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「はあ……そんなことになっていたとは……」
ずずっ、と御簾の奥で茶を啜れば、目の前に座る武田さんと夢前さんから「どれだけ心配したか」と改めて力説されて内心焦る。
いやでもまさかなぁ〜。そんな三日も過ぎてるとか思わないじゃん? 普通。森を彷徨って、本丸に足を踏み入れて、その後三日月と話した時間を合計すれば一日どころか半日も時間を使っていない。それなのに現実の時間が三日も過ぎてるだなんて……ねえ? 驚きですよねぇ、奥さん。
ってなわけで、私は陸奥守と共に本丸に戻ると、ゲートが開いた瞬間刀たちにもみくちゃにされたのであった。
「もう! ホントーに! ホントーーーーーーに!!! 心配したんですからぁあ!!」
「ご、ごめんごめん、でも、ほら。全然大丈夫だし、怪我とか、ね? してないし」
「ったく……本当次から次へと……あんた一体どうなってんだ? 一回榊さんの所でお祓いしてもらったらどうなんだ?」
武田さんの言いたいことも分かる。分かるけど……祓ってどうにかなるもんなのかね。これ。
「うーん……でもあそこは『神域』であって、前に遭遇したみたいに『呪術』で呪われている場所とは違うものだったんですよねぇ」
「つーかその『神域』ってのもピンと来ねえな。ようは刀剣男士が住んでる本丸なんだろ? ここと何が違うってんだ」
それについては私も疑問が残っている。確かにある意味では本丸も『神域』であるとは言えるだろう。だけど殆どの本丸では『生者』も集える場所だ。審神者は死者ではないからね。だけどあそこは完全に『現世』から離れた異空間……『人非ざる者』のみが足を踏み入れることが出来る、そういう意味での『神域』だった。
「禁足地、と呼ばれる領域に至ったのかもしれないね。何はともあれ、君が無事でよかったよ」
「ご迷惑おかけしました。色々と、本当に。約束していた日時を過ぎていたこともそうですけど、こうして一緒になって捜索していただいて……鳩尾さんもお忙しいのに、すみません」
武田さんの隣に座していた鳩尾さんが朗らかに笑う。本丸へと帰る前、私は「そういえば」と約束のことに気づいて慌てて鳩尾さんに連絡したのだ。
陶器の受け渡しを約束していた日は当の昔に過ぎている。これは失礼なことをした! と電話をすれば、鳩尾さんは怒るどころか私を心配してくれた。更にはこうして駆けつけてもくれたのだ。
本当、今回も色んな人に迷惑をかけていたらしい。
「ともあれ、色々と情報を掴んできた。ってのはデカイな」
「はい。柊さんにもメールしましたが、彼らの主である百花さんは既に亡くなっています。それに担当者名は『水無』さんであり、百花さんはその方に『引退する』という旨をしっかり伝えていたそうです」
「水無、かぁ……覚えはねえが……別地域の奴らは大半覚えてねえからなぁ。帰ったら調べてみるわ」
「はい。お願いします」
一先ず武田さんに報告することは以上だ。後は、彼らに伝えなければならない。彼らの主がどうなっているのか、ちゃんと、言葉にして。
「それじゃあ私は失礼するよ。水野さん、骨董品については後日また日を改めて、落ち着いてから持ってくるとしよう」
「本当にすみません。あ、その、大した品じゃないんですけど、今回ご迷惑をおかけしたということで……お詫びにもなりませんが、よかったら本丸の皆さんで食べてください」
先日購入したゼリーを差し出せば、鳩尾さんは「いいよいいよ」と手を振る。それでも私が「お願いします!」と食い下がれば、こればかりは受け取ってくれた。
「それじゃあまた連絡するから。あまり無理しちゃだめだよ」
「はい。ありがとうございました」
夜も既に八時を過ぎている。本丸だけでなく自宅にも戻らなければいけない時間帯だろう。夢前さんもだ。まだ何か言いたげだった彼女に「また明日聞くから」と口にすれば微妙な顔をされたが、それでもちゃんとゲートを潜って帰っていた。
「さて、と。それじゃあ俺も行くが……また何かあったらすぐに連絡しろよ?」
「はい。色々とご迷惑をおかけしました」
「それでは水野さん、また」
武田さんと太郎太刀を見送ってから大広間へと移る。そこには陸奥守を含めたすべての刀剣男士が揃っており、私は一度深く深呼吸してから上座へと座った。
「お待たせしてすみません。そして、長らく本丸を空けてしまい、申し訳ありませんでした」
幾ら妙な出来事に巻き込まれたとはいえ、人様の刀を預かっている身だ。何の連絡もなしに三日も空けたことは謝るべきだ。
だけど殆どの刀が「不慮の事故だから仕方ない」と責めるような言葉を口にすることはなかった。
懐の広い神様たちで本当に助かる。
「先ず報告したいことは、件の行方不明となっていた審神者こと“百花さん”についてです」
私の刀たちより遥かに多い、様々な刀種が揃った刀たちへと視線を向ける。その先頭に座す加州は固唾をのんでこちらの言葉を待っている。私は、彼にきちんと伝えなければいけない。嘘偽りなく、この目で、耳で、知った真実を。
「……――彼女は、既に還らぬ身となっています……すみません。皆さんの、お力になれなくて……」
加州だけではない。長谷部や燭台切、岩融や薬研と言った、彼女――百花さんと一度でも相対したことのある刀たちは皆目を丸くし、動揺を露にする。幽閉されていた刀たちも多少なりとも驚いたのか、困惑する声が上がった。だがそれもすぐに収まる。
「交通事故だったそうです。事故現場や彼女のご実家については後日判明してから伺う予定ではいますが、一つ、皆さんに報告したいことがあります」
ショックから抜け出せないのだろう。あるいは混乱しているか。固まる加州の肩を今剣が揺さぶれば、悲痛な面持ちがこちらを見上げた。
……加州にとっては、ショックだろうな……。でも間違った情報はちゃんと正しておかないと。彼女は、突然本丸に来なくなったんじゃない。ちゃんと『辞める意思』があり、それを政府には伝えていたんだと。じゃないと、待ち続けてきた彼らの止まったままの時間は動き出さない。
「彼女は、百花さんは、政府に正式に『審神者を引退する』旨をキチンと伝えていたそうです。皆さんに言わなかったのか、それとも言えなかったのかは分かりませんが、彼女は『自分には荷が重い』と判断し、引退した。これが事実です」
あの時の彼女は、本当に辛そうだった。恋した刀を失い、伸し掛かる責務の重さに潰れそうになったのだろう。無理もない。だってまだ十歳だ。赤いランドセルを背負って、学校に通っていた子供なのだ。でも……。
「……主は、もういない……」
加州の声はとても小さかった。でも、静まり返った大広間の中では聞き拾うことが出来た。出来てしまった。彼の、苦しそうな嗚咽も、蹲る衣擦れの音も。
彼は一体、どれほど願ったのだろう。祈ったのだろう。それでも、その願いは届かなかった。彼女が彼を『一番』に想わなかったように、彼の『主にもう一度会いたい』という願いもまた、叶うことはなかった。それが自分のことのように痛く、苦しい。
「……あい分かった。すまぬな、水野殿。辛い役を負わせてしまった」
「いえ、こちらこそ……お力になれず、本当に、すみません」
加州の隣に座していた三日月が代わりに労りの言葉を投げてくれる。でも、それを受け取るにはあまりにも私は無力で、何もしていなかった。
「今後のことはまだ分かりません。一先ずは百花さんの担当者である水無さんを捜索し、その方が見つかってから改めて聴取を行い、隠された事実を明らかにする。皆さんの処遇はその後に決められるものかと思います」
原則として審神者を失った刀たちの道は三択ある。とはいえ、実質は二つに一つではあるが。
一つは『刀解』、もう一つは『譲渡』。他の本丸、交流があった本丸、あるいはその本丸を引き継ぐ次の審神者へと譲渡される。残る三つが、『錬結』だ。これは『刀解』とも『譲渡』とも取れる。錬結先は自身で決めてもらうことになっているからだ。まぁあまりこれを選ぶ刀はいないそうだけど。
「報告は以上です。何か質問はございますか?」
内容によっては答えられないだろうが、それでも一応の形式を持って尋ねれば一振りの刀が手を挙げる。それはうちの刀ではない鯰尾藤四郎だった。
「鯰尾さん、どうぞ」
「はい。では。我々の処遇ですが、今回の全貌が分かるまでは保留……という話ですよね? でも、正直言って俺は興味ありません。俺達の主は死んだ。それが事実なら俺達はここにいる理由もなくなるはずです。それにもう“審神者”に仕えるのはコリゴリですし。だからすぐにでも『刀解』して欲しいんですけど、ダメなんですか?」
鯰尾の発言にギョッとした顔をしたのは意外にも傍に座していた一期一振だった。でもまぁ、何となーくだけど彼はそんなことを言う気がしていたのだ。彼は“審神者”に対していい印象を抱いてはいなかったから。だけどこれに頷くことは出来ない。彼が審神者にとっての小間使いなら、私は政府にとっての小間使いだ。どちらも命令に反することは良しとされない立場にある。
「申し訳ありませんが、受理いたしかねます。私も政府の小間使いですから、定められた規則を破ることは出来ません。出来る限り早めにこの件が解決するよう尽力いたしますが、それまでの間、不服でしょうが本丸にいてください」
「……チェッ、分かりました。そーいうことならしょうがないですね。大人しくしてます」
ダメ元で聞いてきたんだろう。意外と大人しく引き下がってくれた。他に何かないかと聞いてみたが今は何もないようで、一先ず今日はこれで解散となった。
ぞろぞろと多くの刀が大広間を出ていく。そして一先ず息をついた私の所にも刀たちが歩み寄ってきた。
「主、今日は早めにお休みになってください」
「そうですよ。幾ら数時間しか体感時間がなかったとはいえ、実際には数日過ぎていたんですから。不調が起きてからでは遅いです。早めの対策が功を成すのですよ」
「わ、分かった分かった。もう寝るから……」
過保護な長谷部と宗三に苦笑い気味に返事をしていると、他の刀たちも近づいてくる。
「主は自分のこと軽く見すぎ! もうちょっと大事にしてよね」
「全くだ。幾ら俺達でも傍にいないと守れないからな。今度からは陸奥守だけでなく俺達も連れて行ってくれ」
「そうだぞ。というか、陸奥守ばかりずるいぞ。俺が茶を煎れること以外に能がない刀だとは思わないで欲しい」
「鶴さんも鶯丸さんも論点ずれてるから。今はそういう話はなし。さ、主。早く部屋に戻って寝る準備しよう? 布団なら僕が敷いてあげるから」
「待て光坊! お前さん下心ありありじゃないか?!」
「ないよ!! 失礼な!」
ワーワーと騒がしくなる刀たちに「たはは……」と乾いた笑いを漏らす。でも部屋へと戻る前に、今剣たちが集まっている場所へと足を向ける。
「加州……ごめんね」
話し合いが終わった後、多くの刀は大広間を出て行った。それは大半が幽閉されていた刀たちだ。主である『百花さん』に対し思い入れのない刀たちだからしょうがないことなのかもしれない。でも今ここに残っている刀たちは違う。蹲る加州を中心に、百花さんに長く仕えた刀たちがいるのだ。長谷部も燭台切も、あの岩融でさえ痛ましい表情を浮かべている。
「約束したのに……本当にごめんなさい。“絶対に見つける”って言っておきながら、こんな形になっちゃって……」
失意の底にいる加州に触れる資格なんてない。それでも彼らの前に座して頭を下げれば、今剣が「みずのさま」と沈んだ声を出す。
「かおをあげてください。みずのさまはじんりょくしてくださいました。それを、ぼくたちはちゃんとわかっています」
「ええ……はい。今剣の言う通りです。確かに、残念な……本当に、受け入れがたい、非情な結果となりましたが……! 水野様は、我々を助けてくださいました。その事実は、決して覆りません」
「長谷部くんの言う通りだよ。ありがとう、水野さん。僕たちの主を探してくれて。確かに……ちょっと受け入れがたいことだけど。僕たちにも責任はある。だって主はまだ幼かったんだから。大人の助けが必要なのは当然だよね。むしろ謝りたいのは僕たちの方だよ。だから、水野さんは自分を責めないで」
「長谷部さん……燭台切さん……」
ズッ、と鼻を啜る音がする。蹲っていた加州は顔を上げると、赤くなった目元を軽く擦ってからこちらを見た。
「……ありがと。あんたじゃなかったら、多分……主がどうなっているかも、分からなかったと思う。……だから、謝んないでよ」
「……うん」
涙で濡れた声は、酷く胸を打った。ぽつぽつと雨粒が水面に波紋を浮かべるように、静かに、けれど確かに。彼の涙は私の心に響いた。
だけど加州は瞳から雫を零しては袖口で乱暴に拭っていく。
「……ごめん。今は、まだ……これ以上、何も言えない……」
「うん。いいよ。今日は、ううん。明日も、明後日も。加州の気持ちが落ち着くまで待つから……気にしないで」
ずるずると崩れ落ちそうになる加州を岩融が支えて立ち上がる。彼も辛いだろうに、私を見下ろすと常にない、悲しんでいるような、どこかほっとしているような、そんな複雑な笑みを口元に浮かべた。
「何はともあれ、主が何故本丸を離れたのかが分かってスッキリした。水野殿、散々迷惑をかけたな。すまなんだ」
「いいえ。私もだいぶ生意気な口叩きましたから」
「ガハハ! 確かにな。まぁ……そなたまで失ってしまえばそれこそ立ち直れぬ者もいたであろう。そなたが無事であったこと、これは喜ばしいことだ。今日はしかと休まれよ」
「はい。ありがとうございます。おやすみなさい」
ゆっくりと部屋へと向かって歩いていく彼らの背を見送っていると、ぽんぽんと後ろから頭を優しく叩かれる。
「三日月さん」
「主よ。辛い役をよくこなしたな」
「……いいえ。これしか、私には出来ませんから」
むしろ、最後までやり遂げなければ意味がない。途中で投げ出すことなんて出来ない。『仕事』に対する『責任』って、こういうことだと思うから。
「……でも、確かにちょっと辛かったです。約束を反故しちゃったのと同じですから」
「仕方のないことだ。死した者は戻らぬ。それは彼らも重々承知の上だろう。だからこそ我らは“奇跡”で成り立っているのだと胸に刻まねばならんのだがな」
三日月の言葉に騒がしかった後ろの刀たちも押し黙る。鶴丸、鶯丸、江雪、大典太。そして、三日月。彼らは、類稀なる“幸運”と“奇跡”の上に成り立っている。これ以上にない、沢山の“想い”と共に。
「……何か、今日は一人で寝たくないな。また前みたいに皆で眠れたらいいんだけど……」
あんなことがあった後だ。一人で眠るのは何となく寂しい。そんな気持ちで何気なく零した一言だったのだが、これがいけなかった。
ようやく黙ったと思った刀たちがまた一斉に騒ぎ出したのだ。しかも、今回は普段は参加しない短刀たちまで混ざって。
「はい! はい!! それじゃあボクがあるじさんの隣で寝るね!!」
「待て乱! そうはいくか!! ここは公正にあみだで決めるべきだ!!」
「何でよ! 薬研ってばいーっつもボクとあるじさんの邪魔をして〜!! 悔しいんでしょ! 悔しいんでしょ?!」
「んなわけあるか! 俺っちは大将の身を案じてお前を引きはがしてるんだ」
「じゃあここは短刀と打刀の間を取って、脇差の鯰尾くんなんてどうですか? 室内戦でも信頼の実績を築いてる鯰尾くんですよ〜!」
「鯰尾兄さんもダメです。主君の身が危ないです」
「前田の言う通りです。主さまの御身は僕たちがお守りいたします」
「まぁまぁ、皆さん落ち着きなさい。こんなのでも主は女性ですよ? 男の隣に寝かせるなど……」
「おい、宗三。幾ら貴様の見た目が中性的だとはいえ、立派な男であることを俺達は皆知っているからな」
「おや。僕はまだ何も言っていませんけど」
「あーはいはい。落ち着け落ち着け。ここは素直に年功序列でなぁ〜」
「ふざけんな鶴丸。今度からエロ爺って呼ぶぞ」
「な! 失敬な! 同田貫、それは誤解だ。俺に下心などない。そう! 俺は光坊とは違うからな!」
「風評被害を広めないでくれるかな、鶴さん!」
……うん。やっぱり一人で寝ようかな。白熱するバトルに遠い目をしていると、トントンと肩を叩かれ現実に意識を戻す。
「ほれ、今のうちに行くとえい。暫くは終わらんやろうき」
そう言ってそっと自分の体で私を隠すようにし、掌で背を押しながら廊下まで連れ出してくれたのは陸奥守だった。相変わらず頼りになる刀だと思わず苦笑いしてしまう。
「ありがとう。正直あんなことになるとは思ってもみなくて……」
「おんしはげに危機感が足りんきなぁ。そがに一人で寝たくないなら、わしが一緒に寝ちゃろうか」
わはは、といつものように笑ってくれたらよかったのに。何でか妙に優しい声で言われるものだから思わず言葉に詰まってしまった。
「……何ての。冗談じゃ」
「う、ん……」
ぽんぽんと頭を叩かれる。く、くそぅ……顔が熱いぞ……これじゃあ別の意味で眠れそうにない。いや、でもある意味ではこれで一人で寝たいと思えるようになったから問題ないのでは?
何はともあれ、私は陸奥守に「おやすみ」と告げてから自室に向かって歩き出す。
「……あー……返事……いい加減しないとなぁ……」
いつまでも待ってくれている陸奥守にも悪い。今まで散々後回しにし、逃げ回ってきたのだ。いい加減私も本腰入れて『Yes』か『No』か、決めなきゃいけない。
でも、その前に解決しなきゃいけないこともある。
「うん。まずはこの件を解決してからだ。じゃないと、それこそ先には進めないよ」
陸奥守の気持ちも大事だけど。でも、今は――。
公私混同するのはよくない。パシパシと頬を叩き、私はいつものように自室の戸を閉める。
明日からまた始まる、波乱万丈な日々を乗り越えるために。今は眠ろう。
夜は徐々に更けていく。大広間から聞こえてくる喧噪をBGMにしながら、私は一人せっせと布団を敷くのであった。
終
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