小説
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 先に主が本丸を出ていることに気付き、僕は慌てて後を追った。普段なら主は僕が本丸を出てから部屋を出るはずなのに。今日はどうしたんだろう。邪魔者はいなくなったとはいえ、あの時の『今剣』がまだ残っている。『もしも』がないとは言い切れない。だから僕は急いで“母体”へと赴き、主を探した。

「主……主……」

 蠢く母体の中を必死に駆け抜ける。だけどここは暗くて、夜目が利かない僕では上手く先に進めない。どうにか“胎盤”に向かって進んでいると、誰かが言い争う声が聞こえてきた。

「――!! ――――!!」
「――――!! ――――!」

 何を言っているかは聞き取れない。だけどかなり白熱した言い合いのようだ。僕は持てる力で必死に駆け抜け、そこに辿り着いた。

「『人間』と『神』が釣り合うわけなかろうが、このボケナスーーーーッ!!!」
「ですよねーーーーッ!!!」

 最近はずっと目にしていなかった主の後ろ姿が目に入る。そして巫女の衣服を身に纏った主の前に、誰かが立っている。どうやらその相手と言い争っていたらしい。であれば、そいつは必然的に僕の“敵”だ。僕はすぐさま主の背後に立った。

「主? 何してるの?」

 バッ! と主が振り返る。その顔には以前と違うお面がつけられている。昔は増女の能面だったのに。きっと心を奮い立たせるために般若の面を選んだのだろう。健気な主のために、ここは僕が心を“鬼”にしなければ。

「君は……どうしてここにいるのかな?」

 この女は知っている。確か『水野』と名乗る女審神者だったはずだ。僕たちの本丸に迷い込んだ、怪しい女審神者。僕の出したお茶にも茶菓子にも手を付けなかった、無粋な女。

「……そういう燭台切さんこそ、何故ここに?」
「質問に質問で返すのはマナー違反じゃないかな。まぁいいけど。僕は主の刀だから、主を守る。それだけさ」

 嘘は言っていない。僕は主の刀だ。主が唯一傍に置いてくれた、信頼し、頼ってくれた忠実な一振りだ。僕にはその誇りがある。それを声に滲ませ伝えれば、主は僕に向けていた顔を彼女に向ける。

「……言い合いは終わりだ。私は私の夢を実現させる。“理想郷”を作り上げる。誰にも邪魔はさせない」
「……だったら、こっちも全力で止めに行きます。彼女たちの命を使わせたりしない。絶対に」

 こんな時にこんなことを思うのは不謹慎だろう。でも僕は久しぶりに主の声を聴くことが出来た。それがたまらなく嬉しい。いつも筆談だったから……。勿論筆談でもいいんだ。主からの言葉は全て僕の宝物だから。でも、その声を、姿を、直に傍で見られるのは本当に稀だったから……。ああ、何て幸せなんだろう。
 ここでいつまでも主の可憐でありながらも凛とした佇まいに見惚れていたいが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。相手が幾ら素人であろうと、主に歯向かうのなら全て斬り捨てるのみ。丸腰相手だろうが関係ない。僕は主を守るために、今ここにいるのだから。

「主に手出しはさせないよ。僕が守るからね」

 僕は主の刀だ。僕は主の忠臣だ。僕だけが傍にいることを許され、僕だけが主の寵を受ける。その邪魔をする奴は、誰であろうと許さない。

「長船派の祖、光忠が一振り、参るっ!」

 弱者であろうと全力で。それがせめてもの手向けだ。――そう、思っていたのに。

「ッ!!」

 弱者であるはずの彼女は、あろうことか僕の刀を受け止めた。今まで幾度となく目にした、その短刀を翳して。

「今、剣……!」

 そう。彼女が手にしていた短刀。それは『今剣』だった。どうしてこの女がその刀を手にしているのか。そもそもどこから取り出したのか。抜刀する気配すら感じさせなかった。そして何より、武器を隠し持っていることに気づけなかった。だからつい油断して隙を見せてしまう。彼女は素人の癖にその一瞬の隙を見逃さず、弱い女の力で僕の刀身を弾くと身を引いた。

「『は、成程な……俺が彼女に“憑依”出来たのはこの時のため……なのかもしれないな』」
「……何?」

 聞き慣れない声で、どこか聞いたことがあるような口調で話し始めることに自然と不快感が沸き上がる。何だこの違和感は。何だこの既視感は。知らない筈なのに、何故か誰よりも知っている気がする。そんな気味の悪い感情を振り切るかのように再度刀を振り下ろせば、やはり彼女は見た目からは想像できないスピードでその一閃を受け止め、こちらを睨んできた。

「『今度は負けない』」
「! まさか、君は――」

 いや、そんな、まさか。だって、彼は僕が確かに――

「『どうした。膝が震えているぞ? 第一部隊の隊長を務めるにはまだ早かったんじゃないのか?』」

 不敵な笑み。爛々と光る瞳。実際に見えはしないけど、確かに感じた。元第一部隊隊長であり、初期刀であり、僕のライバル――山姥切国広の気配を。

「『行くぞ、燭台切光忠!』」
「ッ! 往生際が悪い男は格好悪いよ! 今度こそ、僕が殺してやる!!」

 主は、主は、きっと君が好きだった。なのに、それなのに! どうして君は!!

「誰に体を借りようと変わらない! 僕が勝つ! 僕が主の傍にいる!! 君じゃない! 主の傍にいるのは、僕なんだ!!」

 ずっと、ずっと追い求めてきた。僕の、僕だけの主。たった一人の、生涯仕えることの出来る人。誰かに譲渡されることも、火に巻かれることもない。蔵の奥底でただ眠りにつく日々でもない。僕は、ずっと探してきたんだ。ずっとコレが欲しかったんだ。僕だけの、僕だけの主が!! だから!

「君に奪わせたりなんかしない! この場所は、もう僕のものだ!!」

 僕は必死だった。何度殺しても悪夢のように蘇る男から主を守るために。……僕自身を、守るために。だから、気づけなかった。僕の背後にいた主の背後に、誰が立っていたのかを。そしてその手に持つ獲物が、誰の肉を貫いたのかも。

「え?」

 それは、あまりにも素朴な声だった。まるで幼い子供のように、それは甘く、高く、肉塊の中で響いた。

「……なん、で……」

 主の声に、僕だけでなく目の前で鍔迫り合いをしていた山姥切も硬直する。それをいいことに一つだけの目で振り返れば、僕の大事な大事な主の体に、一本の刀が突き刺さっていた。

「どう、して……みか、づき……さま……」

 背後から主の心臓を一突きし、その体に腕を回し抱きとめていたのは――あの何もなくなった本丸で唯一人残っているはずの、三日月宗近だった。

「……すまんな。主」
「う゛あッ!」
「『主ッ!!』」

 僕と山姥切くんの声が重なる。真っ白な巫女服にじわじわと赤い染みを広げながら、主は力なく前のめりに脱力していく。それを三日月が抱きかかえるようにして支え、その腕に閉じ込めた。

「ど、うして……どう……して……」
「すまんなぁ、主……俺はどうしても、そなたと離れたくはなかった」
「そんな……どうして……」

 主は壊れた機械のように『どうして』を繰り返す。三日月は主の体をそっと横たえるようにして地面に片膝をつくと、主の頭を膝に乗せ、素顔を覆う面を取った。

「主。そなたの為そうとしていること、そこな山姥切から聞いた。薄々は感づいておったが、まさかここまで事が進んでいるとは思わなんだ。よくやったものだな」
「わたし、は……あなたがたの、ために……」
「ああ。そうだな。分かっている。分かっているとも」
「三日月、貴様ァ……!!」

 僕の主から離れろ! そう叫んで刀を振ることが出来ればどれ程よかったか。でもアイツの足元には主がいる。主にこれ以上傷がつくのは、それ以上に耐えがたかった。

「主。そなたは一つ見落としておる。そなたはそこな燭台切と、死んだ山姥切にばかり心捕らわれておったようだがの。実のところ、そなたを最も欲しておったのは――きっと、ここにおる爺よ」
「! そ、んな……」

 驚愕に震え、目を見開き、口から血を吐き出す主にあろうことか三日月は笑みを浮かべると、その細い顎を手に取り、僕の目の前で――主の唇を、奪っていった。

「ッ! ん゛ー!! んぅーー!!」

 唇が塞がれていたせいか、それとも溢れる血のせいか。主の血が、ゴポリ、と鼻から垂れてくる。主はもがくように手足をばたつかせた後、やがてゆっくりと弛緩し、腕を地面に下ろした。

「そなたの魂、そなたが語る“理想郷”とやらに俺が連れて行ってやる。共に生きよう。そなたが望む“永遠”とやらでな」
「! 待て! 三日月!!」

 主の命が、魂が。連れていかれる。連れていかれてしまう。僕を置いて、山姥切にではなく、三日月によって連れ去られていく。

「すまんな、燭台切」
「ふざけるな! 主は僕の、僕の――!!」

 ゴボリ、奥から血が溢れてくる。目の前が赤くなる。“母”が動き出す。“理想郷”を産み出すために、今まさに、命を喰らおうとしている。

「待って! 行かないで! 主! 僕を置いて逝かないで!!」

 殆ど無意識だった。というより、がむしゃらだった。意地も、見栄も、何もかも取り繕う余裕はなかった。必死に手を伸ばし、必死に足を動かした。母なる母体の中に満ちる血潮に足を取られ思うように前に進まなくとも、それでも手を伸ばした。だって僕は――主と一緒に、逝きたかったから。

「主!!」

 伸ばした手は、果たして届いたのか。

 僕たちは真っ暗な母体の中で勢いよく血潮に呑まれた。赤く、赤く、世界が変わる中で――僕は一人、主を想った。



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