小説
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 襖から血が出たと思ったら、今度はこの“肉塊”の奥からどんどん血が溢れてくる。これではもはや海だ。私は必死に足をばたつかせ、水上(?)に顔を出す。

「ぶっへあ!! ゴッホ! おぅえッ! 最ッ悪!!」
『水野殿、大丈夫か!?』
『みずのさま、こちらです!』
「ゴホッ、ちょ、水泳苦手なんですけどッ」

 いつからここに潜んでいたのか。先程燭台切に斬りかかられる直前、私の右手に触れた手があった。冷たく硬い、覚えのある感触。それを頼りに力強く手繰り寄せ掲げれば、それは見事に短剣となり、燭台切の刃を防いでくれた。

「てか、今剣さん、無事だったんですね!」
『ぶじ、といっていいかはわかりませんが……山姥切がにがしてくれましたから。ずっと、きをうかがっていたのです』
『だが今剣ももう力がない……! 水野殿、頼む! 主たちを……!』
「分かってる!! でも水泳苦手なの! ってか勢いが凄い! 流される!!」

 気持ちは痛いほどに分かる。私だって他の審神者を助けたい。でも流れのある水相手に人間が立ち向かうことが出来ると思う? 精々が近場の柱にしがみついてこれ以上流されないようにするのが精一杯だ。それでもどうにか前に進もうと考えるが、人の体では限界がある。山姥切も先程は私の体を上手く使うことが出来たみたいだが、今ではもうすっかりナビゲーター役に逆戻りだ。
 クソッ……! ここまで来たって言うのに……!!

「せめて、他の人たちだけでも……!!」

 あの薄い膜みたいな肉塊の中から出すことが出来れば、彼女たちも意識を取り戻して一緒に戻れるかもしれないのに……!!

「クッソー!! こんな所で終わるだなんて絶対に嫌だーーーーッ!!!」

 だけど水かさを増した血の海はどうにか水上に顔を出した私を嘲笑うかのように大きく波を立てる。そうして一際大きな波を作ると、そのまま声を上げる暇すらくれずに私を丸のみにする。

「ッ!!」

 しかも今度の波はかなりの勢いだった。必死に柱にしがみついていたが、自然の驚異の前では人間の力なんてちっぽけなものだ。私の手はいとも簡単に柱から離れ、押し流される。

『みずのさま!』
『水野殿!!』

 このままでは息も出来ずに死んでしまう。思わず『諦め』の感情が浮かんだ時だった。私の体が、何かに包み込まれたかのようにして勢いが止まる。

(……アレ?)

 閉じていた目を空ければ、何だかぼんやりとした白い、膜のような中にいることが分かる。膜の外ではまるで血管の中にいるみたいに轟々と血が勢いよく流れている。
 もしかして私も閉じ込められたのか?! 一瞬ヒヤリとしたが、それは違うようだった。

「竜神殿だ……」
「……あれ?! 山姥切さん?!」

 私の中にいるはずの山姥切が、何故か私の隣に立っていてビビる。というか今自分が座り込んでいることにさえ気が付かなかった。慌てて立ち上がれば、反対側から私の手を握る者がいた。

「みずのさま、これは……」
「今剣さんまで……でも、どうして……」

 二人は確か、もう姿形を保てない程に消耗していたはずだ。それなのに何故ここにこうして立っているのか。疑問に思っていると、山姥切がフラリ、と歩き出す。

「あ! 山姥切さん!」

 今剣の手を引き、山姥切を追いかける。だけど彼はフラフラと憑りつかれたかのように前に進むと、突然膝から崩れ落ちた。

「山姥切さん?!」

 慌てて駆け寄り膝をつけば、そこに山姥切の肉体はなく、ただ一人振りの刀が衣服の下に横たわっているだけだった。

「これは……山姥切さんの本体?」

 彼は折れて死んだはずなのに、その刀身は刃こぼれ一つない美しい、見事な一振りが転がっていた。どういうことかと思い隣にいたはずの今剣に目を向ければ、あろうことか彼もただ一振りの刀に戻っていた。

「これ……どういうこと?」

 そういえばさっき山姥切が「竜神殿」って呟いていたけど、竜神様が近くにいるのか? そう思って辺りを見回そうと顔を上げた時だった。真っ赤で真っ黒な世界の中で、薄ぼんやりと、淡く発光する繭を見つけたのは。

「アレだ!」

 白い繭が五つ、僅かに鼓動しているのが分かる。ということは、まだ五人は生きている! でもどうやってここから抜け出し、あの繭の中から五人を助け出せばいいのか。早急に解決しなければならない、けれどそう簡単にはいかない事態に直面し、ただ焦る。だけど焦っている合間にもその繭は流されようとしており、咄嗟に手を伸ばした瞬間、地鳴りのような唸り声と共に大量の血潮が流れ込んできた。

「おごごごごッ!」

 山姥切と今剣の本体をしっかりと抱えたまま数メートル後ろに流される。てか何でいきなり血潮が流れ込んできたんだ?! 疑問に思ったのも束の間、起き上がった私の近辺に白い繭が五つ転がっているのが目に入る。

「うおおおお! 奇跡!! いや、もしかして、今私たち竜神様の腹の中にいるんじゃね?」

 となると、さっきの唸り声はきっと竜神様のものだ。つまり竜神様がこの繭を丸のみにし、ここまで運んでくれたという事か。うっはー! 助かるー!! これでこの人たちだけでも助けられる!!
 私は意気揚々と一つの繭に近づき、膝をつく。

「百花さん……」

 その繭は一番小さく、一番鼓動が弱い繭だった。その繭の中にうっすらと見える幼い輪郭に目を細め、手にしていた今剣を改めて握りなおす。

「今、出しますからね」

 グッ、と鋭い切っ先を繭に立てる。そのままずぶずぶと、中にいる彼女を傷つけないよう先端を食い込ませ下ろしていく。だがこの繭も白い癖に血が通っているのか、斬った所から血が溢れてくる。

「ううぅううぅうぅぅう〜……!! もうヤダ、こんなの、もう二度と絶対に体験したくない〜……!」

 どうにか刃を下ろし切り、開いた繭の内側に手を掛ければ『グチャリ』とした濡れた、肉の感触がする。
 ヒィィィィィイイ!! 気持ち悪ッ!!
 それでもどうにか力を入れて左右に割れば、無傷な状態で眠る百花さんを確認することが出来た。

「百花さん! 百花さん!!」

 小さな肩を掴み、必死に揺さぶってみる。だが彼女が目覚める気配はない。彼女が心配だが、他の四人も繭から出さなければ。
 百花さんを繭から引きずり出し、床に横たえてから次の繭に取り掛かる。
 今度の繭に入っていたのは、学生服を身に纏った女性だ。制服の校章を見れば知らないものだったから、きっと他県の子供だろう。その子もやっぱり意識はなく、仕方なく繭から出すだけに留める。

「次は……!」

 次に出てきたのは黒髪短髪の、見た目はボーイッシュな女性だった。二の腕や鎖骨ら辺にタトゥーが入っている。黒いタンクトップにジーパンというかなりラフな姿ではあったが、スタイルがいいのだろう。ぱっと見ではあるが、彼女によく似合っていると思った。そして案の定彼女も意識がない。一体どうなっているのか。分からないままに次に取り掛かる。

「クソッ、何じゃこの緊急オペみたいな緊張感……! こちとら医者やないねんで……!」

 慎重に刃を入れ、次の繭を開ける。出てきたのは二十代半ばぐらいの女性だ。先の人とは違い、清楚系の衣服に身を包んでいる。元は白いブラウスにピンクのスカートだったのだろうが、今は血で汚れて色が変わっていた。

「これで最後……ッ!」

 最後の繭は一際強く発光していた。生命力が強い、ということなのかもしれない。繭を開けると、中には艶やかな黒髪が美しい女性が眠っていた。肌は白いを通り越して青白いが、長い睫毛が羨ましいぐらいに綺麗な人だった。その人も繭から引きずり出す。どうやら全員息がある。そのことに安堵し、息を吐き出す。

「間に合った……」

 もうこれで思い残すことは何もない。そう、思ったせいだろうか。再び聞こえた地鳴りのような声の後、再び流れ込んできた血潮に揉まれ、今度こそ私は意識を失った――。


続く

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