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あとがき兼解説



【あとがき兼解説的な何か】


 はい。長々と【NEW! 喪女審神者奮闘記】にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。m(_ _)m

 いや〜。完結するまでにこんなに時間がかかるとは。いえ、途中別ジャンルに浮気した自分が悪いんですが。
 それでは改めて本編には入れきれなかった設定と言いますか、裏話と言いますか。解説的な何かを始めさせていただきたいと思います。

 まずは【水野】と【水無】からです。水野は言わずもがな前作と同じ登場人物なので割愛します。ですので【水無】について少しだけお話させてください。
 彼女は前作の【鬼崎】とは違い、刀剣男士を『神様』として敬いすぎた結果狂った女性です。信仰心も、献身的で、ある意味では盲目的な愛も水野よりも遥かに大きな感情として抱いているのですが、それをコントロール出来なかったのが彼女です。水野は自分の気持ちを伝えることを躊躇しない性格ですが、水無は言えない性格だったため爆発しました。

 水野と水無は反対のようで実はよく似ています。刀たちに愛されているということ。神様を大事に思っていること。仕事に対して真面目なこと。責任感が強く、頼られたら断れないところなどもそっくりです。ただ違うとすれば、それは『人類の歴史』に対する価値観の違いです。水野は『過去は過去。今に繋がる大事なこと。無くなったら困るけど、その時々の生活を今更どうこう言うつもりもするつもりもない』という割り切った性格です。水無は逆に『過去に起きた全ての凄惨な事件を憎む。人間の醜さ、律しきれなかった欲望の醜さ、それらが受け入れられない』タイプです。その違いがあるせいですれ違い、こうして事件を起こしてしまったわけです。なので彼女の名前を付ける時も、『水野とはよく似ている。けれど水野にはあっても彼女には“無い”ものがある』そういう意味合いを込めて【水“無”】にしました。出会い方が違えばきっと良き理解者、あるいは良き友人になれたであろう二人ですが、そうはならなかった。今回はそういうお話でした。

 さて、そんな彼女ですが、水野にはあって彼女にはないものとは何かというと、意外にも幾つかあります。
 一番は【竜神様】というチート的な存在。これは水野の特権ですね。通常神を身に宿している人間なんてそうそういませんから。しかもそんな上位神が相手でもバンバン自分の意見をぶつけるのも水野の特権というか、性格的な特徴というか。単なる怖いもの知らず、というよりは正直すぎるバカなだけなのですが、それも水野の特徴の一つではあります。正直すぎるバカ。大事じゃないしテストにも出ませんが、覚えていただけると嬉しいです。(笑)

 次点では刀たちに対する愛情です。勿論水無も刀たちを大切に思っていたのですが、水野とは違い、そこに【親愛】の情はありませんでした。【敬愛】すべき心はあっても、彼らに【親愛】の情を抱くことは出来なかった。だから刀たちとフレンドリーに接するなんて畏れ多くて出来なかったし、そもそも恋心を抱くこと自体が禁忌で忌むべきことだと憎んだわけです。
 対する水野は最終話でも口にしていたように「みんな大好き! だから一番とか選べない!」と堂々と言ってしまうタイプです。正直すぎるバカ再びですね。だけど「バカな子ほど可愛い」と言われるように、そんな主を刀たちは憎めずにいます。宗三が口にしたように時には憎らしく思うときもあるでしょうが、最終的には許してしまう不思議な力を持った存在が水野です。その潔さも水無にはないものの一つです。
 水無が部屋の隅で怯えて震える女性なら、水野は恐怖の対象に震えながらも立ち向かう度胸と度量を持っています。殺されるかもしれない。と思いながらも頭のどこかで助かる術を探している。そのくせいざとなったら自分の命を投げ出してでも誰かを助けることを躊躇しない。そんなどうしようもないバカだからこそ、きっと神様たちは手を貸したくなるんでしょうね。水野はそういうキャラクターです。

 それでも水無が魅力のない人物かと言われたらそうでもなく。彼女の刀たちは曲がりなりにも彼女を気にかけ、愛していました。
 水野が無神経なら水無はかなりの神経質です。だから病んでしまった。彼女の特徴を分かっていたからこそ山姥切は常に彼女を気にかけ、心配しておりました。そして燭台切はそんな山姥切に嫉妬するようになり、三日月は主である水無の『救済』を選んだのです。三者三様、それでも確かに彼らは水無を愛していました。これは本当です。
 ただ水無はこれを受け入れることが出来ませんでした。驚き、戸惑いながらも「受け止める」と宣言した水野とは違い、「自分が神に“愛される”などありえない」「自分なんかが」と閉じこもってしまいました。そしてそんな神様たちの愛情こそが、水無を追いつめ苦しめたわけです。ままならないですね。
 そういう意味でも『受け入れることが出来た』水野と『受け入れることが出来なかった』水無。という対比が出来ます。似ているけれど違う。そんな二人を書くのが今回の目標でした。

 ですので、水無も最初から心のどこかで『自分たちは似ている』と思っていました。それでも認めたくなくて水野に辛く当たっていたところがあります。それでも結局水野はそんな水無も『受け入れた』からこそ、彼女は最後に『自分とお前はよく似ている』と認め、口にすることが出来ました。救われたというよりは諦めた、という感情の方が近いのでしょうが、今までの水無から考えるとそれだけでも大きな変化です。今後彼女の性格が良い方向に変わっていくといいな。と思います。
 決して憎むべき相手ではない。今回の黒幕はそういうキャラクターにしたかったので、彼女のことをあまり嫌わないで頂けたら嬉しいです。

 それでは本編内の各話について解説をしていきます。(めちゃくちゃ長くなるので気にならない人は読まなくても大丈夫です)

 まず一話からですが、これは水無が最終話で説明していたように、彼女はまず最愛の刀を喪った審神者たちの心を壊し、本丸を操り、刀たちの力を削いでいった。というのが大前提のお話です。
 ただ鬼崎が根っからの【呪術】であったのに対し、水無は【神経系術式】ですので【呪術】ではありません。分かりやすく言えば【催眠】や【洗脳】の部類に入ります。そのため普段なら絶対にしないようなことをするように仕向けることが出来ます。
 百花の場合は【刀を喪う恐怖を助長させる】→【刀を地下室に閉じ込めるようになる】→【本丸自体に寄り付かなくなる】と、こんな感じです。今剣にかけた「姿を見えなくする術」も教えたのは水無です。これは【視神経】を操る術の一つです。百花は【式神】が作れる程の術者ですが、幼いため精神操作に対する抵抗力を持っていませんでした。だから水無の術に嵌った設定です。
 他の四名は特別な力を持っていなかったうえ、精神的に脆くなっていたところを水無が突いてあっという間に陥落させました。因みに操られたこんのすけも政府に回収されております。新しい本丸で頑張ってほしいですね。

 それと、ムリな進軍についてですが、後半はこんのすけを操ってしたことですが、最初は審神者たちを精神的に狂わせてから行わせたことなので刀たちは審神者たちからも進軍させられています。そして疲弊し、身も心も弱りきった刀剣男士たちに水無は術を掛けました。これはマスターキーを使って本丸に侵入し、本丸そのものに術をかけた水無の力です。本丸の至る所に術札が貼られていたのはそのためでもあります。他にも【視神経】や【精神】にも作用する術札を貼っていますが、感知能力があるうえ竜神を体内に宿す水野には一切効かなかったため本丸の正式な姿が水野には見えた。ということです。
 榊さんはもともと水野よりあらゆる能力が高いので、自前の能力で看破しております。榊さんも竜神様並みのチート能力を持っていますが、本人がのんびりしたお人なので悪用することはないです。優しいおじいちゃん枠ですね。

 二話と三話は特に説明する場所がないはずなので割愛します。

 続いて四話のタイトルにもなっている【神域】について。水野は【神様か死者しか行けない】と思っていますが、実際はちょっとだけ違います。
 あそこに入れるのは特別な“清らかな力”を持った者だけです。なので【浄化能力】を持つ百花(この時の彼女は霊体のような、意識だけのような不安定な存在)と、体内に竜神(上位神)を宿す水野だから入れたのであって、他の四人の審神者は入ることすら出来ません。というより、そもそもどうして本丸が【神格化】したのか。そして水無の刀たちに何があったのかと言うと、水無は本丸を【神格化】させ、後の“理想郷”とするために本丸に霊力を貯めることを決めます。そのためには相当な力がないと出来ません。そこで取った手法が、一時的に「刀剣男士たちの霊力を動力源として使う」ことです。勿論これは最終手段といいますか、信仰心の強い水無にとっては最も使いたくない手法ではありました。ですが彼女が試したどの方法でも霊力を貯め続けることが不可能だったため、彼女は「いずれ“理想郷”が出来上がった時に彼らを元の姿に戻そう」と決め、このような暴挙に出ました。ですがあまりにも力を貯めすぎた本丸は遂に『時空の狭間』を彷徨うようになりました。それが偶然万事屋近辺と繋がり、神を宿していた水野が惹かれたわけです。
 神格化された本丸は言ってしまえば神にとっての『宮殿』と同じで、時間の流れも狂っています。現実世界ではほんの数秒の時間でも、あそこでは数日たっていたり、またその逆もあったりと規則性はありません。そういう不確かな場所だと思ってください。

 さて、では本編(四話三ページ目)で書いたこのセリフ。

『――り――りよ、むり、むり、むり……! こんなの無理……! 耐えられるわけがない! だって私は――』
『そうだ――を――して――――してしまえば……――私は――』
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! でも、私には――なんて耐えられない……!!』
『さようなら、――――』

 これは徐々に壊れていく水無のことを本丸が記憶していたのを水野が読み取ってしまったものです。穴埋めすると、

『無理、無理よ、むり、むり、むり……! こんなのは無理……! 耐えられるわけがない! だって私は“神に愛される資格なんてない”』
『そうだ。本丸を神格化して、神が住まうための“本丸”として新たに作り直してしまえば、私はもう必要ない』
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! でも、私には“神々たる刀剣男士様達の主になる”だなんて耐えられない……!!』
『さようなら、私の神様』

 というような具合になります。そして最後の『あなたも私と一緒ね』という台詞は水野に伝えたものではありません。それは水無の本丸に“最愛の刀”を喪った審神者たちに、山姥切を喪った水無が掛けた言葉が再生されたものです。ただこの台詞に文字通りの慰みはありません。水無はこの時点で五人の審神者たちを疎ましく思っていたので、内心はかなり侮蔑しておりました。同時に自分のことも憎んでいましたが。水野の本丸同様、力を持った本丸だからこそ出来た妙技ですね。捏造万歳。


 それから五話の『主』で出てきた【行方不明になった審神者のデータが無くなっている】件についてですが、これは紛れもなく水無の犯行です。
 彼女は神経系の術が使えますから人目を盗んでデータを盗むことをせずとも、管理している人たちに術を掛けてデータを消せばいいだけなので鬼崎のように手の込んだことをしたわけではありません。でも立派な犯罪です。この件については田辺が署で詳しく話を聞くことになっていますが、本編に関係ないので書きませんでした。同様に【行方不明事件】を担当していた政府役員、また警官たちも水無の術により記憶の操作をされているため覚えていません。これが解かれたら思い出しますが、現状は忘れたままです。

 そんな警察官である田辺ですが、本編中に書いてはいませんが、彼も少なからず水野に対して好意を抱いています。それが恋愛感情かと聞かれたら違いますが、彼は彼なりに水野のことを気にかけています。でなければ毎回水野の隣に座ったりしません。ただ水野には一ミリも伝わっていませんが、何となく陸奥守は察しています。ただしそれが自分と同じ気持ちなのかどうか分からず、彼の背中を見ていた。というのが会議の時のシーンになります。因みに何故田辺の長谷部が毎度水野を見ているのかと言うと、
『この女か。主が気にかけているのは。だがどのあたりがいいのかサッパリ分からん。人間の美醜については伏せるにしても、主ほど秀でた人が惹かれる要素が見当たらんな』
 的な気持ちを抱いているのでついジロジロと観察してしまうわけです。悪気があるのかないのか。結果的にこの視線も相まって主従共々苦手意識を持たれている田辺なのでした。
 因みに最終話では何故長谷部ではなく骨喰を連れていたのかと言うと、単に長谷部を長期遠征に出していて戻って来ていなかったからです。長谷部を会議に連れてくるのは後の仕事がスムーズに進むからであって、特に可愛がっているわけでも近似として固定しているわけでもありません。そのためその日手が空いていたうえに他の仕事も入っていなかった骨喰を連れただけのこと。深い意味はありません。かといって冷たいわけでもありませんが。田辺は水野ほど刀に思い入れがあるわけでもありませんが、鬼崎ほど道具として酷使しようと考えているわけでもありません。割と感性は一般的といいますか、仕事の一つとして割り切っているだけなので冷たいというわけでもありません。が、ただ単に伝わらない性格なだけ。割と損している人なのです。自覚はありませんが。

 日野は文字通りの『情報通』であり、田辺のよき理解者です。田辺は彼の行いに毎度呆れてはいますが、日野の明るさは正直なところ半分は作られたものです。元々根っから明るい人ではあるのですが、審神者という特殊な職業についた人たちの精神を安定させるために敢えてあのテンションで仕事しています。実際はもうちょっと落ち着いたところもあるのですが、審神者の前に出る時はいつでもあんな感じなのできっと水野も田辺も彼の“落ち着いた姿”を見ることはないと思います。あと意外と頭が切れるタイプでもあるのですが、今回は特異な事件だったためその頭脳が発揮されることはありませんでした。そういう意味でも田辺とは良きパートナーなのですが、水野が知ることはありませんでした。
 因みに武田と柊が『対審神者専用の役員』であることに対し、日野は『事件が起きた時に実際に警察と共に協力し、捜査する』役員なので、実のところ仕事内容は武田たちと少し違います。それでも担当している審神者は複数名います。その辺も優秀だからこそ出来るのですが、やっぱり水野は知らないままでしょう。彼も彼でちょっと損をしているキャラなのでした。



 そして六話『一念発起』にて竜神様は水野に何を伝えようとしていたのか。これはお叱りが半分と、これからについての忠告をするためでした。ですが水野が“声”や“思念”を聞き取る力――ようは“巫女としての力”――が欠けていることに気付き、諦めて自分が動くことを決めたシーンでもあります。分かりやすく説明すると
『お前さんもうちょっとしっかりしなさいよ。これからもっと大変なことになるんだよ? 分かってる?』
 的なことを言ったのに、水野が「え? 何だって?」状態に陥ったので、
『はーもうしょうがないなぁ。自分が動くしかないかぁ。よっこらせ』
 っていう感じです。そしてこの時に飛び立った先が後の大典太との一騎打ちに繋がり、その後の水野の体を【神域】と化し、また“母”と連動していたことにより“黄泉の入口”と化していた本丸に連れて行くところに繋がります。

 さて、では何故大典太の傷が手入れ札でも治らなかったのか。(八話、三ページ目)
 これは後々竜神様が自分と水野がいる“理想郷”を繋ぐための触媒とするため、敢えて大典太には通常とは違う傷を作ったからです。この傷口と、大典太の血と霊力とを繋げて竜神は水野の本丸と“理想郷”を行き来するようになります。なのでこの時大典太は中傷状態をずっと維持していたことになります。辛い。そのうえ竜神の“触媒”とされたことで“理想郷”に突っ込んだ時は先頭にいました。中傷なのに。可哀想。その後更に戦闘ですから、本当陰の功労者です。
 水野が入院している間に傷は武田が治療しました。その時には既に“触媒”としての役割を果たしていたので傷は治りました。ただ尺の都合で見せ場を作ってあげられなかったことが非常に申し訳ないです。ごめんね大典太。
 因みに水野は後日大典太から「竜神と一戦交えた」と聞いて飛び跳ねます。そして傷口が暫くの間塞がらず、中傷で戦ったことも知り顔を青くしながら怒ったり謝ったりお礼を言ったりと騒ぐのですが、大典太自身は「水野が無事ならそれでいい」と思っているので特に気にしてはいません。むしろ竜神と一線を交える、という貴重な機会に恵まれたことを内心ではちょっと誇らしく思っている部分もあったり。そんなチラシの裏的な話があります。


 若干話が上下しましたが、七話での冒頭『夢』のシーン。こちらは繭の中で眠る五人の審神者たちの『夢』です。“母”が“良質な養分”にするために見せる“都合のいい夢”。それがあれです。
 順番に説明すると、折れた今剣をデートに誘う百花。燭台切と両思いになる女子高生のゆりか。大倶利伽羅と抱き合う碇。長谷部とデートをする約束をする天音。そして平安刀たちと“遊ぶ”イチジク改め日向陽。そんな彼女たちを見て益々嫌悪感を抱く水無。というシーンです。彼女たちの夢は正常な“母”の“実子”という位置づけである水無もそれとなく共有することが出来ます。だけど完璧にリンクしているわけではないので、断片的な映像を見ては「汚らしい」と侮蔑の情を膨らませているわけです。

 そしてあの“黄泉の入口”でもある一室ですが、何故襖が勝手に閉まったのかと言うと、『もうお前ら死ぬから現世に戻れると思うなよ』という本丸の意思表示だとでも思ってください。
 では何故襖から血が出たのか。これは上で説明したように、水無の【神域】と化した本丸と“母”の体は一部繋がっています。なので“母”の体に血が通っていたように、この一室にも血が通っていました。だから水野が竜神の爪で「えいやーっ!」と刺した時に血が出たわけです。スプラッター映画もビックリなシンクロ率です。そして水野にとってはトラウマ級のホラーです。
 そしてこの時水野の体に付着し、また床に残った血の跡を追って三日月は“母”、そして主である水無がいるあの“胎盤”へと向かうことを決意します。

 ですがその前に。彼が山姥切に何を聞いたのかと言うと、一つはこれから山姥切と水野が向かおうとしている場所の“位置”。ゲートを使って向かう彼らと同じように三日月もゲートを使って向かったので、何も知らない彼は知っている山姥切に座標位置を聞きました。
 もう一つは水無が“何をしようとしているか”です。当時の三日月は何も知らされていなかったので、詳細を知っている山姥切に“主はどこへ行ったのか”“何をしているのか”聞きました。それから“母”の元へと向かう決意をしたわけです。
 その前に山姥切が三日月に『お前も自分の意志で決めてくれ』と言っているのは、このまま本丸に残るか、それとも共に主の元へと向かい、その凶行を止めるか。決めてくれ。という意味です。山姥切は三日月が主、水無の“幸せ”を願っていることを知っていました。それ故の発言です。ですので、三日月が狂ったように見せても実は狂っておらず、単なる演技であったことを九話で明かしているのですが、この時山姥切はいなかったので最後まで彼は三日月が『演技していた』ことに気付かぬまま終わります。悲しいすれ違いですね。どちらも主を大切に思い、愛した刀であれど選んだ道は違った。水野と水無のように、彼らもまた似ていたけれど違う選択をした存在。という対比になっております。気づきにくいですが、審神者同士だけでなく刀同士でも対比出来るよう書くのは楽しかったです。


 そして同七話の五ページ目。山姥切が憑依した水野と今剣、そして燭台切の戦闘シーンですね。
 この時今剣はずっと胎内の中に潜んでおりました。六話の二ページ目で山姥切が逃がした後、燭台切に見つからないよう必死に姿を隠しながら再び水野が現れるのを待っていたわけです。そして水野に憑依した山姥切と共に戦闘することになりました。山姥切は既に刀身を作れる力が残っていなかったことと、あの特殊な場所とが上手いことかみ合って一時的に刀に戻ることが出来ました。だから“理想郷”では刀になることが出来ませんでした。“理想郷”は同じ“母”の胎内であっても穢れる前と穢れた後で、色々と別物になっていたので。本当にギリギリだったシーンです。

 さてこの時、別の時間では三日月が初めて“母”の胎内に足を踏み入れております。そしてその有様を見て水無がここまでしなければならない“現世”というものから彼女を『救う(=殺す)』ことを決意します。極端ではありますが、三日月も刀。生かすか殺すか、となれば『殺す』方に考えが傾いてしまうのも無理はないかなぁ。と。何せ彼は現世では単なる“刀”でしかいられませんから、どう足掻いても主である水無の傍にいて声を掛けることができません。ならば死して共に堕ちようと決めたのもここです。極端とはいえ、三日月の愛情は本物です。結果として水無以上の凶行に走ったわけですが。

 そして“母”の体を自らの手で傷つけ、“母”の“実子”である水無を殺すことで“母”の怒りを買います。そして“憎しみ”や“痛み”などの負の感情を与えることにより血を穢し、暴走する“母”と共に“理想郷(紛い物)”を作り上げました。
 この際燭台切は水無の手を掴むことが出来ず、また水野の手が届かなかったことにより竜神にも助けることは出来ず、そのまま“母”の胎内に一時的に“還る(溶ける)(養分)”になります。ただ彼の場合は三日月に対する憎しみと、水無に対する比類なき愛情が完全に溶かされることはなかったので、九話のシーンで崩れ行く“母”から抜け落ち、穢れたままの姿で三日月を屠ることになります。ある意味では復讐を成功させた刀でもあります。ただ身も心も穢されたが故に“お面”を外していた水無を主と認識できず殺しそうになりました。そこで百花が浄化の式神を放ったことにより意識が戻り、三日月の二の舞にならずに済んだ。というわけです。彼も踏んだり蹴ったりな損な役割でしたが、最後に報われてよかったな。という感じです。

 そもそもにして“母”とは何なのか。ですが、これは新規の本丸を基にして作った“理想郷”の礎となる存在でした。言い方悪いけど子宮のようなものです。
 だからこそ後々“実子”として水無を産み落とすこともできるのですが、その前に。何故水無が生き返ったのかというと、それは殺された場所が関係しています。
 三日月が彼女の心臓を刺したのは胎盤、ようは“母”の体の中です。“母”の体が神域と化した水無の本丸と一部リンクしていること、また“黄泉の入口”があること。それらが関係して『現世ではない場所』『世の理が通用しない特異的な場所』であることが重要な鍵となってきます。なのでもし水無が刺されたのが水野の本丸、あるいは現世であったなら、彼女はそのまま皆と一緒に地獄に堕ちたことでしょう。ただ彼女が殺された場所は“母”の胎内でした。ようは彼女の魂も“母”が持ったまま“理想郷”を作り上げることになったのです。そのため肉体は死んでいても魂は“母”が持っていました。そしてその肉体は三日月がきちんと保管していました。これも一つの重要な要素で、最後に“理想郷”が崩壊し、すべてが溶けて“母”の胎内に戻った時。実は水無も『本当は一度溶けている』のです。ただあそこは“実際の肉体がなくても存在できる”、あの世にほど近い、だけど寸でのところでまだ冥界ではない。そんな危うい位置に存在しています。
 そのため一度『溶けた』としても彼女本来の肉体が残っていたこと、そして“母”が彼女の魂を持ち続けていたこと。この二つが重なり合うことで、人体における“子宮”と同じ役割を持つ“母”の体から『新たに産み落とされた』ようは『生き返ることが出来た』という話です。あくまで捏造ですけどね!!! ただ水無はこれをきちんと理解しているわけではありません。なので彼女が一度『死んだ』ことは水野と水無、二人だけの秘密です。田辺にも話すつもりはないです。
 それでも彼女の“母”と“父(三日月)”が残した体ですから。胸の傷跡は残っています。だけどそれこそが水無を『生かす』ための楔となっています。これが無ければまた違ったかもしれません。それほどまでに大きな、けれどほんの数センチしかない傷跡が今の彼女の全てです。水無にも幸せになってもらいたいものですね。


 少し戻りますが、八話の一ページ目で三日月が水野に言った『そなたと俺は同じ景色を見てはいるが、違う場所にいる』の真意ですが、これは水野がまだ正確には『生きている』こと。そして『自分(三日月)は“理想郷”の支配者であることに対し、水野は傍観者(客人であり“養分”ではない)』こと。(五人の審神者は狂った“母”の“子”であり、三日月にとっては“養分”だった)更に水野の中にいる竜神の力(“母”の影響をうけない存在)がいることを指しています。立ち位置が違う。見ているものが違う。そもそもの存在意義が違う。そういった全ての意味を込めての『違う場所』にいる。です。立体で言うところのX軸、Y軸、Z軸みたいなものですね。同じ空間にいても立っている場所が違う。だから五人の審神者の居場所はある程度決まっていても水野は関係なく移動出来る。とも言っています。
 五人の審神者は“狂った母”にとっては“子”でありますが、同時に“養分”のままでもあります。そのため移動出来るのは自室と“地下”である遊郭だけ。だから女子高生のゆりかの部屋には地下へと続く道があったわけです。彼女たちは水野と違い本丸内を自由に行き来出来ません。基本的に行きたい場所に『テレポート』する感じです。(八話四ページ目で突然水野の前に五人が現れたシーン、そして五ページ目で百花が今剣の前から突然消え、また戻ってきたシーンのことです)

 遊郭へと続く道は各部屋に用意されているわけではなく、互いに“合意”という名の“溶けあうこと”を承認した際に部屋の中に地下へと続く道が繋がるように出来ています。だからゆりかは『燭台切さんが望むなら……』と遊郭に降りたものの、タイミング悪く三日月が“理想郷”の力を戦闘の方に回したことにより(九話二ページ目)姿を保てず泥となりました。結果彼女の心を深く傷つけることに。いずれ彼女も退院しますが、審神者には戻りません。むしろ歴史も刀も嫌いになります。愛していたが故に憎む。愛憎表裏一体とはよく言ったものです。
 彼女だけ辛い目にあっているように見えるかもしれませんが、まぁ五人ともそれぞれろくな目にあっていないので。あとは現実と向かう力があるかどうかも問題ですね。
『家へ帰ろう』と諭されただけのゆりかと違い、碇も天音もそれぞれ大倶利伽羅と長谷部から発破を掛けられ吹っ切れています。そして百花も自力で今剣に対する未練を払拭しました。イチジク改め日向陽は元々刀に入れ込んでいたわけではないので、水野という拠り所が出来たことにより綺麗さっぱり刀との関係に終止符を打ちました。
 だけど彼女だけは違います。最終的に水野の言葉により自らの本心を山姥切に打ち明けた水無でさえ『生きる』ことを決めましたが、彼女にはそれがありませんでした。
 別に燭台切が悪いわけではありません。むしろゆりかが心の傷が大きすぎて廃人になることなく現世に戻れたのは燭台切の優しさのおかげなので、決して彼のせいではありません。ただ何もかも救われる話ではない。完全なる“ハッピーエンド”ではない。そういう話にもしたかった私のエゴにより生み出された被害者です。
『救いはないのですか?』と言われたら全くないわけでもないのですが、そのためには彼女がまず水野と会うことが大前提となってきます。が、本編中の彼女は傷心真っ只中なので暫くの間は無理だと思います。


 そして九話、冒頭のシーン。そして十話の五ページ目にて水無が口にした『時の狭間』とは、水野が落とされた暗闇(八話四ページ目)のこと。あそこは本丸と同じく時空の狭間にある異空間で、本来なら迷い込んだら生還することが出来ません。ですが“浄化”の力を持った百花の造花のおかげで竜神が一身に受けることになった“穢れ”を浄化し、水野を“理想郷”へと運び出すことが出来た。という設定です。どちらが欠けても水野は詰んでいたました。百花が本当の意味で“理想郷”に取り込まれていたら終わりだったので。
 ただ百花も一歩間違えれば気づいた三日月に一足早く“養分”にされたでしょう。だからこそ敢えて水野に冷たい言葉を投げかけ、時の狭間へと落とし込みました。だけどその時に式神を投げ渡すことで彼女の命を繋いだのです。彼女も小さな英雄です。水野にとっては。
 この時百花が口にした「さようなら。わたしがなれなかった人」というのは、自分(百花)とは違い、刀を喪っていないうえに刀に愛されている水野を羨む気持ちが滲んでいます。自分は今剣をデートに誘うことが出来なかった。気持ちを伝えることも出来ないままお別れをしてしまった。だけどあなたはまだ失っていないからデートにも誘えるし遊びにも行ける。それが羨ましい。わたしには出来なかったこと。それが出来る人。だからわたし(百花)がなることが出来なかった、わたしがなりたかった人。という彼女の悲しみが込められた台詞でもあります。最後には吹っ切れる彼女ですが、この時はまだ完全には吹っ切れていませんでしたので。辛い立場にいたころの話ですね。



 さて話は変わって十話目。水野が水無の変化を読み取り、“世界を変える何か”と例えたものは水無の“意識”のことです。今までの水無だと『神に愛されていた』なんて言われたら「畏れ多いにもほどがある!」と発狂していたことでしょう。というより実際六話の時点で本丸がそう記憶しています。ですが水無は『愛されていた』という事実をきちんと受け止めました。それは今までの彼女からしてみれば天地をひっくり返すほどありえないことなので、鈍い水野であっても『意識を変えるだけの大きな何かがあったんだな』と思った次第です。


 あとは余談となりますが、新人審神者改め研修生の『夢前ののか』ですが、彼女は水野にとって初めての後輩です。そして彼女自身、水野は『学校の先輩』ではなく『人生の先輩』です。彼女にとって水野は尊敬し、敬愛すべき先輩となります。最初は水野のことを自分の夢(アイドルになること)をバカにするかもしれない。(元々動機が不純だったため心のどこかではバカにされても仕方ないと思っている)と危惧していましたが、水野の裏表のない性格や、適度に保たれる距離感(入り込みすぎず、冷たいわけでもない)に居心地の良さを覚え、三話で改めて『審神者』という仕事に対する水野の姿勢を見て尊敬の念を抱くようになりました。それがどういうわけか最終話にて別本丸に研修に行っていた彼女は“自称愛の伝道師”により洗脳――ではなく。意識改革を受け、水野に対する愛情だけがやたらと前面に出る傍迷惑、ようは困ったちゃんになってしまいました。それでも水野にとっては可愛い後輩ではあるので、何だかんだと言って相手をしています。面倒見がよすぎるのも問題ですね。おかげでもっと好きになられているわけですが、相変わらず水野は無自覚なので仕方ありません。

 そしてイチジク改め日向陽も同様、今まで友人のいなかった彼女にとって初めての“友人”である水野は大きな存在です。もう愛情が傾いております。刀にすら傾けなかった心が水野に対してはメーターが振り切る勢いで傾いております。ただ夢前と違い彼女に近づく人物に対して嫉妬したり、やきもちを焼いたり、などはしません。むしろ(無自覚に)からかって反応を楽しんでいます。それでも水野に向ける愛情は本物なので、彼女が自身の本丸に戻ってきた時に呼吸が止まっていると気づいた時には大いに取り乱しました。
 初めてできた友人。初めて自分の言葉を真摯に聞き、向き合ってくれた人。そして自分に“日向に向かって歩く”という意味の名前を付けてくれた、彼女にとっては自分よりもよっぽど“日向”である水野を喪うかもしれない。という事実はまさに心の底から震えるほどの恐怖でした。そのため彼女は入院中もしきりに水野の安否を確認しておりました。
 なので後日水野から『大丈夫だよ〜』と連絡が来た時には大泣きしたのですが、これも本編には関係ないので割愛しました。
 今ではすっかり水野、夢前と三人で行う(時折百花を含めた四人)審神者ライフを楽しんでおります。彼女が自身の本丸を再度持つのはまだもう少し先ですが、その頃には水野の影響も受けているので以前よりはずっと真面目に職務をこなすはずです。ただしょっちゅう水野の本丸に遊びに来そうですが。

 それから水野が助けた審神者四名について。

 百花は言わずもがな、強い“浄化能力”を持った少女です。繭にされた後は今剣との夢ではなく、母に会いに行く夢ばかり見ていました。これは今剣に会いたくなかった。というよりは、彼女が水無に連れて行かれたのが放課後だったため、自分の帰りが遅いことを母が心配するだろうな。という気持ちの方が強かったためです。だけどそんな百花の心配を払拭させるのではなく、現世に対する“諦め”を植え付けるために“母”は百花が交通事故に会い、還らぬ人となった。という偽りの夢を見せました。実際は事故に会っていません。彼女の母親も当時も今も心配はしていますが、百花の生還を喜んでいます。以前より過保護になった部分も当然ありますが、水野が定期的に連絡を入れていること。また百花本人から水野の話を聞いているので安心して水野の本丸に送り出しています。
 また榊さん(水野の師匠であり百花の師匠でもある)からも修行した日の夜には報告の連絡が来るので、こちらも安心して預けています。(元より神社の神主なので信頼度は高い)
 真っ先に洗脳され、水無から色んな意味で“実験台”にされた彼女ですが、水無に対して憎しみや恨みなどは持っていません。むしろ『可哀想な人だったんだな』という認識です。そんな彼女も精神的に成長したので、二振り目の今剣だけでなく、加州や長谷部とも今はうまくやっています。そして地下牢に幽閉していた刀たちも彼女の事情を説明されたため、改めて糾弾することはありませんでした。それでも彼女はしっかりと謝罪したうえで今後自分についてきてくれるか、それとも刀解するかを選んでもらい、現在は新しい本丸で頑張っています。


 続いては大倶利伽羅と恋仲だった碇ですが、彼女も大倶利伽羅に発破を掛けられたことにより目が覚め、審神者として再スタートを切ることが出来ました。それでも彼女自身まだまだ精神的に弱いところがあるので、その度に鬱状態というか、ものすごく落ち込みます。ですが以前は彼女も日向陽同様、担当者である水無以外の審神者との交流は持っていませんでした。が、現在は水野がいます。初めは『こんなこと彼女に相談してもいいのだろうか』と悩みに悩んだ背景がありますが、柊から『困ったことがあれば遠慮せずに自分か水野さんに連絡をしてください』と言われていたので、自分を助けに来てくれた水野に連絡を入れました。当然水野は突き放すような人物ではありませんし、もとよりアフターケアは彼女の仕事の一つでもあります。(政府から要請された仕事の一つ)そのため現在は時折水野に頼りつつも、自分の力で本丸を運営しています。水野の裏表のなさに救われている人物の一人でもあります。


 そして長谷部に毎度勝負を挑む天音ですが、彼女は元より芯が強く、タフな女性でした。ですがその重すぎる愛が長谷部一人に向かった結果、彼を喪った悲しみにより暴走。全てを投げ出すことになりました。そんな彼女も長谷部に未練を断ち切られ、過去と決別し、新たに顕現した長谷部の育成に励んでいます。そんな彼女に水野の長谷部は「飽きずによく挑んできますね」と煽りますが、内心では「立ち直ることが出来てよかった」と思っています。ただそれを口にすると確実に天音は天狗になるので言いません。割と彼女は調子に乗りやすいタイプでもあるからです。
 あと彼女を助ける際、何故長谷部が冷たかったかと言うと、水野が直前に「煽りスキル半端ねぇ〜!」と燭台切を褒めたからです。主に褒められるならば、と長谷部なりに頑張った結果があの会話です。相手が天音だったから成功したものの、彼女のメンタルが弱ければ確実に精神を殺していたでしょう。ある意味では長谷部も彼女に救われたのかもしれません。(笑)
 今ではすっかり喧嘩仲間みたいな感じですが、天音の長谷部も水野の長谷部と打ち合うことは勉強の一つだと思っているので嫌がってはいないです。ただし人様の本丸に向かった時はまず主人に挨拶しましょう。とは思っていますが。その辺割とうっかりさんというか、目の前のことに一直線な猪突猛進系ガールの天音さんなのでした。
 因みに水野はそんな彼女の性格をなんとなーくですが把握しているのと、もとより堅苦しい挨拶をされても困る。というタイプなので全く気にしていません。ただ何の連絡もなしに突然来るのはやめてくれ。とは思っていますが。長谷部との勝負自体はいいと思っています。むしろ彼女の様子を政府に報告できるので聞きに行く手間が省けて楽だな。と思っている節すらあります。今後も長谷部との勝負は続くと思うので、水野の気が休まる日はまだ先ですね。


 思った以上に解説が長くなりましたが、これだけの量を本編に入れるにしても全体の流れというか、テンポが悪くなるだけかな。と思い、どんどん『あとがきに回せばいいや!』と思った私の責任です。大変申し訳ない。それでも本編だけでなくこの『あとがき兼解説』も最後までお目通ししてくださった方には、感謝してもしきれないといいますか、額を床に擦りつけたい気分です。本当にありがとうございます。m(_ _)m

 今回のお話は『審神者と刀剣男士のあらゆる愛のカタチ』『それぞれの考え方の違い』『水野が刀たちとどう向き合うか』『そして陸奥守や刀たちとの恋愛模様は?!』などを書きたくて始めた連載でした。それがこうして、月日はかかりましたが、無事完結することが出来てよかったなぁ。と思います。
 連載当初からお付き合いしてくださった皆様、そして前作からお付き合いしてくださった皆様、本当にありがとうございました。次回作はまだ何も決めていませんが、いずれ何か書き始めたら、その時はまたよろしくお願いいたします。m(_ _)m

 それでは、【NEW! 喪女審神者奮闘記】これにて完結です。ありがとうございました!




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