

「待って!」
「?!」

 咄嗟に薬研の手を掴み抱き込めば、再度中から「ガタン!」と先程より大きな物音が立つ。そうしてガタガタと揺れるような音がし、咄嗟に百花さんがくれた護符を襖に貼りつける。

 ――そして次の瞬間、

「うわっ?!」
「何だ?!」

 突然地震が襲って来たかのように本丸全体が揺れ始める。グラグラと崩壊しそうな程の大きな揺れに建物全体が軋み声を上げる。しかも揺れは長く強い。というよりも、だ。本来ならば本丸に地震なんて発生しない。ここは地上とは違う、亜空間に形成されている建物なのだから起こりようがないのだ。ならば何故揺れているのか。余程強い霊障か、何かの術が発動したに違いない。

「大将!」
「骨喰! 立って!」
「ッ、」

 本丸全体を揺らす『ナニカ』から逃げるように歩き出す。が、すぐさま体勢を保てず床に膝をついてしまう。ダメ押しにとばかりに襖に結界札を貼ろうと視線を向ければ、ほんの少し空いた隙間から『ソイツ』と目が合った。
 襖の隙間から覗く指は枯れ枝のようにやせ細り、土気色をしている。そしてこちらを真っすぐ見つめる黒い瞳は、どこか濁った色をしていた。

「――――ッ!」
「大将!」

 人の気配を感じなかった。それなのに、確かに『ソコ』に『誰か』がいる――。
 その事実に筆舌に尽くしがたい恐怖心が這いあがり、全身を支配されたかのような心地になる。それに伴い硬直した指の隙間から札が落ちそうになるが、すかさず薬研がそれを奪うようにして抜き取り、襖に貼りつけた。

「大将を『視る』んじゃねえ!!」
『ギャァアアアア!!!!』

 獣のような、それでいて男性のような、女性のような、よく分からない断末魔が響き渡る。それに合わせて更に建物は大きく揺れ動き、どこかで柱が折れるような音がする。
 そして先程とは違い完全に閉じ切った襖の奥では、浄化用護符と結界札により苦しんでいるのか、今まで以上に大きな音が立っている。
 あまりのことに腰が抜けそうになるが、咄嗟に傷口に爪を立てることで正気を保ち、蹲る骨喰を薬研と共に抱き上げ揺れ動く廊下を駆け抜ける。

「大将! もう少しだ!」
「分かってる!」

 派手に動く本丸の中から既に亀甲たちは避難しているはずだ。だから大広間ではなく直接庭に逃げようとしたが、寸での所で障子や襖が勢いよく閉まっていく。

「不味い! 閉じ込められぞ!!」
「ッ!!」

 まさかこんなことになるとは思わなかった。せめて、せめてもう少しお札を持って来ていれば……! 骨喰は既に意識はないのか、声を上げることすらしない。それでも必死に視線を巡らせていると、裏庭に面した扉が僅かに開いていることに気が付いた。

「――薬研」

 呟くと同時に、支えていた骨喰の体ごと薬研の小さな体を両手で突き飛ばす。

「――は?」
「ごめん……必ず、助けに来てね……?」

 私一人じゃ何もできない。せめて護衛の一振りがいなければ心だって折れてしまうかもしれない。それでも――今なら、“私”を捕えることに意識を集中させている奴から皆を逃がすことが出来るんじゃないかと、そう思ったのだ。だから、

「待て、大将! 大将ーーーーーー!!!!」

 骨喰の体を片手で支えながら、それでも必死な形相で腕を伸ばしてくる私の大切な刀。それでも重力に伴い落ちていく体と、腕を引っ込める私との距離は開くばかりだ。

「逃げて」

 どうにかそれだけを伝えた瞬間、目の前の戸口が勢いよく閉じられた。


***


 どうして俺達の主は、毎度毎度命に関わるような厄災に巻き込まれるのだろうか。

「お。大将。どこか行くのか?」

 普段は三十振りしかいない刀で諸々のことをやりくりする我が本丸ではあるが、それでも時間の空きが出る。本日の俺は本丸内の清掃を担っていたが、丁度一段落したので厨に行って茶でも飲もうかと思っていた。すると執務室から庭を横切り、ゲートに向かおうとしている大将に気が付いたのだ。

「うん。ちょっと武田さんに呼ばれてね」
「おいおい。それなら誰か一人護衛を付けるべきだ。何があるか分からないんだぞ?」

 本丸に残っているのは俺と近侍の小夜。それから歌仙と鶯丸だ。あとは出陣、遠征、内番、演練に出ている。畑には大将が面倒見ている別本丸の刀たちもいるが、自分の主を守るのに他所の刀を頼るわけにはいかない。それに政府に呼ばれたということはまた何か面倒事を大将が背負う、ってことだ。いつものように話し合いや資料を受け取るだけかもしれないが、不思議と『よくないモノ』から目をつけられる大将のことだ。用心するに越したことはない。

「でも皆やることあるだろうし……」
「何言ってんだ。大将がいなけりゃ元も子もないんだぜ? 今手が空いてるから、俺が一緒に行ってやるよ」
「そっか。ありがと、薬研」

 そう言って、きっと御簾の奥で笑ったのだろう。朗らかで、柔らかい空気を纏う主と共に政府の建物へと足を踏み入れる。そこで担当官の武田から話を聞きつつ渡されたタブレットを大将と共に覗き込めば、掲示板、と呼ばれる情報板には様々な番号と数字、それから『書き込み』があった。

「新人からベテランまで、何でもござれの某掲示板サイトを模倣した奴だ。基本的には事件に繋がるようなことはないんだが……」
「ほぉ。結構書き込みされてるんだな。七百番まで番号がついてるぜ?」

 ざっと見たところ「円を描くようにして塩を隙間なく撒け」だの「一先ず逃げろ」「落ち着いて、物音を立てないよう注意しろ」だのと書かれている。
 ……ふむ。どうやら行方不明となった新人審神者が妙な本丸に一人で飛ばされて往生しているらしい。それを大将に助けて欲しいってことか。

「そこで感知能力がある水野さんに“霊視”してもらおうかと思ったんだが……」

 大将は今まで二度、大きな事件に巻き込まれている。それこそ丁度半年ほど前のことだ。大将が本丸から忽然と姿を消したのは。あの時は随分と肝が冷えた。最初の怪異に巻き込まれた時も生きた心地がしなかったが、本丸から大将が消えるなんて二度と御免だ。何度も死にかけては病院送りになり、その度に大将は強制的に霊力が上がっていった。
 だがそれを喜ぶ刀剣男士は、実のところ一振りもいない。

「………………」

 大将は遡った掲示板をじっと見つめている。ここ数ヵ月、大将から流れてくる霊力の“質”がまた変わって来ている。以前よりも更に“神気”が強くなっているのだ。
 勿論霊力が強ければそれだけ俺達も活気づく。だが大将は『人の子』だ。ただの人の子が『神気』を持つなんて、本来ならあってはならないことだ。

 それなのに――。

「コレ、相当強力な術をかけられてますね。いや、術っていうか……何だろう? 霊障、かな? 他者を強く拒んでいるような、そんな強い意思によってゲートが無理矢理閉ざされている状態だと思います」

 大将の体は、魂は、もう『人』とは呼べない域まで神格化されつつある。まだ完全に『神』になっていないのは偏に人の身では完全なる神になることが出来ないからだ。
 所詮『人は人』。肉体を手放し霊魂にならない限り、人は人であり続ける。だが逆に言うと肉体を手放した瞬間から大将は『神』になるのだ。それは……あまりにも、人が抱えるには『重い』。

「とりあえず打ち込んでみるか」
「そうですね」

 武田と共に大将が政府施設内に設置されているゲートへと向かう。当然太郎太刀と膝丸も一緒だ。彼らは大将の後ろを歩く俺にこっそりと耳打ちしてくる。

「いつもすみません。助けて貰ってばかりで」
「なに、困った時はお互い様ってやつだ」
「だが……薬研藤四郎。お前も気づいていると思うが、彼女の霊力は――」

 膝丸の眉間に皺が寄っている。ああ、分かっている。分かっているとも。大将の体は徐々に『現世』に馴染まなくなってきている。存在が揺らいでいるわけではない。それでも、分かるのだ。身に纏う霊力が神に近づけば近づくほど、彼女は現世から乖離する。

「本丸で生活しているのも理由の一つかもしれませんね。ここは一つ、現世のご実家から通って頂く、というのはどうでしょう」
「俺達も提案はしているんだがな。大将の実家と政府が設置しているゲートが離れているらしいんだ。行き帰りに時間が掛かるから週末ぐらいにしか帰らないんだよ。それに最近までは新人も預かっていたからな。ずっと本丸に詰めていたんだ」

 それも原因の一つだったのかもしれない。新人の研修と、一度本丸を手放した元審神者の再実習。その間うちの本丸には百花嬢の刀が何十振りと行き来していた。
 本来なら大将が顕現できる刀剣男士は三十振り程度。その身で抱えるにはあまりにも多くの刀剣男士が本丸に詰めていたのだ。そうなるとやはり、影響は受ける。

「陸奥守は何か言っているのか?」
「いや。だが常に気に掛けてはいる。無論俺達もな。大将自身も自らの霊力に変化が起きていることには気づいてはいるみたいなんだが……元がお気楽な人だからなぁ。どうなるか分からん」

 そんな会話をしている間にもゲートに辿り着き、二人は本丸のIDを打ち込んでは何やら話し合っている。もしものことがあれば不味いからと大将の隣に立った時だった。

「ほあ?!」
「水野さん!」
「大将!!」

 うんともすんとも言わなかったゲートが突然反応を示したかと思うと、引きずり込む様にして大将の体を引っ張っていく。だが咄嗟に掴んだ腕だけでは大将を引き留めることは出来ず、結局俺は大将諸共その本丸へと足を踏み入れることとなった。

「……大将……」
「ごめんて……」

 謝る大将に非はない。分かっている。だが何故こうもこの人は妙なものに引き込まれるのか。いい加減にして欲しい。俺たちから大将を奪うなど、許せるはずがない。例えそれが同じ『神』であろうとも、だ。

 そうこうしている間にも見つけた新人審神者と共に安全地帯を探すが、結局のところ見つかり白刃戦となった。だが斬りかかってきた刀剣男士は酷く疲労しており、襲い掛かってきた割に力が入っていなかった。奇襲が失敗すれば不利になるだけだが、流石に多勢に無勢ではこちらも危うい。大将を守るために少し後退すれば、相変わらず肝が据わっているというか何というか。大将自ら刀剣男士たちと言葉を交わし、刃を納めることとなった。

 本当に、何なんだろうな。この方は。
 普通であれば瘴気に当てられ、憎悪や憤怒、疑心に満ちた刀剣男士と言葉を交わすことは難しい。基本的に刀剣男士たちが効く耳を持たないからだ。だが大将の場合は――きっとその身に纏う『神気』が彼らを宥めるのだろう。彼女の魂に巣くうは古の土地神、水を司る竜神なのだ。その清らかな“気”は瘴気に当てられた刀剣男士たちの意識を、霧掛かった視界を明瞭にする。そして大将は本人が言う通り『決して嘘はつかない』御仁だ。彼女の裏表のない言葉は“言霊”という呪術でなくとも俺たちの体に響く。そしていつしかその言葉に満たされ、癒されていくのだ。

 清涼な神の神気に加え、善性に満ちた言葉は俺たちから“穢れ”を払う。それが心地よく、また癖になるから皆彼女の傍にいることを望むのだろう。
 気づけば自分の本丸でなく様々な本丸にも顔を出すようになった大将を拒む刀はいなくなっていた。

 真面目なのにどこか豪快で、大雑把で負けん気が強い。そしてどんなに不利な状況に陥ろうとも心を折らず、足掻き続けようと努力する。もがき続ける。そんな彼女に何度奮い立たされたことか。だがしかし、神であれ人であれ美点があれば欠点もある。我らの大将は――悲しいかな。自らの命を軽んじるところがあった。

「逃げて」

 ――ああ、ほら。まただ。掌から、また“彼女”が零れ落ちていく。

 本当は恐ろしくてたまらないだろうに、俺たちを助けるために自らを犠牲にする。その魂に竜神が巣くうとはいえ所詮は人の子。這い寄る恐怖は感じているだろうに。
 精一杯の強がりで塗り固められた言葉は、無惨にも目の前で閉じられた扉によってかき消された。

「大将ーーーーーー!!!!」

 伸ばした手が、掴まれずに落ちていく。

 事実を受け止めきれないまま無様にも背中から地面に落ちて転がる。駆けつけてきた亀甲たちに抱き起され、顔を上げた先では本丸が霧のように濃く、強い瘴気に包まれていた。
 ――このまま主を置いて行けばどうなるか。
 臓腑全てが冷えていく心地になるが、大将の“命”に背くわけにもいかない。

「亀甲! 兄弟を頼む!」
「分かった」

 意識を失った兄弟を亀甲に任せ、震える新人審神者がしがみついているゲートに飛び掛かるようにして電源を入れる。そうして逸る気持ちのままバンバンとゲートを叩くと、今度こそソレは起動した。

「早く早く早く早く……!!」

 ダンダンと貧乏ゆすりというよりも地団太のように地面を踏みつけながら、再起動し始めたゲートを睨みつける。そうして本丸の座標値、もしくはIDを打ち込む画面が立ち上がった瞬間、慣れ親しんだ自身の本丸の座標を打ち込みゲートを繋いだ。

「走れ! 飛び込め!!」

 もはや猶予はない。殆ど投げ込むような形で呆然としていた後藤と五虎退の首根っこを掴み、腰を抜かしているようだった新人審神者の尻を蹴り飛ばす。そうして庭に出ていた数多の刀剣と共にゲートを潜り、俺はこの本丸に命よりも大事な大将を置き去りにしたまま自らの本丸へと帰還した。



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