小説
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 一階に戻れば、百花さんを始め助けた女性たちが全員揃っていた。そして、山姥切と水無さんも。私たちを待っていた。

「遅い」
「開口一番それですか」
「当たり前だ。刀剣男士様方を待たせるな」
「ワーオ。相変わらずあたりが強い!」

 日向陽さんは水無さんを見て「あら」と声を上げる。どうやらちゃんと覚えているらしい。のんきに「久しぶりねぇ」などと言っては笑っている。水無さんは慣れないのか彼女が苦手なのか。苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それでも「そうね」と頷いていた。……きっと、こんな職業についていなかったら、根は真面目な優しい人として知り合えていたかもしれない。そんな気がした。

「主、すぐにここから出ましょう。妙な気配がいたします」
「ええ。私たちも賛成です。一刻も早く戻りましょう。これ以上の長居は危険です」
「そうそう。俺たちの主もちゃんと戻ってきたし、このまま戻ればこの事件も終わりでしょ? 早く行こうよ」

 長谷部に始まり、百花さんの太郎太刀と加州が破壊された門を顎で示す。分かっている。私もそれに賛同しようとしたところで、突如“グチャ”と濡れた音がした。

「な、」

 なに、と言おうとしたところで、私と日向陽さんの体を庇うようにして長谷部と陸奥守が前に躍り出る。二人の隙間から見えたのは、全身を血みどろに染めた燭台切光忠だった。

「うわぁ……あんな僕、見たくなかったなぁ……」
「ははっ。今年のはろうぃんの仮装はこれで決まりだな、光坊」
「……全身にケチャップでも塗るのか?」
「やめてよ鶴さん! 伽羅ちゃん! そんなもったいないことしないよ!」
「突っ込むところはそこなの?」

 うちのコント集団伊達組に律義に突っ込んでくれたのは百花さんの加州だ。私は半分苦笑いするが、すぐに表情を改める。あれは……まさか……。

「燭台切、光忠様……」

 水無さんが辛そうに呟く。やっぱりそうだ。彼は、あの時血の海に溶けて消えた、彼女の刀だ。

「ア、ルジ……アル、ジ……」

 ポタッ、ポタッ、と歩く度に血が滴る。抜き身の刀身からも、濡れた髪や衣服からも。真新しい血を被ったかのように、その鮮血は鮮やかだ。

「ッ、燭台切様!」
「主! 待て!」

 駆けだす水無さんに山姥切が手を伸ばす。だけどその手は彼女の腕を掴むことは出来ず、ただ空を切る。そして水無さんは燭台切の前に来ると、そのおぞましい顔を見上げた。

「燭台切様、申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりにあなた様をこのような目に……」

 だけど懺悔する水無さんを認識出来ていないのか。燭台切はふらふらと左右に揺れたかと思うと、その血濡れた刀身を構える。

「待て! 燭台切!!」
「待って燭台切さん!! それあなたの主だよ!!」

 彼女の刀である山姥切が走り出す。私も必死に声を張り上げるが、燭台切には届いていないようだった。まるで薪を割るかのように上段の構えを取った燭台切は、そのままその腕を振り下ろそうとした。
 だけど、

「……ア、れ……?」

 白い花弁が舞う。桜でも、単なる紙吹雪でもない。それは百花さんが作った造花――清めの力を持つ式神だった。

「ま、まにあった……」

 どうやら百花さんの式神を岩融が自らの刀身を振るって打ち飛ばし、散らしたらしい。詳しくは分からないけど、あの穢れた血を一瞬で浄化するほどの能力だ。全身血みどろになった燭台切も例外ではなく、彼は爛々と光らせていた瞳に正気の色を戻すと、自らの主を視認して刀を地面に落とす。

「主……!」
「燭台切様……」

 燭台切の手が水無さんの体を掻き抱く。ずっと会いたかったのだろう。彼は水無さんをずっと求めていたから。山姥切は二人の少し後ろで立ち止まると、その姿をじっと眺める。
 ……彼も、辛いだろうな。山姥切はもう折れた刀だ。元に戻ることはない。日向陽さんの手を握り、私の手伝いを最後までしてくれた今剣もそうだ。私が視線を向けると気づいた彼が寂しそうに笑う。だから声には出さず、口だけで「百花さんのところへ」と伝えれば、彼は少しの間頭を下げてから彼女のもとへと行った。

「よかった、よかった……! もう会えないかと思ったよ……!」
「申し訳ございません……。燭台切様にはなんと謝罪すればよいのか……」
「いいんだ、謝罪なんて。そんなものいらない。今度こそ僕の傍にいてくれれば、一緒にいてくれさえすれば、僕はそれだけで……!」
「それだけで、という割に重たいことを口にするな。燭台切光忠」

 涙を浮かべる燭台切に切り込んだのは、当然ながら山姥切だ。そんな彼を燭台切は怨みに満ちた瞳で睨みつける。だけどすぐに勝ち誇ったように笑った。

「なんとでも言えばいいさ。どうせ君はもう死んでる。主の前に立つことは二度とない」
「ああ、そうだな」
「……何、その態度。妙に冷静だね」

 訝しむ表情を浮かべる燭台切を、山姥切は珍しいことに鼻で笑った。

「別に。お前は色々と俺のことを気にしているようだが、俺はお前を羨む理由がない。どうせ死者だしな」
「……その割には食いついてきたじゃないか」
「お前が童みたいなことを口にするからだ」
「子供扱いはやめてくれるかい? 僕、そういうの嫌いなんだけど」

 思わず自分の燭台切を見上げれば、なんとも苦い顔をされる。どうやらうちの光忠もイヤらしい。続いて鶴丸を見上げれば、ニヤニヤと笑いながら燭台切を肘で突いていた。あー……成程な。これは確かに嫌だな。うん。

「ところで、三日月はどこだ。知らないはずはないだろう」

 そうだ。この“理想郷”をどうにか出来るのは彼だけだ。彼と戦ってここを破壊しなければ。そう考えていると、燭台切は「ああ」と何とも興味なさげな声を出す。

「三日月なら殺した。僕が切った。アイツは主を殺したんだ。生きる価値なんてない」
「なッ……?! では何故ここはまだ“機能”している?!」

 山姥切が驚いた時だった。ついにズズン! と腹の奥から揺らすようにして地響きがし始める。不味い! 崩壊が始まった!!

「みんな撤退ー!!! 走れーーーー!!」

 腹の底から声を出して指示を出す。審神者の人たちはそれぞれうちの刀たちが抱えて走り、石切丸や太郎太刀、次郎太刀などの機動力が乏しい刀は短刀たちが手を引っ張ったり背中を押して走る。

「主も早う!」
「うん! 行くよ、日向陽さん!」
「え、ええ」

 陸奥守に日向陽さんを任せ、私も門に向かって走ろうとする。だけど、動かない刀を見てその足を止めた。

「……今剣さん……」
「みずのさま。いってください。ぼくはもうすでにおれたみ。これいじょうは、いっしょにはいけません」

 出会って数日しか経っていないのに、もう何年も一緒にいた気がする。そう錯覚するほどに濃い時間を共に過ごした。何度も死にそうになったし、諦めかけた。だけどその度に救いがあって、私は生き延びた。彼にも、何度も助けられた。

「主!」
「何をしているんです! 早く来なさい!」
「主殿ー! お早くー!」

 門の近くで私の刀たちが声を掛けてくる。視線の先では水無さんも、燭台切も、山姥切も動かずにこちらを見ていた。

「水野殿。本当にありがとう。心から感謝している。生身の人間であるあなたにここまで頼り切って、結局何のお返しも出来ないことが唯一の心残りだ」
「いいえ。気にしないでください。私のこと何度も助けてくれたじゃないですか。お相子ですよ」
「危険だった割に釣り合わないお相子だな」
「いえいえ。色んなことを学ぶ機会になりました。それに、山姥切さんと今剣さんが私を見つけてくれなかったら、今頃あの人たちも助けられなかった。五人の命を救えたのは、二人のおかげです。だから全然割に合わないことないですよ」
「そうか……。それなら、よかった」

 山姥切と今剣が改めて頭を下げてくる。それを静かに見届けた後、水無さんへと視線を移す。

「……謝らんぞ」
「別にいいですよ。謝罪なんて求めてないですし」
「じゃあ何だ」
「……出来れば、あなたともっと話がしたかったな。って……思いました」
 彼女は『自分たちは正反対だ』って言ったけど、どこか――少しだけ、似ている気もしたから。
 だけど水無さんは心底ごめんだ。と言わんばかりに顔を背けた。ありゃま。振られてしまった。苦笑いしていると、彼女の背後にいた燭台切がじっとこちらを見ていることに気付く。彼にも色々言いたいことはある。だけど、今一番言いたいことはコレだった。

「燭台切さん。あの時、お茶とお茶菓子、頂けなくてごめんなさい」
「それ、今言う? ま、いいけど」
「あはは」

 目の前にいる彼とは二度と会うことはないだろうけれど。もし今度“燭台切光忠”におもてなしをされたら、きっと今日のことを思い出すんだろうな。

「ま、元気にやりなよ」
「うん。ありがとう」

 建物が崩壊していく。私は、この光景を前にも見たことがある。あの呪われた本丸もそうだった。そしてここも、ついに朽ちていく。

「主!!」

 あの日、初めて『神域』に迷い込んだ時のように。陸奥守が私の手を掴む。そして今度はまっすぐ、出口に向かって走っていく。

「みずのさま! どうかおげんきで!!」
「君の幸せを心から願う! 達者でな!!」
「ありがとう! さようなら!」

 最後までこちらを気にしてくれる二人に出来る限り声を張りあげて別れを告げる。そうして陸奥守に引っ張られるまま門へと飛び込めば、その一瞬後に門も暗闇に押し潰された。



***



 ――背後から破滅の音が迫っている。

 バキバキと建物が崩れ、崩壊する音を聞きながら去っていく刀たちを見送っていると、私の体に触れていた燭台切様の手が離れた。

「……? 燭台切様?」

 これから私は地獄に堕ちる。とっくに死んだ身だ。今更現世に未練もない。だから心置きなく死ねると思ったのに、何故か燭台切様は泣き笑いのような複雑な表情を浮かべていた。

「主。僕たちも“さようなら”だ」
「え?」
「何だ。お前はてっきり戻るものだと思っていたぞ」

 燭台切様のおしゃっていることの意味が分からず問い返そうとしたが、近づいてきた山姥切様が先に口を開いたので押し黙る。

「うるさいな。僕だって無責任じゃないんだ。ちゃんとしでかしたことについての“代償”は支払うさ」
「しゅしょうなこころがけですね」
「君もうるさいよ。今剣。ずっと僕の邪魔をして、こんな状態じゃなかったら今すぐにでも折ってやりたい気分だ」
「おお、こわいこわい」

 かと思えば今度は百花さんの本丸にいた今剣様が近づいてくる。そういえば、今剣様は山姥切様とずっと行動を共になさっていたのだった。親しい間柄、になったのだろう。もう、残された時間はほとんどないけれど。
 彼は燭台切様をからかうように見上げ、案の定嫌そうに言葉を返されている。だけど堪えている様子はない。お互い命を懸けて戦った相手でも、死に際には打ち解けるものなのだろうか。不思議で、美しい関係だと思う。私たち人間もこうあれたらよかったのに。

「主。最後に一つ、教えてあげる」
「はい。何でしょうか」

 先ほどまでは不服そうな顔をしていた燭台切様も、私を見下ろす時には慈愛に満ち溢れた優しい表情を浮かべる。それはまさに、仏様のような優しいご尊顔だった。

「君の“罪と罰”は、僕たちが持っていくよ」
「ああ。だがあちらでの償いは必ず自分自身の手で行うことだ」
「え? え? あの、それは、一体どういう――」

 意味なのかと問おうとした瞬間、足場がなくなる。

「ッ!!」

 ヒュッ、と息を飲んだのも束の間、母の胎内に戻ったかのように世界が赤い水で満たされる。

「――ッ!」

 咄嗟に両手で口元を覆うが、何をしているのだろうか。私は死んだ。呼吸なんて必要ないのに。
 口から手を離そうとしたが、突然誰かにその手を止められたように腕が動かなくなる。

「?!」

 しかもそのまま体が流されていく。母の体に溶けていく山姥切様や燭台切様、今剣様とは違い、私だけがあの“現世”へと繋がる門に向かって流されていく。

 待って!! そんな、イヤだ!! 私は、今度こそ山姥切様たちと一緒に……!!

 だけど腕を伸ばそうとした瞬間、頭の中に優しい声が響いた。

『――生きて。それが、“お父さん”の望みだから……――』

 ま、待って、待って! 待って!! ねえ! 待ってよ!!

「お母さん!!」

 かつて、私が幼い時に死んだ母。もうその顔も声も思い出せなかったはずなのに――。

「おかあさん……」

 私の願いを聞き入れてくれた“母”の声は、まさしく自分の“母親”の声だった。例えそれが私の脳に響かせるために最も利用しやすい声だったのだとしても、“母”に願われては、拒むわけにはいかなかった。そして彼女が謳う“父”とは、語られずとも分かる。私を愛し、救おうとしてくれた一振りの刀。例えそれが私の望んだ方法とは違ったとしても、姿かたちを変えてでも傍に置こうとしてくれた。それが畏れ多くて、だけど――私は、それら全て受け入れて生きていかなくてはならない。“父”と“母”と、そして私を支えてくれた二人の神様の命を無駄にしないためにも。

 色は赤くとも穢れのない、すべてが浄化された生命の水に抱かれて、私は再び世界に生れ落ちようとしていた。



続く





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