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結婚して結構経つ我サクちゃん夫婦が花見酒を楽しむ話。雰囲気耽美を目指して撃沈した話でもあります。(遠い目)
結婚して、どれ程の月日を共に過ごしただろう。『忍』という過酷な職務に就けば長生きできる者などそういない。特に前線に立つ『戦忍』ともなれば、その命は一瞬の華だ。
いや、『華』にすらなれず死肉を貪る畜生の餌になり果てることだって存分にありえるのだ。それでも私たちは生きてきた。この指に、この顔に、少しずつ刻まれて行く皺と共に。……歳なんて、本当はあんまり取りたくはないのだけれど。それでも、隣にあなたがいてくれるなら。
「今夜はいい月が出ているな」
「ええ。そうね」
旅館の一室。天高く昇る月を遮る建物がないその場所で、彼と宵を友に酒を嘗める。
私の師匠は『花より団子』だったから、酒も浴びるように飲んでは大笑いしていた。でも、彼は違う。むしろ酒の方が『肴』とでも言えそうなほど、風流なものを優雅に楽しむ。彼からしてみれば『何でもない』姿なのかもしれないけれど、私からしてみればとても粋な姿に見えた。
「春はいいな。月に桜に、春風にと、酒の肴に困ることがない」
「砂隠だと砂塵が飛んでくるからね」
「ああ。砂隠も決して悪い土地ではないのだが……やはり木の葉の立地には敵わん」
「ここは恵まれているからね。砂隠に行って初めて身に染みたわ」
湯上りの、簡素な浴衣を珍しく着崩して。まだ少し冷たい春風を彼は目を細めて楽しむ。
……本当は、目に毒だからいつもみたいにキッチリと着て欲しいのだけれども。時間が時間だから、ついつい変な気持ちになってしまう。もうそんなに若くはないというのに。
「あ。サクラ、見ろ」
「何?」
呼ばれて少しだけ空けていた距離を詰めれば、彼の手に握られていたお猪口の上に淡い花弁が一枚。ゆらゆらと揺れていた。
「乙なものだな」
「ふふっ。そうね。さっきの風かしら?」
「だろうな。桜の花が全て散る前に来られてよかった。砂隠では決して味わえない光景だからな」
私にとって、桜の花びらはなんら珍しいものではない。春になれば必ず咲き、初夏が来る前に散るものだと『当たり前』のように知っていたからだ。
でも、彼は違う。
砂隠では桜の木など一本もない。根から水分を吸い上げることが殆ど出来ないからだ。だから砂漠の植物は基本的に逞しく、大きく育つことがない。どの種類の木も背は低く、枝も細くあまり枝分かれしない。だからあの不毛な土地で桜が咲くことなんて、それこそ天変地異でも起きなければありえないことなのだ。
だからか、彼も、彼のお兄さんもお姉さんも、昔から木の葉に来ると『桜の花を見るのが楽しみだ』と必ず口にしていた。
「美しいものだな。夜桜というものは」
「ええ。そうね」
中天にある月が、風に揺らされ散っていく花びらを明るく照らす。本当に今日はいい月だ。忍ぶには困る程の明るさだけど、夜桜を楽しむには丁度いい。
少し手を伸ばせば触れられる距離に座し、互いに空いた猪口に酒を少しずつ足していく。昔は師匠と同じくらいの速さで杯を空けたものだけど、彼と一緒になってからはそれもなくなった。
そうは言っても師匠とのお花見も勿論楽しかった。皆で行うお祭り騒ぎのような、そんな宴会じみたお花見だったけれど。酒に歌に踊りに漫才にと、飽きることがなかった。普段は堅苦しい肩書に窮屈そうにしている大人たちも、その時ばかりは頬を赤らめて笑い合っていた。
でも、こうして彼と肩を並べて行う花見は、とても静かで、神聖なものに感じる。
宵に、月に。彼は慈しみの眼を向ける。生まれたばかりの我が子を思う父のように、けれど、初めて月明かりの暖かさに気付いた旅人のように。舞い散る桜の花びら一枚一枚に感謝と別れを告げるように、ただ黙って、その様を眺め続ける。
美しい時間だと、思う。
ただ飲んで笑って騒ぐだけの花見では決して体感することの出来ない、『花を慈しむ』ことが如実に分かる時間。
たったの数秒でも、ほんの数分でも。彼に愛されたのならば。あの散り逝く花弁たちも『咲いた意味があった』と笑って逝けるような、そんな気持ちにさせるのだ。
「サクラ」
「へ?」
「何を考えている」
こちらに向いた瞳は、端的な言葉からでは想像出来ないほど優しい色を帯びている。
「……あなたのことを。それから、散り逝く花たちのことを。考えていたわ」
時折、散る花弁に『命』を重ねる人がいる。詩がある。気持ちは分かる。私も『医忍』だから。何度、そうして散っていた命を見てきただろう。見送ってきただろう。彼も、私も。
そんな私の考えに気付いたのか、それとも単なる偶然か。彼は手を伸ばすと、そのまま私の肩を引き寄せ、胸に抱いた。
「……あたたかいわ」
「湯上りだからな」
「もういい加減冷めたでしょう?」
「そうかもしれない」
「適当な人ね」
「酒を呑んだからな」
「まだそんなに空けてない癖に」
「お前ほど強くはないからな」
「あら? もう酔ってしまったの?」
「そうかもしれない」
クスクスと、頭上で笑う気配がする。吐息が髪を撫でて、くすぐったい。
心臓の音がする。トクトクと、少し早い鼓動。お酒のせいかしら。それとも、私? なんて、十代の若い頃ならいざ知らず、この年齢ではありえないけれど。
それでも、何だか私も酔っている気がする。まだ全然、昔に比べれば何分の一しか飲んでいないのに。何だかとっても、ふわふわとして、気持ちがいいのよ。
「ふふふっ」
さっきまで物悲しいことを考えていたはずなのに。ついつい顔が綻んでしまう。そんな私に彼もつられたのか、再び少しだけ笑ってから顔を寄せてくる。息をするように瞼を閉じれば、ほんの一瞬を味わうように、優しく唇が触れ合った。
「……突然は驚くわ」
「そんな感じはしなかったがな」
「酔ってるのよ」
「俺が?」
「私が」
「ああ、そうか。それは、うん。いけないな」
再び笑う声。それに反して、私の頬は熱を帯びる。ああ、嫌だわ。本当に酔ってしまったみたい。もうこんな量で酔うほど、私は歳を食ったということかしら。寄る年波には勝てないものなのね。つくづく身に染みて、嫌になるわ。
「さて、もう寝ようか」
「あら。もういいの?」
月見酒を始めてどれくらい経っただろうか。さほど短くはない時間ではあったが、特に長い時間でもなかった。普段の彼を思えばもう少し堪能するはずなのだが。
「いや? まだするさ」
「え? でも、」
パタン、と閉じられた戸。障子越しに月明かりが部屋を淡く照らす。彼は机に置いた酒も片付けぬまま私の手を取ると、そのまま褥に転がした。
「“さくら”はここにもあるだろう?」
「……あなたって本当、嫌な人ね」
気障ったらしい割に、どこか子供じみていて。真剣な顔で言うならまだしも、子供が悪戯するみたいに笑いながら言うものだから。ついつい私も拗ねた口調になってしまう。
もう、いい大人なのにね。
「“花見”は幾つになってもいいものだ」
「良く言うわ。その割にはちっとも可愛がってくれないじゃない」
「それが本音か?」
「さあ? どうかしら。今の私は酔っているから。うわ言かもしれないわ」
そう。これは“酔い”に任せたうわ言。寝言。夢物語。だから、口にしても、いいのよ。
「――好きよ」
唇に花弁を乗せて、彼の口の中へと詩と一緒に押し込んで。
――ああ、桜の花の匂いがする。
豊潤で、どこか胸安らぐ……けれど、時折胸を焦がす、甘い香り。まるでお酒のよう。
そんな桜の気に当てられながら、私は無様な自分を晒すかのように一枚一枚無防備に花を剥かれ、甘い花弁の上で身を濡らすのだ。
宵の宴はまだ続く。
私と言う名の“花”が枯れない限り、いつまでも――。
end
最後の『宴』は人生そのもの。お互いの『花』=『命』が枯れない限り、お花見(夫婦の生活)はいつまでも続くよ。ってそういうお話でした。(分かりづらい)
あ。『宵』は『忍』の隠喩です。本当分かりづらい。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!m(_ _)m
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