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 目の前が真っ白に染まる――。そしてすぐさま、世界が割れるような音がした。



『終息』



 卵の殻にひびが入るような、あるいはもっと乾いた地割れのような音がしたかと思ったら、最後にはガラスが弾け飛ぶような激しい音に同時に突然空へと放たれる。

「へ?」

 ヒュッ、と頬どころか体全体で感じる風と浮遊感。だけどそれを認識した瞬間、重力は己の役目を果たさんとばかりに仕事を始める。

「おごおおおおおおお?!?!」

 あの暗闇を浮遊していた時に上へと登っていたのか。それとも他に理由があるのか。分からないが、私は突然やりたくもない『パラシュートなしのスカイダイビング』をする羽目になった。

「いやいやいやいやいや!!! アカンアカンアカン!!! 無理無理無理! 死ぬわこんなん!!!!」

 焦っている場合ではないんだろうけど無理!! 焦るわこんなん!! だってどう考えてもこのまま落ちれば地面に直撃して『THE・END』じゃないですか! それもコンティニューなしの一回きりのゲームオーバーだ。いやいやいや。それどんなクソゲー? って言うてる場合じゃないんだけどね!! これが自分の最期とか嫌すぎるんだが?! もうイヤーッ!!

「いぎゃあああああ!!! 誰か助けてーーーーーっ!!!!」

 地面まで残り数メートル――。

 ああ……これはもう無理ですわ。だって翼なんて生えていませんし? 目下の地表には誰もいませんし? 助けてくれる可能性があるとしたら今剣だけど、小さな体ではドスコイ体型の私なんて受け止められるわけありませんし? こりゃ無理だわ! 生まれ変われないけど万が一、いや、億が一でも生まれ変われたら今度こそ幸せな人生を歩む!! もう平々凡々な、戦争とか刀とか神様とか無縁の!! そんな諦めの境地に至った時だった。

「おぶえッ」

 バシャン!! という水の音と共に落ちる勢いが止まる。瞬きを繰り返せば、どうやら本当に水の中にいるらしかった。
 ……どういうことだ?

「って、アレ? 息が出来る……」

 揺蕩う水の流れを感じていると、そういえば以前にもこんな体験したな。と思い出す。
 ――あ、そうだ。竜神様だ。
 理解した瞬間流れる水が形を持つ。それは長い体を、それこそ流水の様に揺らす竜神様だった。

「うおおおおおお?!?!」

 だけど静かに揺蕩っていたのはほんの数秒だった。落ちる私を腹の中に収めた竜神様は勢いを殺すことなく目の前の建物に突っ込む。当然『理想郷』と言えど建物は建物だ。竜神様の強靭な体がぶつかったことで柱は折れ、襖はひしゃげて吹っ飛び、畳はボロボロになりながら襖と一緒にどこかに飛んだり折れたり、跳ねあがって庭に転がって行った。

「ぶへっ!」
「何事だ?!」

 バタバタと廊下を掛けてくる音が複数聞こえてくる。だけどその間に竜神様は私を吐き出すと、すぐさまその体を霧散させた。

「げっほ、げほ、ごほ! あー……死ぬかと思った……」

 竜神様の中にいたからか全身ずぶ濡れだ。だけど寒くはない。濡れた衣服がまとわりついて重たいわけでも、不快なわけでもない。むしろ……何だろう? 清められた感じ? 現に濡れた衣服は徐々に乾きつつある。速乾性があるタイプでもないし、きっとそういうことなのだろう。

「みずのさま!!」
「今剣さん!」

 廊下の奥から駆けてきたのは今剣だった。だけどその奥からは三日月も走ってきている。……うん。流石に「まさか追いかけっこでもしてるんです?」なんてふざけたことを抜かせる状況ではない。

「よくぞごぶじで……!!」
「ありがとうございます。それよりも、」

 飛んで行った襖を蹴り飛ばし、眉間にしわを寄せた三日月がこちらに向かって刃を向けてくる。

「そなた……ほんにしぶとい女子よな」
「いやー、本当自分でもそう思いますわ。でも、そう簡単に死にたくはないんで」

 そうはいってもこちらは丸腰だ。今剣だって戦える状況ではない。何せ彼は一度折れているのだ。自身を刀に戻すことすら難しいだろう。三日月もそれを分かっている。だからこそ怒ってはいても余裕の笑みを口元に浮かべ、その刃を掲げた。

「だが悪足掻きもここまでだ。そなたの命、この『理想郷』の糧にしてくれよう」
「生憎ですが、了承できかねます」

 だって、まだ彼に返事をしていないから――。こんなところで倒れるわけにはいかないんだ!

「戯言を! 今剣共々刺し貫いてくれる!!」
「みずのさま!」

 今剣が庇うようにして腕を伸ばしながら飛び込んでくる。その小さな体を受け止めながら、どうすればこの状況から抜け出せるのか必死に考えた。
 考えて、考えて――でも、何も思い浮かばない。一難去ってまた一難。結局、私はいつも誰かに助けてもらわなければ死んでしまう脆い人間なのだ。だからせめて、最期の瞬間だけは――。

 足掻いてみせようと、今剣を体に抱き込んだ。

 でも私と今剣の体に三日月の刃が届く直前、突如体が光だす。

「な、んだ?!」
「ん? え?! ちょ、なにこれ?!?!」
「み、みずの、さま……?」

 足元に謎の魔法陣みたいなものが浮かび上がる。えええええ?! ちょ、ま、なにこれ?! 本当に何だこれ?! 怖いんだが?!?! まさか何かを召喚するために“生贄”に選ばれたとか?!
 内心騒いでいると、突然足元から上空にかけて桜の花びらが舞い上がる。
 まるで――そう、まるで、刀剣男士が顕現する時のように。

「……な、どういう、ことだ……?」

 目の前にいた三日月の目が驚きに見開かれる。それはそうだろう。私だって彼と同じような顔をしている。腕の中にいる今剣もそうだ。だって、私たちの前に現れたのは、見間違うことなどありえない。私の、私の『三日月宗近』だったからだ。そしてその隣には『山姥切国広』も立っていた。

「うむ? あなや。ここはどこだ?」
「水野殿! ご無事か?!」
「山姥切さん……! はい! 大丈夫です!」

 どうやらうちの三日月は事態を理解していないらしい。かなりきょとんとした様子で周囲を見回すが、山姥切の方はすぐに私たちの方を振り返るとほっと表情を和らげる。

「よかった……間に合って、本当によかった……!」
「ん? おお! 主! 主ではないか!!」
「あはは……なんだか久しぶりだね」

 三日月はようやく後ろに立っていたのが私だと気づいたらしい。振り返ると山姥切を押しのけてまで手を握ってくる。会えたのは嬉しいんだけど、後ろ。後ろ見て。

「山姥切……そなた……」
「三日月宗近。お前が主に向ける気持ち、分かっていたつもりではいたが……まさか主を殺してまで己の欲を満たすほどとは思ってもみなかった。俺の落ち度だ。全く、腹立たしいにもほどがある」

 山姥切と三日月は互いに向き合い、睨み合う。それにしても、どうしてうちの三日月と山姥切が一緒だったのか。再会を喜びつつも自身の柄に手をかけている三日月にそっと尋ねる。

「ねぇ、三日月さん。どうしてあちらの山姥切さんと一緒だったんですか?」
「うん? ああ、どこから話せばいいのやら……だが、そうだな。事態が事態だ。手短に話すと、あの山姥切はそなたと別れた後我らの本丸に流れ着いていたらしい」
「うちの本丸に?」
「ああ。どうやら竜神殿に運ばれたらしいが……どうしてここに来られたのかは分からぬ。すまぬな」
「いえ、でも助かりました」

 あとほんの数秒遅かったら、私と今剣は確実に殺されてこの世界の養分にされていたことだろう。どうして山姥切が竜神様の手によってうちの本丸に運ばれたのかは分からないけど、彼がいなければ確実に終わっていた。だから、うん。それでよかったのだと思う。

「みずのさま、いまのうちに」
「うん。行こう。三日月、任せてもいい?」
「はっはっはっ。何を気弱なことを言うておる。そなたは我らの主。頼むのではなく、命令するがよい」
「え?」

 我“ら”? 呆けたのは一瞬だった。数メートル斜め後ろにあった門が突然大きな音ともに破壊される。

「何事だ?!」

 焦ったように声を荒げ、睨みつける三日月の視線の先。先ほどいなくなったはずの竜神様が土煙の中から姿を現すと、その長い尾を地面に打ち付け、立ち込める土埃を全て薙ぎ払った。

「ごほっ、主! 主はどこだ?!」
「大典太さん!」
「あそこ!」
「本当だ! 主だ!!」
「主!」
「あるじさーん!!」
「主君! ご無事ですか?!」
「みんな……!」

 竜神様は再び姿を消したが、私の、私の刀たちは破壊された門の奥から駆けつけてくる。だけど向こうにとっては忌々しい侵入者だ。三日月は自身を鞘に納めると、そのまま強く地面を突く。

「我が領域をこれ以上侵すことは許さん!! 皆養分にしてくれる!!」
「うわ?!」

 三日月が地面を突いた途端足場が揺らぎ、またあの“穢れた血”が勢いよく足元を覆っていく。

「なんじゃあ?!」
「むっちゃん! 皆! 気を付けて! これはただの“血”じゃない! “穢された血”なの!」
「な、んちゅうもんを使いゆう!! こがなこと神様がするもんじゃないぜよ!!」
「全くだ……! 付喪神の名が廃るってものだ……!」
「しかしこの勢い、なかなかどうして侮れんぞ……! 先に進めん……!」
「くっ……! あと少し、もう少しで、主のところに行けるのに……!」

 穢れた血は皆にとっても毒だ。だけど私に浄化できる力なんてない。それに私自身次から次へと押し寄せてくる血の海に前に進むことが出来ない。一体どうすれば……!!

「祓いたまえ! 清めたまえ!」
「この声は……」

 ザバッ! と水を薙ぎ払うような音と共に、一瞬だけど、立ち込める血の匂いが薄くなる。だけどそれはすぐさま元に戻り、皆と同じように門の奥から現れた刀たちは苦い顔をする。

「やれやれ……これはとんだ厄落としになりそうだ」
「石切丸、太郎、次郎、これどうにかなんない?!」
「やってはみるけどあんまり期待はしないで欲しいなー! だって濃度がどえらいことになってるからさ!」
「ええ、やれるだけのことはやりますが、すぐに、とはいかないでしょう」

 どうやら私の刀に続き、百花さんの刀たちも応援に来てくれたらしい。だったら、

「加州! 一緒に行こう! 百花さんのところへ!!」

 せめて加州だけでも、彼女に会わせたい。でもそれを見逃してくれる三日月でもない。すぐに血の勢いを強くする。

「それ以上、一歩たりとも侵入させはせん。そこでもがき苦しみ、最期には力尽きて養分になるがいい」
「くっ……! これでは、前に進めん……!」
「主、せめてそなただけでも……!」

 ダメだ。このままだと皆血に穢されて養分にされてしまう……! だけど逃げようにも逃げられない。むしろ一歩でも動けば体勢を崩して血の海に真っ逆さまだ。沈んだ後はどうなるか分からない。すぐに起き上がれるのか、それとも溶かされるのか。だけど私が倒れないよう支えてくれる今剣や山姥切もいつまでもつかはわからない。折角ここまで来たのに……! 悔しさのあまり奥歯をぐっと噛み締めていると、建物の二階、とある部屋の窓が勢いよく開く。

「あれは――」

 放り投げるようにしてその部屋から降ってきたのは、数多の“造花”たちだった。

「ももか……?! 何故?!」

 三日月の驚く声がする。対する百花さんは、窓の縁に両手をつくと体を乗り出してこちらを見下ろしてくる。

「今剣くん!」
「あるじさま!!」
「! 三日月さん! 今剣を!」
「心得た!!」

 百花さんは、今剣を視認出来るようになったらしい。彼女は自らも血の海に飛び込まんと窓から身を乗り出し、今剣は彼女を受け止めようと走り出そうとする。だけどこんな足場じゃ絶対に倒れるだけだ。だから私は三日月に“命令”した。今剣を“投げろ”と――。

「行け! 今剣!」
「はい!!」

 自らの足に力を入れ、三日月は今剣の首根っこをつかむと勢いよく百花さんの方へ向かって投げ飛ばす。

「あるじさま!」
「今剣くん!」

 そして宙を漂っていた百花さんが投げた造花がようやく血の海へと落ちる。あの赤い花が水面に触れ、その瞬きの間とも呼べる一瞬で穢れた血は透明になるほど浄化される。

「な、これは……」
「彼女の力、なのか……?」

 窓から飛び出した百花さんを今剣は無事抱き留めると、そのまま転がるようにして浄化された海へと落ちてくる。

「ぷはっ! あるじさま、ごぶじですか?!」
「うん……うん!」

 全身ずぶ濡れになりながらも、それでも今剣は百花さんに怪我を負わせることなく着地した。百花さんもようやく、本当に“会いたかった”今剣と会えて嬉しいのだろう。大きな目にいっぱいの涙を浮かべながら何度も頷く。

「ももか、そなた何故このような……」
「ごめんなさい。三日月のおじいちゃん。でも、わたし、今剣くんがこれ以上傷つくの見たくない!」
「そうか……。そなた、“目覚めた”か」
「“目覚めた”? それは、どういう意味ですか?」

 あれだけの穢れた血を一瞬で浄化した百花さんを見ていた三日月は、質問した私に視線を移すとため息をこぼす。

「貴様も覚えているであろう。“母”の“子”である彼女らは眠っていた。“母”が見せる夢を、ずっと見続けていたのだ」
「それじゃあ……」

 確かに繭を裂いた時。中から引きずり出した皆は目を閉じたままだった。意識がなく、どんなに呼びかけても揺さぶっても反応はなかった。でも、もしその“夢”から“覚めた”のだとしたら――。

「……ありがとう。お姉さん。わたし、やっと今剣くんに会えたよ」
「うん。私こそありがとう。百花さんがいてくれなかったら、今頃死んでたよ」

 勢いを失った血の海がさらさらと足元を流れていく。ようやく動けるようになった刀たちはそれぞれの主たちの元へと駆け出す。

「主!」
「主様!」
「主君!」
「みんな……!」

 体を支えてくれていた山姥切は手を離し、代わりに駆け付けた刀たちが触れてくる。そして百花さんの方にも、加州を始めとした多くの刀たちが駆け寄っていく。

「主! 主……! よかった! 本当に、よかった……!」
「主、よくぞご無事で……! またこうしてお会い出来ること、心より嬉しく思います」
「もう、長谷部くんったら。こんな時でも堅苦しいんだから。でも、本当にまたこうして主に会えるなんて思わなかったよ。帰ったらお祝いだね」
「うん。みんなごめんね。ありがとう」

 でも、まだ終わりじゃない。喜んだのも数秒。すぐさま私は皆の視線を振り切り、目の前に立つ三日月へと視線を向ける。

「まだ、戦いますか」
「当然だ。神は神でも戦を司る刀の付喪神。戦わずして終わるなど、存在意義が許さぬわ」

 三日月が刀を構える。当然、私たちの刀も。だけど、それを遮る存在がいた。




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