小説
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 審神者業を再開してから早数日。最初は色々と滞っていた業務をこなすのに忙しかったが、ようやく落ち着いてきた。そこで改めて加州から受け取った手紙を取り出し、封を切る。

「えー……と、」

 中に書かれていたのは今までのお礼と、これからのことだった。
 百花さんは審神者業を再開する旨を政府に伝えた。それは彼らにも伝えられたらしい。中には『刀壊』を望む声もあったが、大半の刀は今まで通り百花さんの元で頑張るそうだ。穏やかな気持ちで手紙を読んでいると、加州の手紙だけでなく他の刀からも一筆入っていることに気付く。

「今剣に、岩融。こっちは三日月に長谷部、燭台切。みんなわざわざ書いてくれたんだ」

 それぞれが文頭にお礼を添え、うちの刀の誰と仲良くなったとか、強くなったらまた手合わせしたいとか。そういう事柄が続いていてなんだか微笑ましい。
 でもよかった。彼らにとってこの本丸で過ごした数日が少しでもいいものであったのならば、それが一番嬉しい。特に今剣は「一振り目の今剣に負けないぐらい仕えてみせます!」と意気込んでいた。彼は一所懸命な刀だから、きっとこなせるだろう。成長した彼に会うのが楽しみだ。岩融の手紙には謝罪の一文も入っていた。どうやら彼自身私に対するあたりが強い自覚はあったらしい。『人を信じることが出来ず、貴殿に辛く当たってしまった。心から謝罪申し上げる』と、“あの”岩融らしくない素直な一文に思わず笑ってしまったのはここだけの秘密だ。
 そんな彼らからの大切な手紙を仕舞っていると、タイミングよくこんのすけが現れる。

「水野様。お客様です」
「うん。今行く」

 今日は待ちに待った鳩尾さんとの約束の日だ。前回はあんなことがあって反故にしてしまったが、今回は無事迎えることが出来た。改めて衣服を整えて表に出ると、荷車いっぱいに骨董品を積んだ鳩尾さんが片手をあげて挨拶をしてくれた。

「やあ、水野さん。こんにちは」
「こんにちは! 遠路はるばるありがとうございます」
「いやいや。ゲートを使えばあっという間だからね。気にしないでくれ」

 ありがたいことに骨董品を譲ってくれる。ということだったから、こちらも歌仙を連れている。案の定うずうずとした様子だったので早速荷物を大広間に移すと、歌仙同士で骨董品の評論会が始まった。

「これは――時代の――」
「ああ! これは××氏の晩年の――!」
「そしてこちらがなんといっても――」

 ずいぶん楽しそうだ。苦笑いしつつも縁側で堀川が出してくれたお茶を飲んでいると、荷物を運んできてくれた山伏と蜻蛉切もうちの戦闘刀組に誘われて道場へと行ってしまった。この際だからしっかり絞られるといい。穏やかな陽気にほっと一息ついていると、同じくお茶を飲んでいた鳩尾さんが世間話を始める。

「そうそう。今度ね、うちの孫の一人が結婚するんだよ」
「え! そうなんですか! おめでとうございます!」
「ありがとう。しかしもう孫も結婚する歳になったのかと思うと感慨深いような、寂しいような。不思議な気持ちだよ」

 私も兄が「結婚する」と言った時は似たような感想を抱いた。だけど兄妹と、親や祖父母という立ち位置からだとまた受け取り方は違うのだろう。鳩尾さんはぼんやりと空を見上げながら話を続ける。

「この間生まれたばかりだと思ったのになぁ。今度はひ孫が生まれるかもしれない。不思議なものさ。長生きしているわけじゃないのにねぇ」
「お孫さんは、どういった方なんですか?」
「至って普通の男の子だよ。機械をいじるのが好きでね。多少口下手なところはあるが、真面目ないい子だ。パソコンも得意でね。審神者になった頃はよく世話になったものだよ」
「そうだったんですか」

 結婚。それは付き合った先にあるもの。必ずしもそうなるわけじゃないけど、一昔前は『結婚がゴール』だと考えられていた。今では全然そんなことないけど。私も本来ならそういう年齢に差し掛かっている。鳩尾さんはこちらを見ると、やはりその話題を振ってきた。

「水野さんは誰かいい人いないのかい?」
「あ、い、いやぁ……それがなんとも……」

 現世に好きな人はいない。でも実際、刀剣男士と付き合っている人はどういう気持ちなんだろうか。話を伺う機会がなかったことが悔やまれる。もっと先輩審神者のところでその手の話も聞いておくべきだった。
 肩を落としていると、鳩尾さんが「ふむ」と顎に手を当てる。

「そうかい。まぁ結婚なんて所詮は“ご縁”だからね。私もそうだったよ」
「奥様との出会いはどちらだったんです?」
「私かい? 私はねぇ、お見合い結婚だったんだよ」

 鳩尾さんと奥様は共通の知り合いを通して知り合ったらしい。お見合い写真を見て日取りを決めて、というものではなく、そういう仲介役を仕事にしていた人の紹介だったそうだ。最初はお互い『この人と結婚はどうかな』という微妙な感じだったらしいが、友人として付き合っていくうちに次第に惹かれていったんだと。

「今はそうでもないけど、昔は私もせっかちでね。どちらかというとおっとりしている妻にはヤキモキしたものさ」
「そうなんですか。あまりせっかち、というイメージはありませんが」
「流石にねぇ。孫が何人も生まれたら自然と、ね。穏やかになったというか、落ち着いて周りを見られるようになったというか。そこで改めて妻の偉大さを感じたりもしたものさ」

 鳩尾さんが語る奥様は本当に『縁の下の力持ち』というか、『内助の功』というか。団塊の世代でもある鳩尾さんを辛抱強く支えてきたんだな。と聞いているだけでも伝わってくる人だった。

「前の職場を退職して、今は審神者をしているだろう? そこで改めて思ったんだ。彼女以外の人と結婚していたら、私の子供たちも、生まれてきた孫も。全員消えてしまうんだろうか。とね」

 それは、きっと誰もが考えることだろう。審神者を始めて何度も考えた。例えば、織田信長と今川義元が桶狭間での戦をしなかったら。例えば、坂本龍馬が高知から出なかったら。例えば、伊達政宗の生まれた時代が違ったら。あるいは、彼ら全てが生まれなかったとしたら。今頃日本はどうなっていたのだろう。歴史の資料を眺めるたびに考える。

「人も神様も一期一会だ。君のところに今いない刀剣男士も、いつかは顕現するかもしれない。もしくはこの先もずっとしないかもしれない。彼らがいないことで今後の戦にどう影響するのか。それは誰にも分からない」
「はい」
「でもね、君がこうして今私とお茶をしている時間や、君のことを誰かが思っている時間は、例え後世に残らずとも大事にしなければいけないと思うんだよ」
「――はい。それは、私も思います」

 鳩尾さんみたいに子供も孫もいないけど、私には守りたい人がいる。家族がいる。友達も、そして、本丸にいる皆を。それでも人は突然死んでしまったりもするから“ずっと一緒に”なんて軽率な約束は出来ない。それに、私は死んだら生まれ変わることが出来ない。それが分かっているからこそ、悩む。

「鳩尾さん」
「うん?」
「鳩尾さんは、刀剣男士と恋仲になった、あるいは結婚した審神者をご存じですか?」
「ああ。勿論知っているよ。私の末の娘がそうだ」
「え」

 ここにきてまさかの展開である!!! ぎょっとする私に鳩尾さんはカラカラと笑うと、その『末の娘さん』について話してくれる。

「うちは息子が一人、娘が二人いてね。息子と長女は十九と二十歳で結婚して孫もいるんだが、末の娘だけはいつまでもフラフラとしていてねぇ。三十を過ぎても結婚どころか恋人もいなくて心配していたんだ」

 そんな時に政府から二人に声がかかったらしい。家族の中で鳩尾さんと末の娘さんだけが霊力を持っていたから。それで二人は別々の本丸で働くようになり、そこで末の娘さんは刀剣男士の一人と結婚したそうだ。

「最初はそりゃあもう驚いたさ。驚いたし、反対した。だけどねぇ、まともに恋人を作って来なかった娘が真剣に結婚を考えた相手だ。それに、相手は刀剣男士だろう? 自分の子供のように性格を知っていると来たものだ。憎もうにも憎めない。結局根負けして認めてしまったよ」
「それで、今娘さんはどうされているんです?」
「相変わらず審神者を続けているよ。子供も設けてね。最初はどうなることかと思ったが、健やかに育っている。まだ小さいけどね。どんな子供になるのか。少し恐ろしいところもあるが、まぁ、楽しみだよ」

 子供、出来るんだ。刀剣男士と審神者の間に。驚いてちょっと言葉が出なかったけど、鳩尾さんの穏やかな声音を聞いているときっと幸せに暮らしているんだろうな。と思う。勿論刀剣男士だから戦にも出るし、時には怪我をして帰ってくるだろうけど。きっと末の娘さんは奥様に似ておっとりとしていて、それでいて我慢強い方なんだろう。
 ……私は、そんな人になれるだろうか。どちらかと言えば私は鳩尾さんみたくせっかちで、支えるよりも支えられないとやっていけない、いつまでもみんなに怒られてばかりの女だから。

「恋って、何なんでしょうね」

 恋とは何だろうか。日向陽さんに聞かれた時、正直言葉が見つからなかった。愛も恋も、単独で聞かれたら概要は答えることは出来る。けど、実際に「こうだ」と明確に表すのは難しい。月並みな言葉では幾らでも答えることが出来るけど、実際に体験してみないと言葉に力は宿らない。

「おや。そんなセリフが出てくるということは、恋をしているのかな?」
「え。あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど、この間人に聞かれて……」
「へえ。不思議なことを聞く人もいたものだね。しかし、そうか。“愛”ではなく“恋”か。そうだなぁ。私が答えるとしたら、愛は耐えること。恋は知ること。かな」

 ――愛は耐えること、恋は知ること――

「ですか」
「そう。恋をしている時は相手の些細なことでも何でも知りたくなる。だけどもし相手がケガをした時。じっと我慢できるものじゃない。だけど愛ならば、相手の些細なことには目を瞑るようになる。ケガや病気をしても、ぐっと堪えて、時には一緒に闘ってくれる。私にとっては、愛と恋の違いはここじゃないかと思うんだよ」

 成程……。言われてみれば一理ある。それでいうと私は確かに『恋』よりも『愛』の気持ちの方が強い気がする。

「勉強になりました」
「ははは。年寄りの戯言だ。忘れてくれ」

 他にも沢山話している間に時間は経ち、鍛錬組はボロボロになって戻り、歌仙は非常に艶々とした表情で「とても素晴らしいひと時だった」と感想を零した。

「それじゃあ水野さん。また」
「はい。今日はありがとうございました」

 骨董品を譲り受けただけでなく、貴重な話を聞くことが出来た。まだ私自身、日向陽さんに向けてちゃんとした答えが出せる状態ではないけど。それでも少しだけ自分の考えを纏める要素の一つとなったのは確かだ。

「さ! 今日は腕によりをかけてご飯を作るよ!」
「お。気合入ってるね〜」
「当然さ! なんといっても今日は素晴らしい名作の数々を譲り受けることが出来たんだ。君の人徳には改めて感謝するよ」
「いやいや。鳩尾さんがいい人なだけなんだって」

 だけど苦笑いする私に、歌仙は「それでも」と表情を緩める。

「好意を抱いていない相手に人はそこまでしないよ。彼は君のことを、それこそ孫のように可愛がっているからこそこれだけのことをしてくれるんだ。だけどそれはたった一度の何かで決まるものじゃない。君が当たり前のようにこなしてきた数々のことが蓄積して、彼にとって『大事な人』になっていくんだ。君ががむしゃらになって走ってきた一年は、決して無駄ではなかったということだよ」

 歌仙がそう評してくれるのは嬉しい。だけど本当に大したことはしていないのだ。むしろお世話になってばかりだし。それでも、自分にとっては些細なことでも、相手にとっては何か響くものがあったのかもしれない。結局のところ人の心なんて目には見えないものなんだから、推測すること以外何も出来ないのだ。

「だから君はこれからも“君らしく”いればいいんじゃないかな。勿論危機管理能力はもっと身に着けて欲しいし、あわよくば警戒心ももっとつけて欲しいけど。まぁ……君はその辺疎いし。僕たちが少しずつ教えていくしかないかな」
「ははは……お手柔らかに頼みます」

 二人で本丸へと戻れば、畑当番や馬小屋の掃除を終えた刀たちも戻ってくる。今日の厨当番が準備をするのを少しの間眺め、それから自室へと移動する。
 水無さんが我が本丸へと来るのは明日だ。だから今日のうちに『あのこと』について考えておく必要があった。


***


 夕食後――。縁側に座ってブラブラと足を揺らす。お風呂にも入ったからあとは寝るだけだ。だけどすぐ眠るわけにもいかなくて、こうして縁側に出て月を眺めていた。

「主。まだ起きていたんですか?」
「ん? 宗三? どうしたの? こんな時間に」

 時計が示す時間はまだ九時前だけど、この時間帯に刀たちが私の部屋に来るのは珍しい。何かあったのかと立ち上がろうとすれば片手で制された。

「別に、これといった用はありませんよ。ただ厠から出たらあなたがそこでぼーっとしているのが見えたので。折角なら話し相手にでもなって差し上げようかと思っただけです」
「あはは。ありがとう。嬉しいよ」
「では、お隣。よろしいですか?」
「はい。どうぞ。座布団はないけど」
「ええ。かまいませんよ。そこまで繊細じゃありませんから」

 宗三は隣に座ると、私がしていたように月を見上げる。だけどすぐに視線をこちらに戻した。

「体の方はどうです? “あちら”からこちらに戻ってきた時、あなたの息は既に止まっていました。我々が連絡を入れていたおかげで武田さんもすぐに動けましたが、もし間に合わなければこうして会話も出来ず仕舞いだったかもしれない。そう思となんとも不思議で――懐かしい気分です」

 宗三も何人もの天下人の手に渡ってきた刀だ。奪い、奪われ。人の生き死にを見てきた。だからきっと、以前の主と、今回の私とを少しだけ重ねて見てしまったのかもしれない。その顔はいつになく寂しそうに見えた。

「思ったより平気だよ。意識がなかったから、逆にその間のことは何一つ覚えてないけど」
「そうでしょうね。多くの刀が取り乱していましたよ。あと、あなたが助けたという髪の長い女性。彼女もあなたの呼吸が止まっていることに気付いた時、見ていて哀れなほどに取り乱しておいででした。連絡はしてあげたんですか?」
「うん。この件が片付いたら改めて迎えに行く。って連絡した。彼女の方は元気そうだったよ」

 日向陽さんはもう退院したけど、まだ審神者として復帰するにはこちらが片付いていない。彼女を迎え入れるならせめてすべてが片付いてからにしたかった。気持ちを新たに、一緒にスタートを切りたかったから。
 宗三は私の答えに「そうですか」と頷くと、ほう、と息を吐く。それからしばらく黙った後、意を決したようにこちらをまっすぐ見据えた。

「正直、今回はかなり肝が冷えました」
「うん」
「前回もそうでしたが、あなたはどうにも妙なものに好かれる」
「みたいだねぇ」
「みたいだねぇ、じゃありません。全く……。小夜の心労を増やさないでください」
「それは本当にごめん」

 苦笑いしていると再度ため息を零される。ただいつもならこのままお小言タイムに入るのに、今日は違った。

「ですが、心配したのは小夜だけではありません。僕も、少なからず心配しました」
「そっか。ごめんね」
「謝って欲しいわけじゃありません。あなたは何度言っても聞かないどころか、むしろどんどん危ないことに巻き込まれていく。幾ら竜神がその身に宿っていようと、あなた自身は無力な女性です。その辺り、ちゃんと自覚しておいでですか?」

 それは、今回の件で一番身に染みて実感したことだ。結局、私は山姥切と今剣がいなければ戦うことは出来なかった。彼に憑依されて初めて今剣を掴めたし、燭台切の刃を受けることが出来た。だけどそれ以外ではてんで役立たずで、ただ駆けまわっていただけだ。

「榊さんや柊さん、武田さんからは“優れた感知能力を持っている”なんて言われたけど、結局のところここは戦場。力のない私は役立たずだ。誰も、自分一人の力じゃ助けられなかった」

 むしろその逆だ。助けてもらってばかりだった。山姥切も今剣もお礼を言ってくれたけど、あれは彼らが頑張ったからの結果だ。折れても尚主を守ろうとした刀たち。彼らがいたからこそ五人の審神者を助けることが出来た。私がしたことなんて、結局のところ一人で焦って一人で騒いだぐらいだ。それに、私じゃなく竜神様がいたからこそどうにかなった部分もある。だから、“私”じゃなくてもよかった。私自身でなくともよかった。今は、そう思っている。
 だけどそれを口にすれば何故か宗三からチョップを食らった。

「何を馬鹿なことを。“あなたでなくともよかった?” じゃあどうして彼らはあなたを選んだと思っているんです?」
「え?」
「あの山姥切は初めからあなたの中に竜神が宿っていることをご存じでしたか? 今剣はあなたを戦力として数えていましたか? 違うでしょう?」

 確かに。あの二人は私を純粋な“戦力”としては見ていなかった。では、どうして?

「本当にあなたは鈍くていけませんね。結局のところ、みんなあなたに巻き込まれたようなものですよ」
「え? それ、どういう」

 意味なの。と問おうとして、宗三が呆れたような顔で、それでも口元だけは緩めている――という非常に珍しい表情をしていたから、思わず口を閉じてしまった。

「あなたはね、言ってしまえば“台風の目”なんですよ。周りを巻き込んで巻き込んで、そうして事態も大きくなっていくけれど、最後にはスッキリとした快晴を運んでくる。暴風を伴って暴走している時は本当、つくづく、傍迷惑な存在ですけど。……それでも、不思議と目が離せない。気づいたら巻き込まれている。そして何よりも一番悔しいのが――そんな傍迷惑な台風に巻き込まれている自分を、心の底から厭えない。そう思わせるほどの不思議な魅力が、あなたにあることです」
「宗三……」

 宗三はふう、と脱力するようにして肩を落とすと、思ったより穏やかな表情を浮かべた。それは小夜や江雪に向けるのとはまた少し違う、けれど優しい顔だった。

「主。あなたは自身のことを魅力がないだのなんだのとおっしゃっていますが、そんなことはありません。あなたは魅力的なお人です。多くの者を惹きつける、摩訶不思議なお人です。時折ひどく憎らしく思うのに、心の底からはどうしたって憎めない。一所懸命でがむしゃらだから、ついつい引っ張られてしまう。手を貸してしまう。あなたが走り出すとただ見ているだけではいられない。後を追わずにはいられない。僕はね、主。今こうして自分に手足が生えていることを、今は心の底から喜んでいます」
「え。そうだったの?」

 何だか意外だった。顕現した当初は気だるげな、それこそ「僕に戦仕事をさせるつもりですか?」みたいな感じだったのに。宗三は当時の薄暗い表情が嘘のように、今はコロコロと表情を変える。

「ええ。だって、ただの刀であればあなたが僕を連れて行ってくれない限りお傍にはいられませんから。ですが今は、自分の意志で走って行ける。あなたの手を掴みに行ける。あなたが切れと言えばこの手で敵を切り、助けてくれと言えば助けに行ける足がある。あなたの手を掴める腕がある。これは、とても大きなことですよ。僕たち刀にとっては」

 元の主を殺され、奪われた宗三だからこそ言える言葉なのかもしれない。改めてその穏やかな表情を見つめていると、宗三は自らの手のひらを見つめるように視線を下げ、それからぐっと握りしめる。

「今ではすっかりこの体に馴染みました。時折刀としてこれはどうなんだろう。と思わなくもありませんが、畑仕事や馬の世話も、まぁ。それなりに。手際がよくなってきたと思います」
「そう」
「ええ。ただの付喪神であった頃は大なり小なり人に対して思うことはありましたが、それでも今ほど強烈ではありませんでした」
「……強烈?」

 付喪神だったころは感情の起伏が少なかった。ってことかな。正確な意味が拾えずに首を傾ければ、宗三はくすくすと笑う。

「そうですね。初めて明確な殺意を抱いたのは、楽しみにしていたおかずを奪われた時でしたね。心底“切ってやろうか”と思いました」
「ぶはっ、意外と俗世的だった」
「ええ。自分でも戸惑いましたよ。そんな思いを抱くことも、そして“食事をする”という行為そのものを楽しんでいることを、僕はその時ようやくはっきりと自覚したんですから」

 そうか。私たちにとっては普通のことでも刀剣男士にとっては違う。食事も、お風呂も。すべてが未知だったのだ。知識として知ってはいても、実際に体験するのは正真正銘これが初めてなのだから。

「それ以外にも、沢山。自分より強い自分と戦って負けた時。長谷部や薬研と酒を飲み交わして懐かしい昔話に興じた時。加州や歌仙と一緒に花札で勝負をした時。小夜と兄さまと一緒に読書をした時。沢山、沢山。今まで知らなかった、抱くことのなかった感情に支配されました。ずっと抱くことなどありえないと思っていた思いも、偶然ですが。気づいたりもして……。思えば瞬きのような一瞬にも感じる一年が、この体ではとても長く感じられる。それもこれも、全部あなたの元に呼ばれたからだと、僕は思っているんです」

 宗三はそこまで話すと一度言葉を区切り、もう一度月を見上げながら手を後ろに置いた。彼にしてはずいぶんと気安い、いや。彼が私の前で決して見せることなどなかった、珍しい姿だった。

「主。僕もね。色々と考えたんです。考えて、考えて――。でも、なかなか踏ん切りが尽きませんでした。この間までは」
「踏ん切り? 何の?」

 うちの宗三は割と白黒はっきりしている方だと思っていたから、そんなに悩んでいることがあるだなんて知らなかった。私が力になれることならいいんだけど。
 改めて宗三の言葉を待っていると、宗三は月を見上げていた顔を下し、それから崩していた姿勢を改めてからこちらに向き直る。

「主。僕は、あなたを喪うことが怖いです」
「――――」
「今回の件を経て、改めてそう思いました。前回もヒヤヒヤしましたが、今回の比ではありませんでした。いつあなたが病院で命を落とすかもしれないと考えると、夜も眠れませんでした」
「宗三……」

 名前を呼んで、彼に触れようとした。だけどそれよりも早く腕を取られ、引き寄せられる。

「主。僕はあなたの刀だ。だけど、この心は、どこに向かわせればいいのでしょう」
「え?」

 肩に宗三の額が押し当てられる。二の腕を掴み、引き寄せてくる手は大きい。私の手よりもずっと、骨ばっていて、力も強かった。
 ――ああ。そういえば、前にもこうして宗三の力強さを感じたことがある。あの時は全く誰のことも意識していなかったけど、今は――……違う。

「主。僕はあなたが好きです。あなたが誰を選ぼうと構いませんが、この気持ちは僕のものでもあり、あなたのものでもある。どうか、それだけは覚えておいてください」
「……うん。分かった。ありがとう」

 思えば、宗三はいつも私のことを心配してくれていた。その分小言の数も一番多かったけど。それはきっと、愛情の裏返しだったのだろう。今更気づくなんて、本当に私は鈍いんだな。

「……部屋に戻ります。あまり夜更かししてはいけませんよ。明日はついに来るべき日が来るわけですから。万全な状態にしておかないと」
「うん。ありがとう。宗三もゆっくり休んでね」
「ええ。それでは」

 宗三は立ち上がると振り返ることなく廊下を進んでいく。その背が見えなくなるまで見送った後、そのまま後ろに倒れて月を見上げた。

「……どうしようかな……」

 まさか宗三にまで告白されるだなんて思ってもみなかった。どうすればいいのだろう。陸奥守も宗三も、私にとって大切な刀であることに変わりはない。だから優劣だってつけることは出来ないのに。
 ぐるぐると考えながら目を閉じていると、何だかんだと疲れていたらしい。いつの間にか私の意識は暗闇に落ちていった。




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