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 珍しいこともあるものだ。
 そう、多くの刀が思ったことだろう。

「主はおるか!」

 バン! と常にない勢いで主の部屋へと入ってきたのは三日月宗近だった。驚く俺の視界の端では大倶利伽羅が「おい」と三日月の肩を掴んで離そうとしていたが、三日月はそれを振り解くと俺が控えていた奥の部屋――主の私室の襖を許可なく開く。

「おい、三日月!」

 流石にこれは見過ごせない。俺も大倶利伽羅同様三日月を止めようと立ち上がるが、飛び込んできた光景に思わず目を見開いた。

「大典太!!」
「ぐっ……! ようやく、気付いてくれたか……!」

 ずっと、何も起きていないと思っていた。信じ込んでいた。だって何の音も気配もしなかったのだから。
 だが実際は違った。三日月が無理矢理開いた襖の先、主の安全を守っていたはずの大典太の体はボロボロになっていた。

「な、んだコレは……」

 眠る主の体の上、狭い部屋の中にソイツはいた。いや、“いらした”と言うべきか。

 横たわる主の体を跨ぐようにしてその身を部屋に収めていたのは、我らの主の御霊を守る、かの“竜神”そのものであった。

「シューッ……」

 竜神の口から零れる音が微かに届く。それは単なる呼気なのか、それとも俺には聞くことのできない土地神ならではのお言葉なのか。知らぬ間に震えていた指で柄を握れば、竜神の鋭い瞳がこちらに飛んでくる。

「ッ……!!」

 恐ろしい、今までに感じたことがないほどに恐ろしく、威圧的な瞳だった。

 幾ら神と言えども所詮こちらは『付喪神』。太古から土地を統べてきた土地神に敵う筈もない。正に遥かなる高みから見下ろされている、虫けらになったような気分だった。
 それでも三日月は前に出る。こちらを見下ろす竜神と同じ土俵で戦っているかのように、勇ましくその瞳を睨み返す。

「何故、主を連れて行こうとする」
「…………」

 竜神は答えない。その代わり大きな手を置いていた畳は、その先にある鋭い爪で真っ二つに折られた。

「……流石に、上位神相手に刀を振るうのは、臓腑が震えるな」
「そうだろう。今までよく耐えたと俺は自分を褒めたい」
「ははっ、確かに」

 俺に比べれば、一度折れた大典太も三日月も練度は低い。だがこの場で土地神相手に刃を向けることが出来たのは、この二振りだけだった。

「主を離してくれ。彼女は俺達にとって必要な方なのだ」
「例え此処で折れたとしても、俺達の命に代えてでも彼女だけは守ってみせる。そう、約束した」

 大典太が口にする『約束』とは、きっと彼らの体の元になっている別の刀たちと交わしたものだろう。
 気づけばじっとりとした汗が頬を伝い、顎先から落ちていく。それに気づいたのは、その落ちた雫が刀を握る手に落ちたからだ。自分の顔に流れるほど大量に汗を掻いていることにも気づかないほど、この場は緊迫した空気に包まれていた。

「退いてくれ。頼む」

 懇願する三日月の肩が、僅かに震えている。大典太が握る刃の切っ先も同様に。そして、その後ろにいる俺や大倶利伽羅も、息を吸うのも難しいぐらいに圧倒的な“気力”を感じていた。

「…………」

 数秒が数十分、数分が数時間にも感じられる睨み合いの中、竜神はその眼をスッと細めると主の体に覆いかぶさる。

「主!!」

 体が動いたのは殆ど“奇跡”みたいなものだった。だが刀を振るうまでもなく俺達は目の前で主を“失った”。
 主が横たわっていたはずの布団の上には、主は勿論、あの竜神さえもいなかった。

「……どういうことだ……?」

 竜神がいなくなった途端、全身で感じていた“重圧”とも呼べる“霊力”がなくなる。息をすることすら難しかった部屋で互いの顔を見合っていると、ドタドタと廊下を駆けてくる幾つもの足音が聞こえてくる。

「何があった!」
「主は?!」
「どうしたんです?!」

 長谷部、小夜、宗三に続き、うちで一時の間預かることになっていた刀たちも続々と集まってくる。

「今凄い“気”を感じたんだが、皆大丈夫かい?!」
「ああ。僕たち全員、押し潰されそうなものすごい霊力だった。何もなかったなんて言わせないよ?」
「青江の言う通りだ。隠し事はなしだぞ」
「あれ? ねえ、水野ちゃんは? どこ行ったのさ」

 石切丸、青江、膝丸の背後から顔を出した太郎太刀と次郎太刀。彼らは背が高いから見えたのだろう。俺達が呆然と立ちすくむ部屋の中心にいたはずの、主がいなくなっていることに。

「……これは……」
「主! ねえ、主は?!」

 小夜が部屋の中を駆け回る。彼がここまで取り乱す姿など見たことがない。まるで『半狂乱』と呼んでも差し支えない程に小夜は部屋の中を駆け回り、そして――

「嘘だ……」

 ここにいたはずの主が、どこにもいない。

 何度味わっても慣れない喪失感に、小夜は呆然と立ち竦む。その小さな肩に優しく手を当て、抱きしめたのは宗三だ。

「――探しましょう。必ず、見つけ出します」
「ああ。その通りだ。以前行方が分からなくなった時も、主はご帰還した。ならば今回も大丈夫だ。探せば、きっと、いや、必ず――主は――」

 長谷部の手が、声が、震えている。
 分かっている。今回は『本当に主が戻ってくるか分からない』。そんな事態だと。
 確かに今まで何度も主は危険な目にあった。怪異に巻き込まれ、生死の狭間を彷徨った。だが主の魂に住んでいるはずの“竜神”がその姿を現すほどの事態は、初めてだった。

 ――主の身に危険が迫っている――
 俺達はすぐさま部屋を飛び出し、政府に連絡を取る者と、軍議を開く準備に取り掛かる者とで散り散りになった。



***



『彼岸』それは『あの世』だ。

 私は蹲る山姥切の背から手を離し、その手を取って縁側へと導く。そうして並んで腰かけた後、ぼんやりと空を見上げた。

「ここ、あなたの本丸ですよね?」
「……ああ。そうだ」
「やっぱり。そんな気がしました」

 さわさわと木々が揺れている。少し強いが、いい風が吹いた。『極楽浄土』あるいは『桃源郷』。そう呼ばれても可笑しくない程に、ここは居心地がいい。

「でも、混ざってもいますよね」
「――ああ」

 項垂れる山姥切と私がいるのは『彼岸』と呼ぶにはまだ早い――あの世の“入口”みたいなところだ。だから正確にはまだ『死に切っていない』そういう状態だと思うのだ。

「でもまさか『神域』の中に『あの世の入口』があるだなんて、思ってもみませんでした」
「……ここはもう俺達の、主の手を離れているからな……宇宙に漂う小惑星の一つ、みたいなものだろう」
「成程。結構物知りですね」

 星空の向こうに広がる世界を知っているとは思わなかった。素直に驚けば、山姥切は「流石に知っている」と苦く零す。

「……一つ聞きたい」
「はい?」
「何故君はそんなに平然としていられる。一度『折れた』俺でさえこんな状態だというのに、どうしてただの『一般人』である君が――いや……そうだな。君は『ただの一般人』ではなかったな」

 彼らから見て、私はどんな存在なんだろう。
 ずっと気になっていたことだ。この際だから聞いてみることにする。

「山姥切さんから見て、私ってどんな人間なんですか?」

 彼は『ただの一般人ではない』と言った。そりゃあ確かに魂に“竜神”を住まわせている人間は少ないだろう。でも中身はともかく肉体は人間そのものなのだ。特段おかしなところはない。そりゃあ贅肉はたっぷりついてますけどぉ? 別に『珍しい』存在ではないはずだ。
 だけど山姥切は首を横に振る。力なく、けれど明確に。

「君は、普通に暮らしていれば確かにただの『一般人』だ。だが、君は我々――神々と共に生活をする上では、この上なく珍しい存在だ」
「それは、私の中に“竜神”がいたから?」
「ああ」
「じゃあ、その“竜神”がいなくなったら。私は単なる『一般人』に戻るわけですよね?」

 てっきり私の価値は『竜神が住む魂』にあるのだと思っていた。以前鬼崎にそう言われたから。でも実際は違うらしい。というより、“変わった”と言うべきか。山姥切の説明を受け、そう感じた。

「そう考えるのは当然だ。だが実際は違う。君の魂は、もうただ単に『竜神が住んでいる』だけの領域を超えている」
「……と、言いますと?」
「――魂そのものが“神格化”しつつある。言ってしまえば『竜神の一部』になりかけているんだ。君の魂は」

 元々はただの“人間”だった。でも、今は違う。『人ならざる者』それが今の私だと、そう、知っていたはずなのに。

「君の肉体は確かに『普通の人間』そのものだ。だが魂は違う。君の中に宿る『竜神』と、君の体を巡る『霊力』、そして『神気』――それらが混ざり合い、君の魂は“変わってしまった”」

 あー、確かに。言葉にしてみるととんでもねえ代物が揃いすぎている。『竜神』『霊力』『神気』。おおよそ一般人が持つものではないだろう。そりゃあ魂が変わってしまってもしょうがない。でも、

「私の意志や考えは、別に竜神様に乗っ取られたようには思えないんですけど」

 私は私だ。例え魂の在り方が変わっていようとも、昔から何一つ変わっていない。所謂『神の視点』を持っているわけでも、特別凄い力が備わっているわけでもない。
 だけど山姥切は再度首を横に振る。その瞳は相変わらず下げられたままだけど、ちゃんと質問には答えてくれる。

「確かに、君の『思考』及びそれらに伴う感情は君のものだ。だが所詮それは一時のもの。常世を離れればその魂は竜神の元へと下り、そのまま一部となり輪廻の輪から外れるだろう」
「ということは、」
「ああ。君に“来世”はない。君の人生は、文字通り“一度きり”しかないんだ」

 私の魂が竜神様の元に下ったらどうなるんだろう。
 それは、山姥切にも分からないことらしい。食料として食べられて終わるのか、それとも非常食として一時の間保存されるのか。それとも“そういうもの”という概念的存在になって取り込まれるのか。それは竜神にしか分からない。

「……そっか。それじゃあ、今私がここにいたら……」
「ああ。君の人生は“ここ”で終わってしまう。それは、あまりにも――」

 山姥切は、優しい刀だ。
 だって主じゃない私をこんなにも心配してくれている。気遣ってくれている。私の人生に“後悔”がないよう、必死に考えて戻そうとしてくれている。その必死さ、真剣さは、言葉にせずとも伝わってきた。

「私、他の審神者の刀から神気を直接体に流されても平気だったんです」
「それは……きっと君の体にとってその『神気』が“毒”ではなかったからだろう」
「竜神様の餌になった、ってことですかね」
「……そうとも言える、な」

 ああ、やっぱり。だから私は平気だったんだ。武田さんが言ったように、私の魂に『竜』がいたから。太郎太刀の霊力と私の霊力が反発することなく、竜神が吸収し、自らの力として蓄えたのだ。だから平気だった。
 本当、どんどん人間離れしていってるわ。

「ふぅー……あーあ。死んだら竜神様の腹の中かぁ〜」

 何だか一昔前の“生贄”に選ばれたような気分だ。
 空はこんなにも清々しく、青々と晴れ渡っているのに。私の将来は『竜神の一部』になることが決まっているだなんて、ちっとも笑えない。

「――君を助けたい」
「でも、私より先にあなたたちの主を助けるのが先でしょ」
「だが……俺には、もう……」

 山姥切は、もう限界だ。さっき触れて分かった。彼は“ここ”でしか話せないし、触れられない。もう、そういう存在になってしまった。

「……思ったんですけどぉ」
「……? 何だ?」

 だけど、逆に考えたら『肉体がない』っていうのはある意味『強み』なんじゃないのか? そう思うのはやっぱり失礼なんだろうか。

「山姥切さん、私に“憑依”とかって出来ます? ほら、そしたら私が生き返りさえすれば一緒に現世に戻れるわけですし? あなたの主さんに会えるかもしれませんよ?」
「は? い、いや、だが、君の体には竜神が――――あ」

 そう。いないのだ。竜神は。今。私の中に。どこかに飛び去ってしまったから。
 だから山姥切が『喰われる』ことも『養分』にされることもない。

 ようやく顔を上げた山姥切は私をじっと見つめ、それから口をぱくぱくと開閉させる。

「い、いや、待て、その、だから、君の体に負担が、」
「そんなの今更でしょ。じゃないとほら、このままだと私死んで『ジ・エンド』って奴ですし? だったら一時でも山姥切さんが憑依して、そのまま現世にレッツラゴー! そんでそのままその足で敵陣に乗り込んでー、親玉にワンパン食らわせりゃあいいじゃないですか。それが一番、お互いにとって『いい選択』じゃないですか?」

 どうせこのまま時間が経てば死んでしまう身なのだ。しかも死んだところで閻魔様に会うこともなく竜神様の胃へまっしぐらなわけだし? 少しぐらい寄り道したっていいじゃんね。

「いいじゃないですか。偶には“正義のヒーロー、漫画の主人公”になってみましょうよ。悟空だって何回も生き返っているわけですし」
「い、いや、その、俺はその“ごくう”なる人物のことは知らないが、でも……君はそれでいいのか?」

 狼狽え、戸惑う山姥切に向かって出来るだけ明るく、能天気に見えるよう笑顔を作る。

「やるなら派手にやりましょうよ! 実は私も“正義のヒーロー”に憧れてたんですよ」

 戦隊ヒーローものならリーダーのレッドに、ライダーなら主人公に。幼い頃憧れたあのヒーローに、もしも近づけるなら。

「よっし! そんじゃあ『善は急げ』ってね! 行きましょう、山姥切さん!」
「あ、ああ」

 山姥切の手を取り立ち上がる。そうして彼は殆ど原型を留めていない、柄と僅かにしか残っていない刀身を両手で翳すと、私と向き合う。

「……今からこの刃を、君の胸に突き立てる」
「うッス」
「怖いかもしれないが、きっと痛みはないはずだ」
「まぁ、今はお互い『半・死人』状態ですからね」
「……もし、本当にこのまま死んでしまったとしても……俺は、責任を取ることが出来ない」
「大丈夫ですよ。そんなことで怨んだりしませんから」

 カタカタと山姥切の手が震えている。
 ……優しい神様だ。本当に。

 だから、私はその手に自分の両手を重ね、ぎゅっと握りしめた。

「大丈夫。絶対に、大丈夫ですよ」

 だって、私まだ死ぬ気ないし。

 そう、改めて言葉にしなくても伝わったのだろう。山姥切は一瞬呆けた顔をしたが、すぐさま微笑んだ。

「――行くぞ」

 山姥切の手が動く。鈍色に輝く刃の、折れた刀身の先が、細い断面が、私に向かって突き出される。

 でも、本音を言うとね? 怖くないと言ったら嘘になるんだ。やっぱりね。

 それでもほんの僅かな距離を止める者はこの場にはおらず、折れた刀身は迷うことなく、深く私の肉体に突き刺さった。


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