小説
- ナノ -





 僕たちの主はとても“冷たい”人だ。
 だけど、僕はそんな主で“いい”と思っている。だって、僕も主も、“同じ”だから。

「主、終わったよ」

 大事な大事な母体の、更に大事な『胎盤』の中に潜り込んだ鼠は懐かしき第一部隊の隊長だった。折れた体。ボロボロになった、血塗れになった醜い体。そんな体を引きずって、主の邪魔をしに来た刀を僕は一撃で屠った。
 昔は、彼の方が強かったのに。

 一度も彼から一本を取ったことがなかった自分が、あっさり彼を屠ってしまった。唯でさえ折れて弱くなっているというのに、強くなった僕に歯向かうからまた折れる羽目になるんだ。情けない上に愚かな刀だ。そんな刀を“愛していた”だなんて、主も可哀想な人だ。

『そうですか。ご苦労様です』

 部屋の前から差し出された一枚の紙きれ。そこに直筆での返答が書き記されている。
 ああ、また主の『言葉』がもらえた。僕に向けた、僕だけの、主の言葉。

「もう大丈夫だよ。邪魔する者は誰もいない。三日月さんだって、もう戦う力は残っていない。安心して“終幕”を迎えることが出来るよ。主」

 僕たちの、元の本丸に未だに残る立った一振りの刀。彼はただの『目印』だ。僕たちが、僕たちの『楽園』を築くための、その礎となる場所を特定するためだけに存在する刀。

「もうすぐで完成するんだ。僕たちの楽園が――嗚呼、楽しみだ。楽しみだね、主」

 締め切られた襖の向こう。いるはずであろう主にすり寄るように、ザラリとした襖に額を、頬を、押し付ける。
 嗚呼、ずっと待っていた。この時を。あの時からずっと。夢見ていたんだ。僕は、主の『一番』になることを。

『そうですね』

 例えどんなに短くても、主が僕に返してくれる『言葉』は全て宝物だ。一枚一枚、丁寧に仕舞って時折うっとりと眺めては悦に浸る。それが、僕にとって“最高の時間”だ。

「困ったことがあったらいつでも呼んでね。僕は主の『味方』だから」

 主の夢を壊そうとする刀なんて初期刀じゃない。主の願いを踏みにじろうとする刀なんて仲間じゃない。主と僕の仲を裂こうとする刀なんて――生きる価値がない。

「またね、主」

 この手で屠った、バラバラに砕いた刀を思い出してほくそ笑む。
 主は知らなくていい。僕たちの前に立ちはだかった愚かな男の名前など。ささやかで愛らしい願いを打ち壊そうとする刀の名前など。いっそその顔も、声も、存在すらも、忘れてしまえばいいのに。

「ま、今は僕が“一番”だから大目に見てあげてもいいんだけどさ」

 皆主の願いを踏みにじった。皆主の願いを理解しなかった。だけど僕だけは違う。僕だけは理解してあげられる。寄り添ってあげられる。

 だって僕は主の『一番』大切な刀なんだから!!

「ああ……楽しみだ……楽しみだね、主……」

 僕は主の刀。僕の命は主のもの。そして主は、僕の“もの”だ。
 誰にも渡さない。渡してなんかやらない。

 だってずっと夢見てきた。

 初期刀の彼が主の耳に何事かを囁く姿を見る度に、主の細い指が初期刀の衣服を掴む姿を見る度に。下げた視界の中で、退いた部屋の中で、ずっと、ずっと――羨んでいた。妬んでいた。
 もしも僕が『初期刀』だったら。僕があの位置に立っていられたんだ。どんなに望まなくても、自然と主の傍にいられた。一番近い場所にいられた。信頼も、信用も、一身に背負っていられた。

 なのに、あの男はそれを『裏切った』。裏切ったんだ!! 主の願いを踏みにじった!! 主の想いを無下にした!!!
 そんな男に、僕が負けるはずがない。

 折れたのは弱かったからだ。弱かったのは自分を鍛えることを怠ったからだ。だから僕は強くなった。あんな男の『二の舞』になるわけにはいかなかったから。効率的に、主が提示する『最善』『最短』のカリキュラムを実行し、本丸で一番強くなった。
 もう僕は誰にも負けない。負けるはずがない。
 例えどんなに強い刀と対峙しても、僕は折れない。折られるわけがない。それ程までに、僕は成長した。

「ああ……主……」

 先程貰った主の言葉たちに向かって頬ずりする。

 主の匂いがする。主のぬくもりが感じられる。ここに主はいる。いるんだ。僕の傍に、僕の心に寄り添ってくれている。

「僕、頑張るからね」

 最後の最後まで。主が望む限り、どこまでだって。僕はついて行く。誰が相手であろうと刀を振るう。そして、主に『勝利』を捧げてみせる。

 それが、僕の存在意義なのだから。

「嗚呼、楽しみだなぁ……」

 うっとりと、蕩ける唇の端から唾液が零れそうになる。
 ああ、いけないいけない。こんな格好悪い姿、主に見せられないや。

「フン、フン、フフ〜ン♪」

 主の部屋から遠ざかった所で、僕は誰も見ていないことを承知でスキップする。
 そうだ。今日の晩御飯は豪勢にしよう。

 だって、ようやく僕は“目障りな男”を自分の手で殺すことが出来たのだから。
 今日ぐらいはいいよね。と、ワインセラーの前に立つ。

「一人での乾杯も慣れたけど、最後はやっぱり主としたいから。一番いい奴はまだ寝かせておかなきゃ」

 “とっておき”の次にいいボトルを手に取る。今日はこれで『乾杯』だ。

「フフッ。あー、楽しみだなぁ〜」

 僕たちが願い、思い描く『狂乱の宴』は、もうすぐ始まろうとしていた。





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