小説
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 私が体験したすべての出来事を話し終えるまで、ありがたいことに誰も横やりを挟むことはしなかった。

「いやぁ〜……確かに水野さんがいるから『どうにかなるかも』なーんて思ってたけど……」
「これは……正直予想以上ですね」
「たはは……別に望んでそうなっているわけじゃないんですけどね」

 今更だけど夢前さんがいなくてよかった。今日は週に一度の登校日だということで、見習い審神者である夢前さんはお休みだ。だからこそ気兼ねなく話せたのだが。
 そんなわけで、先程の夢のような、それでいて確かな現実であったことを話した。すると火野さんと田辺さんが困惑をありありと表情に乗せたまま続ける。

「だってさぁ、今の話聞く限り、水野さん、一瞬だけど『彼岸』に行ったわけでしょ?」
「折れた刀たちの逝く先が『彼岸』――ようは『あの世』というのであれば、水野さんは、そしてこの本丸は、一体どうなっているのでしょうか?」

 本丸については、そりゃあもう。色々ある。元々は鬼崎の本丸から枝分かれした存在なのだ。ある意味では異空間に繋がってもおかしくはない。現に一度政府からのアクセスを自力で阻んだ実績があるわけだし。意思がある本丸、と言えなくもない。となると、この本丸が『彼ら』を通した、ってことになるのかな。それともこの本丸が『彼岸にある本丸』と一時的にリンクして、そこに私が飛ばされた、とか? 原理は分からないが、そう言った類のものだろう。
 何となく畳の目を数えるようにして視線を落として考えていると、火野さんが「それに、」と困ったような顔でこちらを見る。

「水野さん、さっきそこの太郎太刀から霊力を直接体に流されたんだよね? 何でそんなにケロっとしてんの?」
「へ?」

 何で、って言われても……。そういえば太郎太刀からも「体に合わないだろうけど」って言われたけど、何もないな。むしろいつも通りっていうか、忘れていたほどだ。だけど火野さんだけでなく柊さんからも心配そうな声を掛けられる。

「水野さん。通常他人の、しかも付喪神とはいえ神の霊力を直接注がれると異常状態になります。どんなに軽い症状でも気分が悪くなり、暫くはまともに喋ることも出来ません」
「自分ん所の刀であれば話は変わってくるが、水野さん。あんたの所に太郎太刀はいねえ。だけどあんたは平気な顔して話してるだろ? だから火野は不思議に思ってんだよ」
「あー、成程。そういう……」

 柊さんの言葉を補完するように武田さんに説明され、言われてみれば確かにそうだ。と今更ながらに思う。いやでも、本当に何ともないんだよなー。何でだろ?

「まぁ、あんたの体には『竜』が住んでるからな。イレギュラーもある、か」

 武田さんが珍しく小声だったのは、きっと何も知らない火野さんと田辺さんに私のことを伏せるためだろう。もし私が二人に『竜神様』の件を話していたら武田さんも気兼ねなく言い放っただろうが、一度火野さんに尋ねられた時拒否している。それでだろう。武田さんの気遣いにこっそりと感謝する。

「ん〜……でもなぁ、水野さんばっかり不思議体験してもなぁ……正直俺らが一緒に行けないと捜査も何もないし……」
「ええ、そうですね。せめて私が一緒に行けたらよかったのですが……」

 いやいやいや! 田辺さんの心遣いはありがたいが、正直あなたと二人だけで不思議体験なんて真っ平ごめんです!! なんて御簾で見えないのをいいことに顔を引き攣らせていると、控えていた小夜が「主も大変だね……」と見上げてくる。うん。自分で言うのもなんだけど、私もそう思う。

「とにかく、水野さんがまた『彼岸』に引き込まれちゃまずいっしょ」
「そうですね。捜査はこちらでも行います。ですが水野さんの身の安全を考えると、本丸から一時的に撤退して欲しいのですが……」
「それは出来ません。私の本丸には今百花さんの刀もいますので。それに、もしかしたら何かまた手掛かりが掴めるかもしれませんし。そんな機会をみすみす逃すのは悪手かと」

 確かに『身の安全』を第一に考えるのであれば、田辺さんが言うように本丸から一時的に離れるべきだ。でも、それで解決できるとは思えない。だって今までもこの件は捜査されてきた。それなのに捜査データどころか事件に関わっていた人たちの記憶すら弄っている相手なのだ。こっちも覚悟を決めて飛び込まないと犯人は捕まらないだろう。

 それに、

「……助けたいんです。『彼ら』の主を。でないと、彼らは眠りたくても眠れない。そんな気がするんです」

 折れても尚、自らの主を守っていた刀たち。
 でも、もう彼らには主人を支える腕も、交わす言葉も、声も、ない。肉体を失った付喪神は一体どこへ『還る』のだろう。
 そりゃあ勿論政府が管理する『大本』の『本体』には還るのだろう。でも、それだけじゃない気がするのだ。あの“呪われた本丸”でもそうだったように。彼らの意識は、きっと、すぐに消えるものじゃない。そう、思うのだ。

「主」

 深く考えすぎていたのだろう。思考の海に沈んでいた私を引き上げたのは、ずっと私の傍から離れない小夜だった。

「僕は、あなたが心配。確かに、主のおかげで少しずつ前に進んでいると思う。でも、“落とし穴がない”なんて、誰が言えるの?」
「――それは……」

 小夜の言いたいことは分かる。都合よく話が進みすぎじゃないか、とか、本当にこれでいいのか、とか。色々、言いたいことはある。考えなきゃいけないことも。でも、分からないからこそ、立ち止まっているばかりじゃいけない気がする。
 ああ、でも、小夜は『もっと慎重になれ』って言いたいのだろう。私はいつも先走ってばかりだから。

「主。僕の主は、あなたしかいない。他の本丸の、他の審神者なんかじゃない。僕の主は、あなただ。あなたがいなくなれば、きっと……僕は、正気じゃいられなくなる。憎しみに、深く、沈んでしまう」
「小夜くん……」

 小夜はそこまで言うと一度俯き、改めて顔を上げてこちらをまっすぐ見つめてくる。その瞳は怒っているようにも、悲しんでいるようにも、迷っているようにも見える、そんな不思議な――力強い、色をしていた。

「僕は、そんなのは、嫌だ。確かに僕は『復讐の刀』ではあるけれど、同時に『あなたを守る』刀でもあるんだ。あなたが僕にそう言った。そう、願ってくれた……。だから、僕からあなたを奪わないで。例えそれが、あなたの意志であったとしても。約束するよ。あなたの敵は僕が殺す。あなたの命は、僕が守る。この身に代えてでも、必ず。でも、あなた自身が僕からあなたを奪わないで。それだけは……僕は、とても、嫌なんだ。心から……心の、底から……嫌なんだ……忘れないで。主。僕は、あなただけの刀。あなたを守る刀。あなたの敵を殺す刀。そして、復讐の刀。でも……あなたの幸せを、願っている刀だから――……」
「……うん。ありがとう。ごめんね、小夜くん。心配かけて」

 小さな体をぎゅっと抱きしめる。細くて、小さい。でも、彼が誰よりも早く戦場を駆け抜けることを知っている。私のために沢山努力してくれていることも知っている。そして、こんなどうしようもなくバカな私の『幸せ』を願ってくれていることも――。

 ……きっと、あの刀たちも、こんな気持ちだったんだろうな。

 でも、ごめんね、小夜。私、やっぱり『ゆっくり』なんて出来ない。『慎重』には、出来るだけ、気を付けるけど。でも、やっぱり走ってなきゃダメみたいなんだ。私。『彼ら』にそう願われたから、ってのもあるけど、被害にあっている審神者は皆私と同じただの『人』だから。助けたいんだ。助けられるのなら、今すぐにでも。

 御簾で顔を隠しているけど、多分、小夜には分かったんじゃないかな。分かってしまった、とも言えるけど。
 体を離すと小夜は少しだけ寂しそうな、切なそうな眼をしたけど、すぐにいつも通り、『本当に主は仕方ないね』と言わんばかりの笑みをうっすらとだが浮かべてくれた。

「……無理はしないでね」
「うん。ありがとう」

 今後、私の身に何が起きるかは分からない。でも、私には頼りになる刀がいる。私だけじゃ無理でも、彼らがいてくれるから。だから、怖くはない。一人だったら心が折れていたかもしれないけど……。

「何かあったらよろしくね、小夜くん」
「本当は何もないのが一番なんだけどね。でも、主がそう願うなら……僕は、それに従うまでだよ。だって僕は、“あなたの刀”だから」

 他の本丸の、他の『小夜左文字』がどんな刀なのかは知らない。でも、私の『小夜左文字』は最後まで私の味方でいてくれる。私の刀でいてくれる。そんな心強い小夜が少しだけ口元を和らげた表情を見せると、突然私たちの肩にがっしりとした掌が回ってくる。

「おんしら〜、わしを忘れちょらんか?」
「あはは、何それ。大丈夫だよ。それに私がむっちゃんのこと忘れるわけないでしょ?」
「そうですよ。主が最終的に頼るのは、陸奥守さんなんですから」

 力強く引き寄せられ、そのまま抱き寄せられた胸に『忘れるわけあるかい!』とツッコミの意味を込めて軽く叩く。途端に陸奥守は「わははは!」といつものようにカラリと笑い、暗くなっていた空気を一瞬で変えてくれた。

「ならえい。忘れられちょったら寂しゅうて泣いちょったぞ」
「あはは! んなアホな」

 陸奥守の笑顔につられて笑い飛ばすと、どうやら私たちのやり取りに呆れたらしい。加州たちから「あーあ」という声が上がる。

「見せつけてくれちゃって。狡いっての」
「まぁまぁ。僕たちの主が一応は無事だってことは分かったし、水野さんたちの仲がいいのは今更だし、気にしたら負けじゃない?」
「だが加州の言う通り羨ましいな。俺も主とあのように……いや、例えあそこまで睦まじくとは出来ずとも、笑みを交わし合える仲であったなら……!!」
「ええい、長谷部はまだ良い方ではないか! 私はぬしさまと数度しか顔を合わせておらぬのだぞ?! 贅沢を申すな!」
「はっはっはっ。男の嫉妬は見苦しいぞ。小狐丸、戯言は控えよ」
「笑いつつもお叱りは忘れない……流石三日月、怒らせたくないねぇ」
「とか言いつつ笑っているのは誰かな?」

 私たちを『仲がいい』って言うけど、加州たちも十分仲がいいと思うんだけどなぁ。
 百花さんが一応は『無事』であることが嬉しいのだろう。落ち込んでいた加州がニヒルっぽく笑う姿を見て、何だか私まで嬉しくなる。他の刀も同じらしい。皆落ち込んでいたのが嘘のようにわいわいと話し出す。
 ……うん。彼らの強いところは、こうしてすぐに立ち直って次に向かえることなのかもね。
 改めて皆を眺めていると、どうやら私たち抜きで話し合っていた火野さんたちも話が纏まったのだろう。改めてこちらに向き直る。

「では、水野さん。あなたはご自分の安全を第一に考えてお過しください。先程の話は……信じます。ですが勝手に動き回ったり、調べ回ったりしないでください。よろしいですね?」
「はい」

 田辺さんの眼鏡がキラリと光った気がする。鋭い眼光と、こちらを憚りつつも釘をさすことを忘れない彼に何とか頷けば、その横で火野さんが腕を組みながら「でも」と続ける。

「水野さんのことだからなぁ〜。水野さんが望んでなくても向こうから勝手に飛び込んできそう、っていうか水野さんを巻き込んでいきそうだよなぁ」
「あー。それは十分頷けるわ」
「ええ。前科が沢山ありますから」
「武田さんも柊さんも酷い」

 私だって、私だって、好きで巻き込まれてるんじゃないやーい!!! と心の底から突っ込みたかったけど、今回は別だ。人命が関わっている。いつまでも悠長にはしていられない。

「とにかく、水野さん。あんたは無暗に動き回らない。これを厳守してくれ」
「もし巻き込まれたらすぐに連絡してね! ってことで、これが俺の番号。登録よろしく!」
「あ、はい」

 火野さんに渡されたのは名刺だ。その裏に携帯の番号とアドレスが明記されている。……多分こうやって人脈を広げていったんだろうなぁ……。アグレッシブな人だ。

「それでは、私は現世に戻って至急この件について調べてみます」
「俺も手伝いますよ〜! ってことで、俺と田辺さんが調べてる間、水野さんは本丸で待機ね」
「何か分かったらこちらから連絡する。水野さん、大変かもしれねえが暫くの間は刀たちと常に行動を一緒にしてくれ。あんたの身に何かあってからじゃ遅いからな」
「武田や火野だけでなく、私の方でも何か分かればご報告します。どうかお気をつけて」
「はい。ありがとうございます」

 それぞれがそれぞれの役目を負って本丸を出ていく。けど、正直ごめんやで。私、守る気ないから。その約束。

「……主、僕たちも手伝うから。一人で解決しようとしないでね」
「うん。分かってる」

 一緒に武田さんたちを見送る小夜が釘を刺してくる。小夜も、陸奥守も。いや、多分、私の性格を『知っている』刀たちは全員、私が大人しく本丸で『待つ』なんてしないだろう。と予想しているはずだ。それにきっと、武田さんと柊さんも。だってさっきゲート潜る前にこっち見てきたし。武田さんすっごい渋い顔してたし。柊さん滅茶苦茶不安そうだったし。いやー、バレてるって分かりながらも危険を冒すのは堪りませんなぁ。膝がガクガク震えるわい。
 でも、私がやらなきゃ誰がやるんだ。ってね。勿論お師匠様には連絡する。というか、武田さんたちも報告するだろうし。きっとお師匠様からも止められるだろうけど、多分、お師匠様にも筒抜けだと思うから。私が『勝手に動き出す』ことなんて。

「私、悪いやつだね」

 全力で、真っ向から規則を破ろうとしているんだから。お叱りも罰則も、覚悟しておかないと。
 苦笑い気味にそう呟いていると、短期遠征組が入れ替わるようにして帰ってくる。

「おや、揃いも揃って何事です?」
「出陣組はまだ帰ってきていないみたいですね……」
「はー、つっかれた〜。あーるじ、ただーいま!」
「あるじさま、ただいま、ですっ」
「主君、ただいま戻りました。獲得した資材は後程ご報告いたしますね」

 遠征に行っていたのは宗三、江雪、加州、五虎退、前田の六振りだ。出陣は太刀組だが、彼らはまだ戻ってきていない。そんな彼らの中で真っ先に『妙だ』と感じたのはやはり宗三だった。常より更に厳しい、訝しむような目を向けてきた。が、前田の言葉にあっさりと表情を戻し「そうですね」と相槌を打つ。

「とにかく、先に荷物を持っていきましょう。話は後で聞きます」
「え」

 何で『何かあった』ことが分かったんだろう。思わず声が漏れれば、宗三は心底嫌そうに顔を顰める。

「小夜があなたの手を握っているなんて珍しいですから。何かあったに決まっています」
「あ。成程。流石お兄ちゃん」

 そういえばそうだった。指摘された手を軽く振れば、宗三はすぐに「ふん」と顔を顰める。が、すぐにどこか拗ねているようにも、不服そうにも見える複雑な表情を見せた。

「……あなたの身に何かあったのでしょう? 怪我はないようですが、あなたは僕たちの“主”ですから。一応は気に掛けて差し上げます」
「はいはい。宗三お得意の憎まれ口、ってね。何にせよ話はこの資材を運んでから! 主、ちゃーんと誤魔化さず、全部話してね?」

 どうやらうちの加州にもお見通しだったらしい。悪戯気味にばっちりウィンクを飛ばされ、苦笑いしつつも頷く。

「これだと帰ってきた出陣組にも何か言われそうだなぁ〜」
「そりゃそうでしょ。俺達にとって“主”ってそういうものなんだからさ。あんまりポヤポヤしてると、足元掬われるよ」

 ぼやく私に返事をしたのは、意外なことに皮肉屋な方の加州だった。彼はいつもよりツンとしたすまし顔で、こちらを見ることなく言い放つ。でも私を気遣ってくれているのだろう。それはどんなに言葉がぶっきらぼうでも分かる。皮肉屋でも、そうでなくても。『加州清光』という刀は皆根っこの部分は同じなのだろう。主人が大好きで、心から大切にしてくれる刀だから。

「ありがとう。今度こそ、百花さん見つけようね」
「……ん」

 うちと違ってだいぶひねくれものな加州清光だけど、改めてお礼を言えば照れ臭そうに顔を背けた。

「さ、とりあえず部屋に戻ろうか。遠征組の報告を聞かなきゃだし」
「兄さまたちにも説明しなきゃいけないし、ね」
「わしも手伝うぜよ。人手が多い方がええろう?」
「うん。よろしくね」

 まずは今日の分の仕事を終わらせないと。
 そう気合を入れなおし、本丸へと戻った。

 勿論この後遠征組に何が起きたか説明した後盛大に怒られ心配され、またその数時間後に帰ってきた出陣組の太刀組からも大いに心配されたのは言うまでもない。





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