小説
- ナノ -





 地下へと続く階段を降りると、そこは再び異様な空間へと繋がっていた。

「今度は遊郭かよ……」

 辿り着いたのはどこをどう見ても『その手の店』にしか見えない場所だった。しかし通りの代わりに続く廊下に人影はなく、所謂『見世』の中にも人はいない。
 左右の部屋の仕切りは一階とは違い、襖ではなく障子になっている。そのため明かりがついているのがよく分かる。それに照明の代わりにぶら下がっている提灯や、等間隔に置かれた行灯も明々と辺りを照らしているので思ったよりも明るい。むしろ一階が一番暗い気がする。
 それにしてもまた異様な世界だなぁ。半ば呆れつつも一歩足を踏み出したところで、廊下とはまた違った硬い感触に気付き視線を下げる。すると廊下だと思っていた場所が実は『石畳の上』だということに気付いた。どこからどこまでも異質だ。この建物は。

「とりあえず、探すか」

 最後に繭から救出したのは随分と綺麗な人だった。長い黒髪に、長い睫毛。ほっそりとした白いうりざね顔に散りばめられたパーツは整っており、自分が男だったら一目惚れしていたことだろう。だけどそんな彼女がいる世界が“コレ”というのは、正直嫌な予感しかしない。既に一度体験してるしな。ナニの最中に直面したこと。それでも探さないわけにもいかず、一部屋ずつ確認していく。

「あのー、すみませーん」
「こんばんはー」
「誰かいらっしゃいますかー?」

 ここでも一部屋ずつ声を掛けながら部屋を開けていく。だけど相変わらず返事はなく、中に人もいない。それでも探し続けていると、道の中ほどを過ぎた頃だろうか。徐々に何かが聞こえ始める。

「あー……これはアレかなぁ……やっぱりもう“ヤっちゃってる”感じかなぁ……」

 道を進むごとに音は大きくなってくる。パン、パンと肌を叩くような音と、すすり泣くような女の声。ああ……これはドンピシャですわ。

「いやだー……開けたくねぇー……これ完全に最中やんけぇ〜……」

 立ち止まり、蹲って耳を塞いでも聞こえてくる。経験がなくとも知識として知っている。これはもう絶対にアレがソレであっはーんな感じだ。行きたくない。

「何が悲しくて他人のアレソレを覗き見せにゃならんのだ……怨むぞコノヤロー……」

 これならいっそ『呪われた本丸』を探索する時の方がマシだった。そう思わずにはいられない程、私にはハードルが高い。

「うう……行きたくない……行きたくないよぉ……」

 それでも『確認』はしなくてはならない。一体誰がいて、どの刀剣男士がいるのか。気持ち的には地べたを這うように、実際には亀のようにノロノロと歩きながら一際大きな音がする部屋の前で立ち止まる。

『アッ! いい! ソコ、もっと! おねがいッ……!』

 あーあーあーあーあーーーーー。耳を塞いでも聞こえてくるのでこれは完全にアウトですね〜。そしてここで間違いないですね〜。いやだー! 開けたくなーい!!!

「ヒーン!! 南無三!!!」

 それでも意を決して障子を開けば、中にいたのはひい、ふう、みい、よ、い?! ま、え、ええええええええ?!?! 四人相手とかハードだな?!?!
 噎せ返るような汗と香と性交の匂いに鼻を覆いながら、一人の女性に群がる男たちの顔と名前を確認する。
 最初に目についたのは鶴丸だ。それから三日月、小狐丸。そして奥にいるのが多分鶯丸だ。彼らは皆こちらに気付く様子はなく、ひたすらに、主なのだろう。一人の女性に触れている。

「ああッ……! いい! 堪らないわ、もっと頂戴……! もっとよ……!」
「ははっ。本当に君は欲張りだなぁ」
「ぬしさま、今度は私めを可愛がってくださいませ」
「やれやれ。小狐丸は本当に甘えただな」
「そういうお主は先程から休憩してばかりではないか」
「いいじゃないか。運動した後の茶は美味いんだ」
「はっはっはっ。それ、主。手が休んでおるぞ。欲しがるなら相応の働きを見せてくれ」
「ああ……最高よ……もうずっとこうしていましょう……」

 男と女って、最終的にこうなるもんなのかな。
 障子を静かに閉めた後、そのままフラフラと階段の所まで戻って座り込む。

「…………ヤダなぁ……」

 思えば、私の刀たちは抱き着きこそすれ、セクハラまがいのことはしてこなかった。中には夜這いをされたりだとか、身体に触れられただとか、そういった手合いの話も幾つか聞いたことがあるというのに。私の刀たちはむしろ逆で、遅くまで大広間に残っていると『早く寝ないと体に障りますよ』とか何とか言って部屋に押し込まれるのが常だった。時々は揶揄うようにして『子守唄でも歌おうか?』とか『添い寝してやろうか?』なんて言われたこともあったけど、大概はもう一人か二人、誰かが一緒に着いてきていたので、彼らに引っ張られて退散していくのがオチだった。

 だから、何というか。こういう風に実際に性交に及んでいる審神者と刀剣男士を見ると何とも言えない気持ちになる。
 いや、いいんだけどさ。本人たちがそれでいいのなら。同意の上なら他人がどうこう口を出す権利はない。でも、だけど……さっきのは本当に『愛を確かめる』行為だったのかな?
 今まで一階、二階、と四人の審神者と刀剣男士たちの在り方を見てきた。彼女ら、彼らを見ているとそれぞれがお互いを『想い合っている』ことがヒシヒシと伝わってきた。先に見た大倶利伽羅だって、まるであの人を『自分のものだ』と主張するかのように腕の中に閉じ込めていた。
 でも何ていうか、今の人たちはそういうのじゃない。『一時の欲』を満たすためだけに体を繋げているように感じたのだ。経験もない喪女が何言ってんだ。って話なんだけどさ。恋に恋する乙女じゃないんだから、そういうこともあるもんだ。って割り切ればいいのにさ。

「やっぱり経験不足、なんだろうなぁ」

 こうした出来事を割り切って考えられないのも。性に対して抵抗感が強いのも。一度でも体験していれば見方は変わったかもしれない。それでも今の私はこうとしか考えられないのだ。それが何となく、空しい。

「……戻るか」

 二階にいる今剣の元に戻るか。それとも三日月がいた一階に戻るか。そう考えながら階段を上った。だけど本来なら一階に続くはずの階段が、何故か地上へと繋がっていた。

「えー……もう何でなん? もう分からへん……」

 どうなってんだ本当。何でさっきは二階から一階、そして地下へと続いた階段が地上に繋がってんだよ……。ツッコミきれねえわ……。
 どうしたものか。キョロキョロと辺りを見回すが、どうやら霧が立ち込めているらしい。視界が悪く、殆ど何も見えない。最初に聞こえていた少女の手毬唄の声も今は聞こえず、辺りはシンと静まり返っている。響くのは私の靴底が砂利を踏む音だけだ。
 それでも暫くの間歩き続けていると、唐突に霧が明けた場所へと出る。

「ここは……」

 出たのは“本丸の庭”だった。しかも先程の三階建てになっている不可思議な空間ではない。ここは紛れもなく『私の本丸』だった。

「え……なん、」
「主、そがな所で何しゆうが」
「え?!」

 突然、ここにはいないはずの声に呼びかけられ跳ねあがる。しかし私自身が返事をする前に、普段自分では聞くことのない声がその声に答える。

「いやー、ごめんごめん。ちょっと息抜きに池の中にいる鯉を眺めてたんだよね」
「何じゃあ。てっきり魚でも獲るつもりなんかと思うたわ」
「誰が獲るかい! あたしゃ猫じゃなくて人間なんですけど!」
「まはははは!」

「まさか……私?」

 そう。驚くことに目の前にいたのは“私自身”だった。それを遠くから『私』が眺めている。いや本当……どうなってんだコレ……。

「ところで、むっちゃん私に何か用? それとも偶然通りがかっただけ?」

 しゃがんで池の中の鯉を眺めていたという“私”が立ち上がり、陸奥守を見上げる。すると陸奥守はニヤリと笑い、私の耳元に唇を寄せた。

「恋人が恋人に用もなく声を掛けたらいかんのか?」

「ヒエッ……!」

 こ、こここここ恋人?! 私と?! むっちゃんが?!?! ないないないない! まだそんな返事してないし!! 何だコレ?!?!
 慌てふためく私を他所に、陸奥守に囁かれた方の“私”は照れたように後ろ頭を掻きながら俯く。

「お、おお……そ、そうだね……そうだったね……」

 いやいやいや!! 照れんなし!! 何で照れるんだよそこで! 見てるコッチが恥ずかしいじゃねえかバーカ!!! 私だけど!!!
 あまりにもおぞましい光景にゾッとしていると、陸奥守が片手を差し出し、“私”の手を握る。

「息抜きならわしと散歩でもええろう?」
「う、うん……お願いします……」

 あまりにもアレな光景に卒倒しそうになるが、陸奥守と“私”はそのままこちらに背を向け、どこかへと歩いて行った。
 何じゃコレ……本当最悪だわ……悪夢だわ……何だアレ……信じられん……。
 半ば放心状態でぼうっとしていると、今度は別の声が私を呼び始める。

「主! 主! ああもう、一体どこにいるんですか!」

「宗三……?」

 今度現れたのは宗三だった。彼はプリプリと怒りながら廊下を急ぎ足で進んでいる。

「あー、“私”ならさっき陸奥守とあっちに……」

 行ったよ、と伝えようとした矢先、信じられない光景が飛び込んでくる。

「はいはーい。私ならここにいるよ? どしたのさ。そんなにカリカリして」

「えええええええええええ?!?!」

 何でまた“私”がいるの?!?! ええ?! さっき、ええ?! だってさっき陸奥守と一緒にあっち行ったじゃん?! 何光速で戻って来てんの?! トランザム?!?! 怖ッ!!!

「どうしたもこうしたもありませんよ! 全くもう! あなた一体今何時だと思ってるんです?!」

「え? 何時って……アレ?」

 先程陸奥守が“私”と散歩に出かけたのは明るい時だった。だけど今は何故かどっぷりと日が暮れている。一体いつの間に時間が過ぎたんだ?

「あちゃー。本当だね。気づかなかったわ」
「気付かなかった、じゃありません。全く、あなたという人は……」
「なははは。ごめんごめん。もう寝るからさ。宗三も一緒に行こうよ」

「……え?」

 今、何て?
 自分の発言に信じられない気持ちで二人を凝視していれば、宗三はどこか呆れたようにも、むすっとしたようにも見える珍しい表情を浮かべる。

「……それ、どういう意味で言っているのかお尋ねしてもよろしいです?」
「え〜? ヤダなぁ。宗三なら分かってる癖に〜」
「だからですよ! 大体“こういう時”に期待するとロクな目に合わないんです! 鶴丸が邪魔しにきたり、三日月が絵本を持ってきたり、加州たち新選組が何故か突然『御用改』しにきたり! 散々な目にあってばかりなんです! 嫌でも警戒するという物でしょう?!」
「あははは。確かに。皆何故かタイミングバッチリなんだよねぇ〜。凄いよね」
「褒めてどうするんですか。分かってます? まだ僕たち“恋人らしいこと”全然出来ていないんですよ?」

「恋人?! What?! じゃあさっきのむっちゃんと“私”は何だったの?! 二股か?! ファッ〇ッ!!!!」

 自分で自分に中指立てるというか、親指を下に向けたくなるというか。あまりにも信じられない出来事に頭を抱えて天を仰いでいると、どうやらそうではないことが分かる。

「そりゃあまぁ……あなたが陸奥守ではなく僕を選んでくれたのは嬉しいですが……流石にもう待つのも辛くなってきました」
「……うん。そうだよね」

 あ。何かあかん。アカン空気になってきた。ていうか何だ? アレか? これはさっきの陸奥守と一緒にいた“私”とは別の“私”ってことか?
 檻の中のクマよろしくウロウロしていると、宗三の手が“私”の体へと伸びてくる。

「……もう、我慢しなくてもいいんですよね?」
「ふふっ。そうだね。宗三には沢山“我慢”してもらったから……今日は、ううん。今日こそ、一緒になろう」

 うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
 嫌だ! 誰か! 止めてください!!! 辛いです!!! ハートが、ハートブレイクしそうです! 今すぐに! ナウ! 無理!! もうこんなの見てられません!!!
 再び蹲っていると、今度は別の声が聞こえだす。もう嫌だ。辞めてくれ。本当にこれ以上は勘弁してくれ。どれだけ願っても目の前の光景は消えず、その後も次から次へと色んな刀剣男士と“私”が“恋人”になっている光景が目の前を通り過ぎていく。

「悪夢だ……こんなの現実じゃない……こんなの夢だ……私はこんなこと望んでない……」

 確かに私は刀剣男士の皆が好きだ。彼らのために自分に出来ることがあれば全力で行いたいと常々思っている。でも、それはこんなことじゃない。こんなことなんかじゃない! 私と彼らは『恋人』ではなく『主従』なんだ。そして『人間と神様』でしかない。刀と恋愛? 出来るわけがない。どうやって無機物と恋愛をしろなんて言うんだ。所詮彼らは刀。私の力が無くなれば途端に彼らは鉄の塊へと戻るだけなのに。そんな相手と、どうして、どうやって、愛を育めというのか。

「でも、これは一つの未来。あなたが選ぶ答えの先にある、それぞれの未来」
「?! 誰?!」

 蹲っていた間に誰かが近づいてきたらしい。慌てて見上げた先にいた人物に、息が止まる。

「ここは私が望んだ『理想郷』ではない。ここは、中途半端に“夢”を再現しているだけの地獄に過ぎない」
「水無、さん……」

 私の目の前に立っていたのは、三日月に体を貫かれ、連れられて行った水無さんその人だった。

「『母』は不完全なまま覚醒し、暴走してしまった。お前が邪魔をしたからだ」
「だ、って……」
「『間違っている』そう言いたいのだろう。私のしたことは間違っていると。だが結果として貴様が招いた結末が“コレ”だ。審神者が自らの欲望を満たすためだけに作り上げた、彼女たちにとって都合のいい『理想郷』。私が目指した、神々のための『理想郷』では決してない」

 水無さんは着けていた般若の面を取ると、それを地面へと落とす。

「だが私はもうここにはいない。もう死んでしまった。三日月様に、心臓を貫かれたから」
「……じゃあ、今ここにいるのは……?」
「“ここ”にいるのは私であって私ではない。ここにいる私は紛れもなく“三日月様が望んだ私”だ。そこに私の意識は介入していない」
「でも、さっきは『審神者達にとっての“理想郷”だ』って……!」
「そうだな。だけどこの『理想郷』を開いたのは私ではなく三日月様だ。彼だけが自由にこの世界を弄れる。……そういう風になっている」
「そんな……」

 では三日月を、あの三日月を倒せば元通りになるのか? そんな考えが顔に出ていたのだろう。水無さんは首を横に振る。

「無駄だ。ここはもう彼岸そのもの。死した者が戻れる世界などどこにもない」
「そんな……!」
「それに、彼女たちは望まないだろう。愛した者が存在しない世界に、戻ることなど」

「ヒッ、」

 気がつけば、私は四人の女性に囲まれていた。制服姿の女の子。タトゥーが入った女性。白いブラウス姿の女性。赤い着物を着崩した、美しい女性。彼女たちは丸くなっていた私を無表情に見下ろしている。

「奪わないで。私から、燭台切さんとの幸せを奪わないで」
「この世界でなら私は彼と結ばれる。大倶利伽羅と、誰にも邪魔されない二人きりの世界で生きていられる」
「もう長谷部を失いたくないの。お願い。私から、彼を奪わないで」
「フッ、可哀想な女。男に“愛される”幸せも知らない癖に……あなたはそのままずっと蹲っていなさい。芋虫のように、ずーっと、そのまま……」

 彼女たちの手が私に伸びる。恐怖を覚える間もなく、その手は私を後ろへと押し倒した。

「うわっ?!」

 だけど背中を地面に打ち付ける感触は襲ってこず、まるで宇宙に放り出されたかのように真っ暗な世界へと放り出される。

「ここは『理想郷』。だから『理想』のないあなたに居場所なんてないわ」
「ま、待って! 待ってよ!!」

 世界が急速に閉じていく。以前『崩壊する本丸』を見ていた時とは逆だ。私がいる世界の方が閉じようとしている。真っ暗な世界に、誰もいない世界に。閉じ込められようとしている。そんな中、一人の女の子がこちらを見下ろした。

「百花、さん……」

 彼女はその小さな身なりからは想像できない程冷たい目でこちらを見下ろすと、一輪の赤い花を投げて寄越した。

「さようなら。わたしがなれなかった人」
「まッ……!」

 だけど伸ばした手は届くことなく、私は一筋の光も入らない真っ暗な世界に閉じ込められてしまった。


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