小説
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 意識を取り戻したのは、私の体の中から“彼”が呼びかけたからだった。

『おい! おい!! しっかりしろ! 呑まれるな!!』
「はえ?」

 いつの間にか倒れていた体を起こせば、ギシリ、と体中が軋む。関節が痛い。多分打ったのだろう、背中も痛い。唯でさえ重たい体が更に重い。まるで一気に老婆にでもなったかのようだ。至る所から痛みや怠さを感じる中、どうにか床に手をつき立ち上がる。

「ここは……」
『まだ俺たちの本丸の中だ。とりあえず“憑依”事態は成功したとみていいだろう』
「おお! やりましたね! 大成功!!」

 どうやら死なずに済んだらしい。今の私の中には“彼”こと『山姥切国広』が憑依した状態になっている。確認のため左手首に右手を当ててみれば、しっかりと脈打っている。一応は『まだ生きている』ということか。

「あとはどうやって此処から出るか、だけど……」

 元々この本丸は山姥切が元いた場所だ。『神域』でもあり『彼岸』の入口でもある。ならばあの時三日月が使ったゲートがあるはずだ。山姥切に話せば『三日月はともかく燭台切と鉢合わせするとまずい』と言うので、私は人生初の『スニーキングミッション』に挑戦することになった。
 ヒューッ!! 特殊部隊に所属していたわけでもないのにこのハードミッション! わいの人生滅茶苦茶や〜!!
 なんてアホな現実逃避をしている場合ではない。どうすればこの部屋から出られるのか。それが最初の問題であり、最難関である気がした。

「ねぇ、山姥切さん。今の私、一応脈はあるんですけど『彼岸の入り口』にいるってことは、“死んでいる”ってことなんですかね?」
『いや。厳密に言えば君はまだ“生死を彷徨っている”状態に近い。殆ど死にかけではあるが』
「死にかけであっても完全に死んでなきゃまだワンチャンある、ってことか。山姥切さんは無理でも、私はギリ“生者”扱いになるわけですね。よし! こんなとこさっさと出ちゃいましょう!」

 一抹の不安はあったが、意を決して襖に手をかける――が、

「あれ?」

 何故か襖はビクともしない。もう少しガタガタ言ってくれてもいいんじゃない?!

「ふんぬーーーーっ!!!!」

 渾身の力を入れて引いてみるも効果なし。腹いせに叩いても同じだった。くそう。完全に閉じ込められている。

「ここまで来て出られないとか! そんなのなしやろ!!」

 もしもを想定し部屋中くまなく探してみるが、和室なんだから鍵や別の扉なんてあるわけがない。物差しや消火器など物理的に襖を突破できそうな道具も探してみるが、やはり見当たらない。くそう。認めたくないけど詰んだか?
 とりあえず一旦落ち着こうと部屋の隅に立ち、部屋の中を改めて見渡してみる。
 うーん……やっぱり何もない。畳だけが敷かれた殺風景な部屋が広がるばかりだ。
 零れそうになるため息をグッと堪え、廊下に出て縁側に立ってみる。試しに両端の部屋に行こうとしてみるが、どうやらこの部屋の範囲から先の廊下にも進めないらしい。見えない壁のようなものが手に触れた。
 うん。これは完全に詰んだな。

『やはり無理だったか……』

 頭の中で山姥切の――如実に諦めが滲んだ声が聞こえる。でも私はまだ諦めたくない。

「例えばなんですけど、山姥切さんが私の体を乗っ取って、刀をこう、念か何かで形成して、襖を斬って脱出、とか無理です?」
『流石にそんな漫画じみた手法は取れないな。そもそも俺の力は本当に残っていないんだ。むしろこうして君に憑依出来ただけでも奇跡に近い』
「あれま。そうなんですか」

 ということは、だ。山姥切はほとんどナビゲーション役だと考えた方がいいだろう。敵陣に乗り込むための大事な案内人。となると、やっぱりここで奮闘すべきは私自身だ。
 よーし、こうなりゃとことんやったるわい! モブの力、とくと見よ!!!

「と言っても、何をどうすればいいのか……」

 勇んでみたものの、現状は非常に無情である。無意味に腕を組んではぐるぐると部屋の中を歩き回ってみるが、当然効果はない。
 あー!! こうしている間にも捕らわれた人たちが力を吸い取られて死んでしまったらどうしよう。そんなの嫌だ! 後味が悪すぎる!!!
 衝動のあまり頭を掻き毟り、思わず天井を仰ぎ見る。が、生憎とこの低身長では天井に届くわけがない。脚立もなければ机もないのだ。本当にどうしようもない。コレは本当に『後は死を待つのみ』な状況なのでは? 背中に冷や汗が流れたところで、ふとポケットに何か入っていることに気付く。

「ん? 何だコレ」

 ジーパンのポケットに入っていたのはツルリとした鋭い牙のような、爪のような、象牙のような形をした何かだった。
 んー? こんなもの拾った覚えなんかないぞ?
 試しに先端に指の腹を押し当ててみれば、ツキンとした痛みが走る。ちょっとしか当てていないのにこの痛み……。相当鋭く出来ているらしい。でも本当に何でこんなものがここに? 首を傾けていると、山姥切が『お、おい』と声をかけてくる。

『君、それは……』
「ああ、今気づいたんですけどポケットに入ってたんですよね。何でしょうね、コレ」

 クルクルと指で弄んでいると、山姥切が『分からないのか?!』と突っ込んでくる。

『それは“竜”の爪だ! ほんの一端ではあるが、間違いない!』
「え?! これが?! 嘘ぉ?!」

 全然そんな風には見えないが、山姥切は『間違いない』と言い張る。

『僅かだが君の霊力と、君の魂に残る“竜”の気を感じる。爪先とはいえ、これは立派な武器だぞ』
「ひえぇ……そうなんだ……でも何で竜神様の爪の欠片が私のポケットに入ってたんだろう? 爪切りでもしたのかな?」

 ……いやいや。まっさかぁ。人じゃあるまいし。第一竜って爪伸びるのか? 猫みたいに硬いものに爪を立ててガリガリ削ったりすんの? ないない。そんなわけない。でも、

「竜神様の爪なら……襖、破れるかな?」

 手にした竜神様の爪を襖に突き立てるのは流石に抵抗があったので、試しにそっと、隙間を生むようにして襖と柱の間に爪先を差し込んでみる。

「あ。何かいけそう」

 さっきはビクともしなかった襖が僅かに動く。でも横にスライドさせようとすると動かない。うーん。効力はあるっぽいけど、開けようとしているのが私自身だからダメなのか?

「だったらもう引き裂くしかないか」

 本当はこんなことしたくはない。罰当たりな感じがするし。でも背に腹は代えられない。
 一度深く深呼吸した後、勢いよく『そォい!』と襖に爪先を突き刺す。鋭い爪先は思惑通り襖を貫通したが、同時に思わぬ事態に直面した。

「ぶほあ?!?!」

 何と、突き立てた表面から突然血飛沫が上がったのである! こ、コイツ生きていやがたのかあ?!?!

「ぶっへ!! げほ、ごほっ!!」

 勢いよく血飛沫を上げる襖から慌てて顔を離す。咳き込みつつ頬に触れば、どうやら御簾のおかげで顔にまで血は飛び散っていないらしい。しかしコレはだいぶホラーである。現実味が薄すぎてアレだけど。後々考えるとトラウマものになりそうだ。

「でもこんなことで引いていられるか!! モブの力なめんじゃねええええ!!!!」

 断末魔が起きないのがせめてもの救いだ。
 ザクザクと襖に竜神様の爪を突き立て、引き裂き、ボロボロになった襖を押し倒す。

「よっしゃ! 出られた!!!」

 今の私を傍から見れば完全に『殺人鬼』だ。それほどまでに全身は真っ赤に染まっている。だけど先にも言ったように背に腹は代えられない。進むと決めたら進むしかないのだ。例えこの事件が解決した時、私の命が終わろうとも。

「行こう! 山姥切さん!!」
『あ、ああ!』

 綺麗な廊下を血塗れになった私が走る。うーん。やっぱりダイエットしておけばよかった! スピード感ゼロ!!!!
 それでもゲートに向かって突き進んでいると、どうやら異変に気が付いたのだろう。刀を携えた三日月宗近が目の前に飛び出してきた。

「何奴!」
「どおおおおお!!!? 三日月さん退いてええええええ!!!」

 ただノロマな私とは違い、三日月は戦闘のプロである。一瞬で“私”だと認識したらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。だけど私は濡れた靴下のせいで止まることが出来ず、そのまま廊下を滑り、バランスを崩さないようあたふたしている間にも刀を収めた三日月の胸に飛び込むような形で突っ込んでしまった。

「ぶへあ!」
「ッ、水野殿?! 何故そなたがここに……」
「い、いやぁ、何ででしょう……? 私も来たくて来たわけじゃないんですけど……あ。すみません! すぐ退きますね!」

 彼が抱き留めてくれたおかげで転ばずに済んだが、こちらは血塗れだ。身綺麗な彼の服を汚してはいけない。慌てて体を離そうとするが、すぐさま両肩を強い力で掴まれる。

「待て。そなた、そなたの中にいるのは、もしや――」
「あ、はい。この本丸の初期刀だった、山姥切国広です」

 三日月に山姥切の声は聞こえないのだろう。だから私は頭の中で響く彼の声を、驚きに震える三日月に伝えることにする。

「『三日月、俺は死人だ。だが主を止めるために留まっている。全てが終われば俺も消えるだろう』」
「……そうまでして、そなたは主を……」
「『それが、初期刀としての務めだと……思っているからな』」

 山姥切は自分の職務を全うしようとしている。責任を、感じている。自らの主の凶行を止められなかったことを悔い、それを止めるためだけに因果を捻じ曲げ此処に残っているのだ。

「『俺は進む。例え主に刃向うことになろうとも。お前も、自分の意志で決めてくれ』」

 山姥切の声に迷いはない。この二人がどんな関係だったのか、この言葉にどんな意味が含まれているのか。私にはわからない。それでも三日月はハッとしたように息をのむと、次第に顔を切なげに歪めていった。

「そうか……そうか……」

 二度目の「そうか」は殆ど蚊の鳴くような、消え入りそうな声だったけど。二人、いや。三人しかいないこの空間では、しっかりと聞こえてしまった。

「あの……三日月さん、お願いがあるんですが」
「何だ?」
「ゲートを使わせてください。一刻も早く、あなたたちの主の元へと行かなければならないんです」

 自分の本丸に戻れば、きっと私の刀たちが私を行かせることを阻むだろう。勿論戦力は欲しい。その点本丸に戻ればきっと多くの刀たちが手を貸してくれるだろう。それに私がいなくなったと知った陸奥守や小夜が武田さんたちを呼んでいるはずだから。でも、

「今は一秒でも時間が惜しいんです。お願いします! ゲートを使わせてください!」

 あの気持ち悪い、人の体内みたいな構造になっている場所への行き方は山姥切が知っている。どうやらこの本丸からならゲートを使って行くことが出来るかもしれない。ということだった。だから一刻も早くあそこに行かなければ。必死に訴える私に何を思ったのか、三日月は逡巡するような顔をしたが、頷いてくれた。

「よかろう。使い方はそなたの中にいる山姥切が教えてくれるだろう。それに従えばいい」
「ありがとうございます!」
「だが、一つ条件がある」
「条件?」
「ああ。何、難しいことではない。ただ――――」

 彼は一つ、二つ、私と山姥切からそれぞれ聞きたいことを聞くと、満足そうに頷いて背を向けた。

「達者でな」

 それ以上は語らない三日月に改めて頭を下げ、廊下を進む。彼はその場からじっと動かず、ただそこに佇んでいるようだった。


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