小説
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 廊下を走りながら他の人たちをどう説得しようかと考える。だって私を暗闇に落とし込む時、彼女たちは「邪魔をするな」と明確に敵意を現してきた。そんな相手が、だ。再び現れて「オッスオッス! 今からこの建物壊れてわしら死ぬから、死にたくなかったら一緒に現世に帰ろうぜ!」なんて言ったところで追い返されるのがオチだ。どうしたものか。
 うーん。と悩んでいると、一緒に来てくれた今剣が心配そうに見上げてくる。

「いかがいたしましょう。かのじょたちはあるじさまとちがってまだ“めがさめていない”とおもうのですが……」
「だよねぇ。どうすっかなぁ……」

 悩みながらも廊下を進んでいる時だった。突然「キャアアア!!」という叫び声が聞こえてくる。足の速い今剣が先にそちらに向かって駆けよれば、とある部屋の奥から一人の女性が転がり出てきた。

「どうして、なんで……! いや、大倶利伽羅……!!」

 あれはタトゥーを入れていた女性だ。彼女はボロボロと泣きながら、部屋の奥から這い出てきた物体に怯えたように体を小さくして壁に張り付く。

「ア、ル、ジ……」
「イヤア! 来ないで!! 私の大倶利伽羅を返して!!!」

 大泣きする彼女に向って手を伸ばしているのは、確かに大倶利伽羅だ。だけど、それは本物の大倶利伽羅ではない。この紛い物の世界が作り出した、紛い物の大倶利伽羅だ。

「みずのさま!」
「了解!」

 ずるずると這い出てきた大倶利伽羅は水に濡れた泥のように表面を濡らしながら、闇を虚ろで包んだかのように靄掛かった得体のしれない化け物と化している。アレが本来の姿なのだ。この世界での、紛い物の世界での、刀剣男士の姿だ。

「ほら立って! 泣いてる暇があるなら逃げますよ!」
「いや、いや……!」
「ああもう! 泣いてたら本当の本当に“大倶利伽羅”に会えなくなりますよ?!」
「いやぁ!!」
「アカン! ちょ、誰か来てーーー!!!」

 今剣は走ることは出来ても折れているから刀になることが出来ない。彼女は彼女でガチガチに固まっているうえに「梃子でも動かん」と言わんばかりに壁に張り付いて駄々を捏ねて微動だにしないし。どうにか外した襖を使って偽物の大倶利伽羅がこちらに来ないよう尽力してくれている今剣がいつまでもつかも分からない。こんな時『感知能力』以外の力があればなあ!! 現金だけど考えちゃうよね!! なんて愚痴りたい気持ちでいると、私の声を聞きつけてくれたのだろう。昔以前私を別本丸から引き上げてくれた時のように、刺青の入った浅黒い肌がその鋭い一閃を放つ。

「…………ッ!!」

 偽物の大倶利伽羅は、本物の大倶利伽羅の手により切られ、虚空へと消えていった。

「大丈夫か?」
「大倶利伽羅! ナイスタイミング!! ありがとう! 助かったー!!」

 きゃっほーい! と思わず両手を挙げてその体に抱き着けば、大倶利伽羅は「別に」と相変わらずの塩対応を返してくる。でも私の肩に置いた手は優しい。多分だけど、私の声が聞こえた瞬間走り出してくれたんだろうな。相変わらず頼りになる男だ。

「お、大倶利伽羅……?」

 あ。忘れてた。いや! 今この瞬間だけちょっと頭の片隅に追いやってしまっただけで、本当に忘れたわけじゃないよ?! でも蹲っていた女性は大倶利伽羅を見上げると、ようやく震える足で立ち上がる。

「あんたは……」
「大倶利伽羅! 会いに来てくれたのね?! 嬉しい!」
「ぐえっ」

 こ、この人……! 私がいても関係なしか?! まさかの“私ごと大倶利伽羅を抱きしめる“という暴挙に出た女性に驚いていると、大倶利伽羅も「おい」と若干戸惑ったような声を上げる。
 因みに言うと私も苦しいです。大倶利伽羅の胸板と自分より背の高い女性に挟まれて、潰れたタコ焼きみたいになりそう。もしくは横に広いたこせんべい。

「ずっと会いたかった……。もう離さないでね……」
「おい。何を勘違いしている。俺はあんたの刀じゃない」

 流石容赦のない刀代表でもある大倶利伽羅だ。泣いている女性であろうと関係なく引きはがす。うん。でもおかげで私もたこせんべいにならなくて済んだんだけどさ。
 だけど女性はかなりショックだったらしい。ようやく泣き止んだと思ったのに、また泣きながら大声で喚きだす。

「なんで?! どうしてよ!! 私よりそっちのチビでデブでブスな女の方がいいの?!」
「容赦なくdissってくんね?! いや事実なんだけどさ?!」

 チビでデブでブスで、って本当、悲しいぐらい否定出来る要素ゼロなんだけどさ! 流石にちょっと、そんなナチュラルにディスられると驚くよ?!
 でも大倶利伽羅は私と違ってムッとした空気を纏うと、眉間に皺を寄せてその女性を見下ろす。

「俺の主がどんな姿であろうとあんたには関係ない」
「ッ!」
「それに、自分が惚れた男かどうかも分からない女に、俺は惚れたりしない」
「――ッ!!」

 お、おお……。容赦ねえ……。いつの間にか大倶利伽羅の両腕に抱き留められていたことに気づいてぽんぽんと胸板を叩けば、大倶利伽羅はすぐに離してくれる。

「みごとなきれあじでしたね……」
「うん……。容赦なかったね……」
「フン」

 顔を背ける大倶利伽羅だけど、再びへたり込んで涙を流す女性に近づくと、片膝を折ってその女性に改めて声をかける。

「もう一つ、追加で教えてやる。俺という刀は、そんなに塞ぎこんで泣くばかりの女をいつまでも想いはしない。死ぬまで愛してほしいなら、自分の足で立ち上がれ」

 その言葉に女性ははっとしたように顔を上げる。どうやら彼女も“目覚めた”らしい。大倶利伽羅も深く分からずとも何となく彼女の意識が変わったのを感じたのだろう。先ほど引きはがした時とは逆に、その手を伸ばす。そうして彼女も、先ほどとは打って変わっておずおずとした様子でその手に自らの手を乗せた。

「主。連れて帰るのはこの女だけか?」
「いや、まだあと三人いる」
「連れてきた方がいい刀はいるか」
「うん。光忠と長谷部。頼める?」
「分かった。すぐに連れてくる」

 大倶利伽羅は立ち上がった女性を背負うと走っていく。その際女性は一瞬、ちらりとこちらを見たけれど、すぐに大倶利伽羅の首にしがみついた。
 ……多分、彼女は大丈夫だ。戻ってきてくれる。あとは……。

「まにあいますかね」
「どうかな。こればっかりは賭けるしかない」

 きっとこの“理想郷”が成り立っているのはあの三日月宗近がいるからだ。今彼がどこにいるのかは分からない。表の合戦上からは姿を消していたから、きっとどこかにいるはずだ。だけどそれよりも先に考えなくてはいけないことがある。

「最後のあの女性……どう説得すればいいんだろう……」

 彼女は特別好いた刀はいそうになかった。平安刀、は確かにいるけど、私の刀を連れて行ったところで彼女の心が揺れ動くとは思わない。だって、なんというか、彼女の世界はもう“完成”されていると思ったのだ。他の人たちとは違う。思い合った刀と結ばれて初めて世界が完成するわけじゃない。彼女は彼女一人と、誰か適当に“愛せる”男がいるだけで世界は完成してしまう。そう感じた。

「主!」
「伽羅ちゃんから聞いたよ! 僕たちはどうすればいい?」
「長谷部、光忠。今から他の審神者たちを説得しに行くから、力を貸して」

 果たして今回みたいにうまくいくかは分からない。それでも、同じ刀同士なら何か伝えられることがあるかもしれない。説得できるかもしれない。そんな気持ちをもって頼めば、二人は「主命とあらば」「お安い御用さ」と言って引き受けてくれた。

「確か燭台切と恋仲だった人は……」

 先ほど女性と同じく一階にいたはずだ。廊下を進んでいると、あの扇の絵が描かれた襖が見えてくる。

「あった! あそこ!」

 ただ先ほどとは違い静かだ。さっきは偽物の大倶利伽羅が姿を保てずドロドロになりながら這い出てきたのに。もしかしてあの燭台切はまだあの姿になっていないのかな? 分からないけど、ひと声かける手間すら惜しくて辿り着いた瞬間襖を勢いよく開ける。だけどそこには誰もいなかった。

「あれ? 確かこの部屋だったはずなんだけど……」

 首を傾けていると、今剣が「みずのさま!」と声を上げる。

「みてください! ちかにつうじるみちが……!」
「また地下かよ!! えーい! こうなりゃとことん首突っ込んだるわ!! みんな行くよ!!」
「はい!」

 地下に通じる階段の脇には等間隔で蝋燭が灯されている。だから足元に多少注意すれば見えなくはないんだけど、それでも妙な薄気味悪さは拭い去れない。
 それでも、それを振り切るようにして階段を駆け下りれば、あの遊郭じみた地下へと出る。

「ここは……」
「驚くのもわかるけど、今は探すのが先。行くよ!」
「はい!」

 私自身「どういうことなの」って驚いたから気持ちはわかるけど、今は一秒でも惜しい。手あたり次第部屋を開けて中を確認していけば、燭台切が「主!」と呼ぶ声が聞こえてくる。どうやら見つけたらしい。

「しょくだいきり、さん……」
「ウゥ……アァ……ウゥウウゥ……」
「か弱い女の子に圧し掛かるなんて、格好良くないね。こんなのが僕と同じ姿をしていただなんて、考えるだけでも吐きそうだよ」
「やったれ燭台切!! 渾身の一撃をお見舞いしたれ!」
「オッケー! 任せて!」

 先ほどの大倶利伽羅同様、いや、それよりも更に悪い。ヘドロのように異臭を放ちながら床を這いずる敵を、燭台切はものの見事に両断してみせた。

「青銅の燭台だって切れた僕の切れ味、如何だったかな? あ、もう意識はないか」
「ヒューッ! さっすが光忠! 煽りスキルパネェーッ!」
「えへへ。まぁね」
「……それ、褒めてるんですか? 主」

 半ば呆れたような声音の長谷部に苦笑いを返しつつ、部屋の隅で震えていた女学生へと近づく。

「大丈夫ですか?」
「ヒッ!」

 女性は無残な姿にされた制服を必死にかき集め、震えていた。襲われたのだろう。酷い話だ。燭台切は自らが羽織っていた上着を脱ぐと、その女生徒にかける。

「大丈夫? もう怖くないよ」
「しょ、しょくだいきりさん……!」
「うん? 怖かったね。でももう大丈夫。僕と僕の主が、君をちゃんと連れて帰るからね。お父さんとお母さんのところに帰ろう」

 にっこりと、優しい笑みを浮かべる燭台切に安心したのだろう。その子も大粒の涙を堪えきれないように溢れさせると、声をあげながら泣き出す。

「うんうん。怖かったね。よく頑張ったね。偉いね」
「うええぇええん! ごめんなさ、ごめんなさい……! 燭台切さん……!」
「うん。でも謝るなら僕じゃなくて君の刀に謝ろうね。大丈夫。きっと許してくれるよ。だから帰ろう。ね?」
「うん……!」

 女生徒を抱き上げた燭台切は、私たちを見下すとニコリと笑う。

「それじゃあ僕はこの子を連れて行くから。長谷部くん。主を頼んだよ」
「ああ。お前も、その子をちゃんと連れて行くんだぞ」
「任せてよ。じゃあ、またあとでね。主」
「うん。ありがとう。光忠」

 また一人目覚めさせることが出来た。残るは二人。ここに来たのならあの女性の元に行った方がいいんだけど、正直長谷部を連れて行っても無駄だ。だからまずは二階にいる彼女から会いに行こう。

「長谷部、今から二階に行くよ」
「はい。お任せください」
「みずのさま、おくのかたは……」
「その人は最後。助けられる人を放ってはおけない」

 彼女は、最悪この理想郷と共に“死”を選ぶ可能性がある――。ならばまだ可能性が残っている方から先に助けるべきだ。嫌な取捨選択だけど、背に腹は代えられない。

「行くよ!」
「はい!」

 降りてきた時同様階段を駆け上がり、一階の廊下を駆け抜け、二階の廊下を駆け上がる。本当に走ってばかりだ。でも不思議と疲れはない。それは多分、私の体が“現世から離れつつある”からだ。魂と肉体とが乖離し始めている。だからこそこんな風に駆け抜けることが出来るのだ。そうでなければ今頃「ちょ、ま、ムリ……! タイム……!」とか言って蹲っている。今のところ二人はそれに気づいていないみたいだけど、これだと最悪、陸奥守に『返事』が出来ないまま竜神様の胃袋の中へと直行しそうだ。

 それを悔しいと思わないこともない。だけど今は彼女たちを助ける方がもっとずっと大事だから。ごめん。陸奥守。もし『返事』が出来なかったら、その時は怨んでくれ。

「みずのさま! あそこです!」
「よし! みんな突撃!!」

 指示を出しつつ今剣が指示した部屋へと特攻する。先行していた今剣がドアノブに飛びつき、そのまま壊す勢いで開けば長谷部がそのまま潜り込む。そして中から断末魔が聞こえてきた。
 ……はっえぇな。おい。流石の機動力、どころの話じゃないわ。あいつ見つけた瞬間切ったな? 伊達に織田信長に名付けられた刀じゃないわ。棚ごとへし切ったと言われたその男は、案の定女性が驚きすぎて悲鳴を上げる暇すら与えないうちに敵を切り伏せていた。

「主。終わりました」
「いや! 終わりましたじゃないから!!」

 そんなにこやかな顔で振り返えってもだなあ!! 半ば呆れつつも突っ込めば、女性もようやく事態を把握したらしい。動揺を隠せず私たちと困惑したように見やる。

「ど、どうして、あなたたちが……」
「主命でしたから。敵を切り伏せました。お怪我はございませんか?」
「今更取り繕っても遅いぞー」
「いえいえ。取り繕うなどと。主が“助ける”と決めた方なのですから、相応の対応をするのは当然のことかと」

 現金なものだ。いや、ある意味では優秀なのか? だけど先ほどの二人とは違い、彼女は私たちの会話を聞くと憤怒の表情を浮かべる。おや? これは……。

「どうして邪魔するのよ! 私言ったわよね?! 奪わないで、って!」

 彼女は傍にあったクッションをつかむとそのままこちらに向かって投げてくる。それは私に当たる前に長谷部がキャッチしたけど、こんな反応は初めてだからどうしたものか。と今剣と視線を合わせる。

「ふむ。如何いたしましょう主。どうやらこの方、助かりたくないご様子。介錯いたしましょうか?」
「待て待て! 何でそんな血の気が多い発言すんの?!」

 だがここにきて突然長谷部がとんでもないことを言い出す。確かに怒ると長谷部も「織田の刀だな」と分かるような発言をするけど、これは最速じゃないか?! 驚いて見上げれば、長谷部は至って平然とした様子で答える。

「いえ、だって残された時間は残り僅かでしょう? 正直な気持ちを申し上げると、俺はこの方より主の方が大事です。ですので、主を失うぐらいならこの方を切ってでも主を現世に連れて帰ります」
「んん……成程……そういう考えね……」

 まぁ、その言い分は分からなくもないんだけど……。ただ私が“助ける”と決めているからすぐには刀を抜かないだけなのだろう。本来の彼なら主である私に口答えした時点で切り伏せているはずだ。だいぶ穏やかになったと思えばいいのか、それとも主命に忠実だからと思えばいいのか。微妙なところだ。

「でも、あの、ここにいた長谷部は偽物ですよ? 正真正銘の、あなたが愛した刀ではありませんよ?」

 酷な現実だとは思うが、それでも敢えて事実を突きつける。だが彼女は驚くことに「そんなことは分かってるわよ!」と言い返してきた。

「それでも私との思い出を全部、ちゃんと覚えてくれていたから……! だから、」
「新しい俺との出会いよりも、泥で作られた俺の方がよかったと」
「ッ、そうよ! 悪い?!」

 これは酷い逆切れだ。長谷部は「ふむふむ」と頷くと、再度私へと視線を戻す。

「もうこの方、放っておいた方がいいのでは?」
「う、うーん……それは流石に……」

 どうなんだろう。でも新しい長谷部に会うのも嫌なぐらい喪った長谷部を思っていた。ってことなんだろうな。私はそこまでの気持ちを誰かに抱いたことがないから、彼女に届く言葉が見つけられない。

「それよりも、何の嫌がらせ? 私の前にわざわざ長谷部を連れてくるなんて。自慢? 自分の長谷部はまだ元気で、ここにいるんだ、って。長谷部を喪った私を笑いに来たの?!」
「ち、違います! そんなつもりは……!」

 やばい。これは話が通じるタイプじゃないぞ。完全に理性を失うレベルで怒っている彼女に今剣も危険だと判断したのだろう。小声で撤退を進言してくる。

「みずのさま、このかた、もうむりでは……?」
「俺も同意見です。これ以上は時間の無駄かと」
「あんたらシビアね! まぁ、気持ちは分からなくはないんだけど……」

 こちらを睨みつける彼女からはとんでもない怒気を感じる。というより殺気か。冷や汗を掻いていると、開けっ放しになっていたドアからズルズルと何かが入ってくる音がする。

「げえ!!」

 それは完全に原型を留めていない“ナニカ”だった。泥というよりもほとんど液体だ。なんていうか……段々形を保てなくなってきてないか? こいつら。三日月の力が弱まっているのか、それともこの“理想郷”の母体である“母”が弱ってきているのか。どちらによせこのまま悠長に説得はしていられない。

「長谷部! こうなれば力づくでいく!」
「焼き討ちですか? それともへし切ますか?」
「どっちも却下! 普通に捕まえる!」
「主命とあらば」
「ちょ、やだ、触らないで!」
「はせべさん、はやく! みずのさま、ぼくたちはさきにでましょう!」
「分かった!」

 嫌がる彼女を長谷部に任せ、ドロドロと這い寄ってくる泥に触れないよう部屋から飛び出る。

「いやだ! 離して、離してよ!」
「我儘ばかり言ってはいけませんよ。以前、俺からそう言われませんでしたか?」

 長谷部にとっては何気ない一言だったのかもしれない。それでも彼女はその言葉にピタリ、と抵抗の手を止めると、ぐっと唇を噛み締める。

「いけませんよ。そのように唇を噛んでは」
「うるさい! 長谷部と同じようなこと言わないで!」
「はあ。そうは言っても俺も『へし切長谷部』なので。それは無理なお願いというものではありませんか?」
「ちょっと! あんたのところの長谷部どうなってんのよ!!」
「えー……その、すみません」

 私自身長谷部がこんな意地悪言うなんて初めてだから、ちょっと戸惑っているのだ。だけど長谷部は女性を背負うと、飄々とした様子で走り出す。

「俺は俺ですよ。どこの本丸に顕現しようと、主を第一に考えている刀です」
「……知ってるわよ。そんなこと」
「で、あれば。本当はお分かりになっているのではないですか? 俺という刀が、今のあなたを見た時に何と言うか」
「…………」

 走りながらも長谷部は淡々と言葉を紡ぐ。それはきっと、長谷部なりの労り方なんだと思う。燭台切のように寄り添うことはせず、大倶利伽羅のように手を差し伸べるわけでもない。それでも私が『助ける』と決めたから最後まで尽力する。誰よりも『主命』に忠実な刀だからこそ、長谷部はこんな方法を取ったんだろう。

「駄々を捏ねるのも我儘を言うのも、許されるのは子供の時だけです。あなたはもう成人していらっしゃるのでしょう? ならば相応の働きを見せなさい。褒美をもらうのはその後です」
「……私の長谷部は、こんなに厳しくなかった……」
「当たり前です。俺はあなたの刀ではありませんから。悔しかったら新たに俺を呼び、その俺と共に生きなさい。以前の俺に負けないぐらい、以前の俺と、新しい俺が張り合うぐらい、過去の俺を愛し、新しい俺を重宝してください。それが無理なら、現世で俺よりいい男を捕まえるべきですね」
「……あなた、嫌な男ね」
「“へし切長谷部”。棚ごと茶坊主を押し切った刀ですから。恋の未練も断ち切って見せますよ。ええ、主命ですからね」

 長谷部の言葉に彼女は少し黙った後、疲れたように目を閉じた。

「……あなたよりもっといい男に育てるわ」
「それはそれは。楽しみですね」

 走りながら長谷部が口元を緩める。私の言葉では無理だったけど、“へし切長谷部”の言葉なら届いてくれたらしい。感謝の意味も込めて両手を合わせ、そのまま一階へと駆け下りた。




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