小説
- ナノ -


爪先に熱


*カルジナにスパイスを加えるマーリンのお話。



 あ。と思った時には遅かった。パキッ、と音を立てて割れ、先が欠けた爪先を見つめてガネーシャは「またか」と言わんばかりに溜息を零す。

 それはシミュレーションでの仮想戦闘が終わったばかりでのことだった。幾らシミュレーションとはいえ戦いは戦いだ。自身が傷つくことは勿論、他者を傷つけることすら厭うているガネーシャにとってこれ以上面倒且つ胃に重い行いはない。
 もとより依代に選ばれたジナコ自身が引きこもり気質である。ゲームであれば例え高難度であろうと喜んで受けて立つが、自身が戦場に立つなどもっての外である。
 斧を持つなど、それこそ依代に選ばれなければ永遠になかった事だ。それほどまでに『戦』から離れた存在がジナコことガネーシャであった。

 そんなジナコは昔から爪が脆く、些細なことですぐに割れたり表層が剥がれてしまう。爪も肌と同じで栄養の偏りやストレスなどで脆くなる。現段階で「労働」「戦闘」と二重苦が課せられているのだ。これを取り除くには悠々自適な引きこもりライフが一番なのだが、そうなると今度は食事での問題が出てくる。
 ノウム・カルデアには料理上手なサーヴァントがボランティア活動の如く料理を提供してくれているが、部屋に引きこもるとガネーシャが口にするのはもっぱらお菓子である。神の権能を大いに用いて取り寄せた数々の甘味類では栄養バランスなど取れるはずもなく。ガネーシャの母親であるパールヴァティーが率先して部屋から引きずり出し、食事を摂らせているのが現状だ。
 更に最近ではパールヴァティーに何か言われたのか、怒りの化身、ニートの天敵である怒りんぼくんことアシュヴァッターマンや、アルジュナまでもがガネーシャの部屋に顔を出している。自分のペースを散々狂わされている現状、ガネーシャに「ストレスフリー」という単語は非常に遠い存在であった。

(ま、別に嫌なわけじゃないんスけどね)

 歪に割れた爪先を他の指で弄りつつ、マスターたちと共に反省会をする。
 今回メンバーに選ばれたのはセイバーのランスロットと冠の位を持つキャスター、マーリンだ。そして後衛にはエレナ、ナーサリー、アナスタシアがいる。
 数多の戦場を駆け抜けたマスターであっても「色んな組み合わせを見てみたくてさ」という子供のような好奇心があるらしい。現在バスター宝具やクイック宝具などのサーヴァント同士で編成を組み、仮想戦闘を繰り返しているとのことだった。
 そして本日例に漏れずガネーシャ神も編成に組み込まれ、マーリンと共にアタッカーであるランスロットにNPを配布したり壁役になっていた。今回爪が割れたのは最後の一撃を受けて出来たものだ。怪我とも言えない些細な出来事だ。わざわざ医療班に治療してもらうレベルでもない。
 反省会も終わり各自解散しようとする中、ガネーシャが爪先を弄っている姿を目にしていたのだろう。ランスロットがその長身を折るようにしてガネーシャを覗き込んでくる。

「どうしました? レディ。どこかお怪我でも?」
「ひえっ?! あ、あー、いや、何でもないッスよ。ピコっと爪が欠けただけなんで……」

 ガネーシャにとっては「よくある事」だ。だから深い意味はなく、本当に「大したことないのだ」と伝えるためにも軽く手を振る。だがランスロットはカッと目を見開くとその手を取り、痛ましそうに表情を歪める。

「何と言うことだ……。このような可憐な爪が欠けてしまうなど。レディ。すぐに治療を、」
「いやいやいや! 大丈夫です! 全然! 平気ですから!!」

 ただでさえコミュ障のヒキニートなのだ。名のある円卓の騎士に傅かれているだけでも大変なのに、こんな爪が欠けたぐらいで騒がれたら堪った物ではない。
 ランスロットの手から逃れようと手を振れば、密かに聞き耳を立てていたらしい。お人好しのマスターでさえ時折「グランドクズ」と悪態をつくマーリンが「おや」と声を上げる。

「これはこれは。随分と痛ましそうだね、レディ」
「痛くないッス! これぐらい全然、マジでめっちゃくちゃ平気なんで!」

 だからもう解放してくれないか。
 引きこもりたくなる気持ちでいっぱいになりながらも否定すれば、マーリンは「ふむ」と顎に指をあててから微笑む。

「なぁに、これぐらいなら私にでも癒せるさ」
「へ?」

 ランスロットの手からマーリンの手へ。ガネーシャの小さな爪が嵌め込まれた指が移り、そこにマーリンの唇がそっと宛がわれる。そして軽いリップ音の後、その手は離された。

「――へ? うえええ?!」
「はい。魔力を送り込んだからね。擬似とはいえ君もサーヴァントだ。この程度なら魔力を回せばあっという間に治るよ」
「ま、え?! あ。本当だ」

 マーリンの口付けに驚きはしたものの、促されて見つめた爪先は元に戻っている。むしろ見間違いでなければ他の爪よりも綺麗になっている気がしないでもない。
 他人に魔力を配ることが多かったから抜け落ちていたが、ガネーシャの魔力保有量は多い。こういう時は自分に回せばいいのかと戦闘に不慣れなサーヴァントらしくしげしげとそこを眺めていると、ロクでもないことを考えついたのだろう。マーリンは再び口元を緩めるが、すぐさま気付いたマスターに「コラ」と釘を刺される。

「ちょっとマーリン。ガネーシャさんにちょっかい出さないでよ」
「あ、違うんスよマスター。マーリンさんはボクに魔力をくれただけで……」
「え?! ガネーシャさん魔力足りてなかったの?!」
「いやそうではなく!」

 どうにか弁解すると、マスターは「大したことがなくてよかった」と苦笑いを浮かべる。

「でもそういうのはちゃんと言ってね。治療するから」
「えへへ。ありがとう、マスター。あ、マーリンさんもどうもッス」
「いえいえ。どういたしまして」

 優しいマスターだ。ガネーシャは内心反省すると共にマスターの良心に頬を緩めていると、本日非番であったカルナがシミュレーションルームに入ってくる。

「反省会は終わったのか?」
「あ、カルナ。そうだねー。とりあえずアーツパは手堅く行けることが分かったから、明日からはアタッカーとサポーターの割合を変えて編成組もうかな」
「そうか。収穫があったようで何よりだ。ところでガネーシャ神。その指はどうした」
「へ? 指?」

 カルナの冷徹とも取れる視線がガネーシャの指先に注がれる。思わず治療されたばかりのソコに視線を向ければ、ガネーシャの対面にいたマスターが「やっべ」と言わんばかりに顔を青くした。

「ああ、これっスか? 別に大したことじゃないッスよ」
「それでも、だ。ガネーシャ神とは別の魔力を感じる。マスターのものでもあるまい。シミュレーション先で遭難でもしたか」
「してないッス。どんだけ頼りないと思ってんスかアンタは。いや、まあ疑いたくなる気持ちは分からなくもないッスけど。でもそれとこれとは今回関係ありません。単なる体質の問題ッス」

 ガネーシャ神にとって爪が欠けるなど、言ってしまえば「ほぼ茶飯事」なのだ。だがカルナにとって爪が欠けるなどそうあるものではない。加えてマスターとも違う魔力をその身から感じれば不振にも思うもの。器用に片眉を跳ねるカルナに、ランスロットが一歩前に出る。

「失礼。こちらのレディが怪我をしていたので、マーリンが緊急治療を施したのです」
「怪我?」
「いや! そんな大したことじゃないから! 怪我っていうか爪がピコっと欠けただけだから!」
「爪が? 欠けた?」

 訝しむカルナは一息でガネーシャとの距離を縮めると、焦ったように突き出されていた手を取り眉間に皺を寄せる。

「……成程。花の魔術師の魔力だったか」
「大きな怪我でなくともレディの体に疵を残すわけにはいかないからね」
「ふむ。気遣い痛み入る」
「何でカルナさんがお礼を言うんスか!」

 どこか呆れた顔をするガネーシャではあるが、カルナは「当然のことだ」と返してから再度マーリンとランスロットに視線を戻す。

「此度のことはガネーシャ神に代わって礼を言う。だが失礼を承知で提案したい。今後同じようなことがあれば、緊急時を除き俺を呼んでくれないだろうか」
「いや何故?! 何故カルナさんを呼ぶ必要があるんスか!?」
「魔力の譲渡であれば俺でも出来る」
「だからってカルナさん呼ぶ必要なくない?! 今後はガネーシャさんが自分で何とかするッス!」

 わーわーといつものように噛み合っているようないないようなやり取りを繰り広げる二人を尻目に、どこか疲れたような顔をしたマスターがマーリンの脇腹を突く。

「ちょっと。あの二人掻きまわさないでよ」
「いやいや。彼の“嫉妬”の味は存外スパイスが効いていてね。中々癖になるんだ」
「はー……。もう止めなよ。カルナに焼かれても知らないよ? あとランスロットも。マシュが凄い顔してるから早く弁解しに行った方がいいんじゃない?」
「とぅわ?! ま、マシュ! 待ってくれ、今のは……!!」

 慌ただしく出ていくランスロットを見送り、マスターは再度ため息を零す。

「はいはい! カルナさんもガネーシャさんも続きはお部屋でどうぞ」
「ちょ、マスター! マスターからも何とか言ってくださいッス! この人全然ボクの話聞かないんスよ?!」
「む。それは誤解だ、ガネーシャ神よ。俺はお前の話はキチンと聞いている」
「じゃあ何でさっきから噛み合わない会話を繰り広げるんスか!!」
「はいはいはい」

 マスターに背を押されつつシミュレーションルームを出ていく二人。その高低差の激しい一組の男女を眺めながら、人の感情を理解出来ない夢魔はくすくすと笑う。

「――ああ、本当に焼かれてしまいそうだ」

 舌をピリピリと焼く感情。それは紛れもないカルナの“嫉妬”がもたらす感覚だ。マーリンは久しく感じていなかった“スパイス”を再度口の中で転がしながら、もう一度子供のように「フフフ」と笑うのだった。


***


「あーもー、本ッ当カルナさんってば過保護なんだから」

 マスターに背を押され、自室に辿り着いたガネーシャは悪態をつきながらベッドに腰かける。対するカルナもその隣に腰かけると、先と同じようにその手を取って爪先を見つめる。

「先程も思ったのだが、ガネーシャ神よ。お前の爪は赤子のようだな」
「は? 何スか。赤子のように小さくて脆いって言いたいんスか?」

 ガネーシャも何となく「自分の爪は小さいほうなのだろうな」という自覚はあった。別にネイルに興味があるわけでなかったが、テレビや雑誌で目にするモデルたちに比べて爪の面積は狭く小さかった。
 カルナもそれに気づいたらしい。フニフニと猫の肉球を楽しむ様にガネーシャの指を触りながら、爪を親指の腹でなぞっていく。

「このような脆弱な爪でよく戦場に立てるものだ」
「心配してくれてるんだろうけど喧嘩売ってる様にしか聞こえない」

 だがカルナの言葉には一理ある。実際ガネーシャ神の爪は脆い。柔く、薄く、小さい。三重苦とも言える。そのため爪を伸ばすことも出来ず、例え伸ばしたとしても少し力を加えるだけで簡単に曲がってしまうのだ。
 カルナは飽きもせずじっと小さな手を見つめると、先程マーリンが施したようにそっとその手を唇に押し当てた。

「――は?! な、なななな何してるっすか! カルナさん!」
「俺の魔力で上書きしようと」
「上書きって何?! 魔力の上書きって出来んの?!」

 狼狽えるガネーシャにそっと目を細め、カルナは再度指先に唇を落とす。

「ひぎゃあ!! カルナさん離して! もう十分だから!!」
「いやだ」
「嫌だ?!」

 顔を赤くしたり青くしたりと忙しいガネーシャに、カルナはどこか拗ねたような口ぶりで「すまない」と告げる。

「どうにも俺は、お前の体から他人の魔力を感じることが許容出来ないらしい」

 は? と目を丸くするガネーシャの手を、カルナは両手で包む様に覆ってからその涼し気な瞳でガネーシャを射抜く。まるで神隠しされているかのように姿が見えない、“誰か”を見つめるように。

「君に施すのは俺でありたい。凡夫の身で驕るなと思うだろうが――悪く思え。こればかりは譲れない」

 もはや推しが何を言っているのか理解出来ない。
 すっかりキャパシティーオーバーになってしまったガネーシャはただ茫然と「そうッスか……」としか答えることが出来ず、またその答えを『了承』の意だと勘違いした施しの英雄が嬉しそうに微笑む。

 後日うっかりそれをマスターに漏らしたカルナがガネーシャに叱られるまで、マーリンは悪戯小僧よろしくニコニコと微笑んでいた。


終わり

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