小説
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 “主を助けたい”
 そう願ったのは、俺だけではなかった。

「すまない。だが後は頼んだ。俺達の主を……どうか、救ってくれ」
「ちょ、まっ……!!」

 振り絞った最後の力で、連れてきた“彼女”を現世へと押し戻す。無意識に伸ばされた手は俺自身には届かなかったが、醜い顔を覆っていた布は掴んだらしい。勢いよく滑り落ちていく布に一瞬手を伸ばしかけたが、すぐに意識を切り替え今剣の元に向かって走った。

「ぐぅっ!!」
「今剣!!」

 小さな体が柔らかい床の上に叩きつけられる。
 脈打つ床の動きに合わせて二度三度と床の上を跳ねたが、俺の足元まで来た時にはどうにか体制を立て直した。

「鼠が入り込んだなぁ〜。とは思っていたけれど、まさか君たちとはね。まだ“生きてた”んだ。往生際が悪すぎて、格好悪いよ?」
「フンッ。俺達を犠牲にし、泡沫の幸福に酔っている貴様に比べたらマシだとは思うがな」

 こちらを一つだけの瞳で捕らえ、卑しく笑うのは『燭台切光忠』だ。かつて仲間であった、今は壊れてしまった主の新しい手足。彼が望んでそうなったことは知っている。だが主に合わせて壊れていく姿は、正直見ていられなかった。

「もう一人いたと思ったんだけど……死んじゃった?」
「さぁな。答える義理はない」
「えー。冷たいなぁ。前は一緒に戦場に出た仲なのに」
「そうだな。だがお前は俺に刀を向けている。その時点でその言葉は意味を為さない」

 かつて、俺は第一部隊の隊長として彼らと共に数多の戦場を駆け巡った。時には近侍として主の代わりに命令を下し、部隊長として戦場で指揮を執り、初期刀として本丸の刀たちをまとめ上げた。だがそれも過去の話だ。この身は既に、戦場で折れた身なのだから。

「僕の言葉が“無意味”って言いたいの? 相変わらず冷たいよね。山姥切くんのそういうところ、どうかと思う」
「そうか。だが貴様の言葉は俺には届かない。こちらを煽っているつもりなのだろうが、無意味だ。ただの愚者、あるいは“傀儡”である貴様の言葉など、聞いたところで響かないからな」

 “言葉”には意味がある。魂が宿る。それは時に“呪い”として、時に“お守り”として威力を発揮する。だが生憎と俺の言葉は主には“届かなかった”が。

「でもそっちの短刀くんは知らないなぁ。僕たちの本丸に顕現した今剣くんじゃないよね? 誰の?」
「こたえるぎりはありません」
「えー。今剣くんまで冷たいだなんて……皆折れたらそうなっちゃうのかな? やだなぁ〜。そんな“格好悪い”こと、僕したくないなぁ〜」

 以前の俺なら大なり小なり不愉快に思ったかもしれない。だが今は何も思わない。例えこの醜い体を罵られても、嘲笑われても。きっと笑みすら浮かべられるだろう。

「その言葉、倍にして返させてもらう。こんな薄汚い、気味の悪い場所で、主とお前が行っていることを考えると反吐が出る」

 主は気難しいお人だった。言葉は極力交わさず、顔も見せず。感情さえもそぎ落としたようなお面の奥で、常に『最善』『最短』を選ぶようにしていた。感情らしい感情は一度として表に出したことはない。喜びも、驚きも、感動も感謝も、悲哀さえも、無表情な面と声に乗ることはなかった。きっと、それは俺が折れても同じだったのだろう。彼女は感情が欠落した人形のような人だったから。
 とはいえ、そんな人でも俺にとっては“守るべき人”だった。あの戦場で、最期の刻まで主の幸福を願うぐらいには。

 だがそれも今日までだ。

 俺は俺の願いのために、そして壊れ行く主のために、心を鬼にして刃を振るわなければならない。

「構えろ、燭台切。折れた刀であろうと侮るなよ」
「――いいよ。派手に散らしてあげる。ま、誰にも知られずに終わるだろうけどね」

 単純な実力差なら、あの頃より強くなった燭台切に軍配が上がるだろう。それに元よりこちらは一度折れている身だ。この手に握っている刃とて、以前のように万全の状態ではない。むしろ折れた刃を無理矢理継ぎ合わせて振るっているようなものなのだ。振るうのも受け止めるのも、この一撃が精々だろう。

「山姥切、」
「今剣。お前は逃げろ。例え二度折れることになろうとも、ここは繋ぎ止めなければならないからな」

 今剣の姿は見えない。先程力を使い果たしたからだろう。実体を見せる力も残っていない彼は、彼の主人が力尽きた瞬間この世から消え失せるだろう。
 捕らわれた審神者達が命を繋いでいられるのも残り僅かだ。早ければ数時間後、長くとも一日。その程度のものだ。だから、早く“彼女”に戻ってきてもらわなくては。
 俺達が唯一連れてくることが出来た、俺達の声を、姿を、感じ取れる人あの人を。

「頼んだぞ、今剣」

 主たちの未来を守ってくれ。

 そう暗に滲ませ、先に抜刀した燭台切を迎え撃つ。
 今剣の気配は既にない。先の言葉を聞き、残りの力を振り絞って“彼女”に会いに行ったのだろう。

 どうか、どうか“彼女”が俺達の主を救ってくれますように。

 力強い一撃は俺の体をいとも容易く打ち砕き、俺の体は再びバラバラになった。




***



 寝た。

 と、思ったんだけどなー。

 私はぼんやりと、またどこかの本丸の縁側に座って青空を見上げていた。

「困ったなー。どこだろうなー。どうやって帰ればいいんだろうなー」

 もはや諦めの境地だ。こうも立て続けに、夢の中でも現実でも見境なく怪異に巻き込まれれば誰だって動じなくなるものだ。しかし巻き込まれるのは仕方ないとしても、だ。せめて帰り方だけでも自分で見つけられたらいいのに。最終的にはいつもなし崩しか、刀たちに助けてもらわなきゃ帰れないんだから情けない。もしこのまま誰にも見つかることなく怪異に取り込まれたらどうなるんだろう。死ぬのかな?
 そんなことを考えている時だった。突然視界が切り替わったのは。

「おろ?」

 今度は森の中だった。あの『神域』のように緑が生い茂った、豊かな森だ。だがあの場所とは違い、耳を澄ませば水の音がする。悪い気はどこからも感じないので、とりあえずその水音がする方向に向かって歩き出した。

 大地は存外整っている。道が整備されているわけではないが、土は柔らかく、平地が続いているため急な斜面も大きな岩もない。そりゃあ多少なり大きな石ころはゴロゴロとあちこちに転がってはいるが、道を塞いでいる大岩もなければ倒壊している大木もない。豊かな森そのものだ。
 鳥の声は聞こえないが、空気は非常に澄んでいる。心地いい場所だと思った。

「あ。滝だ」

 歩き初めて数十分。遂にその滝を見つけた。切り立った崖から流れる、膨大な水量。とはいえ、規模としてはそう大きなものではない。だが山間の中で見るには十分な、立派な滝だった。

「はー……何か新鮮な気分……」

 重力に従い、上から下へと膨大な量の水が落ちていく。轟々と音を立てながら、小さな飛沫を幾つも上げながら。その滝は力強く、荘厳且つ清らかな気を纏いながら私の前の前に立っていた。
 そう。“竜”の形をして。

「――――へ?」

 一体いつから、滝は“竜”になっていたのか。

 いや、確かに“滝”はまだ流れている。上から下へと、相変わらずの力強さで。だがその前に“竜”が立っていたのだ。白とも青とも透明とも言える、不確かでありながらも確かに“そこ”に存在していると分かる塩梅で。私の目の前にそびえ立っていた。

「――――」

 竜が口を開く。水飛沫を全身で受け止めながら、私を見下ろすようにして頭を少しだけ下げた状態で、何事かを話しかけてくる。だけどその声は聞こえない。聞き取ることが出来ない。単に言葉が理解できないとか、そういう問題じゃない。

 “聞こえない”のだ。竜の声が、言葉が。私の耳に、脳に、届いてこない。

「あ、待って!!」

 竜は何事かを呟くようにして数度口を開いたが、まるで諦めたかのように瞼と口を閉じると体を持ち上げた。

 ――行ってしまう――

 そう思った時には既に遅く、竜は空高く、青々とした大空の彼方へと向かって飛んで行ってしまった。

「…………夢……?」

 そう呟いて起き上がった先、私はまだ“夢の中”にいるのか、それともここが現実なのか。分からなかった。

「……どうして……」

 何故なら、私は再びあの『神域』と呼ばれる本丸の一室にいたからだ。

「どうしてここに……」

 私の本丸ではない、清らかな霊力。庭から聞こえてくる鹿威しの音、木々のざわめき。そのどれもが現実で体験したあの日と同じものであると確信できる。でもどうしてここに繋がったのか。あの竜は何を意味していたのか。分からないままぼんやりと庭を眺めていると、閉じていた襖がスラリ、と開く。

「あ。あなたは――」

 開いた襖の先に立っていたのは、顔の半分が崩れ、衣服に血が滲んだ、あの時の“山姥切国広”だった。
 彼は私を見るなり目を丸くし、すぐさま私の手を取る。

「何故君が“ここ”にいる!?」
「へ?」

 切羽詰まった山姥切。その手はボロボロで、爪も割れて血が滲んでいる。だが痛みを感じていないのか、それとも我慢しているのか。自分の傷には目もくれず、私の手を握ったまま立ち上がる。

「ここにいてはいけない、いや、そもそも君は“ここ”に来られるはずがない。なのに、何故――」
「あ、あの……?」

 混乱している山姥切には悪いが、どうして私が“ここ”にいてはいけないのかが分からない。そりゃあ確かに『神域』と呼ばれる本丸に何度も来るのはよくないことだろう。現に魂が肉体から離れかけていたわけだし。太郎太刀が助けてくれなければ今頃どうなっていたか分からない。でも私だって好きでこの場所にいるわけじゃない。
 いつの間にか“ここ”にいたのだ。そう切り返そうとして、山姥切は私の頬に手を当てた。

「……君、“竜”はどうした」
「え? “竜”?」

 竜。それは、さっきどこかへ飛び立ってしまったあの竜のことを言っているのだろうか。分からず首を傾ければ、彼は先程目を丸くした時よりも更に大きく目を見開く。

「そ、んな、莫迦な、それは、それは不味い! ダメだ! 君はまだ“こちら”に来ていい人間ではない!」
「いッ! 痛い、痛いですって!」

 ガッ! と勢いよく両肩を掴まれる。硬い指先が肩の肉を突き破りそうなぐらい強い力だ。あまりの痛みに顔を顰めて訴えれば、彼はハッとしたように指先から力を抜く。

「とにかく、君は一刻も早く“ここ”から出るべきだ」
「でも、自分でもどうやって来たのか分からなくて……」

 竜が飛び立ったあと、気づけばここにいた。確かにその間際に一瞬の浮遊感を感じなくもなかったが、本当に一瞬のことだったから忘れていた。あの竜が連れてきたのか、それとも元々私は“ここ”にいて、あの“森”は竜が見せた幻影だったのか。それすらも定かではないのだ。
 それを知らない山姥切は私を“ここ”から出そうとしている。だが彼はすぐさま両手で顔を覆い、蹲った。

「だけど、ダメだ……俺ではダメなんだ……」
「え……ど、どうしてです?」

 蹲る山姥切の傍に膝をつき、その背に片手を当てて気づく。

 そうか。彼は、もう――



「ここは、“彼岸”――『あの世』なのだから」


 どうやら、私は気づかないうちに死んだらしい。

 そう理解した時、私たち以外誰もいない空間の中で、閉めたはずのない襖が音を立てて勝手に閉まった。



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