小説
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 一方その頃、彼女の本丸では重々しい空気の中大勢の人と刀が彼女を探し回っていた。

「ダメだ……完ッ全に足取りが掴めねぇ……水野さんは一体どこに消えちまったんだ?」
「髭切、膝丸。もう少し探りを入れてください。私は石切丸と青江を連れて他の部屋を見てきます」
「分かったよ、主」
「承知した」

 彼女の担当者だという武田と、その部下である柊。そして勿論彼女の刀たちも本丸の中を隈なく探っていた。

「どう? 伽羅ちゃん。何か変な感じした?」
「……いや……」
「あーーー! もう! 一体どこに連れて行かれたんだ俺達の主は!! 見つけ次第ぶん殴ってやる! 黒幕を!! 全力で! こう、グーで!!!」
「兼さん落ち着いて。それにグーで殴ったら痛いよ? だから鞘で行こう、鞘で」
「落ち着け兄弟。それに鞘が割れたらどうするんだ」
「割れる勢いで殴るつもりか? 君たち」
「君の場合だと熱した湯を頭からかけそうだなぁ、鶯丸」
「はっはっはっ。熱した湯をかけるなど生ぬるい。煮えた五右衛門風呂の中に頭まで浸からせてやるさ」
「思ってたよりエグイな君?!」

 会話は物騒ながらも主を探す手や目は動き続けている。皆本丸に残る霊力を頼りに探すしか方法がないのだろう。地道な作業ではあるが、誰一人として文句を口にする者はいない。

「ねえ、やっぱり馬小屋の方には手がかりがなかったよ」
「鍛刀場もです。太郎太刀にも見てもらいましたが、何の収穫もありませんでした」

 庭先から戻ってきた加州と宗三が苦々し気に報告をする。それを耳にし、纏めたのは小夜だった。

「馬小屋、鍛刀場は仕方ないとして……負傷していた大典太さんの様子はどうですか?」
「それがさっぱりさ。どういうわけか一向に傷が治らない。手伝い札を使ってもダメだったよ」
「そうですか……」

 小夜の疑問に答えたのは歌仙だ。彼は手にしていた桶の中から手ぬぐいを引き上げ、滲む赤に顔を顰める。

「出血はだいぶ収まったけどね。本当に彼がいなければどうなっていたのか……頭が上がらないね」
「はい……たった一人で竜神相手に戦ったなんて……主が聞いたら飛び上がりそうです」
「でもどうして突然主の中に住む竜神が姿を現したんでしょうね。あまつさえそのまま主を連れ去っていくなんて」
「さあ。それは竜神に直接聞いてみないと分からないね。それじゃあ僕はお湯を取り替えたらもう一度大典太を見てくるから。お小夜、あまり無理をしてはダメだよ」
「……はい。ありがとうございます」

 歌仙の気遣いに小夜は頷く。しかしその顔色は悪く、瞳に生気はない。彼にとって“水野”という審神者はよほど大切な人なのだろう。それが如実に伝わってくるほど、痛々しい空気を纏っていた。

「小夜。少し休憩しましょう。あまり張りつめすぎるといざという時に動けなくなります。主を一番近くで見ていたあなたならよくご存知でしょう?」
「兄さま……でも……」

 主の一大事に休んでなんかいられないのだろう。酷い顔色だと自覚していても休むなど出来ない。そう言い返しそうな小夜を御したのは、山伏だった。

「小夜殿、余所者の我らが口出しするのも如何なものかと思うが、宗三殿の言う通りだ。弦も張りつめすぎていてはいずれ切れる。そうならないためにも時には弛めるものだ。であればこそ、主殿を救出する際に全力を出せるよう、今は休むべきだと進言致そう」
「山伏さん……」
「そうですぞ。水野殿は我らにとてもよくしてくださった懐の深い御仁だ。恩を仇で返すようなことは致しませぬ」
「ぶっさんと蜻蛉の言う通りだぜ。小夜の分まで俺達が働くからよ。ちょっとは休んだ方が身のためだぜ」
「さ。そうとなりゃあ早速これは没収だな」
「あ! に、日本号さん!」

 蜻蛉切を始めとし、御手杵、日本号が続いて小夜を見下ろす。そして日本号が小夜の手に握られていた書類を取り上げる。

「それにしてもこの数時間でよくぞまぁ、軍議の内容から探索場所、方法、時間まで詳しく書き記したもんだ。働き者だな、小夜」

 日本号は悪気などなく、むしろ褒め称えるつもりでそう口にしたのだろう。小夜が書き記した書類をマジマジと見つめる瞳は『感心』という情に彩られている。しかし当の小夜は表情を固まらせたかと思うと、徐々に俯いていく。

「だって……こうでもしていないと……主が……主が……」

 主人がいなくなった事実に心が耐えられないのだろう。ぎゅっと唇を噛み締め、細い肩を震わせる小夜に慌てて宗三が駆け寄り掻き抱く。

「大丈夫です。大丈夫ですよ、小夜。きっと主のことです。僕たちがまだこうして姿を保っている以上、無事でいるはずです」
「そうだぜ。絶望より希望を持って動かねえと足が竦んで動けなくなっちまうからな。な! 日本号」
「悪かったよ。なぁ、小夜。悪気があったわけじゃねえんだが、軽率だった。すまん」
「いえ……僕の方こそ取り乱してすみませんでした……皆さんがおっしゃる通り、きっと疲れているんだと思います……主を助けに行くためにも、今は……少しだけ、休みます」

 のろのろと緩慢な動作で立ち上がる小夜の背にそっと手を当て、宗三も立ち上がる。

「それでは僕は小夜を寝かせてきますので」
「ああ。頼んだぜ」
「よろしく。こっちのことは俺らがやっておくからよ」
「小夜殿、あまり思い詰めてはなりませんぞ」
「然り。後のことは我らに任せられよ」

 小さな体で背負うにしてはあまりにも大きな仕事だ。それが分かっているのだろう。それに小夜の悲壮さを漂わせる表情は筆舌に尽くしがたい。廊下ですれ違う刀たちも何も言わず、ただその小さな背を痛まし気に見つめる。

「それで? 陸奥守たちの方はどうなってんだ?」
「さあな。奴さんはこの本丸の初期刀なんだろ? 治療中の大典太の代わりに、竜神と対峙した、っつー三日月のじいさんに話を聞きに行くのは妥当だろうよ」
「でも竜神って言われてもな〜。実感わかねえよな。俺らだって会ったことねえのに」
「なーに言ってんだ。ここにいるじゃねえか」
「バーカ。それこそ“何言ってんだ”って話だろ〜?」

 重たい空気を少しでも軽くするかのように、日本号がカラリと嫌みのない顔で笑う。そんな日本号に御手杵は呆れた表情を見せるが、すぐさま表情を元に戻し、視線を下げた。

「……でもよ、真面目な話“竜神と戦う”ってなったら、俺達……勝ち目ねえよな」
「……ま、勝算はゼロに近いな」

 何千年と長きに渡って生きる土地神と、数百年の歴史しか持たない刀の付喪神。どちらに軍配が上がるかなど火を見るより明らかだ。それでも、と日本号は目配せをする。

「この本丸の刀たちは諦めねえだろうよ。それこそ手足が折れようが視力を失おうが、事切れる寸前まで相手の喉元に噛みついて離しゃしねぇだろうよ」
「……だな」

 たった数日しか相対していなかった自分たちであっても、いつの間にか巻き込んでいる。そんな破天荒で、規格外の審神者の刀なのだ。そんな彼らが早々に諦めるなんて考えられない。むしろ却って足場を固めるだろう。それが分かるからこそ、日本刀と御手杵は互いにニヤリと笑い合う。

「そんじゃあ一宿一飯の恩、返すとするか」
「正直“一宿一飯”どころじゃねえんだけどな」
「それは言わねえ約束だろ〜」
「なははは」

 希望の少ない中でも、それでも僅かな光を求めて諦めずに突き進む。例えそれが彼女自身の手で顕現した刀剣男士たちでなくとも、彼女の行動が、今までの言葉が。彼らの心に僅かでも消えない火を灯している。手掛かりがなくとも“諦める”ことだけは絶対にしない。そんな彼らの姿に、俺は“彼女”の面影を感じる。


(そうだろう? 竜神殿)


 あの時、主が息絶えたことにより制御を失った“母”は暴走した。予定よりも早く審神者たちから生気を吸い上げ、急速に『理想郷』を作り上げようとした。だが水野殿が繭を割ったことで母体は養分を奪われ、不完全な状態で『理想郷』を築く羽目になった。しかも暴走した『母』にとって繭は『養分』ではなく『我が子』に認識がすり替わったらしい。おかげで繭を割った水野殿は母の逆鱗に触れたことになり、竜神殿共々母体に取り込まれかけた。だが当然ながら『母』よりも竜神殿の方が格上だ。取り込むことは出来なかった。
 しかし竜神殿の中にいた水野殿と、水野殿に抱えられていた今剣は母体へと取り込まれてしまったらしい。では何故俺だけ別なのか? 運がいいと言えばいいのか悪いと言えばいいのか。彼女の手から零れ落ちた俺は竜神の手により水野殿の本丸へと運ばれた。それでも俺自身の刀はどこにもない。当然だ。既に折れた身なのだから。霊力も残り僅かなもの。殆ど搾り滓のような俺に、一体何をしろと言うのか。

 誰にも見つけられることなくただ慌ただしく過ごす彼らを見つめる。本当に『見ていることだけしか出来ない』。そんな俺に何が出来ると言うのか。何も触れず、誰の目に触れることもない。太郎太刀や髭切、膝丸、石切丸やにっかり青江の前にも立ってみたが、彼らでも俺を見つけることは不可能なようだった。
 一体どうすればいいのか。分からないまま俺はフラリとその場を離れ、この本丸の初期刀だと言う陸奥守と、竜神殿と対峙した三日月が籠る部屋の中へと足を踏み入れる。二人は互いに膝を突き合わせ、真剣な面持ちで言葉を交わしていた。

「すまんがもう一度、順を追うて思い出して欲しい」
「そうだな……。山姥切と大倶利伽羅から聞いた話だが、主は多くの刀に“顔色が悪い”と言われ、『暫く休憩する』と言って床に下がったらしい」
「おん」
「だが山姥切と大倶利伽羅は主の寝床に入ること躊躇したため、主が大典太を呼んだそうだ。それで二人は部屋の前で待機し、主の部屋には大典太だけとなった」

 これは初めて聞く話だ。成程。俺と燭台切が一戦交わしている間にこんなことがあったのか。道理で彼女があの部屋にいたわけだ。しかし何故竜神殿はそんなことを?

「主が床に下がってから暫くして、俺は異変を感じ取った」
「異変?」
「ああ。俺は一度主と深層意識で触れ合っている。折れる前の話だがな。そこで主と、竜神の力両方を感じた。だからその時に感じた“気”と同じものが感じられ、急ぎ主の部屋へと向かったのだ」

 どうやらここの三日月も竜神殿と相対したことが過去にあったらしい。三日月は膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめると、眉間に深く皺を寄せた。

「中では大典太が竜神相手に奮闘しておった。しかし力の差は歴然としていたのに、何故竜神は我らを嘲笑うかのように一時刃を交えたのか……。皆目見当つかぬ。やろうと思えばあの鋭き爪で如何様にでも腹を裂けただろうに」

 一戦交えた? 竜神殿と? 何故そんなことをする必要があったのか。かの竜神が真に水野殿の魂を守る神ならば、彼女を守ろうとする彼らに牙をむく必要などない。と、そこまで考えてからハッとする。まさか、水野殿が持っていた“竜神の爪の欠片”はこの時に出来た物なのでは? 詳細は分からないが、竜神は水野殿を守るために敢えて彼らに刀を抜かせ、一戦交えることで自らの爪を削り落とし、何らかの形で水野殿の衣服に忍ばせた。そうでなければそうそうに竜の爪など手に入れられるはずがない。あくまで憶測に過ぎないが、それでも。そうでなければ何故竜神がわざわざ姿を現す必要があったのか、考えつかないのだ。だがそれを彼らに伝える術がない。それが歯痒く、もどかしい。

「何か理由があったんやろう。わしはそう思う」
「だといいのだがな。とにかく、大典太が一戦交えた後竜神は主に覆いかぶさるようにして上体を屈め、霞のように目の前から消えた。これが全てだ」

 彼女の体に覆いかぶさった。成程。ではその時に爪の欠片を衣服に忍ばせたのだろう。そうして彼女の体をあの部屋まで運んだ。だが何故敢えて危険な場所に彼女を連れて行ったのだろう。彼女を守るのが竜神殿の務めなら、却って守りを固めるのが筋だろうに。しかし尋ねたくとも竜神殿の姿は既にここにはない。俺をここに連れてくると再びどこかへと消えてしまった。彼女の魂を守りに行ったのか、それとも自らの還るべき場所へと戻ったのか。前者であって欲しいが、実際は分からない。

「だから手掛かりが残っているとすれば主の部屋なのだが……」
「誰が見ても“何もない”やきなぁ……」
「我らも行こう。ここでじっと待つだけなど、心地悪い」
「そうじゃな。何か見つかればええが……」

 俺の脇を二人が通りすぎ、そのまま部屋を出ていく。竜神殿が彼女を連れ去ったのが審神者の部屋なら、そこに何か残っていてもいいはずだ。俺もそちらに向かおうとしたところで、この本丸ではまだ聞いたことのない声が響き渡る。

「おーい! 武田ー!! 榊さん連れてきたぞー!」
「でかした火野! 榊さん、お忙しいところ申し訳ありません」
「いえいえ。水野さんの一大事ですからね。駆けつけないわけにもいきません」

 どうやら彼女の知り合いらしい。一人は年若いキツネのようなツンとした顔立ちの男で、もう一人は身なりの整った老人だった。しかし一人の審神者がこんなにも多くの政府関係者と知り合いとは珍しい。主は政府役員ではあったが、あまり多くの審神者と関わっている様子はなかった。単に水野殿自身の知古だったのか、それとも担当者関連で芋づる式に知り合ったのか。どちらにせよこうして多くの人が、戦力が揃うのは羨ましい。俺の主は、ずっと孤独だったから。

「それでは部屋に、と。おや?」

 全員で彼女の部屋へと向かおうとしたのだろう。しかし歩き出そうとしたところで、先程のご老公がこちらへと視線を向けてくる。

「山姥切様。そのような場所で如何なされましたか?」
「え? 山姥切?」

 二人の男の声が重なる。当然だ。誰も俺の姿を認識出来ていないのだから。だがそのご老公はこちらに迷うことなく近づくと、深々と一礼してきた。

「私は水野さんの知人で“榊”と申します。もしあなた様が彼女について何か知っておいでなのでしたら、どうか知識を分けて頂きたい」
(あ、なたは……俺が見えるのか?)

 声は出ない。実体がないからだ。だが彼には聞こえたのだろう。ゆっくりと目を細め、微笑む。

「はい。しっかりと。私の目はあなた様を捉えております。お声も、直接耳に響いてはきませんが、何をおっしゃっているのか。不思議と分かります」

 彼の言葉に嘘はない。不思議とそう信じられた。彼にならば全て見てきた俺の言葉が届く。どうして俺だけがここに連れてこられたのか。ずっと分からなかったが、初めて理解した。俺はこの時のためにまだ“残っていた”のだ。俺の主を救おうと命を懸けてくれた彼女に、報いるために。

(頼む。彼女を……水野殿を、助けてくれ)

 俺に残された時間がどれ程かは分からない。それでも俺は自分が見聞きし、考えてきた全てのことをこのご老公に伝えることにした。


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