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深く、深く――それよりも更に深く。わたしは眠っている。
『母体』
夢を見ている時、自分で「あ。コレは夢だな」と分かるものと、起きるまで夢かどうか分からないものがある。今のわたしはきっと「夢を見ている」んだと思う。そうじゃないと、やめたはずの本丸に立っているわけないもの。
『あるじさまー!!』
パタパタと走ってくる足音。振り向けばわたしより少し身長の高い“カレ”が目の前で立ち止まる。
『どうしたんですか? かおいろがすぐれませんが……もしや、どこかけがでもなさいましたか?』
ぎゅっ、と取られた両手。わたしより少し大きい、でもみんなからしてみればわたしと同じくらい小さな手。でも、わたしの大好きな手。
「だ、大丈夫だよ。ちょっとぼーっとしてただけだから」
わたしの顔を覗きこむ、わたしの好きな人。好き――だった人。わたしが折ってしまった、“今剣”くん。
どうしてカレがここにいるのか。どうしてわたしがここにいるのか。ちっともわからないけど、きっとコレは“夢”だから――。
「あ、あのね! 今剣くん」
『はい。なんでしょう』
「あ、あのね、お願いがあるんだけど……」
わたしも、“あの人”みたいに今剣くんと一緒にお出かけしたかった。一緒に遊びたかった。手をつないで、隣を歩きたかった。お願いすれば、叶えてくれるかな。コレはわたしが見ている夢だけど、お願いすれば、叶えてくれるかな?
『あるじさま?』
キョトンとしている今剣くん。わたしはおなかがいっぱいになるくらい息をすって、両手をぎゅっと握りしめながら声に出した――。
「今剣くん! わ、わたしと、デートしてください!!」
わたしは生まれてはじめて、男の子をデートに誘った。
***
幸せな“夢”を見ている。
気づいた時には、ソレは既に叶っていた。
『主、お茶を持ってきたよ。少し休憩しよう』
「あ、うん。ありがとう、光忠」
燭台切光忠。私の好きな人。いや、厳密に言えば“人”じゃないんだけど。私はどうしても彼のことをただの“刀”だとは思えなかった。
「いつもごめんね」
『何言ってるの。僕が好きでやってることなんだから、気にしないで』
柔らかく、優しい声。まるでお日様みたい。片目は隠されているけれど、もう一つの、蜂蜜みたいな色をした眼がトロリと蕩けるようにして微笑みかけてくれる。途端に胸がキューッとしめつけられ、お茶もお菓子も喉を通りそうになかった。
『主は頑張り屋さんだからね。たまには“ご褒美”をあげないと』
笑いながら私の頬に手を当てる。優しい指先。手袋越しだけど、そんなの全然気にならない。ああ、でも、もしも贅沢を言っても許されるなら。彼の素肌と、直接触れ合いたい。
『あーるじ。何考えてるの?』
「ヒエッ?!」
覗き込まれる瞳。彼の金色の瞳に、赤くなった私が写ってる。
やだ、恥ずかしい!
パッと顔をそむければ、彼の指先が「コラ」と叱りつつも優しく顔を元の位置に戻してくる。
『恥ずかしいからって顔を背けないで。寂しいよ』
「だ、そ、よ、よくそんな恥ずかしいこと言えるね……」
恥ずかしすぎて、じわじわと体に汗が浮いてくる。やだな。汗臭い女って思われたらどうしよう。
顔を逸らす代わりに下を向けば、彼は両手で私の頬を挟むとゆっくりと上向きにし、そして――
「ぁッ、」
近づいてきた端正な顔を直視出来なくて、私は目を閉じた。
暗闇の中でも感じる確かな“幸せ”に、言葉に出来ないほど胸があたたかい何かで満たされる。
例えコレが“夢”であったとしても、彼と結ばれるならそれでもいい。
私は確かに、そう思っていた――。
***
彼の手が私の体を這う。大きな手。長い指。男らしい、武骨で硬い肉の感触。
触れ合った肌が熱い。滴る汗が次から次へとシーツの上へと落ちていく。
恥ずかしい。恥ずかしい。
でも――嬉しい。
背後から抱きしめられ、そのまま体重をかけられて布団に沈む。ベッドと違ってうるさく軋まないから、私の高い声が部屋中に響いて恥ずかしい。
『ココ、か?』
「あッ! いや、ソコっ……!!」
彼の熱いモノが、私のナカを掻き乱す。体も心も、めちゃくちゃにする。いやなのに、嬉しい。恥ずかしいのに、もっと感じてほしい。
私を、私の体を、心を、全てを。彼に受け止めてほしい。そして、私も受け止めたい。彼の過去も、今も、今の気持ちも、何もかも。例えソレが一時のものであったとしても。泡沫のものであったとしても。私は、彼と一つになりたいのだ。
「大倶利伽羅……!」
浅黒い肌に昇る竜。
筋肉が強張ると、本当に刻まれた竜が動き出しそうで魅力的だ。そんな彼の手にギュッと強く手を握られながら、私は自分の体の奥で熱い飛沫を感じていた。
***
『今度、二人で出かけましょうか』
「え?」
いつも仕事が最優先で、あ! 私のこともちゃんと大事にしてくれているけれど! “主命”第一な長谷部にしては珍しい発言だった。
『そんなに驚かないで下さい。俺だってその、あ、主と、二人で出かけたくなる時ぐらいあります』
どこか照れた様子の長谷部。思えば彼がこんな風に表情を変えたり、自分の気持ちをちゃんと言葉にして伝えてくれるようになる日が来るなんて思ってもみなかった。ずっと私だけが好きで居続けるんだと思っていた。だから私の気持ちを受け止めてくれたのも、きっと“主の言葉だから”だと思っていたのだ。
でも、私だけじゃなかったんだ。彼も、私のこと……少しは思っていてくれたんだ。それが分かっただけでも嬉しい。
「そ、そうだね! たまには一緒に出掛けようか!」
デートだ。長谷部と。
彼氏に酷い振られ方をして“もう恋なんて絶対にしない!”って思っていたのに。私は刀で、神様な長谷部に“恋”をしてしまった。
『はい。それでは尚のこと職務に励まなければなりませんね』
「え、ええぇえぇぇえ〜?!」
『当然です! 主がいけないんですよ? こんなに書類を溜めて……』
呆れた声音に、呆れたような眼差し。それでも泣きそうになる私を見捨てず、彼は手を差し伸べてくれた。
『俺も手伝いますから。早く終わらせましょう』
ずっと前の主を恨んでいた長谷部が穏やかな顔で笑っている。その顔が見られただけでも私が審神者になった価値はあるのかなぁ……?
「うん! よろしくね、長谷部!」
差し出された手に自分の手を重ねる。白い手袋の上に重ねた手は、どこか高揚していた。
***
『やれやれ。まったく、君も物好きだな』
『というより、欲張りだ』
『はっはっはっ。まぁ可愛い主の頼みだ。それに、悪い気もせん』
『ええ。本当ならば私一人だけを愛して欲しいものですが……多くを求めるのが人という生き物でございましょう。ですから、ええ。ぬしさま。私は気にいたしませんとも』
この世の美を集めたようなこの場所で、ロクでもない人生を歩んでいた私の人生は一変した。例え血の匂いがしようとも、例え面倒な書類があろうとも。この“誘惑”には耐えられない。こんなにも“いい男”が集まっているのに、女を武器にしないなんて、私には出来ない。
『ふふふ、ぬしさまはよほど私のモノがお好きと見える』
『何を言う。主が美味そうに食んでいるのは俺のモノだぞ?』
『やれやれ。君たちは分かってないな。真っ先に主の御眼鏡に掛かったのは俺だぞ?』
沢山の男に囲まれ、沢山の男にひたむきに気持ちを向けられ、傾かない女などいるはずがない。私は“こういう”生き方しかしてこなかった。“こういう”生き方しか誰も教えてはくれなかった。だから、金も愛も、服も鞄も何もかも、コレで得るのだ。
『困った主だ。こんなにも多くの男を抱えて誘惑して……それでもまだ望む。まるで“魔性”だな』
硬い指が私の弱いところを的確に嬲る。
ああ、堪らない――。
この悦楽から逃れる術など知らない。知らなくていい。私は死ぬまで“ここ”でいい――。
「ああ! もっと頂戴!」
最も古く、けれど貞操観念は割と緩い。平安刀たちは喜んで私の肉体に触れた。
***
「……汚らわしい夢……浅はかな恋慕……醜い欲望ばかり。こんなもの、彼らにふさわしくない」
蠢く母なる胎盤の中。肉塊は鼓動し、泡沫の夢を見る。何度も、何度も。果てなどなく。
いや、厳密に言えば果てはある。
だがそれを彼女たちは意識せぬまま地獄に落ち、夢が覚めると同時に地獄の窯の中で踊り狂うのだ。『絶望』という耐え難い苦しみによって。
ざまあない。
浅ましい人間たちが美しく尊い彼らを欲望で汚すからこうなるのだ。
彼らは“神”だ。我々の上位に位置する存在だ。例えその身が私たち人の手によって生み出されたモノであるとしても、今はその意識を超え、私たちの遥か上空に位置する“神”となった。
崇めろ。奉れ。身の程を知れ。
彼らを汚していいと誰が言った。
彼らと親しくなれと誰が言った。
我らは所詮神の小間使い。神が望むままに動くのが私たち人間の仕事だというのに。いつから自分たちは“神を使役する立場”にあると自惚れだしたのだろう? 私たちは人間だ。神にはなれない。だけど彼らは神に“なった”。“なれた”のだ! 百年、二百年と歳月を重ね、彼らはついに私たちを凌駕した!
なんて素晴らしい存在だろう!
美しく、尊く、気高い。
人を斬っていようがいまいが関係ない。彼らの美しさは、その姿形にあるというのに。
――それなのに。
肉の器を与え、人と同じ堕落した欲望に晒し、それを喜ぶとは何たる無礼か。
ああ、浅ましい。浅ましい。浅ましい!! 醜く汚い、欲望の塊め! 養豚場の豚の糞より尚悪い!! 駆逐せねば。殲滅しなければ。消毒しなければ。焼き払い、骨すら残さず破壊し尽くさねば。こんなもの、生きているだけで迷惑だ。
この世に存在する、彼らを、神聖な存在である彼らを侮辱し、汚染する人間共は皆駆逐せねば。鉄槌を下さねば。誰もしないというなら私がする。彼らの“理想郷”のために、私は悪にも手を染める。
しかしいつしか人は気づくだろう。
私の成した偉業を。そして敬服するだろう。猛省し、嫌悪するだろう。彼らに邪な眼差しを、醜い欲望を向ける己自身に。そしていつしかしなくなるだろう。美しい彼らは美しいままでいなくてはならない。神たる御身。神の化身。我らに最も近く、遠い存在――。
「……例え、誰に理解されなくとも……」
自らの初期刀に否定されようとも、私は成し得てみせる。この理想郷を、遥かな高みを、守るために。
だけど、私の刀以外が入れるはずのないこの場所に、聞こえるはずのない声が一つ響いた。
「あのぉー、ちょっとすみません。“水無”さんのお宅はこちらです?」
思わず振り向けば、そこに立っていたのは
「どうして、お前が――……」
死んだと報告があったはずの――水野、と名乗る女審神者だった。
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