小説
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 世界が閉じた。
 それを感じたのは、部屋に残されたのが“僕”だけだと気づいたからだ。

「みずのさま……?」

 そして世界が閉じると同時に、この世界から『水野様』の気配までが消えてしまう。一瞬のうちに消えてしまった主様を追うようにして部屋を出ようとした僕の手を、あろうことかもう一人の“僕”が掴んで止めた。

「いかせません」
「どうしてですか! このせかいはにせものです! あなたもわかっているでしょう?!」

 この世界にいる“僕”は僕ではない。僕ではないもう一人の“今剣”が、彼女の『夢』に付き従って演じている。それを、もう自覚しているはずなのに。

「それでも、あるじさまの『ねがい』につきしたがうのがぼくのやくめ。じゃまはさせません」
「っ、ふざけないでください! こんなせかいはまちがってる! あるじさまは、あるじさまを“ころしてもいい”せかいがあっていいはずがない!」

 ここは夢のような場所だ。自分が望んだとおりに世界は展開する。でも、その代償はあまりにも大きい。大きすぎるのだ。

「あなたはそれでもいいんですか?! それでもほんとうに“ぼく”ですか?! あるじさまをおまもりする、それが“まもりがたな”としての“ぼく”でしょう?!」

 前の主は守り切れなかった。でも、今はこの肉体がある。最後まで、今度こそ最後の最期までお守りする。そう、誓ったのではないのか。それが僕と言う、“今剣”という刀ではなかったのか。

「あなたはまちがっている! こんなの“あるじさまがいるべきせかい”ではない!」

 主様。あなたが本当にいるべき世界はここではありません。その一言を、どうしてこの“今剣”は伝えようとしないのか。
 まるで綱引きのように拮抗する力で一進一退を続けていると、

「ただいま! 今剣くん!」
「あるじ、さま……」

 先程よりも上機嫌に見える主様が戻ってくる。

「いいえ。ごようはおすみになりましたか?」
「うん! もう大丈夫だよ。突然出て行ってごめんね」

 ダメだ。こんな世界は間違っている。
 だけど僕の声は主様には届かず、彼女は僕であって僕でない今剣の手を取る。

「今剣くん。大好きだよ」
「ありがとうございます。ぼくも、あるじさまがだいすきですよ」

 嬉しそうな顔。弾けるような笑み。どれも、僕が一度は見たことのある顔。でもこんな時に見せられても、ちっとも嬉しくない。

「どうして……どうすれば、ぼくは……」

 水野様もいなくなってしまった。この世界に取り残されたのは、正常なのは僕だけだ。だけど僕の体は実体がなく、きっとこの世界にいる刀剣男士にしか触ることが出来ない。審神者たちには見えない。声も、きっと届かない。
 どうすればいい。どうすれば、この世界から主様たちを救い出すことが出来る?

「山姥切……ぼくは、どうすれば……」

 同じ志を持ち、互いの主様を助けようと手を取り合った一振りの刀。僕と一緒に、水野様と一緒にここまで走った仲間。でも、そんな彼も今はどこにいるのか分からない。
 会いたい。こんな時こそ、皆と、折れた仲間たちと共に再び力を合わせ、主様たちを助け出したい。

「ぼくは、ぼくは――………………くっ、」

 項垂れていても何も始まらない。
 僕は立ち上がると脱兎のように駆け出す。足の速さには自信がある。実体はなくとも、駆けることの出来る足がある。ならば俯き、立ち止まり、茫然自失となっている暇はない。例えどんな些細なことでも、どうにかして切っ掛けを掴んでこの世界を『破壊』しなくては!

「みずのさま、どうかごぶじで……!!」

 あの時、僕の手に触れてくれた優しい人。僕と一緒にここまで体を張ってくれた人。例え彼女が僕の主でなくとも、この御恩は忘れない。
 だからどうか、せめて彼女だけでも。元の世界に戻さなくては。

 それだけが僕の足を支える全てだった。


***


 世界が閉じた。そう感じたのは何故だろうか。ふと夜空に浮かぶ月を見上げ、ぼんやりと考える。

『山姥切様、全てをお話くださり、ありがとうございました』

 数時間前。俺は榊と名乗るご老公に全てを話した。その場には彼女たちの刀も、それ以外の刀も大勢いたが、誰も俺を責めたりはしなかった。しかし彼女が今生きているのか死んでいるのか。ハッキリとしたことまでは分からない。そう告げれば多くの刀が表情を曇らせたが、彼らは『生きている可能性』を信じることにした。

『実際こうして顕現し続けているわけだしな。審神者が亡くなれば刀も本丸も無事ではすまねえ。それならまだ水野さんは“生きている”だろうよ』
『ですがそれも時間の問題かもしれません。水野さんは一度“神域”に足を踏み入れています。何が起こるか予想がつきません』

 政府役員が話し合う中、火野、と呼ばれた男が突如『そうだった!』と声を上げた。

『そうそう! 俺も田辺さんと共同で調べてたんだけど、水無さんが担当していた子供の親御さんと連絡が取れたんだよ』
『何?! それを早く言えよ!』
『いや、どう考えてもそれどころじゃなかったじゃん!!』

 漫才のようなやり取りを繰り広げるが、すぐさま居住まいを正して男は話し出す。

『そんじゃあ話すが、百花さん、彼女は水無さんに『審神者を辞めたい』と相談した約二日後ぐらいに行方不明になっている』
『山姥切の話によればその“母”って奴の養分にするために拉致られた、ってことだよな』
『ああ。ご両親は現在も捜索願を出している。田辺さんが提出されている捜索届を片っ端から探して見つけてくれたんだ』
『流石現役警察官。その手のことには軍配が上がるな』

 どうやらここに集っている男たちとは別に、まだ『田辺』と呼ばれる人物がいるらしい。とことん人に恵まれた審神者だ。水野殿は。

『彼女は行方不明になった当日、いつも通り小学校へと向かったらしい。だけど下校時間を過ぎても戻ってこず、更には夕方五時には必ず戻ってくるのにその日は帰ってこなかった。そこで母親がご近所さんから彼女の友人宅、果ては学校にまで連絡を取ったが誰も彼女の姿を見ておらず、この帰り道で拉致された可能性が高い。ってことになった』
『成程。顔見知りであれば防犯ブザーなんて持っていたところで鳴らさんだろうし、うまくやったもんだ』
『子供が不審がっていなければ多くの人は知り合いかと思って素通りしますからね』
『そ。だから多分彼女は何らかの甘言に惑わされ水無さんについて行き、そのまま繭にされたんだろうと思う』

 百花。確かその子供は今剣の主だったはず。そうか。彼女はそうして主に攫われたのか。自分の主がその手の犯罪に手を染めていたかと思うと、改めて胸が痛んだ。

『他はどうだ? 何か分かったことないのか?』
『他にもあるぜ。もう一人は女子高生だ。彼女の登録名は“ゆりか”。とある進学校に通う三年生だ。成績は中の上、卒業後は四大に進むか専門に進むか、まだ決めかねている様子だったってさ』
『これも田辺さんが調べたのか?』
『ああ。あの人もアレで仕事は出来る方だからな。ゆりかさんのご両親にも話を伺ってきてくれたんだよ』
『思ったより有能だな……』
『それ本人の前で言うなよ?』

 制服姿の少女。俺の記憶にはないが、あの五つあった繭のうちのどれかに入っていたのだろう。彼女の情報について男は手帳を眺めながら語る。

『彼女は反抗期真っただ中でな。両親との仲はあまり良くはなかったらしい。それでも学校では問題なく過ごしていたみたいだから、彼女も百花さん同様朝学校に行ったきり帰って来なかったそうだ』
『では登校中か、あるいは下校時に百花さん同様連れ去ったと』
『だろうな。次は成人女性だ。一人目は“碇(いかり)さん”。彼女は審神者になるまでバーのスタッフとして働いていた。ところがある日確認ミスにより、出陣させていた“大倶利伽羅”を失ってしまう。以来審神者業に対し消極的になり、一時期は“鬱”と診断されて入院していたそうだ』
『あー……その手のパターンか……』
『時折聞く話ではありますが……入院するほどとなるとよっぽどですね』

 そういえば折れた刀たちの中に大倶利伽羅もいた。あいつはきっと、その人の刀だったのだろう。今剣たちと共に集った仲間たちを思いだし、少し落ち込む。

『まぁ元々家庭環境が悪く、男に依存する質だったみたいだしな。大倶利伽羅を失って自暴自棄になっていたところに水無さんは声を掛けたんだろう』
『どう言って誘ったかは知らねえが、何にせよその水無、って奴も相当口がうまいんだろうな』
『さあな。そればっかりは分かんねえよ。で、二人目は“天音(あまね)さん”だ。彼女は音大を卒業した後コンサートホールの広報スタッフとして働いていたところを水無さんがスカウトして審神者になっている。彼女も碇さん同様うっかりミスで“へし切長谷部”を失ってな。彼女がよく通っていた居酒屋の店主によると、ボロ泣きしながら誰かに大声で愚痴っていた。って話だ』
『よっぽど彼のことが大事だったんでしょうね。彼女にとって』
『色恋、ってのは人を狂わせるからなぁ〜。ってことは、だ。もしかして三人目も……』
『ご明察。その通りだ。三人目、最後の被害者だな。登録名は“イチジクさん”。漢字じゃなくてカタカナなのは面倒だったから、って記入欄に書いてあるな』
『適当かよ』
『まぁ審神者名なんて所詮は偽名なんだ。さして問題もねえだろ。で、彼女なんだが、彼女はまぁ……所謂“過酷な人生”って奴を歩んでいてな。幼少期に父親からの虐待にあい、母親はうつ病からのネグレクトになってそのまま離婚。その数週間後に父母共に蒸発。児童養護施設に入れられたが周囲に馴染めず、中学を卒業すると同時に水商売に走った。ってさ』
『……嘘みてえな話だな』
『現実だけどな』

 だが今まで一人の女性に対し一人の刀剣男士が相手であったにも関わらず、最後の彼女は違っていた。と男は続ける。

『彼女は顕現した刀剣男士、あんまし言いたかねえけど短刀も含めてな。全員と肉体関係を持っていたらしい』
『マジかよ。爛れてんなぁ』
『まぁそう言うなよ。彼女はそういう生き方しか知らなかったんだろう。コミュニケーションの仕方がそれしかない。ってんなら、その手の行動に走っても不思議じゃねえからな。だけど以外にも刀剣男士たち同士で争うことはなかったらしいぜ。主人が開き直ってりゃあ刀もそうなるのかもな。だけど彼女は審神者としては全然ダメでな。何本も刀を折っている。それ以外では特に問題はなさそうだけどさ』
『蓋を開けりゃあ問題点だらけなんだけどな』
『ま、人の生き方なんて千差万別よ。とりあえずこれが全員の詳細情報だ。田辺さんには感謝だな』

 それにしても、意外と刀剣男士と恋仲になろうとする審神者は多いものなんだな。俺の主はもし自分がその手の対象になっていたら発狂していたかもしれないのに。
 誰にも見えないことをいいことに膝を抱えていると、黙って人間たちの言葉を聞いていた刀たちが徐々に声を上げ始める。

『つまり、狙われたのは“刀剣男士と恋仲にある審神者”ということでしょうか?』
『更には“その刀剣男士を失っている”ってのも共通条件だな』
『それで言うなら最後の“イチジク”と名乗る女子は誰を好いていたんだ?』

 真っ先に声を上げたのは長谷部だ。続いて隣に座していた薬研がそれを補足し、鶴丸が残っていた疑問を口にする。

『彼女は特定の誰かと親密に付き合っていたわけではないそうだ。それでも特に気に入っていたのは平安刀たちらしいぜ』
『ってことは、僕たちか』
『物好きな頭領もいたものだな』
『俺達の主では考えられないな。何人もの男たちと閨を共にするなんて』
『例えこちらが床を共にしようとしても誰かに妨害されるのが我らの主だからな』
『そこ、余計なことは話さない』

 髭切と膝丸に続き、鶴丸と鶯丸の率直すぎる意見に宗三がビシリ、と冷たい視線を向ける。

『でも、それだとあるじさまが連れていかれるのは変だと思います』
『五虎退の言う通りだよ。だってあるじさんは誰とも付き合ってなかったんだよ?』
『あ、そうなの?』
『はい。主君は僕たち刀剣男士に対し、平等に接しておられました』
『はい。それに過去にどのようなことがあっても構わないけど、今の時間も大切にしてほしい。と僕たちに話してくれたことがありますから』

 五虎退を初めとし、乱、前田、平野が順に自分たちが見てきた“水野”という審神者について話し出す。確かに彼女は過去に捕らわれることなく、常に今をもがき、未来を信じ、少しも諦めることのなかった人物だ。そんな彼女が特定の刀剣男士と恋仲になるなど、確かに考えづらい。

『ってことは、だ。あんたらの主は今もその人たちを救おうとしている可能性があるな』
『流石水野殿。決して一筋縄ではいかぬ御仁よ』
『ええ。本当に。武人であれば尚のこと好ましい武士でございますな』
『ちょっとちょっと、蜻蛉切さぁ。それ女性に使う誉め言葉じゃないから』
『え? そうなのですか?』
『当たり前でしょ。あんなんでも水野さんは“女の子”なんだから。男ならもっとよかったのに。的に聞こえる言葉は嬉しくないに決まってるでしょ』
『成程。言われてみれば確かに……。失礼いたしました』
『ははは……まぁ、お前らも軽口が叩けるぐらい余裕が出来てよかった、って思うことにするよ。そんじゃあ武田。俺は一旦戻るわ。田辺さんとこの後もう一度会う予定だし』
『おう。分かった。こっちも出来る限り残って調べておくからよ』
『じゃあ皆さん、すみませんがお先に失礼しますね。あ! 勿論水野さんの捜索は全力で行いますから! 諦めてなんかないッスからね! 俺!』

 男はビシリ、と指を立てると慌ただしく本丸を出て行った。その際、件のご老公も共に出て行った。俺にこう言い残して。

『山姥切様。もし何かを感じた時には、自らの直感を信じ、思うがままに足を向けられるのがよろしかろう。結果はどうあれ、ご自身の選択に悔いが残らぬよう……爺のたわ言ではございますが、是非ともお心に残して頂きたい』
『……心得た。もう殆ど役目など残っていない俺だが、しかと覚えておこう』

 もし、何かを感じた時には――。もし、それが今ならば。俺はどうするべきなのか。
 無意味に立ち上がり、ただ月を見続ける。そんな時だった。俺が立つ廊下に三日月宗近が現れたのは。

「山姥切、そこにおるのか?」
(三日月宗近?)

 彼は水野殿の刀である三日月宗近だろう。彼はキョロキョロと探るように静まり返った本丸の中で、声を潜めながら歩いてくる。

「困ったものだな。一体どこにおるのか皆目見当つかぬ」

 三日月は諦めたように溜息を零し、縁側に腰かける。姿は見えないことは承知で、俺はその隣に座した。

「……山姥切よ。そこにいるならどうか答えてはくれぬか。我が主がいる場所へどうすれば行けるのか……何か手掛かりはないのか。誰も口にはせぬが八方塞なのだ。これ以上は耐えられぬ」
(三日月……)

 三日月は項垂れると、組んだ両手に額を押し当て目を閉じる。その姿は、祈りの姿によく似ていた。

「頼む。主を、主を助けたいのだ。我らの命は主を守るためにある。そう、約束したのだ。多くの者と、そして、俺自身に。俺の体に宿る、もう一人の俺に。皆もそうだ」
(どういう意味だ? 自分の体に宿るもう一人の自分とは?)

 彼らの過去は分からない。聞いたこともない。それでも彼の言葉に嘘はないように思える。そう思える程、震える声は真剣そのものだった。

「俺の中に宿る力でどうにか出来るなら是非とも使って欲しい。きっとこの本丸の中で最も主と深く繋がったことがあるのは俺だけだ。だからこそ竜神に相対することが出来た。彼女の心に触れたことがあるのは、俺だけだから」
(心、竜神……? 彼女の魂に触れたことがあるのか、三日月は)

 ならば、チャンスはある。何故なら俺も彼女の心臓に刃を突き立て、その身に“憑依”したからだ。つまり、俺と三日月は“彼女の魂の在処”を知っていることになる。
 これはまたとない好機だ。彼女の魂と、俺の霊力。そして三日月の体があれば彼女の元に届くかもしれない。いや、居場所が、掴めるかもしれない。
 だがこれはあくまでも“勘”にすぎない。失敗する可能性だって十分ある。それでも。あのご老公は俺にこう言った。

 “自らの直感を信じ、思うがままに足を向けてみろ”と――。

 ならば、試してみる価値はある。

(借りるぞ、三日月)

 俺は項垂れたまま動かぬ三日月の肩に手を当て、彼の心の臓目掛けて腕を突き入れた。



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