小説
- ナノ -




 慌ただしい生活がようやく一段落し、何気なく実家に戻った時のことだった。

「あんた、来月の第二日曜日こっちに帰ってきなさい」
「んあ? 別にいいけど、何で?」

 久方ぶりに刀剣男士が作った夕飯ではなく、母の手作りカレーを頬張りながら首を傾ける。甘口と辛口の間、中辛よりもちょっとだけピリッとした程よいスパイスがアクセントのシーフードカレーを咀嚼していると、さも当然と言わんばかりの表情で母はソレを口にした。

「婚活パーティー。予約してるから」
「ぶっほ! はあ?! 婚活?!」


『始まりは唐突に』


 こんかつ。コンカツって、アレか? 結婚願望を持つ男女が大多数でお見合いするっていう、あの婚活か?!

「何で?!」
「何でじゃないわよ。アンタ幾つになると思ってんの。いい歳して彼氏の一人も作らないで。このまま結婚出来なかったらどうするつもりよ」

 あまりにも唐突すぎる展開に咄嗟に母の隣に座る父に目を向ける。温和でどこかおっとりとしたところのある父はこちらを見ると困ったように笑うだけだった。
 くっそー、コレはアレだな。母さんの勢いに負けたな? あーもう! 何でこう、時期が悪いかなぁ。
 ガリガリと後頭部を掻きながら考えるのは、陸奥守を始めとした刀剣男士のことだ。

 半年以上前のことだ。私は初期刀である陸奥守吉行から『告白』を受けた。それの返事はもうしたのだが、どういうわけか陸奥守以外にも私にこ、好意を寄せてくれている刀がいた。打刀だと宗三、長谷部、大倶利伽羅、歌仙、山姥切。太刀では燭台切、鶴丸、鶯丸、三日月だ。一方何とも言えない距離感に入るのが大典太だ。彼は皆みたいに想いを直接伝えに来ることはないが、ふとした時に「君が大切だ」と零す時がある。それは親愛の情から来るものなのか、臣下としての言葉なのか。正直判断が難しい。
 もう一振りの太刀である江雪は「主が幸せならそれで」と微笑んでいたから、多分私に対して「そういう気持ち」はないのだろう。
 短刀たちに至っては基本的に「主様をお守りします!」という感じなので、恋愛感情抜きの親愛だと思っている。乱はよく薬研に捕まっているけど、違うと思いたい。

 とはいえ私も最近までは忙しい身だった。何せ数ヵ月もの間保護した審神者たち――日向陽(ひなた)さんと百花(ももか)さん、そして後輩審神者である夢前さんの面倒を見ていた。それが先月ようやく、ようやく日向陽さんと夢前さんが我が本丸から独り立ちしたのだ。ようは自分の本丸を正式に持てるようになった。というやつだ。
 はー、長かった。長かったよぅ。
 本来新人研修に使われる期間は一ヵ月から三ヵ月だ。あまりにもアレな新人には最大で六ヵ月研修期間が設けられるが、それは本当に、新人審神者に何らかの事情や疾患がなければありえない期間だった。だから本来ならこの二人も三ヵ月以内に研修を終えて自分の本丸を持ってもらう予定だったのだが――。

『イ・ヤ・で・す! だーってぇ、アタシまだまだセンパイから教わりたいことがいーっぱいあるんです!』
『ののかちゃんばかりずるいわ。私だって水野ちゃんともっと一緒にいたいのに。お勉強だって、きっとまだまだだわ。だから、私も水野ちゃんと離れたくないからお断りです』

 と、そう言って何だかんだと研修期間ギリギリまで食いつきしがみ付き――最終的に二人共六ヵ月間本丸にいたのだ。本当に……本当によくやったよ私……。
 そんなわけで最大期間である六ヵ月の研修を終え、二人は無事自分の本丸へと旅立ったというわけだ。めでたしめでたし。

 ……になればよかったんだけど。結局のところ未だに二人からは連絡が来る。いや、いいんだけどね? 別に。不安に思うことがあればいつでも連絡していいから。って言ったし、多少の雑談も息抜きとして付き合いますよ。でもね?

『センパイセンパイ! 今度一緒に万事屋に行きましょう!』とか『ねぇねぇ、水野ちゃん。今度お給金出たら一緒に旅行に行かない? 私温泉に入りたいわ』とか。
 業務以外の連絡を〜、業務時間中に〜、寄越すのは〜、お辞めいただけませんかね〜〜〜〜?! と頭を抱えている毎日なのだ。いやもう本当なんでこうなった。
 確かに! 確かに日向陽さんの面倒を見ると約束したよ?! 夢前さんのことも武田さんにも任せられたよ?! でもあんまりじゃない?! なにこれ私がおかしいの?! それとも女の子同士の距離感ってこんな近かったっけ?! もうわけわからんわ!!!

 あとはもう一人の、大倶利伽羅と以前恋仲だった碇さん。あの人も最近ではようやく私に慣れてきたのか、ちょくちょくプライベートな相談もされるようになってきた。碇さんは二人と違ってメンタルがちょっと弱いから、ハッキリ言えば正式なカウンセラーに相談をした方がいいとは思うんだけど……。でも当人の希望だし……。大したアドバイスは出来ないけど、出来る限り彼女の支援はしたい。
 そんなわけで今の私は本当に、本ッッッ当に! 忙しかったわけだ!
 畑の整備は百花さんの刀たちが手伝ってくれるから何とかなってるけど……。毎日の出陣・遠征・内番・演練に加え、刀装作りや鍛刀もあるのだ。指示を出すだけでも大変なのにこの現状……。私のHPは常に赤ゲージギリギリである。

 そんな中久々に帰ってきたらまさかの『婚活パーティーに出席しろ』と来たもんだ。少しは休みが欲しい。主に精神的な意味で。

「いや、百歩譲って婚活パーティーに出席するのはいいとして、何で母さんが私の婚活なんてしてんのよ」
「あら? 知らないの? 最近では忙しい当人たちの代わりに親が相手を見繕ってくる時代なのよ? 仕事にばかりかまけている誰かさんのためにね」

 くぅぅううう〜〜〜〜!! 審神者がどんな大変な仕事かも知らないで〜〜〜〜!! 実の親だからって言っていいことと悪いことがあると思います!
 まぁ、でも実際この職業に就いてから短期間の間で二度も死にかけたんだ。母さんとしては審神者を辞めて平々凡々な一般市民に戻って欲しいのだろう。

 だけど、私自身の価値観は二度の怪異に携わったことで変わってしまった。

「あんただって結婚したくないわけじゃないんでしょ? だったら早い方がいいわよ。三十過ぎたら出産だって大変なんだから」

 ――出産。確かに昔は『結婚したら子供を産んでみたい』と思っていた。でも――。

『水野さん。少しお話があります』
『はい? 何でしょうか』

 二度目の怪異――元政府役員である水無さんの三日月が作り上げた『理想郷』から戻って一月ほど経った頃だった。百花さんと一緒にお師匠様――榊さんの元にその日も修行に言っていた私に、お師匠様はこっそり話しかけてきた。

『明日、武田さんと柊さんを呼んでこちらにいらしてください。心細ければ刀剣男士様もお連れして構いませんから』
『は、はあ……分かりました』

 百花さんがいる場で話さなかったのは小学生でありながらも責任感の強い彼女が気負うことを回避したのだろう。だから翌日、指示された通り私の担当である武田さんと、その部下である柊さんを連れて榊さんの元へと足を運んだ。そこで伝えられたことが、

『水野さんの魂が神の位へと近づいております』
『ふぁ?! か、かかか神の位?!』

 どうやら二度も命を脅かす怪異に巻き込まれ、生死の境を彷徨っただけでなく実際にあの世に逝きかけたことで私の魂が異常な程進化をしたらしい。果たしてこれを『進化』と呼んでいいのか甚だ疑問ではあるのだが、元より私の体には別本丸の刀剣男士から与えられた神気も流れている。そのうえ魂には古くから存在する土地神――竜神様も宿っているのだ。最初の怪異の時点で既に『人非ざる者』に魂が変革していたというのに、二度の怪異を経て更に変化しているとのことだった。

『はい。より正確に言えば霊力の質が変わっております。元より水野さんの魂には竜神様がいらっしゃいます。そこへ更に刀剣男士様方の神気が流れ込み、尚且つ死の直前までその魂を晒したことにより一気に力が倍増されたのだと思います』
『と、いうことは?』
『……水野さん。もしかしたらこの先、あなたは“肉体”ですら“人非ざる者”に変化するかもしれません』

 ――人非ざる者。
 それは一体どういう存在なのか。榊さん曰く『千差万別』らしい。見た目は人の形を保っていられるものなのか。それとも肉体を捨てることになるのか。それすらも分からない。
 ただ一つ言えることがあるとすれば、このまま三度、四度と生死を彷徨うような怪異に巻き込まれれば必ず『人でなくなる』ということだった。

「…………結婚って、そんなにいいもんかね」

 昔は自分がこんな体になるだなんて思ってもみなかったから――というより、魂に竜神様がいらっしゃるだなんて思ってもいなかったから、当たり前のようにどこかで結婚して、子供を産むもんだと思っていた。でも二度の怪異に巻き込まれ、生死の境に立った時。私はその思いが如何に『甘い』のかを思い知った。

「何を今更。お父さんとお母さんを見て御覧なさいよ。あんたとお兄ちゃんを立派に育て上げたのよ?」
「そりゃ感謝してるけどさ。でも……」

 両親にこんなこと、言えない。言ったところで理解してもらえるとは思えない。
 特に母はこの手の話を嫌う。自分の理解の範疇を超えているから。父は理解出来ずとも「そういうものなのか」と飲み込んではくれるだろう。だが母を説得するのは無理だ。その手のことに向かないからな。父さんは。
 だからと言って私の口から上手く説明出来るとも思わない。今後自分の体がどう変わるのか明確に分かっていないからだ。人のままでいることが出来るのか。それとも肉体ごと変わってしまうのか。確実な情報はない。

「……でも、私は――……」

 子供を、産んでみたい。

 その言葉に嘘はない。なかった。でも今は、

 ――産みたく、ない。

「何よ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「……いや。何でもないよ。ご馳走様」

 この体が『人』ではなくなった時、そして何らかの怪異に巻き込まれて命を落とすことになった時。残された命はどうなるのだろうか。

 二度目の怪異で山姥切と彼岸に逝きかけた時、私は『自分の幸せ』というものを考えなかった。では何を考えていたかと言えば、あそこからどうやって脱出して水無さんの元に行くかだけだ。それしか考えていなかった。それ以外のことなんて、思いつきもしなかった。
 あの時に少しでも『あの時こうしていればなぁ』とか『もっと〇〇がしたかったなぁ』とか考えていれば少しは違ったのかもしれない。だけど実際は自分の人生を後悔することもなく、ただひたすら目の前の問題を片づけることでいっぱいだった。
 そうしてすべての事が終わって、水無さんとの話も終わって、陸奥守に「ごめん」って返事をしてから皆に自分の気持ちを伝えた時も、結局のところ『結婚』も『出産』も頭の中にはなかった。

 二度も死にかけたからだろう。もう『子供を産みたい』という気持ちは湧いてこなかった。それどころか、自分が審神者であり続ける限りこうした怪異に巻き込まれるのであれば、その度に命が危険に晒されるのであれば、悪戯に子供を作りたくはなかった。残された命が抱くであろう悲しみや苦痛を、決して味合わせたくないから。

「結婚、かぁ」

 自室のベッドに腰かけ、ぼんやりと天井を見上げる。

 両親は一言で言ってしまえば平凡だ。兄も、風来坊気質ではあるが普通の人だ。普通に嫁さんを貰って、子供も授かって、立派に父親をやっている。一族の中で霊力を持っているのは亡くなった祖母と私だけで、皆には「よく分からない世界」だと評されている。
 それもそうだろう。だって『刀の付喪神』と言っても霊力のない人にはただの刀にしか見えないんだから。
 刀と恋愛をしている。なんて言えば確実に正気を疑われる。今度こそ母親から「審神者なんて辞めてしまえ」と泣きつかれるに違いない。でもどんなに辛くても、大変な目に合っても、審神者を辞めたくはない。
 それは単にお給料がいいからじゃない。私が、自分の意志で彼らと共にいたいのだ。
 刀剣男士の皆。私の大事な、家族のように大切で、大事な神様たち。彼らの傍にいることは、いつしか私の「幸せ」にもなっていた。

 だから、離れたくない。

 でも、母はそうじゃない。結婚して、子供を産んで。多くの人が歩むであろう当たり前の、兄が築いているような極々普通の一般的な家庭を築いて欲しいと願っているのだ。
 だから『婚活パーティーに出席しろ』なんて言って来たんだ。私を少しでも『平凡な世界』に戻すために。

「……どうしようかな」

 キャンセルすればきっとキャンセル料が発生するだろう。それに特別な理由がなければキャンセルなんて許されない。母がここまで行動を起こしたのだ。それに出席したからと言って必ずしもいい人に出会える保障だってない。ここは面倒だけど素直に出席して、適当に『いい人おらんかったわ〜』って笑って誤魔化せばいい。私の意志はどうであれ、母は善意で申し込んだんだろうし。刀剣男士たちとの事情も知らないのだから婚活を勧める気持ちも分からなくもない。
 でもなぁ……。

「あの顔面偏差値と気遣いに慣れた体に果たして現世の男はどう感じられるのか……」

 …………考えんとこ。
 溜息を一つ零し、その日は恋愛云々について考えることは止めた。


 さて迎えた翌日。両親に心配されながらも本丸に戻り、ようやく静かな空間で仕事を進めている時だった。

「主。武田さんから電話だよ」
「へ? 電話?」

 本日の近侍である小夜に呼ばれ、うっかりサイレントマナーモードにしていた携帯を手に取る。

「はい。水野です」
『よぉ。元気か?』
「はい。元気ですよぉ〜。そちらはどうですか? 毎日お忙しそうですけど」
『まぁな。仕事だから文句ばっかり言ってられねえがな』
「はは。それもそうですね」

 何気ないやり取りを二言、三言やり取りし、武田さんはいつも通り本題へと入る。

『話は変わるんだが、少し手を貸して欲しい事があってな』
「はい。何でしょうか」

 私は普段の審神者業に加え、感知能力を生かした政府の小間使いをする時がある。そのおかげで大なり小なり事件に遭遇するのだが、お給金はしっかり出るため「二度と御免じゃ!!」という気持ちにはならない。お金は大事ですよ。ええ。
 最近は日向陽さんや夢前さんがいたからあまり大きな事案に首を突っ込むことはなかったけど、声質からして厄介な事件であることは察することが出来た。伊達に何度も手伝っていない。一年弱の付き合いでも分かるものはあるのだ。

「アクセス出来ない本丸?」
『ああ。どうにも審神者専用の掲示板にその手の書き込みがあったらしくてな。アップロードされた写真に写っている座標値や本丸IDを打ち込んでも反応しねぇんだよ』
「はぁ。成程。とりあえずそっちに行きますね」
『おう。悪ぃな』

 急ぎの仕事は既に片付けた。私が必要になるのはこの後戻ってきた出陣部隊に手当てをするぐらいだろう。だから小夜に部隊が帰還したら連絡を寄越すように告げ、丁度手の空いていた短刀――薬研藤四郎を連れて政府直轄の施設へとゲートを繋ぐ。

「おう。水野さんこっちだ。突然呼び出してすまねえな」
「こんにちは。水野さん」
「忙しい所すまないな」
「皆さんお久しぶりです。それで? 件の本丸についての情報は?」

 政府の手伝いをするようになってからここに通うことにも慣れてきた。最初は役員とその補佐官である刀剣男士たちに気圧されるようにして緊張していたものだが、今はそうでもない。現にさっさと武田さんのデスクに向かうと、待機していた太郎太刀と膝丸が挨拶をしながらタブレットを渡してくる。

「これ、審神者専用掲示板ですか?」
「おう。新人からベテランまで、何でもござれの某掲示板サイトを模倣した奴だ。基本的には事件に繋がるようなことはないんだが……」
「ほぉ。結構書き込みされてるんだな。七百番まで番号がついてるぜ?」

 薬研が指摘した通り、最新の書き込みは七百番を超えている。そこに投稿された文字は「落ち着け」や「逃げろ」「とにかく身を隠せ」と新人を心配するものばかりだ。
 武田さん曰くこの書き込みは数分前に入力されたものらしく、書き込みを遡っていく。

「ここからだ。この新人審神者がどうも予定とは違う本丸に飛ばされたらしくてな」
「えー、何々? “ブラック本丸に飛ばされたかもしれない”ですって?」

 ブラック本丸。今はその数を減らしつつあるが、数年前まで深刻な問題となっていた刀剣男士を酷使する本丸のことだ。一時期はホワイト派とブラック派で鼬ごっこのようなやり取りをしていたのだが、ある日政府の役所が奇襲にあい、ブラック本丸に加担していた一部政府役員が死亡、重傷を負う大事件となった。その際その奇襲を仕掛けたのがブラック本丸で悪堕ちした刀剣男士たちであった。以来政府も刀剣男士たちの逆襲を恐れ、その数は減りつつある。
 とはいえ未だに存在しているのも事実だ。そこに新人が誤って飛ばされたというのであれば助けなければならない。しかしどういうわけか政府からのアクセス、また他本丸からのアクセスは拒否されているらしく、以前私の本丸に『道』を繋げた柊さんもお手上げだそうだ。

「そこで感知能力がある水野さんに“霊視”してもらおうかと思ったんだが……」
「本来なら俺たちにも見えるはずなんだがな」
「何か書かれている気はするのですが、何故かぼやけてよく見えず……」

 気落ちするように瞼を下ろす太郎太刀に「そうなんですか」と返事をしながら改めてタブレットを覗き込む。
 今までの私なら「いやいや“霊視”て! そんなこと出来るわけないじゃないですかー!」と全力で腕を振っていただろう。だけど悲しきかな。榊さんに『魂が変わり始めている』と忠告された日から徐々に私の目に映るものが変わって来た。
 そして遂に――。

「……コレ、相当強力な術をかけられてますね。いや、術っていうか……何だろう? 霊障、かな? 他者を強く拒んでいるような、そんな強い意思によってゲートが無理矢理閉ざされている状態だと思います」

 今まで『直感』で感知するだけだった私の力が、遂に『霊視』――ようは“眼球”にまで及んでしまった。とはいえお化けが見えるようになったわけではない。言うなれば刀剣男士に刻まれた呪いだとか、呪詛の念だとか、そういうのが視覚的に認知出来るようになったという感じだ。以前鬼崎に三日月の呪われた姿を術札を使って見せられたように、今の私にはその写真に写った『別の物』が見えていた。

「それに、これID以外の文字が写ってますよ」
「何?! 何て書いてあるんだ?!」

 どうやら武田さんには見えないらしい。慌てたようにメモ帳とボールペンを渡され、タブレット片手にその文字を書き起こす。

「189,884,667,102は多分本丸IDですよね。その上に424,256,420,444ってうっすらと見えるんです」
「元々写っているIDは反応しなかった。つーことは、そっちが正しいIDなのか?」

 武田さんたちと共に政府のゲートの前に立ち、メモ帳を確認しながら武田さんがコードを打ち込む。だが何の反応もない。ではこのIDは何なのか。うーん。可笑しいなぁ。元々のIDの方がやっぱり正しいのか? 首を傾けつつ再度ゲートに手を翳した時だった。

「ほあ?!」
「水野さん!」
「大将!!」

 突然ゲートが反応し、ギョッとした瞬間薬研が私の手を掴む。そして武田さんも私の手を掴んでくれたけど、どういうわけか引き寄せられるようにしてゲートを通り抜けたのは私と薬研の二人だけだった。

「……大将……」
「ごめんて……」

 はあ……。とドデカい溜息を零し、顔を覆う薬研には謝るしかない。だってさぁ、反応するはずのないゲートが反応したかと思ったら明らかにヤバイ本丸に飛ばされたとなれば幾ら薬研と言えど溜息の一つもつきたくなるだろう。ていうかこのパターン何度目だよ、私。

「溜息ついてもしょうがねえか。大将。俺しかいねぇが、何があっても必ず守る。偵察も俺が行う。だから無理はするんじゃないぞ?」
「うん。ごめんけどよろしく」

 まずは周囲の様子だけど、ここは最初の怪異で遭遇した『呪われた本丸』に比べれば瘴気は薄い。あの本丸は世界が真っ赤だったけど、ここは夕闇と呼んでもいい程薄暗い。紫と濃い群青に支配された世界は本丸に暗い影を落としており、虫の鳴き声一つとして聞こえてこない。
 薬研は私を守るように前に立ち、周囲を探るようにして意識を全体に向けている。

「大将」
「うん。瘴気は濃いけど、平気。多分竜神様が浄化してくれてるんだと思う。薬研は?」
「俺も大将から流れてくる霊力を通して浄化されているんだろう。特に問題はないな」
「じゃあ進もうか」

 これでも『呪いの本丸』の他にも『神域』に足を踏み入れたり百花さんの元本丸――『廃れた本丸』にも行った。他にも大なり小なり悪意や瘴気、殺意に満ちた場所に足を踏み入れたことがある。こちらだって伊達に経験を積んでいないのだ。これくらいで震えてなどいられない。

「大将も肝が据わって来たな」
「叩きあげられてきたからね」

 小声で言葉を交わしつつ、そっと本丸に近づく。今のところ近くに刀剣男士の気配はない。薬研も「奥にいるんだろう」と囁いてくる。それでも玄関口から入るのは憚られる。何せこの本丸は引き戸だからだ。わざと音を立てる必要はない。だから厨があるであろう裏口へと続く道を、足音を立てないよう慎重に、時間をかけて歩む。すると突然薬研が私の口元に手を当ててしゃがみ込む。

「………………」

 息を殺してしゃがみ込んだ先には、手入れのされていない草木が影を作っている。そこに薬研と共に小さくなっていると、薬研が感じた気配は遠ざかったらしい。ゆっくりと口元から手を離す。それでも薬研の視線は鋭くどこかを睨んでおり、私は少し早くなった心臓を落ち着けるようにして目を閉じる。

 落ち着け。落ち着け。大丈夫。それに感知能力で言えば薬研にも劣らないはずだ。この際に自分も探るようにして意識を集中させると、どこからかパキッ、と枯れ枝を踏むような音がした。

「!!」

 どうやら相手もそのことに気付いたらしい。お互いハッとした空気を醸し出す。だが薬研は刀を抜かず、暗闇の向こうにいる相手に向かって飛び込んでいく。その止める間もない、文字通りの目にも止まらぬ素早さで相手の懐に飛び込むと、相手が悲鳴を漏らす隙もなく捕獲したらしい。小声で「暴れるな。静かにしろ。捕まるぞ」と告げ、相手の手を引きながら戻ってくる。

「……あなたは……」

 薬研が連れて来たのは一人の男性だった。見た目は若い。二十代前半……いや、十代後半だろうか。どこか痩せぎすで、ガチガチと歯が震えて音を立てている。背格好は当然薬研より高いが、恐怖のせいかかなり前屈みになっており正確な身長は分からない。それでも薬研が連れて来たところに生身の人間がいることに安心したのだろう。恐怖と絶望に濡れていた瞳は更に潤み、唇を震わせながらか細い呼吸を繰り返す。

「落ち着いて。無理に喋らないで」
「大将。ここでじっとしていてくれ。少し探ってくる」
「うん。気を付けて」
「ああ」

 薬研が手を引き、私の傍に男性を座らせてから暗闇の中へと消えていく。男性はそんな薬研を追いすがるように見やった後、何故自分たちを置いて行くことを許可したんだと言わんばかりに睨んできた。

「落ち着いて。心を鎮めて。あなたの悋気を察して刀剣男士が来るかもしれない。ゆっくり、静かに、音を立てないよう、深く息を吸って」

 男性の背中に手を当て、殊更ゆっくり、噛み砕くようにして話しかける。男性は震えながらも言われるがままに息を吸い込むが、気道が狭くなっているのか、ヒュゥと乾いた音が立つ。
 ……暗いから相手の顔がよく見えないけど、これは相当参ってるな。でもここが例の本丸で間違いないだろう。ポケットに入れていた携帯を指先で確認しつつ男性に深呼吸をさせていると、索敵に出ていた薬研が戻って来る。

「屋内は瘴気が濃い。この人間には毒だろう」
「あなた、今までどこに隠れていたんですか?」

 薬研の報告をもとに考えると、この男性は既に倒れていても可笑しくはない。だが男性の体は緊張で硬くはなっているが、異様に体温が低いと感じることも、パニックを起こしている様子もなかった。まあ、かなりギリギリなところではあるけれども。

「ぁ、あそこに……しお、もって……」
「……物置?」

 裏手口近くに物置のような、大きな物体が見える。成程。そこならば瘴気も濃くなかったわけか。それにこの新人は念のため『清めの塩』を持ってきていたらしく、おかげで瘴気に当てられずに済んだようだ。

「大将、ここだと見つかる。移動しよう」
「分かった。キミ、立てる?」

 ガチガチに固まっている手にそっと触れれば、男性は大袈裟なほど肩を揺らしてからコクコクと小刻みに頷く。それに頷き返してから薬研と共に周囲に気を配りつつ、ゆっくりと腰を立てて歩き出す。

「大丈夫。ゆっくり、慎重に。足の裏に神経を集中させて、物音を立てないように。そう。その調子」

 呼気を震わせながら、それでも男性はしっかりとこちらの手を握り返して歩き続ける。そうしてゲート付近にまで近づいた時、突然薬研が抜刀した。

「危ねえ!!」
「ッ!」
「ひいッ!!」

 ギン! と甲高い音を立てて刃と刃が火花を散らす。男性はこちらの手を離すと頭を抱えて蹲る。そして薬研が襲撃を受けた方向とは別に襲いかかってくる刃の煌めきに気付き、咄嗟に胸ポケットに入れていた物を取り出した。

「喰らえ! 百花さんから貰った強力な“浄化用護符”!! あとお師匠様から貰った“簡易式結界札”!」
「?!」

 悲しいかな、刀に襲われるのは初めてではない。それに助けに来た男性を傷つけてしまえば本末転倒だ。だから本丸を出る際に百花さんとお師匠様から貰っていたお札を二枚同時に掲げれば、刃はガィン! と間抜けな音を立てて弾かれ、百花さんの浄化札によって浄化されたのだろう。切りつけてきた男士が「うぐ……!」と呻く。

「大将!」
「大丈夫! それよりも、ただの人間相手に多勢に無勢とは……少々お出迎えが派手なようですね?」

 ガチガチと男性が歯を鳴らしているが、構っている暇はない。侵入者である私たちに気付いてゲート前に移動し、息を潜めていたのだろう。複数名の刀剣男士から私たちを守るように薬研が後退するが、その眼はまだ諦めていない。とはいえ幾ら最高練度まで達し、修行に出た薬研であっても一人でこの数を相手にするのは無理だ。一か八かで話しかければ、薄闇の中から一振りの刀が前に出てくる。

「我らは如何なる侵入者をも拒む。誰であろうと関係ない」
「骨喰藤四郎……」

 歩み出て来たのは光に透けるような色素の薄い髪と、白い顔に血飛沫を飛ばしたままの骨喰藤四郎だった。うちにはいない刀だけど、武田さんと柊さんの本丸で何度か言葉を交わしたことがある。どこか儚げな少年と青年の狭間にいる刀剣男士だ。そして彼の後ろでは、浄化用札が思ったより効いているのか、白い隊服に身を包んだ刀剣男士が地に膝をつけている。

「短刀と脇差……そこにいるのは後藤藤四郎と五虎退だな?」
「ッ!」
「ひぅ……や、げん……にいさん……」

 後藤藤四郎。彼も私の本丸にいない刀だ。武田さんたちの本丸では短刀たちの「お兄ちゃん」として振舞っている刀だけど、あまり接したことがないからよく分からない。だけど五虎退は修行に出た五虎退ではないのだろう。既に修行から戻ってきたうちの五虎退とは雰囲気が違い、弱々しいままだ。

「うッ……いま、のは……」
「浄化用護符ですよ。少しは楽になりましたか?」

 蹲っていた刀が顔を上げる。薄闇の中でも白い隊服は目立つ。男はゆっくりと顔を上げると、その白い顔をこちらに向けた。

「なる、ほど……通りで……」
「お前は、打刀の亀甲貞宗か」

 刃を構える薬研が指摘するように、立ち上がった男はうちの本丸にいない打刀の一振り――亀甲貞宗だった。彼はフルフルと頭を振ると、どこか熱っぽい吐息を零す。

「ああ……久々にぞくぞくしたよ……キミ、いいものもってるね……」

 ……何だろう。何か分からんけど妙にぞくっとした。
 ブルッと体を震わせつつ、それでも視線を反らさずにいれば、亀甲貞宗は再度熱のこもった吐息を零す。

「ああ……! いい……! その冷たい瞳……! 昂るよ……!!」
「……大将。見るな」
「そんな無茶な……。ていうか私御簾してるんだけどな……」

 そもそも目の前に立ってるんだから見るなって言う方が無理だよ……。
 そんな気持ちがありありと滲んでいたのだろう。後藤藤四郎らしき存在が小さく舌を打つと、骨喰と並ぶようにして前に出て来て刃を向けてくる。

「誰だか知らねえが、これ以上本丸を荒らすのは許さねえ!」
「いや、荒す気なんて毛頭ないんですけど」
「信じられるかそんな言葉! バカにすんなよっ!」

 見れば後藤藤四郎も怪我を負っている。あの感じだと中傷一歩手前、だろうか。この手で手入れをしたことがないからハッキリとは判断出来ないけど、五虎退の足元で唸っている虎の声からして五虎退は軽傷、それでもだいぶ疲労が溜まっていることが分かる。
 だからまずはそちらに訴えかけてみることにする。

「五虎退。いるんでしょ?」
「ひッ!」
「大丈夫。あなたたちを傷つけたりしない。だから教えて? 今この本丸に、傷ついた刀剣男士は何人いるの?」
「答える義理はない」

 骨喰藤四郎に一蹴されるが、最初に斬りかかってきた時と違い動く気配がない。多分、涼しい顔してるけど骨喰藤四郎も辛いはずだ。だってここは、刀剣男士にとっては毒でしかない“瘴気”に満たされているんだから。

「じゃあ質問を変える。瘴気に晒され、倒れた刀剣男士は何人いるの?」
「っ、なぜ、それを……いや……考えれば分かることか……」

 一瞬だが骨喰藤四郎の視線が逸らされる。やっぱり。そんな気はしていた。

「約束する。私はあなたたちを絶対に傷つけたりしない。薬研も、私に手を出さない限り絶対に抜刀させないと誓わせる」
「…………大将の命令は守るぜ。俺はな」

 構えていた薬研がゆっくりと体勢を変え、翳していた本体を鞘に納めていく。そうして薬研の刃が完全に収まると、骨喰藤四郎たちの前に亀甲貞宗が歩み出て来た。

「骨喰藤四郎。後藤藤四郎。彼女の護符は素晴らしい威力を持っている。それに、考えてもご覧よ。この瘴気の中ピンピンしている。これはちょっと異常だよ?」
「……何らかの浄化用具を持っているだけだろう」

 疑ってくる骨喰藤四郎に向け、私は残っていた護符を見せるようにして両手で掲げる。

「私が持っているのは武器ではありません。先程使用した浄化用の護符が二枚と、簡易式結界札が三枚だけです。刀剣男士も、薬研藤四郎しかいません」
「殆ど事故みたいなもんだからな。俺たちがこの本丸に辿り着いたのは」

 薬研の言葉に心が動かされたのか、おずおずと暗闇に身を潜めていた五虎退が顔を出す。……やっぱり。その顔や体は血が滲み、癒されない傷があちこちについていた。

「ほ、ほんとうに……なにも、しません、か……?」
「下がってろ五虎退! 何があるか分からないんだぞ?!」
「だからしませんって。むしろよく見てくださいよ、この丸腰感。それに、私は自らの魂に宿る竜神様に誓ってあなたちを害さないと誓います」
「!!」
「竜神、だと……?」

 自らの胸に手を当て、偽りなく言葉を紡げば彼らの瞳が驚愕に見開かれる。だがすぐさま後藤藤四郎が「嘘だ!」と叫ぶ。

「人間の体に竜が宿るなんて、ありえない!」
「うーん……お気持ちはすっごくよく分かるんですけど、事実なんですよね。何なら触って確かめてみます?」
「おい大将!」

 薬研が慌てたように振り返るが、正直これ以上押し問答したくないのだ。私は。

「私を信じられないのはきっと、あなた方が審神者に酷いことをされたからなのでしょう。ですが、すべての審神者があなたたちの主と同じではありません。私のようにあなた方を助けたいと思う審神者もいます」
「…………それで俺たちが油断するとでも思っているのか」

 骨喰藤四郎は尚も睨んでくる。それでもどうしてだか、その瞳を足元で蹲る男性のように“恐ろしい”とは思えなかった。

「いいえ。ですが私はあなた方刀剣男士に嘘をつかないことを信条としております。例えそれが他所の本丸であろうと関係ありません。それに、私が信じられずとも、同胞である薬研藤四郎は信じてください」
「大将……」

 薬研の目が丸くなる。だけどすぐに彼らと向き直り、私を守るように腕を広げた。

「俺は彼女の刃だ。だからもしもお前たちが大将に向かってその刀身を向けるのであれば、俺は躊躇せずお前たちと斬り合おう。だがな、俺の大将は慈悲深く、裏表のない御仁だ。どうか彼女の言葉を信じて欲しい」

 薬研の真摯な瞳が骨喰藤四郎とぶつかりあう。そうして暫く無言で睨み合っていた二人に水を差すように、亀甲貞宗が手を上げた。

「ぼくは君を信じよう」
「!! 亀甲、お前……!!」

 後藤藤四郎が鼻息荒く近づくが、亀甲は気にした様子もなく、むしろ意気揚々と自らの刀身を掲げる。

「それよりも、君たちにこそこれを見せたい。見てくれ。この浄化されたぼく自身を」
「これは……!」

 暗闇の中でも美しく輝く刃は私からしてみれば見慣れたものだ。普段皆の手入れをしているからな。だけど彼らは驚いたように目を丸くすると、勢いよくこちらに顔を向けてきた。

「……本当に……貴様がこれをやったのか……?」
「あ、いや、私の力って言うよりこの護符のおかげです。この護符、浄化の力がすっごく強い人から貰ったものなんで」

 まだ小学生とはいえ百花さんの浄化能力はかなり高い。式神や護符を通してでしか浄化することは出来ないそうだが、それさえあれば相当強力な呪いや穢れ以外はあっさりと浄化してしまう。そんなハイパー小学生百花さんから「お姉さんに! お守りです!」と言って渡されたのがこの護符だ。正直感謝してもしきれない。実際これがなければ詰んでたしな。あとお師匠様から頂いた結界のお札も。

「……ならば、一つ問おう」
「はい」

 驚愕に目を丸くしていた骨喰藤四郎が、ようやくその手に持っていた刃を納めてこちらをまっすぐと、射抜くようにして見つめてくる。例え瘴気の中であってもどこか輝いて見える群青色の瞳は、強い意思を持った宝石のように美しかった。

「お前は、その貴重な札を俺達のために使うと約束出来るか」
「はい! いいですよ!」

 あっさりと返事をしたことが意外だったのだろう。骨喰藤四郎ではなく、後藤藤四郎が「はあ?」と素っ頓狂な声を上げる。だけどそれをするにはまず救援を呼ばなくてはいけない。私一人では浄化など出来ないからだ。

「でもここには二枚しかないので、とりあえず一枚はゲートに貼りますね」
「え」

 これには流石の骨喰も驚いたのだろう。どこか動揺したような声を上げる。だけど気にせず私は二枚のうち一枚をゲートに貼り、ポチポチと電源を押す。が、何の反応もない。

「えー? 何でー? あ。もしかして審神者の部屋に何かあるのかな?」
「おいおい大将。二枚しかないうちの札を早速使うやつがあるか」
「いや、でもゲートが繋がらないと誰も呼べないし、こっちも帰れないじゃん。とりあえずさー、審神者の部屋を浄化したらゲート繋がるかもしれないし、それが出来たら私の本丸に皆を移そうよ。そしたらお師匠様呼べるし、呼べなくても武田さんの所から太郎太刀さんたちを貸して貰えばどうにかなるかもしれないよ?」
「あのなぁ、大将。これほどまでに瘴気が満ちてる本丸なんだぞ? 審神者の部屋なんてそれこそ激やばだろうが」

 薬研の言うことを最もだ。だけどゲートを直接浄化しても、操作をするために必要な機材や主電源があるはずの審神者の部屋に行かないと動かないのであれば意味がない。それにこのままだと私たちも帰れない。帰れないということは救援も呼べないし、とここまで考えてふと思い出す。

「ねえ、キミ。そういえば掲示板に書き込みって今でも出来るのかな?」
「……へ?」

 まさか話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。鼻を啜りつつ男性が顔を上げたので、もう一度「ネット。繋がらない?」と尋ねてみる。すると男性は震える指で携帯をズボンのポケットから取り出し、画面を立ち上げる。

「あ、う、うごきます……」
「電話は? 繋がる?」
「いえ、ね、ねっとだけ……」
「そっか。じゃあ代わりに書き込んでもらえる? 私その手の掲示板に書き込んだことないから勝手が分からないんだよね」
「は、はいっ」

 どうやらスレッドは新しいものに切り替わっているらしい。コテハン? とやらを付けた男性が震える指で自分が無事であること。それから突如反応したゲートから私が来たことを必死に書き込んでいく。すると即座に「そいつは信じられる者なのか?」とか「そいつのIDを」とか、とにかく疑われる疑われる。あんまりにも疑われるものだから思わず笑えば、薬研から「大将……」と再度頭を抱えられた。

「笑ってる場合か! 助けに来た大将を疑うとか、気持ちは分らんでもないがやめてもらいたいぜ」
「や〜、でもしょうがないよ。瘴気に満ちた本丸に突然飛ばされた彼を生かそうと皆頑張ってたんだからさ。君もよく頑張ったね。偉い偉い」
「っ?!」

 蹲っているため自分の腰辺りにある頭を撫でれば、男性は勢いよく顔を上げる。携帯の光に晒されて気づいたけど、思ったよりこの人若いな。学生かもしれない。じゃあ相当怖かっただろうなぁ。なんか見るからに陰キャっぽいし。夢前さんとは正反対だ。

「さて。皆疑ってるみたいだけど、その中に私の担当が何か書き込んでるかもしれないから、少しだけ遡れたりする?」
「あ、いや、それならみんなに聞く方が早いかと……」
「あ、そうなの?」

 掲示板はまとめとかを見るぐらいだったからあんまり知らないんだよね。それでも青年が幾分か落ち着いた様子で「政府の役員の方いますか?」と打ち込めば、即座にレスポンスがついた。

「あの、コテハンに『Mの担当者』って方が……」
「あー、多分その人だ。とりあえずMは無事です。って打っておいてくれる?」
「は、はい」

 どうやら武田さんもスレッドに書き込んで私を探しているらしい。そのスレッドを遡れないのは残念だけど、続けざまにあのメモに記したIDが本丸に繋がった事、本丸は瘴気に包まれゲートが動かないこと。瘴気に汚染された刀剣男士が何名かいることを打ち込んでもらう。

「ところで、君たちは大丈夫なの?」
「…………怪我なら問題ない」

 黙ってこちらを見ていた骨喰藤四郎に問いかければ、すぐさま視線を反らされる。だけど携帯から零れる光でその顔色が悪いことが見て取れ、私は軽く息を吐いた。

「しょうがない。薬研、ちょっと手ぇ貸して」
「……俺は反対だ」
「言ってる場合じゃないでしょ。最優先は彼を帰還させることだけど、皆も放っておけないよ。今までだってそうしてきたでしょ? だから多少の痛みも怪我も許容範囲内。ね?」

 ものすごーく渋い顔をする薬研に、ダメ押しとばかりに「お願い」と続ければ、本日最大級の溜息を零される。そうして本当に、ほんとーーーーに嫌そうな顔をして私が差し出した手の甲をピッと本体で切りつけた。

「ッ! なに、を……」
「いいから。気持ち悪いかもしれないけど、私の血を口に含んで」
「な! そんなこと出来るか!!」

 噛みついてくる後藤藤四郎を薬研が抑えてくれる。そして躊躇する骨喰と涙目で震える五虎退を尻目に、亀甲貞宗が私の手を取り、赤い舌を伸ばして滲み出る血を舐めとった。

「亀甲!」
「ん……んんッ……! これは……すごい……!」

 ほう、と吐息を零す亀甲は、ふらふらと酒に酔ったような足取りで後退する。そうしてぼうっと視線を彷徨わせた後、地面に両手足をついた。

「ああ……! この溢れる神気……! きみは、なにものなんだい……?」

 うっとりとした瞳で見つめられるけど、何でだろうな……。寒気が止まらねえんだ……。
 そっと目を反らし、今回はキチンとポケットに忍ばせていたハンカチで軽く唾液を拭き取る。そしてじんわりと溢れる血を再度骨喰に向ければ、彼は意を決したように私の手を掴み、その血を吸い上げた。

「うッ!」
「兄さん!」
「にいさん……!!」

 骨喰は喉元を押さえて数歩後ずさったかと思うと、すぐさま後藤が睨んでくる。それに反応したのは当然薬研だ。私を庇うように前に出てくるが、すぐさま骨喰が「だいじょうぶだ……」と声を上げる。

「こんな……ありえない……この神気は……ひとが、もてる、はず……」
「にいさん、しっかりしてください……!」

 五虎退が涙目で骨喰を支えようと手を伸ばす。だけど項垂れていた骨喰は、先程とは違い縋るような眼差しでこちらを見上げた。

「おまえは……なにものだ……?」

 亀甲といい骨喰といい、めっちゃ疑ってくるやん。まぁ気持ちは分らんでもないけど。再度息を吐き、骨喰の説得を受け渋々血を舐めた後藤と五虎退も驚いたようにこちらを見上げてくる。

「大将。ほら、傷の手当するぞ」
「ありがとう」

 大きめの絆創膏を一枚取り出し、薬研は私の手に貼ろうとする。だけどその前にふと動きを止めたかと思うと、恭しい動作で私の手を取り、その傷口に舌を這わせてきた。

「ぅおう?!」
「相変わらず色気のねえ声だなぁ。ま、それが俺らの大将か。帰ったらキチンと消毒してやるから、これで勘弁な」
「う、ん。ありがとう」

 綺麗に貼られた絆創膏の下。薬研に舐められたという事実にちょっとドキリとする。
 そもそも何故私が刀剣男士に血を与えたかと言うと、この体に流れる霊力――もとい『神気』を彼らに流すためだ。本来なら契約した男士以外には感じ取れないものだが、この体には常に私の霊力と交ざった神々の神気、そして竜神の力が微量ながらも流れている。らしい。実際はよく知らんけど。以前私が包丁で指を切った時に咄嗟に舐めた大倶利伽羅が教えてくれた。「お前の血から竜神の気配がする」って。
 あとはその、月のアレで布団を汚してしまった時に血の匂いに気付いて駆けつけてきた皆から言われたから間違いない。あれは……恥ずかしかったな……。もう二度とあんなことにならないよう絶対、絶対気を付ける。でも夜中に始まると予防のしようがないよね……うん……。
 話が逸れたが、百花さん程の浄化の力を持っていない私でも竜神様は違う。だから竜神様と、私に神気を与えてくれた刀剣男士たちの気が混ざっているなら彼らの瘴気を少しは抑えてくれるんじゃないかと思ったわけだ。実際それは成功したらしく、というよりむしろ効きすぎているのかもしれない。皆の顔が赤い。

「薬研。アレどういう状態?」
「ぱっと見だが大将の神気に酔ってるんだろう。酩酊するほどではないから気にすんな」
「そっか。じゃあ審神者の部屋に案内してもらおう」

 だけどその前に、と未だに座り込んでいた青年を見下す。

「まずは自己紹介、かな?」

 ぐずっ、と鼻を啜る青年は、ぽかんとした顔でこちらを見上げていた。



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